中国江蘇省 旅日記 : 鎮江

全体地図

March 03 (Friday)

Yángzhōu - China (扬州/揚州 - 中国)

昨日の晩に購入したインスタントラーメン(4元, 68円)とあんパン(3元, 51円)をホテルの部屋で食べ、7時過ぎに出発。歩いて数分の所にあるバス停 瘦西湖(虹桥坊)站へ。ここが始発の鎮江直通の「城际公交(市バス)」がすでにバス停に停車して乗客を待っている。

20170303-DSC00692.jpg
Bus
瘦西湖(虹桥坊)站(07:30発)→ 焦山公园站(09:07着)
扬镇城际公交 城际公交旅游专线, 運賃 15元(255円)
20170303-DSC00699.jpg

润扬长江大桥(潤揚長江大橋) 手前が北汊桥

バスは7時30分きっかりに出発。始発バス停から乗っている乗客は数名だが、途中の文昌阁や西门などから次々と通勤客が乗車してきて満席になる。市バス路線なので、高速道路ではなく一般道の扬子江南路(揚子江南路)を13km南に走り続ける。学生の頃、中国の二大河川として「黄河」「揚子江」と習ったが、揚子江は揚州付近での呼称に過ぎない。「長江」が河川の正式な名前だそうだ。揚州では長江路ではなく「揚子江路」と道路名に付けているのは、やはり揚子江の呼称に自負があるのだろう。

20170303-DSC00719.jpg

润扬长江大桥から見た船が行き交う長江

そのうち市街地が終了し、荒れ地の中にところどころ高層住宅団地や工業団地が点在するような地域。長江を渡るフェリーに乗り換えさせられるかと思ったが、フェリー乗り場の少し手前で高速道路に入り、润扬长江大桥ルンヤン チャンジャン ダーキャオ(潤揚長江大橋。中洲を挟んで中央径間1,490mの吊橋 南汊桥と、中央径間406mの斜張橋 北汊桥)を渡って南岸の镇江チェンジャン(鎮江)に入る。

Zhènjiāng - China (镇江/鎮江 - 中国)

map-zhenjiang.jpg
20170303-DSC00722.jpg

焦山公园站に到着した扬镇城际公交

バスは金山公园ジンシャン コンユェン、駅舎が取り壊されて広大な空き地を再開発中の镇江火车站ジンシャン ホーツェチャン北に停車し、オフィスビルや商業施設の立ち並ぶ街の中心の中山桥でほとんどすべての通勤客が降り、北固山ベイグーシャン公园を経由して終点の焦山ジャオシャン公园站に到着。終点まで乗っていたのは私を含めて3名の観光客。市街地中心辺りで運転手が降りるバス停を確認してくるので、「焦山」と言っておかないと運転打ち切りになるのかもしれない。しかしながら、プラスチック製の椅子が並んだ普通の市バスに、1時間半も乗るとかなり疲れる。

バスを降りると目の前に焦山公园の售票处(入場券売り場)がある。门票(入場券)は65元(1,105円)。割高に感じるが、広い公園内を1日のんびり過ごすなら高くはないのかもしれない。長江の中洲にある焦山へは、まず摆渡バィドゥ(渡し船)に乗って定慧寺ディンフィスーの山門前へ。ここは名所のはずだが、平日だからなのか、ほとんど客が来ていない。

20170303-DSC00750.jpg

定慧寺 山門殿と鐘楼
20170303-DSC00767.jpg

定慧寺 玉带桥と焦公亭、天门殿
20170303-DSC00831.jpg

焦山 盆景园と山上の万佛塔
20170303-DSC00844.jpg

焦山古炮台
20170303-DSC00856.jpg

焦山 万佛塔
20170303-DSC00878.jpg

焦山 万佛塔から見下ろした鎮江市街地方向

山門殿を通り抜けると、伽藍や山上の万佛塔ワンフォーターが鏡のような放生池に映っている。後漢末期の学者焦光が、度重なる霊帝からの招聘を拒否して、この山に隠棲したため「焦山」と呼ばれるようになったそうだ。本堂にあたる大雄宝殿ダーションバォディエンの入口では、あまりの客の少なさに、僧が受付台でぐっすりと昼寝をしている。

