トルコと東欧 旅日記 : カッパドキア - セルチュク - エフェソス

June 24, 2000 (Saturday)

Istanbul/İstanbul - Turkey (イスタンブール - トルコ)

KL1613はエセンレール(Esenler)のオトガル(Hal. Otogar)の上を横切りアタチュルク空港に定刻どおり到着した。そんなにも暑くない。KLMの機内アナウンスでは32℃位らしい。空港内のATMで75 million TRL を引き出す。通貨単位に頭がおかしくなりそうだ。

オトガル行きのドルムシュ(乗合ミニバス)がないか探したが無いようなので、タクシム・スクゥエア行きの空港バスに乗る。バスは15時15分に国際ターミナル前を発車したが、すぐ横の国内ターミナルで20分近くも停車し、それからようやく市内へ。ちなみにこのバスの料金は1,750,000TRLだ。

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すごい人混みのタクシムの商店街

約1時間でタクシムに到着。バスの運転手にギョレメ行きのバスを扱っている旅行会社の位置を聞く。ネフ・チュール(Nev Tur)と言う会社らしい。
Nev Turの位置をその辺を歩いている人に聞きながら探す...。 「あった!」 ハキキ・コッチ(Hakiki KOC)のオフィスがネフ・チュール(Nev Tur)のチケットも扱っているようだ。(窓ガラスにそう書いてある。)

オフィスに入ってギョレメ行きのチケットを買う。10 million TRL。バスは Hal. オトガルを20時30分発なので、19時30分にセルビス(service)が来るのでこの旅行会社に来るように言われる。これでイスタンブールに無駄な1泊をしなくてすむ。と安堵した。

さて、セルビスの時間まで2時間以上ある。イスティクラル(Istiklal)通りをぶらぶらする。週末なので、ものすごい人出だ。この通りだけを見れば、東京や大阪の繁華街とほとんど変わらない。(旅情たっぷりのトルコといった雰囲気は無い)インターネットカフェを見つけたが、休みだったのであきらめる。街頭のテレホンカード屋台で100UNITのテレカを買っておく。2,220,000TRL。

イスティクラル(Istiklal)通りを半分くらい下ったところの(タクシムからガラタ・ブリッジに向かって下ってゆく)ガラタサライ(Galatasaray)の宮殿風建物(昔は学校だったらしい)の向いのBurger Kingで夕食を食べる。Whooperのセットが2,400,000TRL。

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ウルスララシ・オトガル

さて、19時30分に旅行会社に行き、セルビスに乗車する。結構ぼろいミニバンは猛スピードでハイウェーを走り、ウルスララシ・オトガル(Uluslararasi Otogar) (道路標識は Hal. Otogarであり、イスタンブール人は 単なる Otogarだったり Big Otogarであり、バス会社ではエセンレル・オトガル Esenler Otogar と呼ぶこともある)に向かう。途中のガソリンスタンドで水並に安いガソリンを補充してオトガルに到着。まず、Hakiki KOCのオフィスで、タクシムで貰ったバウチャーを別のバウチャーに交換する。さらに別棟の [24] のオフィスに行くように言われるので、迷いつつ [24] のオフィスを発見する。ここがネフ・チュール(Nev Tur)を扱っているオフィスらしくやっとチケットを入手できる。

Bus : Istanbul -> Göreme (イスタンブール → ギョレメ)

バスは20時には乗車でき、20時30分ちょうどにオトガルを出発。バスの波を掻き分けてハイウェーへ向かう。ファティフ橋(Fatih Bridge ボスポラス海峡の北側の橋)を渡っていよいよアジアへ。
このまままっすぐアンカラ方面へ走れば1時間以上の時間短縮ができるだろうが、そこはトルコのバス会社。ぐるっと大回りしてハレム(Halem)のオトガルに停車し、やっとアンカラ方面に向け走り出す。

ここで、話はそれるが、Halemを出たあたりで鼻血を出してしまい、鼻にティッシュペーパーを押し込んで結構恥ずかしい思いをした。

June 25, 2000 (Sunday)

Bus : Istanbul -> Göreme (イスタンブール → ギョレメ)

