モロッコとスペインの旅 : フェズ, メクネス, ヴォルビリス

※ 未編集の旅行記です

December 22, 2005 (Thursday)

Fès - Morocco (フェズ - モロッコ)

新市街のホテルに泊まっている。イスラム圏の中級ホテルでよくある話だが、昨夜もまた深夜まで大音響で音楽をかけて宴会か何かをしている。砂漠気候では、日が沈んでから馬鹿騒ぎする文化があるので仕方ないか…。

午前2時頃に音楽が止まり、それから熟睡。7時過ぎに起床。窓にポツポツとなにか当たる音が…。外を見ると土砂降りの雨だ。それに、かなり肌寒い。気象データではこの日の最低気温は8℃、最高気温は14℃だ。朝食に、昨日の夕方買っておいたパン(1ディルハム, 13円)を食べる。

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これから向かうフェズの旧市街は、中世のイスラム王朝時代に起源を持つ街だという。最も古い地区は、8世紀のイドリース朝時代に首都として整備されたフェズ・エル・バリ地区(Fes el-Bali)。この地区にはカラウィン・モスク内に大学が設けられるなど、学問の中心としても栄えたという。11世紀になり一時的に首都がマラケシュに移されたが、13世紀にマリーン朝が政権を取ると再び首都をフェズに戻した。この時に新たに行政の中心として開発されたのがフェズ・エル・ジェディド地区(Fès el-Jdid)。20世紀になりフランスの植民地となった後に、現在の新市街が開発されたという。

9時頃、小雨に変わったので観光に出かける。ホテルが面している歩行者天国の通りは、昨晩は沢山の人が歩いていたが、今現在は殆ど人が歩いていない。新市街のど真中を貫くハッサン2世並木通りを北東へ、500mほど行くと新市街と旧市街を区切る緑地帯に差し掛かる。大きなマクドナルドの店舗がある。

さらに1kmほど道なりに進むと、王宮前の石畳の広場がある。広場の向こうには王宮(Dar al-Makhzen)があり、緑色のモザイクタイルの壁に金色に輝く扉が並ぶ正門が見えている。80ヘクタールあるという王宮は、王族がフェズを訪問するときに滞在する現役の施設だそうだ。だから、見学はできない。

その門の脇を通り抜けて、王宮の敷地の北側に回り込むと、フェズ・エル・ジェディド(Fès el-Jdid)と呼ばれるこぢんまりした旧市街(メディナ)だ。エル・ジェディド(الجديد)とは「新しい」という意味合いだが、8世紀から存在するエル・バリ地区に比べて、13世紀に作られてこの旧市街が「新しい」というだけだ。現代人の感覚から言えば、どちらも中世に起源を持つ古い地区だ。スマリン門(Bab Semmarine)をくぐり旧市街に入ると、旧市街を南北に貫く通りGrande Rue de Fès el-Jdidが目の前にある。イスラム圏の旧市街(メディナ)は敵の侵入を防ぐために迷路のような街区のはずだが、直線道路があるとは珍しい。

一直線の通りをどんどん北へ進むと、だんだん商店街のようになり、400mほどで旧市街を通り抜けてしまう。案外小規模な旧市街だ。荒れ地の向こうの丘の上に、ごちゃごちゃと小さな建物が密集したエル・バリ地区が見えている。500mほど、車やロバが行き交う道を歩くと、エル・バリ(Fès el-Bali)地区の西側にあるマルーク門(Bab Mahrouk)のところまでやって来る。

旧市街に買い物にやって来た人やロバにもまれながらマルーク門に突入。PocketPCのGPS地図をONにして、ロンリー・プラネットの推奨観光ルートに沿って歩く。

入口付近は青果市場。イモ類やオレンジなどの果物から、見たことのないような野菜まで売られている。人混みをかき分けてしばらく歩くと、カフェや安ホテルが集まる地区になり、ブー・ジュルード門がある。青いモザイクタイルで装飾された、旧市街西側の「正門」だそうだ。この門から西へ、旧市街の中心にあるカラウィーイーン・モスク(カラウィーイーン大学)まで続くタラア・ケビーラ通り(Tala'a Kebira)に沿って歩く。

