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司馬遼太郎の長編歴史小説「坂の上の雲」は、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家や列強というものを「坂の上の雲」に例えたものである。小説の書き出しは『まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている』という印象的な言葉で、同名のNHKドラマでのオープニングが多くの人の脳裏に焼き付いているはずだ[1]。
これに対して、現在の日本を『まことに小さな国が、衰退期を迎えようとしている』と表現したのは劇作家平田オリザ[2]だ。これから日本という国は、長期にわたる人口減少と経済縮小の坂道を下っていくことになるのは、多くの統計からの推察されているところだ。平田オリザは著書で次のように自覚を求めている
労働人口の7割が、サービス業や小売業などの第三次産業に従事している現在、日本が工業生産を中心とした成長社会(貿易立国・技術立国)に戻ることはありえないという。成熟と言えば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐えていかなければならない。そういうことを前提とするなら、個人の生き方も、国の政策も見直していかなければならない。大きな開発も、リニアモーターカーも、オリンピックも、本当に日本に必要なのかと。
オリンピック一つとっても、IOC委員への贈賄疑惑、エンブレムのコピペ問題、メインスタジアムの白紙撤回、都知事の不祥事、当初提示した予算が次々とオーバーして7000億円の予定が2兆、3兆円と野放図となる有様は、もはや日本という国が「私達が知るかつての経済大国・技術大国」ではないことを如実に表しているのではないか。
経済誌週刊ダイヤモンド[3]によれば、線香花火の“散り菊”となった2020年東京五輪から数十年後の日本の経済敗戦後の姿が如実に描かれている。簡潔にまとめれば、こんな感じだ
まるで、内戦で崩壊した何処かの発展途上国のようですが、政府も経済界も語りたがらない現在から数十年後の「低位推計」はこういうふうになる。
21世紀になり、新興国だけでなく他の先進国(OECD加盟国)がドルベースでGDPを2倍、3倍と成長しているのに、日本だけは横ばいか減少している。国民一人あたりのGDP額は先進国の最低順位に沈み[4]、過労死が話題になるくらい働きまくっても生産性は欧州主要国の半分以下[5]。さらに、人口減少ばかりか高齢化で生産年齢人口の割合が減りまくり、老人切り捨てるか税金上げまくるかのどちらに転んでも悲観的な将来しか見えない。こんな状況でも、経済発展や技術立国など「高位推計」の夢物語を語るのは、古代ローマの宰相ユリウス・カエサルの名言『人は見たい現実しか見えない(Fere libenter homines id quod volunt credunt)』[6]の通りだ。
もう、夢物語を信じるのやはめよう。肥大化した価値観、生き方をどうすべきかを示唆するのが、次に述べる「ミニマリスト」「サイレント・テロ」なのではないかと感じている。
物を持たず、必要最小限(ミニマム)な暮らしを送る生き方。かつてはシンプルライフと呼ばれていたことも。物を最小限にすることで、自由に使える時間が増えたことを実感する人が多いようだ[7]。「スーツケースに全所持品が収まる」ほど極限まで突き詰められる人はそうそういない。しかし、物に執着しなくなることで得られるものは時間だけではない。物を買うために費やしていた労力や金も不要となり、より多くの金を得ることが善であるという価値観すら怪しくなってくる。果たして現在の自分の価値観は何の意味があるのか、もう一度じっくり向き合うために、ミニマリストを実践してみよう。
ミニマリストの実践として次のような例がある[7]
サイレント・テロとは、現在の社会状況、または自らの置かれた社会的状況に対して悲観的観測を抱きながら、それを「現実」として受け入れようとするときに起こる人々の行動。
その「悲観的状況こそが「現実」なのだ」と諦観する、一種の「絶対観」的な「現実肯定」に基づいて、「スロー消費」「非婚・晩婚化」「少子化」「NEET」「ひきこもり」「自殺」などのように、さまざまな社会活動——消費行動や人間関係、ひいては自らの生存そのものを消極化、縮小、または消滅させていくこと。
これらの消極的かつ間接的な暴力によって、意図するとせざるとにかかわらず、「見えない社会の空洞化」が引き起こされる。現在の社会に対する消極的抵抗、あるいは沈黙の異議申し立てであるといえる。[8]
また近年、年間1回だけ無駄な消費をしない日として世界各国で無買日運動も行われている。わたしたちのサイフとココロ、そして地球環境に優しい日を、年間1日から始めてみませんか。そしてその心がけを1週間、1ヶ月、1年と持続させることこそ、私たちの心の幸福と地球環境保護に大いに貢献することでしょう。
具体的には、次のような行動規範であるといわれている[9]。紙幣に価値などないや出来る限り金を市場に回さないという言葉からは、経済学の知識の上に書かれたものであると思われます。