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カッパドキアの全体概略地図

5時ごろ日が昇る。バスは巨大な湖(かなり干上がって、塩を吹いているようだ)の横を走っている。地図によるとトゥズ(Tuz)湖らしい。緩慢な丘を登ったり降りたりしながら東に向けて走っている。
朝食にクッキーと紅茶が振舞われる。(このあたりから道路状況が少し悪くなり、ゆれるので紅茶をこぼしそうになることもある。)

7時。ネフシェヒル(NevSehir)のオトガルに到着。トルコ語でNew Cityと言う意味らしいが、あんまし新しいようにも感じないが...。
このバスはここまで。ギョレメまではセルビスを利用するようだ。荷物をピックアップして、ちょっと小さ目のバスに乗り込む。

Göreme - Turkey (ギョレメ - トルコ)

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セルビスのバスは、あっち行ったりこっち行ったりしながら客を目的地に下ろしながらギョレメへ。7時30分ギョレメ到着。まず最初に、バス停のすぐ前にあるNev Turのオフィスで明日のバスのチケットを手配しておく。セルチュクまで11 million TRL。

なんだか変わった形の山に囲まれた小さな村だ。Lonely PlanetにはHotel Info があると書かれていたが、小さな小屋にペンションの説明写真なんかが張ってあるだけだ。(値段についての情報は、どうしたわけかまったく無い)

仕方ないので、幹線道路でなく、ツーリスト客向けの店の無いような方向へ歩いていってみる。数分でホテルを2軒発見。手前の方に入って聞いてみると、なんと1泊 3 million TRLらしい。しかもインサイド・シャワー&トイレである。部屋を見せてもらって、すぐにここに決める。(ホテルの名前は ATAK Hotel)

ペンションのテラスで朝食を食べ(1 million TRL)ていると、オーナーの子供だろうか、近寄ってきて観光はどうするのかしつこく聞いてくる。どうも、何らかのツアーを売り込もうとしているようだが、集団行動には興味ないのでレンタル・スクーターで回るとしたらどこがいいのかの情報を逆に聞き出した。

彼の説明には、遺跡と商業施設が巧みに混ぜられていたが、商業施設のある場所は行く気はまったく無いのでこの辺は割り引いて聞いておく。

食後、オトガル前のレンタル・スクーターへ。ここで、レンタル屋の口車にまんまと引っかかってしまい8時間もレンタルしてしまうことに...。(こんな暑い気候で、8時間も炎天下を走り回っていたらおかしくなるし、手近なところだけを回るなら4〜5時間で十分) ということで、8時間のレンタル料金である15 million TRL を払ってバイクを借りる。(ガソリンは別)

Zelve - Turkey (ゼルヴェ - トルコ)

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ゼルベの少し手前に有る奇岩 Zelve

さて、最初にアヴァノス(Avanos)の方向へ走ってゆく。なにぶんスクーターは素人なので、慣れるまでゆっくりと走る。(ほとんど車の通らない道だし)
アヴァノス(Avanos)は陶芸で有名(あの少年が言っていた)らしいが、カッパドキアで陶芸? まあ、みやげ物売りでしょう! ということで、手前の チャウシン(Çavusin)でゼルベ(Zelve)の方向へ。ここからゼルベ(Zelve)までは結構奇妙な岩が多く見所もある。

30 分ほどで、ゼルベ(Zelve)に到着。道の行き止まりのところに駐車場があり、野外博物館(Open Air Museum)となっている。岩穴につい最近(どれくらい最近か疑わしいが...)人が住んでいたという所だ。確かに谷の奥まったところの岩に穴がいくつも開いていて、人が住んでいたようだ。石器時代というか原始時代というか、人間の祖先はこんなところに住んでいたのだろう。

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ゼルベ遺跡(至る所に住居跡の穴が掘られている) Zelve

さて、ゼルベ(Zelve)を後にし、チャウシン(Çavusin)と反対方向に登ってゆく。草原の中を ユルギュップ(Ürgüp) まで走りつづける。地図によると10km弱あるみたいだ。まあ、アナトリア高原を走っているなぁと言う実感が湧くといえるかもしれない。

