JUNE 26 西安(陜西省)
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国)

朝8時、宿泊している光華賓館(グァン ホァ ピン グァン)を出て、約1.5km北西にある西安站(シー アン ツァン)へ。站前広場の南東角にある旅行社の「散客服務中心」へ。あさっての嘉峪関(ジァ ユー グァン)までの列車を予約する。西安から嘉峪関へは5本程度の快速や普快が出ているが、西安発の列車(正確には2本存在するが、1本は空調無しだ)しか予約できないようだ。注文内容をメモして、係員が站へ向かった。10分くらいして係員が戻り、料金を支払う。硬臥下鋪(イン ウォ シァ プ)で259元。手数料が50元の309元であった。(どうも、直接駅の窓口で買ってきたらしく、個人でも買えそうな雰囲気だ)

解放路と西安火車站(通りの奥の建物)
JieFangLu and XiAn train station

旅行社の女性に、ICテレホンカードで国際電話出来る電話の位置を聞いたが、IPカードを買うように薦められる。いっしょに郵電局へ行き IP カードが売っているか聞く。あいにく売り切れ。郵電局内の電話ブースで、日本に電話する。6分程度で35元。

解放路(ジェ ファン ルー)を少し南に歩き、牛肉面店で朝食。排骨面 3.5元。すぐ前のバス停から611路(1元)のバスに乗る。バスは解放路を南下し、東大街(ドン ダー ジェ)、鐘楼(ジョン ロウ)、西大街(シー ダー ジェ)、西門(シァ メン)を通って労働路(ラォ ドン ルー)との交差点へ。バスを降りる。市内地図によれば、この辺りに中国西北航空公司の售票処(シャォ ピャォ チュ)があるはず。最初に見つけたのは中国南方航空の售票処。交差点を少し南に西北航空售票処を発見。客のだれもいない広い事務所に入る。日本で購入した航空券のリコンファームは何とか無事に終わる。

西門(安定門)を通って、西へ向かう車
AnDingMen (West gate)

交差点にあるKFCで一休み。ソフトクリーム(2元)を食べる。西関正街を西門の方へ歩く。道路沿いにかなり大きな樹木が植えられているので、日差しが遮られてちょうどいい。ただ、排ガスを吐きまくる自動車がたくさん走っているので、空気は悪い。散歩には向かない。
10分ほどで西門(シァ メン)(又の名を安定門)に到着。道路が城壁を貫いており、その間に楼閣がある。どこから入るのだろう。道路の横に入口らしき物があるので入っていくと兵士が休憩している。楼閣への入口は門のロータリーの中央にあるらしい。あのひっきりなしに行き交う車をかいくぐって中央に渡る必要があるわけだ。
城内側の入口から、楼閣を取り巻く壁の中に入る。観光客は誰も来ていないようだ。ひっそりしている。この門はシルクロードの基点ともいえる。まあ、時代と共に城壁も改修されているので、清朝以前の数百年間はここを通って西洋との交易をしていたと考えてもいいだろう。
楼閣へ上る階段がある。入場券を買うようなところは無いが、勝手に登っていいのだろうかと思っていると、向うから女性がやってきた。やはり、入場料は必要なようだ。10元。階段を上ると、城壁(チェン チャン)の上に出る。楼閣に入る。土産物屋だ。その建物の2階から西を見る。先ほど西北航空售票処から歩いてきた並木道が見える。現在のシルクロードはバスとトラックで渋滞している。
西安志を取り囲む城壁の上へは登れない。楼閣を取り囲む城壁との境界に鉄格子がはめられている。小規模な街なら市街を囲む城壁に上れるのだが、中国有数の都市ではやはり不可能なようだ。

大麦市街 (イスラム教徒地区)
Islamic area (downtown)

