バルト海沿岸を旅する : ワルシャワ、プラハ
September 20, 2006 (Wednesday)
Gdańsk - Poland (グダニスク - ポーランド)
6時15分起床。外を見ると今にも雨が振りそうな天気。7時前、激しく雨が降り始める。今日は昼過ぎまでぶっ通しで列車に乗るので、しっかりとペンションの朝食を食べておく。テレビでは、日本の総理大臣が小泉純一郎から安倍晋太郎に変わるという事をチラッと報道していた。また、公共工事で金をばらまくだけの国に戻るのか...。天気予報では雨はすぐに通り過ぎて、再び快晴になるという予報だが、窓の外ではまだ激しく雨が降っている。
Wagnera → Bema184系統 Bus 運賃 1.4ズロチ(53円)
8時20分チェックアウト。ワーグナー バス停よりバスに乗り旧市街を目指す。雨だからなのか、普段からこうなのかは知らないが、市街地に入る手前で大渋滞。たくさんの人が途中のバス停で降りて歩き出すので、私もバックパックを背負ったままバスを降りて旧市街へ向かって歩く。雨はほとんどやんでいる状態で、東の空の雲の隙間から太陽が出ている。
聖母マリア教会へ。16世紀に建てられた巨大な建物は、欧州で最も大きなレンガ造りのゴシック教会だという事だ。旧市街の街並みが教会の建物のすぐ脇まで迫っているので、のっぺりとした外壁の建物がより一層そびえ立っているように見える。9時の鐘が大音響で流れる。列車に乗る時刻が近づいているので中央駅へ。
Gdańsk Główny (9:35発) → Warszawa Centralna (14:00着)Ex5310 運賃 249ズロチ(9460円:但しグダニスク〜プラハの料金)+ Express料金 10ズロチ(380円)
9時35分、IntercityではなくExpressという種別の列車に乗る。Intercityとの違いがよくわからないが、どちらであってもワルシャワまでの所要時間は4時間5分程度(5駅程度停車)。車内はほぼ満席で、指定券を買っていなければ座席にありつけないところだった。私が買った指定券のコンパートメントには、上品そうなお年寄りの女性1名、20歳台のスーツを着た女性2人組、途中のマルボルクから乗車してきた陽気なお年寄りの女性2名が乗っていた。
列車は時速150kmくらいで快調に走り、今朝グダニスクで雨を降らせた寒冷前線を追い越して大雨の区域を通過する。車窓の景色は大平原の小麦畑や牧場ばかりで、山や森を見かけることはなかった。12時ごろ、マルボルクから乗ってきたおばさん2名が、持ち込んだ食品を盛大に広げて昼食を食べ始める。私と、20歳台くらいの女性2名は食堂車へ。日本ではもちろんのこと、西欧でも食堂車が廃止されたり、喫茶スペースに転換した列車が多いが、ポーランドでは陶器製の皿に温かい料理を盛りつけて出す食堂車がまだ現役のようだ。鶏肉のローストとサラダ、パン、紅茶で15ズロチ(570円)。この価格設定は地元の人には高いとみえて、数百人が乗車している列車なのに、食堂車に来ている客は数えるほどしか居ない。
Warszawa - Poland (ワルシャワ - ポーランド)
13時過ぎ、ワルシャワ郊外に差し掛かると列車が急に減速する。先行列車が中央駅に入れずに渋滞しているようで、のろのろ進んだり停止したりを繰り返す。それでも定刻通り14時にワルシャワ中央駅に到着。
ワルシャワ、Wikipediaによればポーランドの首都で人口は170万人。17世紀にポーランドの首都がクラクフからここに移された。18世紀にポーランドがプロイセンに吸収された後、第二次大戦ではワルシャワ蜂起により市街地のほとんどが灰燼に帰したと説明されている。
列車を降り、プラットホームのエスカレーターを登ると、商店が並んだ地下街になっている。長距離鉄道の主要駅なんだから、切符売り場とかコンコースが無いのだろうかと探しまわる。やっとそれらしきものを見つけて、ツーリストインフォメーションで宿泊場所の相談をする。
