エーゲ海からバルカン半島旅日記 :
ハニア、イラクリオ、サマリア渓谷
September 13, 2003 (Saturday)
Schiphol - Netherlands (スキポール空港 - オランダ)
朝食を食べ、急いでデン・ハーグHS駅へ。昇ったばかりの太陽が当たり始めた駅舎に入る。7時47分、ちょうど列車がプラットホームに入ってくる音がする。出発案内を確認して6番線に駆け上がる。
車掌が笛を鳴らして今にも出発しそうな2階建電車に駆け込む。早朝で乗客がほとんど居ない1階席に座り、朝霧の中を流れ行く田園風景を眺める。8時20分、スキポール駅着。
Den Haag HS(07:47発)→ Schiphol(08:20着)Train, sneltrein 運賃 6.4ユーロ(825円)
KLMのチェックインカウンターへ。いつもながらの長蛇の列。30分以上並ばされて、結局オーバーブッキングでキャンセル待ち扱い。座席番号のところに「GATE」と書かれた搭乗券を渡され、あとはゲート前のカウンターで自己救済しろと言うことらしい。(次の便に回されるとしても、いくばくかの金はくれるはず…)
のんびりとシェンゲン区域Cターミナルの指定されたゲートへ。9時20分ごろ、ゲート前のカウンターにグランド・スタッフのお姉さんがやって来た。件のキャンセル待ちの搭乗券を渡して、ひたすら名前が呼ばれるのを待つ。
そのうち、ゲート前は大勢の乗客で混雑してきた。果たしてキャンセル客なんて居るのだろうか。ゲート前のカウンターでキャンセル待ち行列に登録された客は10人程度(私が行列の先頭)。ボーディング・ブリッジの先にある飛行機はB737-400と思われる。150人程度しか乗れない機体で、10人待ちか…。10時、ゲート周辺への放送。“We Need a Volunteer … (KL1575 アテネ行きに搭乗する方で、次のフライトに移ってもいいという人居ませんかぁ? ) … We Give You 200 Euro !!”
200ユーロ。来ましたねぇ。次の便は20時ごろ発でアテネに午前0時過ぎ着というとんでもないスケジュール。どうしようかなぁ… と考える。
搭乗開始のアナウンスでゲート前に行列が出来る。しかし、何人かの客は心が揺れているはず。まだ200ユーロの誘惑に負けたヤツは居ない。果たして、2回目のアナウンスは「300ユーロ」か? 搭乗開始。再び“We Need a Volunteer …… , We Give You 200Euro !!”。値段上がらず。そのアナウンスで『お金と引換に次の便に移ってもよい』と志願する乗客が数人カウンターに向かったのが見えた。
キャンセル待ち行列1番の私は、ようやく座席を割り当てられ機内へ。KL1575便は50分遅れの10時55分出発。アドリア海上空よりペロポネソス半島を横断しアテネへ。南からのアプローチで、旧アテネ空港(エリニコン空港)とアテネ市内が左手に見える。15時10分、アテネ空港に到着。
Amsterdam, Schiphol(10:55発)→ Athen(08:20着)KLM 1575
2004年アテネ オリンピックのために新たに開港したこの空港は、アテネ市街地からだいぶ離れている。旧アテネ空港はこれから行くピレウス港のすぐ横にあったので、利便性は相当悪い。
Airport / Αερολιμένας Αθηνών(15:40発)→ Karaiskaki Square / Πλ. Καραισκάκη(16:40着)Bus, line E96 運賃 2.9ユーロ(374円)
預けていた荷物を受け取り、市バス乗り場へ。切符売場で市内までの切符(2.9ユーロ, 374円)を買い、停留所に停まっているE96系統のバスに乗る。15時40分、バス発車。ぎらぎらと輝く太陽の下、南へ。オランダに比べ桁違いに明るい太陽だ。道路は至る所で工事中。これもオリンピック準備の一環なのだろう。30分ほどでサロニコス湾沿いの道に出る。ここからは海沿いの道を北へ。途中、バスのすぐ前でガッシャーンと音がする。自動車同士の正面衝突事故。ドイツから来た老人の団体がピレウス郊外で降りりた後は、何人かのバックパッカーと地元住民らしき人の数人の乗客を乗せて、ピレウス市内へ。見覚えのあるピレウス港ターミナルビルを回り込んで、巨大なジェットフォイルが停泊する埠頭の横のバス停に到着。
Piraeus / Πειραιάς - Greece (ピレウス - ギリシャ)