Uçhisar - Turkey (ウチヒサル - トルコ)

ユルギュップ(Urgup)はワインで有名だとあの少年が言っていたが...。ブドウ畑なんてあるのか知らん。まあ、細々とやっていたのをどうせ観光目当てに...。(いかんいかん、つい愚痴が多くなりすぎた。) この町の入り口に、ガソリンスタンドがあった。(ガソリンスタンドを見たのは、ここと、ネフシェヒル(Nevsehir)の郊外の2箇所だけだったので、ガソリンを入れてバイクを返すのは難しいと思う)

さて、さらに南のムスタファ・パシャ(Mustafapasa)は古い町が残っていると聞いてきたが、 Lonely Planetによると、19世紀の教会などがあるらしい。大して古くも無いか...。ということで「パス!」

ユルギュップ(Ürgüp)から西に転じる。約5kmでオルタヒサール(Ortahisar)の町だ。唯一有名なのは、砦のような塔だが、これはバイクからでもはっきり見える。ということで、遠くから眺めるだけとする。オルタヒサール(Ortahisar)の町の入り口の道路に、「VIEW POINT」と書かれた標識が立っている。なんだろうと思って進んでいくと、まあ確かに景色はいいようだ。(遠くのギョレメ方面の岩山が見える)

再びオルタヒサール(Ortahisar)まで引き返し、 ギョレメ(Göreme)方面への道を進む。この途中に小さな駐車場があり、その右側の岩が奇妙な形をしている。(結構な観光ポイントらしい) さらに行くと、ギョレメ(Göreme)の屋外博物館(Open Air Museum)の上に出て、急な石張りの坂道を降りて3kmほど行くとギョレメ(Göreme)の町に到着。

ここで、いったん昼食。

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ウチヒサル Uçhisar

昼からは、ウチヒサル(Uçhisar)の砦を見に行く。ギョレメ(Göreme)を出てネフシェヒル(Nevsehir)方面へ少し行ったところで、日本人らしき人物が歩いていたので、声をかけてみる。ウチヒサル(Uchisar)へ行くらしいので、彼を後ろに乗せて出発する。(このバイク、あんまりパワーが無いので、坂道がしんどい)

ウチサール(Uçhisar)のふもとにある土産物屋らしき駐車場にバイクを止めて、登山を開始。(そうそう、彼は神奈川から来たそうで、エジプトとトルコを旅しているそうだ。エジプトに比べればトルコの暑さ位たいしたこと無いらしい) ちょっと道に迷ったが、砦の入り口に到着。入場料750,000TRLを払って中へ。頂上まで上ることができる。トルコ国旗がはためく頂上では、たくさんのトルコ人が記念撮影をしている。

ここから見るギョレメ方面の眺めは「一番」すばらしい。はるか向うには頂上に雪をかぶった エルジェス(Erciyes) 山(約3900m)が見える。来てよかったなぁ〜と思う瞬間だ。

砦から降りて、駐車場に戻る途中のChimneyに入れそうだったので、入ってみる。ここは、観光化されていないようだが、結構見ごたえがあった。(手すりや階段が無いので、足を踏み外すと谷底にまっさかさまだが)

Göreme - Turkey (ギョレメ - トルコ)

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ウチサール砦の頂上から、ギョレメのほうを眺める
View from the top of Uchisar, toward Goreme

駐車場で彼と別れて、ネフシェヒル(Nevsehir)の方向へ走ってゆく。途中で交通事故らしく車が正面衝突していた。さらに行くと Nevsehirの郊外に入る。特に見るところもなさそうなので、ギョレメ(Göreme)に引き返し、バイクを返却する。(結局5時間しか使っていなかった)
ガソリンは合計3リットル減っていて、2,250,000 TRL 取られた。市価の倍といったところだが、遠くのガソリンスタンドでわざわざ入れるのはめんどくさいので良しとしよう。

