アルプスから地中海、ブルターニュからベルギー 旅日記 : プロヴァンス

June 24, 2002 (Monday)

Marseille - France (マルセイユ - フランス)

上の部屋のガキが夜中に飛び跳ね、少し寝不足。6時半ごろ朝食を食べに外に出るが、ほとんど店がやっていない。ケバブ屋で揚パンを買い、部屋に戻って食べる。ちょっと脂っこいアンパンだった。
7時過ぎに駅に行き、すでにホームに入線していた マルセイユ行き TER17476 に乗る。2階建ての新型 TER-2 でなく 通常の UIC 型のオーソドックスな車両。7時21分、満員の乗客を乗せて、快晴のニースを後にする。

カンヌ(Cannes)を過ぎ、しばらく海岸沿いを走っていた列車は、内陸に入っていく。あれっ、マルセイユって地中海沿いの港町じゃなかったっけ? アルプスが海に落ち込んでいるコート・ダジュール(Côte D'Azur)から、平地の農村地帯であるプロバンス(Provence)に入ったのが車窓の風景で感じ取られる。

0624-01.jpg
港の近くのアパート

9時50分、TGVがずらっと並んでいるマルセイユ・サン・シャルル(Marceilles Saint Charles)駅に到着。そこらじゅうが工事中で雑然とした駅だ。ゴムタイヤ式の新しい地下鉄に乗り換え、Notre-Dame du Mont-Cours Julien まで行く。運賃 1.4 EUR。駅の出口の改札で、切符が"返ってきた"。向こうからやってきた怪しげな少年が、切符をくれと言う。何のことやらさっぱり分からなかったので、切符を渡した。(切符は1時間有効とかそういうやつだと思う...)

ロンリープラネットには、この地下鉄駅から県庁前までの間に何件かのエコノミー・ホテルがあると書かれている。坂道を下ってゆく。とりあえず、Cours Lieutaud と Blvd. L. Salvator の角に1軒見つけた... その L. Salvator を下って行けば何件かホテルがあるのだが、そんなことは露知らず、違う路地を入っていく。1時間近く歩き回ったが、ホテルらしきものは無い... 見つかったのは、寿司屋だけ。県庁の近くをぐるぐる探索して、結局 Blvd. L. Salvator に数軒ホテルを見つけ、そのうちの1軒のHôtel Préfecture (2つ星、1泊29EUR)に入る。新しい建物で、防音二重窓、クーラー(ほとんど効かない...)付きであった。とりあえず1泊分を支払って、荷物を置き外へ。

0624-02.jpg
ジュール・ゲスド広場の凱旋門
Arc de Triumph at Place Jules Guesde

すでに11時。ホテル関連で1時間も時間を浪費したわけだ。(ジェノバではもっと浪費していたが...) ホテルのすぐそばの県庁の前を通り、街の中心の歩行者天国サン・フェレオル通り(Rue Saint-Ferréol)へ。マクドナルドがあったので入る。ビッグマックのセットメニューで昼食。4.6 EUR。店内では、すでに敗退したワールドカップのフランスチームの垂れ幕がなんとなく寂しく見える。歩行者天国を突き当りまで行くと、カヌビエール大通り(La Canebière)。さすが大都市だけあって、車がひっきりなしに走っている。ニースとはすごい違いだ。大通りを海のほうへ。5分ほど行くと岸壁。マルセイユ旧港(Vieux Port)。手前には漁船がとまり、魚を水揚げしている。その向こうにはヨットやら大型クルーザーやらが所狭しと停泊している。ツーリストオフィスに入ってみる。マルセイユのことではなく、エクサン・プロバンス(Aix En Provence)への行き方だけを聞く客も珍しいのではないだろうか。バスターミナルの位置を説明するために、マルセイユの地図をくれた。鉄道よりバスが断然便利だそうだ。

ツーリストオフィス前から、西へ向かう。だんだんと、中近東系の人が増えてくる。イスラム街なのだろうか。Place Jules Guesde にある凱旋門のところで右折して北へ。ツーリストオフィスから20分程度でサン・シャルル(Marceilles Saint Charles)駅の横のバスターミナルに到着。エクサン・プロバンス(Aix En Provence)へのバスはバスターミナルの一番手前にすでに停車していた。運賃 4.1 EUR を払って乗り込む。

