モロッコとスペインの旅 : , アムステルダム, バールレ・ナッサウ, マドリード
※ 未編集の旅行記です
December 17, 2005 (Saturday)
Amsterdam - Netherlands (アムステルダム - オランダ)
フォンデル公園のユースホステルに宿泊している。ドミトリーの下のベッドの兄ちゃんが騒々しく深夜に帰還して、ベッドにシーツも付けずに大いびきをかいて寝ている。ついでに、床一面にゲロを吐きやがった…。よって、私は寝不足だ。6時45分に起床し、朝食を食べに食堂へ。
外は冷たい雨が降っている。この日の最低気温は0℃, 最高気温は6℃だ。ベルギーとの国境の町、バールレ=ナッサウを訪問するのが今日の予定だ。
8時半頃、やっと夜が明けて明るくなってきたので出かけることにする。ライツェ広場まで歩き、トラムに乗ってアムステルダム中央駅へ。
Leidseplein(08:30頃発)→ Centraal(08:40頃着)Tram, Line 5, 運賃 2 strippen 0.86 ユーロ(117円)
中央駅に紙幣が使える券売機が見つからなかったので、有人窓口で0.5ユーロ(68円)の手数料を払って切符を買う。地元銀行のICキャッシュカードを持ってない余所者には不便な時代になったものだ。駅員にどの列車に乗るべきか聞いてみたところ、発音が難しい「スヘルトーヘンボス」と言う駅で乗り換えたらよいらしい。
ヘールレン行きインターシティに乗り、スヘルトーヘンボスで下車。さらにローゼンダール行きの快速列車に乗り換える。
車窓の景色は、冬独特のしとしと降る雨から、雲の間から太陽光が差し込む天気まで、めまぐるしく変わる。北海の方には、背の高い積乱雲のような背の高い雲が並んでいるのも時折見える。
Amsterdam Centraal(08:58発)→ 's-Hertogenbosch(10:00着, 10:19発)→ Tilburg(10:35着)Train, 運賃 13.3 ユーロ(1,809円)
Tilburg - Netherlands (ティルブルフ - オランダ)
バールレ・ナッサウに向かうバスは1時間に1本。列車が10分遅れたため、1時間に1本走っているバスに5分差で乗り遅れた。次のバスに乗るまでの約1時間、ティルブルフ旧市街を観て回る。
ティルブルフは人口21万人の街で、大学もある。中世後期から20世紀中頃までは牧羊と毛織物産業が盛んな農業地域として。現在はロッテルダムに近い物流が便利な地域として、工業製品の組立工場などが主な産業らしい。つまり、特に歴史的に興味ある観光地ということでもなさそうだ。
駅を出て南へ。Stationsstraat(駅前通り)、Nieuwlandstraat(新しい土地通り)という歴史を感じさせない名前が付けられた通りを600mほど歩くと、Oude Markt(旧マルクト広場)にやってくる。20世紀初頭風の建物が並んでいて、この一角だけはオランダの旧市街の景色だ。ゴシック風の塔があり、一部に中世の遺構が残るHeikese Kerkが広場に面して建っている。
北に見えていた積乱雲が接近し吹雪になり、道路に降り積もり始める。横なぐりの雪が降る中でも、旧市街を歩いてショッピングする人が何人も居るのには驚く。寒くないのだろうか…。
ティルブルフ駅に戻り、駅前からブレダ行きのバスに乗る。先程まで吹き降りだった雪はやんで、雲の間から太陽光が時折差し込んでくる。乗客は数人。GPS地図を確認しつつ、町の中心に近いバス停で降りる。
Tilburg, Centraal Station(11:30発)→Baarle-Nassau, St. Janstraat(12:05着)
Bus, Line 132, 運賃 7 strippen 3.03 ユーロ(413円)
Baarle-Nassau - Netherlands (バールレ=ナッサウ - オランダ)
町に入る手前で車の正面衝突事故があり、バスはかなり迂回して走ってきたようだ。バールレ=ナッサウはベルギーとの国境にある町で、町の中を複雑に国境線が横断している。その理由は…
17世紀、ドイツを中心とするプロテスタント勢力が、それまで欧州を支配していたスペインを中心とするカトリック勢力に対して挑んだ三十年戦争。その結果としてヴェストファーレン条約が結ばれ、プロテスタントとカトリックの支配境界線(国境)が引かれた。現在のオランダとベルギーの国境線も基本的にはここで定められたものだ。バールレ=ナッサウ付近を領有していた領主が、たまたまオランダ側とベルギー側に別れてしまうことになった。オランダ領側はオランダ王室にも繋がるオラニエ=ナッサウ家が領主であった土地、ベルギー領側はブラバント公が領主であった土地というふうに分けたそうだ。