2時ごろからが暑さのピークとなる。ネットカフェやその辺のレストランなどでジュースを飲んだりして日陰で過ごす。18時ごろ夕食を食べて、特に何もすることが無いのでペンションへ。その夜、ペンションのテラスから見る星空はとてもきれいだった。ミルキー・ウェイがはっきりと見え、あまりの星の多さに星座をたどるのも難しいくらいだ。

June 25, 2000 (Sunday)

Göreme - Turkey (ギョレメ - トルコ)

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ギョレメ 博物館 Goreme Open Air Museum

9時、ギョレメ屋外博物館(Göreme Open Air Museum)を目指して歩き出す。PTT前から東に向かう。道は最初上り坂で、下りとなり、その後平坦な道が1km程度続き、きつい上り坂を1km位行った所に入場門がある。私が行った時に関しては、ほぼ100%の客がバスかドルムシュを利用して町から来ていた。(そんなに歩くのがつらいのかねぇ?)

最初団体客が来ていなかったので、のんびり見ることができたが、10時前になり団体客が押し寄せてきてのんびりと見ることもできなくなる。(見物の行列となる)
さすがLonley Planetというか、「団体客が来たら話にならない」との指摘は的を得ている。ここはゼルベ(Zelve)と違って教会ばかりのようだ。フレスコ画が見られる暗闇教会(Dark Church)はさらに入場料を取るという、さすが商業主義! といった観光地だ。(Open Air Museum は 3,250,000 TRLで、Dark Churchは6,000,000TRLという逆転したような料金設定や他の物価と比べても恐ろしく高い料金設定も笑える)

せっかくここまで来たのだから、6 million TRL 払って見に入ったが。結論といえばカッパドキアは奇岩を見に来るところで、フレスコ画を見に来るところではないとの感想だ。(フレスコ画なら、イタリアやオーストリアの方がはるかにいいと個人的に思う)

人ごみから離れてうろうろしていると、谷底に降りたらさぞ景色がいいだろうなあと思った。ただ、Open Air Museumからは下に降りれそうにも無い。

いったん屋外博物館(Open Air Museum)を出て、しばらく下ったところにある駐車場の横から土手を乗り越えると、観光用のらくだがとおると思われる Path を発見する。もちろん誰一人こんなところにこないので、私だけの世界である。どんどん進んでゆくと、Open Air Museum から対岸の崖に見えていた石窟寺院の横に出る。こちらは入場料無料の割には、見所があるようだ。上のほうから観光客が訝しげにこちらを覗き込んでいる

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ギョレメのメインストリート (オトガルよりアヴァノス方面を見る)
Main street of Goreme

本日の観光はこれでおしまい。ということにした。(この酷暑の中、過剰に行動すると後が怖い)
資金も少し心配なレベルになってきたので、この町にたった一箇所しかないATMに行って見た。故障していた。ATMを設置している店に聞いてみると、13 時過ぎには直ると午前中に言っていたのだが、13時過ぎても治る気配すらない。(結局、夕方になっても直っていなかった)
もし、この町でATMを利用する予定で旅行を計画をしている人がいれば、考え直したほうがいいだろうと思う。

昼食を食べ、後はカフェなどでぶらぶら過ごし、夕食を食べバス停へ。18時30分発のはずのバスは20分遅れて到着した。おそらくカイセリ発アヴァノス経由でここに来たのだろう。車内はがらがらだ。

Bus : Göreme -> Selçuk (ギョレメ → セルチュク)

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ギョレメのオトガルに到着した イズミール行きバス
Nevtur bus at Goreme Otogar

斜め後ろの席に、アジア人の女性が座っていたので「日本人?韓国人?」と尋ねたら、「韓国人」だったので、それ以上のコミュニケーションは(その時点では)なかった。

19時30分ごろ、ネフシェヒル(Nevsehir)のオトガルに到着。ここでバスは満席となる。バスはイスタンブールから来たときの道を戻り、途中でKonya方面に進路を変えた。アンカラ(Ankara)経由のルートではなく、少し南よりのルートを通るようだ。

今日のバスのサービスもイスタンブールからの便と同じく、映画上映、飲み物の配布付きだった。

深夜、0時ごろコンヤ(Konya)のオトガルに到着。円形の巨大なバスターミナルだ。いつもながらのトイレ休憩と思い、いったんバスの外に出るが、車掌がすぐにバスに戻るように言ってくる。どうも延着気味ですぐに発車するようだ。