幅3m位の狭い道の両側に、八百屋、肉屋、魚屋、乾物屋、安食堂が軒を連ねている。そこをフード付きのマントを羽織ったジェダイの騎士のような人、大きな荷物を頭の上に載せた人、荷物を運ぶロバなどが行き交っている。売り物の鶏が逃げたのか、足元を走り回っている。混沌とした世界だ…。

しばらく歩くとブー・イナニア・マドラサがある。入場料は10ディルハム(127円)。「マドラサ」とはイスラム教の神学校のこと。回廊に囲まれた中庭には、遠足で訪れた地元の小学生がたくさん居る。絨毯が敷き詰められた室内の礼拝所に入ると、神学生ではなく白猫がでんと真ん中に鎮座している。14世紀に建てられ、18世紀に改築された建物だそうだ。壁一面のモザイクタイルや浮き彫りは見事で、まるで芸術作品だ。いまでは学校ではなく、観光施設なのかな…

タラア・ケビーラ通りは旧市街のど真ん中を南北に貫くフェズ側に向かって、なだらかに下っていく。沿道は、どこまで行っても商店が軒を連ね、沢山の人やロバが行き交っている。通りの始めのうちは食品関係の商店が多かったが、旧市街の奥に進むに従い日用品・雑貨や衣類のお店となる。およそ30分歩くと、タラア・ケビーラ通りの突き当たりにあるアッタリーン・マドラサ前に到着。ここの入場料も10ディルハム(127円)。先ほど見たマドラサより少し小規模だが、回廊に囲まれた中庭と礼拝所という構造は同じで、14世紀に遡る歴史があるのも同じだ。

タラア・ケビーラ通りを少し戻る。木工や金属製の日用品を扱う商店が集まっているネジャーリン広場に面して、ネジャーリン・フンドゥクがある。「フンドゥク」とは、隊商の宿と言う意味だ。17世紀に建てられたネジャーリン・フンドゥクは3階建てで、2階以上が客室だったそうだ。いまは伝統木工の博物館となっているが、この街自体が博物館的な面白さだ。入場料は20ディルハム(254円)。

8世紀まで遡る歴史があり、文教都市フェズの歴史ある大学でもあるカラウィン・モスクは、工事中で見学できないと扉に貼りだされている。見学できないとは残念だ。

そのカラウィン・モスクとフェズ川の間にあるのが、なめし皮の染色加工場。タンネリ(Chouara Tannery)というらしい。入場料は2ディルハム(25円)と激安だった。

見学は作業場を見下ろすベランダから。持ち込まれた牛、羊、山羊、ラクダの皮は、まず石灰を混合した強アルカリ性液に浸漬して、脱脂し、柔らかくします。白い液体が入った長方形の水槽が、おそらくその工程なのでしょう。次に、タンニンなめしの工程です植物の樹皮から抽出したタンニンに漬け込みます(だから、フランス語で「タンネリ」という)。赤茶色の液体が入った丸い水槽が、それっぽいです。皮が柔らかくなり、茶色に染色されます。その後、染料や顔料で染色されます。

結構臭い匂いがします。耐えられないほどではありません。日本にある最新の染色工場を見たことがありますが、次亜塩素酸ナトリウム(漂白剤)に漬けて煮る工程はもっとえげつない臭がします。それよりココのほうがマシ…

タンネリの排水は、何の処理もされずに横に流れているフェズ川に垂れ流されています。川は茶色に変色して、とんでもないことになっているように見えます。この国には、水質汚濁の基準はないのかな。

タンネリを見終えて、フェズ側を渡り旧市街の東側へ。川を暗渠にして道路を通し、旧市街のど真ん中に駐車場ができている。が、自家用車の保有率が低いのか、車は一台も停まっておらず、子どもたちがサッカーに興じているだけだ。

そろそろ夕刻になるため新市街方向へ戻ることとする。旧市街を行き交う人の流れに従い、ガイドブックに掲載されていない路地をどんどん進んでいく。GPS地図があるので、どこに行こうと迷う心配は全く無い。とある通りに、アディエル家の邸宅(Dar Adiyel)と呼ばれる17世紀の邸宅が公開されている。入場料は10ディルハム(127円)。2階建てで、回廊に囲まれた中庭がある邸宅。今朝見たマドラサと同じような雰囲気だが、個人の家と考えれば相当豪華な作りだ。この付近は旧市街の西端付近で標高が高い位置にあるため、屋上に上ると旧市街全体を一望できる。

