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2003年9月〜10月 旅日記 ページ 1/3 (September - October 2003 Page 1/3)
GREECE : Athen -> Crete Island
イタリア:ローマ -> パレルモ -> アグリジェント
為替レート FOREX : 1EUR = 135JPY

SEPTEMBER 25 (Thursday)

Train : Θεσσαλονίκη(Thessaloniki) -> Благоевград(Blagoevgrad)

Train D460        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Thessaloniki ← 乗車 23:28 0km 23:28
  Kilkis 0:07 0:07
  Rodopolis 0:51 0:51
  Strimon 1:30 1:30
  Promachon 1:45 2:50 144km
  Kulata(Gr)
  Kulata 3:00 3:55 147km
  General Todorov 4:06 4:07
  Sandanski 4:17 4:18
  Simitli 5:00 5:01
  Blagoevgrad ← 下車 5:16 5:17 234km 5:31
  Dupnitza 5:45 5:50 266km
  Radomir 6:28 6:33
  Pernik 6:48 6:51
  Gorna Banja 7:13 7:14
  Zaharna Fabrika 7:23 7:26
  Sofia 7:33 8:30 357km
  〜 以下、主要駅のみ 〜
  Ruse(BG) 15:30 16:45
  Giurgiu Nord(FR) 17:15 17:56
  Bucuresti Nord Gr. A 19:30 20:15 870km
  Craiova 22:53 23:03
  Simeria 3:30 3:42
  Arad 5:50 5:55
  Curtici(FR)
  Bekescsaba 7:27 7:30
  Szolnok 8:47 8:49
  Budapest-Keleti pu 10:17

 

私が乗り込んだ 486号車 42番の席は、2等寝台車(3人部屋)の中段だった。同じコンパートメントには日本人のI氏、イギリスから来た若者の3人。I氏はソフィアで乗り換えてプロブディフに行くそうだが、私がリラ僧院へ行くということで、暇つぶしに同行してくれることとなった。サンクト・ペテルブルク留学経験のあるI氏がいっしょであれば、心強い。

テッサロニキを出ると、すぐに真っ暗な中を列車は軽快に走り出す。通路側の窓を開けて、外の空気に触れる。冷たい風が吹き抜けていく。まだまだ夏だと思っていたら、いつのまにか寒い秋の空気になっている。

午前2時ごろ、国境駅に着いたのか、コンパートメントのドアを激しくノックする音。ギリシアの出国審査でパスポートにスタンプを押される。30分ほどギリシア側のクラタ駅に停車した後、ゆっくりと国境を越えてブルガリアに入る。今年から日本人に対するツーリスト・ビザが免除された。果たしてビザ免除の通達が田舎駅まで周知されているか、少し心配なところだ。ブルガリア側のクラタ駅の引込み線にゆっくりと入線。今度はルーマニアの国境警備隊と入国審査官がやって来て、パスポートをチェックしていく。私の日本旅券は問題なくパスしたようだ…。

すぐ横の線路を、テッサロニキで見かけた装甲車を満載した平貨車がゆっくりと牽引されている。3時少し過ぎ、ゆっくりと国境駅を離れてソフィア目指して走り出す。外はかなり冷えているようで、コンパートメント内部もしんしんと冷えてくる。山岳地帯を走っているのか、右へ左へ向きを変える車輪のきしむ音が聞こえる。

5時。腕時計のアラームが鳴る。間もなくブラゴエフグラッド駅に到着するはずだ。毛布とシーツをたたんで、バックパックを収納スペースから取り出して、降りる準備を完了する。5時10分頃、どこかの駅に停車する。車掌に 「ここがブラゴエフグラッドか?」と聞くと、次の駅がその駅だそうだ。切符を返却してもらう。定刻より15分ほど遅れてブラゴエフグラッド(Благоевград / Blagoevgrad)駅に到着。5時31分。

Рила(Rila) - BULGARIA(リラ、ブルガリア)

社会主義国的なまばらな照明灯に照らされた、真っ暗なプラットホームに降り立つ。線路を横切って小さな駅舎へ向かう。列車を降りた数人の客が、駅舎を出て真っ暗な町に消えていく。薄暗い駅舎内で唯一開いている切符売り場の窓口で、ATMの場所を聞く。(両替なら切符売り場でも出来るようだが、どうも闇両替っぽいのでレートは悪そう…) 駅員のおばちゃんに聞いた方向へ、歩いていく。駅前の信号を渡り、5分ほどまっすぐに歩いていくとATMがあった。真っ暗なのでここが店なのか、銀行なのかは分からないが、レシートには Biochim という銀行のATMだと書かれている。150BGN (日本円で1万円くらい)出金。

駅へ戻る。真っ暗な中を駅前のバス停を目指して、通勤客がぱらぱらと集まってきている。駅舎の脇にある売店でパンと紅茶を買って朝食を採る。0.90BGN。駅前のバス停には、市内バスらしき白いバスが通りかかる。観光バス風の長距離バスが1台停車していて、出発を待っている。インターネットで検索した結果は、ブラゴエフグラッド 〜 リラ村へのバスは6時〜19時の間に1時間おきに走っているらしい。とりあえずバス停に停車しているバスに挑戦してみる。「リラ・ビラージュに行くか?」とつたないロシア語で尋ねると、行くような雰囲気である。本当にロシア語が通じているのかどうかは不安があるが、荷物を預けて満員のバスに乗り込む。運賃 5BGN。(ちょっと高すぎる気がする…)

6時30分、満員の乗客を乗せたバスが出発する。ほとんど車の走っていない道路を北上。すぐ左側には国鉄の線路が並走していて、ソフィア行きの列車がバスを追い抜いていく。I氏は旅の疲れか、いきなり寝込んでいる。15分くらいして、バスの行き先に疑念を持ち始める。リラ村行きでなくて、どこか遠くへ行くバスかもしれない…。跨線橋をまたいで線路の西側の高速道路(E79)に入り、スピードを上げて走り始める。隣に座っているおっさんに、「リラ村に停まるよね?」と聞いてみると、「いんや、ソフィア行きだ」と…。 まずい事になった。リラ村どころか、一足飛びにソフィアに行ってもらっては困る。東の空がだんだん明るくなり、6時50分頃車内のおばさんが1人下車するようだ。後について運転席へ。「リラ・マナスティリへ行くために、リラ・ビラージュで降りたいんだけど…」。高速道路の真中だが、I氏をたたき起こして下車。運転手に、「リラ方面はどっち?」と聞くと、「すぐ右側の線路を渡って、しばらく東へ行くと町があるからそこで聞けと」。とりあえず、国鉄の線路を乗り越えて、荒地のような畑のようなところを横切ってローカル道(62号線)に出る。すでに周りはかなり明るくなり、道を踏み外すようなことは無くなった。町の方向がどちらか分からないので、いちかばちかで右(南)へ向かう。しばらく行くと歩行者に出会う。幸運な事に、バスターミナルの方向(スターンツイァという単語で通じた)へ歩いているようだ。

7時10分、名前も知らない町のバスターミナルに到着。I氏がバスターミナルへ入り、リラ村へのバスがあるか確認している。バスは出たばかり(6時40分発)で、次の便は昼過ぎらしい。ちなみにこの町の名前はドゥプニッツァ(Дупница / Dupnica)というらしい。バスターミナルの外に停まっていたタクシーに乗り、リラ村へ。先程ソフィア行きのバスに乗ってきた道を、ブラゴエフグラッド方面へ戻っていく。車内はがんがんに暖房が効いていたので、少し緩めてもらう。ブルガリア人は寒がりなのか…。 「スマチェバ(Smochevo)村方向」と看板の出た分岐点で、線路沿いの道から分かれて山道に入っていく。丘の間をくねくねと曲がりながら、牧草地や雑木林を抜けていく。何十軒の家があるだけのスマチェバ村を抜けて、再び曲がりくねった山道を進む。少し大きめの村に入って、村はずれのバスの車庫のようなところに到着。7時45分。リラ村(Рила / Rila)のバスターミナルのようだ。運賃20BGN。外国人料金のぼったくり価格なんだろうが、他に交通機関がないだけに弱い立場だ。(路線バスなら運賃 1.50BGN)

車庫のようなところで、バスの点検をしている運転手に 「リリスキ・マナスティリ行きのバスはいつ頃出るのか?」と聞いてみる。「次は14時ごろ」らしい。クソッ、さっきのタクシーが「あと10BGN上積みしたら、僧院まで乗せていってやる」と言っていたのを思い出すが、すでにタクシーはドゥプニッツァへ戻っていってしまった。再び立場の弱い交渉で、”臨時バス”をリラ僧院まで運行してもらえる事になった。8時10分、標高600mのリラ村発。Struma川の支流に沿ってどんどん山を登って行く。1週間以上ギリシアの乾燥した山々を見ていたので、ここのしっとりとした渓谷の景色は新鮮に見える。時折、ペンションのような建物があり、走ってきたバスを見て手を上げる人が居る。が、”臨時バス”は停車しない… (あしからず…)。 8時45分、標高1200mのリラ僧院(Рилски Манастир / Rilski Manastir)着。運賃15BGN払う。

僧院の前の駐車場には、もう一台のバスが停車している。バスの運転手に「僧院発のバスの時刻は?」と聞くと、「9時、17時の2本」と。僧院の見学に残された時間、あと15分。僧院から出てくる2〜3人のパッカーがバスに向かってくる。そこを逆行して僧院に入り(入場料は無料)、駆け足で僧院内を見て回る。4階まである回廊を登ったり、降りたり。回廊周囲の部屋は観光客には開放されていないようだ。どれも扉がしっかりと閉められている。回廊に囲まれた中央に建つ本殿、聖母誕生教会(Църквата Св.Богородица / Church of the Holy Virgin)は内部まで見学できる。黄金色に輝く内部は、同じ東方正教会系統でもギリシアの物とはかなり違った印象だ。より写実的でカラフルなフレスコ画が描かれている。

回廊の一部に、展示館(有料?)のような場所があったが、バスの発車時刻が迫っているので見ている暇は無い。急いで正門前に停車しているバスに引き返す。バスに飛び乗る。私たちが最後の乗客。9時、発車。運賃2.50BGN。リラ村を通って、曲がりくねった道のスマチェバ村ではなく、もっとまっすぐな別の道をブラゴエフグラッド方向へ走る。国鉄線路の横(コチェリノヴァ村)に出ると、線路沿いに北へ向かい、ドゥプニッツァへ。10時35分、ドゥプニッツァ(Дупница / Dupnica)のバスターミナル着。先程リラ村を通ったときに気づいたのだが、この国のロシア語ではバスターミナルのことを 「アフトガラ Автогара」と言うらしい。正統なロシア語の「アフト・ヴァクザール」と、ラテン語の「ギャレ・ルティエール」が混じって、「アフト・ギャレ」ね。勝手なロシア語を作らないで貰いたいものだ…

バスターミナルの(3)乗り場(ソフィア行き)で待っていると、結構ぼろそうなバスが来る。乗降口が木造の扉だ…。運賃 3BGN 払って乗車。10時50分、ほぼ満員の乗客を乗せてソフィアへ向けて出発する。

リラ修道院(僧院) Рилски Манастир / Rilski Manastir / Rila Monastery
10世紀にイワン・リルスキ(Ivan Rilski)により開設された東方正教の修道院。現在はブルガリア正教の総本山。敷地面積32,000m^2、独居房300室、礼拝堂4つ。殆どの建物は1833年の火災で焼失した後に再建された物。

Rila Monastery (UNESCO) http://whc.unesco.org/sites/216.htm
THE RILA MONASTERY (Info.bg) http://get.info.bg/visit/Dir.asp?d=0-4-Monasteries-Rila_Monastery

Rila Monastery (bulgaria.com) http://www.bulgaria.com/travel/monasteries/rila/

Architecture of The Rila Monastery (MIT) http://www.mit.edu/~gpetrov/arch/rilamona.html

 

Rila Village (広域地図)  http://www.calle.com/world/BU/45/Rila.html

 

BUS : Дупница (Dupnica) -> София (Sofia)

BUS        
Bus Stop Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Dupnica 10:50 10:50
  Sofia, Abtogara Zapad 11:50 12:05
高速道路のE79(国道1号線)を北上してソフィアを目指す。木造扉のバス(もしかして車体も木造…?)のサスペンションは無いも同然で、”なんちゃって舗装”のでこぼこ道による振動が結構すごい。そこらじゅうで道路の半分を閉鎖して工事している。しかしながら走っている車の絶対数が少ないので、交互通行区間があってもほとんど渋滞しない。

なだらかな丘陵地帯を緩やかにカーブした高速道路を、時速80km程度でのんびり走っている。周囲の景色は一面の牧草地帯や小麦畑でなく、所々に不自然に配置された工場の煙突が目立つ。ロシア圏を示すリュクオイル(Лукойл / Lukoil)のガソリンスタンドの横を時折通過する。12時近く、丘陵地帯から林の中に入り、長い下り坂を下るとソフィア市内に差し掛かる。市街地に入る少し手前のバスターミナルに到着。12時05分。

София (Sofia) - BULGARIA(ソフィア、ブルガリア)

果たしてここがソフィアのどの辺りなのか…(後で調べたところ、西バスターミナル Автогара Запад というらしい)。 とりあえず今後の列車の予約もあるので、中央駅へ行きたい。首都にしては小ぢんまりしたバスターミナルの中にタクシーが何台か停まっている。そのうちの1台のところへ行き、「中央駅へ行きたい?幾ら?」と聞いてみる。「スターンツィア」「ヴァクザール」「ジェレズダーニ・ダローギ」とどのロシア語も歯が立たない。ペテルブルク留学経験者のI氏に加勢してもらったが、やはり基本的単語がロシアと若干違うようだ。で、フランス語で「ギャレ・ド・サントル」と言って見ると案外通じたりする。不思議な国だ…。

バスターミナルを出て左(北東)へ。ターミナル前はトラムの停留所になっていて、リラ僧院から同じバスに乗ってきていた西欧人パッカーのカップルがいつ来るとも知れないトラム(5, 19系統)を待っていた。皇帝ボリス3世通りの石畳の道をものすごいスピードで北東へ。先程まで乗ってきたバスも振動がすごかったが、この石畳の道を全速力で走るタクシーの振動もすごい。ロシア記念碑広場のロータリーを通り過ぎ、市街地中心部へ入っていく。12時20分、ソフィア中央駅(Централна ЖП Гара София / Central Train Station Sofia)に到着。運賃4BGN。