町の入口付近で自動車の正面衝突事故の現場に居たのはオランダの警察車両。しかし、町の中にはベルギーの警察車両も走っている。バス路線も、私が乗ってきたのはオランダ側の都市からやって来るオランダのバスだが、ベルギー側からやってくるベルギーのバスも走っている。電気やガス、水道などはどうなってるんだろうか…。オランダの観光案内所(VVV)に行き、町の地図をもらって話を聞く。
電話や電気はそれぞれの国から、ガスと水道はオランダ側の会社が供給。ということで、簡単に託送できるかどうかで線引きされているようだ。
そのVVVがあるのは町の中心で、商店などが集まっている。バス停があるが、オランダ領なのにベルギーのバスしか停車しないようだ。中世の建物や農地の区画に沿って引かれた国境線は、現代の建物や道路網などと一致しないため、妙なところに国境線がある。何軒かのテナントや住宅が入っている長屋が、建物の真ん中で両国に分かれていたりする。ひどいところでは、長屋の中の1軒の住宅が、2つの国に引き裂かれている所もある。こういう住宅ではどっちの国に「税金」を払っているのだろうか。面積が大きな方? 玄関ドアがある方? 税率が安い方に払ったほうが得なので、この町の住民ならではのテクニックはあるのだろう。
町の中をぐるぐると歩きまわって国境線を堪能し、再びバスに乗りアムステルダムに戻る。
Baarle-Nassau, St. Janstraat(13:35発)→Tilburg, Centraal Station(14:10着)
Bus, Line 132, 運賃 7 strippen 3.03 ユーロ(413円) Tilburg(14:39発)→ 's-Hertogenbosch(14:55着, 15:00発)→ Amsterdam Centraal(16:05着)
Train, 運賃 13.3 ユーロ(1,809円)
Amsterdam - Netherlands (アムステルダム - オランダ)
アムステルダムに戻り、歩いてムント塔付近にある中華バイキングに向かう。好きな料理が食べられるので、この街ではここがいちばん好きな食堂だ。7.5ユーロ(1,020円)。
ユースホステルに戻り、昨日は下のベッドの兄ちゃんのいびきが大きすぎて寝れなかったため、他の部屋に変えてもらう。
Stayokay Amsterdam VondelparkB2.15号室, 4人部屋ドミトリー 28ユーロ(3,808円)/1泊
December 18, 2005 (Sunday)
受付のお姉さんが部屋を替えてくれたので、昨晩はぐっすり眠ることができた。朝食後、地下のコインランドリーに行き洗濯。洗濯と乾燥で4.5ユーロ(612円)。中国人の女の子がやって来て、コインランドリーの使い方を聞かれるので教えてあげる。彼女は重慶から留学に来ているそうで、ヨーロッパの各地を長期間旅行できるので楽しいと言っていた。留学いいね…。重慶はどんな街って聞いてみたら、上海ほどきれいじゃないと控えめだ。内陸都市の発展はこれからだから、そのうちきらびやかな摩天楼になるんじゃないだろうか。
観光客が少ない真冬のユースホステルは、出張のリーマン、出稼ぎ労働者などが多く泊まっている。だから、食堂は朝早くから賑わい、ここから出勤していく人も多い。
洗濯に1時間20分程かかり、それから観光に出かける。ユースホステルの受付で割引券をもらい、ライツェ広場の貸し自転車屋Mac Bikeに行く。借りられる自転車は2種類で、競輪の自転車のようなフットブレーキのものか、日本のママチャリなどと同じハンドブレーキのものだ。ハンドブレーキのものを1日借りて、値段は19.15ユーロ(2,604円)。
若干雪が残り、少しだけ凍りかけた運河沿いの道を、まずは中央駅目指して走る。ライツェ広場から中央駅まで歩いて行けば30分ほど掛かる距離だが、自転車なら10分ほどだ。先程まで雪がちらついていた天気も、いつの間にか青空になっている。真冬で寒く、道も所々凍っているのだが、家族でサイクリングする人を見かける。さすがオランダだ。
中央駅の向こう、海洋博物館の前まで行き引き返す。今日自転車で向かう目的地は、郊外にあるアムステルダムセ・ボス公園だ。中央駅からの距離は約10kmだ。
元来た道を戻り、ライツェ広場、仮設のスケートリンクがある国立博物館前の公園、フォンデル公園を横断し、そのままアムステルダムの西端付近まで走る。
レリラーン駅の高架下を横切ると、高層ビルが建ち並ぶ新市街。運河や道によって整然と区画整理された土地に、同じ形のマンションやオフィスビルが並ぶさまは、まさに計画都市だ。
