モロッコ、スペイン 旅日記 : マラケシュ→サハラ砂漠→メクネス→タンジェ

October 4, 1997 (Saturday)

Brussel/Bruxelles - Belgium (ブリュッセル - ベルギー)

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ブリュッセル行きのFokker50型飛行機(スキポール空港にて)

ロシア上空は、珍しくずっとくもりで景色が見えなかった。そのKL868便はいつもとは違う方向からアムステルダム(Amsterdam)のスキポール空港(Schiphol Airport)に着陸する(16時40分)。すぐにBターミナルに移動し、KLM CityhopperのFokker50型のターボフロップ機(プロペラ機)に乗り込む。KL387便は18時10分定刻どおり出発。夕暮れの雲の上を30分ほど飛んでブリュッセル空港に着。鉄道なら2時間30分ほどだが、飛行機の待ち時間を入れるとほとんど同じくらいの時間かかった事になる。

サベナ航空のカウンターで明日の便のリコンファームをする。空港で市内地図をもらおうとツーリスト・インフォメーションを探すが見つからず、そのまま地下の鉄道駅に向かう。閑散とした駅で切符(90BEF)を買い、一つしかないホームへ。市内行きの列車はすぐに発車し、19時、ブリュッセル北駅(Bruxelles Nord)に到着。駅の地下道で、カリフラワーがたっぷり入ったホットドックとオレンジジュースを買って駅を出る。

辺りはすでに真っ暗で、駅の前の高層ビル街は誰も歩いていない。真夜中の新宿・都庁前のようだ。目指すYHは駅の南東にあると日本のYHセンターで調べてきたので、ホットドッグを食べながら、誰もいない少し不気味な道を南東へ。しばらく歩くと夫婦連れに出会ったので、道を聞くとアメリカ人観光客であった。さらに南東に向かうこと5分、アムステルダムで見かけるような飾り窓地域に差し掛かり、駅から30分ほどで目指すYHをやっと発見。人気のYHのようで満室のようだ。幸い日本で予約しておいたので泊まれる。23時、明日からのモロッコ旅行に備えて早く寝る。

October 5, 1997 (Sunday)

Air : Brussel -> Casablanca (ブリュッセル → カサブランカ)

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ジブラルタル海峡上空を飛ぶ

6時30分起床。7時YHを出発。フロントが開いていないので、勝手に出て行く(一応昨夜チェックインの時に断っておいた)。まだ真っ暗の道を、北駅に向かう。ベルギーではずっと夜に行動したので、どんな街なのかよく分らない。前回ベルギーを訪れた時も夜行列車で夜中に通過した。駅に行くと思っていたほど列車の本数がない。空港に2時間前に行くためには7時25分には列車が出てもらわないと困るのだが、あいにく7時45分まで列車は来ないようだ。時間が余ったので、「これからモロッコに行く」と家に電話しておく。列車は8時少しすぎに空港に到着。少し遅れたが、無事チェックイン。

サベナ航空241便は定刻通り出発。途中、パリの南を飛ぶ。パリ市内を地図で見た通りの形でセーヌ川が流れているのが分かる。緑の田園地帯の広がるフランスをすぎると、ピレネー山脈を超えて、赤茶色の高原地帯のスペインに入る。ピレネー山脈を境に、これほど土地の色に変化があるとは思っても見なかった。地中海が見えてくると、すぐにジブラルタル海峡に差しかかる。やっとモロッコが見えてきた。

Casablanca/الدار البيضاء - Morocco/المغرب (カサブランカ - モロッコ)

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Casablanca Voyageurs 駅に停車するマラケシュ行き列車

ブリュッセルよりサベナ航空でカサブランカに到着(途中、アルヘシラス、セウタの上空を飛ぶ)。飛行機から降り、入国審査へ。何と、長蛇の列が出来ているではないか。サベナ航空1機150人ほどを審査するのに1時間を要する。やっと入国のスタンプを押してもらい、銀行で両替し、動いていないエスカレーターを降りて駅へ。カサブランカVoyageurs駅経由のマラケシュまでの1等車の切符を購入。