I氏が、通常の切符売り場より旅行会社の方が寝台車の切符が入手しやすいと言う。構内の東北端にある旅行会社(Rila Travel)へ。明日夜のブカレスト行きのクシェットか寝台車があるか聞く。クシェットはやはり存在せず、2党寝台車が一番安いカテゴリー。手数料も含めて 51.07BGN。12時間走る寝台列車が、たったの3500円弱。やはり物価が安い…。 次にI氏の切符を買いに、地下の切符売り場へ。15時20分発のプロヴディフ行きICの切符を買っていた。

さて、次に私が今夜泊まる宿探し。歩き方(中欧編)には、安宿は駅から少し距離のある市街地中心部に分散しているようだ。(安宿といっても、1泊20USD〜40USDと決して安くは無さそう…) 駅前付近に、中央アジアや中近東から出稼ぎに来た人などが泊まる激安宿でも無いものかと、コンコースから外へ出ようとする。と、ふとコンコースの向こうの端っこのほうを見ると 「ХОТЕЛ」と黄色いのぼりが上がっている。”ホ・テ・ル”ですね。キリル文字の当て字でしょうか。(ロシア語ではОТЕЛЬか…) 売店などが並んだ一角にホテルの入り口がある。1泊幾らか尋ねると、5BGN らしい。部屋を見せてもらうと、2段ベッドが3つ並んだドミの部屋。5BGNといえば、300円程度。店員に「一部屋全部借り切ったら幾らだ?」と聞くと、一瞬驚いた雰囲気で 「25BGN」と。25BGN払って、一部屋借り切った。ドミの部屋を借り切ったのは初体験だ。私とI氏の荷物を部屋に置いて、外へ。

I氏曰く、ソフィアで1箇所見ておくべき観光地といえば、アレクサンダー・ネフスキー教会だそうだ。I氏が列車に乗るまでの時間に教会を見て、昼食を食べることとする。駅前よりタクシーでアレクサンダー・ネフスキー教会へ。運賃 4BGN。そこには、今までお目にかかったことが無いような妙な形の教会があった。ロマネスクのような窓だが、屋根の形状はビザンツ様式。正面ファザードのど真ん中に、黄金のイコンが埋め込まれている。中央の塔の高さは60m程あるらしい。内部も巨大な空間で、東方正教会の聖堂というよりゴシックの巨大聖堂といった感じだ。地下のクリプトへは一旦外へ出てから階段を下りる。入場料 3BGN 払ってイコンの飾られたクリプトを見学する。イコンというより、美術館の宗教画を集めた展示室のような感じだ。20世紀になって建てられた教会だから、伝統の重みが感じられないのは仕方ないか…。

教会を出て、北へ。I氏オススメのブルガリア料理店 Bai Gencho へ。歩き方に載っているので、高い店なんだろう…。店に入る。金持ちそうな客が何組か入っている。とりあえず、ポークステーキ、パンとミネラル水を注文する。8BGN。I氏は相当余剰資金を持っているようで、やたら注文して食べていた。ステーキ定食が、高給そうなレストランで 8BGN (約500円)ということは、この国の物価水準は相当安いんだろうな…。味は、普通ですね。どこの国にもあるポークステーキです。

タクシーで中央駅に戻る。外国人客と思ってか、わざと遠回りして駅へ向かったタクシー。それでも料金は 5BGN。ぼったくり価格でも、たったの350円程度とは… 痛くも痒くも無い。15時、ソフィア中央駅に戻ってくる。社会主義時代に需給を無視して拡張した中央駅構内には、利用されずに放置されている過去の栄光の施設が沢山ある。プラットホームへ向かう地下通路には木製エスカレーターが4基並んで設置されている。いまでは1段毎の高さが異様に大きい階段として使われている。プラットホームでインターシティの到着を待つ。予想通り、電気機関車に牽かれたオンボロ列車がやってきた。15時20分過ぎ、I氏はプロヴディフへ向けて出発した。

さて、市内探訪に出かけることとする。駅コンコースを出たすぐ前に長距離バスのチケットを扱っている旅行会社が軒を連ねている。1軒に入り、トラムの乗車券を売っていないか聞いてみると、トラムの券はトラム停留所横の売店で売っているそうだ。駅前の改修工事はバスの旅行代理店の辺りまでで中途半端に終わっていて、トラム停留所は未舗装の工事現場のようなところにある。周囲には空のコンテナが乱雑に放置され、テントのような売店が何店か営業している。トラムの1日乗車券を購入する。2BGN。

満員の市内中心部行きのトラムに乗る。4つ目の停留所 スヴェタ・ネデリャ広場(Пл. Св. Неделя)で下車。広場の中央部に巨大なスヴェタ・ネデリャ聖堂が建っている。広場北側の地下道が交差点の真中に大きな口をあけて、煉瓦造りの倉庫のような建物が覗いている。スヴェタ・ペトカ聖堂(14世紀の建設)というらしい。共産主義時代に建てられた巨大建築物に囲まれて、よく今まで残っていたものだと思う。北側の商業施設ツム(Цум)、南側の行政庁舎とホテルの複合ビル、東側の旧共産党本部で囲まれた道路の中央部は花壇になっている。以前は軍事パレードなどするために、全面舗装の道路だったんだろうか…。

行政庁舎の中庭に入ってみると、ビルに囲まれるようにしてローマ時代の遺跡の残骸が残っている。中央部のスヴェタ・ゲオルゲ聖堂(Църква Св. Георге)は部分的に足場が掛けられて工事中。4世紀頃の遺跡が近代的なビルの中庭に納まっている様子は、どこか違和感を感じる。行政庁舎を抜けて、東へ10分くらいのんびりと歩くとアレクサンダー・ネフスキー教会にたどり着く。教会前の広場には、小さなテーブルの上に古本や第二次大戦時頃の懐中時計や軍の記章などがらくたを並べて売っている。60年以上前の回転式銃が売られていたが、実戦で使われたものなら価値あるんだろうか… (ブルガリアでは大規模な戦闘は無かったはずなので、未使用品かな)

ヴィトシャ(Витоша)通りの方向へ緩やかな下り坂を下りながら、細い通り沿いの街並みを見て歩く。アレクサンダー2世像から少し行った裏通りにケバブ店を発見。1個1.50BGN。さらに南へ歩く。表通りだけでなく、どの裏通りにも沢山の車が入ってきて、あちこちで渋滞している。所々にアールヌーヴォーのアパートなどが今にも崩れそうに建っている。しかし、ほとんどの建物は第二次大戦前後に建てられたコンクリート製のもので、手入れしていないのでそこらじゅうがひび割れたり、くすんだ色になったりしている。

グラフ・イグナティエフ(Граф Игнатиев)通りの古本屋露天が集まったスラベイコフ広場に、マクドナルドを発見する。夕食を食べるような適当なレストランも見つかりそうに無いので、マックに入る。ビッグマック・セットと紅茶で5.78BGN。店内は家族連れとか普通の大人が入っていて、日本のような若者専用の店という感じではない。ここではそれなりの値段の”食事”として認識されてるんだろう。

ラコフスキ通りのスーパーで、ヨーグルトと水を買う。0.97BGN。既にあたりは真っ暗で、昼間は結構頻繁に走っていたトラムも、10分とか20分に1本程度になっている。やっと来た2系統のトラムに乗り、中央駅へ。中央駅が見えてきたと思ったら、別の道に入っていく。慌ててコズロドイ通りの停留所で降り、中央駅まで真っ暗な道を歩く。あのまま乗っていくと、中央墓地(セントラリ・グロビシャ)へ行くところだった…  墓場で肝試しは遠慮したい。

ホテルの部屋に戻りシャワーを浴びてから、買って来たヨーグルトを食べる。ブルガリアといえば”明治ブルガリア・ヨーグルト”くらいしか印象に無い国だったが、それほど美味しいヨーグルトかといえば、別に普通の味だった。

SEPTEMBER 26 (Friday)

София (Sofia) - BULGARIA(ソフィア、ブルガリア)

夕方の列車の発車時刻まで、特に何もすることが無い。8時30分頃、駅の地下1階のカフェで、通勤客に混じってサンドイッチと紅茶で朝食。1.20BGN。9時30分頃、ホテルをチェックアウト。バックパックをフロントに預けて外へ。夜間に雨が降ったのか、地面が濡れている。1日券を買う。昨日と同じく、「トラムヴァイ・ビレート・ナ・アジーン・ジェーニ・パジャールスタ」と通じてるのか居ないのか分からないロシア語で、無事に1日券をゲットする。券面には「地上交通共通 割引券 △☆○(←理解不能なロシア語)」 と書かれている。

9時10分、7系統のトラムがやってきたので乗り込んでみる。ソフィア市街の中心部を通り、ヴィトシャ通りを南下して文化宮殿(いかにも共産主義らしい名前)の公園の横を通過し、郊外の大通りを南西へ走っていく。停留所毎に客が降りてゆき、乗客は数えるくらいしか残っていない。9時40分、巨大なスタジアムを通り過ぎた所の、大きな交差点で下車する。(トドル・カブレシコフ通り停留所)  歩き方中欧編の地図は既に範囲外で、果たして自分がどこに居るのか… 全く分からない(日本に帰ってから確認すると、歩き方ブルガリア・ルーマニア編の地図にかろうじて載っている範囲だった)。

地図の無い旅。これこそ本来の旅ですね〜。昨日、ドゥプニッツァからの長距離バスが着いた西バスターミナルは、ここから見た北方向の大通り沿いにあるはず(7系統のトラム通りと、西バスターミナル前の大通りは多分東西に平行と勝手に推測)。北へ向かえば西バスターミナル前の大通りに出られるはずだ。トラム停留所の階段を下りて、薄暗い地下道を通り道路を横断。そんなに通行量も多くない交差点にしては、やたら立派な地下通路だ。社会主義とはかくも無駄な先行投資をするものなのか。

道路の北側に出ると、寂れた小さな広場がある。壁面が剥がれ落ちかけている労働者アパートが建ち並ぶ一角の広場には、えらく寂れた雑貨店が数店並んでいる。204系統バス停がある。ソフィアの中心部では溢れかえるような車の洪水だったが、この広場付近は閑散としている。馬に牽かれた荷車が停まっていたりもする。ラドガ(Ладога)通りを北へ向かう。冬がよほど寒いのか、ベランダが全てガラスで覆われたアパートがどこまでも続いている。建物の玄関は薄暗く、郵便受けが並んでいる。ガラス窓には老人の白黒写真が貼りだされている。自治会の選挙ポスターかと思ったが、後日知人に聞いたところでは、死亡通知だそうだ。アパートの入り口に掲示して、近隣の人々に死亡したことを知らせるためだそうだ。珍しい風習だ…

テレビやラジオの音が所々の窓から聞こえてくる道を、のんびりと北へ。15分くらい歩くと、アパートの並びが少し変わりトロリー・バスの走る通りを横切る。小さな広場があり、露天の店が肩を寄せ合って並んでいる。食料品から生活雑貨まで何でも並んでいるようだ。近隣のお年よりが買い物に来ていて、かなり賑わっている。物価もかなり安く、例えばジャガイモ1kgの価格が0.40BGN (27円)。日本なら生産者価格でも70円/kg、小売価格は300円/kgなので、ブルガリアの物価は日本の1/10程度なのだろう。道路沿いの平屋の建物にはレンタルビデオ店やファミリーレストランなどがあり、ちょっとした郊外の繁華街といったところだろうか。

車がそれなりに行き交う道路をさらに北へ向かう。10時05分、大通りとの交差点に出る。トラムの停留所があり、交差点の角に展示会場(изложбена зала)という看板の出た建物がある。交差点を渡り、展示会場の横に回りこんでみる。案の定、昨日長距離バスが到着した西バスターミナル(Автогара Запад)だ。これが首都のバスターミナル? と思うほどうらびれた建物だ。無駄な公共事業しまくる共産国家なら、バスターミナルも建て替えてほしかった。

結局、展示会場の入り口がどこにあるのかは分からなかった。オフチャ・クベリ通り側に出る。高校があり、授業が終わったのか、単に休み時間なのかは知らないが、沢山の生徒が道路に出ている軽食の露天に群がっている。トラムに乗り、ソフィア方向へ一駅行ったところで降りる。停留所の前に、面白い看板を出した売店がある。”INTERNET ADSL”と書かれている。電話線も繋がって無さそうな露天の建物で ADSL ? やはり単なる契約の取次ぎですかね。付近は同じようなアパートが建ち並んでいる。共産圏のアパート群は、ロシアでもこの国でも同じような雰囲気だ。5階建てくらいのアパートの間を細い道が走り、うっそうと茂る街路樹で昼間でも直射日光が遮られ落ち着いた雰囲気だ。国民一人あたりのGDPが7000ドルのこの国の住環境は、28000ドルの日本人の住環境よりはるかに文化的に見える。私の家の近くの街路樹は、幹だけになる位剪定されまくり、虐待を受けている。

トラムに乗りソフィア市街地に戻る。ロシア記念碑広場を過ぎて、11時10分、マケドニア(Македония)通りの停留所で降りる。道路沿いに服やら書籍の露天がずらっと建ち並んでいる。グラフ・イグナティエフ通りの切り売りのピザ屋で、ハムの乗ったピザを買う。1.30BGN。近くの公園のベンチでピザを食べる。公園の端の七聖人教会(св. Седмоцисленици)に次々と人々が入っていく。中を見てみると、薄暗い中をロウソクが照らしていて、イコンが描かれている普通の正教聖堂だ。

朝、トラムで通りかかった文化宮殿を見に行ってみる。いかにも共産国らしい名前だ。文化宮殿横の両替商で10EURを19.50BGNに換金。さすがユーロは強い通貨で、すごく良い換算レートだ。公園の中の文化宮殿に入る。たくさんの人が出入りしているが、内部は劇場のようだ。劇場は開いていなかったが、ホールには衣料品や雑貨類を扱う店が出ていて、訪れる客のお目当てはこれらの店のようだ。観光客的には特に見るところは無さそうだ。ヴィトシャ通りを市街地中心へ向けて歩く。トラムから見えたインターネットカフェを目指す。看板を見つけ、路地裏にある建物の2階へ。1時間1.20BGN。Windows XP には日本語IMEも既にインストールされている。

