アメリカ古今首都旅日記 : アーリントン、ワシントンDC (Day 2)
June 08, 2017 (Thursday)
6時ごろ起床、朝食を食べてから外に少し出てみると晴れている。市庁舎と周辺の高層ビルの写真を撮り、モーテルに戻って8時過ぎにチェックアウト。
昨日の朝と同じく、歩いて独立広場(Independence Square)に向かう。ビジターセンターには、独立記念館の当日券を求める客100〜200人ほどが行列している。昨日は20人ほどだったので運が良かった。青空のもと独立記念館の写真を撮影し、地下鉄に乗って30丁目駅(30th Street Station)に向かう。

SEPTA, Market–Frankford Line , 運賃 1.80$(198円)
地下鉄30丁目駅から地上に出ると、目の前の長距離鉄道の駅舎はシートで覆われ工事中だ。20年ほど前、ニューヨークからシカゴに向かう電車の短い停車時間、駅のコンコースだけ訪れたことがある。巨大吹き抜けのコンコースは当時とほとんど変わらず、違いはベンチが増えた程度だ。パタパタ式(反転フラップ式)の案内表示機は最近流行りの液晶モニターに置き換えられること無く、当時と同じコンコース中央に鎮座している。
09:37発のワシントン行きは、10分の遅れでやってきた。電車は座席指定ではないが、定員以上は切符を売り出さないので必ず座れるとされる。私が乗った車両は、通路側の席がほとんど空いて居るくらいの混雑度。

Amtrak, Northeast Regional 185 train, 運賃 39$(4290円)
列車は、フィラデルフィアを出ると160km/hくらいで走り出し、街から離れて制限速度がない区間では200km/hまで増速する。インターネットで切符を買うとき、今回乗っている地域急行列車は30ドル台、それに対して特急Acelaは100ドル台なので、さぞかし速いのかもしれない。
アパラチア山脈の東側にそって伸びる雲の下を走り続ける。西の方向、はるか向こうはずっと青空だが、一向に青空は近づいてこない。ウイルミントン、ボルチモアと途中停車するたびに少しずつ乗客が増えていくが、座席の半分がやっと埋まる程度だ。チェサピーク湾の最奥部にあるサスケハナ川河口の長い鉄橋(トーマス・J・ハッテム記念橋)を渡る以外は、取り立てて書くべきような景色もなく、かつて鉄道輸送が主流だった時代に線路横に建てられた工場の廃墟が目立つ。それ以外はずっと林の中を走っていた。
Washington DC, USA (ワシントン DC)

ワシントンのユニオン駅には、定刻の5分遅れで到着。駅舎地下のフードコートで、オレンジ・チキン(アメリカ風中華料理の、鶏肉の甘酢から揚げ)・焼き飯定食(Orange Chicken Menu 6.81$, 749円)を食べる。この焼き飯を焼きそばに変更しても値段は同じだ。
明日以降、気温がどんどん上がっていく天気予報のため、涼しい今日のうちに長距離歩きそうなワシントン海軍工廠の見学をしようと思う。ユニオン駅の地下鉄改札口に行き、自販機で交通ICカード(SmarTrip)を購入。カード本体の価格は5ドルで、より高価なFelica ICを使っている日本のSuicaやICOCAなどと同じような価格設定だ。