1等車といえども早めに乗り込んで空いた席を確保しないと席がなくなることをこの時初めて知る。席が無い客は2等車に追い出される。カサブランカ駅で約2時間の接続待ち。バスに乗ってメディナへ行こうとバス停を探すが、ガイドブックに載っている系統の停留所はないので適当に来たものに乗る。バスはヨーロッパのどこかの街で走っていたものの中古らしく、方向幕(行先表示の回転幕)がぜんぜん違う街のものだったりする。車内は内装がすべてはがされ、錆錆のシャーシむき出しのすごい状態だ(こんなのが走っているのが不思議なくらい)。親切なおばさんが、メディナは終点で降りたらいいと教えれくれる。

メディナを少し探検し、ハッサン2世モスクを見にゆこうと先程のバスターミナルへ行ってみると様子がおかしい。バス1台が兄ちゃんたちに"バスジャック"されている。運転手や周りの人は何やらアラビア語で怒鳴りあっている。そのバスが動けなくなり他のバスもみんな出発できない。しばらく待ってみるものの状況はいっこうに収まらず、適当に来たタクシーを捕まえて駅に急がせる。タクシーもまた、運転席の故障ランプが"全部"点滅し、フロントガラスに大きなヒビのいっているものだ。でも、信号無視をして無茶な追い越しをして列車の発車5分前に駅に戻る(途中ハッサン2世モスクの前を通過してもらう)。

Marrakech/مراكش - Morocco/المغرب (マラケシュ - モロッコ)

列車は定刻通り15時にカサブランカを発車。1等車はすべての席が埋まった状態(1等車はフェズ側に2両連結されていた)。3時間ほどで雨のマラケシュに到着。ジャマ・エル・フナまで行く途中で何と財布をすられる(うかつにもポケットに財布を入れっぱなしにしていた。1000DH+CARD。)。銀行もやっていない夜に手持ちのDHが全部なくなってしまった(どうしよう!)。ここで親切なモロッコ人B氏に出会い、警察署に連れていってもらう(クレジットカードが入っていたため)。フナ広場の警察署は管轄外らしく、2か所の警察署をたらいまわしにされ、別の警察署で事情聴取を受ける。私のへたくそなフランス語では対応できず、B氏に英語−アラビア語の通訳をしてもらう。1時間ほどで終わり、明日本署に被害届けを取りに来るようにいわれる。取り敢えずクレジットカードのセンターに電話しようとするが、TELEBOUTIQUEからコレクトコール(こちらではPCVという)が出来ない事が分かる。次の日にPTTに行く事とする。

その夜は、ベルナウ氏に夕食をごちそうになり、家に泊めてもらう。とても助かった。

October 6, 1997 (Monday)

Marrakech/مراكش - Morocco/المغرب (マラケシュ - モロッコ)

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ジャマ・エル・フナ広場 Djemaa el Fna square

明け方の豪雨がうそのように晴れ上がった朝、ベルナウ氏といっしょに警察署に行く。本署は駅を通りこしたはるか向こうのマンション群の中にあった(自分だけだったら分からんよね)。被害届けを無事にもらいプチタクシーでフナ広場へ(フナ広場行きがなかなか捕まらないので、近くでフナ広場行きの人を集めて空車に乗り込む)。フナ広場に着き、ATMで1000DH出そうとするがこのカードは使えないと言ってくる。別の機械で試すと、400DH出てくる(お札が切れたようだ)。すぐ前で操作していたUAEから来たビジネスマン曰く、「いつでも出てくるとは限らない。街に3台見かけたが、運次第だ」。その辺で昼ご飯を食べてもう一度戻ってくるとさらに400DH出せた(それ以上は出ない。1日に何回も出せないみたいだ)。これで昨日取られた分をカバーできた。

