シベリア鉄道でロシア横断 旅日記 : ウラジオストク

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July 2, 1998 (Thursday)

Владивосток/Vladivostok - Россия/Russia (ウラジオストク - ロシア)

「日本海の対岸、近くて遠く感じるウラジオストクへ」

曇り空の新潟空港、航空機のほとんど発着しない新潟空港で、SU808便を待つ。チェックインでは、バックパックを機内持ち込みさせてくれず、紛失しないか心配だ。やっとやってきたアエロフロート機は、VLADIVOSTOK AIRと書かれたTU-154。満員の808便は16時40分、離陸。西側の航空機と比べるべくも無いが、それにしても室内装飾に疲れがにじむ機体だ。リクライニング・シートでない椅子は座りにくいし、機内誌などは所々の座席にしか存在しない。
夕食のランチボックスが投げ渡されるようにして配布される。ランチボックスはローストチキン弁当だ。飾り気の無い食事ではあるが、味は良い方だろう。曇り空のウラジオストクの上空に降下する。森林と若干の農地の混じる地域にあるウラジオストク空港に、振動も無く着陸する。現地時間20時(日本との時差+1時間)。

Airplane
新潟空港(16:40発)→ Vladivostok / Владивосток(20:00着)
SU808
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ウラジオストク空港

エプロンに駐機した後、30分ほどして降機できる。バスで連れてゆかれた入国審査場ではロシア人が先に審査を受け、日本人はじっくり検査するため1 時間近く並ばされる。なぜか税関審査の方はフリーパス状態だった。逆にロシア人は入国審査がすぐに終わり、税関検査でみっちり絞られるようだ。それ故、日本人とロシア人はほぼ同時に到着ロビーに入る事となる。

旅行会社で手配した送迎サービスの若い女性通訳のアナスタシアさんが来ていた。到着ロビーの両替所は16時で閉店していた。何度かウラジオストクに来た人に聞くと、この時間帯にバスと列車を乗り継いで行くのは不可能に近い事らしく、送迎を頼んで正解だった。空港の前に止まっているマイクロバスに案内される。マイクロバスには同じ旅行会社を利用した日本人4人と、ロシア人通訳の女性1人、旅行会社社員らしき男性1名、運転手1名の7人が乗り込んだ。

ウラジオストク市街地まで、森の中の舗装道路を1時間ほど走る。22時30分、ウラジオストク・ホテルに到着する。全員がここに泊まるようだ。 ホテルの周囲は夏祭でもやっているらしく、車がうじゃうじゃいる。通訳の女性が地下1階の裏口よりロビーに連れていってくれ、チェックインもしてくれる。 ホテルの前の海岸では花火が打ち上げられたり、コンサートの音が響いていたが、11時きっかりに静かになる。

Hotel
Hotel Vladivostok (Отель Владивосток), room 6037
11,600円/1泊(旅行ビザと共に、日本の旅行会社で予約)

July 3, 1998 (Friday)

Владивосток/Vladivostok - Россия/Russia (ウラジオストク - ロシア)

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ウラジオストク駅、シベリア鉄道 9288kmキロポスト

Vladivostok station, 9288km post

両替所が開くまで、ホテルの周りを散歩する。北側にあるはずのエクアドルホテルはイタリア系の建築会社により改装中だ。10時にホテル1階の両替所が開き、ようやくルーブルを手にできる。円とドルの両方を両替した結果、日本円→米ドル→ルーブルの両替が得なようだ。同じホテルに泊まっている日本人も両替に現れる。横須賀から来た1名、名古屋から来た2名、東京から来た3人で、合計7人の日本人が昨日このホテルに到着したようだ。

横須賀から来た男生と7階のパブで朝食(30ルーブル, 690円)を食べた後、市内見物に行く。ホテルの前の道を東に下って行くと、10分ほどでウラジオストク駅に突き当たる。駅前の道は日本の中古車と旧ソ連のおんぼろ車の大渋滞で、ものすごい排気ガスだ。駅舎に1階には待合室と近距離列車用切符売場がある。待合室より階段を降りると駅舎の真下にあるホームに出る。ホームをモスクワ側に歩いて行くと、でっかいキロポストがあり、モスクワより9288kmの距離となっている。ホームの一角の長距離切符売場では、たくさんの人がいつ来るか分からない順番を待っている。

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革命広場 トラム停留所

Proshadi tram station at Svetlanskaya ul.

駅前通(アリューツカヤ通り)を北へ歩く。黄色の2両編成のトラムが人を満載して走っている。その周りをおんぼろ車が煙を吐いて走っている。建物は東ヨーロッパを思わせるうす茶色の低層ビルが並んでいる。灰色の沿海州庁舎ビルの角を右に曲がりスヴェトランスカヤ通り(メインストリート)に沿って歩くと、中央に巨大な兵士像が立っている露天市場(革命戦士広場)があった。露天市場は大変な人混みで、野菜、肉、魚、パンなどの食料品のほか、本や衣料品まで売っている。食材の値段は日本の5分の1から10分の1くらいの価格なのだが、調理済みのものは日本並みの価格のようだ。露天市場の道路をはさんだ向かい側は、ロシア式のデパートがたくさんある。私が見た範囲ではスーパーマーケット風の店は無いようだ。

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スヴェトランスカヤ通りの地下道出口

underground path exit at Svetlanskaya ul.

通りをさらに東に行き、アムールスキー伯爵像が立つ公園を登って行くと、市内と港が一望できる高台となっている。港には数隻の軍艦が停泊しているが見える。ロシア太平洋艦隊の艦船なのだろう。あまり厳しく警備がなされているようでも無いので、もっと近くで見るため港の方に降りて行く。永遠の炎が燃やされている公園を横切り、海沿いまで行く。第二次対戦時のS型潜水艦S-56号)が公園に展示されており、公園には「1940、1945」と書かれたモニュメントや砲台が展示されている。戦没者慰霊碑に花束がささげられている。よく見ると「UNITED STATES ... NAVY ... BLUERIDGE」と書かれている。確かに街の中にはアメリカ海軍の制服を着たグループが歩き回っている。

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レーニン像の裏手、中古の横須賀市救急車

昼食を食べるため、カフェに入る。メニューはあるが、できるものが限られていた。しばらく街の中を散歩した後、ホテルに戻り昼寝する。
夕方、夕食を食べに再び街の中心へ。Magic Burgerという英語の看板の店があったので入ってみる。店内は大混雑だ。チーズバーガー2個に、フレンチフライと7upで19ルーブル(437円)。日本のマクドナルドで同じメニューを頼んだ時より少し高い。味の方は、お勧めできるような味ではない。「歩き方」では「まずまずの味」と述べているが、何と比べて「まずまず」のだろうか。

再び駅に行ってみる。私の乗るはずの列車番号7の表示が出発案内板にない。少し心配になるが、何とかなるだろうと考える。ホテルに戻りシャワーを浴びて、22時にチェックアウト。ロビーに行くと、名古屋の2人と、東京の3人がすでにソファーに座っている。彼らは駅までの送迎を頼んでいるようだ。東京の3人の車に無料で便乗させて頂く事とする。これにはインツーリストの通訳氏もちょっと困ったようで、私がホテルの予約を手配した旅行社の通訳嬢になにやら愚痴をこぼしているようだ。でも、江戸っ子の交渉力は抜群で、無料で駅まで車に乗せてもらった。