バスに乗り込んで、さっきの韓国人女性がいないことに気づく。(ギョレメでイズミールまで行くと運転手と話していたのでここで降りたわけではないだろう)
車掌に1人戻っていないことを伝えた。1分くらい待ったが、おそらく次のバスのために到着ホームを開けないといけないのだろう。バスはゆっくりと発車した。さらに、あと少しでいいから、戻ってくるまで待って欲しいと頼んだら、ターミナル出口の料金所前まで走って止まった。
数分何事も起こらず経過する。車掌が料金所に言ってなにやら交渉している。しばらくしてバスに戻ってきて、「彼女を探しに行くから、私についてきて欲しい」と言う。車内のほかの人も、「君のガールフレンドを探しに言っている間、バスは待っているから大丈夫だ。さあ、行って来い」といっている。
東洋人同士、いつのまにか知り合いだった事になっているらしい。

バスから降りて、オトガルのビルのほうへ走ってゆくと、彼女が別のバス会社の社員に連れられてこちらへ向かってきた。
バスの乗客の一部は、「こんなに遅れてどうしてくれるんだ!」と怒っている人もいたようだが、大方の人は「よかったねぇ」のほうだった。(怒って横の人に当たっていた人は、周りから逆に怒られていたようだ)

彼女は結構ショックだったようで、しばらく放心状態のようだった。まあ、こんな異国でバスに置いてけぼりにされそうになったのだから仕方が無いだろう。

June 27, 2000 (Tuesday)

Bus : Göreme -> Selçuk (ギョレメ → セルチュク)

7時30分、イズミール(Izmir)のオトガルに到着。昨晩のトイレ休憩のときに韓国人の彼女(Cさん)と話しをして、彼女の行き先もエフェス(Efes)遺跡を見に行くことだと知り、いっしょに行く事になった。
オトガルでセルチュク(Selçuk)までのセルビスに乗り換える。この乗り換えの受け渡し(会社同士の)がうまく行ってなかったらしく、ミニバスの中で料金を払うように説得される。私はチケットを見せて、確かにセルチュク(Selçuk)までのチケットを持っているので払うつもりは無いと居座った。
そのうち若い車掌はあきらめたようだった。

Selçuk - Turkey (セルチュク - トルコ)

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セルチュク駅前通りのカフェ

しばらく行くと、やっとLonley Planetの地図と現在位置が対応でき、メインストリートに入ってゆく。
通り沿いのレストランから店員が出てきて、ホテルを探しているのなら連れて行ってやるというので、とりあえずついていってみることとする。
彼は、メインストリートに面した Victoria Hotel に案内した。とりあえず 10 USD 程度で探していると言ったら、部屋に案内してくれた。シャワー・トイレ付きでまあまあである。ただ、私たちがツインの部屋に泊まってそれぞれ 10 USD ずつ出すと思っていたらしく、2つのシングルルームが必要だと言ったらちょっと困っていた。それでも、今1はハイシーズンで無いので2部屋で 10 USD ずつにディスカウントしてくれた。

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セルチュクの水道橋の廃墟
Roma Water Bridge, Selcuk

そうそう、ホテルの窓のすぐ前にある何らかの石柱の上にでっかい鳥が巣を作っている。人に聞けば「コウノトリ」という鳥らしい。日本では絶滅寸前のあの鳥である。(この石柱は、ローマ時代の水道橋の残骸だ)

チェックインした後、私はまず ATM へ。この街にATMはかなり多く設置されているようだ。(ギョレメと違って安心だ) ついでに、PTTにも行く。ポストカード用の切手を10組(1枚当り3,000,000TRL必要)も購入しておく。(カッパドキアの絵葉書をセルチュクで出すのも変だが...)

ホテルに戻って、2日分の料金(12 million TRL)を支払い、Cさんと一緒に昼食へ。Cさんがラザーニアのような食べ物だといっていたので注文したものが、なすびに肉を詰めた(ギリシア風)の食べ物だったのでちょっと驚いた。結構脂っこかった。(ギリシア風なのであたりまえか...)

