モーゼル渓谷とチュニジア旅行記 : ゲント, ルクセンブルク
※ 未編集の旅行記です
December 15, 2006 (Friday)
関西空港から出発したKLM868便は、湿度が高く白っぽい青空の大阪を飛び立つ。淀川・琵琶湖上空から北アルプスへ。遠くには南アルプスと富士山が、眼下には冠雪した表銀座の峰々が見える。
通例なら、新潟・佐渡ヶ島上空から日本海を北上してロシアの沿海州に入るのだが、今回のコースは何故か日本列島を縦断するコースを飛んでいる。秋田市、八甲田山、津軽海峡、苫小牧 … と空気の澄んだ冬の空気を通してくっきりと地上の景色が見える。
夏頃の北朝鮮のミサイル実験のコースを避けるためなのか、シベリアのど真ん中にある巨大低気圧を避けるためなのか、今回の飛行コースは今までにない北寄りのルートを辿りそうだ。その上、機長が英語でアナウンスした飛行経路の情報を、日本人CAが訳して放送する時に「当機は上空27,000キロメートルを飛行し…」とぶっ飛んだ翻訳をしていた。もうね、上空250kmの国際宇宙ステーションどころか静止軌道まで飛んでいってしまいそうだ。
ハバロフスク上空を通り、シベリアを縦断して、通例より遥かに北の北極海上空のコースを飛んでいる。オランダに到着するまで、ずっと「昼間」の時間帯を飛んでいるのだが、冬の極夜で空は真っ暗だ。
ふと窓の外を見るとオーロラが見える。真珠色に光った雲が、じっと空の上にカーテンのような形を描いていたかと思うと、急に形を変えて消えたりする。
飛行機の飛んでいる高度は上空10kmほどで、普通の雲はこれより下にしか発生しない。しかし、太陽から来る粒子が地球の大気にあたって発光しているオーロラは、飛行機の飛んでいる位置の遥か上空に見えている。不思議な現象だ。2時間くらい、北の空に姿を変えつつ出現するオーロラを見ていた。
関西空港 (11:50発)→ Amsterdam Airport Schiphol(16:10着)KLM 868, 日本−チュニジア 往復運賃+諸税 138,650円
13時過ぎ、極夜が明けて空が段々と青紫色になり、飛行機はノルウェーの大西洋岸沿いを南下している。16時、日没寸前のアムステルダム・スキポール空港に着陸する。
Amsterdam Schiphol - Netherlands (アムステルダム・スキポール - オランダ)
天気は曇り、気温は8℃と着陸前の機内アナウンス。ドイツなど内陸は氷点下の寒さのはずだが、暖流が流れる大西洋沿いのオランダはそれほど寒くはない。機内に乗っていた200人ほどの乗客のうち、スキポール空港の荷物受け取りのベルトコンベアーに並んでいたのは10名ほど。殆どの乗客は、ヨーロッパのどこかの国に行く乗り継ぎ客なのだろう。今回は、日本人の団体ツアー客もほとんど見かけなかった。
入国審査場をサッと通過して、鉄道駅へ。デン・ハーグまでの切符を買い、タイミングよくやってきたインターシティーに乗車。17時なのに、車窓は既に真っ暗。車内にはほとんど走行音も入ってこないので、うっかりと寝過ごさないように注意が必要だ。
Schiphol(16:42発)→ Den haag HS(17:05着)Intercity, 運賃 7.6EUR(1,186円)
Den Haag - Netherlands (デン・ハーグ - オランダ)
デン・ハーグHS駅で下車し、駅のすぐ近くにあるユースホステルに向かう。ここには何度も来ているので、全く迷うこともなくチェックインを完了。
荷物を部屋に置き、夕食を食べようと食堂に行くと、団体客の先客が居る。今日は貸し切りのようだ。以前、市場の中の中華かインドネシア料理の快餐店に入ったことがあるので、そこに向かう。市街地の再開発で建物がごっそりと新しくなっていたが、安食堂街は新しいビルの1階に再入居していた。ご飯とおかずで4.5EUR(702円)、それにコーラ1.1EUR(171円)の夕食を食べる。
