シベリア鉄道でロシア横断 旅日記 : タリン→ヘルシンキ

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July 15, 1998 (Wednesday)

Train : Saint Petersburg -> Tallinn (サンクトペテルブルク → タリン)

午前3時頃、車内の通路を早足で歩く多数の足音で目覚める。カーテンを開けて窓の外を見ると、貨物駅のようなところに停車している。私の乗った快速列車に向かってサーチライトが当てられており、銃を抱えた兵士が列車を見張っている。国境のようだ。間もなくドアを激しくノックする音がする。ドアを開けると、銃を抱えた兵士と、女性の審査官が立っている。出国審査はビザの紙を回収され、パスポートにスタンプを押されるだけの簡単なものだ。ドアを閉めてしばらく待っていると、こんどは兵士数名がコンパートメント内に入ってきて、荷物置きやベッドの下、果ては絨毯をめくって不審物をチェックして行く。次に、麻薬捜査犬がコンパートメントを物色して行く。そしてしばらくしてから、税関の検査官がやってくる。同室のロシア人のおばさんはフリーパスだが、外国人の私は荷物を全て開けられて、一つ一つ使用目的を聞かれ、所持している全ての現金とクレジットカードをチェックされる。

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649列車の車窓、タリン郊外

near Tallinn

3時45分、列車は静かに動き出す。プラットホームには等間隔に銃を構えた兵士が並び、列車を監視している。監視哨が置かれている鉄条網の切れ目を越えて、国境緩衝地帯に入る。ぼうぼうの草が生えた荒れ地を 10分くらい走ると、川があり、再び鉄条網を越えてエストニアのナルヴァ市に入る。エストニアの入国審査は至って簡単で、税関も申告するものがないかどうか確認しただけだ。同室のロシア人女性は、エストニアに入国するのにビザが要るようで、それでも1週間しか滞在できないそうだ。過去、ロシアに事実上併合されていたエストニアでは、ロシア人は占領者ということでかなり嫌われているそうだ。日本人がビザ無しで3ヶ月滞在できる事と比べると、差別的待遇となっている。
4時少しすぎ、単線・未電化となったエストニア鉄道の軌道を列車は西に向かって走り出す。時差により時計を1時間もどす。

朝起きると、田園地帯を走っている。快晴だ。7時頃、ラクヴェレ駅に停車。7時20分頃、タパ駅に停車。時折通り過ぎるアパートや住宅は旧ソ連の建物と言うよりは、北部欧州の建物といった感じで、こざっぱりとしていて、色使いもカラフルだ。

Tallinn - Estonia (タリン - エストニア)

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タリン駅に到着した649列車

train 649 arrives at Tallinn Baltic station

8時16分、タリン駅に到着。人口40万人ほどのエストニアの首都だ。列車から降りて駅舎に入る。駅構内の雰囲気は西欧のそのものだ。ATMで300クローン(3,000円)引き出して、ツーリストインフォメーションに行き町の地図(15クローン, 150円)を買い、数軒の安宿情報ももらう。駅前の公園を横切って旧市街に入る。とりあえず街の中心ラエコヤ広場に向かう。駅のiで教えてもらったHotell Küünはラエコヤ広場から3分くらいのアパートの2階にあった。表通りには3階にあるSEX SHOPの看板しかなかったが、安宿から出てきた客に教えてもらってやっと見つけ出すことが出来た。荷物を置きに3階の33号室(6人部屋)に行くと、おっちゃんがまだ寝ていた。

おっちゃんはジョンといって、もう1年間世界各国を旅しているそうだ。体調を崩して高品質の抗生物質が手に入り、物価も安いイタリアまで南下する予定だそうだ。すぐ裏手にあるヴィル通りにマクドナルドがあると言うので、朝食を食べに行く。ビックマック・セットで37クローン(370円)。ロシアの半額以下で、日本の70%位の価格だろうか。この国は物価が安いようだ。

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ラエコヤ広場

Raekoja plats

旧市街の丘に上る。丘の上にはエストニア議会(トームペア城)やロシア教会(アレクサンドル・ネフスキー教会)がある。展望台から旧市街を見下ろす。ここから見る景色は宮崎駿のアニメ映画「魔女の宅急便」を彷彿とさせる景色だ(スタジオジブリの公式見解では、スウェーデンのヴィスビーとストックホルム旧市街がモデルだそうだ)。煉瓦造りの城壁や塔、3階建てくらいの旧市街の建物群は世界遺産リストに載っているだけあって見飽きない。城壁の上に登る事も出来、テラスの一部はカフェになっていたりする。
旧市街に降りて、旅行会社(エス・トラベル)で明日のヘルシンキ行きのチケットを買う。高速船があるようで、料金は360クローン(3600円)。

