モロッコとスペインの旅 : アルヘシラス, タンジェ

※ 未編集の旅行記です

December 20, 2005 (Tuesday)

Algeciras - Spain (アルヘシラス - スペイン)

マドリード発の夜行列車に乗車して、すぐに深い眠りに落ちた。朝起きた時には、すでにアルヘシラスの郊外に差し掛かった辺り。慌ただしく降りる支度をする。列車は定刻より若干早い9時25分頃にアルヘシラス駅に到着。

外は曇っているが、寒くはない。この町には9年前(2007年)にモロッコからの帰路に立ち寄ったので、地理感は少しはある。駅舎を出て、まっすぐ西のフェリーターミナルを目指す。駅から歩く人は殆ど無く、大きなスーツケースを持った人はタクシーに乗っているようだ。

500mほど歩くと町の西端、港の岸壁に面して通り沿いにホテルや旅行代理店が並んでいる。以前、ここに宿泊したなぁ… と眺めながら岸壁にあるフェリーターミナルに向かう。

フェリーターミナルには、運行会社の切符売り場が並んでいる。以前乗船したことがあるtrans mediterraniaの窓口で聞いてみると、次の便は16時だという。その隣、その隣と直近の便を確認していくと、3軒目のフェリー会社comaritの便が「10時発」に乗れるという。切符を買い(31.9ユーロ, 4,338円)、係員の「走れ。間に合うぞ!」の掛け声を受けて出国審査ゲートに向かう。フェリーターミナルの中はそれなりに大きく、出国審査ゲートも方面別に幾つかあり、タンジェ行きのゲートには行列ができていた。やっと出国審査が終わったときには10時を過ぎている。が、乗船口に繋がるボーディングブリッジの入口には、まだ行列ができている。間に合うぞ…。

私がフェリーに乗り込んだのは10時20分頃だが、沢山の乗客が乗り終わり出港したのは11時だった。結局、10時は乗船開始時刻で、出航時間は11時だったようだ。そりゃあ、切符売り場の職員も「間に合うぞ」と言うはずだ。

船内の座席に座り、遠ざかってゆくヨーロッパを眺めていると、フェリーターミナルで少し言葉をかわした日本人女性の2人組がやって来た。出国審査を受けずに乗船口に並んでいたが、戻って出国審査受けて間に合ったようだ。彼女たちは、真冬にもかかわらずアトラス山脈を越えてサハラ砂漠の方まで行く予定だそうだ。

1975年に建造された総トン数11,668トンのM/F Banasa号は、ジブラルタル海峡の荒れた海にもまれながら、ゆっくりとアフリカ大陸に向かっていく。最大乗客数は1,500名とのことだが、体感的には乗船率5割位といったところだろうか。船内の一角に、長い行列ができている。モロッコの入国審査をココで受けられるようだ。時間を無駄にしたくないので、30分ほど並んで入国スタンプをゲット。こんないい加減のでいいのか…。

ヨーロッパ方向を見ると、古代に「ヘラクレスの柱」と呼ばれていたジブラルタルの岩山がどんどん小さくなっていく。この狭い15kmほどしか無い海峡が、フェニキア、ローマ、イスラム帝国、スペインなど覇権を維持するため支配しようとした場所だ。今は、出稼ぎや難民が欧州へ流れこむのを押しとどめる、天然の防御壁だ。

Ferry
Algeciras(11:00頃発)→ Tanger(12:30頃着)
Ferry, Commarit M/F Banasa 運賃 27.5ユーロ+税4.4ユーロ(4,338円)

Tanger - Morocco (タンジェ - モロッコ)

tanger-map.jpg

スペインとモロッコの間の時差は1時間。スペイン時間で13時半、モロッコ時間では12時半にタンジェの港に接岸。ジブラルタル海峡横断に要した時間は2時間半だ。

下船し、すでに入国審査は終えているのでパスポートを窓口で見せるだけで入国審査場は通過。日本人女性2人組とは、ここで別れる。彼女たちは今日中にフェズまで行くそうだ。