今週は国際会議が行われるので、高いホテルから格安のホテルまで、どこも満室のようだ。中心部から少し離れていても構わないので、安い所から電話してもらうが、やはり満室。プライベートルームを紹介するという事で、何軒かに電話しているが、こちらも満員ばかりのようだ。やっと空いているという所があり、部屋の持ち主が中央駅まで迎えに来るとのことだ。
しばらくコンコースで待っていると、小汚い雰囲気のおっさんがやって来る。連れられて行ったのは、中央駅から歩いて5分ほどの地下鉄中央駅近くの古い高層アパート。隣はポロニア・ホテルのビルだ。その小汚いおっさんが私に見ろと強要したノートには、過去に泊まった客が残した「こんな良いプライベートルームは無い」というような感想文。こういう感想文を自慢げに持っている人間ほど救いがたい。最近掃除したのかどうか疑わしいくらい雑然とした汚い部屋に通され、ベッドではなく、汚らしいソファーで寝ろという。これで120ズロチ(4600円)とは、ボッタクリも甚だしい。それより前に、この国の観光案内所はこんな衛生状態の悪い、ベッドも無いようなボッタクリのプライベートルームを紹介するとは、観光客を馬鹿にするのも甚だしい。しかし、ここを断ると、ツーリストインフォメーションに1時間弱並び、ロシアンルーレットの宿泊場所をもう一度最初からやる必要があるので、これも最悪である。まあ、この街で宿泊場所のクオリティは諦めて、野宿よりマシと割りきってここに泊まるのが妥当だろう。
時間はすでに夕方だ。その糞アパートに荷物を置いて、とりあえず観光に出かける。中央駅前から旧市街までの2.6kmを、30分ほどで歩き到着。第二次世界大戦で独ソの最前線に置かれたため、完全に破壊された旧市街は、過去の写真などの記録を元にして完璧に再建されている。建物に付いていた傷や汚れまで再現しているんだから、すごいものである。しかし、単なる再現建築物が世界遺産登録基準に合致しているというのはどうも納得いかない。これが世界遺産なら、東映太秦映画村も江戸時代を再現した世界遺産なのではないだろうか...(笑
日も暮れたので、明日じっくりと見学することにしよう。
旧市街から戻ってくる途中、サスキ公園斜め向かいの中国料理屋で夕食。地元のガテン系労働者がたくさんやって来ている。豚肉入りの野菜炒めをご飯の上にかけた「ぶっ掛け飯」が9ズロチ(340円)。この大盛り定食だけで私には十分だが、地元民はさらに鶏の唐揚などを追加注文して食べている。カロリー取り過ぎだろう...。地下鉄中央駅横のネットカフェに行き、日本語が使えるパソコンを1時間ほど使う(4ズロチ,150円)。
糞アパートの部屋に戻ると、私のかばんが勝手に床面に移動されている。元から部屋にあった置物類の位置も若干変わっている。鍵をかけていたのに、オッサンが勝手に入ってきて中を模様替えしたらしい。そのオッサンが20時頃に勝手に部屋に入ってきて、今から下見の客が来るからとか何とか言って、大学生くらいのポーランド人の女性を2名連れて来た。もう、ポーランド人の頭の中はどうなってるか、訳が分かりません。そもそも、有色人種に対して強烈に差別感を持っているだけではなく、人間の一種だとも思っていないのだろうか。そう言えば、昨日マクドナルドでも執拗につり銭をごまかそうとしていたオバハン店員が居たが、人間以下でもあんたらよりは計算能力あるんですぜ(笑
private room, Andrzej Olczyk120ズロチ(約4560円)
September 21, 2006 (Thursday)
7時30分起床。オッサンに今日の部屋代を渡して外へ。糞アパートの部屋には1分たりとも長居はしたくない。外は快晴。少し肌寒いが、上着が必要な程でもない。地下鉄中央駅前のショッピングセンターにあるマクドナルドへ。メニューに書かれているポーランド語がよく分からないので、適当なのを指さしで注文すると、子供用のハッピーセット(9.5ズロチ,360円)だった。おもちゃ要らんよ...。
昨日、ツーリストインフォメーションで入手したワルシャワ・ゲットーのパンフレットを見ながら、新市街西側の高層アパートが立ち並んだ地区を歩く。地球の歩き方は論外だが、Lonely Planetにも旧ゲットーが現在のどのあたりに広がっていたのか、詳しくは書かれていない。パンフレットを貰わなければ、観光して歩くことなどできないだろう。Wikipediaによれば、ドイツ政府が建設したゲットーでは最大のもので、1940年に建設命令が出て、1942年には44.5万人の住民が居たそうだ。
