モロッコとスペインの旅 : メクネス, マドリード, コルドバ

※ 未編集の旅行記です

December 25, 2005 (Sunday)

Meknès - Morocco (メクネス - モロッコ)

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7時起床。ホテルは静かでよく眠れた。窓の外を見ると、雨。朝食を食べに、ホテルの近くにあるパン屋に行き、店内のイートインでクロワッサン2個とオレンジジュースで朝食。9ディルハム(114円)。

雨がやむのを待ち、少し小降りになった9時頃に旧市街に出かける。

メクネスの街の起源は、11世紀の軍事拠点。17世紀、アラウィー朝の第2代スルタンとなったムーレイ・イスマイルが新たな首都として整備した都市だ。このときに建てられた施設は、アラブの建築様式にスペイン様式を取り入れたものだったという。

前回、1997年にこの街に来た時には、旧市街(メディナ)のムーレイ・イスマイル廟や貯水池(Dar el Ma)などを巡った。今回は、前回体験しなかった場所を見ようと思う。

昨日、ムーレイ・イドリスに向った時のタクシー乗り場が新市街の西端。そこから見ると、木々が生い茂るブーフェクラン川(Oued Boufekrane)の谷を挟んだ向こうに、旧市街(メディナ)の黄土色の街並みが見えている。大通りをどんどん下って行き谷底を越えて登り返す。道路は旧市街東側の境界線を無理やり突き破り、つづら折りに丘陵地を登って旧市街の中心まで続いている。

新市街を出て15分ほど歩くと、旧市街(メディナ)と王宮のある地区を隔てる正門のマンスール門(Bab al-Mansour)の前までやって来た。18世紀にこの門を設計した建築家に因んで名付けられている。フェズの正門は青のモザイクタイルで装飾されていたが、メクネスのものは緑のモザイクタイルで覆われている。門の装飾円柱は、ヴォルビリス遺跡から運ばれてきたものだそうだ。

マンスール門をくぐり抜けて南へ行くとムーレイ・イスマイル廟がある。その手前の崩れかけの城壁にある円柱上に、コウノトリが巣を掛けている。下を通りかかる人を威嚇するためなのか、カタカタカタと巨大なくちばしを打ち鳴らしている。地中海沿いの国でよく見かける怖い鳥だ…。リフ門から遥か南を見ると、風の道と呼ばれる一直線の道路が遥か向こうまで続いている。向こうには王宮(Dar el-Makhzen)や穀物庫(Hri Souani)などがあり、穀物庫は1997年に来た時に見物済みだ。今回は、マンスール門の北にある旧市街(メディナ)を探検することとする。

門は大きな広場(Place el-Edim)に面している。広場には露天などの市は立っておらず、まばらに人が歩いているだけだ。斜めに広場を縦断し城壁に沿ってさらに北へ。旧市街の城壁とユダヤ人街(メラー)の間にある通りには露天が並んでいて、日用品や食料品などが売られている。日曜日はイスラム教では安息日ではないはずだし、クリスマスは異教のイベントなので関係ないはずだ。しかし、旧市街のお店は半分も開いていない。単に雨だからなのだろうか…。

露天の商店街となった通りを、城壁に沿ってどんどん北へ歩いて行くとジュディド門(Bab Jdid)がある。ここからいったん旧市街の路地に分け入る。人が行き交う道を選んでどんどん北へ行くと、旧市街の北端にあるベルダン門(Bab Berdaine)に達する。この門は17世紀にムーレイ・イスマイルが街が首都として整備した時に建てたものだそうだ。

昼を過ぎると通行人の数が多くなり、閉まっていたお店も開店しはじめる。日曜だから休みだったのではなく、昼過ぎにならないと開店しない店が多いようだ。

日没後の時間帯、旧市街や隣接する露天市に繰り出している人の数が最も多くなる。沿道にテーブルを並べている食堂も、ほとんどが満員御礼状態だ。冬の寒い時期になっても、夏の暑い時と同じように日が沈んでから出かける癖が付いているのだろう。

ここはフェズの旧市街よりかなり小さく、タンジェより大きい。GPS地図がなくても、なんとか迷わずに歩き回れる広さだ。適当に歩けば、どこかの城壁や門に突き当たる。今日一日、旧市街を歩きまわったが外国人観光客は西欧人カップル1組、フランス語を話す団体客1組、日本人の一人旅男性1名を見かけたくらいだ。冬なので観光客は少ないようだ。フェズでは「日本人」と見分けられて悪質な客引きから意味不明の日本語で話しかけられ、ここメクネスでは「中国人」と間違われて「ニイハオ」とか声を掛けられる。これらの声掛けに無視を決め込むと、フランス語で「このユダ公が…」と罵られる。フランス語が分からないと決めつけてるが、すべてお見通しだ!

