2003年9月〜10月 旅日記 ページ 1/3 (September
- October 2003 Page 1/3)
GREECE : Athen -> Crete Island
イタリア:ローマ -> パレルモ -> アグリジェント
為替レート FOREX : 1EUR = 135JPY
朝食を食べ、急いでデン・ハーグHS駅へ。昇ったばかりの太陽が当たり始めた駅舎に入る。7時47分、ちょうど列車が到着する音。6番線へ。行き先を確認するまでもなく、2階建てIRMの車内に駆け込む。がらがらの1階席に座り、朝霧の中を流れ行く田園風景を眺める。ライデン・セントラル(Leiden
Centraal)駅に到着。車内放送ではスキポール経由のアムステルダム行きと言っている(乗り換えなし)。8時20分、スキポール(Schiphol)駅着。 KLMのチェックインカウンターへ。いつもながらの長蛇の列。30分以上並ばされて、結局オーバーブッキングでキャンセル待ち扱い。座席番号のところに「GATE」と書かれた搭乗券を渡され、あとはゲート前のカウンターで自己救済しろと言うことらしい。(次の便に回されるとしても、いくばくかの金はくれるはず…) のんびりとシェンゲン区域のCターミナルの指定されたゲートへ。9時20分ごろ、ゲート前のカウンターにグランド・スタッフのお姉さんがやってくる。座席番号が無く、ただ「GATE」と印字された搭乗券を渡して、キャンセル待ち。 ようやく座席を割り当てられ、機内へ。KL1575便は50分遅れの10時55分出発。アドリア海上空よりペロポネソス半島を横断しアテネへ。南からのアプローチで、旧アテネ空港(エリニコン空港)とアテネ市内が左手に見える。15時10分、アテネ空港に到着。 |
2001年に開港したばかりのアテネ新空港(エレフテリオス・ヴェニゼロス空港
Eleftherios Venizelos Airport)は以前のエリニコン空港より街から離れている。(滑走路へのアプローチ
ラインから見た限りでは、アテネとの間に低い山脈を挟んでいる) 荷物をピックアップして、バス停へ。切符売り小屋で市内までの切符 2.9 EUR を買う。すぐ目の前に停まっている E96系統のバスに乗る。15時40分、バス発車。ぎらぎらと輝く太陽の下、南へ。オランダに比べ桁違いに明るい太陽だ。道路は至る所で工事中。これも2004年のオリンピック準備の一環なのだろう。30分ほどでサロニコス湾沿いの道に出る。ここからは海沿いの道を北へ。途中、バスのすぐ前でガッシャーンと音がする。自動車同士の正面衝突事故。ドイツから来た老人の団体がピレウス郊外で降りりた後は、何人かのバックパッカーと地元住民らしき人の数人の乗客を乗せて、ピレウス市内へ。見覚えのあるピレウス港ターミナルビルを回り込んで巨大なジェットフォイルの横のバス停に到着。 10人程度残った客と共にバスを降りる。ちょうどジェットフォイル AEOLOS EXPRESS 2 から大量の人が吐き出されてくる。バス停のすぐ前にある旅行代理店 Akti Tzelepi に入り、ハニア行きフェリーの一番安いベッドを予約してもらう。33.5 EUR。(ギリシアのフェリー料金は安くて助かる) フェリー出港の時刻 21時までまだ4時間近くある。街の中へ散歩に出かける。 17時30分頃、地下鉄駅まで戻る。スブラギ屋でスブラギ 1.60EUR を軽く食べ、フェリーターミナルへ。ネットカフェを見つけたので1時間ほど入ってみる。やたら接続速度が遅く、日本語インストールも不可。それで1時間6EURとはぼったくりのような価格だ。こんなところでネットを使うのは観光客くらいだから高いのかな。20時頃、フェリーターミナルの対岸の岸壁に停泊しているクレタ島行きフェリーへ。岸壁の付け根の方にイラクリオン行き、先端近くにハニア行きが停泊している。トラックや自動車が行列を作ってフェリーに吸い込まれていく。今日乗船する船は ANEK Lines の M/S LISSOS。実はこの船、1972年建造の新日本海フェリー はまなす号(1万3千トン)として日本で就航していたフェリー。いわゆる中古船。 |
後部ハッチからエスカレーターに乗って船内へ入る。チェックイン・カウンターでチェックイン。船員が客室まで案内してくれる。客室としては一番最下層(第5デッキ)の内側の部屋。寝るだけだから景色は見えなくてもいいのだが、窓の有る船室ってどんなのだろうね?
(外国でフェリーは何度でも乗っているが、窓のある船室に泊まったことは一度も無い…)
ベッドが4つあるが、まだ誰も来て居ないようなので最上段のベッドに荷物を放り込んでおく。
第7デッキのセルフサービス式の食堂へ。シーフード・サラダ
3.50EUR とパン 0.30EUR
で軽く夕食。テーブルの上に置かれている氷入りのピッチャーの水を飲む。水道水かな…。まあ、腹痛は起こらないだろう。 後部ハッチに2両編成のトレーラーが入ろうと悪戦苦闘している。残念ながらぎりぎり入らないようだ。21時30分、”ブォー”と汽笛が鳴り、ゆっくりと進み始める。定刻より30分遅れている。ピレウス港をのんびりと南下していく。ひときわ輝いているフェリーターミナルが遠ざかっていく。港の出口付近、マストに電飾を灯した帆船が停泊している。東の空から満月を少し過ぎた月が昇ってくる。南の空には大接近中の火星が赤々と見えている。港を出ると徐々に速力を上げていく。それに伴いデッキに吹き込んでくる風も強く冷たくなってくる。一人、またひとりと船内に戻っていく。 船室へ戻る。室内の狭苦しいシャワールームでシャワーを浴びて寝る。部屋にはトラックの運転手らしきおっちゃんが2人と私の3人。おっちゃんが咳き込んで、夜中に何度も目が覚める。うぅ… ついてない。 |
5時30分頃目覚める。運転手のおっちゃん2人は既にチェックアウトしたようだ。船の振動音小さくなり、速度が落ちてきたことが分かる。通路に出て小さな窓から外を見る。陸地が近くに見える。まもなく南から西へ方向を変え、スーダ湾 (Ormos Souda) へ入っていく。6時15分ごろ、スーダ港 (Σουδα / Souda) 着岸。 |
まだ真っ暗なスーダ港に降り立つ。インターネット上の旅行記で収集した情報では、船を降りて左手にバスが停まっているということだ。下船するトラックや自動車、客待ちする観光バスが入り乱れた岸壁を見渡すと、確かに左手におんぼろバスと切符売り小屋が見える。何も知らなければ、いきなり町の中へ歩いていってしまうところだ…。 切符 0.90EUR を買いバスに乗り込む。6時25分発車。まばらに車が行き交う狭い道を西へ向かって進んでいく。ほんの10分ほどで市街地に差し掛かる。とある公園のような交差点(後から考えると、中央市場前の交差点)に停車して、殆ど全ての客が降りていく。私と何人かの客が「バスターミナルまで行ってほしい」と運転手に要求。しぶしぶ Plateia 1866 まで行ってくれる。 バスを降りる。バス停のすぐ前にホテルがある。値段を聞いてみる。1泊40EUR。高っ。この町なら20〜30EURくらいが適正価格じゃないのかな。とりあえず旧市街の港の方へ向かう。人っ子ひとり居ないハリドン通り(Odos
Halidon)をしばらく歩くと、いかにもリゾート地の下町といった地区に出る。カフェやレストラン、ブティックなどが建ち並んでいる。(ただし、全て閉まっている)
ロンプラの記述では「Zambeliou
通り沿いにホテルなどが沢山あるそうだ。狭い道をのんびり歩いて行き、ふと右側を見るとホテルらしきものがある。”ΞΕΝΟΔΟΧΕΙΟ
ΛΟΥΚΙΑ”
と看板に書いてある。英語表示は無し。アパートかな?
ドアを開けて中へ入ると、小さなカウンターにおじいさんが座っている。 4階の307号室に荷物を置いて、窓を開ける。旧港が見える。空がだいぶ白んできて、まもなく日の出のようだ。(日の出は6時21分) 外へ。旧港沿いの道へ。ひっそりとしたカフェやレストランの並ぶ港沿いに人影は無い。静まり返った港に、ポチャポチャと波が寄せる音だけがしている。太陽が昇り、港の西側の建物が赤く染まる。遥か北の海上には小さな積乱雲が並んでいる。長期予報では雨のはずである。このまま雲が南に降りてこないことを願うばかりだ。 朝食を食べたいが、全ての店が閉まっている。バスを降りた Plateia 1866 へ。Giannari 通りの角にサンドイッチのチェーン店 everest が既に開いている。公園の東側のカフェやレストランも開いている。Time Out というレストランに入る。早朝のため出来るメニューは限られているようだ。キッチンで調理済みの物を見せてもらい、スタッフド・トマトのようなものを注文する。ギリシア語でムサカという名前の料理らしい。かなり大きなトマトとピーマンの中に米や肉を詰めたものが2個とフライドポテト、パン、ミネラル水 で 5EUR。ギリシア料理のわりに、それほど脂っこくなくおいしい。
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BUS | ||||
Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Chania | 8:30 | 0km | 8:30 | |
Rethymono | 9:45 | (53km) | 9:40, 10:00 | |
Heraklion | 11:00 | (133km) | 11:10 |
食後、バスターミナルへ。KTEL塗装色の様々な形のバスが入り乱れている。切符売り場のある建物へ。クレタ島の次はスィラ島へ行く予定なので、今日イラクリオンを見ておかないとスケジュールが厳しくなりそう。窓口でイラクリオンまでの切符を買う。10.50EUR。8時30分発のバスに乗る。車内は半分程度の席が埋まっている。バスは今朝フェリーを降りたスーダ港の横を通って東へ。途中から高速道路(E75)を快調に走る。右手の山脈には雲が張り付いている。リゾート地っぽい海沿いで時折観光客が乗り降りする。9時40分、レシムノ (Ρέθυμνο / Rethymno) のバスターミナルに到着。バスターミナルのすぐ前は、エメラルドブルーの海が広がっている。10時、ほとんど満員まで客を乗せてレシムノを出発。渋滞した市街地を抜けて再び高速道路へ。がらがらの高速道路をひたすら西へ。単調な景色に眠くなってくる。だんだん山岳地帯が海に迫ってきて、道路は右へ左へカーブしながら高度を上げていく。最後の大きな岬を回りこむと、下り坂の遥か向こうにイラクリオの市街地が見えてくる。高速道路を出るとイラクリオ中心部までものすごい渋滞。アテネ・オリンピックの影響か、そこらじゅうで道路工事が行われている。11時10分、イラクリオのバスターミナルに到着。 |
バスターミナルの建物とは別に、駐車場の中心あたりに”クノッソス行き”と書かれた小さな切符売り小屋がある。クノッソスまでの切符
0.90EUR
を買って、売店でアイスクリームを買いバスを待つ。ロンプラには10分毎と書かれているが、30分毎の雰囲気。11時30分、バス
(2系統) が出発。20分ほど乗りクノッソスのバス停で下車。
入場料 6EUR 払って中へ。たくさんの観光客が来ている。雲ひとつ無いかんかん照りの日差しの中、有名な遺物がある場所には長蛇の列。「過度に補修」されたと酷評されているだけあり、崩れた円柱の石材が散乱している他のギリシア遺跡とは確かに違う。南の入り口から宮殿へ入る。入り口近くに宝物を運ぶ人のフレスコ画 (Procession Fresco) が飾られている。いかにも遺跡という雰囲気に複製されたものだ。何段かの階段を登りって行くと、王座の間 (Throne Room) がある。入り口から人が溢れている。ツアー客のガイドが部屋の中で延々と説明をたれているようだ。そんな団体が何組か王座の間の手前で列を成している。人の間を掻き分けて王座の間に入ってみる。ココだけは屋根が残っている(それらしく復元された?)。内部には数枚のフレスコ画(の複製)が飾られている。まるで正月の明治神宮のような、大混雑の室内では写真を撮ることすら出来ない。 北の入り口まで歩いていく。朱色に塗られた何本かの柱に支えられた壁面に布がかぶせられている。牡牛のフレスコ画 (fresco of Bull) があるはずの場所だが、取り外されたのだろうか。複製だから、何枚でも作れそうなものなのに…。一旦宮殿の外壁の外に出て、外側から女王の間へ向かう。遺跡とは思えない”真っ赤に塗られた円柱”は、どこかテーマパークを思い出させる。やはり”復元しすぎ”なのでは? 松の木が茂る遺跡の外側は、適度な日陰が出来ていて心地よい。もう夏は終わったにもかかわらず、小さなセミが”ギーッ”と鳴いている。遺跡から外へ出る。12時40分、ちょうどバスがやってくる。イラクリオ市街に戻る。 13時、バスターミナル着。かんかん照りの中を市内中心部へ向かって歩く。港沿いの道を北へ行く。旧港の防波堤の中ほどに砦 (Castello del Molo) が建っている。その廻りをヨットが取り巻いている。25 Avgoustou 通り沿いに旅行代理店が何軒か有る。そのうちの一軒に入って、スィラ(サントリーニ)島へのフェリーについて聞いてみる。17日の水曜日にスィラへ行く船はあるかと聞いてみると、その日だけは高速船が運休で夕方の定期フェリーのみだという。デッキ・クラスの一番安いチケットを買う。14.50EUR。座席指定無しなのに、毎度パスポートの提示を求められるのは不思議だ。チケットに名前を入力しているけれど、何の意味があるのか…(乗船者名簿?)。 25 Avgoustou 通りをさらに登っていくとベニゼロウ広場 (Plateia Venizelou) に出る。すぐ西側にはエル・グレコ公園 (El Greco Park) があって、エル・グレコの胸像が鎮座している。日曜だからか、殆ど人通りの無い旧市街中心だ。広場の横にスブラギ屋を見つける。昼食はスブラギ1個 2EUR。
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BUS | ||||
Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Heraklion | 14:30 | 0km | 14:30 | |
Rethymono | 16:00 | (80km) | ||
Chania | 17:00 | (133km) | 17:10 |
バスターミナルに戻り、アイスクリームを食べてバスの出発を待つ。14時30分、ハニアに向けて出発。朝来た道を今度は逆向きに走る。レシムノに近づくにつれ、雲が多くなってくる。ぽつぽつ雨が降り出し、レシムノの少し手前で土砂降りの大雨となる。バスの乗客も雨を予想していなかったらしく、途中のバス停で降りる客は傘無しでバスを降りていった。ホテルの窓を開けっ放しにしてきたので、部屋の中が水浸しじゃないかと心配になる。
車内に乗っている車掌が検札しているのに、スーダの少し手前でバス会社社員が乗ってきて抜き打ちの検札を行う。切符を捨てずに持っておいてよかった…
しかし、車内に車掌が居るにもかかわらず、抜き打ちの検札とはね。 |
