2001年 旅遊中国 (絲綢之路) : 嘉峪关

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June 30, 2001 (Saturday)

Jiāyùguān - China (嘉峪关 - 中国)

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建设路から見た长城宾馆の建物

8時頃、起床。ホテルの前の駐車場に出て建物をふり返って見ると、万里の長城風に過剰にデコレーションされた建物の上に「长城宾馆(長城賓館)」という大きな看板が掲げられている。

敷地の前の広い道路・建设西路に出て左右を眺めるが、低層アパートが疎らに建ち並んでいるのみで、商店や飲食店らしきものは全く見当たらない。通りの向かい側の建物には人民解放軍というような看板が出ている。ここは街の外れなのだろうか…。

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一緒に旅行している張さんの体調が少しすぐれないので、部屋でゆっくり朝食を食べ、9時半頃観光に出かけることとする。ホテルにはレンタルサイクルがある。地球の歩き方には、『自転車で嘉峪关城と长城第一墩に行くことが出来る』と書いてある。が、快晴の砂漠地帯を自転車で爆走することが現実的かどうか周囲の人達に聞いてみる。ホテルの職員やタクシーの運転手などが集まってきて、その誰もが「この暑さでは無理」だという。まあ、そうだろうね…

で、タクシーで行くことにする。嘉峪关城と长城第一墩の両方に行くと70元(1,050円)だという。安いのか、高いのか… よくわからない。車にはタクシー・メーターがついていたので、「计程」で行ってもらうこととする。

TAXI
长城宾馆 → 长城第一墩
出租汽车(TAXI), 運賃 周遊81元(1,215円)
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长城第一墩(右側)と北大河(左の崖下)

タクシーは平屋ばかりの建物しかない玉泉路をかなりの速度で北上する。ときおり自転車に乗った人民を追い抜くくらいで、交通量が極端に少ない。312国道に入り西へ、鉄道の踏切を渡ると10分ほどで嘉峪关城の横を通り過ぎる。さらにそこから暫く走って、わき道にそれる。おそらく、长城第一墩に行くためだけの道なのだろう。砂漠の中を暫く走ると、再び線路を横切る。貨物列車がぽつんと彼方の砂漠に停車しているのが見える。ほとんど朽ち果てて砂漠に埋もれつつある万里长城が、道の横に併走するようになる。遥か南に見える祁連山脈に向かってどこまでも长城が続いているように見えるが、突然、深くえぐれた北大河の断崖絶壁のところで途切れている。

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长城第一墩の末端部と彼方の祁連山脈

ここが、明长城(明時代の万里の長城)の最西端のひとつ「长城第一墩」だ。遥か東、5000kmも離れた黄海の海岸から続いてきた万里長城が、ここで終わっている。日干しレンガで造られた城壁と墩台(烽火台)は、どちらも風化して砂漠に飲み込まれようとしている。崖の下を流れる北大河には、七一冰川(氷河)の雪解け水が流れているそうだが、すでに黄土色に濁っている。

ホテルで使った水道は驚くほど冷たかった。この雪解け水の川から取水しているのだろう。深くえぐれた北大河の向こうは、ハゲ山のような黄土色の丘陵地で、はるか南に雪を頂いた祁連山脈の山々が見える。標高5000mクラスの山々だそうだ。

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长城第一墩から嘉峪关关城方向へ続く朽ち果てた长城

風化して砂に埋まりつつある长城の上に登ってみる。昔はもっと高くて立派な壁だったのだろう。いまは数十cm程度まで低くなっていて、容易によじ登ることが出来る。城壁の上から北を眺めると、嘉峪关关城がかすかに見える。

ヨーロッパ製の高級車がやってきて、おっちゃん数人が降りてくる。大声で話し、うれしそうに記念写真を撮って、再び車は走り去って行った。地方出張のついでにちょこっとだけ史跡を見た企業の幹部が、会社では大きく話を膨らませた自慢話をするのだろうか。

TAXI
长城第一墩 → 嘉峪关关城
出租汽车(TAXI), 運賃 周遊81元(1,215円)

再びタクシーに乗り嘉峪关关城(嘉峪関 関城)に向かう。砂漠の中の一直線の道、話し声から韓国人観光客と分かる2人組が、全身日焼けして必死の形相で自転車を転がしている横を通り過ぎる。見てるだけでつらそうだ…

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嘉峪关关城の柔远门

嘉峪关关城景区の入口で車を降り、入場料40元(600円)を払い景区の公園に入る。目指す城楼や門は、砂漠の中に無理やり作った灌木の茂る公園を800mほど行った所にある。土産物の屋台が並ぶこの公園は最近つくられた雰囲気で、城楼のすぐ近くに以前の入場券売り場の残骸が残っている。