ゲットーの南端は、現在は文化科学宮殿やワルシャワ中央駅がある区域のあたりまで広がっていたそうで、ガラス張りのオフィスビルが建ち並んでいる現在の姿からは想像できない。もちろん、ゲットーの境界線に沿って建てられていた壁も、現在では完全に撤去されて、中央駅付近にその痕跡は見られない。昨日、夕食を食べた"人民食堂"の場所もゲットーの東端あたりになっていて、そこから西へ向かって歩くとシナゴーグ( Nożyk Synagogue)がある。このあたりから西側に、昔の面影を残した古い建物がポツポツと残存している。
シナゴーグの横には、店のマークがダビデの星の食料品店があり、付近には周囲の共産主義高層アパートとは明らかに趣の違う、ボロボロのアパートが2棟向い合って建っている(GoogleMapでの場所)。道路に面した1階は廃墟のようになっていて、横引き式の金網でできたアコーディオン・シャッターで閉鎖されている雰囲気は、映画で見た第二次大戦の時代の景色のようだ。
ゲットーの境界壁が残っているという場所が残っているらしく、さらに西に行ってみる。共産主義時代に建設された4〜5階建てのアパートが建ち並んだSienna通りの、とあるアパートの中庭(GoogleMapでの場所)に"侵入"してみると、ボロボロになった赤レンガ壁が今でも住宅の境界として使われている。パンフレットに明示されている場所には、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館の金色の認定プレートが埋めこまれている。アメリカ政府のユダヤ人の肩入れは、ポーランドの歴史遺産にまで説明板を貼るくらいの執念深さだ。説明板には「米国で展示するために幾つかのレンガと金具を1989年に持ち帰ったと」書かれている。
その残存した壁の場所から北に向かうと、トラムの廃線跡が残るフォドナ(Chłodna)通りに出る。ユダヤ教ではないŚw. Andrzeja Apostoła教会がこの通り沿いに建っていて、ミロフスカ市場と共にユダヤ人ゲットー地区に食い込んだキリスト教地区となっている。かつての写真で、ユダヤ人ゲットー地区が分断されていて、歩道橋で南北のゲットーをつないでいたのはこのあたりだと思われる。(この通りの北を大ゲットー、南を小ゲットーと呼んでいたそうだ)
閉じ込めた人を逃げ出さないように隔離する、昔のドイツのユダヤ人政策だけでなく、近年ではベルリンに壁を作って逃げ出せないようにしていた東ドイツ、韓国の北側にも出国の自由が認められていないような共産主義国家もありますね。現代においても考えさせられる問題です。
Jana Pawła II大通り(戦後に作られた道路)を渡りミロフスカ市場へ。1901年に建設されたこの公設市場は、当時はワルシャワで一番大きなものだったそうだ。1944年のワルシャワ蜂起で灰燼に帰した後、共産主義時代に復元されたものらしい。現在はスーパーマーケットや食料品店などが入っている。
北へ1.5kmほどのところにあるゲットー記念碑の公園へ向かう。5階建てくらいのアパートが並ぶ地区の道路には、共産主義時代の東ドイツの国民車であるトラバントやヴァルトブルクがところどころに駐車されている。ゲットー記念碑のある公園には、昔の写真や地図、ワルシャワ蜂起の写真などを個人的に持ち寄って貼りつけた掲示板がある。ドイツ政府が建造したゲットーでは最大だったこの場所で、その記録を見せるのがこの個人的掲示板だけというのは少し寂しい気もする。将来的には、この場所にユダヤ人博物館が出来る予定だそうで、工事がすでに始まっている。その工事現場用の仮設トイレがあったので借用。
