エーゲ海からバルカン半島旅日記 :
メテオラ、テッサロニキ
September 22, 2003 (Monday)
Athens / Αθήνα - Greece (アテネ - ギリシャ)
6時30分頃起床。7時15分、ユースホステルをチェックアウト。300mほど西にある地下鉄メタクスルギオ駅へ。通勤客が行き交い、駅入口付近の店も開いている。週末の昨日はゴーストタウンのように無人だったのとは大きな違いだ。
Metaxourghio / Μεταξουργείο(07:34発)→ Larissa / Σταθμός Λαρίσης(07:36着)Metro, line 2 運賃 0.70ユーロ(90円)
隣のラリッサ駅まで、満員の列車に1駅だけ乗車。地下鉄駅を出て地上に上がると、国鉄アテネ中央駅には既にたくさんの人が列車を待っている。朝食を食べようとカフェを探したが、あいにく売店しか開いていない。サンドイッチと水(3ユーロ, 387円)を買って、待合室のベンチに座って食べる。8時01分発のテッサロニキ行きInterCityにほとんどの客が乗り込んでゆき、ホームが一旦静かになる。私が乗る予定の各駅停車がやってきた。先ほどのInterCityが冷房車であったのに比べ、こちらはオンボロ客車が窓を開け放してホームに滑り込んでくる。切符で指定された4号車85番のコンパートメント座席に着く。車内は満員。通路にまで人があふれている。列車は定刻どおり8時30分にアテネ中央駅を出発。
Athens / Αθήνα(08:30発)→ Palaiofarsalos / Παλαιοφάρσαλος(12:30乗換)→ Kalabaka / Καλαμπάκα(13:30着) Train, IR500/R1882 運賃 10.3ユーロ(1328円)アテネを出ると、乾燥した草原の中をゆっくりと走り出す。昨日デルフィへ行くバスが走った国道1号線がすぐ脇に見えている。1時間ほど走ると電化工事中の電柱も途切れ、山岳地帯を右へ左へと走り出す。車掌が検札に来たので、この列車がカランバカへ直通しているのかを聞いてみる。パレイ…ロスという早口で聞き取りにくい駅名の駅で乗り換えだそうだ。コンパートメント内には10代後半と思われるお姉さんが2人と、母と小学生ぐらいの娘が2人、私の6人。網棚に置いてあった鉄道会社の情報誌に路線図があったので、隣に座っているお姉さんに英語で聞いてみた。「パレイ…ロス?? ってどこの駅?」 … 英語はほとんど通じなかったが、乗り換えるべき駅はΠΑΛΑΙΟΦ/ΛΟΣという駅らしい。駅名に割り算みたいな変な記号が入ってるんですが… 。ラミアへの支線が出ているレイアノクラディ駅(Lianokladion)でたくさんの人が降りるが、それでも空き座席ができるほどではない。12時ごろ、山岳地帯を抜けて長い坂道を下りだす。平地に出たところの道路との交差点に列車が停車して何人かが乗り降りしている。プラットホームや駅舎がない、単なる踏切が停車駅とは驚いた。すぐに平原の中に新しく出来た駅に停車する。同じコンパートメントのお姉さんが、ここがパレオファルサロスという乗換駅じゃないかなと言っている。(あまり有名な駅じゃないんだ…)
慌ててプラットホームに降り立つ。何人かの旅行客も列車から降りてきている。となりのホームに別の列車が待っているので、階段を降りて隣のプラットホームへ。行き先案内表示装置は壊れているのか、何も表示していない。車掌らしき人に、カランバカ行きかどうかを確認して列車に乗り込む。私と同じようにアラブ系の旅行者も同時に車内に乗り込む。彼はモロッコから来た学生イスマイルさんで、私と同じくメテオラ観光へ行くそうだ。(大学の薬学部在学だと言っていた。欧州を旅できると言うことは、かなりの資産家の家なんだろう)
アテネから乗ってきた列車が出発したすぐ後に、乗り換えたカランバカ行きローカル列車がのんびりと出発。山岳地帯に囲まれた平原を、緩やかにカーブした線路を走る列車。見渡す限りの枯草色の農場に強烈に太陽が照り付けている。2両編成の車内にほとんど乗客は居らず、誰も乗り降りしない幾つかの小さな町の駅に停車して、終着駅カランバカには13時30分に到着。私と、モロッコ人と、何人かの乗客、それに日本人と思われる女性2人が寂れた駅に降り立つ。