嘉峪关は、14世紀の明王朝時代に长城の西端を守る砦として建てられた城塞だが、中華人民共和国時代に大規模修復を受けて「新品同様」になってしまっている。まあ、それでも中世のシルクロードを感じることが出来る場所ではある。ひんやりと涼しい光化门(光化門)のトンネルを抜けると、城壁に囲まれた甕城(二重門の中庭)に出る。ここには游击将军府という関所を管理していた将軍の執務室があり、派手に着色された官吏の蝋人形が飾られていた。

城壁の上に登る。城壁の上には楼閣があり、内部は博物館ではなく単なる土産物屋だ。

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嘉峪关关城の甕城(二重門の中庭部)

城壁の上からは、长城の壁が南方向と北西方向に一直線に続いているのが見える。南は、豆粒のように見える長城第一墩で切れている。北西に目をやると、长城の壁が黄土色の山肌を登って中腹の墩台で終わっている。明日、訪れる予定の悬壁长城のあたりだ。

西側の柔远门(柔遠門)から嘉峪关の外に出る。かつてはこの門がシルクロードに続く国境検問だった。目の前は、遥か地平線まで続く土漠、ゴビ砂漠だ。砂漠から風が吹き付けてくる。老人が羊の群れを連れて歩いている。ほとんど草の生えていないところで、羊は何を食べているのだろうか。

TAXI
嘉峪关关城 → 嘉峪关市 新华南路・河口西路 交差点付近
出租汽车(TAXI), 運賃 周遊81元(1,215円)
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快餐店での昼食(一荤一肉二素一汤)

再びタクシーに乗り嘉峪关中心街の新华中路で下車。運賃メーターの値は81元(1,215円)。半日貸し切りの均一料金なら70元だったので、タクシーの運転手さんとの勝負は私の負けだ。

新华路と河口路の交差点付近の快餐店で昼食。ビュッフェ形式で好きなおかずを取り分けてもらって精算する形式で、値段はたったの5元(75円)。地元の人達で混雑している人気店のようだ。

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嘉峪关汽车站(バスターミナル)

食後、嘉峪关汽车站(バスターミナル)へ。明後日の敦煌行きのバスを予約する。1日に4便出ているうちの、朝一番9時発のものを買う。運賃は66.3元(994円)。長距離バスの切符購入には「保険」加入が必要なようで、この値段が30元(450円)でバス運賃の半額近くもする。

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嘉峪关から酒泉に向かうバス

午後は隣街の酒泉(酒泉市粛洲区)に行くことにする。バスターミナルから酒泉行きのマイクロバスに乗車。13時30分に出発したバスは、バスターミナルを出たすぐ前の大通りで、乗客が満員近くになるまで客引きを続けている。結果として、嘉峪关の市街地から出発したのはさらに30分後の14時だ。

マイクロバスは、20km西の酒泉市まで凸凹の悪路を爆走する。冷房が無い車内には、砂漠の熱風が吹き込んでくる。

Bus
嘉峪关汽车站 13:30頃発 → 酒泉车站 14:20頃着
公共汽车, 運賃 3元(45円)

Jiŭquán - China (酒泉 - 中国)

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钟鼓楼

酒泉は西域の小さな街だが、人工衛星の打ち上げ基地「酒泉卫星发射中心」と、夜光杯という玉器の生産地として有名だ。

バスターミナルから東へ歩いて行くと街のシンボル钟鼓楼がある。4世紀にはじめてこの地に建てられたのち、現在の建物は清代末期の20世紀初頭に改築されたものだそうだ。歴史の長い街は、だいたい街の中心に鼓楼がある。

钟鼓楼を通り過ぎさらに東へ。商店が建ち並び沢山の人が歩く街の中心、嘉峪关よりも賑わっている。露天の喫茶店で休憩(お茶 3元)。

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酒泉公园の「酒泉(金泉)」

どんどん東へ歩いて行くと、商業地からアパートの建ち並ぶ住宅地となる。钟鼓楼からおよそ2km、酒泉公园の入口がある。入場料は8元(120円)。公園の池にはボートが浮かび、至る所にデコレーションが施されている。動物園もある。が、決定的に来園者の数が少なすぎ、寂れた遊園地と行った感じだ。ここに来た理由は、酒泉の名前の由来となった「泉」西汉酒泉胜迹(西漢酒泉勝跡)を見るためだ。この泉は前漢(西漢)の匈奴遠征討伐(BC121年)に勝利したとき祝杯を挙げた泉ということで有名だそうだ。いまではコンクリートで囲まれた水たまりといったところだろうか。