夕暮れ時、今朝は誰も歩いていなかった旧港付近はたくさんの観光客であふれ返っている。レストランやカフェなどもオレンジ色の電気を灯して営業している。旧港入り口近くにあるモスク跡では、陶器の露天市が出ている。イスラム圏で鶏肉の煮込み料理に使うテラコッタの煮込み皿を売っていたりする。旧市街のレストランは観光客向けなので高い。(といっても、他の欧州諸国の観光客向けレストランより安いのだが…)
新市街、Plateia 1866 の今朝 朝食を食べた店へ。先ほどテラコッタの煮込み皿を見た影響で、”レモン・チキンのグリル”を注文する。500mlの水とパンが付いて 5.50EUR。味付けはイスラムでなく、やはりギリシア風ですね。 夜、旧市街は大勢の人で賑わっている。普通の国ならだんだん人通りが減って危険を感じることも有るのだが、この街ではそんなことは無いようだ。ホテルのある建物の1階のカフェにパソコンが置かれている。ネットカフェもやっているようだ。50分で2.5EUR。WIndowsXPで日本語がすでにインストールされていた。明日、サマリア渓谷へ行くための情報を集める。図書館で読んだ「歩き方」やネット上の旅行記(日本語)は、全てが「サマリア渓谷ツアーに参加する」という方法ばかり。ロンプラにはツアーに参加せずにローカル・バスで行く事も出来ると書かれている。バスターミナルで貰ったクレタ島のバス時刻表には、6時15分、7時30分と8時30分にオマロス (サマリア渓谷の登山口) へ向かうバスがある。公共交通だけで行けるのなら、試してみよう… |
5時過ぎ起床。部屋でパン1個食べ外へ。Plateia 1866 横にあるサンドイッチ屋 everest で昼食用のサンドイッチと水を買う。2.50EUR。バスターミナルへ行くと、すでにサマリアへ向かうと見られるトレッカーが10人前後来ている。切符売り場で「サマリアまで行きたいのだが…」と注文すると、「ハニア → オマロス、スファキア → ハニア」のセットになった切符を出してくれた。10.20EUR。切符売り場の建物の前で多くのトレッカーと共にたむろしていると、放送がある。「Samaria, Bus No.63」 |
6時20分、ハニアのバスターミナルを出発。まだ真っ暗な道を西へ。車内は70%程度の席が埋まっている。しばらくすると南へ折れ、山道を登り始める。東の空が白んでくる。クレタ島中央に横たわる山脈に雲が掛かっている。バスはどんどん高度を上げ山道を登っていく。聖堂がある小さな町(おそらくLakkiの町)で学生が降りてゆく。峠に差し掛かる。道路上に3000ft
/ 1000mの文字が書かれている。手元の高度計で1060mの峠を越えると、目の前に雲海が広がる。道は雲海の中へ沈んでゆく。視界の利かない霧の中、オマロスに差し掛かる。1軒だけぽつっと建っているカフェに観光バスが数台停まっている。サマリアからここまで来る間に私の乗っているバスを追い抜いていったバスも停まっている。ツアー客はここで下車させられているようだ。そこからしばらく緩い上り坂となり、雲海を出るとクシロスカロ峠(Xyloskalo)の駐車場に到着。自動車道はここで途切れている。7時30分。バスを降りる。
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バスから降りた客は、カフェの建物に吸い込まれていく。中へ入ると、朝食にちょうどいい食べ物がたくさん売っている。トイレだけ借用して外へ。駐車場の脇にある渓谷(国立公園)の入場口へ。入場料
5EUR
払って、出口で回収するというチケットを貰う。アギア・ルメーリから出るフェリーの時刻を尋ねると、15時45分と18時の2便しかないらしい。トレッキングのための道は、入場口を出たところからつづらおりに急激に下っている。霧が晴れ、東から強烈な朝日が差し込んでくる。谷の向こう側に、朝日を反射する岩山
Gingilos (2080m) がはっきりと見える。
7時30分、渓谷の道を下り始める。バスに乗ってきた大半の客はまだカフェの中に居る。(ツアーバスはまだこの峠に達していない) 標高1250mの入場口から、一気に500m近く下る。何人かの若者を抜き去り、英語を話す老人の団体を抜いた。私の前を歩いて居るのはドイツ人カップルのみ。”落石注意”の看板があるが、どう注意すればいいのか…。道の傍らに塩ビのような黒い給水パイプが延々と敷設されている。時折ある水呑場の水を供給しているようだ。道はかなり整備されていて、かなりのスピードを維持して下っていくことが出来る。8時15分(出発から40分)、谷底に到達。増水したときには川になるであろう岩場が続いている。さらに10分ほど行くと川の流れが地上に顔を出している。 8時27分(出発から1時間)、標高620mのアギオス・ニコラオス村 (Agios Nikolaos) に到着。山岳事務所のような小屋に、老人がぽつんと座っている。何人かの中年の英語を話す人たちがベンチに座って休憩している。ドイツ人カップルはこの村に一瞥もくれずに通過していく。私はトイレを借用し、小さな聖堂(照明が無く薄暗い内部)をチラッと覗いて見る。何枚かのイコンが飾られているだけの単なる小屋だ。周囲の糸杉(cypress)林は樹齢2000年といわれている。 渓谷をさらに下っていく。川の流れができて、深みには青々と水を溜めている。ただし、魚の泳ぐ姿は見かけなかった。8時45分、谷の西側の斜面を登り始める。向こうからプロパン・ガスを運ぶ馬がやってくる。物資の輸送は遥か河口のアギア・ルメーリから行っているのか…。私なら、みかん畑などにあるような ”農業用モノレール” をシロスカロ峠から走らせてみたい気もするけどね。しばらく行くと、不思議な看板がある。「トイレ→ 2km。ベンチ→ 2km …」 山の中だから仕方ないか… 9時(出発から90分=1時間30分)、西側の斜面に沿った道の最高地点(水呑場)を通過。何処の水呑場にも水道管が敷設されていて、ある種のガイドブックが言うように「山肌から湧き出る湧水」を飲んでいる訳でも無さそうだ。再び下り坂。9時15分、谷底に達する。この辺りのみ、山道の周囲に ”小石を積み上げたモニュメント” が大量に出現する。宗教的な意味でもあるのか、単に観光客が記念碑的に作っていった物なのか…。 西側の崖に鹿のような羊のような動物が居る。こちらをじっと見つめてから、飛び跳ねるように下流のほうへ駆けて行く。動物の走っていく方向には平屋の建物が数軒見える。国立公園に指定されたときに強制移住で無人化されたサマリア村だろうか。渓流が深い谷に吸い込まれていき、村へ続く橋が架かっている。9時25分(出発から115分=1時間55分)、標高500mのサマリア村に入る。1962年に国立公園化されたときに廃村になった村。左側の建物の裏手に人の気配がする。右手の建物には赤十字のマークがついている。救護所だろうか。残っている建物は数件で、下流のほうには建物の基礎の石が転々と続いているだけの小さな村。私の前を行くドイツ人カップルは村には寄らずに、一直線に下流を目指している。(観光には興味ないのかな…) しばらく行くと谷の狭いところが迫ってくる。落石注意の看板がある。電話線と思われる電線が川原に落ちて転がっている。9時40分(出発から130分=2時間10分)、谷が10メートル程度に狭まったところに差し掛かる。100mほど前をドイツ人カップルが何かを警戒するかのように立ち止まって上を眺めたり、ジグザグに歩いたりしている。静けさの中に ”コォン〜。カン…。ト〜ン、コン、…” と何かを打ち付けるような、石がぶつかり合うような音がしている。ドイツ人は数百メートル行ったところでこちらを振り返っている。再び ”コン、コ〜ン…” と音がしたかと思うと、数メートル前で ”ドシューン、パリパリ…” と岩が飛び散った。どうも谷の上のほうの岩が崩れてきて、落下してきているようだ。足元は数十センチの岩が乱雑に組み合わさった悪路。歩行のバランスを崩すと、石がぶつかり合って ”カラッ、コロン” と音がする。もしかして、この音波が崖の上のほうの弱った岩場を崩すトリガーになっているのかも… まさにロシアン・ルーレットです。直径10cmもあるような岩のかけらが、目もくらむような猛スピードで所構わず降ってきます。落石が直近をかすめたときは、”ビュン、、、バシッ! パラパラ…” と風圧を感じる。狙撃手がこちらを的にしているわけではなく、ランダムに飛んでくる岩が直撃する確率なんて 「かなり低いはず…」 数分で危険地帯を抜け、ドイツ人に追いつく。私 「いやぁ、凄い谷ですねぇ〜。岩が降ってきたでしょ?」。 ドイツ人 「エキサイティングだ。さっき君のすぐ横に岩が落ちてきたが大丈夫か?」。私「もう、必死ですよ(笑)」。当ったらどうなったんでしょうね… 軽傷ではすまないだろうね。 落石地帯を通り過ぎても、しばらくは落石して粉々になった岩の破片が積み重なった岩壁が続いている。落石が目立たない個所に差し掛かったあたりで、ドイツ人カップルが岩之上に座って昼食を食べている。彼らを追い越し、私の前に誰も居ない状態となった。向こうから馬を引いた人がやってくる。あの落石地帯を通過して資材運搬しているのか… まさに命がけの職業だ。渓流が再び地表に顔を出し、さらさら音を立てて流れている。10時15分、ハニアで買ってきたサンドイッチとミネラル・ウォーターで少し早い昼食とする。 さらに下って行くと、最後の休憩所がある。とりあえずトイレへ。電気も点いていない真っ暗なトイレに小便をする。便器の中から一斉に蚊が湧き上がってくる。慌ててトイレから逃げ出す… 谷の幅が再び狭まり、渓流に架かった板切れの橋を何度も横切っていくと行き止まりになったような場所に出る。10時45分(出発から195分=3時間15分)、谷の幅が数メートルで、全幅が渓流の流れになっている場所。標高130m地点、鉄の門 (Iron Gate) と呼ばれているサマリア渓谷で最も狭い場所だ。ここにも落石注意の看板が出ている。渓流の上にやっと通れる位の足場板が渡されている。なるべく音を立てずに、そ〜っと狭い所を通過する。その狭いところを通過した後は、だんだんと谷が広がっていく。サマリア渓谷も、このあたりで終わりだろうか。向こうから数人の観光客が逆行して上流を目指していく。まさかオマロスまで登る雰囲気でも無さそうだし、途中で引き返すつもりなんでしょうかね… 11時10分(出発から220分=3時間40分)、標高70mの国立公園出口事務所に到着。このあたりから渓谷を振り返ってみる景色もまた格別だ。3人ほどくつろいでいた事務所の職員に、私の前に誰か通過したか聞いてみる。彼らの答えは、私が最初の通過者だそうだ。入口事務所でもらった確認用のチケットを渡して国立公園を後にする。 売店がある。数件の店と、屋根に覆われたベンチがある。アイスキャンデー 1.50EUR を買って、ベンチに座ってのんびりと食べる。ドイツ人カップルが再び追い抜いて行く。売店からしばらく下って行くと、羊が放牧された荒地がある。遥か向こうにリビア海(地中海の一部)がチラッと見える。1隻のフェリーが西へ向かっていく。11時15分発のスファキア行きだろうか… 間に合うにはかなり早歩きで峡谷を下らないといけないだろう。11時40分、アギア・ルメーリ (Αγία Ρούμελη / Agia Roumeli) 村の東北端に達する。家庭菜園的なブドウ畑やオリーブの木が茂る家々の間を通って行く。村の中心部のレストランやフェリーの切符売り場などがある場所に出る。切符売り場でスファキア (Σφακια) までの切符を買っておく。4.60EUR。まだ誰も渓谷から降りてきていないので、レストランは閑散としている。桟橋の前のカフェに入り、ジュースを飲みながらぼんやりと海を眺める。この村に滞在している雰囲気の若者が何人かチェッカーに興じている以外は、全く人を見かけない(あのドイツ人カップルを除く)。桟橋の横には砂浜が広がり、誰も居ないビーチパラソルが並んでいる。海に入ってみる。見かけとは裏腹に、かなり冷たい。 西からフェリーが到着し、数十人の客と数台のオンボロ車が吐き出されてくる。切符売り場の向かいにあるレストランへ行く。インターネットの掲示板では”カラマリ”をぜひ食べろと書いてあったので、注文してみる。出てきたのは ”イカリングのフライ” にレモンを添えた物。それも巨大なイカを1匹丸ごとの量が出てきた。からっと揚がっていてナカナカ美味しい。でも、これって日本の居酒屋などでも出てくるよね…。パンと、750mlの水で5EUR。 13時をすぎる頃から、徐々に人が渓谷から下りてきた。平均5〜7時間掛かるらしいので、7時30分・8時30分のバスの客は13時〜15時くらいにアギア・ルメーリに到着するのだろう。カフェでだらだらと時間を潰していると、桟橋に人が集まりだした。12時ごろに西から来て停泊していたフェリーが、スファキアに折り返すようだ。200人とも300人とも思われる大量のトレッカーがフェリーに乗り込んでいく。こんなにたくさんの人が渓谷下りをしていたのか… ピーク時に歩いていた人は、景色を楽しむよりも行列に流されて歩くようなものだろうね。 |
15時40分、アギア・ルメーリの岸壁をゆっくりと離れる。船内はキャビン内もデッキの椅子も全て満席。何軒かの建物しかない村がだんだん遠ざかっていく。かなり雲がかかってきたサマリア渓谷を最後に振り返って眺める。もう二度と来ないだろうな…
結構いいところだったけど。
木が一本も生えていない砂漠のような崖沿いを東へ進んでいく。崖と海の間のほんの少しの平地に未舗装の小路が続いている。時折小さな小屋のような建物がぽつんと建っている。こんなところに人が住んでいるのだろうか。16時30分、小さな入り江になったロウトロ (Loutro) 村に近づいていく。高台に小さな砦があるだけで、遠くからは村があるようには見えない。小さな入り江の海岸に沿って数十軒の家(ペンション)が建ち並んでいる。ほんの少しだけの砂浜にはパラソルが並び、中年男女が日光浴している。港に接岸。何人かの客が乗り降りする。港から出航すると、すぐに後退して今度は砂浜に着岸する。着岸点近くのパラソルが撤去されて、向こうから発電装置を載せたトラックが船に乗り込んでくる。16時40分、ロウトロ発。再び乾燥した断崖沿いに東へ向かう。遥か向こうにスファキアの真っ白な建物が断崖にへばりついているのが見える。16時55分、スファキア (Σφακια / Chora Sfakion) 港着。 船を下り、大量の人に混じって坂道を上って行く。小さな入り江状の断崖に何軒かのペンションが建ち並んでいるのが見える。ツアー・バスで来た観光客は、右手のバス駐車場への階段を上っていく。路線バスで来た(私を含む)個人客は、坂道の一番高いところにあるバス停へ。ぱっと見たところ、100〜200人と思われる大量の観光客がバスを待っている。果たしてバスは何台来るのだろうか… |
旧港のハリドン通り(Odos Halidon)沿いにあるバーでスブラギ
1.50EUR 、海沿いのカフェでホットドッグ 3.50EUR
を食べて夕食とする。ネットカフェでチラッと情報収集して、ホテルに戻る。
数時間、悪路を歩いたため革靴(トレッキング用)が砂だらけで真っ白になっている。シャワーで洗い流すと、光沢無くすすけた感じになった。靴クリーム買わないとダメだな…。ついでにふくらはぎに若干の筋肉痛。薬局でおまけに貰ったシップを貼り付けておく。 |