まずは、モロッコの現金を得る必要がある。フェリーターミナル内には銀行のATMが無いため、現金を得るために新市街へ向かう。10kgを超える重さのバックパックを背負い、汗をかきつつ旧市街を横切る緩い坂道をどんどん登る。およそ1kmほどで新市街の1947年4月9日広場(グラン・ソッコ)のロータリーにやって来る。銀行が幾つかあるので、以前に使ったことがあるBanque PopulaireのATMで現金をゲット(1,000ディルハム, 12,710円)。もちろん、クレジットカード・キャッシングだ。

市街地中心から国鉄駅に向かいつつ、今夜泊まるホテルを探す。海岸沿いの幹線道路が、タンジェ港から砂浜に景色が変わる辺り、路地に少し入ったところにこぢんまりした安宿Hotel d'Anjouを発見。部屋の値段は1泊100ディルハム(1,271円)という。静かそうだし、ここに決める。

部屋に荷物を置き、まずは腹ごしらえということで、旧市街の端っこのレストランに入りチキン・タジンとコーラで昼食。32ディルハム(407円)。おいしくて満腹、それでいて400円程度と激安だ。ヨーロッパとの物価水準の差を実感。

レストランの前でタクシーを捕まえ、国鉄駅へ。駅は市街地の東の外れ、砂浜に面した所にある。距離はたったの2.5kmだが、運賃が30ディルハム(381円)。おそらくボッタクられているのだろうが、これしきの金額でもめるのも疲れるので素直に払う。

Taxi
タンジェ 旧市街(14:30頃発)→ タンジェ駅
Petit Taxi 運賃 30ディルハム(381円)

街外れなので行き交う人も殆ど無く、もちろん駅のコンコースも、ほぼ無人。窓口でフェズ行きの切符を購入。1等車で141ディルハム(1,792円)。切符はスーパーのレシートのような熱転写ロール紙に印刷されている。

駅からの帰りは、徒歩。2kmほど先にある旧市街の丘めざして、砂浜を歩いて帰る。真夏なら、欧州から来た観光客が日光浴をする浜辺なのだろう。いまは真冬なので、誰も歩いていない。

タンジェは紀元前のフェニキア人(カルタゴ)の交易拠点を起源とした街で、ローマ帝国のマウレタニア属州の都市、中世のイスラム帝国、ポルトガル、イギリス、フランス、ドイツと各国に支配されてきた。ジブラルタル海峡に面した重要拠点都市なので、列強国に常に狙われていたともいえる。どの国が領有するか妥協できない時は、「国際管理地域」という位置づけだったこともあるそうだ。

そのため、旧市街(メディナ)には防衛施設もちゃんと備えられていて、ジブラルタル海峡を望む北側の最も小高くなった付近は要塞(カスバ)になっているし、港に面した東側には砲台もある。入り組んだ旧市街の路地は、敵の侵入を阻むためのものでもあるが、現代の観光客が道迷いになる原因でもある。それらの路地には商店や露天が出店していて、日用品や食料品を買い求める客で混雑している。

丘の最も高い所、要塞(カスバ)までやって来ると、さすがに通行人も減る。この辺りは一般の住宅が多いようだ。旧市街の北端は崖のように切れ落ちていて、ジブラルタル海峡を挟んだ対岸のスペインがかすかに見えている。サハラ砂漠より南からヨーロッパを目指して北上してきた難民は、ジブラルタル海峡越しにヨーロッパを眺めて決意を固めるのだろうか。

夕食は旧市街に隣接した通りのレストランに入り、チキン・フリット、ハリラ・スープ、スプライトを注文。32ディルハム(407円)。昼食の時と同じく、この国のレストランは安くて旨い。

暗くなってからも、旧市街や隣接する商店の並ぶ通りは、商店の照明で明るく照らされ、益々多くの客で混雑している。イスラム圏では、太陽が沈んで涼しくなってから人通りが多くなるようだ。

ホテルに戻り、ボイラーをONにしてもらってシャワーを浴びる。この日の気象データは最高気温15℃, 最低気温12℃, 湿度82%〜94%。曇っていて雨は降らなかったが、湿度はものすごく高い。冬の地中海性気候といったところだろうか。

Hotel
Hotel d'Anjou
11号室, ツイン 100ディルハム(1,271円)/1泊

December 21, 2005 (Wednesday)