西門を出て、西大街へ。この辺りは市街地の再開発中で、歩道が取り払われている。一本北の道を東へ向かうこととする。表通りよりは、車の埃も少ない。人々の生活を垣間見ながらぶらぶら歩く。アラビア文字でなにやら書いてある店が増えてくる。回教徒地区のようだ。ひときわにぎやかでごみごみした地区に出る。ふと上を見上げると丸いモスクの屋根が見える。モスクに対面するのは、昨年のトルコ以来だ。懐かしい。こじんまりしたモスクは、入口に清真西寺(チン ヅェン シー ス)と書かれている。ひげを生やした、以下にもイスラム教徒らしいおやじに断わって中に入る。紛れも無くモスクだ。その偶像崇拝を禁じた、殺風景な瞑想の部屋は確かに西方を向いている。天竺でなくメッカの方に。中から出てきた人が、もっと大きいやつが「あっち」の方向にあるぞと教えてくれる。ぜひ行ってみなければ。入口のひげおやじに礼を言って外へ。小汚い食堂や食品店が入り乱れる大麦市街を通って、西大街へ。ちょうど昼時なので、どこかで昼食を食べようと思う。そういえば、西門の横に新しいデパートが建っていた。そこへ行ってみよう。

清真大寺の省心楼
QingZhenDaSi (Great Mosque)

デパートは、半分近くのテナントが埋まっていない状況で開店していた。1階の正面にはKFCがある。なぜかこの街にはKFCがそこらじゅうにある。セットメニュー(17.5元)を食べる。西門の下よりバス7路(空調のため2元)に乗る。鐘楼(ジョン ロウ)の前で降りる。さて、鐘楼に登るべきかどうか迷うところだが、今回はモスクに行こうと思う。鐘楼の北西には半地下式の近代的なショッピングセンターがあり、そこを抜けると鼓楼の巨大な建物が現れる。(となりは「厳正執法」との巨大スローガンがある公安局) そこから少し北に行くと、なんとモロッコのメディナにある商店街のような土産物屋街が現れる。やはりきつい太陽光線には、布で覆った小道が涼しくて気持ちいい。土産物屋街の中心部に清真大寺(チン ヅェン ダー ス)があった。入場料10元払って中に入る。仏教の寺のような建物だ。モスクというからには、丸屋根のドームとか、ミナレットを期待するが、ここは見かけ上普通の仏教寺院だ。ただ、本尊様が存在しないのと、建物にかかれた模様には動物が存在しないことだ。

大雁塔と玄奘三蔵の像  (大雁塔は7層式で、高さ64m)
DaYanTa (big wild goose pagoda) and statue of XuanZhuang

14時ごろ、北大街まで出て、バス603路(2階建てバス、1元)に乗りホテル(光華賓館)に戻り一休みする。

16時30分、再び站前からバス5路に乗り南へ。バスは解放路〜雁塔路をまっすぐ南下し、初めて左折したところで降りる。(陜西歴史博物館の近く)
交差点からは大雁塔(ダー ヤン ター)が見える。ただ、大雁塔の入口は、さらに南側にあるので、1km近く歩かなければならない。入口で入場料20元を払うが、これは大慈恩寺の境内への入場料。塔に登るにはさらに15元取られる。塔には狭い急角度の階段がついていて、ぐるぐる回りながら登るとそのうち頂上に着いた。さすがに汗が噴出する。私が登ったときはツアー客がいなかったので、まだ風通しがよかったが、ツアーで行くと暑くて悲惨だろうね。
最上階からの眺めは … 。高層ビルからの長めになれている現代人には、たいしたこと無いか。大雁塔を降りて、寺の門を出た前に、巨大な石像が立っている。傍らの石に「玄奘(シュアン ツァン)」と書かれているので、三蔵法師の像だ。7世紀ごろ、天竺から戻った玄奘三蔵が、この寺院で経典を研究したそうである。

バス610路(冷房バス 2元)に乗って、站前に戻る。ホテルの部屋でありあわせの食事を食べる。


JUNE 27 西安(陜西省)
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国)
8時、ホテルを出て朝食に出かける。ホテルの前に、旅行会社の客引きがきている。盛んに郊外ツアーを売り込んでいる。値段を聞いてみると、35元で兵馬俑(ピン マー ヨウ)方面の観光名所何ヶ所か回るそうだ。その現地ツアーに参加することにして、客引きには、まず朝食に行くからというと、後を付いてきた。(客を逃したくないのだろうか)
解放路の永登豆漿という店で、朝食(蒸餃と炒飯)を食べる。客引きのおっさんは、こちらが食事を終わるまで店の前で待っている。その客引きのおっさんに付いていくが、彼の予期した場所にはツアーバスは待っていなかった。彼はさらに站の方向に行くので付いて行く。站前の八一賓館の前に停まっているマイクロバスに乗せられる。しばらく待つが、車は発車しようとしない。しばらくして別の旅行会社の人物が来て、車が変わると言われ、東七路の駐車場のマイクロバスに移る。中国人のおばさんが2人乗ってくる。さらに待つこと30分、やはり発車しない。今度は中型のバスに乗り換える。結局10時過ぎにやっと発車し、再び八一賓館で10台の中国人女学生の団体を積んで東に向かう。(結局、客引きがある程度の客を集めてこないと、発車しないということのようだ)