6時30分起床。窓を開けると、しとしとと雨が降っている。昨晩洗ってクーラーの前に干しておいた服が、完全には乾いていない。雨がやむのを待って、8時に外へ出かける。旧港付近はほとんど誰も歩いていない。昨晩スブラギを食べたバーで、サンドイッチとネスティーで朝食。2.50EUR。
港の出口にある灯台 (Venetian Lighthouse) に行ってみる。岩壁沿いにどんどん東へ歩いていくが、案外奥行きが深い。港の東端にはベネチア時代のドライドック (Ενετικά Νεώρεια / Venetian Arsenali) が建ち並んでいる。今でも倉庫や展示会のスペースとして使われているようだ。東端から堤防を伝って灯台を目指す。中間点付近に砦 (San Nicola Fort) があり、現在はレストランが不法占拠して営業している。私の前を歩いていた女性が、”どうも道が無い” という雰囲気で戻ってくる。若干岩場があるが、飛び越えられないようなギャップではない。”そこ、飛び越えたら行けると思う” と合図を送って、岩場を飛び越えてさらに先へ。おっさんがぽつんと1人釣りをしている。小魚が何匹か釣れていたが、大きなのは居なかった。旧港の入り江にはそこらじゅうに小魚は泳いでいるが、大きなのは漁船が取っちゃうのかな?堤防の外海側には大きな波が ざぶ〜ん と打ち付けて、水しぶきを上げている。石造りの灯台は、頂上が若干傾いている感じがするが、いまだにどっしりと建っている。中には入れないが、基礎の周りをぐるっとまわってみる。一部分が崩れ落ちて、うっかりすると海に転落するかも…。ハニアの景色は、ここから見るより旧港から眺めるほうが綺麗ですね。 旧市街に戻り、朝しか開いていないという中央市場 (Agora) へ。内部は魚や野菜を売る店や、乾物物からパン類まで何でも売っている。その後、ネットカフェで情報収集。日本のニュースを見てみると阪神タイガースが優勝したようだ。大阪のどぶ川に何千人もの人が歓喜のダイブをしたと報じられている。混乱を押さえようとした警察官が「1人1回限りですっ…」と言ったとか言わなかったとか。すごい街ですね。 Plateia 1866 のカフェでスブラギ(チキン) 2.00EUR、グリーク・サラダ + コーラ 2.90EUR で昼食。グリークサラダの上にのっているフェタ・チーズ(山羊乳のチーズらしい)はいつもながら”臭い”味だ。午後、雲が東へ去りやっと晴れてきた。旧市街東側の地区をのんびりと歩く。案外ペンション(Rooms と看板が出ている家)がたくさんある。この季節に営業しているのかは知らないが、街の規模に比較して泊る所はたくさん有るように見える。昔の修道院(monastery of Santa Maria de Miracoli)をペンションにした所、ミノア時代の都市遺跡 (ancient Kydonia) の発掘現場、アギオス・ニコラオス聖堂 (Agios Nikolaos Church) 、モスク跡の尖塔 (Μιναρές του Αχμέτ Αγά / Ahmet Aga minaret) などのんびりとみて回るには適度な観光地が点在している。 アギオス・ニコラオス聖堂向かい側のレストランで夕食。レモン・チキンを食べる (総計 5.40EUR)。私の座ったテーブルの向かい側の席には、巨大な猫が鎮座してこちらを眺めている。どうも食事のおこぼれを狙っているようだ。チキンの骨の周りの肉片を投げてやる。 夜。旧港付近の路地をあるく。路地裏まで観光客向けのレストランや土産物屋などが建ち並び、昼間にも増して賑わっている。 |
6時30分起床。外は少し雲があるが晴れている。7時30分、チェックアウト。バスターミナルへ向かう。Plateia 1866 の everest でサンドイッチと水で朝食 2.60EUR。8時のバスに乗りレシムノへ。運賃 5.55EUR。車内はガラガラ。3日前の教訓から、右側の座席に座るったので直射日光のまぶしさに耐えなくて済んだ。 |
BUS | ||||
Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Chania ← 乗車 | 8:00 | 0km | 8:00 | |
Rethymono ← 下車 | 9:15 | (53km) | 9:00, ---- | |
Heraklion | 10:30 | (133km) | ---- |
9時、レシムノのバスターミナル着。ターミナルと道路の間にある荷物預け所に荷物を預ける
1.00EUR。ハニアでは晴れていたのだが、ここはどんよりと曇っている。少し北へ行くと運動場(競技場)がある。そこから旧市街へ入る。とりあえず16世紀に造られたベネチア時代の砦
(Φορτετξα / Venezian Fortress)
へ向かう。旧市街を横切り、東側の入り口から砦へ入る。入場料
2.90 EUR。外壁しか残っていない砦に登る。中央付近に教会とモスクの残骸がかろうじて残っている。北のエーゲ海から強風が吹きつけてくる。雲はクレタ島の海岸線に沿って島を覆っている、風向きからすると、雲が南へ流されて晴れてくるのも時間の問題だろう…
ひたすら待つ。30分ほどすると、頭上まで青空の区域が広がってきて、太陽が出てきた。周囲の景色に鮮やかな色彩が戻ってきた。他の多くのギリシアの要塞都市と同じく、16世紀にベネチアからトルコに勢力圏が入れ替わっている。岬の先端の岩山の上にどっしりと鎮座している要塞はこのあたりの脅威だったろう。上空をF-16らしき2機が東から西へ爆音を響かせて横切っていく。スーダ空軍基地
(Souda Air Base) に戻っていくのだろうか…。
砦の上から旧市街をみると、中央付近にモスクの尖塔(ミナレット)が見える。砦を出て、とりあえず旧港をめざす。狭苦しい曲がりくねった道を数分行くと旧港を取り巻く道に出る。ハニアと違い、旧港を取り巻く道はレストランの座席となっている。港の出口には、ここにも石造りの灯台がある。ただし新しく復元されたもののようで、この街の歴史を感じさせない。旧港のすぐ外側には新しい埠頭となっていて、ピレウス行きの巨大なフェリーが停泊している。旧市街へ向かう。 レストランや観光客向けの店が立ち並んだ Paleologou 通りを西へ向かうと、リモンディ噴水 (Rimondi Fountain) のある広場に出る。噴水といっても、今にも崩れそうな壁面からちょろちょろと水が滴り落ちているだけ。町を占領していたベネチア共和国のリモンディ司令官にちなんで、17世紀に造られたそうだ。この噴水の付近が旧市街の中心らしく、店も多いし観光客の数も多い。Plateia T. Petichaki の向こう側にモスク (Neratze Mosque) の尖塔が見える。欧州の街並みに中東のミナレット。このミスマッチ感がなんともエキゾチックだ。バスターミナルの方へ戻る道すがら、路地などに入ってみる。観光客でごった返している表通りと違い、殆ど誰も歩いていない静かな旧市街の姿がある。芸術的な造形のパンを作っているパン工房があった。まさか食べるためのものじゃないんだろうけど、これほど凝ったパンを焼いている工房を見たのは初めてだ。 バスターミナルに戻る。切符売り場には欧米系の団体客が長蛇の列をなしている。11時45分発のバスの切符を入手する。5.90EUR。荷物をピックアップし、コバルトブルーの海を眺めながらバスを待つ。欧米の団体客はハニア行きに乗り込んで行った…。 イラクリオ行きバスは15分以上遅れて到着した。12時10分レシムノ発。大渋滞の道路をのろのろ走ってレシムノの市街地を抜ける。
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BUS | ||||
Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Chania | 10:30 | 0km | ---- | |
Rethymono ← 乗車 | 11:45 | (53km) | ----, 12:10 | |
Heraklion ← 下車 | 13:00 | (133km) | 14:10 |
高速道路(E75)は快調に走ったが、イラクリオのインターチェンジから市街地に入った途端、再び大渋滞に巻き込まれる。イラクリオの市街地を45分もかかってバスターミナルに到着。定刻より1時間以上も遅れた14時10分の到着である。道路事情が悪いのに、なぜこれほど自家用車に乗るんだろうね。バスターミナルに荷物を預ける
1.00EUR。バスターミナルからまっすぐ南へ抜ける階段を登り、市街地へ入る。のんびりとエレフテリアス広場(Plateia
Eleftherias)を目指して歩く。直射日光がじりじりと肌を焼いているが、残念ながらビル影は出来ていない。そういえば昼食がまだだった…。エレフテリアス広場のレストラン
Quick に入りギロとコーラを注文する。5.10EUR。10分、20分…
周囲の客の食べ物は出てきているのに、私のものだけ出てこない。ウエイトレスに「注文したものが出てこないが、どうなってるのか」と2度ほど督促してやっと出てくる。一人で来る客の相手をするのがめんどくさいのか、人種差別か知らないが、レストラン名
"Quick" の名前倒れだ。
15時、広場の対岸にある考古学博物館 (Archaeological Museum) へ向かう。14時頃に通りかかったときは長蛇の列だった入り口も、チケット売り場に20人ほど並んでいる程度になっている。入場券 6.00EUR を買って中へ。団体客の集団で大混雑。入り口付近は後ほど見る事にして、団体客の波を掻き分けて奥の方へ向かう。出口に近いところに飾られているクノッソス遺跡から引き剥がしてきたフレスコ画を最初に見る。イルカのフレスコ画、青の貴婦人のフレスコ画など ”クノッソス遺跡のレプリカにそっくりな” よく出来たフレスコ画に感心する。BC2000〜BC1500年頃に描かれたものだそうだが、同時期のエジプト文明が ”横向いた人物像” ばかりなので ”ミノア文明も横向きの人間” だけを描いていたのだろうか。ツアー客に逆行するように、逆向きに発掘品を見ていく。ガイドブックなどに載っている有名なものはほとんど全てこの博物館にあるようで、小ぢんまりとした博物館だがなかなか見ごたえがある。作品の表現の豊かさは、のちのギリシア文明の表現の豊かさに通じるものがあるんだろうか… 博物館を出て、ダイダロス(Daidalou)通りを歩いて市内中心部へ。3日前にここを歩いたときは日曜だったのでほとんどの店が閉まっていた。今日はほとんどの店が営業しているが、そんなにたくさんの人に賑わっているとはいえない。買い物には興味がないので、さらっとそのあたりを見つつ、ベニゼロウ広場(Plateia Venizelou)へ。エル・グレコ公園(El Greco Park) のエル・グレコ像横の木陰でしばらく休憩してから、ベネチア時代の城壁を見に南へ向かう。高速道路から市街地への道があれほど混雑していたのとは裏腹に、市内の道路にはあまり車が走っていない。コルナロウ広場 (Plateia Kornarou) を越えてエヴァンズ通りを数分行くと城壁を突き抜けるトンネル(Jesus Gate)の前に出る。トンネルの向こう側はキプロウ広場 (Plateia Kyprou) 。すごく厚い城壁だ。今まで見た最も厚い城壁は中国の西安市(昔の長安)の城壁だが、それより厚いように見える。ナショナル・ジオグラフィックの記述では、城壁の最も厚いところは 40m もあるらしい。 15分ほど掛かってバスターミナルに戻る。荷物をピックアップして、港へ。バスターミナルの前の道を横切り、駐車場のようなところに出る。フェンスの向こうの岸壁にフェリーが何隻か停泊している。柵の切れ目を探す。倉庫のようなところにカフェがあり、そこから岸壁へ抜けられる。バスターミナルから見て右方向(南東方向)へ岸壁に沿って歩いていくと、チケットに指定されている ”ダイダロス号” が停泊している。真っ白な船体に太陽があたって、船名を読み取るのもまぶしい。バックパックを背負ったパッカーやスーツケースを転がした旅行客が、岸壁に接岸している後部ハッチに吸い込まれていく。巨大なトレーラーも行きつ戻りつしながら船内に積み込まれていく。
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Ferry : M/S Daedalus | ||||
Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Heraklion ← 乗船 | 18:00 | 0km | 18:00 | |
Santorini ← 下船 | 21:45 | 22:15 | 21:45, ---- | |
Naxos | 01:00 | 01:15 | ||
Mykonos | 02:40 | 03:00 | ||
Syros | 04:00 | 04:15 | ||
Thessaloniki | 16:30 |
16時30分 MINOAN LINES の M/S DAEDALUS
に乗船。1973年に日本で建造され、旧大洋フェリーおりおん、関西汽船にしき丸として活躍した後、ミノアン・ラインに売却されたそうだ。セルフサービスのカフェテリアがあるデッキへ上がり、バーの前の開いたスペースにバックパックを置く。船員が
”1箇所に固めて荷物を置いておくよう”
注意換気している。座席指定なし(いわゆるデッキクラス)なので、ラウンジのソファーに場所を確保する。(結果的にはソファーなどに座れなかった
”立ち席組み”
はほとんど見かけなかった。混雑期じゃないからかな…)
後部デッキに出る。イラクリオ市街地の向こうのまだ高いところに太陽があり、強烈な日射がこちらを照らしている。4層にわたるデッキの手すりに鈴なりになって乗客が港を眺めている。巨大なトレーラーがのろのろと貨物室に格納されていくのが見える。18時、定刻どおり後部ハッチが閉じられ、汽笛と共に出航。たくさんの人がデッキ・チェアに腰掛けて日光浴をしている。何隻かの巨大なフェリーの横をすり抜けて港から出ると、進路を真北に向けて速力を上げていく。舷側のデッキは強風が吹きぬけていくが、後部甲板は遮風板で風を遮っているので巡航時でもそんなに風が吹き込んでこない。 19時、西の空に太陽が沈んでいく。まばらに浮かんでいる雲の隙間から太陽光線が放射状に延びて、すごく幻想的な風景。ほとんど霞みのない水平線に真っ赤な太陽が沈んで、あたりは徐々に暗くなってくる。日が沈むと休息に冷えてくる。船内に戻り確保しておいたソファに座り込む。斜め後ろあたりのソファに髪の長いアジア人女性が座っている。今朝、レシムノのバスターミナルでバスを待っているのを見かけた人だ。側面が青色のガイドブックを読んでいる。話し掛けてみると、中近東で仕事している日本人だった(Mさん)。20時にセルフサービス式のカフェテリアが開いたので、いっしょに夕食に行く。 夕食後、ソファーでうとうととしながら到着時間を待つ。隣に座っている老人と会話する。ギリシア語はほとんど理解不能だ…。彼はナクソス島まで行くそうだ。21時30分頃、サントリーニ島に近づいたと放送がある。後部ハッチに下りていくと、既にたくさんの乗客が下船を待っている。フェリーの大半の乗客が降りるんじゃないかと思うくらい混雑している。21時45分、サントリーニ島のアトニウス (Αθηνιός / Athinios) 港に到着。岸壁に降りる。日本人のMさんは、まだ開いているかどうか分からないがバスに乗ってユースホステルへ向かうそうだ。私は港で客引きをしている旅行会社につかまってみる事にする。岸壁から道路に出るフェンスの所にホテル名を書いたカードを持っている客引きがたむろしている。その中の1人に捕まってみる。「フィラのホテルか?」と聞いてみると 「フィラにあるオリンピア・ホテル。1泊25EURだ」とパンフレットを見せてくるが、地図らしき物が無い。フィラから500mの所だと言い張るが、詳しい地図を見せないのが怪しい。中年夫婦、若いカップル、私の5人を捕獲したところでバンに乗せられてホテルに向かって出発する。同じような形態で客引きをしている旅行代理店が数軒並んでいて、どこも同じような形態でバンに乗せられて出発しているようだ。 |