6時50分起床。昨日買ったパン(1ディルハム, 13円)を食べて朝食とする。8時にチェックアウトし、駅を目指す。海沿いの大通り(モハメッド6世通り)に出ると、歩いて通勤する人を沢山見かける。ここはイスラム圏だが、通勤で歩いている女性はヨーロッパと同じような格好をしている。

駅に向かって歩いていると、怪しげな客引きがまとわりついてくる。客引きの常套句は「日本人を案内した」とか、「日本人の友人が居る」というようなものが多いが、余計に怪しまれるのがわからないのかな…。こういう輩には相手をしないことに限る。

8時半頃駅に着くと、プラットホームには2編成の列車が停車している。出発案内表示は、どちらも9時発…。昨日購入した切符には「Sidi Kacemで乗り換え」と書かれているが、どこ行きの列車に乗れとは書いていない。駅員は「右側のに乗れ」、時折やってくる乗客は皆、左側の列車へ。運転士が歩いてきたので聞いてみると、「左のに乗ると、Sidi Kacemに11時37分に到着する」と言っている。左のに乗る。プラットホームの出発案内表示は「CASA VGRS」行きだ。カサブランカ行きのようだ。

Train
Tanger Ville(09:00発)→ Sidi Kacem(11:40着, 12:45発)→ Fes(14:55着)
Train, TC2 → MF2, 1等車 運賃 141ディルハム(1,792円)

列車は定刻の9時に出発。1等車は座席指定のようで、私と同じコンパートメントに乗り込んできたのはモロッコからイギリスに移住した母子と、地元のおばあさん。年上の子供は、英語版のハリーポッターと炎のゴブレットを読んでいて、年下のことどもは英語の学習帳を解いている。

列車は北アフリカの緑の大地を時速100㎞近くで快調に走っている。車窓は小麦畑や牧草地が延々と続いている。地中海沿いの北アフリカは、古代ローマ時代から小麦の大生産地で、現代でも小麦や大麦の生産がこの国の農業の中心だそうだ。

2時間半で、乗換駅のシディ・カセム駅に到着。乗り継ぎ時間は1時間もあるので、駅から外に出ようとしたら警備員に止められた。駅前には巨大な製油工場があり、煙突からは黄土色の煙が立ち昇っている。水蒸気の白い煙とかではなく、黄土色の煙… いかにも有毒そうだ。駅構内のカフェで昼食。羊肉のサンドイッチとカフェオレ(26ディルハム, 330円)。

12時45分、マラケシュからやってきた列車に乗車。列車番号MF2は、マラケシュ発(Marrakech)フェズ行き(Fes)という地名のアルファベットが付いていて分かりやすい。こちらの列車で座ったコンパートメントには、年配のお金持ちそうなビジネスマンが3人。途中、10年ほど前に旅行で来たことがあるメクネスに停車し、終点のフェズにはおよそ2時間で到着。

Fès - Morocco (フェズ - モロッコ)

列車を降り駅舎を出ると、駅前はタクシーがごちゃごちゃと集結し、煙を上げてバスが走っている。駅から南へ、新市街の道を歩きながら安価なホテルを探す。人と車が入り乱れている大通りを南へ。駅を出て1.2kmほど歩いたところにある歩行者天国に面したHotel Lamdaghriをフェズでの宿とする。1泊155ディルハム(1,970円)とリーズナブルな価格だ。

部屋に荷物を置き、大通りをさらに700mほど南に行ったところにある長距離(CTM)バスターミナルに向かう。3日後のメクネス行きバスの切符を購入。18ディルハム(228円)。これで、帰国するまでのすべての旅程が固まった。フェズ(3泊)、メクネス(2泊)、マドリード行き国際バス(夜行1泊)、コルドバ(2泊)、マドリード(1泊)で帰国。

新市街をしばらく歩き回ってから、地球の歩き方に掲載されているレストランで夕食を食べる。チキン・タジンとコーラで44ディルハム(559円)。レストランに入り600円で美味しい夕食が食べられるとは、どんだけ物価やすいのでしょう。ネットカフェに行き、情報収集。1時間15分で15ディルハム(191円)。タンジェに着いて以来、ずっと曇りか雨なのは、モロッコの真上に低気圧があるのが原因のようだ。早く過ぎ去ってくれないかな…。

Hotel
Hotel Lamdaghri
71号室, ツイン 155ディルハム(1,970円)/1泊