circulator bus, 運賃 1$(110円)
バス停を探しに駅舎屋上のバスターミナルに向かうが、場所が違ったようだ。インターネットの路線図をよく見ると、ネイビー・ヤード行きバスは、ユニオン駅を出て駅前のロータリーの一角から出発している。
バスは空いている道を選んで走っているのか、それともワシントンは車の数が少ないのか… 比較的スムーズにワシントン海軍工廠前のバス停に到着。目の前に海軍工廠のメインゲート(9th & M Street Gate)があるが、ここでは入場許可証を得る手続きが行えないので、800mほど歩いて基地東端にあるO Streetゲートに向かう。
ゲートの手前、駐車場の一角にBuilding 126 (Visitor Control Center)があり、入場許可証(temporary permit ID)の手続き窓口がある。ここでは基地内で働くための採用面接も行っているようで、待合室で待っている客の殆どは採用面接の人たちだ。許可証をもらうための申請書は、身長・体重・髪の毛の色や眼の色のほか、人種や宗教などやたら細かい質問事項が並んでいる。ただ、この程度の質問にパスするだけで海軍基地に入れてしまう。10分程度で許可証をもらい、O Streetゲートのチェックポイントを通過し基地内へ。
ワシントン海軍工廠は1799年に開設され、米英戦争から第二次大戦までの全ての戦争において米海軍の技術開発と軍需工場として使われてきた基地。第二次大戦時は世界最大の軍需工場だったとされる。現在は軍需工場ではなく、研究開発と海軍各部門の事務所などがあるとされる。基地内の道路には目立つ標識などは何もなく、Visitor Control Centerで渡される不鮮明な印刷の構内地図を見ながら、自分で見たい場所を探し当てないといけないようだ。地図には建物番号しか書かれていないので、事前に調べた国立公園申請書では見どころには次のようなところがある。
- Building 1 : 1837-1838年に建てられた司令室(Commandant's Office)の建物。海軍博物館に隣接している
- Building 2 : 工廠北端にあるメインゲートで1804-1805年建設。「アメリカ建築の父」と呼ばれる建築家ベンジャミン・ラトローブ設計
- Building A : 1801年に建てられた司令官宅舎(Commandant's Quarter)。メインゲートの東隣にある
- Building B,C,D ... : 工廠敷地の北端、メインゲート周辺にある士官宅舎(Officers' Quaretes)
- Building 70 : 1897-1899年に建てられた建物で実験用水槽が設置されていた。現在は海軍博物館のCold War Gallery
- Building 76 : 1899年に建てられた工場跡で現在は海軍博物館。構内には長さ656feet、幅146feetの天井クレーンが残存している
- Building 184 : 売店(Navy Exchange)やファストフード(Subway など)
まず海軍博物館へ。O Streetゲートから向かうと、事務所横の通用口のようなところから入ることになる。長細い建物の真ん中付近、第一次大戦と第二次大戦の展示の区切り目くらいから展示場内に入ってくる形だ。第一次大戦の展示スペースでは、海軍関係者の表彰式のようなものが行われているので、そこの展示をじっくり観ることは出来なかった。第二次大戦のコーナーは、大西洋(対ドイツ)と太平洋(対日本)の戦いが建物の東西に別れて展示されている。主要な海戦を海軍機や魚雷、砲弾、艦砲などの実物や、写真や模型、海図を使って詳細に記述している。建物中央の天井から艦上戦闘爆撃機F4Uコルセアや日本軍の航空特攻兵器桜花11型復元機体が吊り下げられている。太平洋戦争や朝鮮戦争で任務に就いた駆逐艦フレッチャー(DD-445)の実物の艦橋装備や、射程約10kmで毎分160発を発射できる四連装型40mm対空機関砲など巨大な実物も展示されている。この対空機関砲は、1944年10月から45年2月の間に対空砲で撃墜された日本軍機のうち、半数はこのタイプの対空機関砲で撃ち落としたものと解説されている。
海軍博物館を出て、アナコスティア川に面した芝生広場(ウィラード提督公園)へ。ここには第一次大戦で使われた14インチ列車砲や巨大なMk2 16インチ砲など、建物内に入りきらないものが屋外展示されている。しかしながら、照準を上下にしか調整できない列車砲って、本当に役に立ったのかな…。
駐車場を挟んで隣りにある冷戦展示室(Cold War Gallery)へ。こちらの見どころは冷戦時代に就役していた原子力潜水艦の艦橋部分の再現。解体された原潜(SSN-674, SSN-683)から撤収した機器類を、艦橋を模したスペースに並べてある。アナログ計器類に混じってブラウン管表示装置が幾つか混じっているが、1970年代に造られた「デジタル化以前」の操舵装置類だ。冷戦時代を描いた映画『レッド・オクトーバーを追え!』で観たものととても似ている。
冷戦展示室なのに、長崎に投下された核爆弾の実物大模型も置かれている。海軍博物館には広島に投下された核爆弾が展示されていたので、あちらに並べて展示したほうが…。ミサイル原潜に搭載されるトライデント1ミサイルと並べてみたかったのだろうか。
売店(Navy Exchange)で買ったオレンジジュースを飲みながら、海軍工廠の敷地北端付近にある司令官・士官宅舎を見つつ、9th Streetゲートから外に出る。ちょうどcirculator busがやって来たので、それに乗ってユニオン駅方面へ戻る。

circulator bus, 運賃 1$(110円)
停留所2つ目で下車。バス停付近にはレストランなどが幾つか立ち並び、交差点には地下鉄イースタン・マーケット駅の入口階段がある。ペンシルベニア・アベニューを横切り数分歩くと、公設市場のイースタン・マーケットがある。フィラデルフィアで食事をしたレディング・ターミナル市場と比べれば、遥かに小さな市場だ。生鮮食品店が並ぶごく普通の市場で、一番端にビストロがあるが、営業は昼食時だけなので店じまいしていた。