Kalabaka / Καλαμπάκα - Greece (カランバカ - ギリシャ)
カランバカに降り立ったバックパッカーは合計4人。とりあえずいっしょに宿探しすることとする。女性2人はスイス在住の日本人(マヨさんとカヨさん)で、バカンスでギリシャに来たそうだ。ほとんど人通りが無い町の中を北へ向かう。途中に1軒ペンションがあったが、1泊30ユーロなのでパス。メインストリートのトリカロン通りを越えて坂道を登っていく。“ROOMS”と看板の出ている建物がある。1階には閉店しているように見えるバーがあり、そこに入り1泊幾らか聞いてみる。ツインの部屋で1泊20ユーロ。2人ずつでシェアすることとする。彼らは2泊泊まる予定らしいが、私はブルガリアへ急ぎたい気もするので、とりあえず1泊という心積もりでこの町に滞在する。
部屋に荷物を置いて、4人で少し遅めの昼食を食べに行く。町の中心のリガ・フェレオウ広場のタベルナでムサカとミネラル水で昼食(5.30ユーロ, 683円)。町の中心と言っても、ほとんど車も通らないし、なかなかのどかなところだ。食後、メテオラに向かうこととする。旅行ガイドブックLonely Planetでメテオラ方面行きのバスが出ていると書かれている、ディマルヒオウ広場のバス停へ。今の時刻は15時10分。最終バスは13時30分に出てしまっているが、タクシーが2台ほど停まっているのを見つける。運転手に聞くと、大メテオロン修道院まで5ユーロ(649円)だという。明日は大メテオロン修道院の休館日なので、ぜひ今日見ておくべきだそうだ。タクシーに乗り、カストラキの町を通って坂道を10分ほど登ると、大メテオロン修道院の駐車場に到着。
Kalabaka / Καλαμπάκα(15:15発)→ Holy Monastery of Great Meteoron(15:25着)Taxi 運賃 5.0ユーロ(649円)
Meteora / Μετέωρα - Greece (メテオラ - ギリシャ)
秘境の教会を想像していたが、なんとそこは観光バスが余裕で入って来れる整備された道路と広大な駐車場を備えた“観光地”だった。俗世間と隔絶されたどころか、缶ジュースやスナック菓子を売る観光売店まで作られている。ちょっとがっくり…。修道院は独立した岩山の上にあるので、駐車場から短い石橋を渡って、磐にくり抜かれた階段を登る。狭い通路は団体観光客でいっぱいだ。中には日本人と思われる団体客も居る。入場料2.0ユーロ(258円)払って中に入る。
かなりの数の観光客が歩いているので、自由に中を歩き回ると言うわけにもいかない。団体客の居なくなったスキを見計らって要領よく見学する。ワインセラーがあり、現在では観光客への見世物としてプラスチックの葡萄が樽に放り込まれている。100人以上が座れそうな巨大な食堂は修道院の礼拝室より遥かに大きいように感じる。修行僧であっても食事は重要だったのだろう…
本堂の礼拝室へ。中は写真撮影禁止で、監視役の人間が立っている。日本人や他の国の団体客がガイドの説明を聞くために礼拝堂の中で渋滞を起こしている。まったく、迷惑な人たちだ…。黄金色の聖人画イコンが壁面を埋め尽くし、昼間でも薄暗い空間は、この観光客の雑踏さえなければ神聖に見えるに違いない。
修道院を出て、駐車場への階段を下る。日本人の老人がゆっくりと階段を降りている。どこから来たのか聞いてみると、新潟県だそうだ。ツアーとはいえ、80歳台でこんな階段を登り降りする遺跡観光は大変だろうと聞くと、そんなことはないそうである。私も80歳でこれほどの健康が保てるだろか…
16時50分、駐車場の売店でカランバカへ降りる近道を聞く。駐車場と修道院の間の石橋から分岐している山道がそうらしい。大メテオロン修道院の岩山にへばりついたような急傾斜の山道を一気に下る。下から見上げる修道院もなかなか見事な景色だ。約20分で先程タクシーで登ってきた自動車道路に出る。岩山にへばりついて登っているロック・クライマーが見える。15世紀頃、修道院を最初に建設した先人も、あんなふうに登って行ったのだろうか。17時30分、カストラキ村のはずれにたどり着く。村からカランバカ行きバスが出ているそうだが、それほど距離があるようにも思えず、夕方で涼しくなったので歩いて戻ることとする。17時50分、カランバカのペンションに帰着。