この日の昼食は、マンスール門に面した広場(Place el-Edim)のサンドイッチ屋でチキンケバブのサンドイッチ(15ディルハム, 191円)を食べる。フライドポテトが冷めているうえに、油が妙に染み込んでいて不味い。店の良し悪しを見極めるのは難しい。
夕食は、新市街のチキン・ローストの専門店で。地元の人は何も言わなくてもコップで生水が出てくるが、ガイジンは(食あたり防止なのか)飲み物を注文することが期待されていた。まあ、生水飲みたくないし…。普通にローストチキンを注文したら、2人前くらいの量が出てきた。ハリラ・スープも飲んで26ディルハム(330円)。昼食が不味かったリベンジを、夕食の美味しさで果たすことが出来た。

Hotel
Hôtel Palace
110号室, ツイン 160ディルハム(2,033円)/1泊

December 26, 2005 (Monday)

7時起床。外は曇りだが、夜は雨が降っていたようで地面が濡れている。昨日買っておいたパン2個(3.5ディルハム, 44円)を部屋で食べる。8時15分頃にホテルをチェックアウト。

1.5kmほど東にあるCTMバスターミナルに向かう。一昨日にメクネスからのバスを降りたところなので、迷うこと無く到着。スペインのマドリードで購入した切符を窓口に持って行くと、荷物を預けるにはコピーを1枚提出せよとのこと。バスターミナル内にある店でコピーを取り(1ディルハム, 13円)提出する。

待合室でバスが到着するのを待つが、出発時刻の9時45分を過ぎても一向にやって来る気配がない。結局、1時間近く遅れてやってきたバスに乗り込み、10時40分メクネスを出発。バスのフロントガラスには、「Linbus ESPANA - MARRUECOS」と、詳細な出発・到着都市名が書かれていない。預け入れた荷物は、ほんとうにスペインのマドリードまで送られるんだろうか…

Bus
Meknès(10:40発)→ Tanger・・・Algeciras → Madrid(翌日09:35着)
Eurolines Bus 運賃 85ユーロ(11,560円)

12時頃に停車した次の停留所は、シディ・カセムだ。往路の列車を乗り換えた、あの黄土色の煙を吐く石油化学工場が見える。その後、小さな街の停留所、2から3か所に停車して数人の客をのせる。これでバスの車内はほぼ満員となる。

車内はスペインに出稼ぎにゆくモロッコ人ばかりだが、私の横にはアメリカから来た50歳過ぎの旅人が座っている。ガイジンを隣り合うよう予約席を割り振り、ちゃんと会話できるように配慮しているのかも知れない。

この路線に乗る乗客は荷物が多いのか、バスは荷物専用の貨車を牽引している。かなり年季が入っているバスは、満員の乗客と牽引車両の重量で、青色吐息のエンジン音を響かせている。牽引車両の連結器も、ガチャガチャと大音響を立てて、とてもじゃないが車内で昼寝できる環境ですら無い。

メクネスを出た時は曇り空だったが、ときおり土砂降りの雨になる。道はでこぼこで、ぬかるんでいる所もある。跳ね上げた泥水が窓の高さまで達している。道路が町の中を通過するときには、荷車や馬車がノロノロ走っているので、道路は大渋滞している。その中を、場違いな「国際バス」がノロノロと通過していく。

13時ごろ、スーク・エル・アルバ(Souk El Arbaa)のバス停に停車。14時過ぎ、大西洋岸の町アライシュ(Larache)郊外のドライブインに停車。シシケバブを食べる(20ディルハム, 254円)。かなり美味だ。15時15分、ドライブインを出るとすぐに高速道路に入る。ここから道路状況が良くなり、バスは滑らかにスピードを出して走りだす。

17時、夕闇迫るタンジェ港に到着。バスは港の中に直接乗り入れ、乗船の車列に並んでいる。乗客はフェリーの切符を手渡されたのちにバスから降ろされ、預け入れていた荷物をピックアップする。それから車列の横の小屋の中で出国審査のスタンプを貰う。預け入れた荷物は、マドリードまで直通するわけではなかったようだ。

乗客は徒歩客と同じくフェリーターミナルから乗船するようだ。このターミナルから出国するのは1997年以来だが、初めて国際バスでフェリーに乗る場合はどこに行ったらよいか誰も教えてくれないので、右往左往するかもしれない。バスで私の横に座っていたアメリカ人は、ここからフェリーに乗るのは初めてなので私の後ろにくっついてくる。乗船車列のあたりで途方に暮れている西欧人がいたので声をかけると、この人もアメリカ人でどこに行けばよいか分らないようだ。