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酒泉の市街地

公園の入口には摩的(摩托车的士)、東南アジアではリキシャーとか呼ばれるのが何台か停まっている。バスターミナルまで、これに乗ることにする。単なるバイクの後ろに、ブリキで作った箱型の客室が付けられたものだ。サスペンションも何もないので、揺れる。その上、自転車並みに遅い。10分程度で汽車站に着く。

TAXI
酒泉公园 16:00頃発 → 酒泉车站 所要約10分
摩托车的士, 運賃 2人で10元(150円)

あわただしく嘉峪关ゆきのマイクロバスに乗り換える。バスはすぐに出発するが、またしても街の中心部で客を拾いつつ30分程度は時間をロスしている。

Bus
酒泉车站 16:00頃発 → 嘉峪关汽车站 17:00頃着
公共汽车, 運賃 3元(45円)

Jiāyùguān - China (嘉峪关 - 中国)

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林苑酒店での夕食(青椒肉絲、スープ)

17時ごろ嘉峪关に到着。道沿いの街路樹に給水車が散水している。街路樹は側溝のように窪んだ所に植えてあるので、水は街路樹に沿って向うまで流れていく。交差点では、水が流れるようにトンネル状になっていたりする。1箇所で散水すると、広範囲に水やりが出来るいいアイデアだ。

新华南路の林苑酒店という少し高級そうなレストランに入る。店内は中国人の観光客などで混雑している。料理をいろいろ頼んで1人21元(315円)ほど。冷房も効いてるし、料理もおいしかった。

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工人文化宫の前で踊りの練習をしている人たち

ホテルに戻る途中、新华南路・建设路の交差点にある工人文化宫の前で踊りの練習をしている人たちが居る。垂れ幕には「庆祝建党八十周年」となっている。1921年7月の中国共産党の建党から、まもなく80年だ。

Hotel
长城宾馆, 1309号室
ツイン 300元/泊(4,500円)

July 1, 2001 (Sunday)

昨夕買っておいたインスタントラーメン(3元)と、張さんが持参したレトルトの韓国風お粥を朝食に食べる。ホテルの駐車場からタクシーに乗る。悬壁长城まで往復で60元(900円)だそうだ。

TAXI
悬壁长城 → 嘉峪关市 新华南路・河口西路
出租汽车(TAXI), 運賃 半日60元(900円)
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黑山と悬壁长城(入場口付近から撮影)

タクシーは昨日見た嘉峪关关城(嘉峪関 関城)の横を通り過ぎ、朽ちかけた长城に沿って北西へ向かう。市街地を出て土漠をしばらく走ると、灌木の生えたオアシスに入る。悬壁长城の入場門前でタクシーを降り、2時間ほど待っているようにお願いする。悬壁长城の入場料は8元(120円)。草すら生えていない岩山に、长城が吸い込まれるように登って行く。山の中腹辺りに砦が見える。炎天下の中、あんな高いところまで登らないといけないのか…

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悬壁长城(最上部付近)

长城の城壁上が登山道になっている。山腹の登山口、高度計の表示は海抜1700mだ。さて、頂上は何メートルであろうか。強烈な日差しを避けるため、ペットボトルの水で湿らせたハンカチをターバンのように頭に巻く。入口のところから、心臓破りの急登。上から何人か降りてくる。上海から来た写真愛好家たちだそうだ。何人かは途中で気分が悪くなり座り込んでいる。

全く陰のない城壁上の通路で2回ほど休憩し、20分ほどで一つ目の墩台(烽火台)に到着。最上部の二つ目の墩台はそこから5分程度だ。最上部の墩台の中には写真愛好家の数人が居るだけで、他に観光客は居ない。高度計は1815mを指していので、標高差115mを登ってきたわけだ。

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悬壁长城の第一墩台(最上部の砦)から見た嘉峪关方向

中央左方向が嘉峪关市街地へ続く道。中央右方向に延びるのが长城

このあたりの长城は、明代の1540年に造られたそうだ。近年、修復されて墩台は新築同様だ。砦から山麓をふり返ると、緑のオアシスがあり、嘉峪关关城のほうに向かって一直線に长城が続いている。豆粒のような嘉峪关关城の楼閣、その遥か向こうには雪を頂いた祁連山脈が横たわっている。ここが、かつての中国西端の国境線だ。长城は嘉峪关から遥か東の北京・黄海の方向へも土漠の中を延々と続いている。数百年昔の人は、よくこんな壮大な建造物を造れたものだな…

西の方に目を転じると、岩山の稜線上に寺院か何かの屋根がぽつぽつと見える。日陰のない禿山を、あそこまで登っていく人が居るのだろうか。市街地の北には、酒泉钢铁の製鉄工場群あり、何本もの煙突から黒煙が立ち上っている。近くには镜铁山という鉄鉱石の鉱山もあり、ここは中国西北部最大の製鉄都市だそうだ。

