MARCH 17 大韓民国 - ソウル (대힌민국 - 서울)
ソウル (SEOUL,KOREA)
満員の乗客を乗せたJAL963は15分遅れの 13時15分 ソウル 金浦空港 (기포공힝 ギンポコンハン) に到着した。この4月からは国内線専用に格下げとなるはずの空港で、かなり老朽化した印象のところだ。入国審査に30分以上掛かる。
今回の旅は、韓国人の親友 C さんとと共にする予定だ。(したがって、ひとり旅の参考にはならないかもしれない)
空港で待ち合わせることになっているのだが、果たしてどこで出会えることやらと思っていたら、税関を抜けたところでこちらを見つけてもらえた。

新村の交差点 (白い建物は現代百貨店)
ShinChon

空港内でATMを探し、限度額の100,000 WONを引き出す(日本円で1万円相当という少なさ)。 地下鉄駅(지하철역 チハチュルヨク)に向かう。新村(신촌 シンチョン)までの切符を買おうとするが、C さんは 回数券みたいな物のほうがいいというので、そちらを購入する。10,000 WON で 11,000 WON 利用できるタイプの物だ。

永登浦区庁(영등포구청 ヨイドポクチョン)駅で乗り換え、およそ40分で、新村(신촌 シンチョン)駅に到着する。まず最初に予約しておいてもらったホテル(ホテル・プリンス)に向かう。英語で「予約した者だが…」と店員に言ってもまったく通じず、Cさんに代わりに交渉してもらう。(それでも、日本人の名前は分かりづらいのか、交渉は難航していたようだ)  何とか部屋を確保する。1泊36,000 WON だ。

その後、名所旧跡関係でどこかに行きたいと言う私の要望で、昌徳宮(창덕궁 チャンドックン)へ行く。地下鉄の安国(안국 アングク)駅まで行き、日本大使館と現代財閥の本社(?)の前を通りすぎるとすぐに宮殿前に出る。案内ツアーに参加する形で入場する形式のところで、15時30分のツアー(英語)に参加する。(なお、日本語の案内ツアーも有る)

昌徳宮の仁政殿  Chandokun royal palace

日本のお寺と神社を合わせたような雰囲気のところで、結構古い建物のようだが、数十年に1回塗り替えているのでそんなに古くは見えない。 『 文献によれば 1405年建造、その後 1590年に秀吉時代の日本軍に落城(元禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱という)。1610年再建され、19世紀まで国王の執政所となった そうだ。 ユネスコの世界遺産リストに登録されている。』

さて、ガイドツアーのほうであるが、宮殿跡内のさまざまな建物の説明と庭園を一巡りして入口まで戻ってくる およそ 2.5kmの徒歩ツアーだ。印象としては、廃墟だったところを外装だけ復興したようなところと言う感じで、内装や調度品は ? といった感じだ。(この辺りは、京都の二条城も内装はそんなに華美ではない。やはり、欧州の宮殿とは考えが違うと言うことだろうか。)

約1時間20分後、昌徳宮を後にし、再び地下鉄に乗って狎鴎亭駅(압구정 アックジョン)へ。駅の上は現代デパートだ。ここから、夕食を予約したレストランまで歩くはず… だったが 道に迷いそうなので再び地下鉄で 清潭駅(청담 チョンダム)へ。この駅は今月始めに開通したばかりの7号線の駅だ。

弘大入口の夜の街並み  Hondeik

駅から歩いて10分程度のところにある、純韓国料理(?)の「龍石仙」とか言う名前の店だ。通常考えているような韓国料理で無く、伝統的な韓国料理を出す店で、こういう感じの韓国料理を食べるのは初めてだ。(日本でいう、懐石料理)
しかしながら、懐石料理といっても韓国を侮ってはいけない。前菜にはしっかりと キムチなどの辛い物が 非常に上品な料理方法で出てくる。 辛いことには変わりは無い。 一人あたり28,000 WON 程度していたと思うのだが、 C さんのご馳走と言うことで、ありがたくいただいておいた。

