バルト海沿岸を旅する :
ヴィリニュス、トラカイ、グダニスク、マルボルク
September 16, 2006 (Saturday)
Vilnius - Lithuania (ヴィリニュス - リトアニア)
7時30分起床。8時過ぎに外へ。快晴でかなり肌寒い。駅前のマクドナルドしか開いていなかったので、そこで朝食(8.3リタス、360円)。そのご旧市街へ向かう。
旧市街入り口の夜明けの門(Aušros Vartai)をくぐらずに、旧市街を取り巻く城壁に沿って歩く。普段観光客が来ないような場所だからなのか、道路の舗装が剥がれてでこぼこ道で、ゴミが散乱していたりする。しばらく行くと、突然目の前に草地が広がり円形城塞が姿を現す。小高い丘の上にある円形城塞の上に登ると、旧市街を越えて遙か西に広がる郊外の高層住宅群を見渡すことが出来る。
ウジュピス地区(Užupis)と呼ばれる、ヴィルニア川を挟んで旧市街の東側に隣接している地区へ。Wikipediaによれば、画廊やアトリエが集まった地域だそうで、パリのモンマルトルのような感じのところと書いてある。行ってみると、単に普通の古い建物が立ち並んだ閑静な街並みと言った感じだ。確かにメインストリートのウジュピス通り沿いには何軒かの画廊などが入居してはいるが...。
旧市街へ戻り、ヴィリニュス大学へ。内部を見学できるというので、5リタス(215円)のチケットを買って入場する。1579年に開校した東欧で3番目に古い大学だそうで、ここより古いのはクラクフのヤギェウォ大学(1364年)とケーニヒスベルクの大学(1544年)だそうだ。夏休み期間なので、ほとんどの建物は閉鎖されて、がらんとしている。唯一入れたのが聖ヨハネ教会。もしかしたら外からも入れるのかもしれないのだが...。観光客も学生も、誰も来ていないがらんとした教会の身廊を歩いて行くと、どこからともなく小鳥の鳴く声が。こんな所に小鳥が住んでいるようだ。
鍵が掛かっていない扉などを開けて、大学の建物内に入ってみる。警備員に咎められても、入場券を持っているし、言葉がわからない外国人なので許してもらえるだろう...。
大学の見学を終え、旧市街北端の大聖堂へ。17世紀の建物は改築工事の真っ最中で、一部分に金属製の足場が残ったままだ。
バスターミナルまで戻り、昨日夕食を食べたファミレスで昼食(10.8リタス、430円)。昼過ぎのバスでトラカイに向かう。
Vilnius bus terminal(12:15発) → Trakai bus terminal(13:10着)運賃 4リタス(約170円)
Trakai - Lithuania (トラカイ - リトアニア)
当初11時55分発のバスに乗ろうとしたが、時刻表に小さく"D"の文字が書かれている。おそらく、土日運休の意味なのだろう。チケット売り場へ行って聞いてみると、カウナス行きの長距離バスに乗れとのこと。その長距離バスがやって来る前にローカルバスがやってきたのでそちらに乗車。個人旅行客が少ない国では、このあたりの不便さは何とかならないものなのか...。
バスは途中のバス停の一つ一つに停車して、どんどん乗客が乗り込んでくる。座りきれずに立ち席まで出る。高速道路ではなく、小さな町を一つ一つ迂回して結んでいる細い道路を通って行くので、トラカイまで1時間ほど掛かる。これなら、ヴィリニュスで少し待っても長距離バスに乗ったほうが良かったと思う。
トラカイのバスターミナルは、城がある地区から2.3kmほど離れたところにあり、ガルヴェ湖の中に突き出した半島にある町の中心地区を縦断して、やっと城の入場口に到着。路線バスで来る観光客はほとんどいなかったが、観光バスや自家用車出くる人はたくさん居るらしく、入場口付近ですら大量の人が歩いている。入場料10リタス(430円)払って中へ。城の建っている島につながる細い木造の橋には、追いぬくことも不可能なくらいの数の人が行き交っている。湖はダイビングも出来るようで、橋の袂にウエットスーツを着た人が何人も居る。おまけに、屋外結婚式のグループまで居て、混雑度をさらに増していたりする。リトアニアの人にとって、人気の観光地なんでしょうね...。