細い路地を幾つか曲がっていった所に、別の邸宅が公開されている。Dar Ba Mohamed Cherguiと呼ばれる所で、平屋建ての回廊・中庭がある邸宅。20世紀初頭に建てられた邸宅そうだ。入場料は30ディルハム(381円)。他の3倍の価格は、ボッタクられたのか…。中庭には噴水ではなく、幾何学的な庭園にオレンジの木が植えられている。旧市街の建物は道路側から見たら殺風景な壁だが、中は豪華なモザイクタイルで装飾され、噴水あり、果樹園ありだ。

朝ここにやって来た時の道を逆に辿って、新市街に戻る。夕食は新市街のカフェで、チキンとマトン、その他の肉のミックスケバブ・サンドイッチにコカ・コーラ。15ディルハム(191円)。ちなみに、この日の昼食はエル・バリ地区のブー・ジュルード門付近にある外国人観光客を相手にしたような安レストランで食べた。チキン・タジンとハリラで35ディルハム(445円)。タジンやハリラは作り置きの物なのか冷めていて、不味かった。店主は釣り銭をごまかそうとするし、観光客向けのレストランはダメだと思った。

この日の最後は、ネットカフェで日記の投稿と情報収集。1.5時間で15ディルハム(191円)。この国のパソコンは日本語使えるし、接続速度もまあまあ出ているのでありがたいことだ。

Hotel
Hotel Lamdaghri
71号室, ツイン 155ディルハム(1,970円)/1泊

December 23, 2005 (Friday)

昨晩は大音響の音楽も流れず、ホテルで静かに寝ることが出来た。7時起床。外は晴れていて、朝焼けで雲が真っ赤に染まっている。昨日の夕方に買っておいたパンを室内で食べ、小腹を満たす。9時少し前、ホテルの近所のカフェに行きクロワッサンとミントティーで朝食。8ディルハム(102円)。

昨日は旧市街(メディナ)のエル・バリ地区をロンリープラネットの推奨観光ルートに沿って歩き、幾つかのマドラサ(神学校)と近世の裕福な邸宅跡を見て回った。今日は、推奨コースから外れて歩きまわろうと思う。もちろん、迷路のような旧市街で迷子にならないためのGPS地図は必須だ。

新市街から歩き始め、王宮(Dar al-Makhzen)前を通り、エル・ジェディド(Fès el-Jdid)地区を通り抜けてエル・バリ(Fès el-Bali)地区の西端まで30分ほど歩く。距離は3.3kmほどだ。

旧市街(メディナ)に突入し、メインストリートのタラア・ケビーラ通り(Tala'a Kebira)をどんどん歩く。今日は金曜日でイスラム教の安息日なので、沿道の商店は軒並み閉店して木戸を閉ざしている。もちろん、歩いている人も殆ど居ない。

旧市街の中心付近、昨日訪れたアッタリーン・マドラサの西隣にあるイドリス2世廟(Zaouia Moulay Idriss II)を見学する。入場料は無料だが、現役の宗教施設なので内部での写真撮影は禁止だ。イドリス2世は、8世紀末から9世紀初めにモロッコを統治したイドリス朝の君主だ。当時首都だったフェズを本格的に整備した君主だとされる。回廊に囲まれた中庭があり、礼拝所があるという建物構造は、昨日見学したマドラサなどと同じだ。礼拝所にはイドリス2世の墓があり、また、ミナレットはエル・バリ地区で一番高い建物だという。

旧市街中心付近は食品店や日用品を売る店やモスクが集まっていて、この付近のことをアッタリーン・スークと呼んでいるようだ。人通りが比較的少ないので、野良犬(飼い犬?)が道路の真ん中に鎮座していたりする。お祈りの時間には大人はモスクに行ってしまうので、街の中は子どもたちだけが遊んでいるような状態だ。11時をすぎる頃になると、安息日のお祈りを終えた参拝者が続々とモスクから出てきて、まばらに開いている商店などで買い物をしている。ガイジンの私を見て、付きまとってくるガイドが何人も居る。GPS地図が実用化されて、ガイドが必要なくなりつつあるので、失業の危機に瀕してますますしつこくなっているのだろうか。

