アメリカ古今首都旅日記 : 写真集2

Washington DC

dsc06048.jpg

合衆国議会議事堂の西側正面

合衆国憲法が大英帝国北米13植民地全てで批准され、最初の議会(1st United States Congress)が開かれたのは1789年3月から1791年3月の間で、議場はニューヨークのフェデラル・ホールとフィラデルフィアの議事堂だった。
現在の合衆国議会議事堂(United States Capitol)と呼ばれるこの建物が使われ始めたのは第6回議会の1800年11月からだ。

中央のドームは2代目で1866年に完成したもの。高さは約88m、直径は26mだそうだ。パリのパンテオン、ロンドンのセント・ポール大聖堂そしてローマのサン・ピエトロ大聖堂を真似たものだと言われている。

dsc06425.jpg

合衆国議会議事堂のロタンダ(ドーム内部)

ロタンダは、卓越した市民のための国葬や美術品の奉納を行う場所とされ、一般人向けの議事堂見学ツアーでも見ることが出来る。内部はジョージ・ワシントンをはじめとする歴代大統領を中心とする彫像と、米国史の著名な出来事を描いた絵画が飾られている。

この写真に写っている手前の絵画は、1781年、ヨークタウンの戦いでアメリカ・フランス連合軍に、コーンウォリス率いる大映帝国軍が降伏したシーンを描いている。いわゆる、独立戦争の終結シーンを描いているということになる。
そして、写真左端の彫像は第16代大統領エイブラハム・リンカーンの像。

dsc06535.jpg

合衆国議会議事堂の東側正面

議会図書館側の東側正面が車寄せになっているようだ。この車寄せとなっている広めの駐車場の地下が、見学者が入ることの出来るビジター・センターとなっている。

dsc06486.jpg

議会図書館のグレート・ホール

議会図書館(Library of Congress)のトーマス・ジェファーソン・ビルディングまでは、合衆国議会議事堂からの地下道が一般の観光客にも開放されている。地下道を抜けて入館すると、目の前は天井高さ23mのグレート・ホールだ。

現在、議会図書館には3棟の建物があるが、このトーマス・ジェファーソン・ビルディングが最も古く1897年に建てられたものだ。

dsc06504.jpg

議会図書館のトーマス・ジェファーソン・ライブラリ

米英戦争(War of 1812)でイギリス軍がワシントン焼き討ちをした際に、全ての書籍が焼けてしまった議会図書館は、1815年に元大統領のトーマス・ジェファーソンから私蔵書6487冊を購入して補充した。それらの書籍がこの部屋に展示されている。

dsc06144.jpg

ホワイトハウス 南側(半円形ポルティコ)

ホワイトハウスは1800年に新首都のワシントンに造られた。現在の建物は、米英戦争で焼失した後に再建されたもので、1817年竣工。この際、残存していた焼け焦げた壁面を白く塗ったため、「ホワイト」ハウスと呼ばれるようになったそうだ。南側、ワシントン・モニュメントに面した半円形ポルティコを持つこちら側は、建物の裏側とされている。

dsc06129.jpg

ホワイトハウス 北側正面

ホワイトハウスの正面はこちら側。

dsc06146.jpg

ホワイトハウス前の道路元標

アメリカの道路元標(Zero Milestone)なのだが、道路行政は各州の権限に属するため、この道路元標からの距離を使っているのはワシントンDCのみという悲しい現実…。

dsc05164.jpg

ワシントン記念塔

ホワイトハウス前の広大な芝生を挟んで、南側にはワシントン記念塔(高さ169m, 555フィート)の巨大なオベリスク風の塔が建っている。初代大統領ワシントンを記念して、1884年に建てられた。

古代エジプトで造られたオベリスクの最大のものは、ローマのラテラノ大聖堂前に移設されたラテラノ・オベリスク。高さは約32m。

本物より巨大に作ればいいってものじゃないと思うが…

ナショナル・モール

このワシントン記念塔を中心に、東西に長さ4.8km・南北の幅500mの巨大な広場ナショナル・モール(National Mall)が広がっている。

東端には合衆国議会議事堂、そこからワシントン記念塔までの間にはスミソニアン財団の博物館が整然と建ち並んでいる。 西端にはリンカーン記念堂があり、間には広い芝生や池がある。