食後、歩行者天国となっている繁華街、HoogstraatやSpuiの辺りを見て回る。クリスマスで書き入れ時のはずが、普段通り律儀に18時閉店のようだ。歩いている人も殆ど無く、広場に作られたスケートリンクにも、この時間には殆ど人がいなくなっていた。
Stayokay The Hague108号室 ドミトリー 20EUR(3,120円)/1泊
December 16, 2006 (Saturday)
浅い睡眠で寝不足の中、6時30分起床。7時30分に食堂に行くが、入口の扉が閉まっており、5分ほど待たされる。7時50分チェックアウトし、吹き降りの雨の中をデン・ハーグHS駅に向かう。
たくさんの通勤客と共に、ブリュッセル行きのインターシティに乗る。
Den haag HS(08:06発)→ Antwerpen CS(09:35着 09:45発)→ Gent-Sint-Pieters(10:45着)Intercity, 運賃 29.0EUR(4,524円)
列車内はほぼ満員だったが、なんとか席を見つけて座る。吹き降りの雨が降る車窓、9時頃になるとだんだんと明るくなってくる。高緯度のヨーロッパでは、真冬の日の出は日本より2時間くらい遅い。
オランダ語・フランス語・英語の3ヶ国語での車内放送が、アントウェルペン中央駅でゲント方面は乗り換えと言っている。てっきり次のアントウェルペン・ベルヘム駅で乗り換えと思っていたので、間違えずに乗り換えることができた。
Gent - Belgium (ゲント - ベルギー)
アントウェルペン中央駅でオーステンデ行きインターシティに乗り換え、1時間ほどでベルギーのゲント(オランダ語の発音は「ヘント」)に到着。駅のコインロッカーに荷物を預け(2.6EUR, 406円)、売店でトラムの切符を2枚購入し、市内観光に出かける。
Gent Sint-Pietersstation → Korenmarkt(11:15頃着)Tram, 運賃 1.2EUR(187円)
駅前からトラムに乗る。車内は満員。狭い通りを走るトラムが、今どの辺りを進んでいるのかさっぱりわからない。15分ほどで、沢山の人が下車するので一緒に降りてみる。停留所の名前はコーレンマルクト広場で、地球の歩き方によれば旧市街中心らしい。
周囲を見回すと、階段破風の建物が通り沿いに並ぶ、オランダやドイツのような町並み。ベルギーの中で、この街はオランダ文化圏だとわかる。
コーレンマルクト広場の近くにそびえ立つ鐘楼は、高さが91mもあり街の象徴だそうだ。その東西には、こちらも高い塔を擁する聖バーフ教会と聖ニコラス教会がある。これだけ壮麗な公共建築があるということは、中世にはかなり栄えた街だったのだろう。Wikipediaによれば『中世後期において織布業の中心として繁栄し、その人口はパリにも匹敵するほどであった』とも書かれている。
聖バーフ教会の周囲には、クリスマスマーケットの露天が並んでいる。今日は雨なので、残念ながらお客さんはほとんど来ていない。
レイエ川を渡る橋から見る川沿いの景色も、オランダにそっくり。フランドル伯の城の前まで行って引き返す。少し吹き降りの雨で、写真撮影もままならない。
Gravensteen(11:55頃発)→ Gent Sint-Pietersstation(12:10頃着)Tram, 運賃 1.2EUR(187円)
トラムに乗り、朝列車を降りたゲント シント・ピーテルス駅に向かう。さらに国鉄のインターシティに乗り換えて、ブリュッセル中央駅で乗り継ぎのために下車。乗り継ぎ時間は40分間だ。
Gent-Sint-Pieters(12:27発)→ Bruxelles-Central(13:00着 13:40発)→ Luxembourg(16:40着)Intercity, 運賃 29.8EUR(4,649円)