旧市街の北側は丘になっていて、そちらに向かって段々と標高が高くなっていく。メインストリートから外れると商店は姿を消し、住宅街となる。路地に面した壁はボロボロだが、昨日見学した旧邸宅のように、内部は中庭があり回廊がある瀟洒な建物なのだろう。旧市街の北端、ギッサ門(Bab Guissa)を通り抜けて外に出ると、半ば崩れ落ちている城壁などが丘の上に向かって続いている。マリーン朝時代の墓地(Tombeaux Des Mérinides)だそうだ。丘の斜面には、いたる所に墓石や墓室の石材が飛び出している。13世紀から15世紀に生きた人たちの墓だが、参拝する人もなく土に帰ろうとしている。

そろそろ夕方になろうとする頃、新市街に向けてのんびりと歩く。エル・ジェディド地区の中を通り抜けるとき、こちらも安息日でほぼ全ての店は閉まっていて子供だけが遊んでいる状態だっだのだが、その子供が私の回りにまとわりついてきてカメラを盗もうとしてくる。大声で警告し、レンズフードに手を掛けた子供を回し蹴りにする。

しつこく付きまとう自称ガイドや、すきあらばかっぱらいをしようとする子供…。プリンス・オブ・ペルシアのゲームではないんだから、そこらじゅうから攻撃が加えられるのはやめて欲しい。ただ、身体的な危害を与えられることはなかったので、取り締まりの対象ではないのだろう。そういえば、新市街でも旧市街でも、警官の姿を見かけることは全く無かった。

この日の昼食は、エル・バリ地区のブー・ジュルード門近くのケバブ屋で、シシケバブを食べた。したの方の肉が生焼けだったのは、手抜きなのか、こんなものなのか。20ディルハム(254円)。また、旧市街でカフェに入りミントティー(6ディルハム, 76円)を飲み、たまたまやって来た靴磨きの人に靴を磨いてもらった(20ディルハム, 254円)。旧市街の埃っぽい道を2日間も歩いたので、靴がどろんこだった。プロが磨くと、輝くように綺麗になった。流石だ。

夕食は新市街のレストランでチキン・グリルとハリラ、コカコーラ(35ディルハム, 445円)。

Hotel
Hotel Lamdaghri
71号室, ツイン 155ディルハム(1,970円)/1泊

December 24, 2005 (Saturday)

7時起床。外は曇り。部屋の中で、昨日の夕方に買っておいたパン(1ディルハム, 13円)を食べてからホテルをチェックアウト。9時少し前に長距離バスターミナル(CTMバス停)に歩いて行く。

バスの出発時刻は9時30分。少し時間の余裕があるので、バス停の近くにあるカフェでカフェラテを飲んでバスの到着を待つ。

9時25分、フェズ始発のバスに乗車。座席は指定席だ。定刻通り、9時半にバスが出発する。約60km西にあるメクネスに向けて国道を走るバスの車窓は、草原や果樹園が広がり、空はどんよりと曇っている。そのうち雨が降り出し、吹き降りになる。昨日の夕方にインターネットカフェで仕入れた情報では、モロッコの上に低気圧が居座ったままだ。

国道には何箇所もの検問があり、そのたびにバスが停車する。

Bus
Fès(09:30発)→ Meknes(10:40着)
CTM Bus 運賃 30ディルハム(381円)

Meknes - Morocco (メクネス - モロッコ)

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1時間ちょっとでメクネスの長距離バスターミナルに到着。前回、1997年にこの街に来た時のバスターミナルは、新市街のMeknes Amir駅の近くにあった。今回は、新市街の東端にあるメクネス駅の近くだ。

バスを降りると、雨は弱くなっている。大通り(Avenue des Forces Armées Royales)を西へ500mほど歩くと、1997年に宿泊したHôtel Akouasがある。今回はさらに新市街の近代的建物が建ち並ぶ中心街に向かう。市庁舎のすぐ近くにあるビジネスホテルHôtel Palaceに宿を定める。ロンリープラネットによれば、設備が良いのに値段は安めでお得なホテルと書かれている。部屋に荷物を置き、ホテルのフロントでヴォルビリスに行く方法を聞く。外国人観光客は貸し切りのタクシー(片道300ディルハム)で行くことが多いそうだが、モロッコの庶民は乗り合いのグラン・タクシーで行くとのこと。