国際会議に来たのであろう中国人が、ガイドに連れられて大型ワゴン車から降りてきて、ひとしきり記念写真を撮影して去っていった。記念碑だけ見てどうすんねんと...。さらに少しだけ北に行くと高層アパートに囲まれた小さな空き地に、1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起の時にユダヤ人レジスタンスが用いた地下壕司令部跡(ミラ通り18番地ブンカー)がある。高校生の団体が見学していたので、その後ろにくっついて見学。
ゲットー跡見学の最後は、地下壕司令部から200m北にあるスタフキ通りの貨物駅跡。ここからユダヤ人捕虜がトレブリンカ絶滅収容所に向けて貨車に詰め込まれた場所だ。1942年の7月から9月に、30万人がこの場所から移送されたそうだ。現在はトラムの線路しか通っていないが、当時は1ブロック北にある国鉄の線路の引込線がこのあたりまで延びていたのだろう。
ゲットー跡見学を終え、さらに北東へ向かう。ガイドブックに「軍事施設(Citadel)」と書かれた地区がある。19世紀にロシア皇帝ニコライ1世の命令により、ロシア帝国軍のワルシャワ統治のために造られたそうだ。現在はポーランド軍の駐屯地となっているようで、至る所に「軍事施設 立入禁止」の看板が立てられている。駐屯地の中の旧第10号棟政治犯収容所が公開されていたので、入場料6ズロチ(230円)払って見学。
Most Gdański (12:00頃発) → KrólewskaTram 運賃 2.4ズロチ(91円)
ヴィスワ川に架かるグダニスク橋の停留所からトラムに乗り、サスキ公園へ。昨日の夕食と同じ人民食堂が集まる地区で昼食。昨日とは別の中国料理屋に入るが、メニューは似たようなものだ。近代的な高層ビルやショッピングセンターに囲まれたこの場所に、開発から取り残されたような人民食堂が何軒か残っているのは不思議だ。
食後、ワルシャワ中央駅の東1.5kmほどのところにあるポーランド軍事博物館へ。6ズロチ(230円)払って入場する建物の中には、中世から第二次大戦頃までの兵装が所狭しと展示されている。無料で見学できる屋外には、第二次大戦から1970年代くらいまでの兵器が大量に並んでいる。近世、軍事的にはあまり活躍することのなかったポーランド軍が、博物館の展示の充実度で他国の同種のものを圧倒しているのは、彼らなりの反撃の手法なのだろうか。来場者を迎える博物館の入り口には、T-55中戦車、T-34中戦車、IS-2重戦車、Mi-8ヘリコプター、スカッドミサイル発射装置、カチューシャ自走式多連装ロケットランチャーなど、第二次大戦や、戦後の冷戦時代の国際紛争で使われた有名な兵器がずらっと並んでいるさまは、さすがである。
private room, Andrzej Olczyk120ズロチ(約4560円)
September 22, 2006 (Friday)
8時30分、糞アパートをチェックアウト。ココだけは、二度と来たくないと感じるくらいの糞レベル最強だった。中央駅のコインロッカーに荷物を預ける。ロッカーの大型が15個・小型が10個というのは、首都の中央駅としてはいかにも少なすぎるという感じを受ける。大型の方しか空いていなかったのでそちらに荷物を格納。値段は8ズロチ(300円)。その後、昨日の朝食と同じく、地下鉄中央駅付近のマクドナルドで朝食。今日は間違えずに、ベーコン卵サンドのセットメニューを注文。8.5ズロチ(320円)。
マクドナルドに来る途中に撮影した文化科学宮殿の写真を液晶画面でチェックすると、青空にシミのようなものが写っている。CCDにホコリでも付いたのかと思い、レンズを外して見てみるとたしかに小さなホコリが付いている。ホコリを吹き飛ばすブロアはバックパックの中にあり、今はコインロッカーの中だ。息でフッと吹き飛ばせば... と浅はかなことを考えてしまい、息を噴きかけたところ唾も飛び散ってしまう。あぁ、CCDに唾のしぶきが何個か落下。レンズ用のクリーニングペーパーを爪楊枝状に折り曲げて、先端でCCDを掃除するが、なかなか唾の跡が取れない。30分くらい掛けて必死に掃除しまくり、なんとか目立つ画面上のシミは無くすことができた。カメラの小さい液晶画面では確認できないシミが大量に残っている可能性大。帰宅してからコンピューターの高解像度画面で見るのが恐ろしい...