バス停のすぐ前にある旅行代理店に入り、クレタ島ハニア行きフェリーの一番安いベッドを予約してもらう。33.5ユーロ(4321円)。運賃に宿泊費も含んでこの価格は、安い。
フェリー出港の時刻である21時まで、まだ4時間近くある。街の中へ散歩に出かける。
ひっきりなしに車が行き交う通りを横切り、港の横にある地下鉄駅へ。駅周辺のファストフード店や雑貨屋にはお客さんもかなり入って賑わっている。それに比べて、地下鉄駅のすぐ北側に隣接する国鉄駅は閑散としている。薄暗いプラットホームに2両編成の気動車が停まっている。首都のど真ん中を走る国鉄路線でありながら、ここまで寂れているとは…。
街の中心部を見に行く。休日のため、ほとんどの店舗が閉まった閑散とした市内中心部を横切り、ネオ・ビザンティン建築の聖トリアドス大聖堂の前に出る。第二次対戦時の爆撃で破壊され、戦後に再建された教会なので真新しい雰囲気だ。
ビルに囲まれて日陰になっている通りをさらに東へ行くと、コライ広場だ。広場では10人程度の子供が遊んでいる。大きな野良犬も、子供たちとは全く関係なく走り回って遊んでいる。広場の名前は作家コライスに因んでいるが、広場の真ん中に建っている銅像は政治家ヴェニゼロスだ。広場に面したオープンカフェに入る。絞りたてのオレンジジュース(3.90ユーロ, 503円)を飲みながら、ぼんやりと旅行ガイドブックLonely Planetを読む。しかし、高いオレンジジュースだな… 休日料金かな?
17時30分頃、地下鉄駅横のスブラギ屋でスブラギ1.60ユーロ(206円)を食べ、フェリーターミナルに向かう。ネットカフェを見つけたので1時間ほど入ってみる。やたら接続速度が遅く、日本語インストールも不可。それで1時間6ユーロ(774円)とはぼったくり価格だ。こんなところでネットを使うのは観光客くらいだから高いのかな。20時頃、ハニア行きフェリーがどこに停泊しているか探し、フェリーターミナルの対岸の岸壁に停泊しているのを発見。岸壁の付け根の方にイラクリオ行き、先端近くにハニア行きが停泊している。トラックや自動車が行列を作ってフェリーに吸い込まれていく。今日乗船する船はANEK LinesのM/S LISSOS。この船は、1972年に建造されてから1987年まで、新日本海フェリーの“はまなす号”(1万3千トン)として日本で就航していたそうだ。その後ギリシャの船会社に売却されたものだそうだ。(その後、2011年に廃船)
Piraeus / Πειραιάς(21:30発)→ Chania, Souda Port / Χανιά(06:20着)Ferry, ANEK Lines, M/S Lissos, room 528-C 運賃 33.5ユーロ(4321円)
後部ハッチからエスカレーターに乗って船内へ入る。チェックイン・カウンターでチェックイン。船員が客室まで案内してくれる。割り当てられたのは最下層(第5デッキ)の内側の4人部屋。寝るだけだから景色は見えなくてもいいのだが、窓の有る船室ってどんなのだろうね? 外国でフェリーは何度か乗っているが、窓のある船室に泊まったことは一度も無い…。
部屋に荷物を置き、第7デッキのセルフサービス式の食堂へ。シーフード・サラダ(3.50ユーロ, 451円)とパン(0.30ユーロ, 38円)で軽く夕食。テーブルの上に置かれている氷入りのピッチャーの水を飲む。水道水かな…。まあ、腹痛は起こらないだろう。
食後、最上階のデッキへ。手すりにもたれかかって外を眺めている人がぱらぱらと居る。プールは当然水が抜かれて休止中。21時、イラクリオ行きのフェリーM/S KRITI IIが先に出港し、ゆっくりと横を通り過ぎてゆく。向こうの船のデッキにも沢山の人が出ていて、こちらを眺めている。
後部ハッチに2両編成のトレーラーが入ろうと悪戦苦闘している。残念ながらぎりぎり入らないようだ。21時30分、“ブォー”と汽笛が鳴り、ゆっくりと進み始める。定刻より30分遅れている。ピレウス港をのんびりと南下していく。ひときわ輝いているフェリーターミナルが遠ざかっていく。港の出口付近、マストに電飾を灯した帆船が停泊している。東の空から満月を少し過ぎた月が昇ってくる。南の空には大接近中の火星が赤々と見えている。港を出ると徐々に速力を上げていく。それに伴いデッキに吹き込んでくる風も強く冷たくなってくる。一人、またひとりと船内に戻っていく。
船室へ戻る。室内の狭苦しいシャワールームでシャワーを浴びて寝る。部屋にはトラックの運転手らしきおっちゃんが2人と私の3人。おっちゃんが咳き込んで、夜中に何度も目が覚める。うぅ… ついてない。