そこから南へ向かうと、アムステルダムとスキポール空港の間を結ぶ高速道路があり、その向こうにはニーウェ湖がある。湖の上はスキポール空港に着陸する飛行機が低空でアプローチしてくる航路になっている。湖畔は貸し農園兼別荘地になっていて、細かく区画された貸し農園の土地に、掘っ立て小屋程度の建物が付属している。旧ソ連圏の大都市郊外で見られる、週末用の別荘みたいなものだろうか。
湖沿いの自転車専用道を東へ行くと、アムステルダム南駅に隣接する自由大学附属病院の幾何学的な建物がある。そこから南へ少し行くとアムステルダムセ・ボス公園だ。
真冬で雪がちらつく氷点下の日に、片道10kmのサイクリングはエキサイティングだった。帰りは、GPS地図を見て最短距離でライツェ広場まで戻り自転車を返却する。
夕食は今回もムント塔近くの中華バイキング。アムステルダムでの食事は、完全にワンパターンになっている。あまりに毎日食べに行くものだから、店主のおばさんに「留学で来たのか?」との質問を受けてしまう。
Stayokay Amsterdam VondelparkB2.15号室, 4人部屋ドミトリー 28ユーロ(3,808円)/1泊
December 19, 2005 (Monday)
5時20分起床。ドミトリーの下のベッドで寝ていたおっちゃんも、ほぼ同じ時間に起きてきた。彼はニース在住のオランダ人で、今度オーストラリアに行くので労働ビザを取るためにアムステルダムに来たそうだ。
これから乗る予定のKLMの飛行機のチェックインを、電話ですることができた。電話をかけると英語を話すオペレーターが出るので、便名と名前、パスポート番号などを伝えるだけだ。
ユースホステルをチェックアウトし、ライツェ広場のバス停へ。バスはほぼ時刻表通りの時間にやって来た。私の他に3人がこのバス停から乗り込んだ。
Leidseplein(06:25発)→Schiphol Plaza NS(06:50着)
Bus, Line 370, 運賃 5 strippen 2.17 ユーロ(295円)
電話でチェックイン済みなので、荷物預け専用のカウンターに並ぶ。なぜか、こっちのほうが大行列だ。事前チェックインしても、しなくても大行列なら、めんどくさい電話チェックインに何の意味があるのだろう。
マドリードに向かう飛行機は、少し席に余裕がある状態だった。フランスあたりまでは曇り空だが、そこから南へ地中海沿岸に抜けると快晴。ピレネー山脈を越えると、真っ赤な酸化鉄の土壌「テラロッサ」が一面に広がるスペイン。国境を越えると、民族だけでなく土壌まで違うのはわかりやすい。ほぼ定刻通りマドリード=バラハス空港に到着。
Amsterdam Airport Schiphol(09:15発)→ Madrid-Barajas(11:50着)KL 1701, 日本−欧州 往復運賃+諸税 115,350円
Madrid - Spain (マドリード - スペイン)
以前この街に来た時には、空港と街はバスしか選択肢がなかった。いまは、空港に地下鉄が通っている。便利になったものだ。空港内の観光案内所で、ユーロラインズ・バスの窓口がある場所を聞き、地下鉄に乗りメンデス・アルバロ駅に向かう。
Aeropuerto T1-T2-T3(12:15頃発)→ Nuevos Ministerios → Méndez Álvaro(13:00頃着)Metro, Line 8 → 6, 回数券10枚 運賃 0.58ユーロ(79円)
メンデス・アルバロ駅は国鉄の近郊列車や地下鉄のほか、マドリード南バスターミナルが一体化した大きな駅だ。バスターミナルに行き、ユーロラインズの切符売り場へ。モロッコのメクネスからマドリードに戻る「復路」の切符を買う(85ユーロ, 11,560円)。今夜、ジブラルタル海峡に面するアルヘシラスに向かう「往路」の鉄道切符は、日本で購入済みだ。
次に、今夜乗る列車が出発するチャマルティン駅へ下見に出かける。マドリード市街地の南端付近から、北端付近への大移動だが、近郊列車Cercaníasが直通しているので便利だ。
Méndez Álvaro(13:35頃発)→ Chamartín(14:00頃着)Train, Cercanías, 運賃 1.05ユーロ(142円)
近郊列車は、メンデス・アルバロ駅を出てすぐに2004年の列車爆破テロがあった現場を通過する。それからまだ1年しか経っていないが、どこでテロに巻き込まれるかわからない覚悟は必要だ。
チャマルティン駅に到着。切符売り場で、1週間後にマドリードからコルドバに行くための切符を購入。高速鉄道での往復なのに、往復2割引きでの値段はたったの72ユーロ(9,792円)。駅構内の荷物預け所に荷物を預け(2.4ユーロ, 326円)、半日観光に出かける。
駅を出て南西に少し歩くと、カスティーリャ広場だ。ここには傾いたガラス張りの高層ビル「Puerta de Europa」が建っている。高層ビルが建ち並ぶ「現代のマドリード」を代表するランドマークだそうだが、中で働いている人は傾いたガラス窓をずっと見てると気持ち悪くならないのかな…
