バルト海沿岸を旅する :
クライペダ、ニダ、カウナス、ヴィリニュス
September 12, 2006 (Tuesday)
Rīga - Latvia (リガ - ラトビア)
6時20分ごろ起床。窓から外を見ると空は霧に覆われて真っ白だ。昨日、中央市場のスーパーで買ったパンとインスタントラーメンで朝食。ちなみにインスタントラ-メンは0.09ラッツ(約18円)という安さ。さすがロシア製...。
ゲストハウスをチェックアウトして、中央駅を通り過ぎ中央市場横のバスターミナルへ。肌寒い早朝にも関わらず中央市場にはたくさんの人が来て賑わっている。国際バスが発着するプラットホームにはスイスのベルン行きのバスが停車している。カウナス(リトアニア)→ワルシャワ(ポーランド)→ライプツィヒ(ドイツ)→ミュンヘン→チューリッヒ(スイス)を経由すると運転席横の窓に貼り出された板に書かれている。そのスイス行きが出発した後に、クライペダ行きのバスがやってくる。
Rīga bus terminal(8:20発) → Klaipėda bus terminal(14:15着)9ラッツ(約1800円)
8時20分、20人弱の乗客を乗せて定刻通り出発したNordeka社のバスは、朝霧のダウガヴァ川に架かる鉄橋を渡って真っ直ぐ西に向かってゆく。市街地を抜けると森の中の真っ直ぐ延びる国道A9号線を走ってゆく。国土の56%が森林で、これは欧州で4番目に高い森林面積率だそうだ。またほとんどの土地が高度100m以下というまっ平らな国土なので、森林面積率が69%だが山地が多く曲がった道路が多い日本とは違い、ラトビアの道路は一直線に森の中を切り開かれている。
松・杉・白樺の木々が車窓を流れ行き、時折送電線のために切り開かれた空き地と交差する。片側1車線の道路だが、交通量が少ないので渋滞に巻き込まれることもなく、順調に走ってゆく。10時頃、サルドゥス(Saldus)、11時45分にリエパヤ(Liepāja)駅前に停車。リエパヤはラトビアで3番目に大きな都市だが、人口が8万5千人程度なので、中央駅前といってもかなり寂れている感じだ。中央駅のキオスクでピロシキとパン(0.4ラッツ,80円)を買って昼食。
リエパヤを出発すると、バルト海沿いに真っ直ぐ南に向かう国道A11号線を走る。13時、リトアニアとの国境検査所に到着。バスの車内に国境検査官がやって来て、パスポートにリトアニアの入国スタンプを押してゆくだけの簡単な手続きが行われる。
リトアニアに入り国道A13号線をしばらく南下すると、パランガ空港の滑走路の脇を並走し、すぐ隣のリゾート地のパランガの集落のバス停に停車。この時点で、リガから乗車していた乗客で私以外は全て下車してしまう。14時15分、クライペダ駅前のバスターミナルに到着。
Klaipėda - Lithuania (クライペダ - リトアニア)
中央駅周辺は寂れた地区のようで、街路樹が茂った低層住宅が建ち並んでいる。Lonely Planetには、バスターミナルの近くに新しいゲストハウスができたと書かれているので、通りかかった警察官に場所を聞いてみる。なんと、バスターミナルに隣接したところにゲストハウスがあった。入り口のベルを押しても誰も出てこない。と、2階の窓から若い女性が顔を出したので中に入れてもらえることに...。ドミトリーの1泊34リタス(約1460円)。この国の通貨を持っていないので、料金は後払いという事にしてもらい、バスターミナルのATMへ行き600リタス(約25800円)を出金。
とりあえず市街地へ行ってみる。ゲストハウスで教えてもらったスーパーマーケット(iki supermarket, M. Mažvydo alėja)の位置を確認しつつ、旧市街へ向かう。鉄道駅から約2km歩き、帆船が停泊するダネ川に架かる小さな橋を渡って旧市街に到着。ハンザ同盟時代の面影があるとガイドブックに書かれているが、特にそういう雰囲気を感じない普通の清潔な地方都市と言った感じだ。
第二次大戦開戦前、当時はメーメルと呼ばれていたこの街で、アドルフ・ヒトラーが演説したといわれる旧市街の劇場広場は、観光客向けにバルト海沿岸の名産品である琥珀のアクセサリーを売る露天がポツポツと出ているくらいで、誰も歩いていない。
旧市街付近にも、鉄道駅付近にも適当な食堂が見つからないので、スーパーで惣菜とパンを購入してゲストハウスの食堂で夕食とする。