新市街の西端にあるグラン・タクシー乗り場に行き、しばらく様子を眺める。確かに、庶民がベンツのタクシーに乗り合いしているところのようだ。タクシーの運転手や乗客がたむろしている所に近づき、「ムーレイ・イドリスに行きたい」とぼそっと声をかけてみると、人から人へ、伝言ゲームのように私をその方向へ向かうタクシーのところへ案内してくれる。10年前に使った方法だが、まだ感覚は鈍っていないようだ。

助手席に2名、後部座席に3名の客が乗車して出発。運賃は前払いで9ディルハム(114円)。運転手は話好きで、私も巻き込んで政治談義だ。国王の政治権限が強い非民主国家で、こんなおおっぴらに政治の話していいのか…。

Taxi
Meknes(11:00発)→ Moulay Idriss(11:30着)
Grand Taxi グラン・タクシー 乗り合い運賃 9ディルハム(114円)
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草原の中を走る25kmほどの道のりを、およそ30分で走破。Zerhoun山脈を越えて、その北麓にあるムーレイ・イドリスの町の中心部、バスやタクシーが無秩序に駐車している所に到着。運転手にヴォルビリスの方向を聞いて、国道に沿って歩く。

岩山の頂上にへばりついているムーレイ・イドリスからどんどん下って行き、先ほどメクネスから通ってきた国道の分岐点へ向かう。丘陵地はオリーブ畑で、ずっと向こうは麦や牧草の畑が彼方まで広がっている。古代ローマ遺跡の列柱などがオリーブ畑の向こうに見える。運良く、グラン・タクシーが通りかかり、ヴォルビリス遺跡前にも行くという。運賃は5ディルハム(64円)。

Taxi
Moulay Idriss(11:40発)→ Volubilis(11:45着)
Grand Taxi グラン・タクシー 乗り合い運賃 5ディルハム(64円)

タクシーは私を遺跡の手前で降ろし、残りの乗客と共に北へ走り去った。運賃5ディルハムは3kmほどの乗車では高すぎ、その最終目的地までの運賃なのだろう。

Volubilis - Morocco (ヴォルビリス遺跡 - モロッコ)

ヴォルビリスはローマ帝国の最西端、マウレタニア・ティンギタナ属州にあった重要な都市の遺跡。街の起源はカルタゴより前まで遡るそうだが、現代に残る建造物はローマ時代のものだ。ローマ帝国がこの地から引き揚げた後も、イスラム王朝のもとで9世紀頃までは人が住んでいたとされる。その後の記録はなく、14世紀には遺跡になっていたとされる。

遺跡の入場料は20ディルハム(254円)。入場口は古代の街の南端だ。ローマが撤退した後、多くの建物の屋根や壁は建築資材として持ち去られてしまったのだろう。建物基礎や円柱しか残っていない所が多い。しかし、街の中心にありカルド・マクシムスとデクマヌス・マクシムスが交差する位置にある凱旋門はほぼ完全に残っている。この街は、カルタゴ時代からの街路を基盤としているため、完全にローマ風の街路になっていない。だから、フォルムやバシリカ、カピトリヌス神殿は街の中心からカルド・マクシムスを南に少し下った変則的な位置にある。

地球の歩き方に、バシリカを「礼拝所」と翻訳しているのはキリスト教徒の思い込みだろうか…。バシリカとは古代ローマ時代には裁判や商取引が行われる公的ホールの意味で、後の時代、キリスト教はその遺構や建築様式を流用し礼拝所としただけだ。

邸宅跡には、ほぼ完全なモザイクタイルの床が残されている。それにもかかわらず、他国にある遺跡のようにフェンスやロープで進入禁止になっていない。遺構の中を歩き放題なのには驚いた。当時の邸宅の部屋、中庭、回廊を歩きまわることができるのは素晴らしい。ただ、今夏事をしていると、そのうち遺跡がすり減ってしまうような気もする…。

凱旋門は、碑文が一部復元されて全文が読める状態だ。左上から見てみると、IMP(eratori) CAES(ari) M(arco) AURELLILO ANTONINO PIO FELICI AUG(usto) となっていて、ローマ皇帝カラカラの正式名だ。カラカラがこの称号を用いていた西暦211年から217に死亡するまでの間に、この凱旋門が建てられたことになる。碑文の続きは、カラカラの戦績(パルティア、ブリタニア、ゲルマニアの国境での勝利)や、役職や地位(最高神祇官やインペラトールなど)が列記され、さらには属州総統も褒め称え、ヴォルビリス市は永遠にローマに服従するというようなことを書いてある。碑文が読めると、遺跡めぐりも少しは楽しくなるというものだ。