さて、これからチャマルティン駅の観光案内所で薦められた半日観光スポットに出かける。市内中心部の西端にある王宮とアルムデナ大聖堂だ。
これらの建物は、後ウマイヤ朝時代の9世紀頃に造られた砦アルカザルの跡地に、18世紀になってから建てられたものだ。
Plaza de Castilla(15:00頃発)→ Príncipe Pío(15:15着)Metro, Line 10, 回数券10枚 運賃 0.58ユーロ(79円)
カスティーリャ広場駅から地下鉄に乗り、王宮のある丘の麓、プリンシペ・ピオ駅で下車。まず、駅から見て王宮のある丘とは反対側、西公園(Parque del Oeste)に向かう。この公園は20世紀に造られたものだが、その中にエジプトのアスワンから移設されたデボー神殿がある。アスワン・ダムの建設で水没するアブ・シンベル神殿を救う工事をスペインが援助するのと引き換えに、同じくダムに水没するこの神殿を譲り受けたそうだ。時代背景を考えれば、譲り受けたんじゃなくて脅し取ったんだろう…
王宮に向かう道すがら、スペイン広場にも立ち寄る。広場の真ん中には作家セルバンテスの記念塔があり、その横にはドンキホーテとサンチョ・パンサの騎馬像がある。
公園に面して、スターリン様式に似た高層ビルEdificio Españaが建っている。ここは西欧なので、スターリン様式ではなくバロック・リバイバル様式と呼ばれている。
さて、いろいろ寄り道して、本命の王宮に入場する。王宮と大聖堂の間にあるアルメリア広場のフェンス越しに見る王宮は、左右対称の美しい建物だ。3418部屋ある巨大な建物は、欧州で最大の王宮建築物だそうだ。入場料は8ユーロ(1,088円)。ここは王族の居城ではなく、公式行事が行われる宮殿なので入場観光が許されるのだろう。
入場口を入ると目の前に大階段。イタリア人の建築家フランチェスコ・サバティーニが設計したと伝えられる豪華な大階段だ。階段を登りアラバルダロスの間を通り抜けると、公式行事が行われる列柱の間(Salón de Columnas)がある。2階から3階まで吹き抜けの大きな部屋だ。アルメリア広場に面した窓側には王座の間(Salón del Trono)だ。かつて世界の半分を支配したスペイン王がここに座り、謁見を求めるため世界中から来た国々の使節に威厳を示したのだろうか。磁器の間(Gabinete de Porcelana)の中央には、地球儀を背負うアトラスの置物がある。16世紀頃に中国から欧州にその製法が伝わったばかりの貴重な磁器で、壁一面が装飾されている。その真ん中に、地球を背負うアトラスとは、スペイン王の責務の重さを示したかったのだろう。王宮のアルメリア広場側と西面の一部を今回見学できた。
アルメリア広場を横切り、南側にあるアルムデーナ大聖堂を観に行く。スペインがイスラム国家時代に建てられていたモスクの跡地に、19世紀末から20世紀末にかけて建てられた大聖堂。案外新しい教会なんだ…。中に入ると、高い天井の身廊のシンプルなデザインの大聖堂だ。観光地ではないので、お客さんは誰もいない。
王宮のある丘の麓、カンポ・デル・モーロ公園を横切り、再び古代エジプトの神殿遺跡がある西公園に戻ってくる。ここからは、夕日に照らされ真っ赤に染まった王宮やアルムデーナ大聖堂がよく見える。
夕食を食べるため、マヨール広場の東にある下町へ。とある路地のレストランPozo Realで、6.5ユーロ(884円)の定食(Menú del Día)を注文。パエーリャ、魚フライ、赤ワインを選択。
食後、下町からマヨール広場にかけて散歩する。クリスマス休暇の期間だが、クリスマスの雰囲気を醸し出しているのは、クリスマス市が開かれているマヨール広場だけだ。温かいスペインでは、クリスマスはあまり盛り上がらないのだろうか…。
Príncipe Pío(21:45頃発)→ Chamartín(22:00頃着)Metro, Line 10, 回数券10枚 運賃 0.58ユーロ(79円)
地下鉄でチャマルティン駅に戻ってきた。預け入れていた荷物を回収し、コンコースの出発案内を見ていると、まもなくアルヘシラス行きの列車が18番線に入線したことが分かる。
列車に乗り込み、予約した指定ベッドを確保。4人部屋のコンパートメントには、私と、中国か韓国のカップル、スペイン人という組み合わせ。ガイジン率高いな…。列車はほぼ定刻通り出発。
寝台列車(エストレーリャ)の車両はそれほど新しくはないが、窓が開かない空調車両なので快適だ。
Chamartín(23:13発)→ Algeciras(09:30着)Train, Estrella, 運賃 8,100円(日本で予約購入)