日も暮れて、あたりは真っ暗になる。メテオラの岩山はライトアップなどがされていないので、そこに岩山があるかどうかも分からないくらい漆黒だ。深夜、岩山から吹き降ろす強風で、ペンションのベランダに吊り下げておいた洗濯物が下に落ちてしまう。昼間あれほど暑かったのに、深夜は驚くほど肌寒い。
Georgios Totis Rooms, room 620ユーロ(2580円)/1泊
September 23, 2003 (Tuesday)
6時30分頃起床。1階の店にいたオーナーに私ももう一泊する旨を伝える。トリカロン通りへ。この時間帯に開いている店はほとんど無い。唯一パン屋が開いていた。ショーケースと工房のあいだに何席か机が並んでいて、地元民が座ってパンを食べている。ソーセージ・パイとコーヒーで朝食(3ユーロ, 387円)。
リガ・フェレオウ広場へ。メテオラ周辺の地図が掲示板に貼ってある。この地図を参考にして今日一日メテオラを縦走するため、デジカメで地図を撮影しておく。ほとんど人通りの無いトリカロン通りを北西に歩き、昨日タクシーを捕まえたディマルヒオウ広場へ。今日も2台のタクシーが停まっていた。大メテオロン修道院前の駐車場までタクシーで一気に上がる。
Kalabaka / Καλαμπάκα(08:35発)→ Holy Monastery of Great Meteoron(08:45着)Taxi 運賃 5.0ユーロ(649円)
大メテオロン修道院前を出発し、タクシーが来た道を逆にカランバカの方へ800mほど緩やかに下ってゆくとヴァルラーム修道院前の駐車場に出る。修道院に入るには、駐車場から岩山の表面に彫り込まれた階段をひたすら登っていくようになっている。階段は、韓国人のおばちゃんの団体と個人旅行客のヨーロッパ人が入り乱れて混雑している。
ここも入場料2ユーロ(258円)。ガイドブックには15世紀頃建てられたと書かれているが、鐘楼は最近改築されて真新しく、2つの8角形のドームを持つ聖堂も改修されてそれほど古くは見えない。下界から物を持ち上げるウインチを収めた部屋がある。昔は人力だったのだろうが、今は電動式。すぐ下の壁面にコンクリートを流し込んで補強する工事が行われているのが見える。新しそうな外観と違って、聖堂内部は結構古そうな聖人画のフレスコが壁や天井を覆っている。ギリシャ正教なのに、イコンではなくフレスコ画だ。
聖堂内部はフレスコ画だが、土産物屋にはイコンが大量に売られている。売るなら、やはりフレスコ画風の絵画だろう…。土産物屋横の無料トイレを借用して、修道院を後にする。
ヴァルラーム修道院から、次に向かうルサヌ修道院へは直線距離で400m。ただし間には深い谷間がある。道は、谷底を避けるように山の中腹を大きく迂回して作られている。この距離がなんと1.5km。谷を回りこんだところで振り返ると、大メテオロン修道院とヴァルラーム修道院が仲良く並んで見える。ここから見ると単に崖沿いに建っている修道院にしか見えない。見る角度によって印象が全く違う。ガイドブックや写真集の写真はうまい角度で撮影してますね…。
山道が崖にせり出して向こう側に回りこもうというあたりに、“ルサヌ修道院”と書かれた小さな看板が建っている。そこから、うっそうと茂った木々の間の山道を下っていく。紫色の花が所々に咲いている。数分でルサヌ修道院の岩山にたどり着く。カランバカへ向かう道沿いの駐車場から登ってくる急な階段が合流し、さらに数十段の階段が修道院に向かって続いている。階段の向こうに、青空を背景に黄金に光り輝く十字架。10時25分、アギアス・ヴァルバラス・ルサヌ修道院に到着。
ここに入場したのは私とカヨさん。入場料はここも2ユーロ(258円)。こぢんまりした修道院で、他の修道院のように中庭などは無いようだ。修道女が入り口の前の小さなポーチの植木に水をやっている。ここは女子修道院だ。下には観光バスが何台か停まっていたはずだが、ここまで登山するのがめんどくさいのか、修道院内にほとんど人影が無い。小さな礼拝堂を見学し、通路に昔のメテオラのイラスト地図が飾られている。デフォルメされた地図では、大メテオロン修道院がひときわ高い位置に大きく描かれている。沢山ある修道院でも、やはり「格」というか「中心となる」ものがあるのだろう。
