アルプスから地中海、ブルターニュからベルギー 旅日記
  : パリ - モン・サン=ミシェル - ルーアン - ランス

June 28, 2002 (Friday)

Train : Avignon -> Paris (アヴィニョン → パリ)

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TGV Duplex (マルセイユ駅で撮影)

ホテルで朝食を食べ、駅へ向かう。暑くて寝苦しいのも今日までだ...。今夜以降は涼しい地域だ。駅から吐き出されてくる通勤客(圧倒的に女性が多い)とすれ違って駅に入る。

8時45分発のTGV6194に乗る。1分遅れでアヴィニヨン・サントル(Avignon Centre)駅を出発。車内はがらがら。車両はTGV PSE型。昔はオレンジ色のオリジナル塗装だったが、今は他形式と同じく銀色に塗られている。列車は時速100km/h程度でのんびりと農村地帯を駆け抜けていく。高速専用軌道(LGV)じゃないので、TERなどの快速列車と同じ扱いだ。Orange (9時00分 頃)、Montelimar (9時30分 頃)、Valence Ville (9時55分頃)とのどかな田舎駅に停車していく。ヴァレンス駅では駆け込み乗車のため発車直後の列車が急停車していた。在来線を走る良さみたいなものですね。小さな駅に頻繁に停まっていくので気になるのかもしれないが、停車時のブレーキ音。車内でもかなりうるさいです。(車外で聞いているときほどでは無いけれど。 TGVの売り文句 le silence pour soi ensemble ... とのギャップは激しいです。)

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TGV 2等車の車内

ヴァレンスを出るとすぐに2001年6月に開通したリヨン 〜 マルセイユの新しい高速専用軌道(LGV Méditerranée)と合流する。すぐ東側下に真新しいヴァレンスTGV(Valence TGV)駅が見える。TVM標識を通過すると、列車はやっとスピードを出し始めた。トンネル(与圧を保てないTGVではトンネルの高速通過は耳鳴りを引き起こす...) を2つ通り抜け、10時30分にガラス張りの リヨン・サン・テジュベリ空港(Lyon-St Exupéry(TGV)) 駅に到着。

リヨン辺りから雲が多くなってくる。地中海地方の真夏の雲から、春の雲へと移り変わる。車窓の風景も涼しそうに見える。300km/hで走るTGV車内には緩やかな太陽光線が差し込み、がらがらの車内では多くの人がうとうとと昼寝。日本の新幹線と違い、ほとんど人家の無い緩やかな起伏の土地をまっすぐ走っているので、列車はほとんど揺れない。先ほどまでの在来線区間とはえらい違いだ。10分に1本程度対向列車とすれ違う。

12時30分頃、パリ近郊に差し掛かり列車の速度が遅くなる。シャルル・ドゴール空港やベルギー方面へ向かうインターコネクション路線(LGV Interconnection)と分岐すると一気に速度が落ちて、そのうちパリ郊外の在来線に入る。すぐ横を近郊列車が追い抜いてゆく。12時50分、パリ・リヨン駅(Gare de Lyon)に到着。

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

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サン・ジェルマン・ロクセルワ聖堂 (ルーブル南側)
Église Saint-Germain-l'Auxerrois

駅構内にあるツーリスト・オフィスに行く。40EUR以下で泊まれる所は無いかと聞くと、きっぱりと「無い」と言う答え。(数日後にリヨン駅近くにも40EUR以下のホテルを発見したので、このオフィスは高いところしか案内したくないようだ...) ドミトリーでいいから何か無いのかと聞くと、すぐ近くの Hostel Blue Planet というところを紹介された。30分以内に行かないと予約を取り消すそうだ。

駅を出る。涼しい。スイス以来の快適な気温だ。紹介されたドミトリーは、駅を出てすぐ右手にあった。1泊18EUR。とりあえず4日分払う。鍵は部屋に1本なので、部屋に居るやつに開けてもらえということだ。狭い階段を登り3階の部屋へ。扉を叩いてみたが、中には誰も居ないようだ。レセプションで鍵をもらい、再び部屋へ。荷物を置き、外に出る。

リヨン駅の近くの Rue Parrot に中華屋を発見。4.6EUR で昼食。3日ぶりの中華は、やはり美味しかった。リヨン駅に行く。地下鉄の切符を買おうと思うが長蛇の列。一駅向こう(Bercy駅 M14とM6が走っている)まで10分ほどかけて歩く。こちらの窓口は、誰も並んでいない。係官に「3日ほどパリに居て、6回くらい乗るんだけど、どの切符がいいかな?」と聞く。お勧めは「カルネ(Carnet)」らしい。1枚1.3EURの切符が10枚セットだと9.6EUR。約25%OFF。とりあえず10枚買い、地下鉄14号線に乗ってシャトレ(Châtelet)駅へ向かう。数年前に開通した最新の14号線は、ゴムタイヤ・ホームドアなど新しいタイプの地下鉄で、駅数が少ないのが魅力だ。シャトレ駅も新しくなっており、地下に大きなショッピングモールまで出来ていた。地上の歴史的建物の雰囲気を壊さない代わりに、地下は大胆なデザインだ。