Klaipeda Hostelドミトリー 34リタス(約1460円)
September 13, 2006 (Wednesday)
6時30分起床。昨日スーパーで購入したパンとインスタントラーメンで朝食。7時30分にゲストハウスを出発する。同じドミトリーに宿泊していた日本人が起きだしてきて、彼は私より1時間後のバスでクルシュー砂州に向かうらしい。ゲストハウスの管理人のアルバイトをしている大学生のお姉さんも眠そうに起きだしてきて、私が出発するのを見送ってくれたりした。
北緯50度のこの地でも、すでに太陽が昇っていて、通勤の人々がパラパラと歩いている。ゲストハウスと市街地の間に横たわっているクライペダ大学の学生の登校時間のようで、大学の前は赤い色の制服?を着た学生で混雑している。
Klaipėda(8:00発) → Smiltynė(8:10着)往復運賃 1.5リタス(約65円)
旧市街はずれのダネ川河口にある渡船港まで20分ほどで歩き、クルシュー砂洲に向かう渡船に乗る。60年前はドイツ海軍の基地で、Uボートが繋留されていた港も、現在では客船や貨物船のドックが所狭しと並んでいる。渡船は10分で対岸のスミルティネに到着。
Smiltynė(8:15発) → Nida(9:10着)往復運賃 7リタス(約300円)
渡船を降りたすぐ前にバスが2台停車している。そのうちの1台がロシア国境まで行くので、そちらに乗車。運賃は7リタスと結構高い。クルシュー砂州国立公園の入場料が含まれているから運賃が高いのか、単に長距離だからなのか...。
幅が2km以下で総延長100km程度の細長く延びている砂洲は、北半分がリトアニア領で南がロシア領となっている。南端はロシアの飛び地カリーニングラード(旧ドイツ名はケーニヒスベルク)だ。
どこまでも続く松林の中を一直線に延びる道を1時間かけて走り、国境ぎりぎりのところにあるニダという村に到着。バスの乗客のほとんどは地元の人で、ニダより手前のバス停で下車し、キノコ取りのために松林に分け入っていく人ばかりだった。ニダ村まで乗車したのは私のみ。早朝だから観光客が乗っていないのか、それとも一日中こんな感じなのだろうか。
Nida - Lithuania (ニダ - リトアニア)
バスを降りた目の前には閑散とした村の中心部が広がっている。観光案内所と書いてある建物は閉まっていて、クルシュー・ラグーン(内海)に面した小さな港には、何隻かのヨットが係留されて風に揺れているのが見える。
港の前から砂洲の南の方向を見ると、砂浜が延々と続いているのが見える。ロシアとの国境線が引かれている砂浜だろう。そちらに向かって歩いていくと、巨大な砂山が迫ってくる。どこから登るのか、定められた道があるのかどうか分からないので、松林の中を適当に登っていくと頂上に出た。高さは50mほどあるらしい。
まばらに松が生えた頂上付近から人の話し声が聞こえる。ドイツ人観光客だ。地名が"ニダー"だから、韓国人を期待しても無駄だ。ここはあまり有名な観光地ではないのだから。砂山の頂上は見晴台となっていて、南側は延々と砂丘地帯となっているのが見える。約2km先にリトアニアとロシアの国境線があり、どちらかの国の監視硝となっている金属製の塔が何個か見える。見晴台に掲示されている地図には、ロシア側に見える大きな砂山との間に広がる砂丘地帯は、"死の谷"と呼ばれ1870年~72年の普仏戦争の捕虜収容所が置かれていたそうだ。
その死の谷に下りて少し歩いてみると、向こうから人が歩いてくる。非武装地帯で立ち入り禁止との看板が掛けられているのに、勇気のある人もいるものだ。
ニダ村と反対方向のバルト海へ向かって砂山を降りる。こちらには舗装された道路があり、観光客を乗せたバスはこちら側からやってきているようだ。しばらく歩くと、スミルティネからカリーニングラードに続く国道があり、10分ほどでバルト海(外海)に面した砂浜にたどり着く。夏には海水浴場となるのだろうか、閉鎖されたロッジなどがポツポツと並んでいる。数人の人が砂浜を歩いて琥珀を探しているだけで、ニダ村と同じく閑散としている。
Nida(12:00発) → Smiltynė(13:05着)往復運賃 7リタス(約300円) Smiltynė(13:15発) → Klaipėda(13:25着)
往復運賃 1.5リタス(約65円)
Klaipėda - Lithuania (クライペダ - リトアニア)