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旧市街と新市街を結ぶ幹線道路が通るドゥカラ門 Bab Doukkala

クレジットカードの停止手続(自宅から連絡とってもらうように言うため)をするためにPTT横の公衆電話を使う。テレカを持っている男からテレカを借りてかけるしくみだが、これがぼったくりで1分日本にかけるだけで125DH取られる。何か細工してるのかしらん。

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メディナの商店 強烈な日光を遮る屋根がついている

フナ広場近くで30DHで今夜の宿を確保する。メディナを歩いて(コンパスを持っていっていたので、1回で見たいところを見てまわれた)バスターミナルへ。明日のワルサザートへのチケットを購入する。ガイドが出没するといわれているようだが、一度も見かけず。「メディナの=家の近所の古い商店街の道幅を狭くして、中途半端な角度に曲げたもの」といった感じで午後中ずっといろんなとこを見てまわる。3時半頃、PTTの地下に行きクレジットカードのセンターにコレクトコールする(うまく行く)。夕方になるとフナ広場に屋台が立ち始め、屋台で夕食を食べ宿へ。

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ホテルの屋上から見たマラケシュ旧市街

October 7, 1997 (Tuesday)

Bus : Marrakech -> Ouarzazate (マラケシュ → ワルザザート)

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アトラス山脈越えの途中で休憩停車するCTMバス

7時30分のザゴラ行きのCTMバスに乗る。聞いていたよりは快適そうなまともなバスのようで、全席指定で満員だ。その冷房のついていないバスは、1時間ほど平野を走った後、アトラス山脈を越える坂道を登り始める。地図を見ただけではなだらかな山脈だと思っていたが、実は岩肌が崩れ落ちているような禿山が連続する悪路だ。

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禿山が連続するアトラス山脈

急カーブ連続の道を登ったり降りたり。10時ころ途中の村に20分停まり休憩。車窓からは、深い峡谷や、雪を頂いた高い山が次々とみられる。博覧会などで見かける"プラネタリウムのような映画館"で3Dめがねをかけてみる飛び出す映像並みに迫力ある景色だ。10時44分、手元の高度計で最高地点2215m のティシカ峠を通過。12時ワルザザート着。

Ouarzazate/ورزازات‎ - Morocco/المغرب (ワルザザート - モロッコ)

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ワルザザートのカスバ

バス乗り場で待っていた4人づれの日本人が、「この人はいい宿を紹介してくれる」と言っていたガイドにやどに連れていってもらう。「5分」と言っていたのに裏通りばかりを20分歩かせ、郊外の民営バス乗り場前のホテルまで連れて行かれる。ガイドがオーナーが来るまでチェックインはできないなどと言っているが、フロントに来たおっちゃんに今すぐチェックインしたいと言ったら出来るではないか(このガイドは、そのオーナーでないと分け前をもらえないみたいだ)。そのガイドは「君は友達だ、今夜いっしょに私の知っているレストランで食事する」などと言っていたが、はっきり断る。そのガイドは、しばらくフロントともめていたみたいだ(どうも金をもらえなかったみたいだ)。その後、そのガイドが裏通りばかりを連れていったのは、表通りを通っていったら他のホテルがいっぱいあるからだった事が分かる。

街に出て、カスバを見学し(前評判ほど感動しなかった。日本の海外協力隊が保存に尽力しているところだそうだ)、その辺りをうろちょろする。特に見るものの無いような感じだ。メインストリートのレストランでレモン風味タジンを食べ、スーパーで買い物してホテルに戻る。夜は、降るような星空だ。日本とほぼ同じ緯度なので、見えている星座がほとんど同じだが、星の数がだんぜん違う。

October 8, 1997 (Wednesday)

Bus : Ouarzazate -> Erfoud (ワルザザート → エルフード)