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ゴッホ展示室 , オルセー美術館
Vincent van Gogh room , Musée d'Orsay

ルーブル美術館(Musée du Louvre)の横を通り抜け、セーヌ川(Seine)を渡って左岸に出る。絵画や書籍の露天などを眺めながら下流に向かってしばらく歩くと、オルセー美術館(Musée d'Orsay)に着く(14時30分)。入場券売り場には数人並んでいる程度。7EUR 払って中に入る。1階の彫刻。ロダン「地獄の門」は上野の西洋美術館前にも置いてありますね。こちらのは白いですが。ルクソールの修復を展示したコーナーでは、昨年訪れたエジプトを思い出したり。2階に上がり、昨日まで暑い中をめぐって来たセザンヌやゴッホの名作がじっくり見られる。(ゴッホは、アムステルダムのゴッホ美術館のほうが分かりやすく展示されてますね。)
ルノワール、モネ、ドガ、ゴーギャン... 絵画マニアで無い私でも分かるほど、「美術書とそっくり」の絵画が次から次へと現れるさまは、感動ものです。セーヌ川沿いの屋上に出ると、遥か向こうのモンマルトルの教会のドームが白く輝いてます。約2時間30分ほどぶらぶらと鑑賞した後、外へ。出口のところには美術館の土産物屋が入っているけれど、特に買いたいものは無かった...。

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コンコルド広場の噴水とオベリスク(左側)
Fontaine Place de la Concorde

再びセーヌ川を渡り、右岸へ。コンコルド広場(Place de la Concorde)ではイベントのステージを組み立て中。そろそろ夏のバカンスシーズンなのでその準備なのだろう。広場の中央付近には、ナポレオン3世の時代にルクソール神殿から盗んできたオベリスクが堂々と建っている。大気汚染のせいかどうかは知らないが、表面が真っ黒に汚れている。ルクソールに残っている左側のものは薄茶色をしていたような記憶がある。(→ 写真集のエジプト編に写真があります)

満員の地下鉄1号線に乗り、リヨン駅に戻る。夕食も(昼入ったところとは違う)中華屋で 7.2EUR のセットメニューを食べる。ドミトリーに戻り、寝る。

寝ようと思うが、あやしいスウェーデン人の男2人組が奇声を上げるわ、夜中に部屋から出たり入ったりするわで寝ることすら出来ない。私は早い時間にベッドを確保したのでベッドがあるが、3人程度は床に寝ていた。なんだか怪しいドミトリーだ。

June 29, 2002 (Saturday)

Train : Paris -> Rennes (パリ → レンヌ)

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モンパルナス駅 Gare Montparnasse , Paris

5時30分、ドミトリーを出てリヨン駅の横を通って地下鉄ベルシー(Bercy)駅へ向かう。早朝にもかかわらず、駅構内にはぱらぱらと乗客が列車を待っている。5時45分の地下鉄(6号線)に乗りモンパルナス(Montparnasse Bienvenüe)駅へ。約15分でモンパルナスに到着。TGVの出発まで、約1時間ある。駅構内のカフェはすべて閉まっていたので、駅の外に出て Avenue du Maine のバーに入る。コンチネンタル・ブレックファースト(6.1EUR)を食べて列車の発車時刻まで時間をつぶす。付近のカフェがすべて閉まっているので、このバーは大繁盛だった。

7時05分発の TGV8703 (ブレスト Brest 行き)は定刻どおりモンパルナス駅を出発。列車はパリ市街を抜け、すぐに田園地帯を最高速度(300km/h)で走り出す。ル・マン(Le Mans)からは在来線を走り出し、速度がぐっと落ちる。パリの次の停車駅がレンヌ(Rennes)駅。9時08分に到着。

Bus : Rennes -> Mont Saint-Michel (レンヌ → モン・サン=ミシェル)

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Beauvoir村からモン・サン・ミッシェルへ向かう道より

列車を降りて、駅から出る。ガラス張りのモダンな駅舎のすぐ右手に、こちらもガラス張りのバスターミナルが建っている。モン・サン・ミッシェル行きのバスは9時45分定刻どおり出発した。(運賃は11EURだが、私はTGVとの通しの切符のため0.5EUR割引があった。) 50%ほどの席が埋まり、ほとんどが観光客。日本人も10人程度居る。レンヌの街を抜けて、田園地帯を走り出す。小麦畑や牧草地が何処までも続く丘陵地。ぽっかりと浮かぶ雲は、日本で春秋に見られる種類の雲。D175/E03号線をまっすぐ北に向かい、ロンリープラネットで鉄道からの乗換地点として書かれていたポントルソン(Pontorson)を10時30分ごろ通過する。SNCF駅からは誰も乗ってこなかった。