赤いレンガで作られたトラカイ城は、15世紀に建てられた設計図を基に、20世紀になってから再建された新しい建物だ。だから、崩れているようなところもなく、テーマパークにある城のような感じを受ける。現在では小さい国でしかないリトアニアは、中世においてはリトアニア大公国として、現在のベラルーシやウクライナをも含む巨大国家だった。その絶頂期に建てられたのがこの城らしい。
Trakai bus terminal(14:30発) → Vilnius bus terminal(15:20着)運賃 2.7リタス(約116円)
Vilnius - Lithuania (ヴィリニュス - リトアニア)
再びバスに乗り、ヴィリニュスに戻る。旧市街の大統領官邸がある地区を散歩して、昨日と同じくバスターミナルにあるファミレスで夕食。今日も一日良い天気だったが、今回の旅行が始まってから1日を除いてずっと晴れている。ホステルで宿泊しているドミトリーの部屋の客はほとんどチェックアウトしたらしく、昨日から泊まっている年配の男性と、今日チェックインした中年のおばさん、私の3人となる。定員10人以上の部屋に3人だけという静かな状態だ。
AAA Hostelドミトリー 34リタス(約1460円)
September 17, 2006 (Sunday)
ドミトリーの同じ部屋に泊まっていたおばさん2人は、今日オーストリアのウィーンに帰るそうだ。エストニアのタリンから観光しながら南に下ってきたそうだ。年配の男性は体調が相当悪いらしい。日本製の風邪薬は西欧人には効果が少ないかも知れないが、何錠が差し上げる。8時30分、チェックアウト後、レセプションに荷物を預け(5リタス,215円)て市内観光に出発。
駅前のマクドナルドで朝食。朝食メニューというのがあり、マックチキンとフレンチフライ、飲み物などで8.9リタス(380円)。旧市街へ。鉄道駅から旧市街へ入る最短経路上にある夜明けの門に向かう。門の上はチャペルになっていて、日曜礼拝中。旧市街中心へ向かう道沿いのロシア正教聖霊教会も日曜礼拝中で、聖三位一体教会は改装工事中だった。
ウジュピス地区の端をかすめて、聖アンナ教会とベルナルディン教会の横を通り過ぎて、ヴィリニュス城のあるゲディミナスの丘の麓までやって来る。しかし、旧市街には教会多いですね...。ゲティミナスの丘の麓にある城の庭園には移動式遊園地のようなものがあり、メリーゴーラウンドのような遊具が据え付けてある。早朝だからか、誰もお客さんは来ていないけどね。
東側の丘の上には14世紀に虐殺された7人のフランシスコ会修道士のために建てられた3つの十字架がちょこんと見える。7人だったら、7本の十字架で良さそうなものだが、なぜ3本なのだろうか。
ヴィリニュス城に向かって公園から緩やかな坂道を登る。しばらく行くと林の中に赤いレンガ造りの「上の城」のキープが見えてきた。丘の上には何人かの観光客が来ているが、昨日訪れたトラカイ城に比べたら遥かに少ない人数だ。15世紀に建てられたという八角柱?のゲティミナス塔に入場する(入場料4リタス,170円)。内部は展示施設になっているが、かつての城の模型と、ほんの少しの展示物があるだけ。たいていの観光客は屋上から見る市街地の眺めを期待しているのだろう。
それほど高くはない塔の屋上からは、小ぢんまりした旧市街がかろうじて見渡せる。丘のすぐ下は「下の城」の区域で、1801年に破壊されて再建工事が完了間近の王宮(リトアニア大公宮殿)、20世紀に復元された兵器廠、17世紀に建てられてこちらも修復工事中の大聖堂が手に取るように見える。城の北にはネリス川が流れていて、川沿いの道のバス停でバスを待つ乗客が手に取るように見える。