港を出ると急な崖を一気に250mほど駆け上る。後方ではダイダロス号がナクソスへ向けてカルデラの中を進んでいくのが見える。人家のまばらな道路を20分くらい走っだだろうか、遥か向こうにフィラの町の明かりが見える。バンはその遥か手前で右折して真っ暗な農道のような道をフィラと反対方向へ走り出す。原野の中にぽつんと建っている感じのオリンピア・ホテルに到着。う〜ん、フィラから500mなわけないな…
バンから降りて、ホテルの入り口へ。私には何泊かと聞いただけで鍵を渡してくるが、欧米人の中年夫婦と若者にはまず部屋を見せてからという丁寧な対応振りだ。彼らが部屋を見ている間、階段の踊場で何分間か待たされる。25EURだから仕方ないのか、シャワーがやたら狭く、便器と洗面台に囲まれて人間の入るスペースがほとんど無い…。
よろい戸のような小さな窓を開けると、原野の遥か向こうにフィラの明かりがぽつぽつと見える。
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昨日チェックインするときに貰った、縮尺も道路の経路もいいかげんな観光用地図を眺める。ロンプラの地図と照合すると、私が今居る所はフィラの南東辺りのようだ。朝食も食べたいし、とにかくフィラの町へ行ってみることとする。窓を開けると、東からの強風が吹き荒れている。遥か向こうのフィラの白い町に朝日が当り始める。7時30分、外へ。ホテルの周囲はかなり向こうまでず〜っと農場となっている。くねくねした道をしばらく行くと、昨晩バンの運転手が言っていた
”フィラへ向かう幹線道路”
に出る。コンクリート製の小さな祠のようなバス停があるが、バスを待つより歩いたほうが早そうだ。自動車が猛スピードで走り抜ける道の際をひたすら北へ向かう。ガソリンスタンドがあり、崩れかけた倉庫のようなものがあるが、やはりどうみても
”フィラとどこかの町の間”
といった感じだ。かなり早足で15分ほど歩く。やっとフィラのバスターミナル(フィラの町外れ)に着く。アクロティリ行きのバスの時刻を調べる。始発が9時なので、あと1時間ほど余裕がある。食べ物屋でも…
と思うが、この時間帯にやっている店がほとんど無い。バスターミナル西側の
Erythrou Stavrou 通りのパン屋で軽く朝食(2.00EUR)。断崖沿いに出ると、遥か向こうまで真っ青な海が広がっている。朝日に当り始めた真っ白な建物の屋根と、真っ青な海と空。まるで人工的に造ったテーマパークのように綺麗だ。
バスターミナルの東側の路地に入っていくと、小さなペンションが並んでいる。ためしに1軒のペンションに1泊幾ら位か尋ねてみる。15EUR。フィラの町で15EURで、どうして隣の村のホテル(昨晩泊まったホテル)が25EURもするのか? こちらに移って来る事とする。 で、隣村(カルテラドス)のオリンピア・ホテルへ引き返す。ホテルに戻ると、入り口の上のベランダから昨晩の中年夫婦が「街までは遠いのか?」と聞いてくる。「遠いってもんじゃない。最低20分は掛かるヨ」。 (ホテルを移ることを予期してまとめてあった)荷物をピックアップして、1階のオーナーの部屋をノックする。1泊でチェックアウトすることを告げ、25EUR払ってパスポートを返してもらう。再びフィラへ向かう。往復50分程度(片道 約1.2km)、朝からいい運動になる… |
先ほど15EURと聞いておいたペンション (Pension Armonia) へ。中庭に面した2階のダブル・ルームに案内される。窓からは中庭の植木や花が見え、なかなか居心地がよさそうだ。間もなく9時、部屋に鍵を掛けて急いでバスターミナルへ。狭い駐車場に7〜8台のバスがひしめき合っている。アクロティリ行きのバスは最もオンボロの車で、行き先を示す方向幕は壊れているようだ。9時ちょっとすぎ、10人程度の客を乗せて出発。運賃1.30EUR。昨日フェリーを降りたアトニウス港との分岐点を通り、断崖沿いにさらに南へ。一本の木も生えていない原野の所々に、ペンションらしき建物がまばらにある。20分ほどで島の南西端に近いアクロティリ村を通過する。そこから一気に海岸付近まで下ってアクロティリ遺跡前に到着。9時25分。 |
10人ほどの観光客がバス停で降りて、2基の巨大な”つち型クレーン
(hammerhead crane)”が異様を晒す遺跡へ。入場券 5.00EUR
を買って建物の中に入る。まるで建築工事現場の仮設足場と掘削中の建築基礎の展示場。遺跡全体を覆う屋根の工事中らしい。所々に完成した金属の真っ白な円柱や天井のトラス骨組みがぶざまな姿を晒している。一方、BC16世紀のミノア文明の遺跡のほうは、あまりぱっとした印象を受けない。やはり”がっくり観光地”という噂は本当のようだ。
外へ出る。次のバスは1時間後までやってこない。先ほどバスが走っていった終着駅のほうへ道を下っていくと、海岸に沿って何軒かの建物が建っている。とある一軒のレストランらしき建物の門が、イルカのオブジェで飾られている。門を通って階段を下りていくと、石ころだらけの波打ち際に出る。これがガイドブックに載っている”レッド・ビーチ”なのか? ビーチじゃなくて、ひなびた波打ち際だよな。小さなアクロティリの入り江の西側に、岩の岬がある。再び道路に出て西へ行くと、行き止まりが小さな駐車場になっている。1台のトラックが停まっている以外は、人影はない。獣道のような人の通った跡が西へ、岬の先端へ続いている。先端まで行くと、その向こうにも入り江がある。人の通った跡は、断崖の岩場沿いに入り江の奥の方へ続いている。入り江の奥に本当に小さな波打ち際がある。水着は持ってきていない。誰も居ないし裸で泳ぐか、とも思わない。もと来た道を引き返す。駐車場でバイクに乗った若いカップルに出会う。「何か探してるのか?」と尋ねたら、「レッド・ビーチは何処にあるか知ってる?」と。「バイクじゃぁ無理だな。そこの小さな道を通って、岬の向こうにある入り江にあるのがそうだと思うよ。かなり遠い…」と教えてあげる。しばらくしてフィラの方へ走っていったので、行くのをあきらめたのだろう。 アクロティリの小さな入り江の船着場へ。船着場の前の小さな駐車場がバスの終着駅のようだ。レッド・ビーチ、部アラック・ビーチなどへ行く便があると看板に書かれているが、船なんか来るのかなぁ。ロンプラには「小船が就航。4.40EUR」と書かれているんだけどね…。駐車場横の海を臨むカフェでコーラを飲んでのんびりとバスを待つ。10時35分、バスがやってきた。 |
10時55分、フィラに戻ってくる。Erythrou
Stavrou
通りのギロ屋でギロピタとジュースで軽く昼食。3.50EUR。郵便局の向かいにある旅行代理店
(Nomikos Travel)で明後日のピレウス行き高速船のチケットを予約する。43.10EUR。やはり高速船は高いですね。(普通のフェリーの倍の価格)
12時、今度はカマリ行きのバスに乗る。運賃 0.90EUR。冷房が効いた観光バスなのに、アクロティリ行きより安い。値段の付け方かなりいい加減なんだろうか…。12時15分頃、カマリの町に入った所で下車する。この町に来た理由は、古代アスィラ遺跡 (Ancient Thira) に行くためで、海水浴に来たわけじゃない。バス停の近くを散歩していたおじいさんに、スィラ遺跡への行き方を聞く。英語が通じない。”Αρχαία Θήρα” とギリシア語で場所を言うと、山の上を指差す。ロンプラには ”ペリッサから岩だらけの悪路を45分、または車ならカマリからも行ける” と書かれているので、まさか山の上にあるとは思わなかった。影一つ無い山頂付近まで続く九折の道を登るのはかなりきつそうだ。夕方になれば日陰になるのかもしれないが…。 スィラ遺跡は明日ペリッサから再挑戦する事にして、12時45分のバスでフィラに戻る。 |
13時、フィラに戻ってくる。ペンションに戻り少し休憩した後、14時のバスでイアへ。運賃0.90EUR。バスは学校帰りの小学生で満員。バスターミナルの前が小学校なので、まるで通学バス状態だ。所々のバス停で停車して小学生がぽつぽつと降りてゆく。島の北東辺りは島の幅が狭くなっていて、そこだけものすごい崖沿いの道となる。14時25分、イアに到着。数人の小学生がイアまで乗ってきている。この町に小学校無いのかな?
フィラからの道の行き止まりの小さな駐車場がバス停。交番と公衆トイレがくっついた小屋が一つあるだけの殺風景なところだ。北側は1kmほど向こうの海岸に向かって、なだらかな斜面になっている。その海の遥か向こうに島影がひとつ、ふたつ見える。イオス島とシキノス島だろうか。地図上では19.5km離れている。バス停のあるところは海抜100m位あるので、理論上は35km向こうまで見えるはず。 (下表 x = sqrt((6380-y)^2 - 6380^2), y=標高)
(計算上、巡航時の航空機からは 390km 向こうまで見えるんですねぇ) 路地のようなイアの町へ足を踏み入れる。西に向かう路地に「YOUTH HOSTEL」の看板が掛かっている。そちらのほうの路地をどんどん進んでいくと、廃墟のような路地裏にYHがある。昨晩話した日本人のMさんが、ここのユースホステルを目指すと言っていた。22時の路線バスでここにたどり着けたのかなぁ。YHを過ぎた辺りで南(左方向)へ行くと、観光客が行き交っている道に出る。Nikolaou Nomikou 通りというらしい。11時45分で停止した古い時計を頂いた時計塔がある。1956年の地震で壊れたままになっているのだろうか…。時計塔の下は公衆トイレで、通りを挟んだ向かい側は小さなスーパー。オレンジジュース (1.30EUR) を買って飲む。 地震で崩壊した後、古い様式(キクラデス様式)で再建された町をあるく。観光客が行き交う Nikolaou Nomikou 通りが稜線の最も高いところにあり、そこから南へ向かって一気に切り立った崖になっている。その崖にへばりつくように小さな建物が密集してへばりついている。くねくねと曲がりくねった狭い階段を下って行くと、まるで迷路の中に居るようだ。迷路というより、まるでエッシャーの騙し絵の世界。いつのまにかどこかの家の屋根の上を歩いていたり、少し向こうにある別の階段に飛び移ったりできてなかなか面白い。どの建物もまぶしいばかりの真っ白の漆喰で塗り固められている。恐らく汚れてきたら塗り替えるのだろう。どの建物からも”古さ・歴史”というものを感じない。衛星放送用のアンテナはおろか、冷房の室外機や電柱など現代を感じさせる”テクノロジー”をほとんど見かけない。 まるで映画のセットのようだ。いつの時代設定でも撮影できそうだ… 町の中央にある正教会 (Orthodox Cathedral) の前の小さな広場のベンチで休憩。何匹かの犬がのんびりと寝そべっている。遥かカルデラの海の向こうにはフィラの町が見える。岩場の上に積もった雪のようにも見える。正教会からバス停に戻る路地にあるタベルナで軽く夕食(grilled chicken, ミネラル水, パン = 7.20EUR)を食べながら、しばらく時間を潰す。 18時少し前、日没を見に町の西はずれに突き出した砦へ向かう。15時ごろにはそれほどたくさんの人は見かけなかったが、この時間帯には夕日を見る観光客で混雑している。砦の階段のところでぼんやりと周りの景色を見ていると、イアに泊まると言っていた日本人のMさんも夕日を見にやってきた。サントリーニ島に到着した夜は、フィラから先のバスがなくてフィラのYHに泊まったそうだ。今日はイアの町の北にあるビーチ(パラダイス・ビーチ)に行ってきたそうだ。19時ごろ、断崖の上にへばりついている町の西面がオレンジ色に染まる。太陽がスィラシア島の少し北側の水平線に沈んでいく。昨日より湿度が高く、空が若干白くかすんでいるので”最高に美しい夕日”との噂ほどではない。 日が落ちて、西の空がオレンジ色から深紅の色へ…、そして赤紫となりあたりが徐々に暗くなっていく。風車の周りや砦周辺で夕焼けを楽しんだ何百人かの観光客がぞろぞろとイアの町の中心の方向へ戻っていく。私もMさんと一緒に町の中心方向へ歩いていく。昼間は閉まっていた正教会 (Orthodox Cathedral) のドアが開いている。混雑した小さな聖堂内部に入ると、イコンの飾られた普通の正教会だった。Mさんはこれから夕食らしく、私も付き合う事にする。バス停を越えて少し東に行ったところにあるレストランへ。私にとっては今日2回目の夕食… Mさんは重めのメニューを注文していたが、私はパスタとミネラル水を注文。(7.30EUR) 21時少し前、バス停に戻る。バス停(交番?)に張り出されている時刻表では、30分に1本程度のバスがあるはずだが、どうも1時間おきに走っているようだ。Mさんと別れて、21時30分のフィラ行きのバスに乗る。観光客で全ての座席が埋まったバスは真っ暗な崖の上の道をフィラに向かって走っていく。車窓には満天の星空が見える。フィラの町に差し掛かると、車窓は家々や店の明かりで賑やかになる。この島のちょっとした都会という感じだ。21時50分、フィラのバスターミナル着。 ペンションはフィラの町の東端にあるので、少し東に歩くと原野が広がっている。星空が手にとるように見える。南の空には大接近中の火星が真っ赤に輝いている。天頂には白鳥座と琴座。北にはカシオペア座が見える。星が多すぎてどれが星座なのかなかなか判別がつき難い… |
8時頃、バスターミナルに向かう。掲示板に貼られている時刻表を写していたら、イアからのバスが到着しMさんが降りてきた。これから空港に行きアテネ行きの飛行機に乗るそうだ。空港行きバスの出発時刻の9時まで、正教会の横のカルデラ海が見えるベンチでしばらく話す。傍らにはこのあたりを縄張りとしている巨大な黒い犬が2匹寝そべっている。Mさんと別れた後、Erythrou Stavrou 通りのカフェでサンドイッチと紅茶で朝食。4.50EUR。 |
9時、バスターミナルからよりペリッサ行きのバスに乗る。運賃1.50EUR。何人かの客を乗せてペリッサを目指す。アクロティリへの道と分岐してから、ぽつぽつとペンションなどが建ち並び、やがて海岸沿いのペリッサの町に入る。バス停ごとに何人かの人が降り、町外れの終着駅まで乗ったのは私を含めて数人だった。10時30分、目の前には巨大な禿山が迫っている。ビーチから見上げた遺跡のある山(Mesa
Vouno)はかなり高く見える(スペースシャトル・レーダーのデータでは標高350m)。
北に見えるアンテナが建っている標高567mのプロフィティス・イリアス山
(Mt. Profitis Ilias)