ナショナル・モールの北側は憲法大通り(Constitution Avenue)連邦政府の省庁ビルが建ち並んでいる。

dsc06166.jpg

憲法大通り Constitution Avenue

ナショナル・モールの北端の区切りとなる大通り。ワシントンは道路を碁盤の目のように造った人口都市で、東西方向の通りを A,B,C,D... street, 南北方向の通りを 1st,2nd, 3rd, 4th ... street と表記しているため、この憲法通りは通常は『B Street』と呼ばれている。

この写真を撮影した日は、Capital Pride FestivalというLGBT関連の大規模イベントが行われるための交通規制で、市内中心部は車が一台も走っていなかった。

dsc05206.jpg

リンカーン記念堂とリフレクティング・プール

ナショナル・モールの西端にあるリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)。第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して1922年に建てられた。

古代ギリシアの神殿を模した建物で、36本のドーリア式円柱がペリスタイルのように取り囲む建物。

リンカーン記念堂の正面は、東西方向の長さ618mの長方形の池「リフレクティング・プール」がある。

dsc04995.jpg

リンカーン記念堂

dsc05005.jpg

リンカーン記念堂のリンカーン像

建物内部には頭から足先までの高さ5.8mの巨大リンカーン坐像が鎮座している。背後の壁に彫られた文章は『この聖堂は、合衆国を救ったエイブラハム・リンカーンを讃え、我々は彼を永遠に記憶する』というようなことが書かれていて、リンカーンが神格化されている。

アメリカン人にとってのリンカーンは、古代ローマの皇帝が死後に神格化されて、神殿に祀られたのと同じようなものなのかもしれない。この記念堂のデザインも、まさしく、古代ローマの神殿そっくりだし…

dsc05191.jpg

第二次世界大戦記念碑

リンカーン記念堂とワシントン記念塔の間には、第二次世界大戦記念碑(National World War II Memorial)がある。

南北に「太平洋」「大西洋」と刻まれたアーチがあり、その間には楕円形の噴水池の周囲に56本の柱が建てられている。56本の柱は、それぞれ週の名前(当時は48州あった)と、フィリピン、プエルトリコ、グアムなどの腫瘍地域名がそれぞれ彫られている。

dsc04989.jpg

ベトナム戦争戦没者慰霊碑

リンカーン記念堂リフレクティング・プールの北側には、ベトナム戦争戦没者慰霊碑(Vietnam Veterans Memorial)がある。

アメリカ軍は54万人の兵士を投入し、約6万人の死者・行方不明者を出して敗退した戦争の犠牲者の名前が延々と刻まれている。ベトナムだけでなく、近年のイスラムとの戦いでも非対称戦争で勝てないアメリカの反省の弁が慰霊碑周辺には存在しない。

dsc04992.jpg

ベトナム戦争戦没者慰霊碑の彫像「3人の兵士」

3人の兵士」は、敗退した割にけっこう強そうな印象だ。実際は、生還したうち30万人ほどは負傷兵だったし、精神的なダメージを受け社会復帰できなかった兵士も居る。今後は、大規模な地上戦を選択することは、誰が大統領になってもありえないだろうと言われている。

dsc05045.jpg

朝鮮戦争戦没者慰霊碑

リフレクティング・プールの南側には、朝鮮戦争戦没者慰霊碑(Korean War Veterans Memorial)もある。アメリカ軍は48万人を投入し、死者・行方不明者3万5千人を出したが、かろうじて休戦を結ぶことが出来た程度の戦果しかあげられなかった。この中途半端な戦争の終わり方が、現在の朝鮮半島の核ミサイル危機を招いている。

dsc05029.jpg

朝鮮戦争戦没者慰霊碑の兵士像

19体のステンレス製の兵士像。ポンチョのようなものを着てパトロールする陸軍・海兵隊・海軍・空軍の兵士たち。

日本もアメリカに指示されて日本特別掃海隊を出して補給線の確保をし、機雷接触で1名の犠牲者を出している。これに対する韓国大統領の演説は『日本がわれわれを助けるという理由で、韓国に出兵するとしたら、われわれは共産軍と戦っている銃身を回して、日本軍と戦うことになる』というものなので、こんな国に援軍出す必要ないだろうと日本人的には思う。とにかく、次は無いと願いたい。

dsc05053.jpg

マーティン・ルーサー・キングJr記念碑

遠足の中学生・高校生の団体が至る所に歩いているナショナル・モールの林の中を歩いて行くと、この巨大な石像 マーティン・ルーサー・キングJr記念碑(Martin Luther King Jr. Memorial)がある。