Beauvoir という村(直訳すれば、「すばらしい眺め」村。)に差し掛かると、バスのはるか前方にモン・サン・ミッシェルの頂上(の教会)が見えてくる。この村の道路沿いは、観光客向けのホテルが立ち並んでいる。村を抜けると、海に出る。はるか向こうのモン・サン・ミッシェルまでわずかにカーブした道路が造られている。以前は道路では無く、砂洲で結ばれていたそうだ。世界遺産なら、道路を撤去して砂洲にするくらいの景観保存があってもいいと思う。
11時00分、モン・サン・ミッシェル前の駐車場に到着。

Mont Saint-Michel - FRANCE (モン・サン=ミシェル - フランス)

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城壁から修道院へ向かう階段
steps from Le Chemin de Ronde

それにしても、海の真ん中の小島によくこれだけ密集した建物を建てたものである。どこまでが自然の地形で、どこからが人工的に造られたものなのか外からではよく分からない。(スターウォーズに出てくるデス・スターや天空の城ラピュタのように完全に人工物というわけではなく、岩山の表面を完全に建物が覆っただけなのだろうが...)

要塞島の入り口である前哨門(Porte de l'Avancée)を通って中へ。ツーリストオフィスやトイレがあり、右に折れると王の門(Porte du Roi)がある。二重の門でガードを固めていたわけか...。島内に入る。グラン・リュ(Grande Rue)という狭い道が遥か上の修道院まで続くメインストリート。レストランや土産物、その他観光客がほしがりそうな商品を売る店が軒を連ねいてる。すぐ目の前の洋服屋には「セントジェームスの店」と日本語で書かれている。Saint の発音が「サン」ではなく「セント」なところがフランス人を馬鹿にしている。(モン・「サン」・ミッシェルにある店とは思えない大胆さ...) 店には興味が無いので、路地を通って海沿いの城壁(Le Chemin de Ronde)に出る。こちらはほとんど人が歩いていない。下を見下ろすと、泥んこの干潟が見える。どこかで見たような景色...。長崎県の諫早湾。こういうところにはムツゴロウ(はぜみたいな魚)が居るのかな?

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モン・サン・ミッシェルの修道院 Eglise Abbatiale , Mont Saint Michel

城壁(Le Chemin de Ronde 直訳は「円形の通路」)の上をずっと歩いていくと、砦みたいなもの(La Tour Boucle)があります。そこからひたすら階段を登ると、目の前に修道院の入り口の階段(Le Grand Degre)が見えます。バス停からだいぶ登ってきました。修道院に入ります。入り口を入ると切符売り場。入場料 7EUR 払います。その先は、さらに坂道... 今度は建物に囲まれた内側の坂道です。建物の間をつなぐ通路(The Interior Grand Degre)が頭上を横切り、遥か上には教会のゴシック様式の尖塔が見えます。雰囲気としては、天空の城ラピュタみたいですね。観光客が結構歩いているのが気になりますが...

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修道院の回廊 , Cloître of Abbaye du Mont Saint Michel

やっと頂上に着いた。ぱっと視界が開け、遠くの干潟まで見渡せます。ロマネスク様式の聖堂(Eglise Abbatiale)の入り口がある。ちょっと薄暗い中に入る。客席のある身廊(Nave)の柱はロマネスク、奥の後陣のステンドグラスはゴシックの華麗なもの。団体客が説明に聞き入っている。見学順路に従い聖堂を出ると、列柱に囲まれた庭(Cloître)に出る。列柱の間からははるか西の干潟が見える。まるで空中に浮かぶ庭園のようだ。回廊庭園を抜けると、修道院の内部へ見学順路は続いていく。

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修道院の貴賓室 , Salle des Hotes , Abbaye du Mont Saint Michel

下層階に下りていくほど柱の太さが太くなり、部屋も地味なものになっていく。以前使われていた荷物引き上げ用の巨大な木製ホイールもある。土産物屋などがあるところを抜けて、修道院から出る。修道院の外周を回るようにして、再びグラン・リュ(Grande Rue)に戻る。バーに入り、サンドイッチで昼食。6EUR。修道院入り口のすぐ下にジャンヌ・ダルク聖堂(Eglise Janne d'Arc)というのがあった。今度はグラン・リュの山側の道を行く。ジャンヌ・ダルク聖堂の裏手は墓地。遥か上を見上げると修道院のゴシック様式の尖塔が天を刺している。最も高い塔の針の先端には金色の天使像が、柔らかな光を浴びて輝いている。

バス停へ。14時発のバスは定刻に出発。観光客20人ほどを乗せて、南へ。ポントルソン(駅の近くの交差点)で数人の旅行者が降りていった。ほとんど車の通らない田園地帯の道を、1時間ほど走りレンヌに到着。

Rennes - FRANCE (レンヌ - フランス)