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どこまでも続くサハラの土砂漠を バスは走る

10時30分発のCTMバス、ラシディア行きに乗る。ティネリールまで日本人のカワイ氏と隣同士になる。カワイ氏はティネリールから自転車でトドラ谷に行くそうだ。彼もまたガイドとは関わらないようにしているそうだ。バスは昨日と違い砂漠の平地(高度1000m近くある高原と呼ぶべきか)を東に進む。このバスは指定席でないようで、結構空いている。この季節であっても、日向側は相当暑くがらがらだ。

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オアシスの町で休憩

冷房の無いバスは、窓を少し開けているため車内が砂埃でもうもうとしている。乾ききったどこまでも続く土砂漠を一直線に東へ走り続け、30分遅れてティネリールに到着する。ラシディアには定刻通り16時30分到着。

「歩き方」ではバスターミナル前にグランタクシー乗り場があると書いてあるが、実はハッサン広場の方にあると分かる。何も問題なくグランタクシーに相乗りし 17時ラシディア発。これまた無茶なスピードで走る。30分くらいしたら美しい峡谷に差しかかるが、観光タクシーでないので当然停まらない(観光バスが2 台止まって景色を見ていた)。18時エルフード着。運賃15DH。

Erfoud/أرفود‎‎ - Morocco/المغرب (エルフード - モロッコ)

車を降りるとガイドが1人近づいてきて「砂漠、ラクダ」などと言っているが無視してZiZホテルにチェックイン。夕食に外に出ると、先程のガイドが玄関の外で待っている。彼が「私は歩き方に載っているから...」と言ってくるので、興味無いと答えるが付きまとってくる。彼を追い払うと、今度は青いターバンを巻いたのがやってきて、「歩き方に載っている...」とまた言ってくるではないか。ほっといてほしいと(当然強い口調のフランス語で)言って追い払うがしばらく付きまとってくる。その夜は、カバブとハリラを食べる。ホテルの風呂でジーンズを洗って干す(何と1晩で乾いてしまうほど空気が乾燥している)。

October 9, 1997 (Thursday)

Erfoud/أرفود‎‎ - Morocco/المغرب (エルフード - モロッコ)

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なつめやし市場 dates market

今日は、この町でのんびり過ごす予定。スークを覗いたり、街の横にある山に登ってみたり。民営バスターミナル兼グランタクシー乗り場で、グランタクシーの配車をしている人に「明日メルズーカへ行きたいのだが」と相談する。彼が1台の4WDグランタクを紹介してくれる。明け方から正午までのチャーターで300DHという事で商談成立(日本だったら、半日借りたら高いだろうけど、ここは安い)。

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ムーレイ・イスマイル通り Av. Moulay Ismail

街を歩いていて気づいた事なのだが、この町でしつこく「砂漠」ツアーを売り込みに来るガイドは、昨日の2人だけだと分かった。その外でたまに「日本人」「東京」「大阪」などと声をかけてくるのは土産物屋の人間だという事も分かった。その他の大勢の人は、外国人には無関心または直接声をかける事はしないようである。

スークの土産物屋で「ファティマの手」のネックレスを20DHで買う(高いのかなあ、よく分からない)。カワイ氏とこの町で待ち合わせていたのだが、結局彼は来れなくなったようだ。(彼が事故などにあってなければいいのだが) 夕方、絨毯屋で2時間ほど世間話をする。ここで飲んだミントティーもおいしかった。

October 10, 1997 (Friday)

Merzouga‎‎ - Morocco/المغرب (メルズーガ - モロッコ)

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メルズーガ行きにチャーターしたタクシーと運転手

実は、人がいっぱいの砂漠は見たくも無いので、出発を日の出前30分の5時50分とする。4WDは私一人を乗せてメルズーカへ。舗装道路から、未舗装の道路へ出てしばらく走ったところで日の出。土砂漠の向こうから太陽が昇る。運転手が砂丘が見えてきたと言う。"案外小ぢんまりとした"砂丘の一群が目の前に姿をあらわす。日の出後30分で砂丘横のカフェに到着。