の方向へ舗装された道が続いている。しばらく歩くと遺跡のある山とプロフィティス山の峠が見える場所から細い山道が分岐している。何の標識も無いけれど、おそらく細い山道があの峠に続いている感じがする。遥か向こうのほうに山道を登る人が見える。
山道を登る。落石があれば一瞬のうちに谷底に滑落してしまいそうな、いかにも危険そうな道。もっと朝早ければ、遺跡のある山の陰になって涼しかったのだろうが、中腹を過ぎた頃からは容赦なく太陽光線が照り付けてくる。ばてて座り込んでいる何人かを追い越して、11時05分、標高250mの峠に到着。峠の上は小さな駐車場のようになっていて、トレーラーハウスの売店が店を開いている。峠の上に出た途端、カマリ方向からの強風が吹きつけてくる。駐車場には10台ほどの車が停まっている。ほとんどの観光客がここまで車で来るんでしょうね… 昨日登坂をあきらめたカマリの町が峠の向こう側に見える。 スィラ遺跡の入場門がある。「VISITING HOURS
DAILY 8:30 - 14:30 CLOSED ON MONDAYS」と書かれているだけで、入場料は要らないようだ。受付の小屋も閉まったままで誰も居ないようだ。入ってすぐのところに、どう見ても遺跡じゃ無さそうなかまぼこ型の小さな倉庫のような建物がある。カマリ側の崖沿いの道を強風に吹かれながら10分ほど登る。強風でひん曲がった松が所々に生えている。町の入り口はアルテミドロスの聖域(Sanctuary
of Artemidoros)と呼ばれるほとんど崩れてしまった神殿の壁のような物から始まる。山頂付近に向かって崩れた建物の基礎部分が延々と続いている。あちこちで発掘が今も行われていて、その周辺を「KEEP
OUT」テープで囲んでいる。影一つ無い炎天下の遺跡での発掘はさぞかし体力消耗するだろうね… この遺跡、ロンプラでは「It takes 45 minutes to walk to the site along the path from Perissa on rocky, difficult ground」と書かれているが、walk じゃなくて climb up に書き換えてほしいものだ。ここに来るまでは海岸沿いにあるものと思っていた… 一方、歩き方には「カマリとペリッサの間にそびえるサントリーニ最高峰(369m)の頂上にある。カマリやペリッサから歩いて行けないことも無いが、(中略:カマリからツアーバスがあると書いてある)。ただし、車は遺跡の手前までしか行けず、それからさらに15分ほど山道を登らなくてはならないことを覚悟しよう」 このいい加減な説明にはあきれるが、最高峰は遺跡入り口の峠の反対側にある標高567mのプロフィティス・イリアス山だと行ったことあれば一目瞭然だし、ロンプラからネタを仕入れているのならもう少しちゃんとロンプラを読めと… (略) さて、再び峠の方向へ降りてゆく。眼下をサントリーニ空港へ着陸する小型ジェット機が横切っていく。離着陸する民間機の間に、爆音を響かせて戦闘機が離陸していくのが見える。12時、峠まで降りてきた。帰りはカマリの方へつづらおりの道をのんびり下っていく。下から徒歩で上ってくる観光客数人とすれ違い、上から降りていく車数台に抜かれた、炎天下の下り坂。約30分でカマリの町外れまで降りてくる。小さな旅行代理店があり、「スィラ遺跡へ、ミニバスかロバで」と看板が出ている。車なら峠まで5分も掛からないだろうけど、べらぼうに高そうだな… と思いながら前を通り過ぎ町の中へ。ビーチ沿いのカフェでチキン・ギロ・ピタ (1.50EUR)で昼食。しばらくビーチで過ごした後、バス停へ。13時20分のバスに乗りフィラに戻る。 |
一旦ペンションに戻り、たまっていた洗濯物を持ってペリカンホテルの地下にあるランドリーへ。着ていた服も脱いで全て洗ってもらう間、店内のベンチに座って待つ。料金は
9EUR。その後、Erythrou Stavrou
通りのインターネット・カフェへ。日本語がインストールされていない
WindowsXP
だったので、事務所にいた女性に頼んでインストールCDを貸してもらい、日本語フォントとIMEをインストールする。Windows98
まではネットワークから自動インストール可能だったのにという話をして、Windows2000以降の外国語サポートの使いにくさをなどを話した。「ついでに韓国語と中国語もインストールしとく?」と聞いたら、「不要」ということだった。この島にはあまり来ないのかな、中国文化圏の人たち…。
夕方、フィラの崖沿いの道を歩く。町の北はずれのノミコス・コンベンション・センターまで登ってくると、崖に沿ってぎっしりと建ち並ぶフィラの町が一望できる。絵描きがキャンバスを広げて絵を描いている。写真を撮りに来る観光客もちらほら登って来る。昨日よりさらに湿度が増してきたようで、空がなんとなく白っぽい。それでも夕日を受けて真っ赤に染まったフィラの町はなかなか綺麗だ。 夕食はフード・スタンドでパスタを食べる。5.50EUR。 |
7時ごろ起床、Erythrou Stavrou
通りのカフェで朝食後、町をぶらぶら歩く。早朝のフィラの町は直射日光があたっていないので、白い建物も灰色の世界。崖沿いの道をロバが糞を撒き散らしながら歩いている。シャッターが下りたショッピング街を抜けて、町の北側のカトリック教会へ向かう。重い扉を開けて中に入ると、スカイブルーのドームの内部もスカイブルーに塗られている。まるでドームが存在せず、天空を見上げている感じだ。正教のドーム内面なら一面に聖人画が描かれていそうな物なのだが、やはりカトリック教会ということで独自性を出しているのか…。
町のテラスよりカルデラ海を眺める。ネア・カメニ島(噴火口)との中間あたりに真っ白な巨大客船が投錨している。フィラの小さな桟橋との間を、小さな艀が何度も往復しているのが見える。ぼんやりその巨大客船を見ていると、20分で1回転(錨が切れないように回転方向を反転させながら…)しているようだ。燃料の無駄遣いというか、ヒマなんですかね、客船の乗員って…。環境保護団体が見たら、無駄な大気汚染を出して… とは言わないか。 Erythrou Stavrou 通りのギロ屋でポーク・ギロ・ピタで少し早い昼食。3EUR。ペンションに戻って、2泊分の料金 30EURを払ってチェックアウト。ちょうど中庭に私が泊まっていた部屋の下の階の客が出てきていた。イタリアのトリエステから来たそうで、「蹴球」と漢字で書かれたTシャツを着ていた。「その中国語の意味知ってるか?」と聞いたところ、ちゃんとサッカーだと認識していた。さすがイタリア人、サッカー好きですね…。 12時00分、フィラのバスターミナルよりアトニウス港行きバスに乗る。通路にまで立ち席が出るほどの超満員。運賃1.30EUR。運賃を乗客のリレー方式で車掌に払う。12時35分、つづらおりの急坂を下りたところにあるアトニウス (Αθηνιός / Athinios) 港に到着。チケットで指定された高速船 「HIGHSPEED 3」号はまだ到着していないようだ。バス停近くの岸壁にはアトランティス号というフェリーが停泊している。その辺を歩いていた警備員に聞いてみると、4・5番のゲートで待っておくといいそうだ。4・5番ゲートのみ、コンクリート製の屋根がある。12時45分、真っ赤な船体に vodafon の宣伝が入ったジェットフォイルがやってくる。岸壁のすぐ向こうで軽やかにターンして、接岸。機動性のいい船だなぁ。Hellas Flying Dolphins 社の HSC Highspeed 3 (Χατσπιντ 3)号。2000年建造で最高速度40ノット(約75m/h)。 4・5番ゲートで長蛇の列をなしていた乗客が船内に吸い込まれていく。全席指定席なのでゆっくりと船の外観を眺めてから乗り込んでも座る場所は既に確保されている。指定された座席に着く。1階(エコノミー席)の左舷側窓際 23Z 席。といっても、乗船率が50%程度なので好きな場所に座れそうだ。13時、定刻どおり港を離れる。 スィラ島のカルデラ海を抜けると、波が高くなってくる。船底が海面にぶつかるたびに左右に揺れる。窓には水しぶきがたたきつけられてくる。13時55分、イオス島 (Ios / Ιος) のオルモス港に到着。後部デッキに出て港を眺める。草木が一本も生えていない岩山と海の間のほんの少しのスペースに、小さな建物が密集して建っている。小屋程度のフェリーターミナルの屋根の下には、船の接岸を待つ50人程度の人が日差しを避けるように集まっている。船が完全に接岸し、ターミナル小屋の前に渡されていたロープが解かれ、数十人の乗客が船目指して早足でやってくる。既にターミナル小屋に居るなら置いて行かれるわけ無いので、ゆっくり乗ればいいのに… これも人間の習性でしょうかね。 14時、イオス島オルモス港を出港。船員から船内に入るように促される。巡航中に船外には出られないようだ。ピレウスに向け、波の高いエーゲ海を順調に滑るように進んでいく。波の高い場所(見た目の波高 2m 程度)では大きく揺れ、立って歩くのがすこし苦しいくらいだ。何席か向こうの乗客が嘔吐しまくっていた。でかいピザの紙箱を持ち込んで意気揚揚と乗船したのに形無しですね…。 |
18時、ピレウス着。(定刻より15分遅れ) ターミナルビルのすぐ前の岸壁に接岸する。雲ひとつ無い快晴。直射日光にじりじりと焼かれながら地下鉄駅を目指す。自動券売機で0.60EURの切符を買い、18時20分の列車に乗る。 |
オリンピックのための工事で、停車する駅のほとんど全てが何らかの工事中。モナスティラキ駅
(Monastiraki)
はプラットホーム自体が撤去されて列車が通過…。
オモニア駅 (Omonia)に停車するか少し不安になるが、4年前に来たときより幾分綺麗になったオモニア駅に停車。駅から外に出る。相変わらずの場末といった感じのすさんだ街並みが広がっている。今日は土曜日なので、ほとんど全ての店やオフィスが閉まっている。予約したユースホステルは
Victor Hugo 通り 16番地にあるとロンプラに書かれている。路上駐車で両側が埋まった薄暗い道を西へ10分ほど歩いてユースホステルにたどり着く。インターネットで予約(1泊16.30EUR)して印字した紙を見せてチェックイン。会員証の提示を求められたので、その場で会員になる。1年間有効で15EUR。日本で会員になると(新規扱いで)2500円なので、外国で入ってしまったほうが安い。シーツを貰い、2階の101号室へ。部屋には誰も居なかったので、適当なベッドに荷物を置いて夕食に出かける。
再びオモニア方向へ歩いていく。国立考古学博物館の向かい側にハンバーガーショップ Goodys があったと思うので、そこへ向かう。通り道のスーパーを含むあらゆる店が閉店していて、まるでゴーストタウン状態だ。Goodys はやっていて、それなりに客が入っている。Golden Special というハンバーガーメニューとミネラル水で 3.95EUR。ハンバーガーが皿に載って、ナイフとフォークが付いて料理のように出てくる店は、ここくらいですかね… 。(アメリカなどでチェーン店でないところではこういう形態のところが多いけど) 店の2階から見下ろした国立考古学博物館は、オリンピック関連の工事で閉館中なのでひっそりとしている。その後の報道では結局オリンピックの時期に工事が完了しない事態が暴露されたわけだが… Victor Hugo 通りのユースホステルから1分ほど西に行ったところにインターネットカフェを見つける。50分程度使って2.70EURだった。部屋に戻ると、何人か戻ってきていた。上のベッドには金髪・長髪の兄ちゃんが寝込んでいる。3台並んだベッドの中央下段(私の横)でも寝込んでいる奴が居る。そぉっと室内のシャワーを浴びる。22時に給湯が止まるそうだが、まだ21時30分。上のベッドの兄ちゃんが目覚めたらしく、どこの国から来たか聞いてみる。以外にも地元のギリシア人。別の都市からアテネに遊びにきているそうだ。今日は○○○ビーチ(←名前覚えられなかった)に日光浴に行ってきたらしい。本職は電気工事業だそうだ。アテネ・オリンピックの工事がべた遅れなことを聞いてみると、「同時に同じ工種に取り掛かるから、人員も資材も同時に需要が発生して非効率」というのも一つの理由らしい。今の時期は一斉に建物の基礎工事でもしているのかな…。さすがギリシア文明を築いた民族だけはありますね、納期なんて3000年以上の歴史に比べたらたいした事ありませんね。 |
ユースホステルは裏通りに面しているので、車の騒音などがなく案外静かだ。ぐっすり眠って6時ごろ起床。と、私の上のベッドで寝ていたギリシア人の兄ちゃんは6時に外に出て行った。すごい早起き、行動力だ… 6時30分頃、1階の受付に行き、係員のおばさんに「デルフィへ行く為のバスターミナル」への行き方を聞く。おばさんが言うには、「ユースホステルを出て、東に1ブロック行ったところを北へ、さらに1ブロック行ったところを東に曲がるとA11・B11バスが待っているのでそれに乗り、プラクトレイアで降りる」といいそうだ。で、まだ真っ暗な道を数分歩いて(Favierou 通りと Marni 通りの交差点)バス停へ。巨大なゴミ箱コンテナの横に、誰も客が乗っていないバスが1台停まっている。運転手は居ない。切符売り場の小屋で「プラクトレイアに行くのか?」と聞くとそうだと言う。切符は?という問いには、謎の答え。とりあえずバスに乗り込む。6時35分、運転手がやってくる。「切符は?」と尋ねると、「切符は要らない。無料だ」と。「???」 乗客2名を乗せて、A11系統バスは走り出す。リオシオン通り (Liossion) を北上して、停留所毎に何人かの乗客が乗り降りする。6時45分、プラクトレイア (Praktoreia / Πρακτορεια) バス停で下車。運転手にバスターミナルの方向を聞く。バス停のすぐ南の道を東へ行くとバスターミナル(リオシオン・バスターミナル)があった。建物の中に入り、デルフィまでの切符(11EUR)を買う。出発まで少し時間があるので、売店でサンドイッチと紅茶(2.50EUR)を買ってベンチに座って食べる。トイレに行くと 0.50EUR 取られた。乗客からも利用料取るとは、サービス悪いですね…。7時20分くらいに、切符売り場から最も遠いレーンにバスがやってくる。景色のよさそうな一番前の座席を確保。乗車率は80%程度。7時30分、定刻どおりデルフィに向けて出発した。 |
BUS | ||||
Bus Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Athens ← 乗車 | 7:30 | 0km | 7:30 | |
Shimatari | 8:30 | (52km) | ||
Thiva | 8:55 | (83km) | ||
(Hotel Erato) 休憩 | 9:05, 9:20 | |||
Break | 9:40 | (129km) | ||
Arachova | 10:10 | (167km) | ||
Delfi ← 下車 | 10:25 | (177km) | 10:20 | |
Chrisso | 10:35 | (187km) | ||
Itea | 10:45 | (196km) | ||
Sernikaki | 10:55 | (204km) | ||
Amfissa | 11:00 | (209km) |