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モン・サン・ミッシェルの前哨門の窓

TGVの出発時間まで1時間ほどある。駅の切符売り場へ行き、3日後のベルギーへの切符を買う。アヴィニヨンでアントワープのユースホステルを予約したので、「アントワープ」までのタリス(Thalys)2等車の切符を買おうと駅員に注文。「アントワープ」という名前がまずいのか、駅員同士「アントワープってどこの駅だっけ? えっ、確かベルヘムだった。 ...」とちょっと心配なおしゃべりをしている。 「あるよね?アントワープ?」と聞いてみると、「それは、ベルヘムだ。」となぞの答え。切符を見ると「 PARIS NORD -> BERCHEM 」となっている。「え゛っ、なんじゃぁ〜この地名?」
フランス語ではアントワープのことを「ベルヘム」と言うのか? (ANTWERP : フランス語、 ANTWERPEN : オランダ・ドイツ語。 BERCHEM はどう見てもドイツ語っぽい...) 駅員曰く 「とにかくベルヘムで降りてみ!」だと。値段65EUR。

その後、市内をちょっと観光して駅に戻る。16時05分発 TGV8746 に乗り、パリに戻る。この列車、20両編成でレンヌのホームをはみ出さんばかりの長大編成。朝の列車と違いル・マン(Le Mans)に停車した。(Laval 16時40分、Le Mans 17時30分 の2駅途中停車) ちなみに、朝の列車もこの列車も満員だったので、乗車直前に切符を買っても席が無い可能性がある。モンパルナス到着直前に、ほぼ全速力(300km/h)近くでトンネルに突入。一気に減圧(手元の気圧計では1012hPs → 980hPa)。周囲のたくさんの乗客が、耳を押さえていた。日本の新幹線のように与圧構造にしないとトンネルはつらいね。

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

18時30分、パリ・モンパルナス(Paris Montparnasse)駅着。モンパルナスの地下鉄駅では、新型平面エスカレーターがほとんど完成に近づいていた。「ロシア並み」の速度を実現するらしい。(やれやれ、やっとロシアの技術力に追いつくのか... 1ヵ月後、人間がエスカレーターの速度の進化に追いつかず、けが人続出で閉鎖されたと言う噂を聞いた。)

さて、ドミトリーに戻る。このひどい場所を脱出すべく、明日は他のホテルへ移ろうと思う。レセプションに行って(残りの2日分を)キャンセルするから(18EUR×2を)返金しろと言ったが、難癖をつけて返金不可だった。普段はどうなのか知らないが、ゲイ・パレード(gay Pride)が本日29日に開催されている加減もあって、「トンデモ人種」がこのドミにも大量に泊まっていて夜中じゅう大騒ぎ。ドミの部屋で「男同士で夜中にヤルな! ヴォケ」とも思うが、あちらの世界の人たちにはかかわらないほうが...

June 30, 2002 (Sunday)

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

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サン・ラザール駅 Gare St-Lazare

朝、レセプションの番人が変っていたので、もう一度返金しろと言いに行くが、「警察に行け、もう来るな!」だと。客の扱いも最悪です ブルー・プラネット(Hostel Blue Planet)。

ということで、ホテルを移ります。リヨン駅から程近い Rue Traversiere の Hotel St. Hubert に移ります。1泊55EURですが、ホテル代の高いパリでこの値段は仕方ないですね。ホテルに荷物だけ預かってもらい、8時44分発の RERのD線で北駅(Gare du Nord)へ。駅前のマクドナルドで朝食(Le Blunch 5EUR)。そこから歩いて10分ほどの東駅(Gare de l'Est)へ行き、ランス(Reims)への列車の時刻を聞く。次の列車は12時12分。(えっ、8時05分の次が12時12分? すごいローカル線?) それならと、駅員にルーアン(Rouen)への行き方を聞きます。サン・ラザール(Saint Lazare)駅から1時間おき程度の頻度で列車があるようです。地下鉄4号線に乗り、Réaumur Sébastopolで3号線に乗り換え サン・ラザール駅へ。(セバストポリって、ロシアのクリミア半島のあの軍港に関係あるのかな?)

Rouen - FRANCE (ルーアン - フランス)

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大時計通り Rue du Glos Horloge

切符売り場はココも長蛇の列。1人当たりにかかる時間が長いので、10分以上並ぶことになる。サン・ラザール駅 10時44分発の TER3193 Dieppe 行きでルーアン(Rouen)に向かう(運賃 往復で 33EUR)。2階建ての列車は超満員。ほぼ全ての乗客は 11時20分に停車した Vernon で下車した。イベントでもあるのだろうか。昨日のモン・サン・ミッシェルへの道程と違い、林が目に付く。パリを出たときは晴れていたのだが、だんだん曇ってくる。天気予報では、今夜から雨の可能性もあるようだ。12時10分、ルーアン(Rouen Rive Droite)駅着。2階建ての列車を降りると、肌寒い。