市内中心部のスヴェタ・ネデリャ広場へ。昨日前を通りかかった大統領府の前で衛兵の交代式をしている。どこの国でも衛兵の交代式ってやるんですね…。ちょうど天気もよくなり、青空が見えてきた。中心部の観光地の写真を青空の下でもう一度撮りなおしておく。ソフィア最大の露天市場、ジェンスキ・パザールへ向かう。Стефан Стамболов 停留所でトラムを降りると、すぐ前が露天市場の入り口になっている。かなりの数の人たちが露天市場のある通りへ入っていく。常設の建物の店と露天が入り混じっているが、ものすごい数の食品店と買い物客。肉屋に真っ白な豆腐のような物が売っていたが、よく見るとチーズのようだ。1kgで 3BGN程度。ケバブチェ(ひき肉を角型に焼いたハンバーグ)をパンに挟んで売っている露天が沢山ある。1つ買って食べてみた。0.50BGN。スパイスが効いていてなかなか美味しい。

そろそろ駅へ戻る時間だ。ジェンスキ・パザールを出てすぐのところにある、マリア・ルイザ(Княгиня Маркя Луиза)通りの中華ファストフード(正宗中国快餐)に入る。中国人のおっちゃんと、チャイナドレスを着たブルガリア人女性が店をやっている。おかず数品と、御飯を山盛り食べて 2.70BGN。やはり御飯が一番美味しい。17時30分、ソフィア中央駅に戻る。19時20分発のモスクワ行き列車が1番線に既に停車している。扉は開いていないので、まだ乗車できないようだ。だだっ広いプラットホームには野犬が何匹かうろついているだけで、誰も居ない。14両編成の最後尾にロシア鉄道の頑丈そうな車両が2両(モスクワ行き)と、ウクライナの車両が1両(キエフ行き)くっついている。ロシアの車両の窓に掲示されている紙には「ブルガリア急行(Болгария Экспесс)」と書かれている。その前にはブルガリアとルーマニアのオンボロ客車が交互に連結されている。可能であればロシア鉄道の車両に乗ってみたいところだが、私の切符に書かれた車両番号はブルガリア鉄道の車両だった (がっくり)。

駅構内でしばらく時間を潰してから、ホテルで荷物をピックアップする。車両ごとの車掌が乗車可能時間を決めているようで、私の乗る471号車は18時30分頃乗車可能になった。ロシアのプーチン大統領に似た鋭い目の車掌に切符を渡し、2等寝台車のコンパートメント41番に入る。一昨日テッサロニキから乗った寝台車とほぼ同じ造り。双方ともブルガリア鉄道(БДЖ)の車両だから当然か…。車掌がにこりともせずにシーツを配布しに来る。旧共産圏なので、国鉄社員は情報局職員… とかだったらびっくりだ。

 

 

 

Train : София (Sofia) -> Bucureşti(Bucharest)

 

Train D9647/D382/D60KJ/D42KJ        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Sofia ← 乗車 19:20 0km 19:20
  Sofia Sever 19:25 19:27
  Svoge 20:01 20:02
  Mezdra 20:58 21:01 88km
  Roman(BG) 21:18 21:19
  Cherven briag 21:42 21:44
  Dolni Dabnik 22:18 22:19
  Pleven 22:34 22:39 194km
  Levski 23:08 23:11
  Pavlikeni 23:30 23:32
  Gorna Orjahovica 0:03 0:15
  Polski Trambesh 0:48 0:50
  Bjala 1:04 1:14
  Borovo 1:35 1:42
  Dve Mogili 1:56 1:57
  Ivanovo(BG) 2:14 2:15
  Ruse(BG) 2:38 4:20 405km 4:20頃発
  Russe(FR)
  Giurgiu Nord 4:50 5:25 422km 5:00頃発
  Bucuresti Nord Gr. A ← 下車 7:06 7:30 513km 7:00
  〜 以下、主要駅のみ 〜
  Ploiesti Sud 8:40 8:47
  Buzau 9:48 9:52
  Bacau 12:20 12:32 816km
  Suceava-Nord 14:33 14:58
  Vicsani(FR) 15:54 16:34
  Vadul Siret(Ukrajina) 16:54 19:30
  Chernovcy 20:40 21:22
  Ternopol 4:21 4:50
  Chmelnizkij 7:02 7:07
  Vinnica 10:06 10:18
  Kiev Pass 13:47 15:32 1784km
  Konotop Pass 18:29 18:39
  Zernovo(Ukrajina)
  Brjansk-Orlovskij(Russia) 23:50 0:30
  Suchinitschi Gl. 2:10 2:34
  Moskva Kievskaja 6:20 2656km

 

19時20分、D9647列車モスクワ行きはゆっくりとソフィア中央駅を出発。まだ薄明るい草原を北西に走っていく。471号車には数人しか乗客が乗っていないようで、私は一人で3人用コンパートメントを使っている。通路の窓を開けて外の冷たい空気にあたっていると、隣のコンパートメントの若い男性が出てきた。ルーマニアで観光案内業をしているそうで、セルビアまで西欧人観光客の旅行ガイドに行っていたそうだ。チャウシェスク亡き後、生活とか楽になったの? と聞いてみると、”それなり”だそうだ。最近は自由に外に出て仕事できるから、結構儲けることも可能だそうだ。

真北に向かって草原の中を走っていた列車も、次第に東向きに方向を変えていく。開いた窓から吹き込む風がどんどん冷たくなっていく。30分に1回くらいずつ、駅に停車していく。21時ごろ、通路で立ち話するのを切り上げて、それぞれのコンパートメントで寝ることとする。

SEPTEMBER 27 (Saturday)

Train : София (Sofia) -> Bucureşti(Bucharest)

2時過ぎ、ブルガリア最後の駅ルセ(Русе / Ruse)に停車した。列車がぴたっと止まり、車両の下のブレーキの空気が加圧される音がして、車内の暖房の循環水の音が止まる。車体に少し振動が加わり、機関車が離れていく。その後何度も車両が分離・結合され行き先ごとに車両が仕分けされていく。連結器を切り離す音、スイッチ用の電気機関車が線路を行き来する音が遠くから聞こえてくる。窓のカーテンを開けて外を見る。真っ暗なプラットホームに、真ん丸い電球が柱ごとに”ぼぉっ”と光っている。何人かの客が真っ暗な駅に降りていく。

3時30分頃、駅舎からわらわらと国境警備隊や税関の制服を着た係官が群がってきた。各車両に乗り込んできた係官は端のコンパートメントから”ドンドン”と扉をノックしていく。まず、パスポートチェックが行われる。無線機でパスポート番号と国籍・氏名をどこかに確認している。日本人の私の確認に数十秒かかった。その後数分してから税関がやってきて、パスポートをちらと見ただけで隣へ行ってしまう。20〜30分くらいで国境検査業務を終え、係官が三々五々駅舎で唯一電気が灯っているドアに戻っていった。4時すぎ電気機関車が再び結合され、車内の電源がONになる。暖房装置もジリジリとかすかな音を立てて動き始め、冷えたコンパートメント内を暖めていく。4時20分頃、ルセ駅を出発。

工場やアパートが建ち並び、水銀灯に照らされたルセの郊外をゆっくりと進んでいく。10分ほどで郊外の林の中へ入っていく。線路が大きく弧を描いてドナウ川へ近づいていく。林が開け、線路のすぐ北側に大きな高速道路のインターチェンジのような物が見える。緑色の蛍光標識には”BULGARIA”と書いてあるのが見える。国境検査所だろう。トラックが何台か並んでいるのが見える。ブルガリア側には水銀灯で照らされた工場の煙突等が所々に見える。そこから白い煙が北のルーマニアの方向へ真横に吹き流されている。国境検査所を出た道路が鉄道の上に重なるように走り、鉄橋に入る。時速20km程度のゆっくりした速度で、ドナウ川にかかる鉄橋(友好橋 Friendship Bridge, 1954年建造, 長さ1058m)を渡り始める。ブルガリア側はドナウ川に沿って工場の光がぽつぽつと見える。ルーマニア側は真っ暗で何も無いように見える。工業地帯から出たばい煙の煙が、国境のドナウ川を越えてルーマニアへ流れている。公害が関係の無い横の国に勝手に流れ込んでいる。

橋の中間辺りで列車が停車する。窓から顔を出して前を覗くと、信号が赤。しばらくして列車が再び走り出し、ものすごくゆっくりしたスピードでルーマニアへ入っていく。大きな操車場(ギュルギュウ北駅 Gara Giurgiu Nord)のようなところに差し掛かる。国境警備隊の兵士が5m間隔位でずらっと並んで、私の乗った列車を監視している。列車が停車した。自動小銃を持った兵士も居るが、幸いな事に銃口は下を向いている。中程度の警戒態勢という感じだろうか… 。 ブルガリアの電気機関車が切り離されて戻っていく。

国境警備隊が乗車して、端のコンパートメントからドアを叩いていく。係官がパスポートを回収していく。続いて、麻薬探知犬か軍用犬かは知らないが、でかいシェパードがコンパートメント内をくまなく嗅いでいく。続いてやってきた係官はコンパートメント内を荷物棚までくまなく調べた上、通路の天井の点検口を開けて、天井裏をライトで照らして何かを探している。通路を自動小銃を構えた兵士が駆け足で通り過ぎていく。

隣の車両で揉め事が起こったようで、誰かか怒鳴っている。しばらくして、おっさんが車外へ引きずり出されて連行される。密入国か、犯罪者か… なんであれ、こんな駅で引きずり出されるのだけはごめん蒙りたい。係官が車体の下までライトで照らしてくまなくチェックしている。ロシア鉄道でよく体験した”台車やブレーキの点検するをハンマー音”では無く、何か不振な物が無いか徹底的にチェックする雰囲気がする。5時ごろ、パスポートが返却される。ルーマニア側の電気機関車が結合され、列車が出発する。

再びコンパートメントで毛布にくるまり寝る。7時ごろ、プーチンのような車掌がコンパートメントの扉をノックしていく。7時10分、ブカレスト北駅(Gara de Nord Bucureşti)着。一番端車掌室で切符を返してもらう。なぜか私の切符が無く、隣のルーマニア人の旅行ガイドの座席番号の切符が余っている。”顔が情報局なら、切符くらい取り違えるなよな!!”

Bucureşti(Bucharest) - ROMANIA(ブカレスト、ルーマニア)

20人〜30人の乗客が早朝のプラットホームに散っていく。駅舎に入り、売店などを眺めて物価水準を探ってから、構内のATMへ。500,000ROL(1800円程度)出金する。トルコほどではないが、金銭感覚麻痺しそうな大きな桁だ。駅舎から外へ出る。目の前は普通のアパート群。首都の表玄関の駅というより、郊外の新興住宅地の中心駅といった感じだ。歩き方には駅の南側に数軒のホテルがあると書かれている。そのうち安宿は2軒で、ホテル・チェルナが15EUR、ホテル・ブチェジが20EURだった。値段の差だけで安いほうに泊まる事とする。3階の通りに面したダブル・ルーム(304号室)で500,000ROL。

荷物を部屋に置いて、早速外へ。まずは朝食をどこかに食べにいきたい。中央駅に向かうが、入場券4000ROLらしい。切符を持っていなければ入場できないようだ。仕方なく地下鉄駅へ。1日券を買う。20,000ROL。駅の窓口は英語は通じず、ロシア語は通じた。この国も意思疎通では楽勝な予感…。1号線に乗り、1駅行った勝利広場(Piaţa Victoriei)で2号線に乗換え、さらに1駅行ったロマーナ広場(Piaţa Romană)で下車。殺風景な駅のエスカレーターをひたすら上り地上へ。8時30分、ほとんど車が走っていないゲオルゲ・マゲル大通り(Bulevardul Gheorghe Magheru)を少し南に行くと、マクドナルドがあった。マックチキン、紅茶、ヨーグルトで93,000ROL。ヨーグルト(iaurt と書くらしい)を売っているのは、ヨーグルトの本場のブルガリアの横だからだろうか…。

食後、マクドナルドのすぐ目の前にある新聞スタンドへ。歩き方に”Ghidul Comercial al Bucureştiului”を買うと、市内地図や時刻表など旅行客に必要な物がすべて掲載されていると書いてある。売店のおばちゃんに”その本”が売っているか聞いてみる。案外有名なのか、即座に出てきた。74,000ROL。前半100ページ分が職業別電話帳のようになっていて、後半50ページ分でブカレスト駅の完全な時刻表や、航空時刻表、市内の全ての通りを網羅した地図帳になっている。確かに完璧な市内ガイドブックだ。残念ながらルーマニア語だけでロシア語や英語は併記されていないが…

10分ほど歩いて街の中心部の革命広場(Piaţa Revoluţiei)へ。共産国時代には、共産党広場と言われていたらしい。広場の西側には巨大な共和国宮殿(Palatul Regal、現在は国立美術館)と、似たような感じの旧共産党本部(現在は政府合同庁舎)が向き合って建っている。広場のど真ん中には反共英雄慰霊碑(Eroilor Anticomunisti)の十字架がある。1989年12月、あの共産党本部のバルコニーで演説していたチャウシェスク大統領が失脚した場所だ。その12月革命で治安部隊と市民が戦ったのがこの広場だった。地下には周辺の建物を連結する網の目のような地下道が張り巡らされていて、治安部隊がそこを通って市民軍へ奇襲攻撃をかけたそうだ。共産党本部の北側にはEUの旗が窓に掲げられているブカレスト大学図書館(Biblioteca Centrala Universitara din Bucuresti)の建物がひときわ目立っている。1989年の革命では治安部隊が篭城したため焼き討ちにあい、蔵書はほとんど焼失したそうだ。広場の南西角に、正教のクレツレスク教会(Biserica Cretulescu)が周囲とは違う雰囲気を出している。レンガで出来た教会の至るところに銃弾で穿たれた跡が残っている。

革命広場から南東へ。ATMがあったので1,500,000ROL (5300円程度)出金。Str. Academieiのビルの2階にネットカフェの看板を発見する。沢山のパソコンが接続されているが、そこそこの速度が出ている。1.5時間で3,000ROL。

10時40分、大学(Universitatii)駅から地下鉄2号線に乗り、1駅行った統一広場(Piaţa Unirii)駅で下車。地下鉄の駅のすぐ上がショッピングセンターになっていて、たくさんの人が集まっている。チラッと店内を覗くが、ファストフードの店が1階にあって、上階はファッション関連…。特に見るところは無さそう。中央に巨大な噴水のある統一広場から、遥か西に議会宮殿(旧 国民の館 Palatul Parlamentului , Casa Poporului)の白い巨大ビルが見える。統一大通り(Bulevardul Unirii)のやけに広い歩道を歩いていく。歩道を囲んで栗の並木が続いていて、老人がゴソゴソと落ちている実を拾っている。大通り沿いには巨大な豪華アパートが建ち並んでいる。さすが国の総力をあげて作った地区だけはあり、凝ったデザインで統一されたアパートや不思議な形をした巨大な街灯が整然と並んでいる。5分ほどで並木道を抜け、議会宮殿の正面に出る。白亜の巨大宮殿が丘の上に建っている。ギネスブックに世界第二の面積の建物と紹介されているだけはある(第1位はワシントンの国防総省ビル)。