バスターミナルを出て数分で高速道路(E75
アテネ・テッサロニキ高速道路)に入る。1時間ほど快調に高速道路を走り、Thiva
の郊外(Thebe :
エジプトみたいな名前)でかなりがたがたの一般道路へ。一面のブドウ畑の中、国鉄(OSE)線路の横を走る。線路は電化工事中で、所々架線が完成している。果たしてオリンピックに間に合うのかなぁ…
(私の予測では、無理だと思う)。 9時05分、リバディア手前の丘の上にあるホテル(Hotel
Erato)で休憩時間。ホテルのカフェの奥にあるトイレが無料で使える。カフェでグリーク・コーヒー
(1.50EUR)を飲んで出発を待つ。ホテルの駐車場には、リボンが取り付けられた赤い小型車が停まっている。結婚式でもあるのかな。
9時20分、ホテルを出発。リバディアの町を通り過ぎると、道は山間部に差し掛かる。まばらに木が生えただけの山々の間を、右へ左へカーブを取りながら高度を上げていく。10時、高度計が865mを示した峠を越えて、アラホバ(Arachova)の村のバス停に停車。看板にスキー場の宣伝が出ている。ギリシアでスキーとはすごくミスマッチな感じだ。だらだらと坂を下って、観光バスが何台か停まっている場所を過ぎてすぐにデルフィの村に到着。10時20分。 |
バスが停車したすぐ前の売店がバスの切符売り場もかねているようだ。帰りのバスは
13時35分、16時05分、18時05分…
インターネットで調べた通りだ。13時05分の切符を買う。11EUR。バスは遺跡と反対側の村はずれに到着したらしく、村はバス停のところで途切れている。遥か崖の下には緑の谷間が広がり、プレイストス谷(Pleistos
valley) の出口にはイテア湾(Kolpos Itea)とイテアの白い街並みが手に取るように見える。 ホテルなど観光客向けの建物が密集したデルフィの村を数分で横切り、村の反対側に出る。そのまま崖沿いの道(48号線)の緩やかな坂道を登っていくと、万国旗がはためいている。アメリカ、ロシア、日本、南キプロス… 。万国旗に南キプロスが混じっているのは、さすがギリシアが肩入れしているだけはある。傍らに富山県 利賀村との姉妹都市提携の看板が建っている。5分ほど歩くと、乾燥した岩山の麓にぽつぽつと崩れかけの円柱が建っているのが見える。古代デルフィ遺跡だ。工事中の博物館の脇から木立に囲まれた歩道が出来ていて、強い日差しを避けることが出来る。観光バスが何台も路上駐車していて、観光客がぞろぞろと引き連れられて歩いている。遺跡の入り口、6EUR払って中に入る。 他のギリシア都市のようなアクロポリスに建てられた神殿ではなく、山の斜面にへばりつくように建てられた聖地。つづらおりの聖なる道(Sacred Way)を少し登って行くと、アポロン神殿(Temple of Apollo)のひときわ巨大な円柱が建ち並んでいる。といっても、6本がかろうじて建っているだけで往時の建物を想像できるほど保存状態が良いわけでも無い。神殿の裏手には円形劇場の座席が完全に近い形で残っている。(もしかして現代の建築技術で復元した物かも…) 劇場の横を通り過ぎて、少し急な坂道を数分登ると聖域の最も高い位置にある陸上競技場(Stadium)に出た。英語を話す高校生くらいの若者が、スタートラインから競技場の奥へ向かって走る競争をしていた。確か、数年前に訪れたオリンピア遺跡の競技場にも、似たようなスタートラインの石版が埋め込まれていた。昔は「石灰の白線」はなかったのだろうか。 デルフィの遺跡地区で唯一、中まで入ることが出来たのがこの陸上競技場。石で出来た座席に座ってしばらく休憩する。座席に座ってよく観察すると、座席が一直線でなく上下左右に若干うねっている。現代にも引けを取らない高度な建築技術を持ったギリシア文明の建物が”素人が見て分かるほど傾く”はずがない。地震で不等沈下を起こしたのだろうか…。 遥か下のプレイストス谷を見下ろす。観光バスが路上駐車している道路(48号線)の向こうの谷底に向かっても遺跡が広がっている。円形の神殿”トロス”があると言う場所だろうか。観光客の波を避けながら、聖なる道を入場口まで引き返す。道路を横切り、デルフィの村と反対方向に少し歩いていく。道路がくびれたところのカスタリアの泉(Castalian Spring)という看板が出ている。落ち葉のたまった湧き水の出口という感じだ。日本の神社でいうところの”清めの水”みないなものだ、とロンプラには書かれている。道路を挟んだ向かい側に売店のような物があり、谷底へ向かう道がある。が、フェンスで閉ざされている。団体客専用の入り口のようだ。しばらく道路(48号線)をアラホバの方向へ歩くと、谷底の遺跡地区へ降りる道がある。入場料無料の遺跡には、経路を示す看板すら出ていない。金を落としてくれる団体客以外はお断りという雰囲気だ。何人かの観光客と遺跡の中へ向かう道を探して行きつ戻りつ…。 やっとアテナ神殿(Temple of Athena)の前にたどり着く。神殿の脇にはギリシアで唯一といわれる円形の神殿”トロス(Tholos)の円柱が建っている。いかにも「ばらばらだった円柱の破片を拾い集めて、モルタルで作り直した」といった感じの嘘っぽい遺跡。観光客の人気を集めるには、無理やり復元するしかなかったのだろう。 デルフィの村へ戻る。途中、博物館に寄る。オリンピックの絡みなのか、工事中。エントランスホールまで入ることが出来て、御者(The Charioteer)の像だけがそこに展示されていた。完全閉鎖で門前払いより、立像1点でも見せてくれる工事関係者の心遣いに感謝する。団体ツアー客は遺跡付近でバスに乗るため、デルフィの村まで来る人は少ないようだ。村内の道はひっそりと静まり返って、時折走り抜ける車の音だけが響いている。バスターミナル前のタベルナでポーク・ギロピタで昼食。2.60EUR。13時20分頃、道路わきのカフェでグリーク・コーヒー(1.50EUR)を飲みながらバスを待つ。バスは10分ほど遅れて13時45分にやってきた。乗車率は50%も無いので、余裕を持って座ることが出来る。
|
BUS | ||||
Bus Stop | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Amfissa | 13:00 | |||
Sernikaki | 13:05 | |||
Itea | 13:15 | |||
Chrisso | 13:25 | |||
Delfi ← 乗車 | 13:35 | 0 km | 13:45 | |
Arachova | 13:50 | |||
Break | 14:05 | |||
(Hotel Erato) 休憩 | 14:45, 15:00頃 | |||
Thiva | 14:50 | |||
Shimatari | 15:15 | |||
Athens ← 下車 | 16:15 | (177 km) | 16:45 |
定刻より30分ほど遅れた16時45分、アテネのリオシオン・バスターミナルに到着。バスターミナルからまっすぐ東へ、カピダキ(Kapidaki)通りを5分ほど歩くと、地下鉄1号線(このあたりでは地上を走っている)の線路沿いに出る。通行人に「近い駅は右か左かどっちへ行けばいい?」と尋ねると、「右だ」とのこと。軌道上をステンレス車体の銀色の列車が走り抜けていく。もしかして、オリンピック工事で駅が閉鎖しているかも…
。道路もそこらじゅうで掘り返されていて、駅にたどり着いただけでも御の字だ。線路沿いに歩いて数分で、アギオス・ニコラオス駅(Ag.
Nikolaos)に到着。”乗り換え不可”の切符(0.60EUR)を買って、改札機を通りプラットホームへ。
列車が来た。車内は座席が完全に埋まるくらいの満員。次の駅(アッティキ駅)はプラットホームの石張りの工事中で通過、地下線に入り Victoria 駅、Omonia 駅 と停車する。ユースホステルに戻る時間でも無いので、そのままモナスティラキ駅(Monastiraki)まで行き下車。ピレウス方面へのプラットホームはかろうじて営業中。乗客のほとんどがこの駅で降りるようだ。大混雑の階段を登り外に出る。17時13分、まだ夕日が射している。 アテネに来たからには、パルテノン神殿参拝をしないといけない(謎)。ローマン・アゴラの横を通り、賑わっているカフェなどの間を抜けてアクロポリスの丘を登る。以前、入り口を探してアクロポリスをほぼ一周した経験があるので、今回は迷わない。ぱらぱらと観光客が通る細い道を10分ほど歩くと、アクロポリスの西側にある入場口に出る。売店で切符(12EUR)を買う。えらく高い切符だ。さすが世界遺産やユネスコのシンボルマークに使われる「世界でいちばん有名な神殿」だけはある。夕日に照らされたプロピレイア(Propylaia)目指してさらに階段を上る。ヘロドス・アティクス劇場(Theatre of Herodes Atticus)から歌声が聞こえる。崖沿いから見下ろすと、演劇のリハーサルをやっているようだ。1900年程前に建てられた舞台が現在でも使われているのは、それ自体が奇跡だと思う。プロピレイアの金属の足場は以前より増えたように感じる。金属フレームの増殖は、まるで大理石造りの建物を覆ってしまう勢いだ。イオニア式とドリス式の円柱が同居しているプロピレイアを抜けると、目の前にパルテノン神殿が夕日に染まって鎮座している。 本殿、いや、パルテノン神殿本体の金属足場の数も増えまくっている。内部は足場で埋め尽くされており、側面にまで足場があふれている。17世紀の大爆発のダメージで、今にも崩れそうなのだろうか…。BBCの特集番組では、20世紀初頭の修復で”鉄製の楔や補強材”が使われたため、それらが錆びて膨張する事により周囲の大理石にヒビを入れてしまうので再修復が必要になっているそうだ。ドリス式の周柱の上に乗っかった梁をよく見ると、確かに楔を打ち込んで補強しているのがよく分かる。せっかく組みあがっている梁を再び分解して組み上げるのは、現在のスピードを見ていると半永久的に掛かるだろう…。 そこで、日本のODAというのは無いのだろうか? 某 反日国家に技術支援や燃料支援するくらいなら、日本のODAの大半を振り向けてアクロポリスを10年で再建するというのはどうだろう。 エレクティオン(Erechtheion)の周囲をぐるっと回ってから、パルテノン神殿裏側のアクロポリス博物館(Museum)へ。破風の彫刻の一部や、メトープが展示されている。さんざん略奪された後に、よくこれだけ残っていたものだ。カリアティドゥスのポーチ(Caryatid Porch of the Erechtheion)の人の形をした柱が3本安置されている。1本は大英博物館にあるらしい。いかにも本物っぽいエレクティオンの柱は、実は全部模造品なのか… いよいよ太陽が西の空に沈んでいく。逆行を利用して女性モデルの写真を取るカメラマンが神殿の裏側に陣取っている。パルテノンを後にし、地下鉄駅のほうへもと来た道を降りていく。古代アゴラ(Ancient Agora)の裏口が開いていたので、中へ入る。アゴラ内部を通るほうが駅へは近道。今回はミドル・ストア(Middle Stoa)を少し散策して外へ。モナスティラキ駅のすぐ北側にある自由市場をチラッと覗いてみる、休日なのでほとんど店が閉まっている。駅の北行きホームは閉鎖中なので、アティナス通り(Athinas)をのんびり歩いてオモニアへ。食肉市場の横では暴走族が集結して警官とにらみ合っていた。いまどき暴走族って… 何。 国立博物館前の goodys で夕食 (7.60EUR)を食べて、まだ薄明るいので国鉄アテネ中央駅(ラリッサ駅)へ向かう。明日のカランバカ行きの列車の切符を買う。窓口の駅員が机の中から帳面を出してきて、指定した列車の座席一覧から1つ選び出し、”横線で消し”ていた。EU加盟国の首都で、それもその国の幹線路線の座席指定を”ノートに手書き”で管理する。コンピュータウイルスとは無縁の世界ですね。で、ワープロを起動して、旧式のドットプリンタで切符に印字。カルチャーショックを受けそうです…。でも、1週間後にルーマニア鉄道の切符の売り方を見たときは、もっとカルチャーショックを受けました。
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6時30分頃起床。7時15分、チェックアウト。ユースホステルから300mほど西にある地下鉄メタフーギオ駅(Metaxourghio)へ。通勤客が行き交い、駅付近の店がちらほらと開いている。昨日まで(週末で)ゴーストタウンのように無人だったのとは大きな違いだ。0.70EURの切符を買い、7時34分の地下鉄に乗り国鉄アテネ中央駅(ラリッサ駅 Larissa Station)へ。車内は座席が全て埋まるくらいの混雑度。国鉄駅には既にたくさんの人が列車を待っている。朝食を食べようとカフェを探したが、あいにく売店しか開いていない。サンドイッチと水を3EURで買って、待合室のベンチに座って食べる。8時01分発のテッサロニキ行きInterCityにほとんどの客が乗り込んでゆき、ホームが一旦静かになる。私が乗る予定の各駅停車がやってきた。先ほどのICが冷房車であったのに比べ、こちらはオンボロ客車が窓を開け放してホームに滑り込んでくる。切符で指定された4号車85番のコンパートメント座席に着く。車内は満員。通路にまで人があふれている。列車は定刻どおり8時30分にアテネ中央駅を出発。 |
Train IR500/R1882 | ||||
Station | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Athenes ← 乗車 | 8:30 | 8:30 | ||
Inoi | 9:21 | |||
Thive | 9:39 | |||
Aliartos | 9:50 | |||
Levadia | 10:03 | |||
Tithorea | 10:16 | |||
Amfiklia | 10:27 | |||
Bralos | 10:42 | |||
Lianokladion | 11:09 | |||
Domokos | 12:10 | |||
Paleopharsalos ← 乗り換え | 12:20 | 12:20 | ||
…(中略) | ||||
Thessaloniki | 14:31 | |||
----------------- | ----- | |||
Paleopharsalos ← 乗り換え | 12:30 | 12:30 | ||
Karditsa | 12:52 | |||
Trikala | 13:14 | |||
Kalambaka ← 下車 | 13:32 | 13:30 |
アテネを出ると、乾燥した草原の中をゆっくりと走り出す。昨日デルフィへ行くバスが走った道がすぐ脇に見えている。1時間ほど走ると電化工事中の電柱も途切れ、山岳地帯を右へ左へと走り出す。車掌が検札に来たので、この列車がカランバカへ直通しているのかを聞いてみる。パレイ…ロス(←
パレオファルサロス駅のこと)で乗り換えだそうだ。コンパートメント内には10代後半と思われるお姉さんが2人と、母と小学生ぐらいの娘が2人、私の6人。網棚に置いてあった鉄道会社の情報誌に路線図があったので、隣に座っているお姉さんに英語で聞いてみた。「パレイ…ロス??