駅構内の時刻表で帰りの列車の時間を調べる。14時23分、16時03分、16時42分... 。帰りは心配なし、と。

駅の外へ出る。どんよりとした曇り空。雨がぽつぽつと降っているような感じもする。駅は街の北の端にあるので、ジャンヌ・ダルク通り(Rue Jeanne d'Arc)を南に向かう。少し行ったところの左手に、ジャンヌ・ダルクが幽閉されたという塔(La Tour Jeanne d'Arc)が見える。窓の無いずんぐりむっくりの塔だ。帰りに見ることにして、そのまま直進。
ほとんど人通りの無い(車もほとんど通っていない)メインストリートを10分程度歩くと、旧市街の中心部と思しき場所に出る。東(左)へ折れ、繁華街の大時計通り(Rue du Gros Horloge)を行き、時計塔をくぐって向こうへ出ると、ノートルダム大聖堂(cathédrale Notre Dame)が見えてくる。

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ノートルダム大聖堂
Cathedrale Notre Dame

クロード・モネの絵(←オルセー美術館所蔵)で有名な、あの大聖堂です。モネといえば、今朝列車に乗ったサン・ラザール駅を描いた絵もオルセー美術館にある。しかし、今日ルーアンに来たのは、ジャンヌ・ダルクの映画を見て興味を持ったから...

ファザード(正面)から見る両側の尖塔は形が違う。ゴシック建築で有名なこの教会で、左側の塔はロマネスク様式の雰囲気が少し残っている。窓のアーチなどはロマネスク+α程度か...。中に入る。ちょうどミサの最中。客席の半分より前はミサを聞く教徒がずらっと座っている。遠慮しがちに側廊(Aisle)沿いに見てまわる。袖廊の横にジャンヌ・ダルクのチャペル(Chapelle Jeanne d'Arc)を見つける。マリア様になったジャンヌ・ダルク像の台座には光り輝く剣が捧げられている。ロンリープラネットには masterpiece of French Gothic architecture と書かれているだけあって、なかなか見ごたえがある。

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裁判所 Palais de Justice

大聖堂を出て、時計塔周りの旧市街を見て歩く。木組みの家は、どこかドイツを髣髴とさせる。旧市街の北の端には裁判所(Palais de Justice)がある。焼け焦げた色をした建物には、弾痕が今も残る。第二次大戦の銃撃戦で付けられた跡らしい。ロンプラには「ルーアンの旧市街は第二次大戦でとんでもない損害をこうむった。しかし、苦心して元の姿に修復した」と書かれているので、あらゆる建物が修復・補修されたものなのだろう。(木組みの民家は昔風に建てられたものなのだろうが...)

メインストリート(ジャンヌ・ダルク通り)を渡り、旧市街の西側へ。旧市場広場(Place du Vieux Marche)には教会の基礎の形をした残骸がある。ジャンヌダルク聖堂(Eglisr Jeanne d'Arc )の跡地。およそ570年前に、この場所でジャンヌ・ダルクが火刑により処刑されたと言う場所。広場の中心には、現代風のパビリオン 新ジャンヌ・ダルク聖堂が建てれている。窓から中をうかがうと、新たに作られたジャンヌ・ダルク物語のステンドグラスが一面にはめ込まれている。入り口は閉まっているが、窓から見るだけで十分だ。(観光用のステンドグラスを見るために、入場料を払うつもりも無い) パビリオンの裏手は、本当に小さな市場になっている。

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ジャンヌダルク聖堂の廃墟
ruin of Eglise Jeanne d'Arc

南に歩いていくと、セーヌ川に行き当たる。下流には巨大な客船らしき船が停泊している。海からココまで上って来られるようだ。(ルーアンの橋をくぐることは出来ないので、ココまで。) ジャンヌ・ダルク橋(Pont Jeanne d'Arc)の傍らには、破壊しつくされた建物の残骸が残っている。再び旧市街の時計塔まで戻り、Quick(フランスでよく見かけるハンバーガー屋)でチキンサンドとサラダ(9.1EUR)を食べる。

駅へ戻る道すがら、ジャンヌ・ダルク塔(La Tour Jeanne d'Arc)を見に行く。といっても、駅のすぐ前なんだが...。 窓の無いじめっとした感じの、ずんぐり塔。窓の代わりに、かなり高い位置に線上の空気口が何個か付いているだけ。フランスの救世主も、こんなところにぶち込まれていたわけですね...。

14時25分の TER3144 でパリに戻る。列車は満員、列の先頭に並んでいたので、何とか席にありつくことは出来た。隣の青年が読んでいたパソコンゲームの本を貸してもらい、フランスのゲーム事情を仕入れているうち、15時40分、パリ、サン・ラザール駅着。