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トーンペア城 (国会議事堂)

Toompea Castle (Parliament of Estonia)

街の中心ヴィル通りをはじめ、あらゆる場所にキリル文字を見かける事はない。ソ連から分離独立して数年で、完全にソ連の遺産を消し去ろうとしているようだ。トームペア城にEUの旗がはためいているくらい、西欧に属することが国の目標なのだろう。(実際、EUに加盟できたのは2004年のこと)

昼食はフィンランド系のファスト・フードCARROLSで26クローン(260円)、夕食は再びマクドナルドで35クローン(350円)。本日の食費は3食で1000 円以内という事になる。安宿に戻ると、部屋には先程のアメリカ人のほかに、別のアメリカ人2 名とスウェーデン人1名が来ていた。スウェーデン人の持っているパスポートは紛失のため再交付を受けたもので、ピンク色だった。国境審査ではいつも注目され、ゲイ専用のパスポートとからかわれるそうだ。たしかに、怪しい色彩のパスポートだ。

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トーンペア展望台から見下ろした旧市街

Tallinn old town, view from Toompea

夜、外出しようとしたところ、2階の廊下で日本人の女性2人連れに出会う。北米〜西ヨーロッパ〜エストニアへと3ヶ月ぐらい旅して来たそうだ。これからロシア〜日本海を横断して、名古屋まで帰る計画だそうだ。エストニアではロシアのビザを取ってくれる旅行会社がなかなか見つからないそうなので、物価高のヘルシンキに行くそうだ。安く日本に帰れる手段が見つかればいいね…。

Hotel
Hotell Küün, Room 33
180クローン(1800円)/1泊(ドミトリー)

July 16, 1998 (Thursday)

Tallinn - Estonia (タリン - エストニア)


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ヴィル通り

Viru street

朝食はマクドナルドへ(35クローン, 350円)。早朝開いているのはファスト・フードだけだ。新市街を見物に行く。トラムの線路を越えると、無味乾燥したビルの立ち並んだ新市街となる。ドラマ・シアターの前には新しい銅像が建てられていたが、昔はソビエト革命の英雄が建っていたのだろうと思われる。しばらく歩いてみたが、新市街にはこれといって見るところは無いようだ。

再び旧市街に戻り、ハンザ同盟時代の面影を残す三角屋根の家々を見て歩く。何だかドイツの市街地にいるような感じでもある。
安宿に戻り、荷物をまとめる。2階廊下の休憩場所にゲスト・ブックが置かれている。かなりの数の日本人が訪れているようで、ラトビアをはじめ東欧各国への入国方法・宿情報が詳細に書かれている。ただ、ロシア関連の情報はほとんど書かれていなかった。

11時、チェックアウト。タリン旅客港への途中、CARROLSで昼食を食べ(27クローン, 270円)、ピク通りを通ってのんびりと港へ向かう。市民ホールと工場の間に貨物線が通っており、ロシア鉄道の鉱石運搬貨車が停車していた。市民感情はさて置いて、経済ではまだまだロシアと深い関係にあるのだろう。12時20分、市民ホール港(Terminal A)に到着。高速船は停泊しているが、港にはほとんど人がいない。切符売り場の人に聞くと、今日の便は全て欠航となったようだ。切符の値段を払い戻してもらい、ヘルシンキへの他の便を教えてもらう。他のフェリーは全て第2ターミナル(Terminal D)から出るようだ。

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旧市街の城壁

old town wall

再び貨物線の所まで戻り、東へ向かう。2kmくらい歩いただろうか。12時45分、第2ターミナルに到着。こちらはたくさんの人でごった返している。出発案内TVを見ると、13時にVANA TALLINN号という船がヘルシンキに向けて出発するようだ。その船の運行会社TALLINKの切符売り場を捜し、列に並ぶ。なんとか切符を手に入れ出国審査場に行くと、ここもまた行列だ。まぁ、切符を持っている全員が出国審査を受けないと出発しないだろうから安心だ。船に乗り込んで間もなく、13時15分ごろ出港。