西安事変庁  XiAn ShiBianTing museum

冷房の無い、サスペンションがへたりかけたバスは、西安東站前を経由して高速道路に入る。窓からはむっとした空気が車内に入ってくる。すぐ前の席に座っている中国人の女の子のビニール袋に入ったココナツジュースが、バスの揺れで(?)爆発する。(かわいそうに) 高速道路を降りて、西安站前より40分ほどで、西安事変庁(シー アン シー ビャン ティン)に到着。駐車場の入口に、入場料… と書かれていたが、入場料を払わなくても入れるようだ。(実は、ツアー扱いなので、あとで入場料をまとめて請求される)
薄暗い館内に入ると、専属のガイドの後について見て回るように説明がある。中国人向けツアーなので、当然中国語でしか説明は行われない。ガイドのいっていることの2割程度しか分らない。自分の歴史的知識と、2割程度の断片的説明で何とか理解しようと努力はしてみる。しかしながら、このろう人形館は恐らく中国人専用なんだろうね。確かに、蒋介石(ジャン ジェ シー)や周恩来(ツォウ エン ライ)や張学良(ツァン シュェ リャン)の人形はうまく出来ているが、なんだか薄っぺらな感じもする。

臨潼博物館  LinTong museum

再びバスに乗って10分ほど、華精池(ホァ チン チー)の横を「通り過ぎて」、とある建物の前に到着する。中国人グループはこちらに入るようだ。臨潼博物館(リン トン ポー ウー グァン)というその場所は、その辺りから発掘された遺物を展示している。(ただし、兵馬俑は無い)だが、中国人グループの目的は他にあるようだ。なぜか、展示物より土産物屋に興味がある模様。大して見るものも無いので、バスの前で出発を待つ。30分程度も待つ。(実は、この博物館を見ずに、華精池まで歩いていって見て来ることも出来るくらいの時間はある。) バスは10分程度走って、再び何らかの博物館前に停まる。秦陵地宮(チン リン ディ ゴン)とかかれている。バスの中国人グループはここに入っていくようだ。なんだか嫌な予感がするが、せっかくここまで来たんだから、入ってみる。展示館のガイドの後について、地下への階段を下りる…  。ついに、秦始皇帝陵の発掘場所に到着… そんなわけは無かった。まるで小学生の夏休みの課題で作った箱庭。クリスマスツリーの電飾が点滅する地下の箱庭。その辺のおもちゃ屋で買ってきた人形や、動植物の安っぽいプラモデル…  思わず言葉を失った。 中国人も言葉を … 失わない。真剣にこの箱庭を見ている。興味深い人種だ。 唯一の救いは、建物に冷房が効いていること。

秦始皇陵(秦の始皇帝陵)  QinShiHuangLing  (Qin dynasty first emperor's tomb)
四角形の陵墓は345m×350mで、高さ76m

バスにのりさらに5分。世界遺産 「秦始皇陵(チン シー ファン リン)」の前に停車する。運転手が降りる人はいるかと聞く。当然私は降りる。他の中国人は … 降りない。(不思議だ)
中に入る。入口の近くは、観光客向けの復元庭園だ。陵墓の山を登る。日本の天皇の墓では絶対に許されないだろう。古代の王の墓を踏みつけている。斜面には低木が植えられているが、日差しを遮るほど出ないので暑い。5分ほどで頂上に。単なる小さな丘だ。周りを見回す。一面の農業地帯。それだけ。 でも、ここが秦始皇帝の墓の上であることは間違いない。しっかり踏んづけておこう。