誰も観光客のいない碑林(古い石碑や刻石を集めて展示する施設。清の乾隆帝南巡時の石碑を収めた御碑亭もここにある)、盆景園を見て回り、古炮台グーパオタイへ。この砲台はアヘン戦争時にイギリス軍を迎え撃つために造られたそうだ。

今日訪れる予定の镇江三山ジンシャン サンシャン(焦山、北固山、金山)のうちで最も高い70.7mの山頂に立つ万佛塔を目指して階段を登る。中腹に「自焦山望松寥山」と書かれた石版が置かれている。長江本流の方を振り返ると、川の中に、まるで盆景のように木が生えている小さな岩山(松寥山)が見える。

標高70.7mの「山」登りは、この時期でもじんわりと汗をかく。これが真夏なら地獄だろう。さらに山頂の高さ42mある万佛塔に登ると、春霞なのか大気汚染なのか、長江の対岸がかろうじて見える程度。ネットで現在のAQI値(PM2.5の値の中国呼称)は150くらいと、日本なら外出禁止レベルだ(笑

さて、次は北固山に向かう。焦山公园の入場口前のバス停に行くと、ほとんど待つこと無く204路のバスがやって来る。

Bus
焦山风景区站(10:56発)→ 甘露寺站(11:08着)
204路, 運賃 1元(17円)

北固山ベイグーシャンの駐車場前で下車。駐車場の脇には刘备リュウベイ玄德(劉備玄徳)と孙权ソンチェン仲谋(孫権仲謀)の石像がある。ここは三国志マニアが訪れるべき、重要な歴史の舞台だ。劉備・孫権の像は周遊コースの出口で試験石とともに観るものなので、まずは入場口へ。门票(入場券)は40元(680円)。公園の周遊コースは、まず山の上にある甘露寺ガンルースーを目指すことになる。いま寺がある北固山は、かつて孙权(孫権)が鉄襲城を築いた天然の要害だ。

甘露寺にたどり着くためには、まず「长廊チャンラン(長廊)」と呼ばれる屋根付き階段を登る。ここは劉備暗殺のために孫権配下の兵士が潜んでいた場所とされる。吉川英治の三国志では『趙雲は拝謝して杯をいただきながら、玄徳の耳へ、そっとささやいた。「ご油断はなりませんぞ。廻廊の陰に、大勢の伏兵が隠れている気配です」』と描かれている。隠れるといっても、階段下にある宋時代の铁塔のところか、階段上の阿倍仲麻呂 望月望郷碑のところくらいしか無い。

20170303-DSC00928.jpg

北固山甘露寺 长廊(長廊)
20170303-DSC00934.jpg

北固山甘露寺 「天下第一江山」の石刻
20170303-DSC00982.jpg

北固山甘露寺 阿倍仲麻呂詩碑
20170303-DSC00944.jpg

北固山甘露寺

その長廊を登り切ったところには、「天下第一江山ティンシャー ディイー ジャンシャン」の石刻がある。吉川英治の三国志では『月小さく、山大きく、加うるに長江の眺め絶佳なので、玄徳は思わず、「ああ、天下第一の江山」と嘆賞した。後世、甘露寺の門に「天下第一江山」の額が掛けられたのは、彼の感嘆から出たものと云い伝えられている。』と描かれている。

その「天下第一江山」石刻の裏側には阿倍仲麻呂の「望月望郷碑」がある。百人一首にも選ばれた詩が、中国語と日本語の双方で刻まれている。

翘首望东天,神驰奈良边。

三笠山顶上,想又皎月圆。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

甘露寺の仏堂を見て更に山の頂上に進むと、北固楼ベィグーロゥがある。梁の武帝がこの地を訪れた際、「天下第一江山」と揮毫したという逸話が残る建物だ。で、楼閣内に入るとそこには… 毛沢東の書が堂々と掲げられている。建物の2階からは、鎮江市街地の高層ビル群密集しているさまが、春霞の中眺められる。