車列の横で出国スタンプを貰う。その後にフェリーターミナルで出国審査場を通過する。フェリーに乗り込む。スムーズに事が運び、バスを降りて10分で船上の人となる。

Ferry
Tanger(18:30頃発)→ Algeciras(22:50頃着)
Ferry, EuroFerrys M/F Atlantica 運賃 長距離バス料金に含まれる

18時30分、日が沈み真っ暗になったタンジェ港を出航。オレンジ色に明るく照らされた港と、ぽつぽつと家々の照明が見える旧市街がだんだん遠ざかっていく。

フェリーの船室はエンジンから伝わってくる小刻みに揺れている。今日は7時間近くバスに揺られて、このフェリーの揺れが加われば船酔い確実だ。事前にトイレに「下見」に行くと、すでにゲロ吐き場と化している。これを見れば、ゲロを吐く気分にもならない…

一緒に乗船したアメリカ人2名は、バスで隣の席にいたのは56歳のNPO職員、タンジェで途方に暮れたたのは23歳の学生ということだ。23歳の学生はキリスト教の研究をしていて、モロッコにはイスラム教を学びに来たそうだ。そこから3人で宗教談議になったのち、その学生がモロッコの学校に留学していた時の話になる。そのときに、バルセロナから来た女子大生と付き合ったが、ふられたという話から、もう一生結婚はできんと悲観になっていた。56歳の米人と私が、「俺たちと違ってお前は将来のために努力が足りん! がんばれ」と妙な説教現場になってしまった。ところで、キリスト教の神父様になる人は結婚してよいのかな…

話しているうちに、無事ジブラルタル海峡を横断してアルヘシラスの港に到着。モロッコとスペインの時差は1時間なので、乗船時間は3時間20分ほどだ。タラップが船の扉に横付けされると、我先にとモロッコ人乗客が殺到して大混乱。故郷から出稼ぎ先に持ち帰る荷物を大量に持っているため、ちっとも列が進まない。そのうち、乗客同士で罵り合い、引っ張り合い収拾がつかなくなる。我々3名も突進して参戦する。ここで降りなければ、乗り継ぎのバスに乗れなくなる。

無事下船し、岸壁からタラップを振り返ると、周囲には荷物やカートが散乱している。フェリーターミナル前の駐車場に移動して、吹き降りの雨に打たれながら、バスを待つ。30分ほど経ってから、フェリーから降りてきた何台かのバスが駐車場に停車する。どの車にも行き先を示す紙などは貼りだされていない。誰かが運転手に行き先を聞いて、行き先がわかると乗客が殺到。殺到するということは、座席が足りない可能性があるということだ。我々ガイジン3名も、それぞれの目的地のバス乗車の戦いに参戦する。

無事座席を確保。23時30分ごろ、バスはマドリードに向けて出発する。

December 27, 2005 (Tuesday)

深夜2時ごろ、バスはどこかのドライブインに停車。GPS地図によれば、グラナダ近郊のようだ。カフェに入り、カプチーノを1杯飲む(2ユーロ, 272円)。

モロッコから来た何台かのバスが団子状態で走っているため、店内のカウンターにはすでにたくさんのモロッコ人が並んでいる。昨日まで、アジア人を見たら馬鹿にしていたモロッコ人たちは、スペインに入ると自分たちの地位が逆転されたと思い知ることとなる。カフェの店主は、モロッコ人の注文を制止して、後から入ってきたアジア人の私の注文を先に聞いているのだ。どこの国にでもあるんだよね、人種差別…。

スペインの道路状態はとてもよく、バスは揺れもなく順調に走っている。マドリードのメンデス・アルバロ長距離バスターミナルには、定刻より1時間30分遅れの9時35分に到着。

メクネスから24時間… 疲れた。

Madrid - Spain (マドリード - スペイン)

1週間前に購入したコルドバ行きの切符は、アトーチャ駅の出発時間が13時だ。3時間くらい乗り継ぎ時間があるので、観光に出かけることにする。

Metro
Méndez Álvaro(09:50頃発)→ Pacifico → Atocha Renfe
Metro, Line 8 → 6, 回数券10枚 運賃 0.58ユーロ(79円)