September 14, 2003 (Sunday)
5時30分頃目覚める。運転手のおっちゃん2人は既にチェックアウトしたようだ。船の振動音が小さくなり、速度が落ちてきたことが分かる。通路に出て小さな窓から外を見る。陸地が近くに見える。まもなく南から西へ方向を変え、スーダ湾へ入っていく。6時15分ごろ、スーダ港に到着。
まだ真っ暗なスーダ港に降り立つ。インターネット上の旅行記で収集した情報では、船を降りて左手にバスが停まっているということだ。下船するトラックや自動車、客待ちする観光バスが入り乱れた岸壁を見渡すと、確かに左手におんぼろバスと切符売り小屋が見える。何も知らなければ、いきなり町の中へ歩いていってしまうところだ…。
Souda / Σούδα(06:25発)→ Chania, Platia 1866 / Χανιά, Πλ. 1866(06:40着)Bus 運賃 0.9ユーロ(116円)
切符(0.90ユーロ, 116円)を買いバスに乗り込む。6時25分発車。まばらに車が行き交う狭い道を西へ向かって進んでいく。ほんの10分ほどで市街地に差し掛かる。とある公園のような交差点(後から考えると、中央市場前の交差点)に停車して、殆ど全ての客が降りていく。私と何人かの客が「バスターミナルまで行ってほしい」と運転手に要求。しぶしぶ 1866年広場(Plateia 1866)まで行ってくれる。
Chania / Χανιά - Greece (ハニア - ギリシャ)
バスを降りる。バス停のすぐ前にホテルがある。値段を聞いてみる。1泊40ユーロ。高っ。この街なら20~30ユーロくらいが適正価格じゃないのかな。とりあえず旧市街の港の方へ向かう。人っ子ひとり居ないハリドン通りをしばらく歩くと、いかにもリゾート地の下町といった地区に出る。カフェやレストラン、ブティックなどが建ち並んでいるが、早朝のため全てシャッターが閉まっている。旅行ガイドLonely Planetには“Zampeliou通り沿いにホテルなどが沢山ある”そうだ。狭い道をのんびり歩いて行き、ふと右側を見るとホテルらしきものがある。“ΞΕΝΟΔΟΧΕΙΟ ΛΟΥΚΙΑ”と看板に書いてある。英語表示は無し。アパートかな? ドアを開けて中へ入ると、小さなカウンターにおじいさんが座っている。
私 「ここはホテルですか?」
老人「そうだが…」
すごく間抜けな質問だったかな…
私 「海が見える部屋でシャワー付きは1泊幾ら?」
老人 「30ユーロ。何泊?」
サマリア渓谷に行きたいし、のんびりとハニアの旧市街も散策したい。とりあえず 「3泊で」
鍵を渡された4階の307号室に行き、窓を開ける。旧港が見える。空がだいぶ白んできて、まもなく日の出のようだ(日の出は7時04分)。朝食を探しに、外へ。カフェやレストランの並ぶ港沿いに人影は無い。静まり返った岸壁に、ポチャポチャと波が寄せる音だけがしている。太陽が昇り、港の西側の建物が赤く染まる。遥か北の海上には小さな積乱雲が並んでいる。長期予報では雨のはずである。このまま雲が南に降りてこないことを願うばかりだ。
旧港周辺の店は1軒も開いていないので、バスを降りた1866年広場へ。休日の早朝なのに、サンドイッチのチェーン店everestが既に開いている。公園の東側のカフェやレストランも開いている。広場に面したTime Outというレストランに入る。早朝のため出来るメニューは限られているようだ。キッチンで調理済みの物を見せてもらい、スタッフド・トマトのようなものを注文する。ギリシャ語でムサカという名前の料理らしい。かなり大きなトマトとピーマンの中に米や肉を詰めたものが2個とフライドポテト、パン、ミネラル水で5ユーロ(645円)。オリーブオイルでギトギト感がある見栄えだが、それほど脂っこくなくおいしい。
Chania / Χανιά(08:30発)→ Heraklion / Ηράκλειο(11:10着)Bus 運賃 10.5ユーロ(1354円)