軍事パレード用に造られた巨大な道路から議会宮殿に入る階段らしき物は見当たらない。とりあえず左(南)へ向かうと、敷地の南東角に門がある。哨所の中に居た迷彩服の兵士に入り口がどこか尋ねてみる。もっと西の方向らしい。議会宮殿敷地の南東角を西へ向かう。宮殿敷地の南側に隣接して、これまた巨大な役所の建物が建っている。正面ファザードに ”ACADEMIA ROMANA” と書かれている。国力に似合わない建物を、よくもまぁ沢山建てたものだ。136系統のバス停が寂しくぽつんと建っていて、その側に議会宮殿の地下に続く入り口がある。さらに西に行ったところに客用の入り口を発見。統一広場から歩くこと20分、結構遠い。議会宮殿の広大な芝生を横切る場内道路まで駐車している車が溢れている。駐車場も満車。「入口」と書かれたプレートなどは全く出ていない。南側正面の巨大な鉄格子が一つだけ開いている。入ってみると、巨大な階段ホールに金属探知ゲートがあり、兵士のような制服の係官が数名暇そうに椅子に座っている。やる気無さそうなおばちゃんがレジのような機械の前に座っているので、入場券を求めてみる。100,000ROL。で、金属探知ゲートの方へ進み中へ入ろうとすると、向こうから兵士のような制服を来た係官が飛んできて問答無用で引きずり出される。何だか分からんが、「俺様の気分が変わるまで、その辺で待て」みたいにこちらを睨みつけてくる。その後英語を話す観光客や、オランダ語を話す観光客が来ても中へ入れてくれず、入り口付近にだんだん人だかりが出来てくる。ツアーガイドに付き添われた数人の観光客が来て、すっと金属探知機を通過し中へ入っていく。さすが社会主義国家! ロシアのクレムリンと対応が似ている…。 金を落とす団体観光客優先で、自由に行動する個人客お断りに近い態度。 でも、ルーマニアって何年も前に民主化したんだよな…。 人間の思考回路は数年では変わらないなぁ。

結局30分近く無意味に待たされ、無愛想な金属探知機を通ってやっと中へ。勝手に歩き回らないように監視員兼ガイドが付く。スペイン語訛りのおっさんが、説明は要らないから勝手に見たら駄目かと聞いていたが、ココの職員の態度を見たらどう見ても駄目だろう。軍の高官と思われる金ぴかの制服を着たグループがどかどかと入ってくる。われわれ観光客烏合の衆の団体を抜かしてさっさと中へ入っていく…。ガイドの説明に従って、「西側ホール→南側通路→東側通路→正面玄関(トイレ休憩)→東側の会議室を幾つか内部見学→建物中央のホール→西側バルコニー→元来た通路を辿り出口へ」という経路で内部を案内される。今日はコンベンションを開いているので、2階へは上がれないようだ。独裁者が軍事パレードを謁見するバルコニーに一回立って見たかったんだけど…。

要所要所で質問を受け付けてくれるので、ツアーが始まって真っ先に私が質問してみた。「西側入り口で見かけた軍高官はルーマニア軍か?」と。案内の係官は「見覚えのない制服なので、他の国のだろう」ということだった。一番偉そうな奴の階級章は将官以上を示す金色で、星が2つあると言うことは少将クラス?(帰宅してから調べてみた。結局どこの国かは不明 → 世界各国の階級章
館内を説明してくれた女性によれば、議会宮殿には換気設備が無いそうだ。チャウシェスク元大統領が換気ダクトが生物化学兵器の攻撃系統になることを恐れたと考えられているそうだ。天井や壁面の彫刻された飾り穴の一部が自然通気口となっているところに工夫を感じるが、夏場には40℃近くになるときには蒸し風呂のように暑いだろうね〜。部屋も廊下もけた違いに広く、廊下の広さは私の家の”最長辺”並みに長いのでは…。廊下だけで何軒の家が入ることだろう。会議室には何年もかかって作られた世界最大(?)の絨毯やカーテンがセットされている。それも、工業的に作ったのではなく、伝統工芸的に作った”趣味の品”だそうだ。

35分ほどで見学が終わり、再び西側ホールに戻る。一旦外へ出て、議会宮殿の正面に回りこむ。コンベンションの参加者が正面ホールの階段付近に何人か出てきている。正面玄関から見た統一通り方面の眺めの壮大さは、国家指導者の満足感を満たすだけの景色だ。1989年の市民クーデターで、腐敗した独裁者の汚名を着せられて銃殺されたチャウシェスク元大統領だが、現在でも不正蓄財や汚職の決定的証拠は発見されていないそうだ。膨大な対外債務を抱えたルーマニアの国家運営を、徹底的な債務返済と緊縮経済で乗り切ろうとしたチャウシェスクは本当に悪だったのだろうか…。対外債務すら返済せずに債務の帳消し&更なる援助を求めるバカ国家や、GDPの何倍もの負債を抱えながら今だに公共工事や大きな政府を捨てきれないどこぞの国の経済運営より秩序だっていたのではなかったのだろうか。 (秘密警察が支配する徹底的な鎖国政策を是とはしませんが…)

元来た道を辿り、統一大通りへ。大通りの豪華アパートの1本南側に入ると、いきなり普通の住宅地が広がっている。大通りに沿って建てられた豪華アパートも、裏側から見るとまっ四角な普通のビル。凝ったデザインなのは大通りに沿った面だけという、まるで張りぼてのような街。たくさんの人が古い教会(Antim Monastery)に吸い込まれていく。大通りには殆ど人が歩いていないが、裏手の教会には溢れんばかりの人が集まっている。礼拝堂内部は身動き取れないくらい満員。で、外国人の私を見た途端、”恵んでくれ”と大量の人が集まってきたりする。ちょっと怖かった…。

統一広場まで行き、昼食を食べるレストランが無いか辺りを探す。ファストフード系の店がビルの1階に入っているが、どこも若者でごった返している。市内中心部に向けてブラティアヌ通り(Bulevardul I.C Bratinau)のんびり歩く。道沿いには服飾店が建ち並び、原宿のように若者でごった返している。大学広場を通り過ぎ、朝食を食べたマクドナルドの隣にあるKFCに入る。統一広場からゆっくり歩いてきたが、およそ20分で到着。午前中は地下鉄に乗ったが、歩いてもそんなに遠くない距離だ。チキン・サンドのセットメニューとコールスローで96,000ROL。

14時30分頃、再び独立広場へ。午前中、逆光で撮影が難しかった旧共産党本部ビル等を撮影し、ヴィクトリア通り(Calea Victoriei)沿いに南へ。マイクロ波のパラボラ・アンテナが林立した中央電話局ビルが、工事中の無残な姿を晒している。今だにマイクロ波…。この通り沿いには国威を掛けて建設しまくった様々な建築様式のモダンなビルが建ち並んでいる。そのどれもが薄汚れて、いまいち洗練された雰囲気でない。瀟洒なアーケードの Pasajul Vilacrosse などいい観光資源なんだろうけどね…。

大学広場と統一広場の間にある旧市街(?)のようなところを暫くうろうろする。今にも崩壊しそうなアパートや、歴史のありそうなスタブロポレオス聖堂(Biserica Stavropoleos)のような建物がひっそりと建っていると思えば、高給レストランや官庁ビルが建っていたりする支離滅裂な地区。日本人らしき女性が教会の写真を撮っていたが、何で日本人って”他の日本人”を見ると避けるんでしょうね…。

18時頃、大学広場交差点にあるレストランでポークステーキ、チョルバ(ルーマニア風の具だくさんスープ)を食べる。175,000ROL(約600円)。19時、大学広場駅から地下鉄に乗りホテルに戻る。

SEPTEMBER 28 (Sunday)

Train : Bucureşti(Bucharest) -> Braşov

6時起床。6時40分チェックアウト。500,000ROL支払い、パスポートを返してもらう。外はぼんやり明るくなってきたところで、かなり寒い。ホテルの真向かいにあるブカレスト北駅(Gara de Nord Bucureşti)へ。正面入り口は切符を見せないと入れないので、駅の東面の切符売り場へまず向かう。2等車の切符売り場は長蛇の列が出来ていたので、1等車の窓口へ。7時21分発の準急(Train Accelerat)でブラショフまでの指定席を買う。246,000ROL(約860円)。4時間も1等車に乗って860円とは、日本人にとっては激安だ。切符を手にしたので、堂々と駅構内へ。構内のマクドナルドで朝食。チキン・サンド、フレンチフライM、紅茶で93,000ROL。店内一面に”I'm Lovin' It”のテープが張りまくってある。なんともナンセンス…。店内でタクシーの客引きがカモを漁っている。私のほうへ来て、「I'm Shop's TAXI」だと。さっさと帰ってくれ! 7時ちょっと前、6番線にA1745 サツ・マレ(Satu mare)行きの列車が入線する。殆どの乗客は2等車に向かって猛ダッシュ。私はのんびりと1等車へ。さすが値段が倍(といわれる)だけあり、空いている。

定刻どおり、7時21分にブカレスト北駅発。同じコンパートメントにはシナイアへ行くカップルと、プレデアルへ行くお爺さんと私。列車はまっすぐ北へ、平原の中を走っていく。どこまでも続く小麦畑。東の空から太陽が昇り、コンパートメント内に日差しがまともにあたってくる。線路の東側には綺麗に舗装された2車線の道路(E60号線)、西側には小さなプラホバ(Prahova)川が並走している。9時少し前、カルパチア山脈に差し掛かる。谷沿いにどんどん標高を上げていき9時35分頃シナイア(Sinaia)駅に停車。避暑地として有名らしい。カップルが俺に「ココがシナイアか?」と確認して降りていった。車内放送が無いので、何駅なのかサッパリ分からない。シナイアを出るとすぐにトンネルに入り、山を下り始める。カルパチア山脈を越える峠の標高が800m程度。西側には所々に雪を頂いたブジェチ山系(Muntii Bucegi)の山々が雲の間から覗いている。通路側の窓を開けて外の空気を触ると、かなり冷たい。コンパートメント内のヒーターがONになったようだ。線路の両側の森はかなり色づいていて、既に紅葉の季節も終わりに近いようだ。

農家ではなく、別荘という雰囲気の建物が谷間に点在している。線路横の別荘が火災で完全に焼け落ちているのが見える。列車の行き違いのためプレデアル駅で暫く停車する。同じコンパートメントのお爺さんが降りてゆく。コンクリートの継ぎ目が波打っているホームには、水が出っ放しの水呑器が噴水のように水を吹き上げている。向こう側のプラットホームに鈍行の2階建て車両がやってきて停車する。チェコにも似たような形状の社会主義国風の角張ったダブルデッカー車があるので、どこかの国のライセンス生産品なのだろうか…。

プレデアル駅を出ると山をどんどん下って行き、トランシルバニアの平原に出る。線路沿いの林の道をハイキングする人が目立つ地域を通り過ぎると、すぐにブラショフ(Braşov)駅着。10時50分。

Train A1745        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Bucuresti Nord Gr. A ← 乗車 7:21 0km
  Ploiesti Vest 8:28 59km
  Campina
  Breaza hc.
  Comarnic
  Sinaia 9:36 121km
  Busteni
  Predeal 10:07 140km
  Brasov ← 下車 10:51 11:06 166km
  〜 以下、主要駅のみ 〜
  Sighisoara 12:52 294km
  Teius 14:17
  Cluj Napoca 15:58 497km
  Dej Calatori 17:01
  Baia Mare 19:31
  Satu Mare 21:45 746km

Braşov - Romania (ブラショフ、ルーマニア)

列車を降り、地下道を通ってコンコースへ。タクシーの運転手らしき客引きがまとわりついてくる。そういう連中を無視して、駅前広場の市内バス乗り場へ。売店と並んで切符売り場がある。10人くらいの客が行列を作っている。切符1枚 7,000ROL(約25円)。統一広場(Unirii Piata)行き4系統のバスに乗り込む。運転手に「旧市街中心の広場で降りたい」と伝えておく。真新しい中型バスは、共産主義アパートの間を縫うように作られた大通りを旧市街向けて走る。こんもりと森のようになった中央公園を通り過ぎると、一気に旧市街の狭い道へ。時計塔のような旧市庁舎が建つスファトゥルイ広場(Piata Sfatului)で降りる。

ドイツの田舎町に迷い込んだような街並み。観光客どころか、歩いている人は殆ど居ない。旅行シーズンが終わったからなのか、広場中心の噴水は干からびて乾いている。歩き方 中欧編によれば、中央公園あたりに1泊15USD程度のホテルがあるそうだ。旧市街中心部を暫くうろついてみるが、ギリシアのように”ペンションの看板が林立する”ような雰囲気ではない。というより、1軒のペンションも見当たらない。歩いているうちに、中央公園そばまでやって来る。歩き方に載っているアロ・スポルト(Aro Sport)ホテルへ。受付の英語を話せるお姉さんに1泊幾らか聞くと、375,000ROL(約1300円)らしい。1泊分の値段を払い、部屋の番号を教えてもらう。鍵は3階に居るおばさんに貰ってくれと…。(ジュールナヤが居るのかな…) 階段を上り、掃除中のおばさんを見つける。当然英語は通じないが、私はルーマニア語を話せない。お互い苦手なロシア語で何とか切り抜け、部屋の30号室の鍵をゲット。部屋の窓からは旧市街の建物の屋根の向こうにスファトゥルイ広場の旧市庁舎の尖塔がちょこんと見えている。

荷物を置き、再び1階の受付へ。ブラン城への行き方を聞くと、歩き方の記述は殆ど間違いないようだ。まずは昼食。スファトゥルイ広場へ。オープンテラスのレストランが何軒かあり、そのうち1軒がルーマニア料理のようだ。ミートボールが入ったチョルバ(スープ)とサラダ、水で100,000ROL(約350円)。結構高そうな雰囲気のレストランなんだけど、物価安いですね…。