タリンの街がだんだん遠くなって行く。VANA TALLINN号は夜行便などで使う船らしく、個室寝台はあるが座席は一つも無いようだ。乗客はバーやカフェのソファーに座っていい事になっているようだ(飲み物などの注文は必須ではない)。

Ferry
Tallinn(13:25頃発)→ Helsinki, West Terminal(16:00頃着)
Tallink フェリー運賃 290クローン(2900円)

Helsinki - Finland (ヘルシンキ - フィンランド)

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ヴァナ・タリン号後部のラウンジからタリン港を見る

lounge of TALLINK ferry Vana Tallinn

フィンランド湾を3時間ほどで横断し、16時ちょうどにヘルシンキ西ターミナルに到着する。以前の記憶にあるヘルシンキ市とはだいぶ違う雰囲気のところで、かなり郊外のコンテナ・ターミナルの真中にある。ターミナル1階のATMで100マルカ(2600円)引き出す。ターミナルの前には中央駅行きのバス停があるが、大混雑して乗れそうにないので、トラムか地下鉄駅まで歩くこととする。

ターミナルから歩いて街に行く人は10人くらいだろうか。後について歩いて行くと、見覚えのある所に出る。昔はジュリエット号(ソ連のProject 651クラス K-77)という潜水艦を展示していたが、今はもう無い。以前泊まったシーサイド・ホテルがあり、ホテルの前にあった高架のバイパス道路は撤去されたようで見晴らしが良くなっている。日本ではまず考えられない事だが、欧米では景観を圧倒する土木構造物を撤去するのを時折みかける。

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ヘルシンキ大聖堂

トラムに乗り中央駅に着く(1回乗換券 運賃10マルカ, 260円)。駅構内のツーリスト・インフォメーションを探すが、閉鎖されたようだ。駅の国鉄切符売り場の近距離窓口で3日券を購入する(50マルカ, 1,300円)。鉄道案内所で地図をもらい、駅の地下街にあるマクドナルドに向かう。エストニアで400円程度だったセット・メニューが、800円ほどの値段が付いている。さすが、高福祉国は物価が高いなぁ…。

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ポジョイセプラナディ通りの公園

ストックマン・デパートの裏手にある本屋に行き、STAR TREK VOYAGERの最新ペーパーバックを買う(54マルカ, 864円)。日本で買うより、ほんの少しだけ安い…。トラム4番線に乗り、ユースホステルに向かう。19時30分頃、チェックイン。5階の部屋だ。子どもの団体が泊まっているようで、騒々しい。部屋は電子ロックで、2人部屋となっている。今まで泊まったどこよりもきれいなYHだ。窓からは夕日が差し込んでいる。眠りに就いた24時頃、部屋の同居人がやってくる。

Hotel
Eurohostel Helsinki
3,095円/1泊(2人部屋ドミトリー、日本からIBN予約)

July 17, 1998 (Friday)

Helsinki - Finland (ヘルシンキ - フィンランド)

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カウパトリ (朝市)

隣のベッドに泊まったのは、オランダ人だが南アフリカ在住の男性だ。フィンランド北部に旅行に行く途中にヘルシンキに寄ったそうだ。今日は朝7時すぎにポルヴォーに出かけていった。

YHの1階にある喫茶室で朝食(25マルカ, 650円)を食べる。トラムに乗り、カウパトリへ。露天市場が出ている港の一番奥のこの広場から、スオメンリンナ要塞島行きの連絡船が出ている。往復で50マルカ(1,300円)。10時発の連絡船に乗る。小さな船には50人くらいの観光客が乗り込んでいる。20分ほどでスオメリンナの港に着く。

船着場のすぐ目の前にあるビジター・センターに行き、観光地図を手に入れる。地図によれば南側の島に見所は集まっているようだ。パンフレットによれば、その昔この島はヘルシンキをロシアの侵攻から防衛するために建設されたそうだ。島の各所には要塞の城壁と大砲が放置されている。結構新しそうな大砲もあり、第一次大戦でサンクト・ペテルブルクを守るロシア軍が設置したものなのだろう。パンフレットによれば、要塞の役をとかれたのが1973年なので、観光地となってまだ30年弱というところだろうか。

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スオメンリンナ要塞

島の最南端には、多分空から見たら五稜郭の様になっているであろう城壁が幾重にも連なっている。辺境ような島にも住宅地があって、人が住んでいる。人が住んでいる所も含めて、島全体が世界遺産リストに登録されている。