TAXI
悬壁长城 → 嘉峪关市 新华南路・河口西路の交差点付近
出租汽车(TAXI), 運賃 半日60元(900円)
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新华路と人民商城

タクシーに乗り嘉峪关の市街地に戻る。昼食の時間帯になるまで、インターネットカフェに入る。1時間5元(75円)だ。Windowsのパソコンには、既に日本語フォントやIMEがインストールされている。日本人が来ることもあるのだろう。

昼食は昨日の昼食と同じ快餐店に入る。壁に貼りだされた5元(75円)定食のメニュー名は「一荤一肉二素一汤」だ。メインのおかず1品、肉料理が1品、野菜が2品、スープをビュッフェ形式で選択せよということだ。

食後、快餐店の向かい側にある人民商城に行ってみる。私が子供の頃、日本にもあった公設市場のようなところだろうか。

Bus
河口路 → 新华超市
公共汽车 1路, 運賃 1元(15円)

バス1路に乗り、工人文化宫前の停留所で降りる。ホテルに一番近いのがこの停留所だ。すぐ目の前に郵政局があったので入ってみる。広いロビーに窓口が一つあり、係員の女性が座っている。テレビで中共建党80年記念の切手等が売り出されているといっていたが、どのようなものがあるか聞いてみる。切手は売り切れだが、絵葉書はあるという。どんな絵柄があるか、全部出して見せてもらう。気に入った順に枚数に差をつけて購入する。「共産党マークと天安門」、「鄧小平と香港の夜景」、「江沢民と人民大会」、「毛沢東の若い頃と天安門」の順である。毛沢東は天安門に掲げられている「年寄り」バージョンでなく、革命当時の「青年」バージョンだ。郵政局の職員も、さすがにこれは古すぎて人気ないねぇと言って笑っていた。記念絵葉書は1枚6角(9円)だった。

一旦ホテルに戻り休憩する。夕刻、夕食を食べに出かける。西の空を見ると、小さい入道雲のようなものが浮かんでいる。雨が雲の下から吹き流されるように落ちてきているが、空の途中で蒸発して消えてしまっている。しばらくすると猛烈な砂ぼこりを伴った風が吹いてきた。これが砂漠の天気というものなのか…

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合唱の練習

昨夕と同じく、新华南路の林苑酒店というレストランに入る。イカの炒め物などを注文し、値段は2人で44元(660円)。

新华南路を歩いていると、どこからともなく音楽と合唱の声が聞こえる。とある役所のような建物の敷地内で、合唱の練習をしている。門から中へ入っていって見学する。歌の最後のクライマックスのところで、赤旗と「慶祝建党80周年」のプラカードを出すタイミングがずれていて、指揮者が何度もリハーサルをやり直していた。

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庆祝建党八十周年文芸晩会

合唱の練習が終わり、団員が建物から出て集団で南のほうへ歩いて行く。ついて行ってみる。新华南路の突き当たりの雄关广场にたくさんの人が集まっている。バスが次々とやってきて、様々な合唱団が広場に集まってくる。人民解放軍の兵士も大量に集結している。広場の南の端に、「庆祝共产党建党八十周年」と書かれた垂れ幕が掲げられている。

多くの観客や出演者がイベントが始まるのを待っていると、北の空がにわかに曇ってきた。ぱらぱらと雨粒が落ちてくる。夕立か? 人々が身構える。向う側にあるアパートが、土色の雲に包まれる。 「!」 砂嵐だ。猛烈な風と共に、砂嵐が式典会場を襲う。が、5分ほどで何事もなかったかのように通り過ぎていった。

広場で配布していたパンフレットによると、「嘉峪关市庆祝建党八十周年文芸晩会」というのが正式名称のようだ。観客席は出演者専用で、一般人はそこを遠巻きにして見物することになる。街からどんどん人がやってきて、ステージを見るのに押し合い状態になる。18時30分、「东方红」のミュージックがスピーカーから流れる。いよいよコーラスが始まる。出演者は … なんと全てが官公庁ばかり。
出演順に、老干局、法院、教委、工商银行、郊区工委、国税局、公安局、公路総段、…、68243部队、卫生局、工商局、68213部队。こんな小さな街で、どんだけ役所があるんでしょうか。歌う曲もまたすごい。「我和愛的祖国」、「毛主席詩詞(長征)」、「我的祖国」、「没有共产党就没有新中国」、…「人民军队忠干党」。

Hotel
长城宾馆, 1309号室
ツイン 300元/泊(4,500円)