城の丘を降りて、新市街のゲディミノ大通りを西へ。大聖堂前からほぼ1kmほどの場所に国の行政機関が集まった場所がある。そのちょうど真ん中辺りにある行政府広場(公園)の向かい側に、ソ連国家保安委員会(KGB)のリトアニア本部ビルを一般公開化した虐殺博物館(通称KGB博物館)がある。入場料4リタス(170円)払って入場。地下には独房がずらっと並んでいて、一部の部屋は防音室になっていて、扉にも吸音板が貼りつけられている。拷問されて叫んでも外に聞こえない部屋...。第二次大戦中は秘密国家警察(ゲシュタポ)の牢獄として使われ、第二次大戦後はKGBの牢獄として使われたところだ。Wikipediaによれば、1944年から1960年代にかけてこの牢獄で1000人が処刑されたとのことだ。上の階には取調室や通信機室、電話盗聴室などが当時の姿で残っていたり、KGBが使っていた特殊な事務機器や会議の記録などが展示されている。どこの国にも情報機関はあるのだが、過去のものであってもこうやって現物展示することは、治安維持の行き過ぎがもたらす大きな弊害を人々に知らせるいい機会となっていると思う。
虐殺博物館を出て、ゲディミノ大通りをさらに西へ。蛇行しているネリス川と交差するあたりに国会議事堂や国立図書館の巨大な建物が並んでいる。国会議事堂横には、1991年1月の血の日曜日事件でソ連軍と対峙して犠牲となった人のための慰霊碑が、当時のコンクリート製バリケードを加工して建てられている。
Tiltas(13:15発) → Stotis(13:25着)運賃 1.1リタス(約47円)
トロリーバスで中央駅まで戻り、バスターミナルのファミレスで昼食。昼からは旧市街の中心部にあるユダヤ人ゲットーだった地区を見に行く。第二次大戦の開戦時にはヴィリニュスの人口の4分の1がユダヤ人だったそうで、ドイツ占領下の1941年にゲットーが作られたそうだ。いまでは普通のアパートが並んだ住宅街のような場所になっているが、かつては強制収容所や絶滅収容所に送られる運命だった人達が13万人近く住んでいたという。観光客向けのレストランが並んでいるちょうどその場所に、ゲットーの門があったというプレートが埋め込まれていたりする。華やかな現代からは想像もつかない陰鬱な過去が、建物に埋め込まれた石や金属の説明板として静かに主張している。
夕方、旧市街とウジュピス地区の境にあるベルナルディン教会で、ロック・コンサートが開催されたので見に行ってみる。主祭壇の所をステージにして、教会とは思えないような派手な照明と、大音響の音楽。カトリック教会シトー会修道会というのが長ったらしい方の名前の教会だが、Wikipediaが言うところの"「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守り、彫刻や美術による教示を禁止した"ような厳格な戒律とロックコンサートはどうやって折り合いをつけているのだろうか...。
グダニスク行き夜行バスに乗るためバスターミナルへ。ユーロラインズと大きくラッピング文字を施したバスは22時30分にバスターミナルに入ってきた。隣にはベラルーシのミンスク行きの長距離バスが停車している。ミンスク行きは満員のようだが、グダニスク行きは定員の半分くらいの乗客。定刻通り22時50分出発。
Vilnius(22:50発) → Gdańsk(9:20着)運賃 109リタス(約4690円)
September 18, 2006 (Monday)
バスはカウナスまではA1高速道路を通り、そこから一般道を南下、午前2時にLazdijaiという場所でポーランドとの国境を越える。ぐっすり眠っていたら入国審査官に叩き起こされてパスポートを回収される。しばらくして帰ってきたパスポートを見ると、リトアニアとポーランドの両方のスタンプが押されている。EU加盟国同士なので効率的に行えるのだろう。出国検査場横にある免税売店で20分くらい休憩。タバコなどを買っている人が何人かいた。