山道を通って再び道路まで戻り、さらに先にある聖トリアダ修道院方面を目指す。
11時、Psaropetraと呼ばれる展望岩のところに着く。道路が膨らんでいて、何台かの自動車が停まっている。断崖にせり出した岩の先端まで行く。180度以上のパノラマで、主だった修道院が一望できる。カランバカの町は正面にでんと鎮座している標高600m程の岩山数個に阻まれて見えない。その独立した岩山の頂きに、小さな十字架が建っているのが見える。ガイドブックには“そこに修道院がある”とは書かれていないが、あったとしてもロッククライミングでもしない限り、たどり着けないのだろう…。
道路をさらに歩いていく。全てが南に面した崖沿いの道なので、強烈な太陽を遮る物が無い。これが真夏なら地獄の行軍だ… さすがに初秋だけあって、沿道の木々も所々で黄色く色づき始めている。何台か観光バスに追い抜かれるが、この道を歩いている旅行者は数人見たくらいだ。団体か自家用車の旅行客しか来ないのかな…。
道路が分岐している。「Vlahava 7.5km」と「Vlahava 7km」の標識が道路の両側に仲良く並んでいる。どっちが正しいんだろう…。しばらく歩くと、道路の向こうに聖トリアダ修道院が湧き上がってくるように視界に入る。だらだらと登って行く坂道を15分くらい歩いて行き、聖トリアダ修道院の前を通過する。この修道院はカランバカへ下る山道の分岐点なので、最後に訪れることとする。さらに10分ほど歩くと、大メテオロン修道院から最も遠い位置にある聖ステファノス修道院に着く。11時45分。道路には10台を越える観光バスが路上駐車し、自動車もそこらじゅうに駐車している。団体客や自家用車で来た観光客で大混雑している修道院に入る。ここも入場料2ユーロ(258円)。4人の中で、私だけが入場する。
16世紀に建てられ、第二次大戦で破壊された後に改築された新しい修道院だ。今日だけで3箇所目の修道院なので、内部は他のところとほとんど同じかな…。 専門家ならいろいろと違いが分かるのかもしれないけど。しかしながら、この修道院は混雑しすぎだ。荘厳な雰囲気と言うのがあまり感じられなかった。修道院を出て、駐車場にある移動売店でミネラル水を買う(0.50ユーロ, 64円)。観光地なのに、そんなに高い値段じゃない。結構良心的だ。
こんどは道路を大メテオロン修道院の方向へ戻る。12時20分、聖トリアダ修道院への分岐点に到着。観光写真などでよく使われている「鉄の箱の手動式ロープウエー」が道路脇にある。「これは観光用ではない」と注意書きがあるので、今でも荷物運搬などで使われている現役施設なのだろうか。坂道を少し下り、修道院の岩山に取り付く。岩の側面を穿って、半分トンネルになったような急な階段を上る。上からドイツ人の老人団体が降りてきたので、狭い階段ですれ違う。
入場料2ユーロ(258円)を払い、中へ入る。険しい階段を登る修道院は団体観光客向けではないのか、結構空いている。のんびりと内部を見学する。中庭に出ると、直接岩山の頂上に鐘が据えつけられている。その向こう側は絶壁になっていて、真下にオレンジ色の屋根が並んだカランバカの町が一望できる。町の向こう側にはピネイオス川の乾いた河床が白く蛇行している。
12時55分、修道院を後にする。自動車道と岩山をつなぐ土盛りの一番低くなったあたりに、“← KALAMBAKA”と書かれたぼろぼろの標識がぶら下がっている。山道というより獣道程度の道が分岐している。下からバックパックを背負ったスキンヘッドの若者が登ってくる。「この上がホーリー・トリニティ教会? 今日は開いている?」と聞いてくる。「いやあ、ここから先にものすごい狭い階段を何十段も上ると修道院があるよ。ただし、ロンプラには12時30分~3時は閉館と書かれてるけど…」。その若者(英語の発音からアメリカ人か?)は、修道院に泊まるつもりで来ているようだ。修道院に泊まれるんだ…。
Kalabaka / Καλαμπάκα - Greece (カランバカ - ギリシャ)