その後、弘大入口(홍대입구 ホンデイック)駅まで行き、喫茶店へ行く。22時を過ぎても多くの店は開いているし、若者がたくさん街を歩いている。


MARCH 18 大韓民国 - 慶州 (대힌민국 - 경주)
ソウル (SEOUL, KOREA)
8時30分、新村(신촌 シンチョン)駅でCさんと待ち合わせる。新村駅上のマクドナルドで朝食を食べた後、地下鉄でソウル駅(서울역 ソウルリョク)へ向かう。

ソウル駅  Seoul Central Station

一説によると、韓国では鉄道駅は軍事関連施設ということで写真撮影禁止とのことだが、特に撮影して問題ないようだ。(旧ソビエト連邦の国でも、特に問題にならないのと同じように…)
『文献によれば、ソウル駅は1925年に京仁鉄道 南大門駅として完成した。東京駅を設計した建築家(辰野金吾)が設計したと言う説もあるが、建築家・塚本清であるという説が有力らしい。駅舎にあったイラストによると、KTX開通時には取り壊すことになるようであった。この建物もまた、敵性建築物と言うことなのだろう。ちなみに、東京駅はオランダのアムステルダム中央駅を模して建造されている。』

9時30分発のセマウル号(새마을호)  蔚山行きに乗り込む。2等車だが、座席は日本のグリーン車相当だ。

ソウルから慶州まで、KTX(韓国高速鉄道)の高架軌道が建設されているのが目に付く。高架自体の進捗率は50%程度で、あと数年はかかりそうな雰囲気だ。KTX(フランスから輸入するTGV-R車両)が走り出せば、韓国の国内線飛行機は淘汰されるのだろうか。
『文献によると、2004年にソウル〜東大邱が開通し、東大邱〜釜山は2010年開通予定だそうだ。現在一部路線で試運転している。列車システムは、フランスのアルストム社が納入する予定。ソウル〜釜山は2時間30分以内を目指しているそうだ(現在、5時間ほど)。』

慶州 (KYONG JU, KOREA)

慶州駅に入線するセマウル号(気動車)
Semaul express at KyongJu station

13時50分、慶州(경주 キョンジュ)駅に到着。この時期の韓国にしては、かなり暖かく 気温が20℃近くある。ATMを探してみるが、英語表示の無い物ばかりで外国人の私には使えそうに無い。駅前の旅行案内所で英語が表示されているATMの場所を聞く。駅からまっすぐ伸びる道を8分ほど行ったところにある と教えられたが、実は 韓国外換銀行(외함은행)は全然別の場所にあった(歩き方に載っている場所が正しい。花郎路から中央路を左折)。 が、しかし、英語表示のATMでも私の持っている3枚のキャッシュカードとクレジットカードははじかれてしまう。外国人は基本的に「not Welcome」なのだろうか。 結局 出金をあきらめ、当座の手持ち現金でしのぐことにする。

駅前の大通り(花郎路)から11系統のバスに乗り、慶州博物館(경주박물관 キョンジュ パンムルカン)へ。驚いたことに、大量の日本人団体観光客が来ている。展示物は、日本の「古墳博物館」と言った内容だ。確かに、日本文化のルーツが韓国方面にあることがわかる。
博物館の前には、巨大な梵鐘が飾られている。話によれば、日本統治時代に近くの寺を破壊してここに持ってきたと言うという説もある。
『文献によれば、慶州は紀元前1世紀ころ〜10世紀ころまでの新羅国の主都であったそうだ。13世紀、中国の元との戦乱(日本にも、元寇として九州まで攻め入ってきた)で破壊され、17世紀には日本(秀吉の文禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱)との戦争で破壊された。』