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エフェスの砦をセント・ジョン教会より眺める
Efes Fortress from St. John Basilica

夕方、市内で唯一の遺跡(?)である聖ヨハネ聖堂(St. Johon Basilica)へ。本当はその裏手のアヤソルクの丘(Ayasoluk Hill)にそびえる砦(Fortress)に入ってみたかった。太陽をさえぎるものが無い丘の上の聖堂遺跡には、夕方になってもまだ天高く昇っている太陽から、容赦ない光が照り付けている。(暑い!) 入場料は 1.5 million TRL。まあ、教会の崩れた跡地といった感じだ。さらに上に登って砦の方へ行こうと思ったが、道が閉鎖されていた。何だ、これだけかといった雰囲気だ。

再び街の中心部で夕食を食べる。(結構な数のレストランがあるので、食べ物には困らない。1食 1.5 million TRL 位で十分食べられる)

ホテルの部屋に戻ると、洗面所に大量の羽蟻が生息しているのにびっくりする。換気口から登ってきたようだ。早速フロントに行って部屋をチェンジしてもらう。

その夜、ホテルの従業員の紹介で、ギリシアへ渡る船のことについてよく知っているという絨毯屋に連れて行ってもらった。店主の彼女は、特に絨毯の売り込みもせずに、サモス(Samos Σαμοσ)島への行き方について詳しく教えてくれた。彼女の話によると、サモス島には特に遺跡といったものはないらしく、主にリゾート中心だそうだ。また、 クシャダス(Kusadasi)からの船がとんでもなく小型船で、デッキに座っていないといけないのでしんどいという情報も得た。

ここで、これからどちらの方向目指して旅するか決めないといけない。手近なサモス(Samos Σαμοσ)へ渡ってみるか、あるいはここからはるか南のマルマリス(Marmaris)からロドス(Rodos Ροδοσ)へ渡るかのどちらかだ。遺跡の数から言えば、当然世界遺産に2件登録されているロドス(Rodos)に軍配が上がる。
やはり、 せっかくここまで来たのだからロドス(Rodos)の城塞都市を見るのがいいだろうと思い、Rodos へ渡ることを決心する。(かなり長い旅にはなるが...)

June 28, 2000 (Wednesday)

Ephesos/Efes - Turkey (エフェソス/エフェス - トルコ)

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朝食(西瓜付き)を済ませて、Cさんと一緒に早速エフェス(Efes / エフェソス Ephesus)へ向かう。

セルチュク(Selçuk)のオトガル(といっても、少々のドルムシュがたまっているだけの、ごく小さいもの)からドルムシュに乗る。250,000 TRL。並木道沿いに2km位行ったところで降ろされる。ドルムシュはそのまま西へ走り去る。ここから南へ1本の道が伸びている。道路標識にエフェス(Efes)と書かれているのでこちらへ行けばあっているのだろう。

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一人のガキがついてくる。多分何かの物売りだろうから無視する。1台のタクシーが近づいてくる。これも無視する。5分ほどで交差点に出る。人がいたのでどちらがエフェス(Efes)に近いか聞くと、右へ行けと言う。さらに10分程度歩くと駐車場が見えてくる。またタクシーが近づいてきて、Maria なんとか(Vergin Mary's House)へ行くにはタクシーでしかできないとか、ここは出口で入り口ではないとか勝手にしゃべっている。
どこかの裁判官ではないが、特に観光地のタクシーなど「うそつき」にきまっている。絡んでくるが、無視する。
先ほどのガキは、露天の子供だったらしく、自分の店に来て欲しそうな振りをする。当然これも無視。

駐車場の突き当たりが入り口で、入場料 4 million TRL。

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円形劇場 Great Theater, Ancient Efes