12時の連絡船でカウパトリに戻る。アレクサンテリン通りのマクドナルドで昼食を食べ(35マルカ, 910円)、トラムでヘルシンキ市郊外の住宅地を見て歩く。トラムの4号線の北の終点辺りは、森の中のビーチといった感じのところがあり、とても良い雰囲気のところだ。ヘルシンキ市に1路線しかない地下鉄は、中央駅から2駅行ったところで地上路線となり、湾を渡り郊外住宅街を走る。イタケスクス駅の上には大きいショッピングセンターがあるので、暇つぶしに良いかもしれない。

20時頃、YHに戻る。今日は子どもの団体はいないようで、静かだ。

Hotel
Eurohostel Helsinki
3,095円/1泊(2人部屋ドミトリー、日本からIBN予約)

July 18, 1998 (Saturday)

Helsinki - Finland (ヘルシンキ - フィンランド)

オランダ人の男性は、北へ向かって旅立つそうだ。朝6時30分頃、巨大なバックパックを背負って出発して行った。私は、7時チェックアウト。中央駅までトラムで行き、一昨日も入ったマクドナルドで朝食を食べる。

中央駅からはフィンエアーのエアポート・バス(25マルカ, 650円)と市バス(15マルカ, 390円)の2系統が空港に向かっている。少しくらい時間がかかっても、市バスで行く。8時20分頃中央駅を出たバスは市内各所のバス停に停まり、高速道路を経由して9時頃ヴァンター空港に到着。意外に早く着いた。

アエロフロートのチェックインは、出発時刻のきっかり2時間前でないと行われないようだ。10時、チェックインし出国審査を受けて搭乗口近くで出発を待つ。評判の悪いモスクワのシェレメチエヴォ空港で荷物が破壊されるのを防ぐため、バックパックを機内持ち込みとする。12時、SU204便は定刻通り出発。新潟〜ウラジオストックまでの便と同じTU154型の航空機だが、明らかにこちらの便の方が整備が行き届いている。乗務員の対応もこちらの方が丁寧だ。

Air
Helsinki(12:00発)→ Moscow, Sheremetyevo(14:40着)
SU204

Helsinki -> Moscow -> Tokyo, Narita (ヘルシンキ→モスクワ→成田)

モスクワは悪天候らしく、一度ゴーアラウンド(着陸復行)してから、田園地帯の中にあるシェレメチエヴォ空港に着陸。欧米や日本の主要空港に比べ、明らかに小さなターミナルビルに到着。降機すると、トランジット・デスクで航空券を回収された上、乗り継ぎの搭乗券は発行されず、そのまま入国審査のようなものを受けてトランジット・エリアに入る。ここまで空港職員による誘導が無いため、乗客は右往左往している。乗り継ぎの搭乗券を受け取るため、トランジット・デスクに行くと、搭乗2時間前まで発行できないと言う。仕方なく数少ないベンチに座って待つ。ベンチの数が少ないため、通路や階段に座り込んでいる人が多数いる。ベンチを置くスペースを削ってまで、免税店で外貨を稼ぐやり方には憤りを感じる。

隣に座っていた日本人女性と話してみると、ユース・オリンピックに来ていた体操の日本チームの監督をしているという。ロシア号でロシア・ナショナルチームといっしょだった話しをして、ロシアと日本の成績を聞いてみた。やはり、体操ではロシアが優勝で、2位がベラルーシという事だ。体操日本チームは個人競技で1人が入賞したのが最高順位だったそうだ。印象的だった話しは、ロシアチームがいかに「スタミナ」があるかといった話しだった。ロシア号に4日間も乗った選手が疲れも見せずに競技に臨むのは、やはりすごい事だと言う。

19時5分、定刻通りSU575便はターミナルを離れる。滑走路に向かう途中、急に雷雨となり飛行機が停止する。外は猛烈な雷雨だ。1時間ほどたって、雷雨が通り過ぎてから離陸。所々にある雷雲を避けながら、飛行機はシベリア上空を東へ向かう。チュメニ油田上空では油井からの炎が所々に見え、時折油田関係の街の明かりもみえる。ロシア号で出会ったチュメニ油田で働く男性2人はこの下辺りに居るはずだ。何だかロシアが少し身近になった感じだ。

Air
Moscow, Sheremetyevo(19:05発)→ 成田空港 第2ターミナル(+1day, 09:40着)
SU575