12時30分、ブラン城へ向かう。中央公園(Parcul Central)前のバス停から5系統のトロリー・バスに乗る。ルンガ通り(Strada Lunga)10分ほど行った突当りを左に曲がったところで下車。バルトロメウ(Bartolomeu)バス停を聞いただけなのに、英語を片言で話す兄ちゃんがくっついて降りてくる。バス停でブラン行きのバスが無いか聞いてみるが、その兄ちゃんが回りの人々にルーマニア語でなにやら言っているので誰も正直に答えない。悪徳ガイドに捕まった外人に助け舟を出す人は、確実に居ない。タクシーしかないとか、熊が出るからガイドが必要だとか嘘ばかり言っている。バルトロメウのバス停の横は国鉄の駅のようだ。水色のオンボロ列車がやってきて停車する。とりあえず先ほどのトロリー・バスが向かった南西方向に少し歩いてみる。数分で道路の脇にバスが大量に溜まった車庫のようなところ(Stadionul Municipal)に出る。悪徳ガイドはその辺りに居る数人の仲間と話している。こんなに沢山居るのか…。バス会社はこういう現象を知っているはずだから、市政府もぐるなんだろうな…。再びバルトロメウに戻り悪徳ガイドが離れてくれるのをひたすら待つが、相手もなかなかのもの…。バス停に停車するバスの行き先表示を1台ずつ確認するが、ブラン行きはなかなか現れない。そろそろブラン行きのバスが現れるのだろうか、悪徳ガイドは”バスターミナルに案内する”と言ってきた。バスを目撃されないように巧妙にアパートの裏手を通らされて、閑散としたバスターミナル(Autogara 2)へ。その辺に停まっているバスの運転手に、ブラン行きは何時に出るか聞いてみる。が、悪徳ガイドが巧妙に割り込み、またもや妨害しようとする。とりあえず、バスは14時ごろに出るということは分かった。小屋のような待合室兼切符売り場へ。壁面に時刻表が貼ってあるが、ブラン行きは書いてない。(実際は Rasnov 方面行きが ブランへ行くようだ。30分おきに走っている)

悪徳ガイドはとうとう観念したのか、金をくれといってくる。1000ROLなら恵んでやるというと、少なすぎるとごちゃごちゃ言ってくる。13時52分、バスがやって来る。ブランまで 18,000ROL の切符を買う。この期に及んで、悪徳ガイドは今だに金をよこせといってくる。バスが来ればおまえさんに用は無い、あばよ…。悪徳ガイドに金を恵むとでも思ってるのかね。それも1時間も無駄に時間を過ごさせて、こっちが金を貰いたいくらいだ。

14時、Moeciu 行きバスが出発する。車内は8割くらいの乗車率。バルトロメウと市立競技場と先ほどの5系統トロリー・バスのバス停に停車する。市立競技場バス停を過ぎると工場がまばらに立地する郊外を走り、10分ほどで完全にジャガイモ畑や小麦畑の間を走るようになる。Cristian、Rasnov と小さな町に停車するたびに乗客が増えて通路まで満員になる。平原から山地に差し掛かる辺りのブランの町で下車。14時45分。

目の前の小さな岩山の上に木々に囲まれた城が顔を出している。入り口はバス停のすぐ前にあるが、一旦城の裏側を見に行く(バス停側からだと、逆光で城の写真が撮れない)。Turcu 川を渡り、記念撮影か何か行うための草地がある。色づき始めた木々の上に突き出た古城の景色は、まるで絵葉書のようだ。正面に戻り、城の入り口へ。先ほどバスから降りた観光客は数人だったが、入り口付近は観光バスやタクシーなど出来た観光客でごった返している。入場券を買う。70,000ROL。このチケットで城と民族博物館の双方に入れるらしい。まずは城へ。林の中の急坂を登ると城の扉がある。門番が、「カメラを持ち込むなら50,000ROL払え」と言って来る。発展途上国によるある、「カメラ代」ね…。こういう国では、観光客からぼったくる手法を日々考案しているのだろうか…。場内の部屋は殆どががらんどうで、豪華な装飾品という物は無かった。熊の毛皮の絨毯や鹿の角の飾り物など、その辺りの山に狩りに出かけた収穫が最も豪華な内装品だった。狭い階段や通路を通って最上階へ。天守閣というのかどうかは知らないが、ここから見るブランの村の眺めは綺麗だ。城の中庭でヴァイオリンを誰かが演奏している。その脇にある大きな木には小さな花が沢山咲いていて、無数のミツバチが飛び回っている。観光施設で養蜂業もやるという、日本ではなかなか考えられないのどかさ。城から出て民族博物館(open-air ethnographic museum)へ。城の周囲の村に建ち並んでいる建物とさほど変わらない建物が建ち並んでいる。日本人らしき人を見かけたので声を掛けてみる。芸術家のT氏という人だった。ブラショフの「マリアの家」に泊まっていて、同じ宿の欧州人と2人で車をチャーターしてブラン城に来たらしい。夕食でもいっしょにと思い、ブラショフ旧市街広場にあるレストランで18時に待ち合わせる事にした。

城の入り口のところでT氏がチャーター車に乗り込んでいった。私はバスなので、特に時間制限があるわけじゃない。ブラン村をのんびりと歩く。民族博物館と似たような農家が建ち並んでいる砂利道を、牛がのんびりと引き連れられている。村を少し外れると、かなり広い牧草地が広がっている。のんびりした田舎ですね…。16時30分頃、バス停へ。ブラショフ方面行きのバス停には、売店兼バス待合室がある。アイスクリームを買う。7,000ROL。ぽつぽつと観光客が集まってくるが、それでも10人に満たない。日本人らしき家族連れが居たので、どこから来たのか聞いてみる。日本人じゃなくて、韓国人だった。ブラショフから来たのではなく、Moeciu の方から来たらしい。これからブラショフへ行くとのこと。17時45分、バスがやって来る。車内は既に満員に近い。18,000ROLで切符を買い、何とか席を見つけて座る。行きも帰りも通路まで人で溢れるくらいの乗客があるのに、なぜバスを増発しないんだろうか? 結構はやりそうなものなのに、不思議だ。ラスノフあたりで東側の丘の上に砦が見える。ブラン城より大きそうだが、歩き方には載っていない。ラスノフ砦(Rasnov Citadel)だろうか。ラスノフの村で沢山の乗客が降りて、バスの中に若干余裕が出来る。17時30分、ブラショフのバルトロメウバス停で下車。韓国人家族も私の後から降りる。国鉄駅へ行くようで、どのバスに乗り継げば良いか分からないらしい。バス停の横にある切符売り小屋の係員に「Gara Brasov へ行くのは何系統?」と、彼らの代わりにロシア語で聞いてみる。市内中心部を通らずに、中央駅に直通するバス(10系統)があるようだ。

私は再び5系統のトロリー・バスに乗り中央公園へ。前の入り口から乗り込むと、運転手が助手席に乗っていけと合図する。郊外バスなら景色いいかもしれないけど、市内バスはそれほどでも…。

18時ごろ、旧市街中心のスファトゥルイ広場へ。T氏はまだ現れていないようだ。昼食に入ったルーマニア料理のレストラン(Sirena Gustari という店)に入り、テラス席に座って過ぎ行く観光客を眺める。太陽が旧市街北西側の山に沈み、だんだんとあたりが薄暗くなってくる。18時10分ごろ、T氏が現れる。ポーク・ステーキとチョルバ、水で165,000ROL(約570円)。味も美味しいし、ウエイトレスのおばさんも親切だし、旅行者にとって天国のようです。日が暮れて、当たりが真っ暗になってくるとさすがに冷えてくる。19時30分頃支払いを済ませて外へ。歩いている観光客の数もぐっと減った共和国通り(Str. Republicii)を歩き、路地に入ってみる。所々にバーやカフェがあり、観光客がまばらに入っている。私が泊まっているホテルの近く、ムレセニロール通り(Str. Muresenilor)のバーへ。ここだけは地元の若者などで大混雑している。カクテル、コーヒー、水などを飲んで175,000ROL(約600円)。やはり激安の国だ。23時少し前、店を出てT氏と別れる。T氏は私の向かうコースと逆向きの”ブダペスト→ブラショフ→ブカレスト”と移動しているそうだ。アルカイダがバルカンからハンガリーに入国しようとしていると言う噂で、ハンガリーの国境検査が異様に厳しくなっていると言う情報を得た。ブルガリアからルーマニアへの入国もかなり厳しかったので、それ以上ということは”真夜中に列車からたたき出されて、整列させられる”ような検査でもあるのだろうか…。

バーの前にはパトカーが停まっていて、付近で騒ぎが起きないように警戒している様子だった。この街もそれほど安全ではないということなのだろうか。ホテルに戻り、シャワーを浴びる。やたら広い共用シャワー室からは、工事中のアロ・パレス・ホテルが廃墟のようにぼんやり見えていた。

SEPTEMBER 29 (Monday)

Braşov - Romania (ブラショフ、ルーマニア)

7時起床。窓から外を見ると、鉛かトタンで出来た家々の屋根に朝露がべったりと降りている。旧市街南東にあるトゥンパ(Tåmpa)山に遮られて、まだ太陽は見えない。ホテルのフロントで、もう一泊分の料金(375,000ROL)を支払う。共和国通りのマクドナルドで朝食。チキン・サンド、フレンチ・フライM、紅茶で96,000ROL(約340円)。マクドナルドは安くないね…。マクドナルドの横にある国鉄予約センター(Agentia CFR)へ。8時の開店と同時に中へ。当然、まだ誰も並んでいない。明後日のブダペスト行きの寝台車の予約を取る。クシェットが約1,500,000ROL、2等寝台が約1,900,000ROLということなので、安いほうに。支払った価格は1,549,000ROL。

中央公園(Parcul Central)へ。ブラショフ駅(Gara Brasov)へ向かうバス停を探したが、見つからない。公園の西側にタクシーが何台か休んでいる。そのうちの1台に乗り込み、ブラショフ駅へ向かう。バスと同じルートを走り、およそ10分で中央駅に到着。27,000ROL(約95円)。シギショアラ行きの列車が出るまで、あと20分程度。切符売り場で急行(Rapid)2等車の切符を購入。175,000ROL(約600円)。出てきた切符は懐かしの硬券。まだこういう切符使ってる国あったんですね…。

コンコースの到着案内表示を見ると、「Tren RAPID, Nr 374, de la Bucuresti N, ora 8:56 int 30min」と出ている。到着案内が30分遅延なのに、出発案内には何の表示も無い。

Train : Braşov -> Sighişoara

Train R374        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Bucuresti Nord Gr. A 5:50
  Ploiesti Vest 6:53
  Sinaia 7:53
  Predeal 8:17
  Brasov ← 乗車 8:56 9:05 0km 9:40
  Rupea -- --
  Sighisoara ← 下車 10:47 128km 11:25
  〜 中略 〜
  Arad 15:30
  Curtici 15:48 470km
到着案内板の前に、バックパックを背負った日本人らしき男性が居る。話し掛けてみると、日本人で、これからシギショアラまで行き1泊して、明日クルージ・ナポルカへ行くそうだ。「列車は30分遅れだそうですよ」とか世間話をしているうちに列車が到着。切符の裏面に指定された(別車両の)席へ向かう。435号車、21番の席へ。昨日ブカレストから乗った1等車に比べて、若干グレードが落ちたくらいだ。ブダペストまで行く国際列車だからマシな車両を使っているのかな? 9時40分、定刻より40分程度遅れてブラショフ駅を出発。同じコンパートメントには、ハムとパンで昼食を食べているおっちゃんと2人。列車はなだらかな丘陵地帯の牧草地や畑の中を快調に北上し、いつのまにか西へ向かっている。途中どこかの駅に停まるのかと思っていたが、1駅にも停車せずにシギショアラまでやって来る。2時間ノンストップで、”快速列車”とは…。日本の”快速”は10分おきくらいに停車しまくっているのとは対照的。もっとも、途中に町を一つも見かけなかったのだが。

Sighişoara - Romania (シギショアラ、ルーマニア)

プラットホームに降り立つ。列車の窓越しに別れを惜しむ家族の姿がある。小さな駅舎に入り、帰りの列車の時刻を確認する。13時31分、15時51分、… に列車がある。

駅舎を出る。バスターミナルもタクシースタンドも無く、ホテルの客引きも存在しないのどかな田舎駅。”ドラキュラのふるさと”という観光地の駅前に、観光案内の地図すら貼っていない(当然、標識もなし)。パソコンでプリントアウトした地図を1枚携えて、旧市街向けて歩く。少し高台になった駅を出て左へ行くと、1分ほどで小ぢんまりした交差点に出る。車がわずかに走る南向きの通りと、住宅街の中を進む南西向きのとおりに分かれている。住宅街のほう(ニコライ・ティトゥレスク通り Str. N. Titulescu)を暫く行くと、白い漆喰のルーマニア正教の大聖堂(Catedrala Ortodoxa)前に出る。教会前の広場を抜けると、タルナヴァ川(Tånavei Mari)を挟んだ向こうの丘に旧市街の建物が見えてくる。川原の草地では山羊が草を食んでいる。駅から川にかかる橋まではのどかな住宅街だったが、川を渡った途端に商業主義が頭をもたげてきている。地元向けの商店に混じり、観光客向けの商店が建ち並んでいる。旧市街の丘の麓を半周ほど回りこんで、南東側のヘルマン・オベルト広場(Piata Hermann Oberth)へ。おそらくここが新市街の中心部なのだろう。新市街といっても、旧市街の周りに住宅街がちょこっとくっついている程度でしかないのだろうけど…

時計塔や市庁舎の尖塔が突き出た旧市街の丘を登る。かなり急な石畳の坂道(Str. Turnului)を登り、時計塔(Turnul cu Ceas)の下をくぐって旧市街に入る。これは時計塔というより、城門ですね。月曜日は休館日のようで、塔の内部へ入る階段は閉じられている。時計塔を抜けたところの小さな広場を、観光客が何人か歩いている。左手には”Restaurant Berarie”と看板が出ているが、大きな”ドラキュラの家”というのぼりが垂れ下がっている建物がある。15世紀にヴラド・ドラクル公が幽閉された建物で、ヴラド・ツェペシュ公の生家でもあると言う。
ドラキュラ・レストランの横を通り過ぎ、少し行くと旧市街中心の広場(Piata Cetatii)に出る。色とりどりの建物に囲まれた広場の中央に、ケヤキの木に擁かれたカフェがある。