食後、バスターミナルへ。各国からかき集めた中古バスを、KTEL塗装色の様々な形のバスが入り乱れている。切符売り場のある建物へ。クレタ島には3泊しかしないので、今日イラクリオのクノッソス宮殿跡を見ておかないとスケジュールが厳しくなりそう。窓口でイラクリオまでの切符を買う。10.50ユーロ(1354円)。8時30分発のバスに乗る。車内は半分程度の席が埋まっている。バスは今朝フェリーを降りたスーダ港の横を通って東へ。途中から高速道路(E75)を快調に走る。右手の山脈には雲が張り付いている。リゾート地っぽい海沿いで時折観光客が乗り降りする。9時40分、レシムノのバスターミナルに到着。バスターミナルのすぐ前にはエメラルドブルーの海が広がっている。新たな乗客が乗り込んできて満員となったバスは、10時に出発。渋滞した市街地を抜けて再び高速道路へ。殆ど車の走っていない高速道路と、単調な景色に眠くなってくる。だんだん山岳地帯が海に迫ってきて、道路は右へ左へカーブしながら高度を上げていく。最後の大きな岬を回りこむと、下り坂の遥か向こうにイラクリオの市街地が見えてくる。高速道路を出ると、至る所で道路工事が行われていて渋滞の連続だ。11時10分、イラクリオのバスターミナルに到着。
Heraklion / Ηράκλειο - Greece (イラクリオ - ギリシャ)
バスターミナルの建物とは別に、駐車場の中心あたりに“クノッソス行き”と書かれた小さな切符売り小屋がある。クノッソスまでの切符を買って、売店でアイスクリームを買いバスを待つ。旅行ガイドLonely Planetには10分毎に出発すると書かれているが、実際は30分毎のようだ。
Heraklion / Ηράκλειο(11:30発)→ Knossos / Κνωσός(11:50着)Bus, line 2 運賃 0.9ユーロ(116円)
11時30分のバスに乗り、クノッソス宮殿遺跡前で下車。イラクリオ郊外のオリーブ畑が広がる農村地帯に、松林に囲まれた遺跡がある。古代ギリシャ時代より古い、紀元前2000年頃に栄えたミノア文明の都市遺跡だ。入場料は6ユーロ(774円)。クレタ島観光で最も有名な場所なので、たくさんの観光客が来ている。雲ひとつ無いかんかん照りの日差しの中にもかかわらず、ガイドブックに掲載されている有名な遺物がある場所には長蛇の列だ。“過度に補修”されたと酷評されているだけあり、崩れた壁や柱の残骸が散乱している他の古代ギリシャ時代の遺跡とは確かに違う。
入場口から入ってすぐの所には、壺を運ぶ人のフレスコ画が飾られている。掲示されている解説文には、「復元された南プロピュライアには、壺を運ぶ人のフレスコ画の複製を飾った」と書かれている。ずっと奥には、朱色に塗られた円柱が美しい北プロピュライアが復元されている。いかにも遺跡という感じに、崩れかかった中途半端な形に復元している。たしかに、古代史に詳しくない私のような観光客でも、復元された遺跡を見れば昔の姿を思い浮かべられるので、これはこれで良いのかもしれない。
遺跡の中央付近、何段かの階段を登って行くと玉座の間がある。入り口から人が溢れている。ツアー客のガイドが部屋の中で延々と説明をたれているようだ。そんな団体が何組か王座の間の手前で列を成している。人の間を掻き分けて王座の間に入ってみる。ココだけは屋根まで復元されて本当の部屋になっている。内部にはアラバスターで作られた玉座があり、周囲の壁はグリフィンが描かれた朱色のフレスコ画で埋め尽くされている。古代ギリシャ以前に伝説上の動物グリフィンが登場するのには驚いた。当時はまだギリシャ文字すら発明されておらず、文字以前に既に現代でも通じるような伝説や神話があったという事なのだろう。
遺跡周囲の松林を歩く。炎天下の遺跡を歩いたあと、松の木陰は心地よい。もう夏は終わったにもかかわらず、小さなセミが“ギーッ”と鳴いている。12時40分のバスに乗り、イラクリオ市街地に戻る。
Knossos / Κνωσός(12:40発)→ Heraklion / Ηράκλειο(13:00着)Bus, line 2 運賃 0.9ユーロ(116円)
バスを降りヨットハーバー沿いの道を西へ行くと、ヴェネツィア共和国時代の造船所跡といわれるレンガ造りの巨大な半円アーチトンネルがある。ドライドックだったトンネル部分は、いまは日陰の歩道になっている。ヨットハーバーの防波堤の先にも、ヴェネツィア共和国時代の砦(Rocca al Mare)が見える。しばらく歩いて行き、旧市街中央を南北に横切る8月25日通りに入る。旧市街の丘の坂道をどんどん登ってゆくと、レストランやら旅行代理店やらが軒を連ねている。そのうちの1軒の旅行代理店に入り、3日後に乗る予定のサントリーニ島行きフェリーの切符を購入する。その日は高速船は運休で、普通のカーフェリーしか運行されていないらしい。座席指定なしの運賃は14.5ユーロ(1870円)。