旧市街へ向かう。再現建築された新しい建物なので、清潔でカラフルな旧市街。まるでテーマパークに来ているようにも感じる。長崎県にあるハウステンボスも、ワルシャワ旧市街くらいの気合の入れ方で再現建築すれば、もっと集客できて破綻を回避できたのかもしれない。旧市街の中心にある旧市街広場には、カフェの席が並んでいて、沢山の観光客がくつろいでいる。中央部には市の紋章にもなっている剣を持った人魚像が置かれている。地元の学生の遠足や欧州各国の観光客が多い中、日本人団体客が1グループ目立っている。最近は東欧などの目新しい場所を組み込まないと、ツアーが売れないのだろうか。
旧市街を越えてさらに北へ。放射線の研究でノーベル物理学賞を受賞したマリー・キュリーの博物館へ。学生の団体客が大量に並んでいるため、混雑がおさまるまで暫く道路のところで時間を潰す。地球の歩き方を読んでいる日本人が居たので声を掛けてみると、物理学科の修士課程の学生さんだった。ここを見学したあとにコペルニクス像を見に行くそうだ。今朝、プラハからワルシャワに列車で到着したそうで、車内で出会った牧師さんの家に泊めてもらっているそうだ。私が120ズロチの糞アパートしかなかったと話したら、呆れていた。で、彼はプラハで同じように泊まる所が全く見つからず、公園で野宿したそうな。最近の東欧は、宿泊価格が西欧なみに高騰するだけで、クオリティは一向に上がらないというむちゃくちゃな状態だ。
キュリー博物館に入場。入場料は8ズロチ(300円)。展示は、手抜きしまくりの印象を受けた。辞典やWebで収集したレベルの資料を大きな用紙に拡大印刷して、実験器具のレプリカが10数点ほど展示されているだけ。壁には元素周期表・エネルギー順位表がでかでかと貼り出されていて...。基礎的な物理学の説明だから、これ以上充実できないのは仕方ないのかな。放射線を実際に出しているような実験装置を実物展示することは難しかったのだろう。
ワルシャワに来て以来お気に入りの、サスキ公園斜め向かいの中国料理屋へ。8.5ズロチ(320円)の炒め物で昼食。その後、すぐ南側にある文化科学宮殿へ。展望台への入り口は、ツーリズム商談会・国際会議が行われている受付と同じところだ。旅行代理店の人を対象とした商談会のようで、それらしき人がたくさん出入りしている。展望台への入場券20ズロチ(760円)を購入して、エレベーターに乗り30階へ。高さ114mというその展望台からは、市街地が一望に見渡せる。ヴィスワ川や旧市街の方向には高い建物はそれほど無いが、旧ゲットー地区の北西方向には高層ビルが乱立している。
夕方、旧市街の夜景を見に行く。綿密に修復された旧市街の建物は、落ち着いたオレンジ色の照明で、綺麗にライトアップされている。観光客の数はぐっと減って、旧市街広場に並んでいるカフェには、もうほとんどお客さんは入っていなかった。21時、ワルシャワ中央駅に戻り、コインロッカーから荷物を取り出す。出発案内表示にプラハ行きは4番線と表示されているので、プラットホームに向かう。1本前に出発しているはずの列車が、かなり遅れて出発して、21時15分にプラハ行き快速列車ショパン号(列車のサボにそう書いてあった)が入ってくる。
Warszawa Centralna (21:20発) → Praha hlavní nádraží (7:00着)NEX203 運賃 249ズロチ(9460円:但しグダニスク〜プラハの料金)+ 簡易寝台料金 37.99ズロチ(1440円)
プラットホームで列車を待つ乗客の中に、日本人団体(20〜30歳台の夫婦連れの団体)や同年齢層の韓国人団体が10人くらいずつ居る。最近は、ツアーに鉄道移動という「エサ」をくっつけて売っているのだろうか。ただでさえ混雑している国際列車なんだから、金持ちツアーは飛行機やバスで移動してくれよ...(空気読めということ)。
予約券で指定された948号車に乗り込むと、寝台番号の若い方に日本人や韓国人の団体客が、番号が大きい方で禁煙ゾーンの方には地元の人が割り当てられている。鉄道会社が予約を受けた順番なのだろう。私が指定されたコンパートメントには、ポーランド人の兄妹2人、ポーランド系フランス人学生、チェコ人おじさんと私の5人。他のプラットホームの列車が軒並み遅れている中、プラハ行き夜行列車は定刻通り出発した。