旧市街の北端へ。ローマカトリック教会(Biserica Romano Catolica)がある。東方正教の地にローマカトリックというのも奇妙な取り合わせだ。教会のすぐ西側には、ドイツの旧市街を思わせる靴職人の塔(Turnul Cizmarilor)が建っている。小さなおもちゃのような家々の間を抜けて少し南に行くと、服職人の塔(Turnul Croitorilor)と呼ばれる城門がある。外部からの車は全てこの門を通って中に入ってくるようになっている。西側の新市街へ続く坂道が、うっそうと茂った林の中へ続いているのが見える。さらに南へ、旧市街の丘の一番高いところを目指す。ブラショフ駅で出会った日本人のおっちゃんに再会する。旧市街に泊まるところを見つけて、これから丘の頂上を目指すようだ。いっしょに屋根の付いた階段を上り、丘の上へ。階段を登りきったすぐ脇の林の中に、”Den Loten Belden”と書かれた石碑が埋もれている。トルコとの戦争で命を落とした騎士の墓だろうか…。

丘の上の教会(Biserica din Deal)にくっつくような形で木造の学校があり、部屋の中で生徒が授業を受けているのが見える。教会の正面入り口は南側の丘の頂上にある。入場料10,000ROL払って中へ。玄関廊には、このあたりから掘り出した教会遺跡の残骸が飾られている。ロマネスクとゴシックの中間のような建物。正面ファザードの窓が以上に小さく、篭城するための教会のようにも見える。10,000ROL払った割には、内部はシンプルなカトリック系の教会のようだ。教会の南側斜面は、ずっと向こうまでうっそうと木が茂った墓場が続いている。崩れかけた城壁の隙間からは、東側の新市街が木々の間からかすかに見える。旧市街の頂上なのに、展望台など景色のいい場所は無いようだ。

ここで日本人のおっちゃんと別れて、私は再び木造階段を下りて市街地中心部へ。時折観光客らしき人とすれ違うくらいで、旧市街には殆ど人通りが無い。表通りから少し入ったところには平屋の民家が建ち並び、瓦葺の屋根にはまるで人間の目のような形の通気口が開けられていたりする。穴の中がどうなっているのか気になる。13時ごろ、旧市街中心の広場(Piata Cetatii)の少し北側にある Burg Hostel という安宿兼食堂のようなところで昼食。ポーク・ステーキ、チョルバで63,000ROL(約220円)。大学の生協食堂でもこれほど安くステーキを食べられない。(ちなみに、1泊10EUR程度らしい)

時計塔前の広場へ。時計塔の北側に、ドイツ語で Klosterkirche と書かれたプレートが埋め込まれた修道院聖堂がある。戦争の名残なのか、ドイツ様式の教会の表面は黒く焼け焦げている。トランシルバニア地方がオーストリア・ハンガリー帝国だった頃、大量のドイツ人入植者がこの町にやってきて教会を含む町全体を形作ったのだろうか。教会の北側は市庁舎になっている。市庁舎東側のテラスからは、新市街の小さな街並みが手にとるように見える。シギショアラの町はすぐそこで終わっていて、あとは森が広がっている。

ブラショフへ戻る列車は15時51分発なので、まだ暫く時間がある。旧市街を適当にうろついてから、時計塔を通って新市街へ。ヘルマン・オベルト広場のオープンカフェで人間ウォッチングしながら適当に時間を潰す。広場の前の12月1日通り(Str. 1 Decembrie)に郵便局発見。テレホンカード(80,000ROL)を買い、日本の実家に久しぶりに電話する。私:「今、ルーマニアのシギショアラ」。親:「… どこの国?」。 普通の人にはなじみ無い国でしょうね、ルーマニア…。

14時20分頃、駅へ。狭い駅のコンコースには切符売り場の小さな窓口が1つあるだけ。駅事務所では、ジリジリと電話が鳴り響いているが、肝心の駅員が存在しない。なぜか外から駅員がのっそりと現れて、ぼろい切符売り場の扉の鍵をこじ開けて中へ入っていく。どこかからかかってきた電話の応対している。で、一通り用事が済んだように見えたので、駅員にブラショフまでの切符を売ってくれと頼む。駅員:「アチェレラトか、ラビッドかどちらがいいか?」、私:「先に来るのは?」、駅員:「アチェレラト。1時間遅れでもうすぐ到着する」。待ち時間無しで乗れそう。非常にラッキーだ。準急(Tren Accelerat)の切符を買う。13,800ROL。駅員が急いでホームへ行けと急かしている。プラットホームで待っていると、14時40分に列車がやってきた。


ヴラド・ツェペシュ http://www.d8.dion.ne.jp/~kuneriz/sarisa3.htm

 

Train : Sighişoara -> Braşov

Train A1746/A1747        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Satu Mare 4:49
  〜 中略 〜
  Cluj Napoca 10:21
  〜 中略 〜
  Sighisoara ← 乗車 13:31 13:34 0km 14:40
  Rupea 14:20 14:22
  Augstin 14:46 14:47
  Brasov ← 下車 15:30 128km 16:40
  〜 中略 〜
  Bucuresti Nord Gr.A 18:59
プラットホームに待っていた何人かの乗客が列車に乗り込む。硬券の切符で指定された21号車、88番席のコンパートメントへ。えらく汚らしいおっさんが、酔っ払って座席でのびている。そのうえ強烈な臭気がコンパートメント内に漂っている。こりゃ駄目だ。隣のコンパートメントに空きがあるので、そちらへ緊急避難。同じコンパートメントを指定されたらしいおばさんも、私と同じコンパートメントへ移って来る。

同じ2等車なのに、今朝乗った急行(Rapid)より確実にグレードが落ちている。急行(Rapid)=布張りの椅子、準急(Accelerat)=革張りの硬いシート。値段の違い25%だけグレードを落とされたわけか…。 途中、畑の中にある2駅に停車する。駅といっても、見渡す限りの畑の中にぽつんと駅舎がある程度だ。それでも数人の乗客が乗り降りしている。16時40分、ブラショフ駅到着。

Braşov - Romania (ブラショフ、ルーマニア)

駅のコンコースから出て、バス乗り場へ向かう。と、怪しげな客引きおばさんに呼び止められる。おばさん:「Do You Need Room ?  My Name Is MARIA . Are You Japanese ?」。いきなり名乗る客引きも珍しい。私が日本人と分かると、おばさん:「トマルトコロ  タカクナイ。ホテル  タカイ…」。なんじゃこのおばさん。強引というか感じ悪っ。歩き方に掲載されているらしいが、なんでこんなに怪しいのにガイドブックの別枠記事で推奨されているのだろう…。

4系統のバスに乗り、中央公園(Parcul Central)で下車。17時、夕日が差している公園のベンチでは、たくさんの人が休憩している。夕食は旧市街のスファトゥルイ広場(Piata Sfatului)にある中華料理屋。昨日入ったルーマニア料理店の隣の店。鶏肉野菜炒め、廣東麺、白飯、ミネラル水で240,000ROL(約840円)。どう見ても中国人が作っている雰囲気でないし、味が変。というより、これ中国料理? ルーマニア田舎料理かと思った…。値段が高い割に最悪です。でも、ルーマニア人の金持ちが何組か来店して、美味しそうに食べているところを見ると不思議な感じがした。

20時ごろ、中央電話局裏手のネットカフェへ。南側路地に面した裏口の鉄格子をくぐり抜けて、ビルの半地下になったところにネットカフェがあった。若者が沢山来ていて、1時間20,000ROL。日本語IMEをインストールしてみたが、Windowsを再起動したら完全に消されていた。現地から書き込んだときに抽出したアドレスは → cafe-canad-37.brasovia.ro 。

SEPTEMBER 30 (Tuesday)

Braşov - Romania (ブラショフ、ルーマニア)

6時、教会の鐘がけたたましく鳴る。6時半にも再び鐘が鳴りまくる。しつこく二度も鳴らすとは、目覚めの悪い人用の目覚し時計のようだ。7時15分、マクドナルドへ朝食を食べにいく。昨日の朝食と同じメニューで、フレンチ・フライをMからSに変えると、3,000ROL安くなった。7時50分、ホテルをチェックアウト。1階の奥の部屋に荷物を預かってもらう。

中央公園(Parcul Central)横でタクシーに乗り、ブラショフ駅へ。運転手はメーターが27,000ROLのところを20,000ROLに値引きしてくれた。すごい太っ腹な割引だ。(日本人なら、切り上げて30,000ROLでも良いくらいだが) 十分御礼を言って20,000ROL払う。窓口でシナイアまでの切符を買う。58,000ROL。(シナイアへ行く客は珍しいのか、切符が3枚に分かれて出てきた。運賃(Pret intreg)=25,000ROL、準急料金(Supliment Tren Accelerat)=22,000ROL、準急指定料(D. Tichet Tren accelerat)=11,000ROL)

Train : Braşov -> Sinaia

Train A1624        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Sibiu 5:48
  〜 中略 〜
  Brasov ← 乗車 8:30 0km 8:30
  Predeal 9:07
  Azuga
  Busteni
  Sinaia ← 下車 9:37 45km 9:30
  〜 中略 〜
  Bucuresti Nord Gr.A 12:04 166km
指定券の文字が分かりづらい上、列車番号が間違って記載されていた。どうも指定と違う座席に座っていたようで、”その席”のおばさんがやってきて、私の切符を見て隣のコンパートメントだと教えてくれる。1号車、座席番号41番。どうみても券面では71番にしか見えない…。同じコンパートメントには、ブカレストへ行く学生カップル、バックパックを担いでシナイアまで行く若い女性、会社員風女性、と私の5人。1時間ほどでシナイアに到着するのは分かっていたが、プレデアルを過ぎてから何個か駅が固まっているので、どれがシナイア駅か分からない。最後尾の車両なので、駅名を書いたプレートははるか前方なので見えない。(そのうえ、時刻どおりに走っていないような雰囲気)

学生カップルが隣のコンパートメントの乗客などに聞いてくれて、定刻前に停車している駅がシナイアだと分かる始末。バックパックを背負った女性と慌てて降りる。

Sinaia - Romania (シナイア、ルーマニア)

シナイアは避暑地として人気らしいが、さすがに初秋の今はちょっと寒い。西の山からどんよりとした雲が広がって、灰色の古い駅舎はますます陰鬱に見える。薄暗い駅のコンコースを出ると、細い道(Calea Prahovei)を挟んでうっそうと木が茂った崖が目の前に広がる。何人かが崖に作られた階段を登っていく。歩き方の地図は高低差が分からないが、駅が町の一番低いところにあり、シナイア僧院やペレシュ城は山の斜面を登っていったところにある。

崖の階段を登ると、再び道路に出る。家か何かの庭に犬が居て、盛んに吠えてくる。すこし南に行ったところに町の案内地図がある。巨大な板に張り付けられた紙が所々はがれて、みすぼらしい感じだ。ホテルの位置が表示されているようだが、シナイア僧院が載っていない。ルーマニアはどの町に行っても観光に力を入れていないのがひしひしと感じる。(日本以上に、観光に不熱心)

道路工事中の坂道を登っていく。駅に近いところは4階建てや5階建ての大き目のホテルが建ち並び、九折の道を登っていくにつれて小さめのペンションなどが多くなってくる。要塞や城を小さくしたような形の建物のペンションがたくさんある。「こっちが僧院」とか「ペレシュ城はこっち」という標識が全く出ていない。10分ほどのんびりと登ると、シナイア僧院(Manastirea Sinaia)の前に出る。通用口のような金属扉が半分開いていたので、そこから敷地内に入る。礼拝堂と思われる建物の正面ドアが開いている。礼拝堂の中へ入る。入り口を入った所には”教会グッズ”を売る売店と、”お参りグッズ”を売る売店がある。”お参りグッズ”を売っている売店でロウソク(2,000ROL)を買い、礼拝堂の外にあるガラスで囲まれた燭台に火をつけて刺して置く。礼拝堂で今回の旅の前半の無事を神に感謝し、旅の後半の無事を祈る(キリスト教徒ではないですが…)。礼拝堂と反対側の敷地にも小さな木造礼拝堂と回廊がある。こっちは公開用で無いらしく、小さなほうの礼拝堂は補修途中の木材が内部に散乱している。

僧院を出てさらに坂を登って行く。僧院のすぐ西側から森の中に入る。石畳の山道は森の中をまっすぐにペレシュ城のほうへ続いている。道の周辺の森の中から、”カサコソ”と人が歩くような音が聞こえてくる。よく見てみると、お年寄りが栗の実を拾い集めている。ブカレストでも栗拾いしている人を見かけたが、ルーマニア人は栗が好きなのだろうか。僧院から10分ほどで、小さな川を渡る橋があり、山道の分岐点がある。その周辺に何軒かの露天が店開きして観光客向けの絨毯や小物類を売っている。料金所のような小屋があるが、徒歩で登ってくる観光客は料金徴収の対象外のようでフリーパスでペレシュ城の敷地内に入って行ける。左手にトイレの看板があったが、扉が閉まっていた。森が開けて、芝生の向こうの山の中腹にペレシュ城(Castelul Pereş)の雄姿が目の前に現れる。もう少し天気がよくて、青空ならさぞかし綺麗な景色だろう。

駅から続く九折の坂道の最後のコーナーを曲がり、ペレシュ城にたどり着く。入り口には陸軍の兵士が立っている。兵士に「今日はオープンしているか?」聞いてみると、「敷地内には入れるが、場内は休館」との事だった。城は石造りの部分や、木造の部分が入り乱れて、尖塔も何種類かの様式がごっちゃになって建てられている。城という名前だが、どう見ても実用性が無さそうな軟弱な建物だ。19世紀末の国王が建てた別荘らしいので、さもありなん。休館日なのだが、何人かの観光客が城の庭園を歩いている。

さらに山を登って行くと、チャウシェスク元大統領が別荘として使っていたというペリショール城(Castelul Pelişor)が、ひっそりと木々の間に隠れるように建っている。城というより、巨大な木組みの豪邸といった感じだ。まるで現在でも大統領別荘であるかのように、警備兵が何人も周囲を行進している。もしかして、これらの城って現在は軍事施設なの? と思えるような警備体制は不思議だ。

ペリショール城のすぐ横は、似たような形の住宅が何軒か集まっている。城壁の無い城門を通り抜けて、森の中の道をシナイア駅へ向かって降りる。僧院の横を通りかかったとき、浮浪者風の若い奴に「Hello !  You must pay me 10,000 Lei !」と声を掛けられる。値段まで指定して金を無心する乞食も珍しい。(何で、"must" なんだよ…)

11時5分頃、駅にたどり着く。ブラショフまでの切符を購入。58,000ROL。駅構内のトイレへ。こんな田舎なのに利用料金を徴収される。5,000ROL。プラットホームに登って待っていると、すぐにブカレストの方から電気機関車に牽かれた列車がやって来る。
シナイアの旅行リンク集