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メルズーカの砂丘

他の砂漠への客は砂漠から戻ってきて車に乗り込んでいる。たった1人、向こうの方にみえる砂丘の頂上を目指す。いくつかの砂丘をたどって、30分で一番高い砂丘の頂上に到達。はるか向こうにみえるカフェを除いて、砂漠の中にたった1人。傍らに甲虫(ふんころがし?)が登ってくる。風以外の音が聞こえない静寂の世界。風で砂が微妙に吹き流されている。カフェに戻り、ファンタオレンジ5DHを飲み、再び4WDに乗ってエルフードの町向かう。運転手はリッサニに行かないかと聴いてくるが、エルフードを小さくした町だと言うので、そこには寄らずにエルフードに直行してもらう。昼近くになり、車内が暑くなってきたころエルフードに戻り300DH払う。

Erfoud/أرفود‎‎ - Morocco/المغرب (エルフード - モロッコ)

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長距離バス停に置かれた素焼きの水瓶

ZiZホテルに戻って、砂丘で砂だらけになった足を洗い、しばらく休憩する。荷物をフロントに預けて、チェックアウトする。町をうろうろしても、既に砂丘に行った事を知っているのか例のガイドは声をかけてこない。民営バス乗り場の前のベンチに座って、ぼんやり町を眺めてすごす。都会と違い、とても平和な感じのする町だ(今日はガイドが声をかけてこないので)。20時30分、おとといまで乗ってきたのとは大違いのCTMバス(エアコン、TV付き)に乗ってメクネスに向かう。21時30分ラシディアで20分休憩。バスは、およそ20人の客を乗せメクネスに向かう。

October 11, 1997 (Saturday)

Meknes/مكناس‎‎ - Morocco/المغرب (メクネス - モロッコ)

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ムーレイ・イスマイル廟 Mausoleum of Moulay Ismail

5時20分メクネス到着。辺りはまだ真っ暗。しばらくターミナルのベンチで座ってすごす(寒い)。横に座っていた兄ちゃんがりんごをくれる。6時30分、やっと明るくなってきたのでホテルを探しに行く。すぐ近くのAkouasホテルにチェックイン。しばらく寝る。

9時ごろ、新市街を抜けてマンスール門へ。途中、ミニスカート(本当に短い)の女性を見てびっくりする(モロッコにもいたんだ)。確かに大きな門だが、逆光のためか装飾がいまいち地味にみえる。ここでもガイドがくっついてくるが、追い払う。門を抜けると小学校があった。さらに門をもう一つくぐるとムーレイ・イスマイル廟がある。無料のようだが、一番奥の部屋に入る(一応電気を点けてもらえる)には5DH必要だった。ここの室内装飾には、驚いた。細かい組タイルや、壁の模様がよく保存されている。廟を出てリフ門までの間で小学生の集団に囲まれ握手攻めに会う(外国人が珍しいのかなぁ)。彼らは、まだうまくフランス語を話せないようだ。

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ヘリ Heri es-Souani

リフ門を抜けると、果てしなく続くように思われる風の道だ。排ガスを撒き散らしながら車が行き交っているので、早歩きで一気に王宮前まで抜ける。さらに行くと水の館(Dar el Ma)がある。水の館よりも、その奥にある穀物庫(Heri es-Souani)の遥か彼方まで続く列柱が見応えがあった。

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旧市街の街並み Meknes old town

帰りはプチタクシーで一気に帰りたいのだが、沿道で手を上げても停まってくれない。マラケシュのように乗合制ではないのかもしれないと思いながら、結局歩いてマンスール門まで戻る。夕方になると、新市街はたくさんの人でにぎわう。レストランもたくさんあり、ヨーロッパの町に似ている。