そのポーランド人の兄妹は、なんと剣道のナショナルチームのキャプテンで、段位を持っているそうだ。プラハで行われる国際試合に遠征するところらしい。ポーランドは強いらしく、去年は2位だったという。日本に招かれて、武道館で試合したことや橋本元首相を表敬訪問したこともあるらしい。ポーランドには日本からJICAの指導員が派遣されていて、その人から剣道の指導を受けているそうだ。本格的ですね。
列車は順調にプラハに向かっているが、コンパートメント内ではウォッカの飲み比べが始まる。ロシア並の酒豪揃いで、日本人の私には到底太刀打ちできない。そんなこんなで、1時頃に就寝。
September 23, 2006 (Saturday)
2時頃、チェコとの国境駅に到着。国境審査官が乗り込んできて、パスポートをチラッと見ただけで終了。EU市民はパスポートではなく、EU市民カードを見せるだけ。最近発行された市民カードはクレジットカードサイズで、私が知っている巨大なラミネートされたカードからだいぶ進化しているようだ。
Praha - Czech (プラハ - チェコ)
7時、プラハ中央駅に到着。
プラハ、Wikipediaによればチェコの首都で人口は120万人。9世紀にプラハ城が建設され、多くの人が住むようになった。14世紀には神聖ローマ帝国の首都がプラハに定められたこともある。二度の世界大戦でもそれほど大きな被害を受けなかったため、ロマネスク建築以来の様々な建築様式の建物が保存されているとのことである。
駅構内の両替所で、余っていた70ズロチ(2660円)と30米ドル(3600円)をチェコの通貨950コルナ(5030円)に両替。中央駅構内のファストフードショップはどこも大混雑しているので、歩いて5分程度のところにある、国立博物館の横にあるマクドナルドに向かう。外は快晴。まだ朝早いし、今日は休日なので道路を歩いている人はほとんど居ない。地下鉄博物館駅前のマクドナルドも、まだ朝早いのでほとんどお客さんは来ていない。マックチキンのセットメニューを注文。139コルナ(730円)。結構高いな。
Muzeum (7:20頃発) → Nádraží HolešoviceMetro C line 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
博物館駅から地下鉄C線に乗り、プラハの郊外にあるプラハ・ホレショヴィツェ駅に向かう。インターネットで予約したホテルは、この駅から歩いて1km弱のところにあるはずだ。駅の出口のすぐ前には、疎らに建物が建っているだけで、これがプラハ市街地だとはとても思えない景色だ。GoogleMapで示されたルート通りに、5階建て位のアパートが建ち並ぶ住宅街を南に歩いて行くと、予約したホテルがあった。1泊3000円台なのに、綺麗なビジネスホテルだ。まだチェックインできないようなので、荷物を預かってもらい再びプラハの市街地に戻る。
そういえば、昨日キュリー博物館で出会った物理学修士課程の学生さんは、プラハは高くて泊まるところがなかったと言っていたが、インターネットで検索すればちゃんと泊まるところはあるものだ。ツーリストインフォメーションよりインターネットのほうが、格安旅行には威力を発揮するようだ。
Dělnická (7:50頃発) → Bílá labuť → Náměstí RepublikyTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
トラムに乗り旧市街へ。共和国広場で下車し、火薬塔のところから旧市街地区に入る。前回、2000年の夏に来た時には雨だったので薄暗い感じを受けた旧市街は、快晴の今日は華やかな印象を受ける。天気一つでこれほど印象が違うものだ。旧市街の中心にある旧市街広場には、まだ朝8時だというのに団体ツアー客などがたくさんやって来ている。市内地図を貰おうと、ツーリストインフォメーションを探すが、見つからない。「i」マークを掲げたTourist Infocentreなどという怪しげな民間の旅行会社がたくさんある。