8月25日通りをさらに登っていくと、旧市街中心のヴェニゼロス広場。すぐ西側にはエル・グレコ公園があって、イラクリオ出身の画家エル・グレコの胸像が鎮座している。日曜だからか、広場や公園にはあまり人影がない。広場の横のギロピタ屋で昼食(ギロピタ 2ユーロ, 258円)。
Heraklion / Ηράκλειο(14:30発)→ Chania / Χανιά(17:10着)Bus 運賃 10.5ユーロ(1354円)
14時30分、再びKTELバスに乗りハニアに向かう。途中のレシムノに近づくにつれ、雲が多くなってくる。ぽつぽつ雨が降り出し、レシムノの少し手前で土砂降りの大雨となる。バスの乗客も雨を予想していなかったらしく、途中のバス停で降りる客は傘無しでバスを降りていった。ホテルの窓を開けっ放しにしてきたので、部屋の中が水浸しじゃないかと心配になる。
車内に乗っている車掌が検札しているのに、スーダ港の少し手前でバス会社の社員が乗ってきて抜き打ちの検札を行う。切符を捨てずに持っておいてよかった… しかし、車内に車掌が居るにもかかわらず、抜き打ちの検札とはね。
ハニア到着前にちょうど雨が止む。バスを降りると地面が濡れていないので、雨はレシムノ辺りの局地的なものだったのだろう。
Chania / Χανιά - Greece (ハニア - ギリシャ)
新市街の1866年広場にある朝食を食べた店へ。“レモン・チキンのグリル”を注文する。500mlの水とパンを付けて5.50ユーロ(709円)。北アフリカ料理のタジンを想像していたが、ギリシャ風のオリーブオイルたっぷりの料理だった。
夕暮れ時、今朝は誰も歩いていなかった旧港付近はたくさんの観光客であふれ返っている。レストランやカフェなどもオレンジ色の電気を灯して営業している。旧港入り口近くにあるモスク跡では、陶器の露天市が出ている。カラフルな着色をされた土産物用の陶器から、テラコッタの実用的な料理用の皿まで山積みだ。日が沈み、夜が更けてきても旧港周辺の人通りは減らない。泊まっているホテルの1階にあるカフェに入り、置いてあるインターネット接続されたパソコンで、明日向かう予定のサマリア渓谷の情報収集をする。地球の歩き方だけでなく、日本語で書かれたホームページなど、ほぼすべてが“現地ツアーに参加して渓谷に行く”方法ばかりだ。唯一、ガイドブックLonely PlanetだけがKTELの路線バスで行く方法を掲載している。今日、バスターミナルで見てきた時刻表では、サマリア渓谷の入口のオマロス行きは6時15分、7時30分と8時30分だ。
Loukia Hotel / Ξενοδοχείο Λουκία room 30730ユーロ(3870円)/1泊
September 15, 2003 (Monday)
5時過ぎに起床、部屋でパンをかじってからバスターミナルへ向かう。途中、サンドイッチチェーン店everestで昼食用のサンドイッチとミネラル水を購入(2.5ユーロ, 322円)。バスターミナルへ行くと、すでにサマリアへ向かうと見られるトレッカーが10人前後来ている。切符売り場で「サマリアまで行きたいのだが…」と注文すると、「ハニア → オマロス、スファキア → ハニア」の往復セットになった切符を出してくれた。10.2ユーロ(1315円)。切符売り場の建物の前で多くのトレッカーと共にたむろしていると、英語で放送がある。“Samaria, Bus No.63”
Chania / Χανιά(06:20発)→ Omalos / Ομαλος(07:30着)Bus 運賃 往復10.2ユーロ(1315円)
6時20分、ハニアのバスターミナルを出発。まだ真っ暗な道を西へ。車内は70%程度の席が埋まっている。しばらくすると南へ折れ、山道を登り始める。東の空が白んでくる。クレタ島中央に横たわる山脈に雲が掛かっている。バスはどんどん高度を上げ山道を登っていく。聖堂がある小さな町Lakkiで学生が降りてゆく。峠に差し掛かる。道路上に3000ft / 1000mの文字が書かれている。手元の高度計で1060mの峠を越えると、目の前に雲海が広がる。バスの走る道は雲海の中へ突っ込んでゆく。視界の利かない霧の中、オマロスに差し掛かる。1軒だけぽつっと建っているカフェに観光バスが数台停まっている。ツアー客はここで下車させられているようだ。そこからしばらく緩い上り坂となり、雲海を出るとクシロスカロ峠(Xyloskalo)の駐車場に到着。自動車道はここで途切れていて、バスもここまでだ。