Sinaia City Map http://www.aboutromania.com/maps110.html

SINAIA (国立情報処理研究所) http://www.ici.ro/romania/en/turism/c_sinaia.html

Muntii Bucegi (ブチェヂ山系の地図) http://www.voda.czechian.net/rumunsko/bucegi.html

シナイア広域標高図 http://www.calle.com/world/RO/0/Sinaia.html

 

Train : Sinaia -> Braşov

Train A1621/A1620        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Bucuresti Nord Gr.A 9:03
  〜 中略 〜
  Sinaia ← 乗車 11:20 0km 11:20
  Busteni
  Azuga
  Predeal 11:49
  Brasov ← 下車 12:27 45km 12:27
  〜 中略 〜
  Timisoara 21:18
がらがらの列車は、木々が黄色く色づいた谷間を走る。シナイア周辺は綺麗に紅葉しているが、プレデアル辺りまで来ると緑色の木が殆どだ。殆ど定刻どおりブラショフ駅着。

Braşov - Romania (ブラショフ、ルーマニア)

駅前から4系統のバスに乗り、旧市街のスファトゥルイ広場(Piata Sfatului)で下車。一昨日と同じルーマニア料理のレストランで昼食。138,000ROL。食後、トゥンパ(Tåmpa)山へ向かう。スファトゥルイ広場から東向きに路地などを通って山麓のロープウエー乗り場へ。林の中にひっそりとロープウエー乗り場のコンクリート小屋が建っている。ガイドに引き連れられた東欧系の家族が1組待っているだけで、観光客らしき人は皆無。山頂までの往復切符を買う。40,000ROL。15分くらい待ってやっとロープウエーが発車するようだ。私と東欧人家族&ガイドの5人程度を乗せて、おんぼろロープウエーは山頂へ向けて駆け上っていく。車内に貼り付けられている製造者銘板はイタリア語で書かれている。イタリア・アルプスのどこかで使われていた車両を中古で貰ったのだろうか…。

1分程度で山頂駅に到着。コンクリートの四角い建物がど〜んと建っていて、ブラショフ市街地が見える方向を観光客から隠している。建物の中には全然流行っていない(営業しているかどうかも不明な)レストランらしき物があるが、レストラン内の展望窓は”汚れ放題 & 質の悪い波打ちガラス” なので見るに耐えない景色。鎖国状態の共産圏観光地としては成り立っていたかもしれないが、西側からの観光客を呼び込む設備ですら無い。人件費、無駄じゃないのかなぁ〜。

建物を後にして、山頂を目指す。落ち葉のに覆われた林の中を適当によじ登っていくと、山頂に稍所らしきコンクリート小屋がある。共産主義時代は、こんなところに監視兵を置いて山頂を警備していたのだろうか…。いくら人件費無視の共産主義とはいえ、見張るべき物無いところに…。
14時10分のロープウエーで下山。ロープウエー乗り場と旧市街の間に半ば崩れかけた城壁が南北に続いている。城壁に沿って南へ向かう。公園や学校の廃墟で何人かの子供が遊んでいる。城壁の北端近くが最も保存状態がよい。最北端は気合の入ったテニスコートを造る為に、残念ながら城壁は完全になくなっている。旧市街南側に広がるスケイ地区へ。マリアのペンションに泊まったという芸術家 T氏が、ペンションがある辺りだと言っていた地区だ。旧市街に比べて小ぶりな家が、ごちゃごちゃと建ち並んでいる。旧市街の城壁内部にはドイツ系が居住し、城壁外のスケイ地区にはルーマニア人など貧しい人が住んでいたそうだ(と、歩き方に書かれている)。ぱっと見た感じは、今でも経済格差は明らかに存在しているように見える。

でこぼこの起伏のある丘に造られたスケイ地区の住宅街を縦断し、聖ニコラエ聖堂(Biserica Sfantul Nicolae)までやって来る。ドイツ系の教会建築のようにも見えるが、ルーマニア正教の教会だそうだ。入り口ドアの前にでかい犬が鎮座し、横をすり抜けて通る私をギロッと睨んでくる。
教会の前の広場、統一広場(Unirii Piata)には4系統のバスが暇そうに出発を待っている。広場の中央には銃剣を勇ましそうに構えた突撃隊の銅像が建っている。ドイツ・オーストリア帝国だったときのSSの銅像であるはず無いし、共産時代の秘密警察の像でも無いのだろうが、ちょっと謎の銅像…。

旧市街中心部へ向けて歩く。スケイ門の脇にあるネットカフェで時間を潰し(18,000ROL/1時間)、旧市街のマクドナルドでおやつ(ハンバーガー、紅茶 38,000ROL)を食べさらに時間を潰す。結局、ブダペスト行き列車の出発時刻まで時間を持て余し、スファトゥルイ広場のルーマニア料理店でのんびりと夕食を食べる。3日も連続で来た私を、ウエイトレスのおばさんは覚えてくれていた。オススメ料理を選んでくれて、出てきた料理の焼き加減が少し足りなかったのを見て新しいのに替えてくれた。チョルバ、ムシチ(ポークステーキ)、トマトサラダ、ミネラル水で223,000ROL。テーブルいっぱい皿が並んでも、たったの780円。安い。明日からはハンガリーなので物価はもっと上がるだろう…。

20時、ホテルに戻りバックパックをピックアップして中央公園に向かう。タクシーを捕まえてブラショフ駅へ。33,000ROL。乗るたびに値段が微妙に違うが、既に夜間料金適用なのだろうか…。駅構内へ。余ったルーマニア・レイの紙幣をハンガリーの紙幣に換えようと、両替所へ。なんと外貨から自国通貨は交換可能だが、外貨への両替は不可能とのこと。不思議だ。そんなに信用性無い通貨なのか。2階の待合室へ。薄暗い部屋に金属製のベンチが並んでいる。壁にはどれくらい古いのか分からないような、古〜いポスターが貼られている。列車を待っているのか、単にやることが無くて駅で時間を潰しているのか分からない人たちが沢山居る。

私が乗る予定の EN370 が20分遅れていると放送が入る。

Train : Braşov -> Budapest

Train EN370        
Station Arrive Depart Distance 実際の時刻
  Bucuresti Nord Gr. A 18:10
  Ploiesti Vest 19:17 19:19
  Sinaia 20:16 20:17
  Predeal 20:40 20:49
  Brasov ← 乗車 21:19 21:22 0km 21:35
  Sighisoara 23:02 23:05
  Teius 0:18 0:30
  Arad 3:32 3:35
  Curtici 3:51 4:13 477km
  Curtici(Gr)
  Lokoshaza 3:25 3:45 478km
  Bekescsaba 4:10 4:13
  Szolnok 5:34 5:38
  Budapest-Keleti pu ← 下車 7:07 706km 7:10
真っ暗なプラットホームで列車を待つ。20〜30人がベンチに座ったり、ホームに佇んで列車を待っている。アジア系の女性が列車を待っていたので、どこの国の人か聞いてみたら韓国人だった(多分、大学生)。21時30分頃、遥か向こうから電気機関車の前照灯が近づいてくる。各車両はプラットホームに貼ってある編成表どおりの場所に停車する。243号車のドア前で検札を受けて車内へ。EN(ユーロ・ナイト)なので最新鋭の車両を期待したが、東欧の標準的な車両だった(ソフィアから乗った寝台車と似たようなグレード)。34のベッドがあるコンパートメントは、6人クシェット。先ほどの韓国人女性、ブラショフからブダペストへ行く高校生2人と先生と私の6人。

列車はすぐに出発し、真っ暗な平原を走り出す。車掌がシーツと枕カバーを配りに来る。同じ車両にはブダペストへ行く高校生の団体が10人くらい乗っている。高校生のシンポジウムか何かに出席するそうだ。一般のルーマニア人に比べて、殆どの生徒が英語を上手に話せるようだ。もしかして、優秀な生徒の選抜チームとかなのだろうか…

23時ごろ、消灯。寝る。翌朝4時ごろ、国境駅に停車し国境審査が始まる。入国審査官がやってきて、案外すんなりと出国審査が終わる。私の下段で寝ていた韓国人女性は、審査官からなにやら質問されていた。国境駅(Curtici駅)に30分くらい停車した後、ゆっくりとハンガリーへ向かって走り出す。すぐにハンガリー側の国境駅に停車。こちらの入国審査もさらっと終了。ブラショフで出会ったT氏は、ハンガリー国境はアルカイダ関連の警戒態勢で審査に時間がかかると言っていた。私はブルガリアからルーマニアに入国する国境審査が一番厳しく感じた。テロリスト情報が錯綜しているのだろうか…

October 1 (Wednesday)

Budapest - Hungary (ブダペスト、ハンガリー)

7時過ぎ、目覚めるとハンガリーの平原を走っている。外は霧が出ている。窓にはびっしりと水滴がついていて、外はかなり寒いと思われる。ブダペストの郊外列車と並走するとすぐに、終着駅ブダペスト東駅(Budapest Keleti pu.)着。ルーマニア時間で8時10分。ハンガリーとは時差があるので、現地時間7時10分。朝日の差し込むプラットホームに降り立つ。さて、これから宿探し… 人の流れに沿ってコンコースのほうへ向かう。不意におばあさんに呼び止められる。「Do You Need Room ?  It's 13 Euro !」と。場所を聞くと、街の中心部や鎖橋まで歩いても20分程度の所だそうだ。客引きのおばあさんも悪そうな人に見えないので、ついていってみる事にする。

駅舎を出て、超満員の7系統のバスに乗る。まだ現地通貨も持っていないし、バスの切符を買ってすら居ない。おばあさんは回数券らしき物を持っているが、まだバリデートしなくても大丈夫だと言っている。超満員で検札できないことを逆手に取った無賃乗車。現地人恐るべし。ラコーツィ通り(Rákóczi út.)を東へ、街の中心部を通り抜ける。ドナウ川を渡る手前で、おばあさんが「あの歩行者天国の商店街(ヴァーツィ通り)が、街の中心」だと説明してくれる。巨大な吊り橋(エルゼベート橋)でドナウ川を越え、対岸へ。川沿いに南下し、ドナウ川に架かる緑色の鉄橋(自由橋)を通り過ぎたところでバスを降りる。バス停(Szent Géllert Tér)の横の巨大アパートが目指す部屋のある建物らしい。

いかにも共産主義時代に建てられたアパートという感じだが、一般労働者向けではなく、少し階級の高い人向けの造りだ。エレベーターで3階へ。私が泊まる部屋はフランス人とシェアらしく、フランス人がまだベッドで眠っていた。宿賃13EUR支払う。2泊泊まりたいというと、明日シェアする人間が居れば13EUR、部屋を独占する場合は26EURだそうだ。安くなるかどうかは明朝のおばあさんの働き次第ということか…。部屋に荷物を置き、ドアの鍵と建物の入り口の鍵を貰って外へ。

アパートから自由橋(Szabadság Híd)へ向けて歩く。隣はゲッレールト温泉がある高級ホテルの建物。自由橋を渡りドナウ川東岸へ渡る。ゴトゴトと騒音を響かせてトラムが走り抜ける自由橋は、装飾された緑色の鉄橋。主塔のてっぺんにはトゥルル(ハンガリー史の神話上の鳥)が羽ばたいている像が付いている。ハプスブルク帝国皇帝の名前を取ってフランツ・ヨゼフ橋と命名されたそうだが、現在ではリベット橋とか自由橋と呼ばれているそうだ。自由橋を渡った東側には中央市場(Vásárcsarnok)がある。市場の中には、各種食料品店が小奇麗に並んでいる。東欧の自由市場といった雑然とした感じでは無くて、日本のデパ地下といった感じの清潔な食品売り場だ。ATMを探すが、市場の中には無さそうだ。市場前の道路を少し東へ行ったところにATMを発見。10,000HUF(約5100円)出金。

9時15分、デアーク・フェレンク広場(Deák Ferenk Tér)の南側のマクドナルドで朝食。ハンバーガー、フレンチ・フライ、紅茶で450HUF(約230円)。中央市場から約2km歩いたが、この時間帯に開いている店はここだけだった。マクドナルドのすぐ前の地下鉄駅の入り口階段を下りて切符売り場へ。10枚回数券を買う。1,200HUF(約600円)。

 

地下鉄駅を出て、すぐ北側にあるエルゼベート公園(Erzsébet Tér)へ。公園の中央にはバスターミナルの廃墟がある。公園の横から、城砦地区(Vár / Castle Quarter)へ向かう16系統のバスに乗り込む。やや小ぶりのバスは鎖橋(Lánchíd)を渡ってドナウ川西岸へ。10時10分、急な坂道を登った丘の頂上のバス停で下車。歩いても大した事無い距離だ。

様々な国の団体観光客が列をなして歩いている。殆どの観光客は城砦地区北側のマチァス教会(Mátyás Templom)へ向かっている。ということで、”他人と違う行動をする”という選択肢に従って、南の王宮へ向かう。工事用フェンスで囲われた緩い下り坂を下って王宮の建物へ。ドナウ川側のテラスへ出る門が開いているので、中へ入ってみる。門の上では神話上の鳥トゥルルの巨像がブダペスト市街地に睨みを利かせている。ドナウ川に面したテラスから見るブダペスト市街地は、標高差があまり無いためそれほど綺麗ではない。(東欧の城砦からの眺めでは、プラハのほうが綺麗だった。標高差があり、都市化の度合いも低いため)

王宮の中庭へ。建設されてから50年程度しか建っていない上、窓が新型のアルミ・サッシに熱線反射ガラスでは単なるテーマパーク以外の何物でも無い。19世紀に焼け落ちたときのまま保存されていたほうが、歴史を感じさせる遺産になったと思う。王宮を出てマチァス教会の方向へ。教会とその前のトリニティ広場(Szentháromság tér)は観光客で溢れている。人ごみから少し離れた位置にあるトリニティ塔(Dreifal-tigkeitssaule)も見所で、十字架を担いだキリストと聖人の像、その上に光の輝きとしてあらわされた神という構図。
ゴシックの尖塔が突き出たマチァス教会(Mátyás Templom)へ。左右の尖塔の高さが全く違うのは、建築年数が長い教会によくありがち。身廊の屋根は瓦を使って見事なモザイクになっている。側廊のドアが観光客用入場口に鳴っているようで、長蛇の列が出来ている。入り口からチラッと内部を覗いてみたが、長蛇の列に並んでまでじっくり見たいとは思わなかった。