入場口から凱旋門前を通りタンジェ門まで行き、再び戻ってくる。2時間ほど遺跡めぐりを楽しんだことになる。入場門前の道路は、グラン・タクシーが走る国道から分岐した脇道なので、ここで待っていてもタクシーは通らないだろう。3.5kmほど向こうの山の中腹に見えるムーレイ・イドリスの町に向かって歩くこととする。

タクシーが通りかからないかと期待して歩いていたが、30分ほど歩いて国道から町へ続く道が分岐する地点でトラックが通りかかる。荷台にベンチを置き、人や荷物を乗せて走っているようだ。運賃2ディルハム(25円)で、最後の急な坂道を登らずに済んだ。

Truck
国道13号 分岐点(14:40発)→ Moulay Idriss Zerhoun(14:45着)
Grand Taxi トラック 乗り合い運賃 2ディルハム(25円)

Moulay Idriss Zerhoun - Morocco (ムーレイ・イドリス - モロッコ)

ロンリープラネットには、この町はいわゆる「外国人が立ち入れない・宿泊できない閉鎖都市」で、「15時を過ぎるとメクネスに戻る交通機関は無い」そうだ。ガイドブックは一体いつの時代の記述なのだろう。乗客がいればタクシーは走るはずなので、慌てることはないだろう。

タクシーやバスが駐車している広場を突っ切って町の中に向かって歩いて行くと、商店が軒を連ねる市場。その奥は町の中央広場のような所になっている。市場には食料品店や、もうもうと煙を上げて羊肉を焼いている食堂などがある。今朝から何も食べていないので、お腹が空いている。1軒の食堂に入り、シシカバブとコーラで昼食とする(25ディルハム, 318円)。観光客が来ることはない、地元の人達で満員の食堂で食べる料理はとても美味しい。店の中に置かれているテレビでは、柔道のようなスポーツの中継をしていて、客はそれを真剣に見ている。

食後、町を観て回る。町の中央広場らしき所で、人の流れをしばらく見ていると、岩山の上の方向に続く道の門を出入りする人が多い。向こうに何らかの施設があるのかと進んでゆくと、イドリス1世廟がある。往来する人の後にくっついて行くと、きれいに整備された通路、回廊に囲まれた中庭を通り、礼拝所がある。外国人がここまで入ってきて良いものなのか…。誰にも咎められることもなく、誰も私に関心を払っていないかのようだ。礼拝所を抜けて、階段を登ると住宅街側の出口に出た。さらに岩山の上の方に向かい、旧市街の迷路のような路地を歩く。通行人に景色の良い場所がないかを聞きながら歩いて行くと、断崖に面したテラスのような所に出た。さらに上の方の岩山の山肌にも住宅がへばりついていて、夕日に照らされてオレンジ色に輝いて見える。まさしく、秘境の村… と言ったとこだろうか。

背後で誰かが笑う声がする。道には誰もいないのだが、ふと上を見あげてみると、住宅の窓から女性が私の方を見下ろしている。外国人が珍しいのか、デジタル一眼で撮影しているのが珍しいのか…。

バスやタクシーが無秩序に集結しているタクシー乗り場に戻る。運転手や乗客が行き交う乗り場の中心付近で「メクネスに行きたいなぁ」とつぶやいてみると、親切な人が私を出発寸前のグラン・タクシーのところまで連れて行ってくれる。この国の人は親切だなぁ…。

Taxi
Moulay Idriss(15:35発)→ Meknes(16:00着)
Grand Taxi グラン・タクシー 乗り合い運賃 9ディルハム(114円)

Meknes - Morocco (メクネス - モロッコ)

タクシーは新市街の西端に戻ってきた。日没まで新市街を散策し、レストランに入り夕食を食べる。クスクス、ハリラ、スプライトで40ディルハム(508円)。モロッコ風の円盤のようなパンも付け合せで出てくるので、満腹になる。

ネットカフェで情報収集(1時間45分で7.5ディルハム)してから、ホテルに戻る。

Hotel
Hôtel Palace
110号室, ツイン 160ディルハム(2,033円)/1泊