12時のバスに乗りスミルティネに戻る。渡船がやって来るのを待っていると、目の前の海峡を巨大な観光クルーズ客船(MVディスカバリー号、20186トン)がクルシュー・ラグーンに向かって入っていく。客船のスクリューがかき混ぜた水が緑色に泡立っている。Lonely Planetの記事によれば汚染されていて泳げないほどの水質だそうだ。
新市街のアパート群の中や、彫刻公園(Skulptūrų parkas)をしばらく散歩して、夕食はカフェでパスタ(12リタス、約520円)を食べる。この国の物価で500円という価格設定は少し高いと思った。
明日、カウナスへ行くためのバスの時刻を調べにバスターミナルへ。急行バスが5:15, 9;40, 11:10, 11:50, 12:50, 15:35, 17:25, 18:20, 19:25に出発するようだ。とりあえず、選択肢としては9:40が妥当そうだ。ふと、バスターミナルの駐車場を見るとinterlinerと車体に書いてあるオランダの中古バスが停車している。国際支援でバスの車体を寄贈してもらったアフリカのどこかの国のような感じだ。せめて、塗装くらいやり直そうよ...。
Klaipeda Hostelドミトリー 34リタス(約1460円)
September 14, 2006 (Thursday)
7時起床。キッチンで朝食を作り、バスに乗る時間までしばらく時間を潰す。昨晩、同じドミトリーの部屋だった中国系イギリス人は、ニダに行くそうだ。やはり、この街に観光に来る理由は、誰もがクルシュー砂洲だよね。昨晩からゲストハウスに泊まりこんでいるレセプションのお姉さんユーリアは、今回が初めての勤務日だったらしく、かなりぎこちない感じだ。まあ、そのうち慣れるんだろうけど。
9時40分、ゲストハウスの前のバスターミナルより急行バスに乗車。乗客は15人ほどで、片側2車線の高速道路をぶっ飛ばして走ってゆく。11時、Kryžkalnioバスターミナルで休憩。12時30分、カウナスに到着。
Klaipėda(9:40発) → Kaunas(12:30着)運賃 39リタス(約1680円)
Kaunas - Lithuania (カウナス - リトアニア)
バスターミナルは街の外れのような場所にあり、周辺は至る所道路工事中で殺風景だ。今晩泊まる場所を探しに、旧市街の方向へ。Lonely Planetに掲載されていた貸アパート屋に行ってみるが、私の前に事務所に入っていったアメリカ人が最後の在庫を借りてしまい、惜しくも売り切れ。他の物件を聞いてみるが、どれも160リタス以上(6900円以上)と、平均年収100万円のこの国では高すぎる価格設定のものばかり。個人旅行という形態は珍しいのだろうか...。新市街中心部の聖ミカエル教会横にあるツーリストインフォメーションへ。100リタス以下という条件で部屋を探してもらうと、旧市街の便利な場所の物件を紹介してもらえた。15時にアパートの部屋に行くということで、2時間ほどバックパックをツーリストインフォメーションに預かってもらい新市街の見物をする。
とりあえず、泊まる予定のアパートから遠い方向にある、市街地外れの住宅街にある杉原記念舘に行ってみる。第二次世界大戦の時の領事で、外務省の指示に逆らってユダヤ人6000人に「命のビザ」を発給した杉原千畝が勤務していた旧領事館の建物が博物館になっている。中に入ると、30分ほどの解説ビデオを見てから領事館の執務室だった2部屋を見学。ちょうど日本人が2人来ていて、金融機関を早期退職した人と、キャセイパシフィック航空の客室乗務員の人だ。
その2人と共に新市街を見物し、15時に私はアパートのチェックインがあるという事で別れる。15時15分、約束の時間ぴったりにアパートへ。オーナーの女性が来ていて、部屋の使い方や鍵の返し方などの説明を受ける。建物はかなり年季が入った外観だが、室内は改修されてとても綺麗だ。居間にはソファーがずらっと並んでいて、ベッドより面積が広そうだ...。
旧市街観光に出かける。アパートから歩いて400m程で市庁舎広場に到着。17世紀に建てられた聖ペテロ&パウロ大聖堂やペルクーナスの家を見て、ネマン川のところまで行って再び市庁舎広場に戻ってきて写真撮影していると、杉原記念舘でであった日本人2人に再会。いっしょにカウナス城などを見物し、新市街のメインストリートであるライスヴェス通りの量り売りのレストランで夕食(15.75リタス、680円)。