12時10分、マルセイユを出発。バスターミナルを出たらすぐに高速道路 A7 に入り、緩やかな丘陵地帯を走り A51 と通って、エクサン・プロバンスの町に入る。遠くに見える山々のうち、どれがセザンヌの描いた「サン・ビクトワール山」かは知らないが、絵になる景色だ。12時40分、終点の停留所に到着。

Aix-en-Provence - France (エクス=アン=プロヴァンス - フランス)

0624-03.jpg
アルベルタ広場の噴水
Fountain at Place d'Albertas

バスは町外れの Av. Pierre Brossolette の北の端に乗客を吐き出した。街の中心に向かって歩き出す。並木の影があり結構涼しい。鉄道の線路(道路の下を鉄道が横切っている)を越えてしばらく行くと、ド・ゴール将軍広場(Place du Général de Gaulle)のロータリーに出る。バス停から歩いて訳10分ほど。中央にロトンド噴水(Fontaine de la Rotonde)が高く水を吹き上げている。ロータリーの周りの木陰には、たくさんの人が日差しを避けて涼んでいる。

旧市街(Vieil Aix)へ入る。とりあえず、人通りが多かった Rue Espariat へ。歩行者専用道路で、みやげ物屋や服飾関連の店が軒を連ねている。しばらく行くとアルベルタ広場(Place d'Albertas) の噴水がある。(広場は1745年、噴水は1912年に造られたようだ) 広場の周囲を囲んでいるぼろいアパートも18世紀のものなのだろうか。

そこから、Rue de l'Aude を北へ(旧市街の中心部へ)。人通りもこの方向に流れている。道はだんだん細くなっていくが、大観光地だけあって"路地"という感じではなく、"ショッピングストリート"。微妙に曲がりくねった道の向こうに、Place l'Horlageの巨大な時計塔が見えてくる。市庁舎の時計塔らしい。この辺りが旧市街の中心部。といっても、観光客だらけで、あらゆる建物が商店となっているので「しっとりとした旧市街」と言う趣は全く無い。

0624-04.jpg
サン・ソブール大聖堂
Cathedrale St-Sauveur

単なるショッピング観光地ですね...

時計塔を過ぎた少し北に、サン・ソブール大聖堂(Cathedrale St-Sauveur)が建っている。ゴシック様式なのだが、尖塔がロマネスク風。扉は閉まっていて入れそうに無い。ガイドブックには1285年から1350年に建てられたと書いてある。教会の前の階段に座って休憩。暑いので体力を消耗する...。
教会の横を通り抜けて裏に出る。何の変哲も無い道路だが、道路名が「Rue Pierre et Marie Curie」。キュリー夫人(ポーランド人でフランスに亡命した放射性物質研究者。ノーベル物理学賞と化学賞受賞者)って、エクサン・プロバンスと関係あるのかな。パリに住んでいてバカンスでココに来たことがあるとか... ありえない話ではないですね。

旧市街を囲む環状道路 Blvd. Aristide Briand に出てセザンヌのアトリエに向かうバスを探す。ロンリープラネットには1系統のバスと書かれている。向こうからやってきたバスを捕まえる。逆だった...。13時30分ごろ、Place Bellegarde からようやく正しい方向のバスに乗り込む。

0624-05.jpg
セザンヌのアトリエ
Atelier Paul Cézanne

運賃1.1 EUR。バスは右へ行ったり左へ行ったり、郊外の住宅地に入っていく。住宅街の真ん中でバスを降ろされ、途方にくれる。どちらへ行けばいいのか...? 真昼間の住宅街に、通行人は皆無。とはいっても、しばらく歩いていたら通行人が現れた。ポール・セザンヌのアトリエ(Atelier Paul Cézanne)に入る。何の看板も無い裏門のようなところから林の中へ進んでいくと、小さな家の前にたくさんの小学生が居た。遠足だろうか。ともかく、この小学生の話し声が道路まで聞こえてこなかったら、アトリエは発見できなかったかもしれない。 5.1 EUR 払って建物の中に入る。2階のアトリエは復元されたものなのか、それともセザンヌが使っていた品物の実物なのかは知らないが、よく出来ている。小学生の遠足に混じっているので、先生の説明を勝手に聞かせてもらう。私が小学生だった頃は、こんな芸術に触れるような遠足など無かった。単に遠い距離歩かされて、神社仏閣があっても先生が深く説明してくれることも無い。(現在の日本の小学校も怪しいものだが...)