20170303-DSC00956.jpg

北固楼
20170303-DSC00998.jpg

狠石
20170303-DSC01011.jpg

呉国の将軍 魯粛の墓
20170303-DSC01019.jpg

試験石と孫権・劉備石像

諸葛孔明と孫権が、曹操率いる100万の大軍に対抗する赤壁の戦いの戦略を練った場所とされる「狠石ヘンシー」を見てから、山を降り出口を目指す。途中、呉国の将軍 鲁肃ルースー魯粛)の墓や、呉国の武将 太史慈の墓があり、そして出口の外に试剑石シージェンシー(試験石)がある。吉川英治の三国志では『「わが覇業成らぬものなら、この岩は斬れじ、わが生涯の大望、成るものならば、この岩斬れよ!」 発矢、振り下ろした剣は、火華をとばし、見事、その巨岩を両断していた。 (中略) この奇蹟は、後世の伝説となって、甘露寺の十字紋石とよばれ、寺中の一名物になったという。』などと描かれている、その石である。傍らには、ちょっと安っぽい劉備と孫権が剣を交える像がある。

再びバスに乗り、金山寺へ向かう。

Bus
甘露寺站(12:17発)→ 金山公园站(12:25着)
8路, 運賃 1元(17円)
20170303-DSC01032.jpg

金山公园 バス車庫付近の定食屋

バスは幹線道路沿いの金山公园入口を通り過ぎて、バスの営業所車庫に直行した。バスを降り、傍らの道を見ると食堂があったので、昼食とする。ステンレスのおかずを載せる皿に魚や肉、野菜のおかずとご飯を入れてもらう。10元(170円)。昔はこういう庶民的な中式快餐が大陸にも多かったが、最近は観光客が行くような所得の高い地域にはあまり見かけなくなった気がする。

食後、金山公园ジンシャン コンユェン(金山公園)へ。天気が、うす曇りから曇りへ変化してくる。ここの入場料は65元(1,105円)。かつて金(Gold)の鉱山があったから「金山寺」、またの名が江天禅寺ジャンティェン チャンスーと呼ばれる寺が小高い山に建っていて、山上には慈寿塔ツーショウターがある。かつて塔は2本有り、15世紀にこの地を訪れた雪舟は塔が2本ある水墨画「金山寺図」を描いている。急斜面に建てられた伽藍の間に設えられた階段をひたすら登り、慈寿塔の前まで行くと閉鎖されて登れないようになっていた。塔の横にある観音閣から金山湖を眺めると、遥か対岸に「天下第一泉」があるであろう場所が見える。さて、この湖をどうやって渡っていくか、橋が架かっているわけでも無さそうなので、いきあたりばったりでその方向に行ってみることにする。

20170303-DSC01047.jpg

江天禅寺 碑坊と天王殿
20170303-DSC01059.jpg

江天禅寺 大雄宝殿
20170303-DSC01064.jpg

江天禅寺 大雄宝殿
20170303-DSC01085.jpg

江天禅寺 慈寿塔
20170303-DSC01136.jpg

金山に建つ江天禅寺
20170303-DSC01128.jpg

天下第一泉

公園内の標識に沿って、金山湖を大きく迂回する形で造られた木道橋を渡ると、湧き水の貯水池みたいな「天下第一泉」にたどり着く。昨日、揚州の大明寺で見た「第五泉」はとても小さかったのだが、いわゆる名水泉を2箇所訪問したことになる。

金山公园を出て、目の前のバス停からバスに乗り西津古渡街シージン グードゥジィェに向かう。

Bus
金山公园站(14:08発)→ 蒜山游园站(14:10着)
102路, 運賃 1元(17円)
20170303-DSC01169.jpg

西津渡街(老街)

鉄道車両が屋外展示されてるのが見えたので、西津渡の1つ前のバス停で下車。3両の硬座车(2等客車)・餐车(食堂車)などは、古風に造られた真新しいビルの横に置かれている。この街区は、おそらく西津渡古街の商業施設を延長して造られたのだろうが、店がほとんど入居していない「鬼城」(ゴーストタウン)だ。その街区を抜けると、観光客向けの店が並んだ西津渡街(老街)となるが、これも古風なデザインで造られた見かけだけの老街だ。云台山(雲台山)の頂上には云台阁(雲台閣)が見えるが、この山は金山に対して銀山と呼ばれることもあるという。

20170303-DSC01191.jpg

昭关石塔

ここには長江の渡し船の港が六朝時代頃からあったそうで、かつては蒜山渡や金陵渡と呼ばれていたそうだ。商店が並ぶ老街を、云台山の北斜面に沿って登って行くと、「金陵渡」との扁額が掲げられた建物が有る。この付近からは“本当に古い”石造りの建物が残り、老街の最高地点には元の皇帝カイシャンが造らせたという昭关石塔チャォクァン シーター(昭関石塔)がある。老街はここで終わり、ここから緩やかなスロープが镇江博物馆(旧英国領事館跡)まで続いている。