アトーチャ駅の近くにあるプラド美術館に行くことにして、まずは駅のコインロッカーに荷物を預ける(2.4ユーロ, 326円)。それから駅構内のカフェでポーク・サンドウィッチとカフェラテの朝食を食べる(4.7ユーロ, 639円)。イスラム圏では食べることができない「豚肉」の食事だ。駅構内には、ガラス張り天井の巨大ホールに、熱帯植物がたくさん植えられている。まるで植物園の温室だ。

駅から500mほど北にあるプラド美術館まで歩く。美術館の入り口には50人くらいの行列ができていたが、案外すぐに入場できた。入場料は6ユーロ(816円)。ゴヤ、ベラスケス、ルーベンスの名画が並んでいる。館内は広く、平日の朝早い時間なのでかなり空いている。1時間ほど美術館で過ごし、再びアトーチャ駅に戻る。

スペインの高速鉄道は、駅構内に入るのに手荷物のX線検査と、人間の金属探知機検査を受ける必要がある。まるで飛行機に乗る時のようだ。乗車した列車はAVEの100系車両。フランスで使われているTGV Atlantiqueと同一形式で、おフランス謹製だ。

列車は定刻通り13時に出発。スペインはフランスよりも線路幅が広い「広軌」なので、高速運転時の揺れも少ないような気がする。単に気がするだけだ…。GPS地図では最高速度は270km/hほどだった。300km/hのフルスピードの9割程度で余裕を持って走っているのだろう。スペインの高速鉄道路線にはトンネルが所々にあるのだが、トンネル突入時にも時速200km以上で走っている。TGVはトンネル突入時の気圧変化に耐えれないので、韓国のKTXでは車体が強化されていたはずだ。AVEはどうなのかな…

Train
Madrid, Atocha(13:00発)→ Córdoba(14:50着)
AVE, Train A9626, Touristクラス 運賃 45ユーロ(6,120円)

Córdoba - Spain (コルドバ - スペイン)

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コルドバ駅で下車。駅は旧市街の北西端に隣接していて、とても便利だ。その駅前には商店が一切なく、いきなり低層のアパートが建ち並ぶ住宅街だ。田舎町… なのだろうか。

さて、今日泊まるホテルはインターネットで予約済みだ。駅を出て、旧市街の西端に沿ったビクトリア大通りに沿って歩き、GPS地図を見ながら路地に分け入ると予約したホテルが見つかる。チェックインして荷物を部屋に置き、観光に出かける。

コルドバの歴史は古く、カルタゴ時代には、ハミルカル・バルカがKartubaと命名した街として栄えた。カルタゴが滅んだ後はローマに属したが、ローマ内戦で元老院とポンペイウス側に与して敗退し一時は衰退したが、アウグストゥスが退役軍人を植民させるとともにヒスパニア・バエティカ属州の州都として大いに栄えたらしい。

ホテルから数分南へ行くと、ローマが共和国時代だった時に築造した城壁が残っている。旧市街に通じる門や周囲の城壁の屋上通路には、中世風の狭間付き胸壁が設けられていて、この城壁が中世以降に大規模に改築されたのが分かる。

旧市街の路地をさらに南へ、ユダヤ人街の路地を進む。グアダルキビル川の手前にはイスラム王朝時代に作られた大規模モスクのメスキータがあり、この街の最大の観光ポイントになっている。ここはキリスト教勢力がイスラム勢力を駆逐した後には教会施設となり、モスクの中に教会堂の建築物が無理やり増築されている不思議な建物だ。旧市街側には典型的な教会建築の鐘楼が建っていて、夕日に赤く染まっている。

鐘楼の地上階にある「免罪の門」をくぐり抜け、外周壁で囲まれた中庭に入る。ここまでは入場料を払わなくても立ち入れる。中庭にはオレンジの木が沢山植えられていて、イスラム文化の邸宅などと同じ雰囲気だ。そのイスラムっぽい中庭から見えるのは、大きな教会堂の建築物だ。

メスキータは明日入場して見学する予定なので、中庭でUターンして外に出る。メスキータの南側には、ローマ時代にグアダルキビル川に架けられた橋(ローマ橋)が残っている。残念ながら修復工事中で渡ることは出来ない。

モロッコと違って、この街では沢山の日本人団体観光客を見かけた。夫婦などの男女ペアの個人旅行者の日本人もかなり見かける。地方都市だが、有名な観光地なのだろう。

夕食はカフェでクラブサンドイッチとジュース(3.5ユーロ, 476円)。マドリードのアトーチャ駅で、バーガーキングのダブルワッパー・セットメニュー(6.1ユーロ, 829円)を食べたので、夕食は軽めにしておいた。

Hotel
Hotel Riviera
504号室, ツイン 30ユーロ(4,080円)/1泊