それに比べ、欧米の小学校などではこの手の実地説明が行われているのを何度となく目にする。子供が芸術に興味あるかどうかは知らないが、先生の説明はなかなか機知に富んでいるし、ディスカッション風の授業は私が小学生の頃には体験したことが無いようなエキサイティングなものだ。

帰りもバスに乗ってロトンド噴水(Fontaine de la Rotonde)前まで行く。ロンリープラネットにはセザンヌのアトリエを含んだ広域地図は載せられていないが、ロトンド噴水からセザンヌのアトリエまでの距離は1kmそこそこ。歩いて行った方がいいと思う。

14時10分、Av. Pierre Brossolette のバス停からマルセイユ行きのバスに乗りマルセイユに戻る。

June 25, 2002 (Tuesday)

Train : Marseille -> Arles (マルセイユ → アルル)

7時30分、ホテルを出て Blvd. Garibardi を北へSNCFの駅に向かって歩く。カヌビエール大通り(La Canebière)との交差点のマクドナルドで朝食。(Le Blunch という 5 EUR の物を頼むと、下位メニュー2食分相当の量が出てくる) マルセイユ・サン・シャルル(Marceilles Saint Charles)駅の切符売り場の窓口は長蛇の列。構内の小銭しか使えない自販機で切符(11.2EUR)購入。8時48分発 TER17430 に乗り込む。列車は少し遅れて55分出発。乗り込んだのは、団体の貸切予約が入っている車両のようだ。検札に来たときに車掌が団体が来たら移動するように言っていた。海のように見える Etang de Berre 沿いをしばらく走り、巨大コンビナートのあるMirama を通り過ぎると小高い山を右に左に避けながら北へ向かう。地中海の低木がまばらに生える地域から少し内陸に入ってくると、林が出現する。赤い屋根の地中海地方独特の家々が集まる小さな村が、低地ごとにぽつぽつとある。

Arles - France (アルル - フランス)

0625-01.jpg
ゴッホの「黄色い家」で描かれた場所 - ラマルティーヌ広場
Place Lamartine - Yellow House of Vincent van Gogh

9時55分アルル(Arles)駅に到着。新しく建てられたモダンな駅舎を出ると、広い駐車場があるだけ。町の中心部へ向かう Av. Paulin Talabot を南に歩く。5分ほどで ラマルティーヌ広場(Place Lamartine)に出る。フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵にも出てくるあの「黄色い家(=ゴッホのアトリエ)」のあったといわれる広場だ。第二次大戦の時期に壊されたらしいが、その黄色い家のあった場所のすぐ近くに「黄色く塗ったカフェ」がある。アムステルダムのゴッホ美術館にある絵「黄色い家」はラマルティーヌ広場の横のリベレーション広場(Place de la Libération)から描いたと思うので、それらしきポイントに立ってみる。確かに黄色い家、鉄道の高架線路(残念ながら今は蒸気機関車ではない)の構図とそっくりだ。

これが中国だったら、鉄筋コンクリートで「黄色い家」を復元して、きっちり入場料も取る大観光地になっていたに違いない。

0625-02.jpg
円形競技場 Les Arenes

カヴァルリ門(Porte de la Cavalerie)を通って市街地に入る。門といっても単なる城壁の切れ目程度...。路上駐車であふれかえる道を少し進むと、向こうにローマ遺跡の2重アーチが見えてくる。1世紀から2世紀ごろに建てられた円形競技場 Les Arènes 。136m×107mのその競技場は、ローマ時代にはスポーツ競技・戦車レース・闘人などが行われ、中世のイスラム世界との攻防の時期には砦として使われたとガイドブックには書かれている。(ローマのコロッセオもほとんど同じ使用目的だったと思う。当初は競技場、その後砦。ちなみにローマのヤツは 188m×156mというビッグ・ブラザーだ) 4 EUR 払って中に入る。「近ツーの世界遺産を旅する」と言う本に、「ローマ建築は円形アーチだが、この遺跡は柱の上に水平の梁を乗せた平らな天井のギリシア式の建築」と書かれている。確かに、写真を見直してみると、内部から見た天井付近の構造はギリシアやエジプトの神殿建築とそっくり。外見は円形の天井風に見せてるんですがね...。
競技場の一番高い見晴台のようなところに登る。ココにも小学生が遠足に来ていた。遺跡のことよりも、こちらに話しかけてくることに興味が行っている様だ。アジア人が珍しいのか? 小学生はなんにでも興味を持つのか?