雁鴨池に映える宮殿(再建)
Anapuchi reception palace

その後、博物館の前にある 雁鴨池(안압지 アナプチ)へ。7世紀に建造された迎賓館跡だ。何棟かの復刻された建物が建てられている。
さらに市街地のほうに戻ってゆく途中に、半月城(반월성 パノルソン)がある。古墳のようにも見えるが、2世紀の城塁跡だ。その近くには、7世紀に建てられた天文台跡 瞻星台(점성대 チョムソンデ)(実用的なものでなく、単なるモニュメントにしか見えない)がある。

そろそろ日暮れとなるが、閉園間際に 大陵園(대능눤 テヌンウォン)に入る。こちらは円墳(円形の古墳)が集まっているところだ。ちなみに、古墳には登れない。登りたい場合は、大陵園の西にある古墳は柵が無い上、入場料も要らないのでどうであろうか。(期限切れだとは思うが、一応 墓地ではあるので、ばちが当たるかも…) 博物館などで見た情報を総合してみると、韓国では円墳がポピュラーなようだ。日本では、鍵穴のような形をした前方後円墳の巨大な物もあるが…

半月城〜大陵苑の途中に見える円墳群が夕日に染まっている
old tomb near Panorson fortress

18時過ぎ、太陽は沈んで夜が訪れようとしている。慶州博物館前のバス停まで戻る。(特にバス停というような物は建っていないが、信号の慶州よりに無造作に置かれているベンチ辺りがバス停と思しきところだ)

19時30分ごろ、バスがやってくる。バスは、昼に見たときよりもかなりぼろく感じられる。(車内照明をほとんど切っているせいだろうか) 急加速・急減速で走るバスは、30分ほどで仏国寺(불국사 プルクグサ)の旅館街に到着する。(といっても、Cさんがいなかったらまったく気づかずに通り過ぎているところだ)

予約を入れておいてもらった、仏国寺観光ホテルにチェックインする。この時期は閑散期なのか、単に土曜夜しかはやらないからなのか知らないが、町全体が無人状態だ。今日ATMを使えなかったので、ここではクレジットカードで支払わざるを得ない。夕食を食べに行くが、何軒かある食堂は閑古鳥が鳴いている。というより、人影すら見かけない。とある1件のピビンパプの店に入る。ソウルに比べて2倍近くする観光地料金を取るが、出された石焼ピビンパプの味はまあまあだ。(昨日の懐石料理には完全に負けるが、普通の韓国料理はこのレベルの味だ) 値段は、なんと7,000 WON もする。

旅館に戻り、部屋でCさんとしばらく話す。テレビでは、NHK衛星放送で「北条時宗」が放映されている。おそらく「受信料」なる物は払ってないと思うが、NHKも早くスクランブル放送に移行すべきだと思う。(見る人だけが支払うように)


MARCH 19 大韓民国 - 慶州 (대힌민국 - 경주)
慶州 (KYONG JU, KOREA)
8時過ぎ、ホテルから外に出て朝食を食べるところを探す。が、無人の町にはリーズナブルな価格で朝食を食べられるところなど見つかるべくもない。雑貨店(コンビにではない)でミネラルウォーターとクッキーを買って、ホテルに戻って食べる。

8時40分ごろチェックアウトし、仏国寺(불국사 プルグクサ)へ向かう。入口の前で日本語を話す客引きが、ここは出口で入れないとお決まりの文句をいっている。平日で客が少ないので、客引きもかなり真剣だ。3,000 WON で入場券を買い中に入る。坂道をしばらく歩くと、伽藍が見えてくる。入口と思しき「紫霞門」は通行禁止のようなので、右側のスロープを登ってゆくと裏口から伽藍内に入場するようになっていた。