ポーランド側に抜けても相変わらず片側1車線の、舗装状況のよくない一般道。バスが左右に揺れまくり、なかなか安眠とはいかない。大型トレーラーとめったにすれ違わないので、走っている道は両国間の幹線道路でないのか、あるいは物流は鉄道や船なのかのどちらかなのだろう。5時頃、オルシュティンと思われるバスターミナルに停車。霧の中の電光掲示板に11℃と表示されている。かなり寒い。7時過ぎ、明るくなってきたところでエルブロンクに停車。ここから先グダニスクまで、道路工事で道が凸凹な上に、通勤客と思われる車の渋滞に引っかかる。9時20分、定刻通りグダニスク中央駅裏手のバスターミナルに到着。
Gdańsk - Poland (グダニスク - ポーランド)
グダニスク、Wikipediaによれば人口45万人でポーランド第4位の都市。14世紀にハンザ同盟に加盟し、18世紀にプロセイン領に吸収された時にはダンツィヒと呼ばれるようになる。20世紀末期の民主化はグダニスク造船所でのストライキがひとつのキーポイントとなったと言われている。
とりあえず、バスターミナル横にある中央駅(Gdańsk Główny)へ。普通の切符売り場の奥にある、別室に作られた国際列車の窓口へ。2人前に並んでいた太ったオバサンが、えらく長い時間かかってややこしそうな切符を買っている。20分ほどで順番が回ってきて、グダニスクからワルシャワのインターシティー、ワルシャワからプラハの夜行列車の切符を入手(合計297ズロチ,11280円)。グダニスクからプラハの2等車の切符が249.24ズロチ、インターシティの追加料金が10ズロチ、寝台列車の追加料金が37.99ズロチというのが内訳。
これで旅行終了のプラハまでの交通機関はすべて確定した。
駅構内にはツーリストインフォメーションが無さそうなので、旧市街へ向かう。こんなこともあろうかと、Lonely Planetのコピーを持ってきて助かった。駅前は大規模な道路工事真っ最中。観光客向けの標識も外しているのだろうか、どちらに行けば旧市街方向かというのも全くわからない。頼りになるのは方位磁石くらいか...。旧市街へ向かう道には車が渋滞でのろのろ運転している。
およそ1km歩いて旧市街に入る。ハンザ同盟都市だったので、北ドイツの街並みとどことなく似ている。旧市街の規模はヴィリニュスやクライペダとは比べ物にならないくらい規模が大きく、リガと同じくらいの規模なのではないかと感じる。市庁舎前のトゥウーギ広場にあるツーリストインフォーメーションで泊まる場所を探してもらう。1泊100ズロチではドミトリーしか無いようなので、郊外でも構わないから最安値のペンションやB&Bは無いかと聞いてみる。市バスで10分くらい行った郊外に1泊120ズロチのペンションがあるという。今から向かうので、電話で予約しておいてもらう。ついでに市内交通1日券(24時間券)を1枚購入。9.10ズロチ(345円)。
Brama Wyżynna → Wagnera運賃 24時間乗車券9.1ズロチ(345円)
旧市街西側の高い門(Brama Wyżynna)前のバス停よりバスに乗り、ツーリストインフォメーションで教えてもらったワーグナーというバス停で下車。目指すペンションはベートーヴェン通りから一つ住宅街に入ったバッハ通りにある...。偉大な作曲家の名前をつけた新興住宅地か何かでしょうか。指定された住所の住宅には"For Sale"のような感じのポーランド語「Pokoje gościnne」と書かれた看板が掲げられていて、その下に小さく"BED AND BREAKFAST"と書いてある。