一気に山道を下り、カランバカの町の外れに到着。13時30分。町外れにはオリーブ畑が広がっている。町の北東端にさしかかる。1軒のペンション兼タベルナKoka Roka Tavernaがある。昼食に入る。ポーク・スブラギ、トマト サラダ、水で5.75ユーロ(741円)。かなりの量が出てくる。このペンションに泊まっているというフランスのポワチエから来たカップルも隣の席に来て昼食を食べ、私達4人も含めてフランスの話で盛り上がる。地元の人らしきおっちゃんなどもコーヒーを飲みに来たりしている。どうもこの付近で唯一の飲食店なのだろう…。足元には猫が何匹もじゃれ付いてくる。店の主人に、ネットカフェはやってないのかと聞くと、古いパソコンでいいならと店の奥のパソコンに案内される。Windows95だが、日本語のインストールもできるので十分である。(利用後に日本語設定を消すように言われたが…) 私とカヨさん、マヨさんの3人が利用する。2時間で6ユーロ(774円)。半日歩き回った疲れや、旅人同士の会話などが盛り上がり、いつのまにか3時間ほど経っていた。
16時30分、坂道を下ったところにある聖母マリア昇天教会へ。カランバカの町の唯一の観光ポイントだとガイドブックには書かれているが、誰も客が来ている雰囲気が無い。開いているかどうか分からないが、門をくぐり中へ。野良犬が間合いを取ってこちらを眺めている。小さな木の扉を押し開いて、真っ暗な内部に足を踏み入れる。照明すら点いていない。もしかして非公開かも… と思った瞬間、入り口の横に座っていたお婆さんが、「1.50ユーロ。英語がいいか、ドイツ語か?」と聞いてくる。入場料を払い、英語の解説用紙(出るとき返す)を借りる。お婆さん曰く「ちょっと待っておくれ… いま灯りを点けて来るから」と。12世紀~17世紀のフレスコ画の壁面に平然と照明の電線や分電盤が釘で打ち付けられている。恐るべし、ギリシャ人。1000年程度は大したこと無く、2000年を越えて初めて歴史だというような感覚なのだろうか。メテオラの手入れの行き届いた観光地化された修道院とはまた違う、ある意味では素朴な聖堂だ。床面はぼろぼろだが、所々にモザイクが残っている。この教会は現在も普通に使われているらしい。7世紀頃に立てられた聖堂が、現在も現役で日曜礼拝に使われているというのは結構すごいことだと思う。
聖堂を出て、坂を下っていく。聖堂からくっついてきた犬は、次の曲がり角のところで後ろに離れていく。前に別の野良犬が待っている。縄張りの国境を通過したのだろう。この辺の野良犬はヒマなのか、結構人間の相手をしてくれる。(ギリシャの大きな町の野良犬は、人間様を完全に無視してるから…) 「この教会は新しい教会です。古い聖堂は ← にあります。」と書いた看板の出ている、新しい聖堂の前を通りかかる。聖母マリア昇天教会を探して、新しい巨大聖堂をそれだと思い込んで見ていく人も多いのだろう。新しい聖堂のすぐ裏手が私たちの泊まっているペンションだった。道に迷ったと思ったが、案外すんなり帰ることが出来た。
国鉄駅へ行く。ちょうど17時40分の列車が発車するところで、切符売り場に人が居た。明日の朝9時05分の列車に乗り、テッサロニキまで行く切符を売ってほしいと注文するが、頑として売ってくれない。11時09分発の切符しか売らないと言い張る。埒があかないので、明日列車に押しかけてみることとする。モロッコ人のイスマイル氏は11時09分の列車でのんびりとテッサロニキを目指すそうだ。日本人のカヨさんとマヨさんは、バス案内所で明日のデルフィ行きバスの乗り継ぎ情報を聞いてきていた。8時頃のバスにのり、トリカラとラミアで乗り換えて13時ごろにデルフィに着き、遺跡を観光して当日中にアテネまで抜けると言う予定を立てていた。(その後のメールで、予定のバスが来なくて15時頃にデルフィに着いたと聞いた)
町の中心部をしばらく散歩して、ディマルヒオウ広場近くのレストランでギロ・ピタで夕食(1.8ユーロ, 232円)。トルコ方面から流れてきた激貧パッカーの日本人大学生氏が通りかかり、彼も一緒に食事する。激貧氏は今日はこの広場の近くで野宿して、明日カヨさんたちと一緒にデルフィに行く話がまとまっていた。
Georgios Totis Rooms, room 620ユーロ(2580円)/1泊
September 24, 2003 (Wednesday)