西側を眺める、半円形に盛り上がった2階の屋根には、その昔3階部分があったそうだが痕跡は無い。その向こうにはロマネスク様式の教会(おそらくサン・トロフィーム教会)の塔が見える。北を見ると、市街地の向こうにローヌ川(Grand Rhone)が見える。手前にはルネッサンス様式の小さな教会。競技場をぐるっと一周して外へ。

0625-03.jpg
サン・トロフィームの回廊 Cloître St-Trophime

門が閉ざされた古代劇場(Téâtre Antique)の前を通る。木々の向こうに唯一残った円柱2本のてっぺんの部分が見える。Hotel de Ville の広場に出る。Place de la Republique の Obelisk の付け根には、なぜかネプチューンの口から水が出る噴水が...。まあ、どうでもいいことだが。サン・トロフィーム教会(Église St-Trophime)の修復作業をしている高所作業車の下をくぐり抜けて中へ。内部は... ごく一般的なロマネスク教会です。4世紀から18世紀までは司教座がおかれた大聖堂だったそうですが、その豪華さは無いですね。

一旦教会を出て、すぐ南側の入り口(ガイドブックに別の入り口を探せと書いてなかったら絶対に分からない)から再び中へ。今度は 3EUR の入場料を取られる。サン・トロフィームの回廊(Cloître St-Trophime)を見るだけなんだが、コレがまたすばらしい。余り有名でないのか誰も入場者が居なかったが、コレを見ずして帰るのはなんとも惜しいと言うくらい絵になる眺め。回廊に差し込む光が作り出す微妙な色合いが絶妙。

0625-04.jpg
ゴッホの「夜のカフェテラス」で描かれたカフェ
Cafe Van Gogh at Place du Forum

と、今日の主な観光目的は大体こんなところ。教会を出て、西へ歩いていく。後で気づいたのだが、ゴッホの絵「病院の中庭」の精神病院跡(いまは Espace Van Gogh という名前)を見るのを忘れ、市街地をふらふらと散策した後、ゴッホのカフェ跡(「夜のカフェテラス」の絵に出てくるカフェは、いまは Cafe Van Gogh という名前)を見る。昔はどうか知らないが、ゴッホのカフェより向かいの広場(Place du Forum)にあるオープンカフェのほうがはやっている。

駅に戻る。マルセイユまでの切符(11.2 EUR)と、明日 マルセイユからアヴィニヨンまでの切符(13.6 EUR)も同時に買う。マルセイユの長蛇の列に並ぶのはこりごりだし、小銭がいつもあるとは限らない。プラットホームに出て、ぼんやりとベンチに座る。北行きのホームに騒々しいブレーキ音を響かせてTGVが滑り込んでくる。しかしながら、TGV停車時のブレーキ音は何とかならないものだろうか。(その点、日本の新幹線は静かだがブレーキ方式が違うのだろうか?)
12時10分、TER17705 に乗ってマルセイユに戻る。

Marseille - France (マルセイユ - フランス)

13時05分、マルセイユ・サン・シャルル(Marceilles Saint Charles)駅に到着後 Blvd. Garibardi を歩いてホテルに戻る。途中に中華屋があったので入る。ニースと同じシステムの電子レンジでチンの店だ。(というより、欧州のほぼ全てでこの手の中華屋やベトナム料理屋が大量繁殖している。旅行者にはありがたい存在) 5.4EURで昼食を食べ、ホテルの近辺のBlvd. Garibardi沿いあったインターネットカフェで電子メールのチェック。(20分で2 EUR)

ホテルに戻って少々昼寝。ドイツ×韓国のワールドカップの試合がテレビで放映されていた。審判を買収した韓国が勝つと思っていたが、ドイツの勝ち。(3位決定戦が韓国開催、決勝戦が横浜なので、韓国の開催地で韓国チームが試合をするためには準決勝を負ける必要があると何処かの誰かがネット上に書いていた。まさかそのとおりになるとは...)