仏国寺の多宝塔  Pulguksa temple

一昨日見たソウルの昌徳宮(창덕궁 チャンドックン)と同じ色使いの寺院だ。そんなに古そうに見えないのは、この寺院が秀吉軍により17世紀に焼かれた後再建されたものだからだろうか。大雄殿(本殿と思われる建物)の前にある2つの石塔には、「史跡第1号」と書かれている説明板がある。(番号はうる覚えなので、定かではありませんが…)
『文献によれば、仏国寺は6世紀に建造された。文禄・慶長の役により全て焼失したが、石塔は燃えないため残ったそうだ。現在の木造建築は、20世紀の物である。』 個人的には、右側にあるほう(多宝塔)が気に入った。

大雄殿の中には、きんきらきんに塗りなおされた仏像が鎮座している。中国や韓国の仏像は 「塗りなおす」ので、日本人が好む 「苔むした」というか「朽ち果てた」 古さを感じさせることがない。(逆に、最近作ったレプリカでもすむところが、寺院の経営者側からすれば便利かも…) ということで、この仏像が古いのか新しいのかまったく判らない。

仏国寺の伽藍の屋根  Pulguksa temple

大雄殿の後ろにある無説殿(講堂と思われる)では、仏教美術の土産物屋となっている。さらに奥へ行ったところにも、極楽殿と呼ばれる建物があり、こちらにも仏像が鎮座している。

もと来た道を戻り、入口で出会った怪しいガイドが言っていた正門の方に向かう。すれ違う客は ほぼ全て日本人団体観光客だ。鯉を放し飼いしている池の横を通り、天王門(内部には4体の立像がある)を抜けて正面入口と思われるところへ抜ける。「歩き方」には毎時40分に、石窟庵へ向かうバスが出ているとあるが、今10時10分である。左手に坂道がある。石窟庵(석굴암 ソクラム)へ通じているようで、何人かの韓国人が登ってゆくのが見える。「歩き方」には3kmと書かれている。Cさんと相談して、坂道を選択する。

緩やかな舗装された坂道だと思っていたが、15分程度行った所から、未舗装の急な坂道に変身する。引き返すには登りすぎたし、このまま登ってゆくこととする。先に歩いていたオバチャンが引き返してきた。(そんなに悪路なのか?)何回も休憩を入れて、1時間で石窟庵の鐘の横に出る。後ろを振り返ると、かなり高いところまで登って来たようだ(歩き方によれば、標高700m程度のところらしい)。自動販売機でジュースを買って飲む。

入場券(3,000 WON)を買って中に入る。ここからは平坦な道となっている。5分ほど歩くと、建物が見える。その中に白い仏像があり、ガラス越しに見ることが出来る。「歩き方」にはいろいろ(見所があると)書かれているが、ガラス越しにかなり遠くからしか見られないので、これだけ登ってくる価値があるかどうかは疑問だ。寺院内には瓦に願いを書いて奉納してあるところがある。韓国人に次いで、日本人がかなりの数を占め、その他 中国・フランス・イタリアなどちらほらと見られる。

石窟庵から慶州市内を見下ろす  KyongJu city from Sokram

『文献によれば、仏国寺と同じころに建造されたらしい。20世紀になって日本政府の手で補修され、韓国になってから木造の建物がくっ付いたらしい。この仏像もまた世界遺産リストに載せられている。』

先ほど登ってきた坂道の出口(鐘のところ)の下の駐車場からバスに乗る。(12時0分 1,050 WON) 急な山道を下って、15分ほどで仏国寺前の駐車場に到着する。道標によると、10km近くあるようだ。よくあんな遠い(高い)所に上ったものだと思う。

すぐに、慶州(경주 キョンジュ)行きの11系統のバスがやってくる。1,050 WON 払って乗り込む。Cさんは、途中の湖(恐らく普門池の慶州ワールド)のところで降りて昼食を食べると言っていたが、二人ともバスの中で寝込んでしまい気づいたときには慶州駅前に来ていた。終点のバスターミナルでバスを降りる。

歩いて市内中心方向へ。バスターミナル近くには旅館が集まっている。日本的に言えばラブホテルと見えなくもないが、「歩き方」にもこの辺りが旅館街と書かれているので、普通の旅館なのだろうか。