ってどこの駅?」 … 英語はほとんど通じなかったが、乗り換えるべき駅は
ΠΑΛΑΙΟΦ/ΛΟΣ
という駅らしい。駅名に割り算みたいな変な記号が入ってるんですが…
。ラミアへの支線が出ているレイアノクラディ駅(Lianokladion)でたくさんの人が降りるが、それでも空き座席ができるほどではない。12時ごろ、山岳地帯を抜けて長い坂道を下りだす。平地に出たところの道路との交差点(プラットホームや駅舎は見当たらない)に停車して何人かが乗り降りしている。すぐに平原の中に新しく出来た駅に停車する。同じコンパートメントのお姉さんが、ここがパレオファルサロスという乗換駅じゃないかなと言っている。(あまり有名な駅じゃないんだ…)
慌ててプラットホームに降り立つ。何人かの旅行客も列車から降りてきている。となりのホームに別の列車が待っているので、階段を下りてとなりのプラットホームへ。行き先案内表示装置は壊れているのか、何も表示していない。車掌らしき人に、カランバカ行きかどうかを確認して列車に乗り込む。私と同じようにアラブ系の旅行者も同時に車内に乗り込む。彼はモロッコから来た学生で、私と同じくメテオラ観光へ行くそうだ。(大学の薬学部在学だと言っていた。欧州を旅できると言うことは、かなりの資産家の家なんだろう) 12時30分、アテネ発テッサロニキ行きのIR500が出発したすぐ後に、私の乗ったカランバカ行きローカル列車 R1882 がのんびりと出発。山岳地帯に囲まれた平原を、緩やかにカーブした線路を走る列車。見渡す限りの枯草色の農場に強烈に太陽が照り付けている。幾つかの小さな町に停車して、ほとんど乗客の居ない列車は終着駅 カランバカ (Kalambaka)に到着。13時30分。私と、モロッコ人と、何人かの乗客、それに日本人と思われる女性2人が寂れた駅に降り立つ。 |
カランバカに降り立ったバックパッカーは合計4人。とりあえずいっしょに宿探しすることとする。女性2人はスイス在住の日本人で、バカンスでギリシアに来たそうだ。ほとんど人通りが無い町を北へ向かう。途中に1軒ペンションがあったが、1泊30ユーロなのでパス。メインストリートのトリカロン通りを越えて坂道を登っていく。ROOMS
と看板の出ている建物がある。1階の(閉店しているように見える)バーのようなところに入り、1泊幾らか聞いてみる。ツインの部屋で1泊20ユーロ。2人ずつでシェアすることとする。彼らは2泊泊まる予定らしいが、私はブルガリアへ急ぎたい気もするので、とりあえず1泊という心積もりでこの町に滞在する。
部屋に荷物を置いて、4人で少し遅めの昼食を食べに行く。町の中心のリガ・フェレオウ広場(Plateia Riga Fereou)のタベルナでムサカ(ピーマンに肉を詰めたもの)とミネラル水で昼食。5.30EUR。町の中心と言っても、ほとんど車も通らないし、なかなかのどかな町だ。食後、メテオラに向かうこととする。ロンプラでメテオラ方面行きのバスが出ていると書かれている、ディマルヒオウ広場(Plateia Dimarchioy)へ。最終バスは13時30分に出ているはずだが、タクシーが2台ほど停まっているのを見つける。メガロ・メテオロウまで5EUR。(1人あたり 1.25EUR) タクシーの運転手によれば明日はメガロ・メテオロウの休館日なので、ぜひ今日見ておくべきだそうだ。カストラキの町を通り過ぎ、坂道を10分ほど登るとメガロ・メテオロウの駐車場に到着。15時25分。 |
駐車場にはバスが数台と、何台かの自家用車が停まっている。谷間の少し低くなったところにメガロ・メテオロウ修道院(Μεγαλο
Μετεωρο / Moni Megalou Meteorou)へ渡る石橋が架かっている。さらにそこから崖に沿って穿たれた階段をひたすら登ると修道院の庭に達する。たくさんの人が修道院を見に来ている。日本人らしき団体観光客もいる。入場料
2EUR
払って中に入る。女性にはスカーフを無料で貸してくれるようだが、男性はそのまま入場可能だった。(スカートを履いたスコットランド人男性なら、スカーフ要るのかな…)
かなりの数の観光客が歩いているので、自由に中を歩き回ると言うわけにも行かない。団体客の居なくなったスキを見計らって要領よく見学する。ワインセラーがあり、現在では観光客への見世物としてプラスチックの葡萄が樽に放り込まれている。100人以上が座れそうな巨大な食堂は修道院の本堂(katholikon)より遥かに大きいように感じる。修行僧であっても食事は重要だったのだろう… 修道院を出て、駐車場への階段を下る。日本人の老人がゆっくりと階段を降りている。どこから来たのか聞いてみると、新潟県だそうだ。ツアーとはいえ、80歳台でこんな階段を昇り降りする遺跡観光は大変だろうと聞くと、そんなことはないそうである。私も80歳でこれほどの健康が保てるだろか… 16時50分、駐車場の売店でカランバカへ降りる近道を聞く。駐車場と修道院の間の石橋から分岐している山道がそうらしい。メガロ・メテオロウの岩山にへばりついたような急傾斜の山道を一気に下る。下から見上げる修道院もなかなか見事な景色だ。約20分で先程タクシーで登ってきた自動車道路に出る。岩山にへばりついて登っているロック・クライマーが見える。修道院を最初に建設した先人も、あんなふうに登って行ったのだろうか。17時30分、カストラキ村のはずれにたどり着く。村からカランバカ行きバスが出ているそうだが、カランバカまでそんなに距離が無さそうなので歩いてカランバカまで戻る。17時50分、カランバカのペンションに帰着。
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19時ごろ、トリカロン通り(Odos
Trikalon)のバーがやっているネットカフェへ。Windowsじゃない謎のOSで日本語フォントのインストールも出来ない。その割に値段は1EUR/10分とバカ高い。とりあえず英語のニュースサイトなどをチェックしてから付近のギロ・ピタ屋へ行き夕食。2.50EUR。
メガロ・メテオロウで出会った新潟の老人にばったり出会う。団体ツアーもこの町に泊まっているようだ。日も暮れて、あたりは真っ暗になる。メテオラの岩山はライトアップなどがされていないので、そこに岩山があるかどうかも分からないくらい漆黒だ。深夜、岩山から吹き降ろす強風で、ペンションのベランダに吊り下げておいた洗濯物が下に落ちてしまう。昼間あれほど暑かったのに、深夜は驚くほど肌寒い。 |
6時30分頃起床。同室のモロッコ人
I氏がシャワーを浴びている間、ベランダから早朝の岩山を眺める。7時30分、シャワーが壊れていて向かいの部屋に移った日本人の
MさんとKさんと共に外へ。1階の店にいたオーナーに私ももう一泊する旨を伝えておく。
トリカロン通りへ。この時間帯に開いている店はほとんど無い。唯一パン屋が開いていた。ショーケースと工房のあいだに何席か机が並んでいて、地元民が座ってパンを食べている。ソーセージ・パイとコーヒーで朝食。3.00EUR。 リガ・フェレオウ広場へ。メテオラ周辺の地図が掲示板に貼ってある。あいにく地図を持っていないので、デジカメで地図を撮影しておく。ほとんど人通りの無いトリカロン通りを北西に歩き、昨日タクシーを捕まえたディマルヒオウ広場へ。今日も2台のタクシーが停まっていた。メガロ・メテオロウまでタクシーで一気に上がる。今日はメテオラのおもな修道院を総なめする予定だ。 |
8時45分、メガロ・メテオロウ修道院の駐車場で下車。今日も運賃は5EUR。1人あたり1.25EUR。メガロ・メテオロウ修道院は今日は休みだが、何人かの観光客が修道院の入り口へ登って行く。昨日は逆光で撮影できなかった修道院の全景を撮影して、今日の修道院グランド・ツアーに出発。
カストラキからタクシーが登ってきた道をしばらく下って行き、5分ほどでヴァルラーム修道院(Ιερα Μονη Βαρλααμ / Moni Varlaam)への分岐点に到達する。水平に吊り橋でも作ってくれれば楽そうだけど、わざわざ駐車場を低い位置に作って、再び急な階段で修道院に登るようになっている。すでに韓国人のおばちゃんの団体と、西洋人で混雑している。入場料 2EUR払って中へ。鐘楼は最近改築されたようで、2つの8角形のドームを持つ聖堂も新しく見えなくも無い。下界から物を持ち上げるウインチを収めた部屋がある。昔は人力だったのだろうが、今は電動式。すぐ下の壁面をコンクリートを流し込む補強工事が行われている。大混雑している礼拝堂の中は、結構古そうな聖人画フレスコが壁や天井を覆っている。 土産物屋なのか、イコンや歴史の遺物の展示館なのか区別が付き難い展示館をチラッと見る。その横のトイレを拝借(無料)してから修道院の外へ。9時50分。 さらにダラダラと坂道を下っていく。カストラキへの道路が分岐して、谷底へ続いている。かなり下ったあたりに観光バスが何台か停車している。森の中にちょこんと顔をだした岩山の上にヴァルバラス・ルサノウ修道院が見える。おそらくそこへ登るためにバスが停まっているのだろう。ロンプラにはアギオウ・ステファノウ修道院へ向かう本道を行くと、ルサノウ修道院への近道があると書かれている。バスの位置まで降りて再び戻ってくるのは、かなりしんどそう。ロンプラの通り上の道を行き、谷を回りこんでルサノウ修道院への分岐点を探す。 谷を回りこんだところで振り返ると、メガロ・メテオロウ修道院とヴァルラーム修道院が仲良く並んで見える。ここから見ると単に崖沿いに建っている修道院にしか見えない。見る角度によって印象が全く違う。ガイドブックや写真集の写真はうまい角度で撮影してますね… 山道が崖にせり出して向こう側に回りこもうというあたりに分岐点らしき場所がある。小さな駐車場に1台車が停まっている。うっそうと茂った木々の間の山道を下っていく。紫色の花が所々に咲いている。数分でルサノウ修道院の岩山にたどり着く。観光バスから登ってくる階段が合流し、さらに数十段の階段が修道院に向かって続いている。階段の向こうに、青空を背景に黄金に光り輝く十字架。10時25分、アギアス・ヴァルバラス・ルサノウ修道院(Ιερα Μονη Αγιας Βαρβαρας Ρουσανου / Moni Agias Varvaras Rousanou)に到着。 ここに入場したのは私とKさん。入場料はここも 2EUR。こぢんまりした修道院で、他の修道院のように中庭などは無いようだ。修道女が入り口の前の小さなポーチの植木に水をやっている。下には観光バスが何台か停まっていたはずだが、ここまで登山するのがめんどくさいのか、修道院内にほとんど人影が無い。小さな礼拝堂を見学し、通路に昔のメテオラのイラスト地図が飾られているのを見る。再び本道に戻り、さらに先を目指す。 11時、Psaropetra と呼ばれる展望岩のところに着く。道路が膨らんでいて、何台かの自動車が停まっている。断崖にせり出した岩の先端まで行く。180度以上のパノラマで、主だった修道院が一望できる。カランバカの町は正面にでんと鎮座している標高600m程の岩山数個に阻まれて見えない。その独立した岩山の頂きに、小さな十字架が建っているのが見える。ガイドブックには「そこに修道院がある」とは書かれていないが、あったとしてもロッククライミングでもしない限り、たどり着けないのだろう…。 本道をさらに歩いていく。全てが南に面した崖沿いの道なので、強烈な太陽を遮る物が無い。これが真夏なら地獄の行軍だ… さすがに初秋だけあって、沿道の木々も所々で黄色く色づき始めている。何台か観光バスに追い抜かれるが、この道を歩いている旅行者は数人見たくらいだ。団体か自家用車の旅行客しか来ないのかな…。 道路が分岐している。「Vlahava 7.5km」と「Vlahava 7km」の標識が道路の両側に仲良く並んでいる。Vlahava では無い方向へ向かう本道をしばらく行くと、道路の向こうにアギアス・トリアドス修道院が湧き上がってくるように視界に入る。だらだらと登って行く坂道を15分くらい歩いて行き、アギアス・トリアドス修道院の前を通過する。(この修道院はカランバカへ下る山道の出発点なので、最後に訪れることとする) さらに10分ほど歩くと、メガロ・メテオロウ修道院から最も遠い位置にあるアギオウ・ステファノウ修道院(Ιερα Μονη Αγιωυ Στεφανου / Moni Agiou Stefanou)に着く。11時45分。道路には10台を越える観光バスが路上駐車し、自動車もそこらじゅうに駐車している。団体客や自家用車で来た観光客で大混雑している修道院に入る。ここも入場料 2EUR。(4人の中で、わたしだけが入場する) 改築されて新しい部分もかなりある修道院内を、人ごみを掻き分けて見学する。今日だけで3箇所目の修道院なので、内部は他のところとほとんど同じかな…。 専門家ならいろいろと違いが分かるのかもしれないけど。しかしながら、この修道院は混雑しすぎだ。荘厳な雰囲気と言うのがあまり感じられなかった。修道院を出て、駐車場にある移動売店でミネラル水を買う。0.50EUR。観光地なのに、そんなに高い値段じゃない。結構良心的なのか… こんどは本道をメガロ・メテオロウ修道院の方向へ戻る。12時20分、アギアス・トリアドス修道院(Ιερα Μονη Αγιας Τριαδος / Moni Agias Triados , Holy Trinity)への分岐点に到着。観光写真などでよく使われている「鉄の箱の手動式ロープウエー」が道路脇にある。「これは観光用ではない」と注意書きがあるので、今でも荷物運搬などで使われている現役施設なのだろうか。坂道を少し下り、修道院の岩山に取り付く。岩の側面を穿って、半分トンネルになったような急な階段を上る。上からドイツ人の老人団体が降りてきたので、狭い階段ですれ違う。入場料 2EUR を払い、中へ入る。険しい階段を登る修道院は観光客が倦厭するのか、結構空いている。のんびりと内部を見学する。中庭に出ると、(鐘楼ではなく、)直接岩山の頂上に鐘が据えつけられている。その向こう側は絶壁になっていて、真下にオレンジ色の屋根が並んだカランバカの町が一望できる。町の向こう側にはピネイオス(pineios)川の乾いた河床が白く蛇行している。修道院からの標高差は400m程度なので、今は無きニューヨークのワールド・トレード・センターから見下ろしたときと同じような距離感だ。修道院内はたいていどこでも撮影禁止だが、監視員が居なかった上に誰も客が居なかったので、礼拝所内部の写真を撮影した。かなり薄暗いので、フラッシュを使わずに手ぶれを起こさずに撮るのはかなり苦労した。 12時55分、修道院を後にする。自動車道と岩山をつなぐ土盛りの一番低くなったあたりに、「 ← KALAMBAKA 」 と書かれたぼろぼろの標識がぶら下がっている。山道というより獣道程度の道が分岐している。下からバックパックを背負ったスキンヘッドの若者が登ってくる。「この上がホーリー・トリニティ教会? 今日は開いている?」と聞いてくる。「いやあ、ここから先にものすごい狭い階段を何十段も上ると修道院があるよ。ただし、ロンプラには12時30分〜3時は閉館と書かれてるけど…」。その若者(英語の発音からアメリカ人か?)は、修道院に泊まるつもりで来ているようだ。修道院に泊まれるんだ…。(ロンプラには書かれてないけど)
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一気に山道を下り、カランバカの町の外れに到着。13時30分。町外れにはオリーブ畑が広がっている。町の北東端にさしかかる。1件のペンション兼タベルナ(Koka
Roka Taverna)がある。昼食に入る。ポーク・スブラギ、トマト・サラダ、水で5.75EUR。かなりの量が出てくる。このペンションに泊まっているというフランス人カップルも隣の席に来て昼食を食べ、私達4人も含めてフランスの話で盛り上がる。地元の人らしきおっちゃんなどもコーヒーを飲みに来たりしている。どうもこの付近で唯一の飲食店なのだろうか…。足元には猫が何匹もじゃれ付いてくる。店の主人に、ネットカフェはやってないのかと聞くと、古いパソコンでいいならと店の奥のパソコンに案内される。Windows95だが、日本語のインストールもできるので十分である。(利用後に日本語設定を消すように言われたが…)