0625-05.jpg
「冷房中 !」
"Air Conditioned !" at Place du General de Gaulle

太陽も傾いてきた16時ごろ、再び外へ。マルセイユの南西の丘の上にあるノートルダム寺院に向かう。県庁前を通りかかると、なにやらプラカードを持った人が抗議行動をしている。何しているのか聞くと、自動車事故を減らすために政策転換を要求するデモのようだ。たしかに、フランスは車が多すぎる。(日本も多すぎる。) 国内の自動車メーカーの利権があるため強い政策に出れないのは日本もフランスも同じ。
旧港(Vieux Port)の南側の Rue Sainte をずっと歩いていく。20分ほどで突き当たりにサン・ビクトール修道院(Abbaye St-Victor)の前に出る。11世紀に再建されたと言う、砦風のその修道院に入ってみる。内部は教会と変わらん...が、Wikipediaの記事よれば相当古い建物だそうだ。

修道院前から、港のほうに少し坂を下ったところに、サン・ニコラス砦(Fort St-Nicholas)の入り口がある。スロープを登っていくと、鉄格子の門がぴったりと閉まっている。砦だけあって守りも完璧。忍び込むわけにも行かない。内部を観光客らしきカップルが歩いている。入り口は別のところなんだろう...。「砦の守りは強固だった」と勝手に理由をこじつけて撤退。

0625-06.jpg
ノートルダム寺院
Basilique Notre Dame de la Garde

いよいよ最終目的地のノートルダム寺院(Basilique Notre Dame de la Garde)に向かう。
Blvd. Andre Aune の急坂を登っていく。広い道の両端には車がびっしりと停められている。よくずり落ちてこないものだ。20分ほど坂を登り、やっと教会の麓に到着。バスで来るべきだった...

白黒の石を交互に積み上げたスタイルは、ジェノバでも見かけた形式(19世紀に建てられたローマ・ビザンツ様式)。鐘楼の上にはマリアの像(身長9.7mもあるらしい)が黄金色に夕日を反射している。中に入る。入場料は取られない。内部は茶と白の石を交互に積み上げた形になっている。ジェノバのサン・ロレンツォ大聖堂は重々しい荘厳な内装だったが、マルセイユのノートルダム寺院はそれよりはシンプルで軽やかな感じ。

帰りは教会の前からバスに乗る。料金 1.4EUR。やはり、バスは楽だ。

June 26, 2002 (Wednesday)

Avignon - France (アヴィニョン - フランス)

イタリアの RAIUNO の天気予報を見る。軍服を着た予報官が解説する天気予報は、信頼性抜群だ。予報と言うより、「今日は晴れだと思え」と命令されているようでもある。フランス北部は曇り、南部は相変わらず晴れ時々曇り。(ここ1週間、雲の切れ端ひとつ見なかったが...)
昨日と同じく、カヌビエール大通り(La Canebière)のマクドナルドで朝食後、マルセイユ・サン・シャルル(Marceilles Saint Charles)駅へ。切符は昨日買っているので、(バリデーションを忘れず行い) そのまま列車に乗る。8時50分 TER17430 は昨日と同じ景色をたどって北へ。

0626-01.jpg
大時計広場の大道芸人
at Place de l'Horloge

アルルからさらに10分ほどでアヴィニヨン・サントル(Avignon Centre)駅に到着。10時00分。
マルセイユのような都会でなく、アルルほど田舎ではない町が目の前にひろがっている。町の城門 レピュブリック門(Port de la République)を通って町に入る。並木道の木陰を少し行き、右に曲がったところ(Rue Agricol Perdiguier)にあるペンション Hôtel Splendid に泊まることにする。2泊で71.3EUR。階段の横の倉庫のような独房がこの価格。やたら物価の高い町だ。(この部屋には大量のノミ・ダニ類が生息していて、その夜災難に遭った...) ちなみに、ロンリープラネットではシャワーつきで130FF( =20EUR)なので、50%も値上げしている... 付近のペンションも同じような価格。

荷物を置いて外へ。ペンションのそばにあるツーリストオフィスで地図をもらう。並木道のレピュブリック通り(Rue de la République)をずっと北上していくと、歩行者天国の広場(Place de l'Horologe)に出る。時計塔らしき物は見えないが、市庁舎(Hôtel de Ville)のあるこの広場には、メリーゴーランドが回り、オルゴール弾きやパントマイムの芸術家が集い、オープンカフェが並んでいるいかにもバカンス地の広場という感じだ。