Apartment, at 7-2 A. Mapu gatvė1部屋 100リタス(約4300円)
September 15, 2006 (Friday)
6時30分起床。昨晩バスルームで洗った服は、一晩じゅう温風機に当てておいたので完全に乾いている。スーパーで購入したインスタントラーメンとソーセージを鍋で茹でて朝食とする。9時少し前、部屋の鍵をポストに入れてチェックアウト。市庁舎広場にある観光案内所へ向かう。
ヴィリニュスに向かう前に、カウナス郊外にある第九要塞へ行くための方法を聞く。Lonely Planetには35系統のバスで行くと書かれているが、カウナス城横から出るミニバスでも行けるという事だ。ミニバスといっても、普通の路線バスのお下がりのようなおんぼろバスだ。
Kaunas castle(9:15発) → IX Fort(9:30着)運賃 1.5リタス(約65円)
クライペダとヴィリニュスを結ぶA1高速道路と、クライペダからポーランド方面へ向かう国道A5のインターチェンジの北隣に第九要塞がある。バスは、インターチェンジを挟んで要塞と反対側の停留所に停まった。運転手が、同じ停留所で降りるおばさんに私を要塞の近くまで案内するように頼んでいた。要塞は目の前に見えてるのだけど、ありがたく案内してもらう。
要塞博物館は10時に開館。入場料は15リタス(650円)。今日はVIPが訪問するらしく、職員はその対応のために忙しく、一般の観光客への応対どころではない様子。開館少し前に、黒い車に乗ったVIP一行が、入場券も買わずにお付きの人を引き連れて要塞の中に入っていった。
ここは第一次大戦で利用する予定で整備された要塞なので、それ以前に整備されたオランダのナールデン要塞などとは違って、かなり近代的だ。
地下に張り巡らされた弾薬輸送用の通路や掩蔽された砲など、かなり手ごわそうな要塞だ。ただ、実戦で使われることはなかったらしく、第二次大戦以前は刑務所として、大戦中はソビエト連邦のNKVD収容所、ドイツ占領時代には強制収容所として使われていたそうだ。博物館の展示内容も、「要塞」としての展示ではなく、ドイツの強制収容所の悲惨さを伝えるものだ。屋外のレンガ壁には、所々に「ここでユダヤ人が銃殺されました」とのプレートが掛けられていて、絶滅収容所であったことも示している。
もちろん、杉原千畝大使の功績を展示した特別室もあり、「命のビザ」も展示されている。
カウナスに戻るためにA1高速道路にあるバス停へ。クライペダ方面からカウナスに到着する長距離バスは2時間に1本程度なので、なかなかバスはやって来ない...。西からやって来るバスが接近してくる度に、手を上げてアピールしたら、30分くらいしたら1台のバスが停まってくれた。
カウナスのバスターミナルでヴィリニュス行きに乗り換え。めずらしく最新のバスで、全然揺れずに滑らかに走る。熟睡しているうちにヴィリニュスに到着していた。
IX Fort(11:30発) → Kaunas bus terminal(11:50着)運賃 1.4リタス(約60円) Kaunas bus terminal(12:15発) → Vilnius bus terminal(13:45着)
運賃 17リタス(約730円)
Vilnius - Lithuania (ヴィリニュス - リトアニア)
泊まる所を探すために、バスターミナルのすぐ横にある中央駅の観光案内所へ。案内所の店員は全く案内する意欲もなく、ホテルリストを投げてよこすのみ。親切だったカウナスの観光案内所とは大違いだ。ホテルリストを見て安い所から訪ね歩いてみるが、どこも満員で泊まる所が見つからない。4kmくらい歩いて、再び駅前付近に戻ってくると、日本で言うところのカプセルホテルのような外観のゲストハウスを発見。ドミトリーで1泊34リタス(1460円)と、まあこの国では格安の部類なのだろう。部屋は、第九要塞の地下収容施設に似た8つのベッドが詰め込まれた殺風景なところだ。
結局、泊まる所を探すだけで2時間以上かかり、観光の時間がほとんど取れないまま日の入りの時刻に。旧市街を少し観光したところで、夕日が教会の尖塔を照らしているような時間だ。明日、旧市街を見て歩こう...。
バスターミナルに併設されたショッピングセンター1階のファミレスで夕食。ハンバーグ定食のようなものが11.8リタス(507円)だった。
AAA Hostelドミトリー 34リタス(約1460円)