黒人への人種差別と戦った公民権運動の指導者。アメリカでは著名人だそうだが、日本ではどれだけ知られているだろう。

ここから大きな池タイダル・ベイスンの周囲を半時計回りに歩く。川とつながった池の水位が高いのか、もとからこんなものなのかわからないが、池の周りの遊歩道のかなりの部分が水没している。

dsc05082.jpg

フランクリン・D・ルーズベルト記念公園

池の西岸まで来ると、フランクリン・D・ルーズベルト記念公園(Franklin Delano Roosevelt Memorial)がある。第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトの名言などが、迷路状に並べられた岩壁の面にそれぞれ刻まれている。

民主党員のため中国贔屓なのだが、この大統領は異常なほど日本人を毛嫌いしていた。日米開戦の原因の一つとなったABCD包囲網も、第二次大戦中の在米日系人の強制収容、既に継戦能力すら無い日本に核爆弾を投下するマンハッタン計画を猛烈にプッシュしたのもこの大統領。『日本人の頭蓋骨はわれわれのより約2000年、発達が遅れている』と劣等人種認定し、『日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである』と、日本民族絶滅を画策していたのはまるでヒトラーの連合軍版。ただ、米国は戦勝国のため何ら批判されること無くフランクリン・ルーズベルトは神格化されている。1945年4月に脳卒中で死去し、大統領がトルーマンに変わったため、日本人は絶滅を免れたと言える。旅行ガイドブック地球の歩き方には、この大統領が如何に日本人が嫌いであったかが全く触れられておらず、記念公園の石刻「I hate war」にだけ触れているのは不思議だ。

その記念公園に隣接して、1912年に日本から寄贈された桜並木が植えられているのは、何たる皮肉なのだろう。

dsc05144.jpg

ジェファーソン記念館

タイダル・ベイスンの南岸までやってくる。マーティン・ルーサー・キングJr記念碑から1.3kmほど歩いたところに、第3代大統領トーマス・ジェファーソンを記念したジェファーソン記念館(Jefferson Memorial)がある。ローマのパンテオンにとても似ていて、パンテオンがローマの神々を祀っていたのに対し、こちらは第3代大統領を神格化して祀っている。

Wikipediaによれば、『アメリカ合衆国の共和制の理想を追求したことで最も影響力のあったアメリカ合衆国建国の父の一人』とされている。そうであるならば、パンテオンが初代皇帝アウグストゥスではなくローマの神々という抽象的シンボルを祀るよう変更されたのと同じく、ここもアメリカの神々(?)などを祀るのが『共和制の理想を追求した』建国の父にふさわしいような気がする。

dsc05114.jpg

ジェファーソン記念館のトーマス・ジェファーソン像

記念館内には、身長5.8mのジェファーソン像だけが格納されています。

dsc06372.jpg

旧中央郵便局/トランプ・インターナショナル・ホテル

ここからは、ナショナル・モールを離れて市内の観光地です。まずは、ホワイトハウス前から国会議事堂に向かう「斜めの」大通りペンシルベニア大通りを歩いて行くとすぐに、トランプ・インターナショナル・ホテルがある。1914年まで中央郵便局だった建物です。観光ガイドブックなどには、いまだにオールド・ポストオフィス・パヴィリオンで掲載されていたりします。

dsc06108.jpg

旧中央郵便局横のベンジャミン・フランクリン像

dsc06074.jpg

FBI本部のフーヴァービル

ホワイトハウス前から1kmほど、国会議事堂までの距離の半分ほどの所に連邦捜査局(FBI)本部のジョン・エドガー・フーヴァー・ビルディングがある。11階建て・推定総床面積26万m^2と、一街区をまるごと使った巨大な建物。テロや凶悪犯罪など重大な犯罪を取り締まる警察組織が、これほど大きな建物を必要とするほど、アメリカは犯罪が多いのだろうか…。

FBIの捜査官は『採用試験は、大半の州の弁護士試験よりも難し』く、『法務博士、公認会計士などの上級学位を有する』人物しか任命されず、『すべての捜査官は平等で』誰からも命令を受けず独自に捜査を行うという、日本で言うところの検察官や裁判官のような立場だ。こういう権力からの独立と誰もが認める有能な人物の保証がないと、一般人への人権侵害を起こしかねないような国家安全保障関連の捜査はできないのだろう。共謀罪法案を強行可決した日本も、見習ってほしいものだ。

dsc06086.jpg

国立公文書記録管理局と海軍記念碑

国立公文書記録管理局は、いわゆる公文書館。ワシントンにあるのは、アーカイブス・ワンと呼ばれていて、アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法、権利章典という三つの建国正式文書の原本が大切に保管されている場所。