October 12, 1997 (Sunday)

Meknes/مكناس‎‎ - Morocco/المغرب (メクネス - モロッコ)

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マンスール門 Bab Mansour

今日はマンスール門の向かい側にあるメディナを歩き回ろうと思う。正面から入ったのでは面白くないと思って、商店のある大通りを迂回して西側から入る。適当にぐるぐるまわっていると、方向感覚が麻痺してきてどこに居るのかわからなくなる(今日は、コンパスを使わない事にしている)。とうとう、"メディナで迷えた"事に感動する。適当に歩いて、その辺の人に聞きながらベルダイン門に抜ける。ここにもガイドがいたのにはびっくりした。再びメディナに入って歩いていると、ゲームセンターがあったのでしばらく挑戦してみる(5年ほど前の日本製のアーケードゲーム)。

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旧市街(メディナ)の交通の主役はロバ

メディナの中では、頻繁にロバが荷物をひいているのを見ることができる。乗せてもらえないかと聞いたが、だめだそうだ。グランモスク(最も商店が密集したところでもある)を通ってメディナを抜ける。ジャマイ博物館に入る。入場料を取るわりに、昨日見たムーレイイスマイル廟ほど整備されていない。ここではガイドを雇わないと主だった所にある柵を開けてくれないシステムになっているようである。

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市場のナツメヤシの店 dates shop

再び新市街に戻り、久しぶりにイタリア料理のレストランに入る。駅がちょうど前にあったので、中に入り時刻表を眺める。フェズに行くか、タンジェに行くかしばらく考える。歩き方でフェズのところをしばらく見るが、マラケシュやメクネスと似ていてなんとなく魅力がないように思える。タンジェ行きの切符を買う。明日から時刻改定があるそうで、新しい列車の時刻を教えてもらう。

その夜は、明け方3時までホテルじゅうが振動するくらいの大音響が下のレストランから流れてきた。うるさいから何とかしろとフロンとに内線電話をかけたが、しばらくほっとかれ"がしゃん"と切られた。あぁ、発展途上国にいるんだなと感じさせられた。(日本に帰ってからNiftyの FWORLDで黒山羊氏からそれは結婚式だよと教えられた)。窓を開けっぱなしにして寝ていたので、何匹かの蚊にかまれてしまう。いくらマラリアの流行地帯の真ん中ではないとはいえ、WHOでは感染地域に指定しているらしいので恐くなった。まぁ、しょうがないか。

October 13, 1997 (Monday)

Train : Meknes -> Tangier (メクネス → タンジェ)

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メクネス駅に到着した列車 Gare El-Amir Abdelkader

10時22分メクネスAmir駅を10分遅れて列車は発車。車内でシアトルのデヴィッド氏と知り合い、ジブラルタルで別れるまでいっしょに旅する事になる。11時14分Sidi Kacemですぐ横のホームに止まっている列車に乗り換え。ここで、モロッコ人の大学生と同じコンパートメントとなる。彼の父は警官をしているそうで、モロッコの治安や、最近のコンピューター事情などを語り合う。左手に、真っ青な大西洋を見て、右手にVOAの送信所を見るとすぐにタンジェ駅に到着(14時 5分)。

Tangier/طنجة‎‎ - Morocco/المغرب (タンジェ - モロッコ)

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ジブラルタル海峡を挟んで、スペインが見える

まず、フェリーのチケットを買おうと、駅前の旅行会社に行こうとする。ここでまたもやガイドが現れ、なぜかガイドもいっしょに旅行会社に入ってくる。アルヘシラス行きの高速船の切符を売っていないか聞くが、アルヘシラスとの間には2社がフェリーを運行していて210DHだとしかこたえない。高速船の話しをはぐらかそうとするので、怪しいと思いその店を出る。ガイドが別の店がなんとかと言っているが、この国でガイドほどうそつきはいないので、ガイドのと通り過ぎようとした店に入る(ガイドはこの店には入ってこない)。大きなおばちゃんに高速船の話しをすると、あるという。250DHでジェットフォイルで45 分乗ればアルヘシラスに着くそうだ。その切符を買う。デヴィッド氏はジブラルタル行きにこだわって別の店に探しにく(結局ジブラルタル行きは買えずに、ジェットフォイルを買う事になる)。