Samariá Gorge / Φαράγγι της Σαμαριάς - Greece (サマリア渓谷 - ギリシャ)
バスから降りた客は、カフェの建物に吸い込まれていく。中へ入ると、朝食にちょうどいい食べ物がたくさん売られている。トイレだけ借用して外へ。駐車場の脇にある渓谷(国立公園)の入山口へ。入山料5ユーロ(645円)払い、出口で回収するというチケットを貰う。渓谷出口のアギア・ルメーリから出るフェリーの時刻を尋ねると、15時45分と18時の2便しかないらしい。トレッキングのための道は、標高1250mの入山口を出たところからつづらおりに急激に下っている。霧が晴れ、東から強烈な朝日が差し込んでくる。谷の向こう側に、朝日を反射する岩山Gingilos(標高2080m)がはっきりと見える。
サマリア渓谷を下るトレッキングルートは全長18kmで、ガイドブックLonely Planetによれば欧州最長のコースとなっているそうだ。2000m級の山が連なるレフカ・オリ山脈に深い谷を刻んでいる川沿いにトレッキングコースが設定されていて、途中には1962年に廃村となったサマリア村がある。
KTELの路線バスに乗ってきた大半の客はまだカフェの中に居るし、ツアーバスはオマロスのカフェで足止めされているらしく入山口には到達していないようだ。私の前に渓谷に入っていったのは、数十人程度だろうか…。入山口から一気に500m近く下る。何人かの若者を抜き去り、英語を話す老人の団体を抜いた。この時点で、私の前を歩いて居るのはドイツ人カップルのみ。“落石注意”の看板があるが、どう注意すればいいのか…。道の傍らに樹脂製の黒い給水パイプが延々と敷設されていて、時折ある水呑場の水を供給しているようだ。道はかなり整備されていて、かなりのスピードを維持して下っていくことが出来る。出発から40分後の8時15分、標高約900mの谷底に到達。増水したときには川になるであろう岩場が続いている。さらに10分ほど行くと川の流れが地上に顔を出している。
岩だらけの渓流沿いを歩くこと15分、標高620mのアギオス・ニコラオス (Agios Nikolaos) に到着。山岳事務所のような小屋に、老人がぽつんと座っている。何人かの中年の英語を話す人たちがベンチに座って休憩している。ドイツ人カップルはこの村に一瞥もくれずに通過していく。私はトイレを借用し、小さな聖堂(照明が無く薄暗い内部)をチラッと覗いて見る。内部には何枚かのイコンが飾られている。周囲の糸杉林は樹齢2000年といわれている。
渓谷をさらに下っていく。川の流れができて、深みには青々と水を溜めている。どこまでも透明な深渕には、魚の姿は全く無い。8時45分、谷の西側の斜面を登り始める。向こうからプロパン・ガスを運ぶ馬がやってくる。物資の輸送は遥か河口のアギア・ルメーリから行っているのか…。私なら、みかん畑などにあるような“農業用モノレール”をクシロスカロ峠から走らせてみたい気もするけどね。しばらく行くと不思議な看板がある。“トイレ→ 2km。ベンチ→ 2km …” ベンチまで2km歩くくらいなら、そのあたりの岩に座ったほうがマシだ。9時(出発から1時間30分後)、西側の斜面に沿った道の最高地点(水呑場)を通過。何処の水呑場にも水道管が敷設されていて、ある種のガイドブックが言うように“山肌から湧き出る湧水”を飲んでいるわけでも無さそうだ。水飲み場を過ぎると、道は再び谷底の川まで降りてゆく。少し開けた河原に、“小石を積み上げたモニュメント”が大量に出現する。宗教的な意味でもあるのか、単に観光客が記念碑的に作っていった物なのか…。
西側の崖に鹿のような羊のような動物が居る。野生のヤギの一種クリ・クリだ。こちらをじっと見つめてから、飛び跳ねるように下流のほうへ駆けて行く。動物の走っていく方向には平屋の建物が数軒見える。この地域が国立公園に指定された1962年に、強制移住で無人化されたサマリア村だ。渓流が深い谷に吸い込まれていき、村へ続く橋が架かっている。9時25分(出発から1時間55分)、標高350mのサマリア村に到着。左側の建物の裏手に人の気配がする。右手の建物には赤十字のマークがついている。救護所だろうか。残っている建物は数軒で、下流のほうには建物の基礎の石が転々と続いているだけの小さな村。私の前を行くドイツ人カップルは村には寄らずに、一直線に下流を目指している。(観光には興味ないのかな…)