慶州市内 KyongJu city

東城路を駅のほうに歩いてゆく。この道と元暁路がこの街の繁華街のようだ。食堂を探すが、家具や家電品、服を売る店ばかりだ。Cさんが地元の若者に食堂のある場所を聞くと、連れて行ってくれた。北亭路の南のはずれ辺りの店に入る。冷麺を食べる。かき氷のような氷が浮いていて、なかなかの味だ。ものすごく長い麺をぐるぐる巻きにしているので、はさみで何箇所か切って食べる。

その後、もう一度韓国外換銀行へ行ってみる。今日は営業しているので、窓口で聞いてみようと思う。昨日と同じATMはやはり私のカードを却下してくる。ためしに窓口の横に置かれたATMを試してみると、うまくいった。ATMの下に、GLOBAL SERVICE とか何とかかかれている。この国では、普通のATMはたとえ英語が表示されても、国外のカードはキャンセルするようになっているのだろうか?

五陵(오릉 オルン)を見に行くため南へ向かう。目の前に巨大な古墳が見える。昨日訪れた大陵苑だ。ガイドブックの地図に従い、さらに南へ10分程度行くと街のはずれに出る。すぐ前には古墳がある。畑の中にある古墳なのでこれではないだろう。道はずっと南の山のほうまで続いているようだが、古墳らしき物は見当たらないのであきらめて街へ引き返す。

マクドナルドで時間をつぶし、慶州(경주 キョンジュ)駅より16時32分のセマウル号(새마을호)に乗る。始めはすいていた車内も、東大邱・金泉と行くにしたがって満員となる。21時 ソウル駅(서울역 ソウルリョク)到着。

ソウル (SEOUL, KOREA)
新村(신촌 シンチョン)の繁華街に行く。鉄板焼きの店に入る。魚介類や肉などと野菜をいためるような料理を注文する。(9,000 WON/人) ここでもやはりキムチ類の前菜と、なぜかイカの天ぷら(これは日本料理らしい)が出てくる。その炒め物だが、とんでもなく辛い。最初の一口はおいしいのだが、後は味はまったくないといっていいだろう。一口食べては水を飲むと言った感じだが、Cさんは平気な顔をして食べている。さすが韓国人である。

1日目に泊まったホテルと同じホテルに行く。一応私が 「予約を取っているのだが…」といってもまったく通じないので、Cさんにチェックインしてもらう。Cさんと別れて部屋に行き、とりあえずトイレへ。が、しかし トイレの水が溢れ出すではないか。
1階のレセプションに行き、トイレをどうにかしろと抗議するが、英語がまったくわからない様子。とりあえず 「トイレ」という単語だけはわかった模様で、部屋まで見に来る。掃除用の吸盤(日本でよくあるやつ)を貸すのでそれで掃除しろと言ってくる(言ってきたような気がする)。それはホテル側の責任でないかと問い詰め、部屋を換えろと抗議すると、向かい側の部屋が空いていると言う。今の部屋と比べてだいぶグレードが落ちているようだ。それなら割り引けと抗議すると、できないと言う。散々苦情を言い倒したら(当然英語なので、怒っている事以外は通じていないのかな…)、店員はしぶしぶ掃除を始めた。やれやれである。

 


MARCH 20 大韓民国 - ソウル (대힌민국 - 서울)
ソウル (SEOUL, KOREA)
9時にホテルの前でCさんと待ち合わせた。ホテルの前の道路にいると、ホテルの中から出てきた知らない女性が(韓国語で)何かしゃべってくる。「telephone」のような発音の単語だけが聞き取れたので、レセプションに行って見ると、私への電話らしい。
Cさんは「来られない」とか言っている模様だ。実は、後でこれが聞き違いだったことがわかり、Cさんには待ちぼうけをさせてしまうこととなる。この段階では、「待ち合わせキャンセル」ということで、ホテルをチェックアウトする。