入口の前で水を買う。ほとんど凍っているので、飲みにくい。バスに乗り込み、数分のところにある建物へ。宝石店? 中国人はうれしそうに中へ…。 私は日陰で彼らのもどりを待つ。20分ほどしてバスが出て、昼食を食べるレストランへ。バス運転手が、それぞれの客から立て替えた入場料を徴収し始める。私からは95元。(秦始皇帝陵 26元、西安事変庁 5元、以外は価値の無い物であったが…) 観光客専用レストランで、なぜか、入口とレストランの間が宝石店になっている。一番安いメニューのラーメンでも食べておく(蘭州拉面 10元)。13時30分、バスは発車することになっている。が、発車しない。中国人女学生が友達も乗せろともめている。 結局彼女たちは他のバスに移って、5人程度の客でバスは発車。10分ほどで秦俑博物館(兵馬俑のこと)の駐車場に着く。
道中、何度も市バスが走り去るのを目にしているのと、これ以上無駄な土産物屋などに付き合わされるのも嫌なので、帰りは自分で市バスに乗って帰るとツアーバスの運転手に言う。

秦俑博物館 兵馬俑 1号坑
PingMaYong  site-no.1  terra-cotta worriers

本日の最大の観光ポイントである秦俑博物館(チン ヨン ポー ウー グァン)に入る。まず、展示館から。さすがに、ここはすばらしい。(今朝方まで見てきたところが、あまりにも期待はずれだったため) よくこんな陶器のおもちゃが現代まで残っていたものだ。乾燥した土地だから、腐食があまり進まなかったのだろう。1号坑の建物へ。1974年に最初に発見された兵馬俑(ピン マー ヨウ)だ。写真撮影禁止と書いてあるのだが、どの観光客もお構いなしに写真を撮っている。しかしながら、よくこれだけの数の等身大の青銅人形を作って埋めたものだと思う。はるか向うまでずらっと並んだ兵馬俑の人形は、古代の王朝の浪費を物語っているようだ。(昔は、ピラミッドとか古墳とか、王権の威厳を示すためだけの無駄建造物が多いが…)
2号坑とその裏手にある3号坑を見て回る。やはり、1号坑が抜群に数が多い。3号坑は、今まさに掘り出しているところといった感じで、兵馬俑が蓋をされて埋まっている様子が見られる。

兵馬俑 1号坑 の写真撮影禁止の看板 (だが、守る人はいなかった)

さて、3時ごろ門を出る。警備員にバス停の位置を聞く。「公共汽車306路的站 在那里?」とメモ帳に書いて見せたら、さすがに的確に伝わったようだ。バス停の辺りに行く。相当田舎から募集されたらしい人民解放軍(レン ミン ジェ ファン ジュン)の部隊が、木陰に座り込んでいる。市バスとはまったく違うマイクロバスに、「306路 快速」と書かれている。運転手に聞いてみると西安站に行くようだ。乗り込む。運賃5元。やはり冷房が効いているバスの方が快適だ。20分程度待って、乗客がいっぱいになったら出発。(このバスは個人バスで、市バスは20分に一本程度駐車場から発車していった。)途中、クラクションを鳴らしながら、助手が「西安! 西安!」と叫んで道端の客を拾っていく。荒い運転と、歩道を歩いている人を見つけると急減速するので、乗り心地はよくない。40分程度で西安站に到着。ホテルに帰って休憩。

18時ごろ、朝食を食べた永登豆漿でいろいろ食べる。8元程度。解放路をさらに歩いて、東大街へ。ぶらぶら歩いて、解放路に戻る。化粧品屋の前にテレビが置いてある。その前に人だかりが。何か名と思って覗いて見ると、ドラマを見ているようだ。テレビの普及率はそれほどでもないのだろうか。(日本でも、昔は街頭テレビというやつがあった)
解放路餃子館で水餃子を食べる。9元。1人前なのに、山盛りの水餃子がやってくる。食べきれない。