しばらく行くと谷の狭いところが迫ってくる。落石注意の看板がある。電話線と思われる電線が川原に落ちて転がっている。9時40分(出発から2時間10分)、谷が10メートル程度に狭まったところに差し掛かる。100mほど前をドイツ人カップルが何かを警戒するかのように立ち止まって上を眺めたり、ジグザグに歩いたりしている。静けさの中に“コォン~。カン…。ト~ン、コン、…”と何かを打ち付けるような、石がぶつかり合うような音がしている。ドイツ人は数百メートル行ったところでこちらを振り返っている。再び“コン、コ~ン…”と音がしたかと思うと、数メートル前で“ドシューン、パリパリ…”と岩が飛び散った。どうも谷の上のほうの岩が崩れてきて、落下してきているようだ。足元は数十センチの岩が乱雑に組み合わさった悪路。歩行のバランスを崩すと、石がぶつかり合って“カラッ、コロン”と音がする。もしかして、この音波が崖の上のほうの弱った岩場を崩すトリガーになっているのかも…
直径10cmもあるような岩のかけらが、目もくらむような猛スピードで所構わず降ってくる。落石が直近をかすめたときは“ビュン … バシッ! パラパラ”と風圧を感じる。狙撃手がこちらを的にしているわけではなく、ランダムに飛んでくる岩が人を直撃する確率はかなり低いはず。まさにロシアンルーレット状況の中、構わず歩き続ける。数分で危険地帯を抜け、ドイツ人カップルに追いつく。私「いやぁ、凄い谷ですねぇ~。岩が降ってきたでしょ?」。ドイツ人 「エキサイティングだ。さっき君のすぐ横に岩が落ちてきたが大丈夫か?」。私「もう、必死ですよ(笑)」。当ったらどうなったんでしょうね… 軽傷ではすまなかっただろう。落石中位の看板は単なる脅しではないようなので、登山用のヘルメットを持って来るべきだったかもしれない。
落石地帯を通り過ぎても、しばらくは落石で粉々になった岩の破片が積み重なった場所が河原の所々にある。ようやく落石が目立たない個所に差し掛かったあたりで、ドイツ人カップルが岩の上に座って昼食を食べている。彼らを追い越し、私の前に歩くトレッカーは誰も居ない状態となった。向こうから馬を引いた人がやってくる。あの落石地帯を通過して資材運搬しているのか… まさに命がけの職業だ。渓流が再び地表に顔を出し、さらさら音を立てて流れている。10時15分、私も河原の岩に座ってハニアで買ってきたサンドイッチとミネラル・ウォーターで少し早い昼食とする。
さらに下って行くと最後の休憩所がある。とりあえずトイレへ。電気も点いていない真っ暗なトイレに小便をする。便器の中から一斉に蚊が湧き上がってくる。慌ててトイレから逃げ出す…。谷の幅が再び狭まり、渓流に架かった板切れの橋を何度も横切っていくと行き止まりになったような場所に出る。10時45分(出発から3時間15分)、谷の幅が数メートルで、全幅が渓流の流れになっている場所。標高130m地点、鉄の門(Iron Gate)と呼ばれているサマリア渓谷で最も狭い場所で、両ぐぁの崖の高さは300m以上あるそうだ。ここにも落石注意の看板が出ている。渓流の上にやっと通れる位の足場板が渡されている。なるべく音を立てずに、そ~っと狭い所を通過する。その狭いところを通過した後は、だんだんと谷が広がっていく。サマリア渓谷のトレッキングコースも、このあたりで終わりだ。向こうから数人の観光客が逆行して上流を目指していく。まさかオマロスまで登る雰囲気でも無さそうだし、途中で引き返すつもりなのだろうか。11時10分(出発から3時間40分)、標高70mの国立公園出口事務所に到着。このあたりから渓谷を振り返って見る景色もまた格別だ。3人ほどくつろいでいた事務所の職員に、私の前に誰か通過したか聞いてみると、私が今日最初の通過者だそうだ。入口事務所でもらった確認用のチケットを渡して国立公園を後にする。
Agia Roumeli / Αγιά Ρουμέλη - Greece (アギア・ルメーリ - ギリシャ)
売店がある。数軒の店と、屋根に覆われたベンチがある。アイスキャンデー(1.50ユーロ, 193円)を買って、ベンチに座ってのんびりと食べる。ドイツ人カップルが再び追い抜いて行く。売店からしばらく下って行くと羊が放牧された荒地があり、遥か向こうにリビア海(クレタ島とアフリカのリビアの間の海域)がチラッと見える。1隻のフェリーが西へ向かっていく。11時15分発のスファキア行きだろうか…。11時40分、アギア・ルメーリ村に到着。家庭菜園的なブドウ畑やオリーブの木が茂る家々の間を通って、村の中心部へ。そこにはレストランやフェリーの切符売り場などがある。切符売り場でスファキアまでの切符(4.60ユーロ, 593円)を買っておく。例のドイツ人カップルと私以外、まだ誰も渓谷から降りてきていないので、レストランは閑散としている。桟橋の前のカフェに入り、ジュースを飲みながらぼんやりと海を眺める。この村に滞在している雰囲気の若者が何人かチェッカーに興じている以外は、全く人を見かけない。桟橋の横には砂浜が広がり、誰も居ないビーチパラソルが並んでいる。海に入ってみる。見かけとは裏腹に、かなり冷たい。