その辺の店で売っているものを食べながら、メディナを登ってゆく。歩き方で「カスバ」と書かれたところを通って見晴らしのいい場所に出る。半分崩れかけて、宙ぶらりんになった危険な見晴台からはすぐ前にイベリア半島が見える。ちょうど正面がスペインのタリファだ。こんなに狭い海峡を挟んで、アフリカとヨーロッパという全く違うように見える文化が接してるのがなんだか不思議に思う。

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カラフルな衣装の女性達が夕暮れの港を眺めている (フランス広場にて)

メディナからおりるついでに、通り掛かりのコンチネンタルホテルにチェックインする。1階の待合室は、モロッコの家の客間のような感じだ。その後新市街に行くが、スペインの町にいるような錯覚に陥るほどモロッコ離れしているように見える。新市街の展望台からは、タンジェ港が見渡せる。公園にはジュラバを着た若い女性がたくさん座っている。モロッコとも今夜でお別れだと実感する。駅前以外はたいしたガイド攻勢もなく、それも列車の到着時以外の時間にはあまり付きまとってこない。まぁまぁ順調にいったモロッコの旅を思い出しながら寝る。

October 14, 1997 (Tuesday)

Ferry : Tangier -> Algeciras (タンジェ → アルへシラス)

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タンジェ港の夜明け

旅行会社が乗船時間の1時間前にフェリーターミナルに行けと言っていたので、7時にフェリーターミナルに行く。フェリーターミナルの前で港の関係者だという人物が、FastFerryはこちらへ来いと呼ぶのでいっしょにターミナル2階に上がる。船会社のカウンターはまだ開いていない。手続きをするから、切符と出国カードをよこせというので渡す。しばらくして、受け付けカウンターが開きその男がカウンターの係員にチケットを渡している。どうもこの男はガイドではないかと思う。身分証の様なものをつけて、こちらがフランス語で話すとわざとはぐらかすあたりは怪しい。デヴィッド氏がスペイン語で話しても同じらしくますます怪しい。ボーディングパスができると、チケットと、パスと、出国カードを返すように強く要求する(近くに警官がいたのでおとなしく返してくれる)。ターミナルへ案内するというので、ついていく事にする。なんか寂れた所を通り、扉の閉まった建物にやってくる。ここがターミナルだという。ターミナルまで連れてきたのだから、チップをスペインの紙幣で払えと言ってくる。やはり悪質ガイドだったのか。私はターミナルが開いてからしか払わないと主張する。出港時間の8時の10分前にターミナルが開く。私は3DH、D氏は2.5DH払い、ごねるのを無理に追い返す。「悪徳ガイドに紙幣(1000Pts)なんか払うもんか」。

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スペイン行きの高速船 Fast ferry for Spain

8時になっても出国審査の係員はやってこない。ぱらぱらと客が集まり出す。係員がやってきて、窓口が開くがFastFerryの客の出国審査をしようとしない。そのうち西洋人の団体客がやってきて順番飛ばしで彼らが先に審査を受ける。FastFerryの客から少しクレームが付くが、あまり事を荒立てるとここまで来て出国できなくなると困るのでおとなしくなる。やっと出国スタンプをもらい奥のスペースへ。ジェットフォイルは今到着したばかりだ。団体客は別の船に乗り込んで行き、私たちはジェットフォイルへ。10時出港。2時間遅れ。船内ではペセタしか使えず、スペインに着た事を実感する。50分ほどでアルヘシラス入港。欧州中央時12時50分。