並木道を抜け、クレーン車で遺跡を建設しなおしている(Gymnasium of the Theatre は鉄筋コンクリートで復元建設中)横を抜けると 円形劇場(Great Theater)がある。まさしくギリシア文明といった感じで、本場ギリシアで見たものよりも、保存状態がいいようだ。ドイツかフランスの団体ツアー客の説明を真中でしていたが、その声が実に見事に劇場の上部客席まで反響しているのは驚きだ。(結構小さい声でも聞こえる)
しかしながら、この劇場も近年修復されたものらしく、客席がなんだか新しい。一部はコンクリート製でないかと疑うようなところもある。オリジナルの客席は、最南端のほんの一部分だけではないだろうか。
入場門のところで貰ったパンフレットによると、夏の観光シーズンには、夜間コンサートを開催するそうだ。(結構有名な歌手やバンドが来るようだ) そのような商業主義のために、貴重な遺跡を破壊しているのはなんとも悲しいことではないか。

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図書館 Library of Celsus, Ancient Efes

劇場(Great Theater)跡を出て神聖な通り(Sacred Way)さらに登ってゆくと、あの有名なセルサス図書館(Library of Celsus)跡がある。よくエフェス(Efes)遺跡の宣伝とかで使われているやつだ。昔はエジプトのアレキサンドリア、トルコのペルガモンと並ぶ巨大図書館だったらしい。 図書館のファザードは本来は崩壊していたようで、オリジナルの石をおそらく鉄筋で支えて再建したのだろう。再建したときのスポンサーに関する文章が、 正面ファザードの裏側に彫刻されている。(ドイツの会社なので、ドイツ語)
ファザードの裏側にある本の少しのスペースは、絵画の直売店となっており、何でこんなとこまで店舗スペースにするんだろうと思ってしまう。(正面から写真をとる限りは、写らないように観光的配慮はなされているが...)

そこからクレテス通り(Curetes Way)に沿って登ってゆきながら、北側にある遺跡などを見て歩く。驚いたのは、紀元前にも水道などがあったようだ。地面に陶器などでできた配管が覗いている。(当然、現在では機能していないが)

このあたりから、団体のツーリストが大量に出没する。坂道は大混雑だ。ほとんどは欧米系のツーリストで、アジア系は韓国人のツーリスト1組を見かけただけだった。(アジア人は、暑さは苦手なのかな?)

2時間ほどで、一番上にある入場門まで到達する。ここにも小さな円形劇場 オデウム(Odeum)がある。遺跡はほとんどがここまでだ。さらに5km山上に Virgin Mary's Houseという聖母マリアが住んだという伝説の場所があるらしいが、この暑さの中、歩いては行けないだろう...。

再び遺跡の中を降りてゆき、来たときの道を引き返す。帰り道、トラクターに乗ったおじさんが(タイヤカバーの上に)乗っていかないかと誘ってくれたが、Cさんがスカートだったので丁重にお断りした。
朝、ドルムシュを降りたところからセルチュク(Selcuk)までは、並木道で日陰となっている。工事業者が並木沿いの花壇に花を植えている。街からのんびりと歩いてもらおうという配慮だろうか。(でも、普通の団体ツーリストは歩かないだろう?) セルチュク(Selcuk)の街まで20分くらいかかる。すれ違った観光客は4人ほど。

Selçuk - Turkey (セルチュク - トルコ)

昼食後、セルチュク(Selcuk)唯一の博物館へ。エフェス(Efes)遺跡から発掘された品や、説明などがあり、エフェス(Efes)と共に見るとより興味が湧くような仕組みになっている。

しばらく博物館前の公園で休んだあと(アッザーンが流れても、だらっと芝生に寝そべったりおしゃべりしている人が多い。ムスリムの戒律もそんなに厳しくないようだ。)、昨日訪れた聖ヨハネ聖堂(St. John Basilica)の裏手にあるモスクに行ってみる。Lonley Planetにはイサ・ベイ・ジャミィ(Isa Bey Camii)の名前くらいしか情報が無かったが、閉館間際に中に入ることができた。およそ600年前の建物だそうだ。

その夜、Euro 2000 でトルコとどこかの国の試合の放送があり、深夜0時過ぎまで駅前広場は大勢の人で盛り上がった。(サッカーの試合) 結局トルコは負けたようだが...。(私はサッカーに興味が無いのでよく分からないが、フランスが優勝したらしい)