西からフェリーが到着し、数十人の客と数台のオンボロ車が吐き出されてくる。切符売り場の向かいにあるレストランへ行く。インターネットの掲示板では“カラマリ”をぜひ食べろと書いてあったので、注文してみる。出てきたのは“イカリングのフライ”にレモンを添えた物。それも巨大なイカを1匹丸ごとの量が出てきた。からっと揚がっていてナカナカ美味しい。でも、これって日本の居酒屋などでも出てくるよね…。パンと、750mlの水を付けて5ユーロ(645円)。
13時を過ぎる頃から、徐々にトレッカーが渓谷から下りてきた。ガイドブックLonely Planetによれば平均5~7時間掛かるらしいので、7時30分と8時30分の路線バスで来た人なら13時~15時くらいにアギア・ルメーリに到着するのだろう。カフェでだらだらと時間を潰していると、桟橋に人が集まりだした。12時ごろに西から来て停泊していたフェリーが、スファキア向けてに折り返すようだ。200人とも300人とも思われる大量のトレッカーがフェリーに乗り込んでいく。こんなにたくさんの人が渓谷トレッキングをしていたのか…。
Agia Roumeli / Αγιά Ρουμέλη(15:40発)→ Hora Sfakion / Χώρα Σφακίων(16:55着)Ferry 運賃 4.60ユーロ(593円)
15時40分、アギア・ルメーリの岸壁をゆっくりと離れる。船内はキャビン内もデッキの椅子も全て満席。何軒かの建物しかない村がだんだん遠ざかっていく。かなり雲がかかってきたサマリア渓谷を最後に振り返って眺める。もう二度と来ないだろうな… 結構いいところだったけど。
船は、潅木が疎らに生えたクレタ島南岸に沿って東へ。崖と海の間のほんの少しの平地に未舗装の小路が続いている。時折小さな小屋のような建物がぽつんと建っているが、こんなところに人が住んでいるのだろうか。16時30分、小さな入り江に面したロウトロに寄港。リビア海に突き出した岬の禿山に、真っ白な教会と日干しレンガで造ったような褐色の砦がある。入江に面して二十軒ほどのペンションが並んでいて、ほんの少しだけの砂浜では中年男女が日光浴している。ここで数人が乗降して、発電機を乗せたトラックが乗り込んでくる。
船は再び乾燥した断崖沿いに東へ向かう。遥か向こうに、断崖にへばりついている真っ白な建物群が見えてくる。スファキアの集落だ。16時55分、スファキア港着。Wikipediaによれば、サマリア渓谷からスファキアまでの地域は、ギリシャで最も人口密度が低いところだそうだ。4人/km2という人口密度は、日本の過疎地域の平均人口密度52人/km2の10分の1以下だ。
船を降りて、大量の人に混じって坂道を登って行く。高台に何軒かのペンションが建ち並んでいるのが見える。ツアーバスで来た観光客は、右手のバス駐車場への階段を上っていく。路線バスで来た100人程度の個人客は、坂道の一番高いところにあるバス停へ。果たしてバスは何台来るのだろうか…、1台では明らかに足りないだろう。
Hora Sfakion / Χώρα Σφακίων(17:40発)→ Chania / Χανιά(19:10着)Bus 運賃 往復10.2ユーロ(1315円)
17時30分頃、崖の上のほうから2台のバスがつづら折りの道を降りて来た。補助席全て使って、空いている通路に建てるだけの乗客を詰め込んで出発。すれ違いが出来ないくらい狭い崖沿いの坂道を一気に登って行く。海のほうをちらっと見ると、遥か向こうまでコバルトブルーの海が続いている。坂の途中の駐車場らしきところに観光バスが停まり、写真撮影タイムを取っている。路線バスは当然そんなサービスも無いし、第一窓ガラスがくもっていて外の景色も良く見えない。標高800mほどの峠を越えて、クレタ島北部へ。クレタ島北部には高速道路があるので、そこまで出ればバスは快調に走りだす。19時10分、ハニアのバスターミナル着。
Loukia Hotel / Ξενοδοχείο Λουκία room 30730ユーロ(3870円)/1泊