昨晩も強風が吹いていた。7時起床。外はまだ寒い。カヨさん、マヨさんは既に出発したようだ。7時30分、昨日のパン屋で朝食(ソーセージ・パンとネスカフェ 2.50ユーロ, 322円)。銀行のATMで200ユーロ出金し、ホテルに戻る。モロッコ人のイスマイル氏がちょうど起きたところだった。彼から20ユーロもらい、私の分の20ユーロを足して1階に居たオーナーに払う。パスポートを返してもらいチェックアウト。イスマイル氏は10時ごろまで部屋を使うらしい。
9時少し前、国鉄駅へ。再び窓口で切符を売れ・売らないの押し問答。どうにか押し切って切符をゲット。ギリシャ国鉄では新鋭列車の部類に入るインターシティの冷房車に乗り込む。アテネからカランバカに来たときに乗った“非冷房・オンボロ”の列車とはすごい違いだ。9時05分、出発。ほとんど客は乗っていない。
トリカラ、カルディッツア… と停車するごとに乗客が乗ってきて、車内は満員となる。9時55分、平原の真中に建っているパレオファルサロス駅に到着。下車。他に降りる客は居ない。
Kalabaka / Καλαμπάκα(09:05発)→ Palaiofarsalos / Παλαιοφάρσαλος(09:55着)Train, IC47 運賃 テッサロニキまでの通しで 15.9ユーロ(2051円)
Farsala / Φάρσαλα - Greece (ファルサラ - ギリシャ)
列車が出発し、駅には私一人が取り残される。地下道を通ってがらんどうの真新しい駅舎へ。切符売り場が開いているが、客は一人も居ない。荷物を背負ったまま駅から外へ出る。枯草だらけの小麦畑がどこまでも続いている。道が1本、テッサロニキ方向に続いている。そちらの方向にしばらく歩くと、道沿いに何軒か家が建っている。5分ほど歩くと東西に延びる道との交差点に出る。東のファルサロス村方向ははるか向こうまで畑が見えるだけだ。西方向はガソリンスタンドと、建物が何軒かあるスタウロス村。Kaoilと看板の出たガソリンスタンドが売店兼バーになっている。近所の農家のおっさんや、トラックの運転手のおっさんがマターリと溜まっている。中へ入り、ミネラルウォータを飲みながらテレビを眺める。1時間ほど時間を潰し、再び駅に戻る。この辺りには他に時間を潰せるような店など全く見当たらない。
紀元前48年、この地でカエサルとポンペイウスが率いる軍が激突したファルサルスの戦いが起きたそうだが、見渡す限り続く小麦畑のどこかに戦跡が今でも残っているのだろうか…。
駅に戻り、構内の待合室にたった一人座って時間を潰す。駅舎には切符売り場以外にも売店やカフェなるはずだったスペースはあるが、客が全く居ない駅なので単なる空室状態で放置されている。
Palaiofarsalos / Παλαιοφάρσαλος(11:45発)→ Thessaloniki / Θεσσαλονίκη(13:40着)Train, IC70 運賃 カランバカからの通しで 15.9ユーロ(2051円)
定刻より15分ほど遅れて11時45分にアテネからの列車がやってくる。行き先を示すサボがどこにも見当たらないので、デッキに居た乗客に“テッサロニキに行くか?”確認してから先頭車両に乗り込む。車内はほぼ満員。指定された1号車28番の席に着く。隣はギリシア正教の神父が難しそうな本を読んでいる。(ギリシア語で書いてあるだけで、難しそうに見える…)
ラリッサ駅に停まり、山岳地帯を抜けるとエーゲ海沿いに走り出す。時折、いかにも夏のリゾート地という雰囲気の海岸が過ぎ去ってゆく。左手の車窓にはオリンポス山の山腹が見える。この山はギリシャ最高峰の標高2917mの山で、オリュンポス十二神が住むと伝えられている神聖な山だ。13時40分、テッサロニキ駅に到着。人口32万人で、ギリシャ第二の都市だ。
Thessaloniki / Θεσσαλονίκη - Greece (テッサロニキ - ギリシャ)
車内の乗客の半分近くがこの駅で下車し、列車は終点のアレクサンドルーポリに向けて出発してゆく。プラットホームから駅舎へ続く階段へ向かおうとすると、日本語の司法試験受験の分厚い本を携えたバックパッカーが居る。アジアを横断して、ギリシアを抜けてブルガリアへ行くという日本人大学生の黒田氏。アテネから同じ列車に乗ってきたそうだ。今日の夜行でブルガリアへ向かうというのも、私と同じ行動パターンだ。それならと、テッサロニキ市内観光にいっしょに行くこととする。