镇江博物馆は工事中で閉鎖されていて観ることが出来ないので、镇江火车站へ向かうことにする。Baidu地図では徒歩で2.2kmほどと出ているので、バスには乗らずのんびり歩く。途中、公衆トイレを使うと、見かけは綺麗なのだが案の定「大便区画」に扉が無くウンチをしてるおっさん丸見え状態の『ニーハオ・トイレ』。これは中国の伝統なのだろうか…。

20170303-baidumap.jpg

镇江博物馆前でのBaidu地図

镇江火车站へ向かう黄山北路沿いの街並みは、駅付近に近づくと区画丸ごと土地収用され無人となり、囲いをされて取り壊されるのを待つばかりだ。駅の北に隣接した街区は、今まさに高層ビルが林立して建設中。その一環で镇江站の北駅舎も取り壊され、広大な空き地になっている。南駅舎に抜ける地下道が今しがた閉鎖されたばかりで、入口までやって来て途方に暮れる人が続出している。工事現場の人は、東か西のどちらかの道路まで迂回しろと言っている。仕方ないので、もと来た黄山北路までもどり1.5kmくらい歩いて南駅舎へ。

真新しい巨大な駅の割にこぢんまりしている售票处へ。日本出国寸前にCtripで予約した鉄道切符の取票号をプリントアウトした紙を窓口の人に渡して、车票(切符)に引き換えてもらう。乗車駅と違うところで引き換えたのだが、手数料は掛からなかった。

20170303-DSC01215.jpg

镇江站(南) 黄山西路

镇江站の東隣に镇江汽车客运站(バスターミナル)があるので、ここから扬州(揚州)へ高速バスに乗ることにする。窓口で切符を買い乗り場へ。バスの出発は10分後だが、乗り場の何処にも行き先が「扬州」と表示されたゲートが無い。ちょっと焦り気味で、その辺りにいた人に聞いて乗り場に到着。電光表示は出発数分前に「揚州」と表示された。揚州行きは10分毎に出発するので、慣れてる人はこれでもいいのだろう。

今朝乗った市バスと違い、高速バスは満員の客だった。途中、高速鉄道が停まる揚州南站を経由してから高速道路に入る。

Bus
镇江汽车客运站(15:55発)→ 扬州汽车客运站(16:39着)
镇江-扬州, 運賃 18元(306円)

Yángzhōu - China (扬州/揚州 - 中国)

長距離バスを降りると、すぐ横に隣接した市内バスターミナルで88路バスに乗り継ぐ。長距離バスターミナルのすぐ横は扬州火车站。明後日の朝に南京行きの列車に乗る場所だ。ここも近代的な歴史を感じさせない駅舎に建て替わっているが、镇江站と違い駅周辺は林や芝生などが多く寂れた感じだ。きっと站が街から遠すぎるのだろう。

Bus
西部客运枢纽(16:42発)→ 石塔寺(17:17着)
88路, 運賃 2元(34円)

市街地に続く文昌路をまっすぐ東へバスは順調に走ってゆく。夕方のラッシュ時で道路が渋滞してきて、市街地に近づくとノロノロ運転。さらに途中からどんどん客が乗ってきてバスの中も身動きしにくいくらいの満員となる。バスを降りて、昨日と同じ大东门街(大東門街)のレストランで夕食。今日のおかずの選択は完全に失敗し、宫保鸡丁コンパオ ジィティン(宮爆鶏丁, 16元)は1人で食べるにはピーナツが多すぎ、蚂蚁上树マーイーシャンシュゥ(螞蟻上樹, 15元)の春雨は私には辛すぎた。どちらも「麻辣」系の料理なので、辛いと文句言うべきではないのだろうが…

あまりにピリ辛だったので、食後、淮海路の台湾のチェーン店CoCo都可(CoCo Tea)で、青稞奶茶 冬季熱飲(10元, 170円)を買って、ホテルに帰って飲んだ。ところで、青稞って… ネットで調べたらハダカムギのことだそうで。

Hotel
全季酒店(扬州文昌阁店), 大床房 523号室
203元(3,451円)