0626-02.jpg
法王庁宮殿 Palais des Papes

その広場を突き抜けてさらに北に行くと、道がいったん狭まり、いきなり目の前に巨大な城砦が威容をあらわす。Palais des Papes (法王庁宮殿と訳すのだろうか?) 1399年から1377年までローマ法王庁が置かれた建物。あとにも先にも、ローマ法王が「ローマ以外でローマ法王を名乗った」唯一の期間として有名だ。銃眼がずらっとこちらを睨んでいる奇妙な建物に入る。門も頑丈そうだ。入場料 11EUR。バチカンのバチカン美術館の栄華を想像していたが、単なるがらんどうの建物。ギリシアのロドス島にある騎士団の館(Palace of Grand Master)より殺伐としている。というより、調度品が何もない... 法王がアヴィニヨンを引き揚げるときに壁紙からカーペットにいたるまですべてを引き剥がして持ち去ったのだろうか?とも思った。近ツーの「世界遺産を旅する」という本によれば、「法王庁には旧宮殿と新宮殿があり、旧宮殿は一切の装飾を排するというシトー派の法王が造ったので装飾はもとより無い。新宮殿と旧宮殿はフランス革命で聖像などが破壊・略奪されたため現在は何も残っていない。」と。もっともな解説です。

その迷路のような法王庁の内部を、たくさんの観光客の流れに流されて、あちらやこちらを見て回る。中央の広場ではフェスティバルの準備で巨大なステージが組み立てられている。そのフェスティバルのせいかどうかは知らないが、館内もかなりの場所が閉鎖されて改修工事されている。中を見るより、外を見たほうが素人の私には「すごい建物だ」と感動を与えるところです。はたして11EURの入場料は高いのか?安いのか...?(ベネゼット橋も入場できる半券がついていますが...)

0626-03.jpg
サン・ベネゼ橋 Pont St-Benezet

法王庁を出て、すぐ北に隣接しているノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre Dame des Doms)へ。尖塔のてっぺんに19世紀に作られた巨大な黄金のマリア像が乗っている。中に入ってみる。普通の教会だ。教会の横のドム岩山(Rocher des Doms)の公園に上る。スロープのところにジプシー少女が二人いて、こちらに絡んでくる。金をくれとか言っているが、無視すると墨をかけてきた。ジプシー 最悪である。なぜこんな民族がいるのか、不思議だ。岩山の上からは町の東側がよく見える。強い日差しであまりにも暑いので、テラスには誰も居ない。川の方へ行ってみる。下を見下ろすと川の真中で終わっているベネゼット橋(Pont St-Bénézet)が見える。観光客が橋の真中まで言って戻ってくる様がよく見える。

0626-04.jpg
Pont Edouard Daladier から見たアヴィニヨン全景
(城壁の向こうに法王庁宮殿が見える)
overview of Avignon from Pont Edouard Daladier

川沿いの坂を下って岩山を降りると、そこがベネゼット橋の入り口。先ほど法王庁でもらった入場券を渡して橋に入る。幅3mほどの橋。12世紀にこんな橋を架けたなんてすごいと思う。(が、ローマ時代にはポン・デュ・ガールの水道橋などもっと大きな橋が架けられていた) 昔の西洋の童謡「アヴィニヨンの橋の上で」の中で「輪になって踊ろ!」と歌われたあの「アヴィニヨンの橋」らしい。頭に「スペインの巨匠ゴヤが宮廷画家をしていたときに描いた少年少女川になって踊っている絵」がふと浮かびました。楽しそうですね...。当時欄干が付いていたかどうかは知らないが、輪になって踊ったら、運の悪いヤツは川に落ちるかもしれない...。童謡って結構いいかげんですね。

ローヌ川を渡る自動車も通れる新しい橋 Pont Edouard Daladier を渡って対岸へ行く。対岸から見たベネゼット橋と法王庁が一番絵になっていた。

0626-05.jpg
夕暮れの大時計広場
Place de l'Horloge at evening

夕食はPlace Jerusalemのベトナム料理店で食べる。セットメニューで 6.5 EUR。日本人ツアー客が何人か食べに来ていたが、夕食はツアーに付いていないのだろうか? 食後、SNCFの駅へ。明後日(6月28日)のパリ行きのチケットを買う。TGVの2等車で74.6EUR。