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

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サント・シャペル Sainte-Chapelle

地下鉄3号線にのり、再びセバストポリ駅で4号線に乗り換えシテ駅(Cité)で降りる。地上に出ると、警察署(Prefecture de Police)の前。警官がのんびりと警らしている。その向こう(東)にはラ・コンシェルジュリー(La Conciergerie)の宮殿のような建物が見える。14世紀に王宮の一部として建てられたそうだが、フランス革命時には監獄として利用されたそうだ。マリー・アントワネットも処刑される直前までここに収監されていたそうである。その建物の横にくっ付くようにして、目的地のサント・チャペル(Ste-Chapelle)のゴシック尖塔が見える。正門では、X線で荷物検査。5.5EUR払って中に入る。1248年にルイ9世の礼拝堂として造られたそうだ。中に入る。狭い階段を登って2階のチャペルへ。ステンドグラス、バラ窓の豪勢さには圧倒される。見渡す限り、周りをステンドグラスに囲まれたと言う感じだ。ステンドグラス越しに差し込む太陽の光が、ガラス以外の部分に塗られた金色の塗装に反射して、部屋中が黄金に輝いているような感じだ。さすが、金持ちのフランス国王が趣味で作っただけはある。

ついでに、ノートルダム大聖堂(Cathedrale de Notre Dame de Paris)にも行ってみる。やはり長蛇の列。特に急ぐ必要も無いので、のんびりと行列に並ぶ。入り口を入ってすぐのところには多くの蝋燭がともされており、やわらかな光が周囲の人を照らしている。身廊の真ん中を歩くと、天井は見上げるように高い。飛梁(Flying Buttress)が外部から支えているとはいえ、この高さの壁を建てられるのは地震が無い国ならではだと思う。交差部の側廊の端にあるバラ窓はサント・チャペルのものより大きくてきれいに見える。

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ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame

大聖堂を出て、セーヌ川を渡りシャトレット(Place du Châtelet)へ。戦勝記念碑のような塔が建っている。正式名称はナポレオン戦勝記念碑。記念碑の基部には噴水(Palm Fountain)があり、スフィンクスの口から水が吹き出ている。(噴水は1808年に建てられ、スフィンクスは1858年に追加されたそうである。) 悪趣味...。そこから東向きにリボリ通り(Rue de Rivoli)を20分程度歩いていくと、バスチーユ広場(Place de la Bastille)に出る。ここにも戦勝記念碑のような塔が建っている。正式名称は7月革命記念塔(Colonne de Juillet)。1830年7月の革命犠牲者のために捧げられた黄金の自由の女神が頂上に立っている。昨日はこのあたりで「ゲイ・パレード」をやっていたのだろうか。スケートボードの若者がたくさん居るところを横切って、リヨン駅へ向かう。

ホテルの近くのAvenue Daumesnil に沿って鉄道の高架線路のようなものがある。その高架線路の上に木が生い茂り、人が歩いている。不思議に思って高架沿いに歩いていると「駅の入り口階段」を見つける。プレートには「Le Promenade Plantee」と書かれている。登ってみると、公園になっている。なんでも1969に廃止された鉄道高架橋(バスチーユ 〜 プチ・サンチュール間の鉄道)を再利用しているようだ。よく手入れされた庭園道路で、郊外の住宅街に居るような雰囲気だ。

July 1, 2002 (Monday)

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

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廃線の高架橋上に作られたプロムナード・プランテ Le Promenade plantée

リヨン駅へ。昨日より1時間早い7時20分頃のRERのD線で北駅(Gare du Nord)へ。駅前のマクドナルドで朝食(Le Blunch 5EUR)。東駅(Gare de l'Est)へ歩いて行き、ランスへの往復切符(38.2EUR)を買って、駅員に列車の時刻を聞く。列車は、数分前に出たばかりで、次は11時04分発。昨日よりは少しましだが、平日でもこんなに閑散とした路線なのか...。時刻表をもらうと、確かに閑散としている。(月〜木:7時17分、8時05分、 11時04分、12時12分、13時19分、... 8時から11時まで列車が無いのは不思議だ。)

と、愚痴っても仕方が無いので、その辺りの街並みでも見てくることにする。
東駅(Gare de l'Est)正面を出て、セバストポリ通り(Blvd. de Sebastpol)をシテ島(南の方)へ向かう。通勤時間帯だと思うが、思ったより人通りは少ない。地下鉄駅「水の城(Chateau d'Eau)」という謎の駅名を通り越し、ストラスブール・サン・デニ(Strasbourg St-Denis)まで行き、東へ曲がる。サン・マルチン通り(Blvd St-Martin)のやたらに広い歩道を歩いていくと、レピュブリック広場(Place de la Republique = 共和国広場)に出る。車がひっきりなしに通る広場の真ん中に、自由の女神が建っている。台座は落書きだらけ。「自由」と言う彫刻文字が黒のスプレーで塗り消されている様は、自由すぎることの弊害が出ているような感じだ。

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サン・マルタン運河 Canal Saint-Martin