西安事変 (シー アン シー ビャン)
中華民国(ツォン ホァ ミン グォ)は大日本帝国(ダー リー ベン ディ グォ)の侵略と戦うと共に、国内の共産党軍(八路軍)とも戦っていた。国民党(グォ ミン ダン)の張学良(2001年10月死去)は、共産党(ゴン チャン ダン)を征伐し、同時に大日本帝国と戦うとの戦略であった蒋介石の路線に疑問を感じた。そこで張学良は敵側の周恩来(共産党主導者)と共謀し、蒋介石を軟禁し、共に大日本帝国と戦うよう迫った。蒋介石はこの脅しに負け、共産党と合同戦略で大日本帝国と戦う協定を結んだ。この一時的な同盟を国共合作(グォ ゴン ヘー ツォ)という。時に1936年の話である。張学良はこの後、上海で国民党に逮捕され、軟禁された。
したがって、張学良は中華人民共和国(ツォン ホァ レン ミン ゴン ヘー グォ)では、民族の英雄と定義されている。
秦始皇陵 (チン シー ファン リン)
紀元前200年ごろ、初めて中国を統一した秦の国王 「瀟政(シャオ ツェン)」の陵墓。一説によれば、70万人の労働者を動員し、36年かかって建造したそうだ。小高い丘の地下には、墓室が掘削され、墓室の天井には宝石の星をちりばめ、床を海と川に模して、水銀を流していたそうだ。秦陵地宮展示館はその復元パロディー版である。
建設の様子 : http://www.taisei.co.jp/cg/ancient_world/xian/axian.html (大成建設)
兵馬俑 (ピン マー ヨゥ)
始皇帝(シー ファン ディ)を守る兵士として、これまた地下に作られた。等身大の陶器の人形が、1号坑にはざっと6000体、2号坑は1000体、3号坑は100体程度発見されている。開削工法で溝を掘り、そこに人形を並べ、その上を木で蓋をして土をかけていたようだ。人形の軍隊は東を向いているそうである。
秦始皇兵馬俑博物館 公式ページ : http://www.bmy.com.cn/

西安市観光案内  http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/meisho/


JUNE 28 西安(陜西省)
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国)

陜西省歴史博物館に展示されている「銅馬車」
ShanXi historical museum  (bronze wagon)

8時30分、外へ。解放路の小吃店で朝食(坦坦面、水煎包 2.5元)。なぜかホテルの部屋に帰って、昼寝。今日はあまり観光する意気込みが出ない。クーラーの風で洗濯物が順調に乾くのを眺める。11時、ホテルをチェックアウト。フロントに荷物を預かってもらう。(他の国と違い、荷物の伝票をくれた。間違って他人の荷物を持っていかないためのサービスと見た。)
身軽になって站前へ。バス610路に乗る。(冷房が効いているから。2元) 20分ほどで陜西省歴史博物館(シャン シー リー シー ポー ウー グァン)前に到着。35元払って中へ。ここにも兵馬俑から持ってきた人形が展示されている。陜西省を中心とした中国の歴史的逸品が年代別に展示されている。長安の都の説明では、いかに日本の平安京より大きかったかを力説している。(それは逆だろう。平安京は長安の後で出来たコピー製品なので、比較は出来ないと思う。) あとは、陶器類とか金属製の装飾品などが展示されている。(私は専門家で無いので、詳しくは説明できない)
博物館の別の建物らしきところに入ろうとする。改札機らしきところがあったので、そこを通っていくと、なんと土産物屋。中へ戻してくれといっても取り合ってもらえない。う〜ん、ここがあの有名なぼったくりの土産物屋かとしげしげと眺める。(建物の前には、外国人用と書かれている)

鐘楼  Bell Tower

博物館を出て、一昨日の大雁塔の方向へ。途中のレストラン(中華料理屋と書こうとしたが、どれも中華料理屋なので、レストランと表記)で昼食。炒め物やスープなどを頼んで5元。
昼食後再び大雁塔の方へ。大雁塔の前を左折して、どんどん行くと、秦王宮とかかれた展示館の前に出る。入場門のところからチラッと中を見る。完全に中国人向け復元公園だ。資料によれば、以前、秦王朝を描いたテレビドラマを撮るために作られた屋外セットらしい。京都の太秦映画村の中国版か? レプリカなら興味は無いので、入らないこととする。すぐ前に610路のバスが停まっている。ここが終点のターミナルのようだ。バスに乗り込む。運転手と車掌は熱心に昼食の麺類を食べている。雨が激しく降ってくる。14時ごろバスが出発し、大雁塔〜歴史博物館〜小雁塔〜朱雀門と通って西安の城壁内へ。鐘楼の前で降りる。