その夜、結局寝られなかった。ベッドがノミ・ダニで一杯なのだ。電気を消すと、急にベッドの下から湧き上がってくる。虫除けスプレーをベッド中に散布しても無意味。おまけに、(窓の無いこの部屋では)一晩中気温が31℃より下がらない。結局、このノミ・ダニにこの後1週間悩まされることになる。(皮膚科を受診したところ、ノミ・ダニにやられたときは、全ての衣類を熱湯消毒しないといけないらしい。コインランドリーで真っ裸になるわけにもいかないし、なかなか難しい問題だ。)
ちゃんとバルサン焚いているのか!! と安宿の経営者に言いたい。

June 27, 2002 (Thursday)

map-gard.png

Pont du Gard - France (ポン・デュ・ガール - フランス)

0627-01.jpg
ポン・デュ・ガールのバス停近くの標識
at BUS STOP "Pont du gard , Route départ. 981"

朝、ホテルの番人(経営者ではない)に抗議。部屋を変えろと言ったが、ダメだと言う。何の権限も無い人間にいくら言っても埒が明かない。ダメだ...
とりあえず、バックパック1個部屋に残し、外へ。ホテルごときの問題で観光をおろそかにするわけには行かない。泊まる所は、いざとなればローヌ川沿いのキャンプ地で野宿と言うことだ。

昨日ツーリストオフィスで教えてもらった(駅のすぐ東側の)バスターミナルへ。7時40分発のバスは、10分遅れの7時50分にやってきた。学生何人かと、私を乗せて出発。ローヌ川を渡って、N100号線をまっすぐ西へ。まばらに生えた林がところどころにあり、牧草地などが車窓に広がる。N100から南にそれて、Domazan 村に続く細い道沿いは何処までも続くブドウ畑。8時20分、リムーラン(Remoulins)の町のバス停(Remoulins College バス停)に到着。各方面へ行くバスが一旦ここに集まって乗り換え出来るようになっているようだ。先ほどまで乗っていた学生が降りて行き、新たな学生が乗ってくる。(ニームから来たバスと、ウゼスから来たバスも横に停まっている)

0627-02.jpg
ポン・デュ・ガール (上流側より) Pont du Gard

乗客を交換し終えると、バスが出発。鉄道駅のようなものが見えたが、気のせいだろうか... (地図にはこの辺りに鉄道路線は出ていない)。 道路標識に「← Pont du Gard rive droite , Pont du Gard rive gauche →」というのが出ている。日本語に訳せば「ガール橋右岸、ガール橋左岸」というとろこだろうか。いよいよ近づいてきたと言う感じだ。バスは右(北)へ。つまり左岸を目指している。次のバス停で全ての学生が降り、バスはがら空き。8時30分、バスの運転手がガール橋入り口のバス停だと教えてくれた。バス停の正式名称は Pont du gard , Route départ. 981。旅行客じゃなさそうな若い女性2人も降りて、分岐した道路をどんどん歩いていく。Pont du Gard まで1km の標識がある。若い女性が歩いていった方向であっているようだ。しばらく行くと、ショッピングセンターのような巨大な建物と駐車場が目の前に現れる。1台の車も停まっていないショッピングセンター。ちょっと気味悪いです。近づいてみると、観光センターだった。女性はどうもそこの職員の模様。しかし、 Pont du Gard って全然はやってないですね。客が誰も居ない...。朝早すぎるのだろうか。とりあえず、道は観光センターで終わっているので、中に入るしかない。建物の間を抜けていくと、その向こうに道が続いている。林を抜けると、目の前に巨大な水道橋が姿を現した。

0627-03.jpg
ポン・デュ・ガールの最上部、かつては水が流れていた

高さ49m、最上段(3層目)の延長が275m、幅3m。(1日20,000m^3 の水が流れていたそうだ)紀元後1世紀ごろのローマ帝国が作った橋らしい。1900年近く、よく崩れずに存在しているものですね。近寄ってみると、最下段(1層目)の人間の渡る部分がやけに新しい。河原に下りてみて下からよく見てみると、人間が渡る部分は「オリジナルの水道橋に違和感の無いように、付け足した新しい部分」のようだ。18世紀に道路として利用されたそうなので、そのときに増設されたものなのだろうか。頂上付近まで登ってみる。ドイツ人の家族が1組途中ですれ違っただけで、他には誰も居ない。水が流れた水路の部分は案外狭い。京都の南禅寺にある水道橋の水路幅とそんなに変らないようにも感じる。水路は、山に当たりトンネルになっている。トンネルの向こう側まで行ってみる。そこで水路は途切れている。ココから先は完全に壊されてしまったのだろうか。
観光センターまで戻る。途中何人かの観光客とすれ違う。10時ごろになり、やっと観光客がやってきたようだ。次のバスは11時25分発。やっと開いた観光センターに入って休む。水道橋の歴史を展示した展覧会をしているようで、小学生の団体が来ている。