呼び鈴を押すと、中から家の持ち主のおばさんが出てきた。予約したペンションはここであっているようだ。最近の東欧のペンションは、以前の共産主義時代の「闇の部屋貸し」ではなく、西欧と同じようなB&Bのような感じになってきている。そのせいで、宿泊費用も高騰しているけれど...。2階のバス通り(ベートーヴェン通り)に面した部屋を割り当てられる。
Wagnera → Urząd Miejski運賃 24時間乗車券9.1ズロチ(345円)
再びバスに乗り市街地へ。旧市街のひとつ手前のバス停で降り、鉄道の線路沿いに中央駅に向かって歩く。通り沿いの労働局の4階建ての建物には無数の弾痕が残っている。第二次大戦の時のものなのだろうか。中央駅裏手のバスターミナルにある食堂、一昔前の人民食堂のようなカフェテリア形式の店で昼食。巨大なハンバーグ2枚とフレンチフライ山盛りで17ズロチ(650円)。この国にしては高いかも知れない。
再び旧市街へ向かう。ドイツ人団体観光客をたくさん見かけるが、日本人を含むアジア人種は全く見かけない。昨日まで居たバルト諸国と比べて、蒸し暑い感じがする。街の中の電光掲示板には25℃と表示されているのだが、案外湿度が高くなってきているのかもしれない。
街の北1kmほどの所にあるグダニスク造船所を見に行く。1980年、当時レーニン造船所と呼ばれていたこの場所で1万4千人の労働者が大規模ストライキをしたことが契機となり、ポーランドの民主化運動が進んだ、その記念すべき場所だ。1989年にポーランド国会の自由選挙が行われ、(旧共産党系の固定議席を除く)自由選挙枠の全議席を連帯系政党が獲得し、東欧で最初の非共産党政権が誕生したというのがそのストーリーだ。しかし、「旧共産党系の固定議席」というのが国会の過半数を占めていたという不公平さはなんとも言えませんね...。
造船所の正門の前には犠牲になった造船所労働者の記念碑が建てられていて、敷地境界のフェンスを通してよくわからないモニュメント的なものが疎らに並んでいる造船所構内が見渡せる。半製品とか資材類が全く見えないのだが、本当に造船業が軌道に乗っているのかよく分からないところだ。15時少し前、終業時間になったのだろうか、中からたくさんの人が出てくる。15時に終業...。仕事ないのかな。(案の定、EU委員会がポーランド政府の造船所に対する様々な優遇策は反競争的であるので停止するよう指導した、とBBCが2006年8月に"EU presses Poland over shipyards"と報道していたそうだ。)
造船所から出てくる社員は、男女同比率、いや、女性のほうが多い。重工業の造船所で、おばさんの業務とはいかなるものなのだろう。共産主義時代のプロパガンダ映画では、男女区別なく溶接や機械加工などガテン系の職場で働く人を賞賛していたが、今でもそうなのだろうか。
夕方になったので、旧市街に戻り、黄金の門の近くのビストロで夕食。おしゃれな店だが、ステーキ定食が20ズロチ(780円)と格安。この価格でスープに始まり前菜からデザートまでキッチリ出てくる。日が暮れて旧市街の建物がライトアップされる。緑の門からドゥーガ通り、市庁舎、トゥウーギ広場と旧市街のメインストリート沿いの建物は全て綺麗にライトアップされている。
bed and breakfast, Stemp-Tur120ズロチ(約4560円)
September 19, 2006 (Tuesday)
6時15分起床。まだ外は空が白み始めたところだ。7時から朝食。Bed and Breakfastなので豪華な朝食が提供される。多すぎて食べきれん...。今回の旅行で朝食が宿泊に含まれていたのは、今回が初めてだ。
8時、通勤・通学の人達の流れに逆らって、ペンションがある地区のすぐ横の高層アパート群を越えて丘を降りてみる。丘の麓にはカルフールの巨大なショッピングモールがあり、少し市街地側に歩くとトラムの終着駅らしき転回施設(軌道がぐるっとループになっている所)がある。