そういえば、城壁へ入るときにくぐった朱雀門(ジュ クゥエ メン)だが、日本ではでかい綺麗な木造建築の門として記憶されているのではないだろうか。(奈良の平城京の朱雀門が復元されて、近鉄奈良線の横に威容を現している。) ここ中国では、単なる城壁をくりぬいたトンネル型の門だ。(トンネルのようになった上部に、「朱雀門」と書かれているだけ。)

鐘楼の北東にあるKFCで雨宿り。1時間しても雨はやまない。隣のデパートに入る。特に見るものは無い。東大街の本屋に入る。恐らく子供部屋用の「世界の偉人」のポスターが売られている。モーツアルト、ニュートン、キュリー夫人、… 、「毛沢東!?」。世界の「偉人」に毛沢東が入っているとは恐れ入る。できれば、小泉潤一郎の自民党ポスターも並べておくと笑いを取れるかもしれない(日本人には)。

北大街  西華門の交通安全看板  (発展… はよく見かけるタイプ)
slogan to promote traffic rule

炭市街食品市場にアーケードがかかっているのを発見する。雨宿りのためにも中に入る。デイツ屋、肉屋、魚屋、野菜屋、蛇屋、亀屋… 奥に行くにしたがって、ディープな中国食材が並んでいる。だが、昨年冬に訪れた「广州の清平市場」のようなディープさは存在しない。

ちなみに、2001年夏、广州市の清平市場は公安当局の一斉粛清により、露天が一掃されて、エキサイティングな場所でなくなってしまっているので、これから行こうとする人は現地状況を確認してからにしましょう。

解放路に出る。巨大な本屋があるので、中に入って再び雨宿り。18時ごろ、永登豆漿で夕食。(蒸餃、牛肉湯、雪菜肉絲面 11元) 19時ごろホテルに戻り、荷物をピックアップ。西安站に向かう。大きい荷物を背負って、傘を差して歩くのには参る。19時30分、站に入る。X線検査機に荷物を通して、第二候車室(ホウ チェ シー : 待合室)へ。すでに、大量の人民が所狭しと列車を待っている。当然、空いている椅子など無い。改札の前に徐々に長い列が出来てくる。候車室の中央付近では站の職員が謎の切符(2元)を売っている。とりあえず買っておく。20時10分ごろ、改札が始まる。改札を抜けると、硬座の客が一斉に走り出す。私は硬臥の車票を持っているので、ゆっくりとした人の流れについてゆく。

XIAN -> JIA YU GUAN(列車:西安→嘉峪関)

西安車站の第二候車室(待合室)
Waiting room no-2 at XiAn train station

7号車を探す。ドアの前で、切符を車票引換証のプラスチック片に換えてもらう。指定席の1号の下鋪は乗車口に一番近いところだ。すでに、通路の上の荷物棚は満杯なので、かばんをベッドの端に置く。同じコンパートメント(扉は無いが…)の乗客も乗り込んでくる。すぐ上の中鋪の男性が、おもむろに靴下を脱いで、窓から捨てている。使い捨て靴下なのだろうか。向かえ側の上鋪の女性も、同じ靴下を窓から捨てる。普通1043次 奎屯(クイ トゥン)行きは20時35分、定刻より7分遅れて列車がゆっくりと発車する。20分ほどで咸陽站に停まる。同じコンパートメントの残りの場所に、両親と子供の3人連れが乗ってきた。
しばらくすると車掌(腕章には列車員と書かれている)がやってくる。旅行許可証をチェックしてノートに許可番号を書き込んでいく。私の上(中鋪)の男性の所には、「列車提防員」の金色の札が取り付けられた。ごく普通のおっさんなのだが、車内の治安維持の役目を負わされるようだ。(まあ、飛行機でも非常口の横の乗客が与えられている責務と同じような物なのだろう。)

JUNE 29 河西走廊(陜西省→甘粛省)
XIAN -> JIA YU GUAN(列車:西安→嘉峪関)