11時15分ごろ、バス停へ。古い土壁の建物の影に立って、はるか西からやってくる車をぼんやり眺める。バスは20分遅れの11時45分にやってきた。5.4EUR 払ってバスに乗る。Remoulins College バス停を経由して、ニーム(Nîmes)に向かう。うとうと寝ていると、12時20分ごろニームのSNCF駅前に到着。

Nîmes - France (ニーム - フランス)

0627-04.jpg
メゾン・カレ
Maison Carre

バスを降り駅と反対方向に歩く。シャルル・ドゴール公園(Esplanade Charles de Gaulle)の向こうに巨大な円形競技場(Les Arènes)が横たわっている。アルルにある円形競技場より若干小さいようだが、どちらも巨大なことには変りは無い。アルルで円形競技場に入ったので、ここには入らずに更に北のメゾン・カレ(Maison Carrée = 直訳は「四角形の家」)を目指す。
マロニエの並木道 ビクトル・ユーゴ通り(Blvd. Victor Hugo)を歩いて行き、ガラス張りの美術館(Carré d'Art)のところまで来ると目の前にローマ風建築が姿を現す。アテネのアゴラのような感じの建物だが、紀元後1世紀ごろに建てられたローマ帝国の寺院。今までに見たこの手の建物で、完全な形で残っていたのはココとアテネのアゴラ遺跡の寺院(Temple of Hephaestus , Ancient Agora : 哲学者のソクラテスが思索を練ったところとして有名)くらいだ。
ロンリープラネットでは、この寺院の用途は、「アウグゥストゥスの息子をたたえる寺院 → 集会所(中世) → 個人の家 → 家畜小屋(17世紀) → 教会 → 遺跡指定(革命後)」という使われ方をしてきたそうだ。それにしても、「家畜小屋」とはね。(対するアテネのパルテノン神殿は、トルコ軍の弾薬庫として使われたこともあるのだから、目的外利用は何処にでもある...)
中に入ると、この寺院の調査記録や往時の姿を示したイラストなどが展示されている。(入場料無料)

街の中をのんびり歩いて駅に向かう。13時21分発の TER76018 に乗り アヴィニヨン(Avignon)に戻る。(アヴィニヨン着 13時50分。運賃 7.1EUR)

Avignon - France (アヴィニョン - フランス)

0627-05.jpg
Rue des 3 Faucons のコインランドリー
Laundrette at Rue des 3 Faucons

ホテルに戻ると、宿の主人が部屋を替えてくれるという。1フロア下の2階の同一形態の部屋。虫が居ないだけ遥かにましだ。
ペンションから少し東に行ったところ(Place des Corps Saints)にあるコイン・ランドリーに行く。虫が付いていたらいやなので、ほぼ全ての衣類を洗う。(が、結局今着ているシャツに数匹付いたままだったようだ...) 洗濯(5kg) 2.6EUR、乾燥(30分) 1.5EUR、洗剤 0.3EUR。イギリス人のパッカーが、靴まで洗っていたのには驚いた。洗えるんだ。靴も...。

夕食は法王宮殿に行く途中の市庁舎前の広場(Place de l'Horologe)に出ているオープンカフェスタイルのレストランでスパゲティーを食べる。あんまり美味しくないね...。欧米の団体客って、こういうところで美味しそうに食事しているが、本当に美味しいと思っているのだろうか。

19 時頃、SNCF駅に行き、モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)への行き方について相談する。ロンリープラネットではポントルソン(Pontorson)駅からバスが1日に9本程度あると書いてある。駅の予約センターの係官の話では、パリからレンヌ(Rennes)までTGVで行き、そこから直通バスが出ているそうだ。バスのチケットも同時に発行できるそうなので、往復の切符をまとめて買う。往路のTGVとバスが 65.8EUR、復路が 55.3EUR。7時05分にパリを出て、18時25分に戻ってくる、ほぼ1日のツアーのようである。民間バス会社の切符もまとめて買えるとは、初めて知った。便利ですね。