私とKさん、Mさん(日本人)の3人が利用する。2時間で6EUR。半日歩き回った疲れや、旅人同士の会話などが盛り上がり、いつのまにか3時間ほど経っていた。
16時30分、坂道を下ったところにある聖母マリア昇天教会(Church of the Assumption of the Virgin)へ。カランバカの町の唯一の観光ポイントだとロンプラに書かれているが、誰も客が来ている雰囲気が無い。開いているかどうか分からないが、門をくぐり中へ。野良犬が間合いを取ってこちらを眺めている。小さな木の扉を押し開いて、真っ暗な内部に足を踏み入れる。照明すら点いていない。もしかして非公開かも… と思った瞬間、入り口の横に座っていたお婆さんが、「1.50EUR。英語がいいか、ドイツ語か?」と聞いてくる。入場料を払い、英語の解説用紙(出るとき返す)を借りる。お婆さん曰く「ちょっと待っておくれ… いま灯りを点けて来るから」と。12世紀〜17世紀のフレスコ画の壁面に平然と照明の電線や分電盤がくっつけられている。恐れ多し、ギリシア人。紀元前○○世紀とかいう遺跡が氾濫する国では、これくらいの古さならそれほど重要だとは思わないのだろう…。メテオラの手入れの行き届いた(金持ち)修道院とはまた違う、ある意味では素朴な聖堂だ。床面はぼろぼろだが、所々にモザイクが残っている。この教会は現在も普通に使われているらしい。7世紀頃に立てられた聖堂が、現在も現役で日曜礼拝に使われているというのは結構すごいことだと思う。 聖堂を出て、坂を下っていく。聖堂からくっついてきた犬は、次の曲がり角のところで後ろに離れていく。前に別の野良犬が待っている。縄張りの国境を通過したのだろう。この辺の野良犬はヒマなのか、結構人間の相手をしてくれる。(ギリシアの大きな町の野良犬は、人間様を完全に無視してるから…) 「この教会は新しい教会です。古い聖堂は ← にあります。」と書いた看板の出ている、新しい聖堂の前を通りかかる。聖母マリア昇天教会を探して、新しい巨大聖堂をそれだと思い込んで見ていく人も多いのだろう。新しい聖堂のすぐ裏手が私たちの泊まっているペンションだった。(道に迷ったと思ったが、案外すんなり帰ることが出来た) 国鉄駅へ行く。ちょうど17時40分の列車が発車するところで、切符売り場に人が居た。明朝9時05分の列車に乗り、パレオファルサロスで乗り換えてテッサロニキまで行く切符を売ってほしいと注文するが、頑として売ってくれない。11時09分発の切符しか売らないと言い張る。埒があかないので、明日列車に押しかけてみることとする。モロッコ人のI氏は11時09分の列車でのんびりとテッサロニキを目指すそうだ。日本人のKさんとMさんは、バス案内所で明日のデルフィ行きバスの乗り継ぎ情報を聞いてきていた。8時頃のバスにのり、トリカラとラミアで乗り換えて13時ごろにデルフィに着き、遺跡を観光して当日中にアテネまで抜けると言う予定を立てていた。(その後のメールで、予定のバスが来なくて15時頃にデルフィに着いたらしい…) 町の中心部をしばらく散歩して、ディマルヒオウ広場近くのオープン・レストランでギロ・ピタ (1.80EUR)で夕食。トルコ方面から流れてきた激貧パッカーの日本人大学生氏が通りかかり、彼も一緒に食事する。激貧氏は今日はこの広場の近くで野宿して、明日Kさん、Mさんにくっついてデルフィに行くそうだ。 |
昨晩も強風が吹いていた。7時起床。外はまだ寒い。Kさん、Mさんは既に出発したようだ。7時30分、昨日のパン屋で朝食(ソーセージ・パンとネスカフェ 2.50EUR)。銀行のATMで200EUR出金し、ホテルに戻る。モロッコ人のI氏がちょうど起きたところだった。彼から20EURもらい、私の分の20EUR足して40EURを1Fに居たオーナーに払う。パスポートを返してもらいチェックアウト。I氏は10時ごろまで部屋を使うらしい。 |
9時少し前、国鉄駅へ。再び窓口で切符を売れ・売らないの押し問答。どうにか押し切って切符をゲット。ギリシア国鉄では新鋭列車の部類に入るインターシティの冷房車に乗り込む。アテネからカランバカに来たときに乗った「非冷房・オンボロ」の列車とはすごい違いだ。9時05分、発車。ほとんど客は乗っていない。
トリカラ、マヨトラ、カルディッツア… と停車するごとに乗客が乗ってきて、車内は満員となる。9時55分、平原の真中に建っているパレオファルサロス駅(Παλαιοφάρσαλος / Palaiofarsalos)に到着。下車。他に降りる客は居ない。 |
Train IC47 / IC70 | ||||
Station | Arrive | Depart | Distance | 実際の時刻 |
Kalambaka ← 乗車 | 9:05 | 9:05 | ||
Trikala | 9:20 | |||
Karditsa | 9:35 | |||
Paleopharsalos ← 乗り換え | 9:52 | 9:55 | ||
…(中略) | ||||
Athen | 13:29 | |||
----------------- | ||||
Athen | 8:01 | |||
…(中略) | ||||
Paleopharsalos ← 乗り換え | 11:31 | 11:45 | ||
Larissa | 11:54 | |||
Katerini | 12:46 | |||
Plati | 13:08 | |||
Thessaloniki ← 下車 | 13:30 | 13:40 | ||
…(中略) | ||||
Alexandroupolis | 18:52 |
列車が出発し、駅には私一人が取り残される。地下道を通ってがらんどうの真新しい駅舎へ。切符売り場が開いているが、客は一人も居ない。荷物を背負ったまま駅から外へ出る。枯草だらけの小麦畑がどこまでも続いている。道が1本、テッサロニキ方向に続いている。そちらの方向にしばらく歩くと、道沿いに何軒か家が建っている。5分ほど歩くと東西に延びる道との交差点に出る。東方向(Stavros方向)は踏み切りがあるだけで何も無さそう。西方向にはガソリンスタンドと、建物が何軒か見える。Kaoil
と看板の出たガソリンスタンドが売店 兼 バー
になっている。近所の農家のおっさんや、トラックの運転手のおっさんがマターリと溜まっている。中へ入り、ミネラルウォータを飲みながらテレビを眺める。1時間ほど時間を潰し、再び駅に戻る。この辺りには他に時間を潰せるような店など全く見当たらない。
駅構内の待合室にたった一人座って時間を潰す。売店やバーになるはずだったスペースはあるが、客が全く居ない駅なので店はまだ入っていない。将来的にはこの周辺に住宅地でもできる予定なのかな? 定刻より15分ほど遅れて11時45分にアテネからの列車がやってくる。行き先を示すサボがどこにも見当たらないので、デッキに居た乗客に”テッサロニキに行くか?”確認してから先頭車両に乗り込む。車内はほぼ満員。指定された1号車28番の席に着く。隣はギリシア正教の神父が難しそうな本を読んでいる。(ギリシア語で書いてあるだけで、難しそうに見える…) ラリッサ駅に停まり、山岳地帯を抜けるとエーゲ海沿いに走り出す。左手の車窓にはオリンポス山の山腹が見える。(どの山頂がオリンポス山なのかは分からなかった…) リゾート地ではない海岸沿いの駅に停まり、しばらく内陸の平地を走るとテッサロニキ駅に到着する。13時40分。 |
車内の半数近くの乗客がテッサロニキで下車する。プラットホームに出て駅舎へ続く階段へ向かおうとすると、日本語の”司法試験受験”の本を携えたパッカーが居る。アジアを横断して、ギリシアを抜けてブルガリアへ行くという日本人大学生のI氏。アテネから同じ列車に乗ってきたらしい。今日の夜行でブルガリアへ向かうというのも、私と同じ行動パターンだ。それならと、テッサロニキ市内観光にいっしょに行くこととする。
まずは切符売り場へ。ブルガリアのブラゴエフグラッド(Благоевград / Blagoevgrad)までの寝台車の券を予約する。”クシェット”は存在しないらしく、一番安い”2等寝台車”の席を購入。運賃込みで 20.60EUR。寝台車なのに、べらぼうに安い金額だ。切符売り場のさらに奥の、薄暗いところにある荷物預かり所へ。ブラゴエフグラッド行きの切符を見せて、この時間まで預かってほしいと主張し、荷物を預ける。(しかし、係員はいい加減なもので、列車の発車時刻には既に閉店していた。営業時間をもっと問い詰めるべきだった…) 駅前からタクシーに乗り、2kmほど離れた考古学博物館へ。10階程度のビルが建ち並ぶエグナティア(Egnatia)通りを、渋滞に巻き込まれてのろのろ走る。田舎町と思っていたが、沿道にあふれる歩行者の数はアテネ以上だった。14時10分、考古学博物館着。運賃 4EUR。閉館が15時なのだが、閉館1時間ほど前に博物館に入ることが出来た。テッサロニキといえば、アレクサンダー大王で有名なマケドニア王国の首都だった街。で、有名なアレクサンダー大王のモザイクでも展示されているかと思っていたが、そういうのは無かった。ローマ時代の住宅から引き剥がしてきたモザイクや建物のアーチなどが展示されている。博物館の職員が目立つ以外、ほとんど客の来ていない博物館だ。これで採算取れるんだろうか… やはり、アレクサンダー大王関連を集めて展示すべきだと思う。 博物館を出て、炎天下の中を街の方へ戻る。テッサロニキ大学のキャンパスを抜けるとガレリウスの凱旋門(Arch of Galerius) が見えてきた。AD303年にササン朝ペルシアに勝利した記念して建てられそうで、私が今まで見た”凱旋門”の中では一番古い。(2番目に古いのはローマのコンスタンティノ凱旋門。AD312年。同じような年代…) エグナティア通り側は道路を造る為に壊されているので、今残っているのが本体なのか、本体の横の小門なのかはよく分からない。 そろそろ昼食を食べたい時間帯になり、通りかかった人にレストランが集まっている場所を聞く。凱旋門からまっすぐ海のほうへ下っていった所にあるイタリアレストランに入る。スパゲティーなど適当に何品か注文して、6EUR。チーズを振りかけてオーブンで焼いた物だったので、かなりくどかった。通り沿いの席で食べていると、カランバカで同じ部屋に泊まったモロッコ人のI氏が通りかかる(世界は狭いね…)。 テッサロニキのドミに1泊して、明日はアレクサンドロポリス方面へ出発するそうだ。 夕方近くになり、日が傾いてきた。といってもまだ強烈な日差しだ…。 海沿いのホワイト・タワー(White Tower)へ。内部はビザンティン博物館らしいが、工事中で閉館。入場料は取らないようなので、塔の頂上に登って見る。目が回りそうな螺旋階段をひたすら登る。塔の高さと、近隣のビルの高さがほとんど同じなので、すばらしい見晴らしとは言えない。 再び街の中心部方向へ戻る。ガレリウス凱旋門へ向かうDimitriou Gounari 通り沿いには、アパートに囲まれてローマ時代の遺跡が延々と続いている。凱旋門を通り過ぎ、突当りのロトンダ(Rotonda)へ。1本だけあるミナレットが補修工事の足場に覆われている。円柱型のモスクかぁ〜。中に入る。がらんどうの内部は、補修用の足場で覆われている。円形の屋根の中央付近だけ漆喰が引き剥がされて、ビザンチン時代のキリスト教のフレスコ画が見えるようになっている。 ロトンダを出てさらに北へ。I氏の持っている”歩き方”には書かれていないが、ロンプラには”トルコ共和国建国の父、アタチュルクの生家”があると書かれている。アギオス・ディミトリオス通りに面してトルコ領事館が建っている。街路樹を剪定したゴミが領事館の前に積まれている。いくら国民感情が悪いとはいえ、領事館の前にゴミを積み上げるとは…。オンボロそうな領事館の裏手に、瓦葺のピンク色の建物が建っている。領事館より大きく、綺麗なその建物がアタチュルクの生家(Kemal Ataturk's House)。ロンプラには18時まで開館していると書いてあるが、既に閉まっている(17時30分)。 アギオス・ディミトリオス通りを0.5kmくらい西へ歩き、ギリシア最大というアギオス・ディミトリオス教会(Church of Agios Dimitrios)へ。ピレウスで見たアギア・トリアス聖堂もそうだが、巨大な教会は大抵建て直されて新しい。内部のコリント式の柱頭を載せた黒ずんだ柱が、改築前の物なのだろう。教会から少し海のほうへ下ったところに、木々に囲まれたディカストリオン広場がある。広場の一部分が発掘され、ローマン・アゴラ(Roman Agora)として公開されている。この街はどこを掘っても遺跡が出るんだろうね…。さらに海側に少し下った交差点に、いかにもトルコ風呂という感じの建物がある。扉が開いているので中に入ってみる。内部はトルコでよく見かけるハマム。いつ頃まで使われてたのだろうか… アリストテロウス通り(Aristotelous)のカフェで休憩。アイス・ネスカフェが3EURと、中心部のオープン・カフェは高いですね。太陽が沈み、だんだんと薄暗くなってくる。オレンジ色のナトリウム灯に照らされた街を駅の方向へのんびり歩き、フェリー・ターミナル北側の Ta Ladadika 地区へ。近年再開発されて、レストランやバーなどが建ち並ぶ繁華街になったそうだ。くねくねと曲がった道沿いにレストランが軒を連ねている。中心部付近のシーフード・レストランに入る(この国の物価では、中心部のレストランでもそんなに高価じゃない)。とりあえずウゾ(ウォッカのような感じの地酒)を飲み、シーフード・サラダ等を注文する。食べ始めたころ、近くの建物で”バシッ”と音がしたと思うと、周辺の店の電灯が一斉に消える。1分くらいの間に何段階かに渡って、電灯が消えてゆき、辺りは真っ暗に…。店員がロウソクを持ってきたが、薄暗い中で食事するのは結構つらい物がある。でも、割引は無かった。こんな物なのかねぇ〜、ギリシアのサービスレベルって。食事料金、8EUR。この国の物価では高いのか? よく分からん。 22時少し前、人通りの少ない道を歩いて駅へ向かう。コンコース内の荷物預け所へ。なんと閉店しているではないか。隣の窓口に、勤務時間が終わっておしゃべりしている係員が居る。事情を話して荷物預け所を開いてもらい、荷物をピックアップする。コンコースの出発案内板には、ブダペスト行き 460 列車の出発番線 ”5” が既に表示されている。プラットホームに行って見ると既に客車が停車していて、車掌が車内を点検している。22時10分頃、車内に入れる。私の切符の価格の安さ(たった20EURで寝台車)を見たI氏が、俺も寝台車にしてもらうと切符売り場に引き返していった。発車寸前でも予約できる模様で、私の同じコンパートメント(3人部屋)だった。日本人らしき女性が座席車はどこかと聞いてきたので、寝台車の前の車両が座席車だったと教えてあげる。ウイーン経由でミュンヘンまで行く予定のようで、この列車に乗り一気にブダペストまで行くようだ。ブルガリアとルーマニアを素通りとはもったいない…。 23時05分、発車時刻。プラットホームで抱き合って別れを惜しむカップル。車内に向かって手を振る人。しかし、列車は発車する気配すらない。隣のコンパートメントのおっさんが、「この列車の発車時刻は 23:05 だよね?」と聞いてくる。プラットホームの発車案内板には 23時05分発と表示されている。プラットホームの向こう側の線路を、装甲車を満載した平貨車がゆっくりと通り過ぎていく。間延びした時間が過ぎ去り、23時28分発車。(実は発車案内板の誤表示で、定刻どおりの発車だった)
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