アーカイブス・ワンの収容能力が限界に達したため、1994年にメリーランド州にアーカイブス・ツーが建てられたそうだ。

公文書館の手前に見える噴水や、船のマストのようなものは海軍記念碑(Navy Memorial)。海軍の偉業とそれにまつわる名言を石刻した記念碑だそうだが、月面着陸した宇宙飛行士のニール・アームストロングの名言『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である』もここに刻まれている。月の「静かの海」に着陸したから、海軍… なのか?

dsc04982.jpg

連邦準備制度理事会(FRB)

連邦準備制度理事会(FRB)の建物。経済ニュースで話題になる政策金利(フェデラル・ファンド金利)の上げ下げの決定はココで行われている。

dsc04975.jpg

アルベルト・アインシュタイン記念碑

FRBの建物の西隣、科学アカデミーの敷地にあるアルベルト・アインシュタイン記念碑(Albert Einstein Memorial)。

ブロンズ像が左手に持ったノートには、業績である「一般相対性理論」のアインシュタイン方程式、「特殊相対性理論」の質量とエネルギーの等価性を示すE=mc^2の方程式、光電効果と振動数の方程式が彫られている。

dsc06326.jpg

ナショナルズ・パーク

4万1千人収容のナショナルズ・パークは、ワシントンDCのMLB地元チーム ワシントン・ナショナルズの本拠地。

この日は、最高気温36℃の中、ワシントン・ナショナルズ vs テキサス・レンジャーズの試合を見物した。

dsc06310.jpg

ワシントン・ナショナルズを応援する観客

日本のプロ野球では、旗、メガホン、タオル、風船、トランペットでの演奏など何でもありだが、アメリカのMLBではそれらを持ち込んだ応援は認められていないようだ。

声援と、写真のシーンのように帽子を振るというのが応援スタイル。極めて紳士的。

dsc06280.jpg

MT Vernon Sq/7th St-Convention

地下鉄のMT Vernon Sq/7th St-Convention駅。どの駅も同じようなデザインで、車内からは違いがほとんどわからない。車内放送をしっかりと聞いておかないと、乗り過ごしてしまうかもしれない。

dsc05976.jpg

チャイナタウン

少し規模の大きな街なら、世界中どこにでもチャイナタウンがある気がする。

Arlington, Virginia

dsc04834.jpg

アーリントン国立墓地

ワシントンの隣街、ポトマック川を挟んだ対岸にはアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)がある。253ヘクタールの土地に、40万人以上の元軍人が埋葬されている。

映画やテレビドラマでは、この写真のような「小さな白い墓石が整然と、延々と続いている」風景しか映らないが、実際はもっと大きくて立派な墓石がたくさんある区画もある。

dsc04907.jpg

アーリントン国立墓地 無名戦士の墓の衛兵

無名戦士の墓(Tomb of the Unknowns)では、30分毎に陸軍衛兵の交代式が催される。

dsc04806.jpg

海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)

1945年の硫黄島の戦いでの勝利を記念して建てられた海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)Marine Corps War Memorial 。摺鉢山の頂上に星条旗を立てる6人の海兵隊兵士の姿を現しているという。

アーリントン国立墓地と地下鉄ロズリン駅の間にある。

dsc04811.jpg

海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)

dsc04783.jpg

モーテルInn of Rosslyn

ワシントン市内から地下鉄で1駅目、高所得者が住む高級マンションが立ち並び、高層ビルが建てられないワシントン市内の代わりに地下鉄駅前にはガラス張りの高層ビルが建ち並ぶ、ワシントン以上の近代的な都会ロズリン

高級マンションと幹線道路の間に建つモーテルに2泊宿泊した。

dsc04761.jpg

地下鉄ロズリン駅のエスカレーター

ロズリン駅は最も地上に近いプラットホームでさえ、地上から30mも下に存在している。改札口から地上まで出るのに、エスカレーターを乗り継いで3分ほど掛かる。

dsc05946.jpg

共和党 vs 民主党

共和党のシンボルの像 vs 民主党のシンボルのロバ。地下鉄Wiehle-Reston East駅の出口に置いてありました。選挙期間じゃないのに、ずっと置いてあるんですかね…。