広場の下の地下鉄駅からは大量の通勤客が吐き出されてきている。(この辺りにはオフィスが多いのだろうか) 歩道の各所では無料新聞(metro とか 20minutes など)を配る配達人がたくさん居る。有料だったはずの FIGARO まで無料配布していた。(販促なんだろうか?) 広場を抜けて、 Blvd du Temple を南へ。中古カメラ屋に私の持っているのと同じ MINOLTA X-700 (マニュアル一眼レフ)が 200EUR で売られているのを発見する。日本では2万円程度なので、こちらのほうが少し高いのかもしれない。

バスチーユ広場(Place de la Bastille)まで来る。これ以上南にいくとリヨン駅まで戻ってしまうので、バスチーユ広場近辺の繁華街(まだ営業していない)を少し見て、北に戻る。「Rue de la ROQUETTE」という街路表示が「COROQUETTE」と落書きされていた。ロケット通りよりコロッケ通りの方が面白い。
中央が公園になっているルノアール通り(Blvd Richard Lenoir)を通って行く。途中から中央に運河が通っている。昔はリヨン駅の横のセーヌ川から繋がっていたのだろうが、いまはバスチーユ近辺は埋め立てられている。ゴミを満載した貨物船が滑っていく。可動橋や閘門がところどころにある。散歩をする老人が、運河のほとりをゆっくり歩いている。ジョギングをする人も居る。昨日夕方に訪れたプロムナード・プランテといい、この運河風公園といい、パリ市の雇っているデザイナーのセンスの良さを感じさせる。(それに比べて、東京の... 最悪です)

東駅(Gare de l'Est)に戻り、11時04分発 1623列車 に乗る。CORAILタイプの新しい客車で、車内は50%程度の席しか埋まらずガラガラ。パリを出るとすぐに雨となる。が、雲の速度より列車の方が速いのでランスに着く頃には再び曇り空に。

Reims - FRANCE (ランス - フランス)

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マルス門(凱旋門)Porte de Mars

ワイン類の名前に出てきそうな名前の駅名 Chateau-Thierry、Epernay に停車して、12時40分、ランス(Reims)駅着。駅舎を出ると、微妙に小雨が降っている。マルス門を見に行くため、駅前の公園を左(北東)へ。ほとんどの乗降客はまっすぐ街の方向へ向かっている。無人の公園を歩いていくと、たくさんの旗が立てられたモニュメントがある。中央の石版には「A LA RESISTANCE」。第二次大戦の抵抗運動犠牲者の慰霊碑だろうか。公園の端はロータリー(Place de la Republique)となっている。すぐ目の前に周囲の建物とは異質の雰囲気を持ったマルス門(Porte de Mars)がどっしりと建っている。AD200年ごろのローマ時代に町を囲む壁の西門(凱旋門)として建てられたそうだ。表面は弾痕があちこちに目立ち、南面は真っ黒にすすがついている。2000年持ちこたえた遺跡も、第一次大戦でボコボコ。

Rue du General Sarrail を通り、市庁舎(Hotel de Ville)前を通り過ぎるとロンリープラネットには「クリプト-ポルティク(cryptoportique)」と書かれている遺跡の前に出る。ここもローマ時代の遺跡で、地下穀物倉庫だったようだ。ほとんど崩れ落ちた壁が等間隔に並んでいるが、以前はこの上に屋根が架けられ、上部は集会所(Forum)だったそうだ。地中海沿いの巨大遺跡に比べて、いかにも迫力無いですね。

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ジャンヌ・ダルク像 ststue of Jeanne d'Arc

次に、今日この町を訪れた主目的のノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre Dame)へ向かう。ロワイヤル広場(Place Royale)に差し掛かると、大聖堂後陣の飛梁が見える。マルス門と同じく、第一次大戦の砲撃でダメージを受けたらしいが、ロックフェラーの寄付金により修復されたそうだ。といっても、正面ファザードの右側には足場が組まれているので、今でも修復は続けられているのだろうか。(アテネのパルテノン神殿などは、数十年間も足場が組まれたままだし、この手の遺跡類の修復スピードは非常にゆっくりしてますね。) ファザードには昨日までいろいろ見てきたフランスのどの教会よりもたくさんの彫像がちりばめられている。さすが、フランス国王の戴冠式を行う大聖堂だけはある。大聖堂の横には、ジャンヌ・ダルクが馬に乗った銅像。それを取り囲むように各国の旗が...。なぜか日章旗も。フランス、ギリシア、デンマーク、オランダ、日本、アメリカ、ドイツ。EUと言うわけでも無いし、連合国でも無いし、先進7カ国でも無い組み合わせ。

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ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame

中に入る。薄暗いだだっ広い空間。バラ窓はパリのノートルダム寺院のほうが綺麗だった。シャガール作と言われるステンドグラスもある。教会のステンドグラスというよりは、美術館の展示品という感じだ。ちょっとこの場の雰囲気に合っていないような気もする。ルーアンの時と同じく、ジャンヌ・ダルクのチャペルもある。剣を持った等身大(?)のジャンヌ像。等身大とすれば、そんなに背は高くなかったようだ。至聖所の側にある狭い階段を下りて、地下の展示室へ。修復の歴史と共に、ジャンヌ・ダルクの伝記も展示されている。直筆のサイン(の写真)も展示されている。字 下手ですね...。