城砦地区(Vár)をぐるっと1周回る。西側のケヤキ並木は紅葉して黄色いトンネルのようだ。11時20分、漁夫の砦(Halászbástya)の階段を下り、城砦地区の丘を下って鎖橋(Lánchíd)まで歩いて10分程度。たいした距離じゃない。鎖橋はつり橋のメイン・ワイヤーに巨大なリーフ・チェーンを使っている。第二次大戦中にドイツ軍が中央の主桁を破壊した後、復元された物が現在の橋らしい。チェーンはまだ50年そこそこの物のようだ。橋脚の部分の歩道周辺は落書きだらけ。チェーンも所々落書きされている。街のシンボルなんだから、破壊されたらすぐ直せばいいのに…。

12時、エルゼベート公園北側の中華ファストフード店(東方快餐)で昼食。フランスにあるようなブッフェ形式で、電子レンジで温めてもらうタイプの店。店員は全員中国人のようで、味も美味しかった。1皿におかず2品と御飯、ジュースで750HUF。近隣のオフィスビルのリーマンや工事現場の作業員で大混雑している。ハンガリー人は中華料理が好きなのか、安いから混雑しているのかは分からないが…。食後、歩いて数分のところの聖イシュトヴァン聖堂(Szent István Bazilika)へ。入り口のところで入場料を取るようで、なんと2,000HUF(約1000円)。教会に入るのに1000円取るとは…。この国の物価水準から考えて、ぼったくり価格だ。

13時少し前、国会議事堂(Országház)までたどり着く。ルネッサンス風の大ドームとゴシックの無数の尖塔が突き出た建物で、まるで教会だ。議事堂前のコシューツ・ラヨス広場(Kossuth Lajos Tér)には、ハンガリー動乱の記念碑と共産主義マークがくり抜かれた国旗がはためいている。民族博物館(Néprajzi Múseum)には当時の弾痕の位置に印をつけて保存されている。そのすぐ脇で酪農組合が牛を引き連れて抗議ビラを配っている。国会議事堂の前の芝生に牛を放つ抗議活動もなかなかのどかだ。

一旦プライベート・ルームに戻り、水着とタオルを持ち出して温泉へ向かう。自由橋のたもとから19系統のトラムに乗り、川沿いに10分ほど走って終点の Batthyany Tér で降りる。ドナウ川より1本西に入った道を北へ。キラーイ温泉(Király Gyógyfürdö)を探して、歩き方の住所(Fö ut. 84)を頼りに5分ほど歩く。道の西側にトルコのハマムのような建物が雑木に埋もれているのを発見。かなり古めかしい入り口をちらりと見ると、”LADIES DAY”とプレートが出ている。歩き方は月水金が男性専用と書かれているわけだが、どうも逆のようだ。張り紙では”月水金 7:00〜 男、火木土 9:00〜 女”。地図を見ると、ここから1km程北にルカーチ温泉(Lukacs Gyógyfürdö)というのがあるらしい。

Fö 通りをどんどん北へ。郊外電車HÉVのマルギット橋駅の少し手前に、ガラス張りの綺麗なネットカフェを発見する。帰りがけに寄る事にして、マルギット駅の地下道を通ってさらに北へ。まるで公園のように木々に囲まれたルカーチ温泉を発見。入り口の入場券売り場で、”単純に温泉だけ”の一番安いチケットを買う。1200HUF。温泉のほかに病院的なものもあるらしい。建物に囲まれた中庭を一周して、温泉らしき入り口から中に入る。白衣を来たおじさんが受付にいて、自動改札機がある。入場券を改札機のスキャナーに掛けて時間を記録しているようだ。廊下を抜けて暫く行くと、ロッカーが並んだ通路や部屋が続いている。曲がり角ごとに白衣の係員がいて、適当に空いている場所へ振り分けているようだ。ロッカーはあるが、その辺で着替えている人は居ないようだ。男女の別がないので、まさかロッカーの前で着替えるわけでも無さそうだ。近くにいた客(女性)にどこで着替えるのか聞いてみると、所々に着替え専用の個室があるそうだ。そこで着替えて、荷物をロッカーに放り込んで、係員にロッカーの鍵を掛けてもらうようだ。(たどたどしい英語とドイツ語で聞き出せたのはこれくらい…)

とりあえず、個室で水着に着替える。脱いだ服を鞄に詰め、適当に空いているロッカーを探して荷物(貴重品も)を中へ。白衣の鍵を持った係員が来るのを暫く待つ。鍵を持った係員は、ロッカーの内側にあるキーホルダーのような物を外して私に手渡してから、ロッカーの鍵をかける。風呂へ向かう。ロッカーの並んだ通路の奥に温泉の入り口がある。男女混浴。水着着用。風呂桶の手前までスリッパ着用。客の殆どは年配者。あとは日本のどこにでもあるような温泉と似たようなもの。こちらのほうが歴史がある分、室内は重みがあると言うか、薄暗い。冷泉やサウナがあるのも日本の温泉ランドと同じようだ…。

30分ほどで風呂から上がりプールへ行こうと思ったが、スイミング・キャップ無しでは入れない様子。入場券売り場のところでレンタルして置けばよかった…。服を着て建物から出る。出口のところで再び自動改札機。切符を入れると400HUFが返金された。入浴時間が短いと返金されるようだ。中庭の売店でジュースを買って、ベンチに座ってのんびりと飲む。

15時30分、来るときに見つけたネットカフェへ。Windows XPがインストールされた最新のパソコンが並んでいる。日本語がインストールされていなかったので、システムディスクを借りてインストールする。ネットの接続速度もなかなか速いし、1時間440HUFはお得な価格だ。16時30分、マルギット橋(Margit Híd)を渡り中洲のマルギット島(Margit sziget)へ。公園の島のようで、橋の近くに大きな噴水がある。地元民がたくさん散歩している。再びマルギット橋を渡り、ドナウ川東岸へ。橋の付け根の地下道は至るところ落書きだらけ。

夕食はエルゼベート公園北側の中華料理ファストフードの店(昼に入った店の1本東側の通りにある店)へ。1150HUF。さすがに昼間は混んでいる店も、夜はがらがら。のんびりと中国語の新聞を読みながら食べる。食後、ドナウ川西岸へ。19時、すでに日が暮れて辺りは真っ暗になっている。鎖橋は眩しいくらいにライトで照らされている。幻想的に光り輝く鎖橋ではあるが、橋脚が落書きだらけなのは興ざめだ。対岸に国会議事堂がライトアップされている。ゴシック・リバイバルの尖塔と&新古典主義の大ドームを持つ教会建築を思わせる建物は、実は19世紀末に建てられたものらしい。ドナウ川西岸の丘の上に目を転じると、王宮がライトアップされているのがひときわ目立つ。マチァス教会は残念ながら手前の建物に覆い隠されて見えない。15分おきに鎖橋の下を通過するトラムが、大きく陸側にカーブしてトンネルをくぐっている。写真を撮影していて、いきなりトンネルから猛スピードで出てくるトラムの音を聞くとびっくりする。

19時30分、19系統トラムに乗りプライベート・ルームへ戻る。薄暗い裸電球に照らされたトラムには、乗客は数人しか乗っていない。プライベート・ルームに戻ると、フランス人男性(20歳くらい?)が戻ってきていた。明日、プラハに向けて出発するそうだ。なぜか利用していない食器洗い機が置かれたバスルームで、シャワーを浴びてから寝る。

ブダペストの旅行リンク集

Hungarian National Tourist Office http://www.hungary.com/
Budapest Tourisme Office http://www.budapestinfo.hu/en/
BKV Rt. (市内交通) http://www.bkv.hu/home/index.html
Budapest Sightseeing http://www.talkingcities.co.uk/budapest_pages/sights_main.htm
Budapest Bridges http://www.talkingcities.co.uk/budapest_pages/sights_bridges.htm
Budapest Portal http://english.budapest.hu/
Welcome to Budapest http://www.fsz.bme.hu/hungary/budapest/
Hungarian dictionary http://dict.sztaki.hu/index.jhtml

October 2 (Thursday)

Budapest - Hungary (ブダペスト、ハンガリー)

7時15分起床。フランス人はまだ寝ているので、そぉっと歯を磨いてから外へ。今日も快晴のいい天気だ。自由橋を渡ってドナウ川東岸の市街地へ。朝食の場所を探すが、やはり早朝から開いている適当な店は無い。8時ごろ、デアーク・フェレンク広場(Deák Ferenk Tér)の昨日と同じマクドナルドで朝食。450HUF。

鎖橋 〜 城砦地区 〜 マルギット島 〜 デアーク広場と市内をぐるっと回る形でのんびりと歩く。11時30分、昨日と同じ中華ファストフードの店で昼食。この辺りの昼休みは11時45分かららしく、45分になると急に食堂が超満員になる。周辺には手ごろそうな食堂が殆ど無いので、数少ない安食堂に大量にリーマンが集中するのだろうか…。その点、日本は様々な安食堂が軒を連ねているし、500円〜1000円とブダペストの中華屋と同じような金額で食べられるので恵まれているのかもしれない。

午後は、プライベート・ルームの南に広がる住宅街を観察に出かける。バルトク・ベラ通り(Bartók Béla utca)を南へ歩いていくと、だんだんと市街地中心の雑居区域から住宅地へと移り変わっていく。10分ほどでトラムのターミナルのような Móricz Zs Körtér という広場に出る。マクドナルドがあり、喫茶店や携帯電話の店、雑貨店などが広場の周りに集結して、まるで郊外の駅前のようだ。さらに道なりに南西へ。大きな池のある公園がある。底なしの池(Feneketlen tó)の向こうに白い教会が見える。どう見ても”底なし”ではなく、単なる公園の池にしか見えない。カラフルな作業着を着た若い女性が、芝刈りをしている。日本では予算消化のための道路工事は盛んに行われているが、欧州のように公園や路肩の芝刈りを頻繁にやっている姿を見かけることは無い。日本もそろそろ、環境破壊しまくりの建設事業から、庭いじり程度の雇用対策事業に移っていかないものかね…。と、芝刈りをしている何人もの人を見てふと思った。

道路を横断して、南へ。ブダペスト通り(Bukarest ut.)という、他国の首都をもじった通りがアパート群の中にある。多くの共産主義国家や、日本の高度成長期の団地に見られるような画一的なアパートが建ち並んでいるのではなく、一つ一つデザインの違う5階〜10階程度のアパートが建ち並んでいる。効率優先の共産主義時代に、よくもこれだけデザインに配慮して建てられたものだ…。5分ほど歩くと、線路の土手沿いに広がる公園に出る。犬を散歩させる人や、ジョギングする人が沢山居る。線路の土手を登って向こう側へ横切っていく人も居る。電車がめったに通らない貨物線か何かだろうか…。ルーマニアやブルガリアの住宅街より清潔で、道路に駐車している自動車も西側国家レベルの物が多い。それだけ物価水準も西側国家に近いというわけだが…。

住宅街を大回りして、再びMóricz Zs Körtér に戻ってくる。地元民で繁盛している喫茶店に入る。ケーキとジュースで休憩。320HUF。ケーキはかなり甘い味付け。ブダペストの中心部を歩いていてもケーキ屋(喫茶店)をよく見かけるので、ハンガリー人はケーキ好きなのだろうか。プライベート・ルームとドナウ川の間にある経済工業大学(Budapesti Muszaki es Gazdasagtudomanyi Egyetem)の地域へ。生協食堂(学食?)が敷地の外の街の中にある。学生向けの本屋とかネットカフェなどがぽつぽつと営業しているが、日本のように学生街があるわけでも無さそうだ。周辺は殆どが普通のアパート群。Saru Ut. という日本語で考えるとふざけたような名前の通りもある。

17時ごろ、昨晩夕食を食べた中華ファストフード店へ。食後、エルゼベート公園の横を通りかかると、西の空から綺麗な夕日が差していた。ドナウ川沿いに出てみると、ちょうど王宮のトゥルル像あたりに夕日が沈んでいく。伝説の鳥が真っ赤な夕焼けの中に黒いシルエットで浮かび上がっている。帰りにヴァーツィ通り(Váti utca)を歩く。観光客向けのレストランやカフェが繁盛している。大道芸人やストリート・ミュージシャンもそこかしこに居る。”YAKUZA TATOO”という看板を出した刺青屋もある。なんとストレートな名前だろうか… 19時ごろ、プライベート・ルームに戻る。フランス人が出た後は、新しい客は見つからなかったようだ。家主のおばあさんにちょっとまけて貰って、20EUR払う。

October 3 (Friday)

Budapest - Hungary (ブダペスト、ハンガリー)

5時45分起床。6時20分、鍵を部屋のテーブルに置いて外へ。まだ太陽は昇っていない。オレンジ色の街灯が照らしている道を東へ。寒風吹きすさぶ自由橋を歩いて越えて、地下鉄3号線の Kàrvin Tér 駅へ。駅の切符売り場の窓口で空港への行き方を念のために確認する。Köbánya-Kispest 行きに乗り終点まで行く。約15分で地上駅(終点)の Köbánya-Kispest に到着。6時57分。ブダペスト方面へ向かう折り返しの列車は、通勤客で超満員。人波に逆行して改札を抜け、コンコースに出る。パン屋やキオスクが何店かある。朝食にホッドドッグとミネラル水を買う。180HUF。

歩き方には93系統のバスに乗ると書いてあったので、駅前バスターミナルの一番辺鄙な所(高架下)にある93系統の停留所で暫く待つ。停留所には”FERIHEGY 1 AIRPORT VÁ.”行きと書かれているが、バス停に空港へ行く客が来る気配が無い。もう一度地下鉄駅の出口階段まで戻り、辺りを見回してみると、右手”Reptér-buszという行き先のバスが停まっている。運転手は空港(FERIHEGY 2 AIRPORT VÁ.)へ行くと言っているので、そのバスに乗り込む。最後の回数券をここで使い切る。歩き方が正しいか、感が正しいか、運に任せる事にする。7時20分頃、Köbánya-Kispestを出発。南東へ向かうバスが停車していくバス停は Repter-busz と 93系統が2つとも書かれている。すぐに街を抜けて、E60号線を東に向けて走り出す。国鉄の線路のすぐ北側を並走していく。だんだん霧が深くなってゆき、道路わきの農場の草木も見えなくなる。空港の取り付け道路に入ると、くぼ地に入りますます霧が深くなる。飛行機の欠航間違いなしというくらいひどい霧になったと思うと、空港周辺だけ急に地面が盛り上がっていて、霧が晴れている。不思議だ…。7時40分、フェリヘジ空港第二ターミナル(FERIHEGY 2 AIRPORT VÁ)着。小ぢんまりした出発フロアーに、欧州の主要航空会社のチェックインカウンターが並んでいる。

10時40分発のKL1372便でアムステルダムに戻る。

 

 

 

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