まずは切符売り場へ。ブルガリアのブラゴエフグラードまでの寝台車の券を予約する。西欧のような簡易寝台車(クシェット)は存在しないらしく、一番安い2等寝台車の席を購入。運賃込みで20.60ユーロ(2657円)。寝台車なのにべらぼうに安い金額だ。切符売り場のさらに奥の、薄暗いところにある荷物預かり所へ。ブラゴエフグラッド行きの切符を見せて、この時間まで預かってほしいと主張し、荷物を預ける。
Thessaloniki Station(13:55発)→ Archaeological Museum(14:10着)Taxi 運賃 4.0ユーロ(516円)
駅前からタクシーに乗り、3kmほど離れた考古学博物館へ。タクシーは10階程度のビルが建ち並ぶエグナティア通りを、渋滞に巻き込まれてのろのろ走る。田舎町と思っていたが、沿道にあふれる歩行者の数はアテネ以上だった。14時10分、考古学博物館前に到着。運賃 4ユーロ(516円)。この博物館は閉館が15時なのだが、その1時間ほど前に入場することが出来た。テッサロニキという都市名は、アレクサンドロス大王の異母妹テッサロニカに因んで名付けられた名前だ。古代ギリシアやローマ帝国時代はイタリアからビュザンティオン(後のコンスタンティノープル)を結ぶエグナティア街道の要衝として栄えた街だ。ただ、博物館の展示内容は、ローマ時代の住宅から引き剥がしてきたモザイクや建物のアーチなど地味なものが多いという印象だ。館内に観光客はほとんど居らず、博物館の職員ばかりが目立っていた。
博物館を出て、炎天下の中を鉄道駅の方へ戻りながら主要な観光スポットを観て歩く。テッサロニキ大学のキャンパスを抜けるとガレリウスの凱旋門が見えてきた。303年にローマ帝国副帝ガレリウスがササン朝ペルシアに勝利した記念して建てられそうで、私が今まで見た”凱旋門”の中では一番古い。(2番目に古いのはローマのコンスタンティノ凱旋門。312年。同じような年代…) エグナティア通り側は道路を造る為に壊されているので、今残っているのが門の西側3/8の部分だけなので、当時はもっと立派な門だったのだろう。
凱旋門からまっすぐ海のほうへ下っていった所にあるイタリアレストランに入る。スパゲティーなど適当に何品か注文して、6ユーロ(774円)。チーズを振りかけてオーブンで焼いた物だったので、かなりくどかった。通り沿いの席で食べていると、カランバカで同じ部屋に泊まったモロッコ人のイスマイル氏が通りかかる(世界は狭いね…)。 テッサロニキのドミに1泊して、明日はアレクサンドロポリス方面へ出発するそうだ。
夕方近くになり、日が傾いてきた。といってもまだ強烈な日差しだ…。海沿いのホワイト・タワーへ。内部はビザンティン博物館らしいが、工事中で閉館。入場料は取らないようなので、塔の頂上に登ってみる。目が回りそうな螺旋階段をひたすら登る。塔の高さと、近隣のビルの高さがほとんど同じなので、すばらしい見晴らしとは言えない。
再びガレリウス凱旋門まで戻り、さらに山手の方向へ。沿道にはガレリウス宮殿跡やローマ帝国時代の住宅跡遺跡などが点々と連なっている。目の前に円柱のロトンダが現れる。当初は皇帝ガレリウスの霊廟として使われる予定だったが、そうではなく1200年近くにわたって教会として使われていたそうだ。オスマン帝国の統治下になった後には、もちろんモスクに転用されたそうだ。直径24m、高さ30mのずんぐりむっくりの円柱の建物は、壁の厚さが6mと軍事用の砦のような建築物だ。
中に入る。がらんどうの内部は、補修用の足場で覆われている。円形の屋根の中央付近だけ漆喰が引き剥がされて、ビザンチン時代のキリスト教のフレスコ画が見えるようになっている。
さらに山手の方へ歩いて行くと、トルコ建国の父“アタチュルクの生家”がある。街路樹を剪定したゴミが、アタチュルクの家に隣接した領事館の前に山積みにされている。いくら両国の国民感情が悪いとはいえ、領事館の前にゴミを積み上げるとは…。旅行ガイドブックLonelty Planetには展示館は18時まで開館していると書いてあるが、既に閉まっている(17時30分現在)。
