1997年 香港返還旅日記 Hong Kong Handover : Part 2/2

June 30, 1997 (Monday)

Hong Kong - Great Britain (香港 - 英国植民地)

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ビクトリアピークからの眺め

早朝6時前に宿を出発。中環の臨時小巴士乗り場が分らず歩き回っていると、和平記念碑の周りに人だかりができている。最後のユニオンジャックの国旗掲揚が行われる。その和平記念碑の横が臨時小巴士乗り場になっていた。小巴士に乗りビクトリアピークへ(7香港ドル, 105円)。小巴士は高級住宅街を抜けて、あまり人が居ない山頂バスターミナルに到着。バスターミナルのすぐ横にある開店前のピークタワーに入る。通路を通って、展望台に出る。あいにくの天気で、雲が眼下を流れている。眼下には中環のアパート群が針のように突き出している。帰りはケーブルカーで降りる(15香港ドル, 225円)。昨日の大行列がうそのようながらがらの車内だ。

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和平記念碑に英国国旗と植民地旗が掲揚される

9時、重慶大厦前で、M氏とM氏の友人I氏と合流。都合4人となる。旅の計画段階ではもっと多人数になる予定だったのだが、用事があり来られなくなったようだ。M氏とI氏の乗った中華航空は台風で出発が半日遅れて、さらに台北で1泊余儀なくされ、2日遅れて香港入りとなってしまったようである。

香港博覧会が開催されているというM氏の情報により、香港理工大学に行ってみる。大学の生徒に聞いてもそんなものは知らないというし、大学は香港に約3つしかなく、この当たりにはここしかないそうなのでガセネタだったのか。観光局もいいかげんなパンフレットを置くものである。

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大埔、鐡路博物館

新界の鉄路博物館に行く事にし、九廣鉄路九龍駅で博物館に電話してみる。やってるかどうか英語で聞いてみると「ハイ」と日本語のような返事だけして電話が切れる。広東語で「是」は「ハイ」と発音するのかな? 鉄道に乗り大埔墟で下車(7.5香港ドル, 112円)。駅ビルのジャスコ内にある中華ファストフード店 大家楽で昼食を食べる(25香港ドル, 375円)。その後、小巴士で博物館へ。商店街の外れで降ろされ、そのあたりを適当に歩くと、古い駅舎を利用した博物館を発見。香港の鉄道記念物とHOゲージ等の鉄道模型が展示されている。高速鉄道の紹介コーナーにはICEやTGVがあるが、仮想敵国である日本の新幹線は展示されていない。駅舎の横には、旧型車両が3両ほど置いてある。婚約写真であろうか、ばっちりと結婚式の衣装を着て、大袈裟な身振りの中国人らしいアクションで写真撮影している。

大埔墟は商店街の街であり、博物館の外は商店街だらけだ。商店の間を抜けて駅へ。

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歩行者天国になった彌敦道

夕方、安食堂で夕食(15香港ドル, 225円)後、英国植民地最後の花火大会を見に行く。九龍のメインストリート彌敦道(ネイザンロード)は歩行者天国になった。突然どしゃ降りの雨が。人々が雨宿りの場所を探して逃げ惑う。中環行きホーバークラフト乗り場近くで花火を見る事にする。大勢が傘を差しているので、空なんかぜんぜん見えない。まるで、かさの中を見ているようだ。20時、1発目の花火が上がる。いっせいに傘が畳まれる。雨に打たれて、雨の中の花火を見る。しばらくすると、花火の煙と雨雲の中で花火が光るようになり、あまりきれいとは言えない状況だ。22時ごろ、花火が終わると、雨もいつのまにかやんでいた。花火の煙が吹き流されて行くと、その向こうに見える中環から灣仔のビル群の夜景が美しい。

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香港文化中心 香港回帰の瞬間 7/1 0:00

24時、香港回帰の瞬間。香港芸術館から灣仔の方角を眺める。カウントダウンはなかった。大勢の人々は、ざわざわとしているだけで、世紀の瞬間のイベントは何もなかった。ここ香港芸術館前では。対岸の灣仔の香港会議展覧中心では紅沢民やチャールズ皇太子などが出席して植民地終止符の式典が行われているのだろう。24時15分頃、灣仔の港から英国王室船が出航。これが英国の支配も終了した瞬間だ。部屋に帰りテレビをつけると、香港会議展覧中心での式典が中継されていた。演壇の席に中国政府首脳がずらっと座り、李首相が演壇に立ち演説する。「香港は現在より中国の行政に組み込まれた…」などと言っているようだ。香港行政府側の行政、立法(議会の人たち)、司法(裁判官か弁護士の人たち)の代表者も前述のような事を読み上げて宣言している。裁判官か弁護士の人たちの中には、北京語(もしかすると広東語さえ)が話せないのだろうか、それとも英国でなくなった事がショックなのか、宣言文を読み上げない白人風の人がいたのが印象的だった。