教会を出ると雨が降ってきた。オランダを出てから約18日間、1度も雨に降られなかった(というより、ほとんどが熱波との戦いだった)のだが、とうとう雨だ。曇っていれば、サン・レミ聖堂(ここもUNESCOの世界遺産に登録されているようだ)にも足を伸ばしてみたかったのだが、雨では...。(酒が好きな人はシャンパン関連の観光名所(醸造所)もあるらしいが、私は酒には興味ないしね...)

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Rue Cadran St-Pierre

街の中心部に向かう。日曜日でも無いのに、中心部はフレア・マーケット状態だ。天気が悪いからか、スムースに歩ける程度の人ごみだ。ルーアンの旧市街では「伝統的な木組みの家」が見られたが、このランスでは一般的な現代建築が多い。やはり、売りは「戴冠式を行う大聖堂」と言うわけなのか、「古代ローマ遺跡があるので、中途半端な中世の木組みの家」で客を釣ることはしないのか。噴水のある大通りを横切り、コンパスを確認せずに適当に駅のほうに向かう。道を間違えた...。目の前に鉄道の線路と「Hotel de Police」の建物がある。日本の警察は、新しい建物でも無粋なデザインが多いが、この建物は「本物のビジネスホテル風」。でも泊まりたくないな... 警察ホテル。線路に沿った大通りの公園を歩いていくと、駅前に出た。

駅の出発案内板を見ると、次の列車は14時34分発の1922列車。あと10分ほどで出発するようだ。駅構内の売店でサンドイッチ(2.6EUR)を買って、すでに入線している(ランス始発の)列車に乗り込む。

Paris - FRANCE (パリ - フランス)

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ドラクロワの自由の女神 , ルーブル美術館
Eugene Delacroix "Liberty Leading the People" , Louvre

がらがらの列車はブドウ畑や林の間を走り、パリ東駅を目指す。外は雨が降ったりやんだり。途中 Epernay に停車して、16時10分パリ東駅(Gare de l'Est)到着。

駅から一旦外に出て、地下鉄7号線に乗り換える。パラ・ロワイヤル・ミュゼ・ドゥ・ルーブル(Palais Royal Musée du Louvre)駅まで行く。パリ訪問では恒例の「暇つぶしのルーブル美術館」へ。時間帯もばっちりの15時以降の割引時間帯。が入り口のあるガラスのピラミッドのところに行ってみると、小雨にもかかわらず長蛇の列が出来ている。仕方なく並ぶ。結局入場券をゲットしたのは17時01分。今回は、エジプト・ギリシア文明を見ようと思う。案内カウンターで館内マップをもらう。英語版が底をついており、マイナー言語(スペイン語とか日本語)しか残っていない。マップを探し回る観光客を尻目に、余裕で日本語版をかっさらって館内へ。

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ルーブルのローマ時代の彫刻の展示室

セーヌ川のビル(デノン翼 Denon と言うらしい)に入る。せっかくだから、イタリア・フランス美術をさらっと見ていく。モナリザの周りにはいつもながら黒山の人だかり。館内地図では、もっとコンコルド広場よりの個室を与えられているはずだが、以前と同じく大通路のガラスケースに収められている。(だいたい、絵画でガラスケースに収められるほど出世しているのはモナリザとあと数点くらいしか見たことが無い。それとも、絵画に触るヤツでも居るのか...)
ローマ時代の展示場所へ向かう。以前は自由に入って休憩できた吹き抜けの中庭(のようなところ)には出られなくなっている。これだけまとまったコレクションはバチカン美術館以外では余りお目にかかれない。同様なことが、ギリシア文明の展示ではではアテネにある考古学博物館(Archaeological Museum)よりたくさんの彫像がルーブルで見られるし、エジプト文明もそう。結局、イギリス・フランスといった博物学がさかんだった先進国が古代文明の遺物をほとんど所持していると言う現実が見えてくるだけなんだが...。
逆に言えば、世界中の秘境から文物を集積して展示してあるので、観光には便利だ。あの厳しい気候のギリシアやエジプト、中近東にこれらの文物が分散されて展示されていても、全て見て回るのはしんどいでしょうね。

19時30分ごろ美術館を後にする。(月・水曜日は21時ごろまでやっている) 満員の地下鉄1号線に乗り、リヨン駅へ。中華料理屋(3軒程度ある中で Rue Abel にある Aux Delices de Pekin という店に落ち着いた)で5.5EURで食べてホテルに戻る。隣の部屋はどうも日本人の中年ビジネスマンのようだ。出張で2つ星の個人ホテルに泊まるとは、出張時のセキュリティ基準が無いのかな?