新村(신촌 シンチョン)駅前のバーガーキングでワッパー・ジュニア(3,500 WON)を食べる。バーガーキングと言えば、日本では日本たばこ系列が経営していたが、営業不振でロッテリアに譲渡したとのニュースを見たことがある。ロッテリアよりバーガーキングのほうが好きなのだが、どうなるのだろうか。(国内に限って言えば、フレッシュネスバーガーがいいという声は大きいが)

修復中の景福宮  Kyonbokun in rebuild

9時40分ごろ、新村(신촌 シンチョン)駅より地下鉄に乗り、乙支路3街(을지로3가 ウルチロサムガ)で3号線に乗り換え、景福宮(경복궁 キョンボックン)駅で降りる。(所要時間 およそ10分くらいか。) 駅を出ると、地下道で博物館の前まで行く。出口のすぐ目の前には、工事中の景福宮が見える。大日本帝国 朝鮮総督府を撤去した跡に、元あった宮殿を再造営しているようだ。 国立博物館に入る。日本人団体観光客がちらほら来ている。東京の国立博物館 平成館にある 歴史年代順に史料を展示した博物館の韓国版といったところだ。が、いかんせん大日本帝国の侵略にあい、かなりの史料が流出してしまった模様で、お世辞にも充実した展示とはいえないだろう。
入った階の1階下に巨大なジオラマが置いてある。朝鮮王朝時代と大日本帝国統治時代の景福宮周りの景色の比較だ。確かに、総督府庁舎が宮殿のど真ん中に建造されているのがわかる。それも、宮殿の建造方向と、総督府の建造方向が少しゆがんでいる。
『文献によれば、朝鮮総督府は東西南北のグリッドにあわせて建造されたと言う意見と、朝鮮神宮(現在の南山公園)と一直線に並ぶように建てられたと言う意見と2種類ある。この時代の責任者がすでに他界しているので、真相はわからないだろう。総督府庁舎は1926年建造され、韓国独立後は韓国政府庁舎を経て博物館として利用されたが、1996年 敵性建造物ということで破壊された。一部の遺物が景福宮敷地内に残っている。』

外に出る。博物館の入口から見て、右手に光化門『文献によれば、大日本帝国により(総督府建設の邪魔になるので)移設されていたそうだが、朝鮮戦争で木造部分が焼失し、1968年石組み部分を移設し木造部分は新造されたらしい』が見える。そして、総督府のあったところには、内門(?)らしき建物が再建造中だ。さらに北には、勤政殿が工事用のシートで覆われているのが見える。

明洞の街並み  Myondon

工事用のバリケードに沿って北へ向かうと、在日大韓民国団韓国支社の建物があり、いくつかの仮設事務所のようなプレハブが建てられている。仏像とかそういったものがぱらぱらと置いてあり、プレハブ事務所の前には、朝鮮総督府を破壊するときに取り外した尖塔の先っぽとか柱の一部が無造作に置かれている。どこかの博物館に移動するのか、あまりの恨みのためにここに野ざらしにするのかは知らないが、何の案内板も無いので、日本人観光客には気づかれないだろう。

地下鉄に乗り、明洞へ。ショッピングにはまったく興味が無いので、その辺りを少しぶらぶらして、コンビニで韓国海苔などを買う。再び地下鉄に乗り、金浦空港へ。およそ1時間で金浦空港駅に到着。
JALのカウンター前で、Cさんが待っていたので驚いた。話を聞けば、午前中の電話は、「9時30分の待ち合わせに変更」という電話だったらしい。ホテルの前で1時間近く待ったそうだ。大変悪いことをした。

JAL964便は、来るときと同じく、離陸が30分程度遅れた。(日本からの便が遅れていたため) しかしながら、搭乗口に時間通り来ない乗客を待って毎回遅れるとは、なんとも変わった会社である。