Washington METRO, Blue Line , 運賃 2.70$(297円)
Arlington VA, USA (アーリントン)
地下鉄に乗りポトマック川を渡った対岸、バージニア州ロズリンまでやって来た。Wikipediaによれば地下鉄ロズリン駅から地上からおよそ30〜35mの深さにありワシントン地下鉄で2番めに深い所にある駅だそうだ。改札口から地上までのエスカレーターの乗車時間は3分もかかるので、旧ソ連圏の地下鉄駅を利用している感覚に陥る。防空壕にするために、これほど深く掘ったのだろうか…。
駅の出口から外に出ると、ガラス張りの高層ビルが建ち並んでいる。高層ビルが建っていないワシントン市街地と対照的な町並みだ。Booking.comで予約したモーテルInn of Rosslynは駅から歩いて800mほどの国道50号線沿いにあるのだが、丘陵地の坂道を登り降りするので、少しだけ遠く感じる。モーテルは国道に面しているが、周辺は高級マンションばかりで飲食店すら無いような地域だ。まあ、静かで良い環境なのかもしれないが…
チェックインして3階の部屋に荷物を置き、アーリントン国立墓地へ向かう。国道50号線に架かる歩道橋を渡り、アーリントン側の中低層マンション街の脇を歩いて行くと、海兵隊戦争記念碑のある公園にたどり着く。第二次大戦の硫黄島の戦いのシーンを現したモニュメントなので、別名「硫黄島記念碑」とも呼ばれている。記念碑に正面に太陽が当たる夕方が最も綺麗に撮影できるので、調度よい時間に来ることが出来た。
公園内を南へ、オランダ・カリヨンの横を通り過ぎると、国立墓地の入口がある。墓地なのに入場口ではセキュリティ・チェックがある。
ガイドブックなどに書かれている見どころは、元大統領J.F.ケネディの墓、無名戦士の墓、スペースシャトル チャレンジャー号事故犠牲者の記念碑だそうだ。これらは広い丘陵地にある墓地内に点在しているので、同じような形の墓石が建つ間の道ひたすら歩く。同一形状の白い柱の墓石が延々と芝生の上に建ち並ぶ風景は、ハリウッド映画でもよく使われている。ただ、映画やテレビでは同一形状の墓を写すことで、犠牲となった兵士などな国家から平等に尊重されていると言いたいのだろうが、実際は幹部の墓は巨大で豪華、一兵卒は名前くらいしか書くスペースのない小さな石柱だ。
夏休み直前の1〜2週間に当たるこの時期、中学生や高校生の社会見学の団体があらゆる観光地に繰り出してきている。この国立墓地にも、お揃いのTシャツを着た高校生の団体が至る所に歩いていて、「静粛な」といより、「華やかな」雰囲気になっている。無名戦士の墓では衛兵の交代式がちょうど行われるところだった。いろんな国で衛兵の交代式を見てきたが、ここもごく普通といかいいようがない。何でも目立ちたがりで世界一が大好きなアメリカ人だから、もっと派手にやると思っていた…。

Trolley Tour Bus 運賃 ?
帰りはトロッコ電車のようなバスに乗り、海兵隊記念碑前まで戻ってくる。このバスは有料なのだろうが、最終バスだからか料金を請求されることなく乗車できてしまった。(Webページによれば、1日券で13.50$だそうだ)
そろそろ夕食の時間だ。TripAdvisorで「値段の割には高評価な」ベトナムの麺料理フォーの店Pho75へ。文字だけのメニュー表は殆ど意味不明のため、最初の行に掲載されてるのを食べる。薄切り肉を炒めたものと、モツを煮込んだものが少し入って8.75ドル(962円)。日本人的には、少し割高の普通のラーメン店というふうにしか感じない。
セブンイレブンで、ミネラル水2リットル 2.04$、ホットドック 2.3$を買ってモーテルに戻る。やはり、アメリカは物価高いな…

Room 36, Queen Room 123.44$/1泊(13,578円)