旧市街を横切り、西側を流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋へ。企業の出張で日本から来たと思われるスーツを着たオッサンの一団が、会社の序列そのままの会話で通行客が居る橋のど真ん中でひたすら記念写真を撮っていた。商品やサービスの売り込み営業で来ているとすれば、これほど空気読めない連中が成功するはずないと思う。14世紀に造られた、欄干に30体の聖人像が建ち並んだカレル橋を渡って対岸へ。
プラハ城のあるフラチャヌィの丘に向かって、どんどん坂道がきつくなってゆく。麓のマラー・ストラナ地区からの標高差は80mもあるそうだ。20階相当の高さにエレベーターもエスカレーターもなく登り続けるのは、夜行列車で寝不足の体には少々きつい。坂を登っている観光客は数えるほどしか居なかったが、丘の上に到着すると溢れんばかりの人混みだ。観光バスでやって来た各国の団体ツアー客だ。週末なので城内の聖ヴィート大聖堂は午後からしか観光客の入場はできない。城の方は6年前に入場して見学したので、今回は大聖堂も含めて外観の撮影のみ。14世紀に建てられたゴシック様式の大聖堂や、世界で最も大きな城塞建築物と言われる城の建物群は、いつまで見ていても見飽きない。南から北へ城内を通りぬけ、黒塔を通って場外へ。
Malostranská (11:45頃発) → StaroměstskáMetro A line 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
旧市街広場の天文時計へ。ちょうど12時に時計の上部にある小さな扉から人形が回りながら出てくる仕掛けが動くのだが、沢山の観光客が固唾を飲んで見守っている。時間になった、複雑な大時計の上の小さな扉が開いて、時計に比べてあまりにも小さい、ちゃちな人形が回っているのが見える...。観光客の殆どは「あほらし」と思いつつ、パフォーマンスが終わるのを待たずに立ち去ってゆく。そういう観光客の人間観察するための場所ですね、ここは。
Staroměstská (12:15頃発) → Muzeum → VltavskáMetro A,C line 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
地下鉄を乗り継いて、旧市街の北にあるホレショビヴィツェ市場へ。19世紀末の食肉市場の跡地だそうだ。観光客向けではなく、地元の人向けの雑貨や服飾、食品スーパーなどが集まっている。旧市街ではほとんど見かけない中国人商人も、ここにはたくさん店を出していて、新品なのか中古なのかよく分からない品物を売っている。市場の中央部分にファストフードの屋台村があったので、タイ料理店に入り焼きそば定食のようなものを食べる。80コルナ(420円)。
市場からホテルへは歩いてすぐ。一旦ホテルに戻り、チェックインして昼寝。夕方、ホテルの近所のトラム駅前にある中国料理屋で夕食(65コルナ,345円)を食べてから、夜景を撮影するために再び旧市街へ向かう。
Dělnická (18:30頃発) → Bílá labuť → Náměstí RepublikyTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
19時を過ぎて、だんだん暮れゆく雲ひとつ無い濃紺色の空の下、旧市街広場の建物を照らすライトが、一つ、またひとつ点灯されてゆく。広場を行き交う観光客の数もだんだん減ってきて、静かになってゆく。昼間はたくさんの人が座り込んでいたヤン・フス像の周辺も、20時前には誰もいなくなっている。
Náměstí Republiky (20:00頃発) → Strossmayerovo náměstí → DělnickáTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券 Hotel Extol Inn、310B号室
617コルナ(約3270円)
September 24, 2006 (Sunday)
7時起床。7時30分から、1階のカフェテリアで朝食。今回の旅行で、朝食付きのホテルはここが初めてだし、自由に取り分けて食べられるおかずの種類も多いので、かなりお値打ちなホテルだ。ホテルのレセプションで市内交通24時間券を購入して、外へ。天気は今日も快晴だ。
今日は24時間券をフルに使って、観光客が余り行かないような場所を巡ってこようと思う。ホテルの近くから、旧市街と逆方向の路線に乗る。ホレショビヴィツェ駅の次の停留所が終点の系統のようで、巨大な見本市会場のようなところで下車させられる。