定西站に到着した普通1043次
DingXi station

連結部に近いせいか、列車が加減速するたびに 「ガッチャーン」と金属音がする。よって、寝たり起きたりという夜を過ごす。7時ごろ、とりあえずトイレに行って、横の洗面所で顔を洗う。(同じようなタイプのロシアの車両よりは安っぽいが、洗面所が付いているのはありがたい) 外は、やっと日が昇ろうかとしているところだ。隴西(ロン シー)站に7時ごろに停車する。プラットホームに出るが、温かい朝食を売っている屋台などは見当たらない。
食堂車で作った朝食を売りに来ないかと期待した。「米飯来了〜!(ミー ファン ライ ラー!)」とワゴンを押してくるので、その他の物とは区別がつく。結局、朝は洗面用具とインスタントラーメン等を売りに着ただけだ。インスタントラーメン(椀面と言って売りに来る)を買って、車端にある電気式温水器の湯を入れて食べる。

硬臥の車内  2nd class sleeper

車窓には乾燥した農地が続いている。定刻より10分前の11時50分、蘭州(ラン ジョウ)站に停車する。不思議なことに、硬臥の乗客で降りる人がほとんどいない。(というよりも。ほとんどの客は鳥魯木斉以遠へ行く乗客のようだ)
列車は黄河(この辺りまでくると、川幅は広くは無い)を渡って、高原地帯に差し掛かる。列車は速度を落とすことなく高原を登り始める。
車内に昼食の販売がやってくる。大きなボウルに入れられた炒め物を、紙の弁当箱に詰まったご飯に掛けてくれる。10元。ご飯にかかっているおかずは、大概の列車で同じような物だ。インゲンと豚肉か牛肉の炒め物。肉は半分くらいが骨。糸こんにゃくのような物が付いている時もある。
左手に変わった形の岩山の山脈が見える。いよいよ山岳地帯に差し掛かる。右に左に蛇行しながら山を登りはじめる。手元の高度計では、いつのまにか海抜2500mを超えている(蘭州は海抜1500m、西安は海抜400m、これから向かう嘉峪関は海抜1700m。参考までに…)。窓を開ける。涼しい。車窓の風景も、西安〜蘭州辺りの 「暑苦しそうな緑」ではなく、「さわやかな緑」だ。頻繁に対向列車を待つために停車する。蘭州から西は単線だからだ。すれ違う列車は大抵は貨物列車だ。普通のコンテナよりも、石炭や石油類を運んでいる物が多い。快速の所要時間が短いのは、おそらくこのような待ち合わせが少ないからなのだろう。(私が乗っている列車は、普通なので、貨物よりも優先度は低いと考えられているのだろうか) 

14時42分、祁連山脈の峠を越える (標高2950m)
cross over a pass of QiLian range,  2950m above the sea level

山が間近に迫っている。地図によると、祁連山脈(チー リャン シャン マイ)の東の端に当たるこの辺りの山でも、5000m近くの雪を頂く山が並んでいる。谷間は緑の草地(恐らく牧草地)が広がっていて、所々に村が点在している。羊や馬が放牧されている。14時30分ごろ、海抜2950mの峠を越える。下り坂になる。

再び乾燥した高原を走り出す。車外はかなり暑そうだ。列車内は冷房が効いているので寒いくらいだ。山脈を超えた後は、人口密度が急に低くなったようで、ほとんどの場所が荒地のステップだ。村から離れた場所には、朽ち果てた家が放置されていたりする。だんだん、砂漠地帯となってゆく。硬臥の車内では、ほとんどの人がぐったりと昼寝をしている。特にやることがあるわけでもないので、読書か昼寝くらいしかできない。

武威南站で機関車を交換する
change locomotive at WuWei south station

17時30分ごろ、武威南(ウー ウェイ ナン)站に停車。この站のプラットホームでも、特に食べたいなと思うようなものは売っていない。ここで電気機関車を取り替えている。機関車の横には、「西部開発」の大きな文字が…。中国政府としては、日本からのODAをこの開発につぎ込みたいと報道では言われている。

車内に再び夕食を売りに来る。何故か昼と同じメニュー。変わり映えしないが、選択肢は無い。日が暮れる。武威站、金昌站、山丹站と1時間おきくらいに站に停車してゆく。列車は20分程度ダイヤより早く走っている。

車掌が車票引換証と引き換えに切符を返しに来る。24時、(おそらく)酒泉(ジュー チュェン)站に到着。暗くて、駅名の書かれたプレートが読めない。車掌は、次が嘉峪関だといっている。
0時30分、嘉峪関站に到着。列車から降りる。遠くの街灯を頼りに、真っ暗なプラットホームを駅舎に向かう。