トルコ領事館前の大通りを駅の方に向かって歩いてゆくと、7世紀頃建てられた聖ディミトリオス聖堂がある。西欧でごく見慣れた教会の形だ…。東方正教会の教会は、巨大な円形ドームを中心とするギリシャ十字式や集中式のものが多く、西欧のようなバジリカ式のものは珍しい。20世紀初めの火災後、かなりの部分が改築されているが、内部のコリント式の柱頭を載せた黒ずんだ柱などが建築当時のものだと言われている。
教会から少し海のほうへ下ったところに、木々に囲まれたディカストリオン広場がある。広場の一部分が発掘され、ローマン・アゴラとして公開されている。この街はどこを掘っても遺跡が出るんだろうね…。さらに海側に少し下った交差点に、いかにもトルコ風呂という感じの建物ベイ・ハマムがある。扉が開いているので中に入ってみる。内部はトルコでよく見かけるハマム。いつ頃まで使われてたのだろうか…
ディカストリオン広場から海まで一直線に続いている、お洒落な歩行者天国アリストテロウス通りのカフェで休憩。アイス・ネスカフェが3ユーロ(387円)だが、街で一番お洒落な場所なのに値段はごく普通だ。太陽が沈み、だんだんと薄暗くなってくる。オレンジ色のナトリウム灯に照らされた街を駅の方向へのんびり歩き、フェリー・ターミナル北側のTa Ladadika地区へ。近年再開発されて、レストランやバーなどが建ち並ぶ繁華街になったそうだ。くねくねと曲がった道沿いにレストランが軒を連ねている。その中の1軒のシーフード・レストランに入る。とりあえずウゾ(ウォッカのような感じの地酒)を飲み、シーフード・サラダ等を注文する。食べ始めたころ、近くの建物で“バシッ”と音がしたと思うと、周辺の店の電灯が一斉に消える。1分くらいの間に何段階かに渡って、電灯が消えてゆき、辺りは真っ暗に…。店員がロウソクを持ってきたが、薄暗い中で食事するのは結構つらいものがある。でも、割引は無かった。こんな物なのかねぇ~、ギリシアのサービスレベルって。食事料金、8ユーロ(1032円)。この国の物価では高い部類なのか? よく分からない。
22時少し前、人通りの少ない道を歩いて駅へ向かう。コンコース内の荷物預け所へ。なんと閉店しているではないか。隣の窓口に、勤務時間が終わっておしゃべりしている係員が居る。事情を話して荷物預け所を開いてもらい、荷物をピックアップする。コンコースの出発案内板には、ブダペスト行き460列車の出発番線“5”が既に表示されている。プラットホームに行ってみると既に客車が停車していて、車掌が車内を点検している。22時10分頃、車掌が乗車して良いというので、非常用ランプだけが灯っている真っ暗な客車に乗り込む。私の切符の価格の安さ(たった20ユーロで寝台車)を見た黒田氏が、“俺も寝台車にしてもらう”と切符売り場に引き返していった。発車寸前でも予約できる模様で、私と同じコンパートメント(3人部屋)が割り当てられた。日本人らしき女性が座席車はどこかと聞いてきたので、隣の車両だろうと教えてあげる。ウイーン経由でミュンヘンまで行く予定だそうで、この列車に乗り一気にブダペストまで行くようだ。ブルガリアとルーマニアを素通りとはもったいない…。
プラットホームで抱き合って別れを惜しむカップル。車内に向かって手を振る人。隣の線路を装甲車を満載した平貨車がゆっくりと通り過ぎていく。間延びした時間が過ぎ去り、23時28分、定刻通りテッサロニキ液を出発し、ブルガリアを目指して走りだす。
Thessaloniki / Θεσσαλονίκη(23:28発)→ Blagoevgrad / Благоевград(05:31着)Train, D460 運賃 2等寝台車 20.6ユーロ(2657円)
私が乗り込んだ 486号車 42番の席は、2等寝台車(3人部屋)の中段だった。同じコンパートメントには日本人の黒田氏、イギリスから来た若者が乗車している。黒田氏はソフィアで乗り換えてプロブディフに行くそうだが、私がリラ僧院へ行くということで、暇つぶしに同行してくれることとなった。サンクト・ペテルブルク留学経験があり、ロシア語に堪能な黒田氏がいっしょであれば、心強い。
テッサロニキを出ると、すぐに真っ暗な中を列車は軽快に走り出す。通路側の窓を開けて、外の空気に触れる。冷たい風が吹き抜けていく。まだまだ夏だと思っていたら、いつのまにか寒い秋の空気になっている。