Dělnická (9:00頃発) → VýstavištěTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
産業会館(Průmyslový palác)という名前の巨大な建物では、何らかの展示会が行われるようで、準備作業の人達が集まってきていた。その横には国立博物館の分館として使われているLapidariumという建物がある。まだ朝早いからなのか、それとも一般公開はしていないのか、入口は閉じられている。
Výstaviště (9:15頃発) → Národní divadloTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
再び17系統のトラムに乗り、旧市街の西端を通って国民劇場前まで行く。このあたりから、プラハ城を背景としたカレル橋の姿が綺麗に見える。そこから東へ少し歩いて、地下鉄Národní třída駅周辺の繁華街に出る。新市庁舎や巨大なスーパーマーケットTESCOなどがあって、地元の人たくさんやって来ている。ネットカフェがあったので入ってみる(48コルナ/1時間,250円)。
ヴルタヴァ川沿いに走るトラムに乗り、マロストランスカ駅へ。コンパクトデジカメのビデオ機能で、運転席横から見た景色を撮影する。マロストランスカ駅で乗り換えて、見本市会場の1つ手前の停留所で下車。
Národní třída (10:15頃発) → Malostranská → VeletržníTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
停留所のすぐ前に近代美術館があり、道路を挟んだ反対側に中華料理屋があるので昼食を食べに入ってみる。69コルナ(360円)で炒めものの定食を食べる。旧市街のレストランは観光客料金で高すぎるし、マクドナルドも値段設定がこの国の物価水準に合っていないが、観光客の来ない地域のレストランの価格はそれなりに安くなっている。
Veletržní (13:10頃発) → Čechův mostTram 運賃 80コルナ(420円):24時間乗車券
チェコ橋のところまでトラムで行く。ヴルタヴァ川のすぐ横がレトナの丘という公園になっていて、かつてはその上にスターリンのモニュメントがあったそうだ。現在は公園になっているが、1989年のビロード革命の時にはこの公園で75万人のデモが行われたそうだ。
アール・ヌーヴォー様式のチェコ橋を渡り旧市街へ。旧市街広場北側のこのあたりは、12世紀頃よりユダヤ人街が作られていたところで、その後ユダヤ人ゲットーになった地区で、今でもたくさんのシナゴーグがある。シナゴーグやユダヤ人墓地の見学は6年前に終えているので、今回は景色を眺めて歩い見る。そもそも、週末はユダヤ人街の観光施設は全てお休みのようで、墓地の前にある切符売り場は閉まっている。旧ゲットーから旧市街広場に出る道の角には、20世紀初頭の作家フランツ・カフカの生家がある。1階は彼の名前を冠したカフェとなっている。
その後、旧市街やヴルタヴァ川対岸のマラー・ストラナ地区をのんびりと散歩する。
Hotel Extol Inn、310B号室617コルナ(約3270円)
September 25, 2006 (Monday)
旅行最終日、ホテルの朝食をゆっくりと食べ、9時少し前にチェックアウト。地下鉄ホレショビヴィツェ駅からプラハ公営交通の空港バスに乗る。車体は普通の市バスのようだが、系統番号がAE(Airport Express)となっているため運賃が別立てになっているようだ。昨日の24時間券はあと少し有効時間があるが、それでは乗れないそうだ。
Nádraží Holešovice (9:15発) → Praha, RUZYNĚ (9:50着)AE系統 Bus 運賃 45コルナ(240円)
バスは地下鉄A線終点のデイヴィツカー駅を経由して、6年前に宿泊した郊外のホテルの近くを通り、空港へ。急行バスなのでトラムや一般の市バスをどんどん抜いて行き、30分ほどで空港に到着。
Plague Ruzyně(12:45発) → Amsterdam Schiphol (14:15着)KLM 3124