Siedlce → Pohulanka運賃 24時間乗車券9.1ズロチ(345円)
トラムに乗り旧市街へ。早朝のためほとんど観光客が来ていない。ドゥーガ通りの向こうより朝日が昇ってきていて眩しい。旧市街の東側を流れる旧モトワヴァ運河を渡る。運河の対岸からは絵葉書などで有名な運河沿いの旧市街の建物群と海洋博物館となっている巨大な木製クレーンの景色が見れる。
10時、中央駅よりマルボルク行きローカル列車に乗る。満員の車内で何とか座席を確保。列車は小さな駅全てに停車しながら、マルボルクまで1時間ほど掛けて走る。
Gdańsk Główny (10:00発) → Malbork (11:00着)運賃 9.5ズロチ(360円)
Malbork - Poland (マルボルク - ポーランド)
マルボルクに近づくと、ヴィスワ川支流の鉄橋を渡り、右手にこれから目指す赤茶色のレンガのマルボルク城がチラッと見えたと思ったら、それほど大きくない駅に到着。遠足の小学生の団体もここで下車。プラットホームは大混雑だ。
マルボルク。Wikipediaによれば13世紀にドイツ騎士団が建設した町で、かつてはマリーエンブルクと呼ばれていた。マルボルクは"マリアの町"のポーランド語読み。人口4万人弱。マルボルク城はヨーロッパ最大のゴシック様式の要塞、また世界最大のレンガ造りの城だそうだ。
駅を出て、小学生の団体の後ろにくっついて歩く。巨大な工場の横を抜けて幹線道路を横断すると、数百メートルの繁華街。もっと駅を城の近くに作ってくれたら便利なのに。城の入り口は町の繁華街から一番遠いところにあって、この観光地が鉄道を利用する人ではなく、自家用車や団体観光バスを利用する人のために形成されているのが分かる。
城の入場料25ズロチ(950円)払って入場。内部には観光客向けの案内看板など殆ど無く、世界一の広さのレンガ造りの城の中をどのように巡ってよいものか、さっぱりわからない。適当に他の観光客のあとにくっついて、入場口側より中の城(騎士団兵士の館)・高い城(騎士団長の城)と見て歩く。王宮ではなく騎士団の要塞なので、部屋の内装は地味だ。第二次大戦で被災したせいかどうかは知らないが、調度品がほとんどが撤去されてがらんどう状態。第二次大戦末期に、この要塞に篭ったドイツ軍をソ連軍が総攻撃したので、修復が進んでいた城の50%以上が廃墟となってしまったそうだ。
真っ青な青空と、緑の芝生、その中に建つ鮮やかな赤茶色のレンガ造りの城。写真撮影の題材には申し分のない題材だ。
13時少し前、城を出て町の繁華街へ。ケバブ屋で昼食(15ズロチ,570円)。やたら量が多いが、値段は高めだ。観光地価格だろうか...。ゆっくりと食事をした後に駅へ。次に来るグダニスク行き列車はインターシティーだ。30分ちょっとでグダニスクに到着するが、値段はローカル列車の3倍。ちょっとボリ過ぎではないだろうか。
Malbork (14:32発) → Gdańsk Główny (15:10着)運賃 30ズロチ(1140円)
Gdańsk - Poland (グダニスク - ポーランド)
先週のラトビア以来、ずっと快晴の日が続いていたが、久しぶりに雲が出てきた。天気予報によると、前線が近づいて雨が降るらしい。マルボルクでの観光の予定もほぼ終わり、のんびりと旧市街を歩く。ツーリストインフォメーションに行くと、インターネットカフェもやっているらしく、1時間6.5ズロチ(250円)で使ってみる。
夕食はマクドナルドでチキンマック・セットにサラダを付けて16.8ズロチ(640円)。日本とほぼ同じ価格だ。ちなみに、スーパーで2リットルのミネラル水とヨーグルトを買って2ズロチ(76円)と、食料品の原材料価格は格安だ。
Brama Wyżynna → Wagnera運賃 1.4ズロチ(53円) bed and breakfast, Stemp-Tur
120ズロチ(約4560円)