テレビも街も「慶祝香港回帰」一色であるのが不自然な気もする。もし自分が香港人だったら、不安いっぱいだろう。

Hotel
九龍大旅館
400香港ドル(6,000円)/1泊(2人部屋)

July 1, 1997 (Tuesday)

Hong Kong - China (香港 - 中華人民共和国)

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天星碼頭前で演説する民主党

朝、郵便局に記念切手を買いに行く(26香港ドル, 390円)。外まで行列だ。朝食はファストフード大家楽で食べる(20香港ドル, 300円)。その後、オーストラリア人のP氏と共に、旺角の旺角電脳中心に向かうため地下鉄に乗る(5香港ドル, 75円)。旺角で地下鉄を降り、大通りのすぐ東側にある飲食店などが軒を連ね、道路には雑貨などの露天がひしめいている女人街を越えて裏手の道に入ると、パソコンやソフトウエアを売る店が沢山入っている雑居ビルがある。ソフトウエアは、ほとんどが海賊版でCD-Rが3〜5枚で100香港ドル(1500円)という価格設定。WindowsやMS Office, Photoshopといったビジネスソフトから、Windows用ゲームまで各種ある。こんなに堂々と海賊版売っていたら、この街では正規版買う人が居ないんじゃないですかね。著作権という権利が存在しない、不思議な街だ。

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中環 告士打道

今日も花火大会がある。今度は中国主催の花火大会だ。中国政府がメンツにかけて英国より立派なものをすると公言していた花火大会である。P氏には見物場所の心当たりがあるらしく、灣仔に行こうという。会議展覧中心は警備が厳重ではいれないのじゃないかと聞くと、大丈夫だそうだ。17時、会議展覧中心のすぐ横の歩道橋に上がる。九龍半島を真正面に望むベストポイントに陣取る。最前列で、座ってみれるようになったところはすでに埋まっているので、欄干の部分にもたれかかって花火の開始を待つ。

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中国主催の花火大会

ひたすら長時間待ち続けて、20時。海峡の中央に作られた丸いものに電気がともされた。龍やパンダなどの電飾の飾りをつけた船が、海峡を時計周りにまわり始める。半島酒店(ペニンシュラホテル)や新世界中心ビルなどが窓の電気を点けたり消したりして、イルミネーションしている。電飾船は1時間近くぐるぐるまわり続けて、私の周りにいる観客もいいかげん飽きてきた。21時、花火が上がり始めた。観客は満場の拍手で花火を迎える。急に、大量の花火が海峡の数箇所から上がり始める。右も左も花火ばかりとなる。次から次へと花火が上がり、特に大きなものが上がると拍手と歓声が起こる。昨日の花火と違って、天気がよく、花火の数も断然多いので多いに盛り上がる。特に、会議展覧中心の横に上がる花火は展覧中心のガラスでできたビルを幻想的に照らし出して美しい。23時、花火終了。マクドナルドで遅い夕食(15香港ドル, 225円)を食べ、宿に戻る。

Hotel
九龍大旅館
400香港ドル(6,000円)/1泊(2人部屋)

July 1, 1997 (Tuesday)

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美麗都大厦の14階より

雨、テレビの天気予報では雨の強さを「黒雨」、「紅雨」などと表現している。今日の雨は「紅」に雷マークまでついているので豪雨なのだろうか。

重慶大厦前より通天巴士に乗り啓徳空港へ(運賃12.8香港ドル, 192円)。チェックイン時に空港税100香港ドル(1500円)を払う。帰りのJAL700便は定刻通り10時20分出発。中国南岸は天気が荒れているらしく、「飛行機が相当揺れますが、安全です」とのアナウンスがある。飛行機はガタガタと揺れ、時折ストーンと落ちるような感じで重力が軽く感じる瞬間もある。そのせいで、食事がなかなか出てこなかった。

Air
香港, 啓徳空港(10:20発)→ 関西空港(14:30着)
JL700

14時30分、関西空港に到着。外は涼しい。香港の暑さになれた体には、日本の7月の気候はとてもさわやかな天気だ。