ブリュッセルはフランス文化圏。駅のカフェに入り、ホットドックとカプチーノで昼食(4.2EUR, 655円)。店員さんも周囲の客も、フランス語を話している。
食後、今日の最終目的地であるルクセンブルク行きのインターシティに乗車。
列車は薄暗い雨模様の空の中、なだらかな丘陵地を走っていく。時折停車する駅、物悲しげなクリスマスの電飾が道路上にぶら下がっている。ブリュッセルを出発した時は満員だった乗客も、停車駅毎に少しずつ減って行き、ルクセンブルクとの国境に差し掛かる頃には1両に10人程度の乗客が残るだけだ。
Luxembourg (ルクセンブルク)
日も落ちて暗くなり始める頃、ルクセンブルク駅に到着。駅舎を出ると、外はしとしと降る雨に変わっている。
駅前の広場にはバスターミナルがあり、歩道にはクリスマスマーケットの屋台も出ている。インターネットで予約したユースホステル付近に向かうバスを探して乗車。
Gare Centrale(16:45頃発)→ Clausen, Plateau Altmunster(17:00頃着)Bus, Line 9, 運賃 1.5EUR(234円)
バスは、岩山の頂上に築かれた旧市街の賑やかな地域を横切って行く。あいにくの雨模様だが、沢山の人がクリスマスマーケットを楽しんでいるようすが、車窓越しに伺える。旧市街を通り過ぎ、岩山から降りる稜線上の道で下車。バス停の周囲には建物も何もなく、谷底に家々の明かりが見えるだけだ。
あらかじめGoogle Mapsの地図を印刷しておいたので、迷うこと無く崖を降りる階段を通って、谷底にあるユースホステルに到着。
チェックインし、食堂で夕食。7.5EUR(1,170円)で、デザートまで付いた満足感のある夕食だった。真冬のルクセンブルクに観光に来る人は少ないのだろう、食堂にもロビーにもほとんど客は居ない。泊まったドミトリーの部屋も、空きベッドが多かった。
Luxembourg City, Youth Hostel112号室 ドミトリー 17.6元(2,746円)/1泊
December 17, 2006 (Sunday)
6時45分起床。7時10分に食堂で朝食。パン、チーズ、ハム、シリアル、ヨーグルトのバイキング形式。オランダのYHと似たりよったりの品揃えだ。
昨日降っていた雨はやんで、濃い霧が出ている。昨夜は綺麗な夜景が見えていた200mほど西にある旧市街の岩山も、灰色の霧に覆われて全く見えない。
夜が明けて明るくなった9時頃、観光に出かける。ユースホステルの真上には、鉄道が走る長大な石橋が架かっているが、霧に包まれて上の方は霞んでいる。昨日バスを降りた岩山の稜線まで登る。
そこは単なる自然岩の稜線「馬の背」ではなく、稜線自体を城壁に改造した要塞ボックの一部だった。その城壁の上の道路を歩き、旧市街を目指す。半ば崩れ落ちている城壁や塔は、歴史を感じさせる。
ルクセンブルクは古代ローマの頃に、街道の重要な結節点に作られた要塞都市。それも、「北のジブラルタル」と言われるくらいの堅固な要塞都市だ。いま歩いているボックの城壁も中世に造られた「ルクセンブルク要塞」の一部で、普墺戦争の結果として結ばれた1867年のロンドン条約で武装解除(解体)を免れた数少ない歴史遺産の一つだそうだ。
ボック要塞と旧市街の間の狭い谷に架かるPont du châteauを渡る。ここから内側が旧市街だ。右手には中世に建てられた3つの塔の門(Trois Tours)と、城壁から張り出したスペイン風のタレット(Echauguette espagnole)がある。ここからふり返ると、谷底にある修道院とユースホステルが霧の中にかすかに見える。ボック要塞と谷底の建物は、モーゼル川の支流のアルゼット川の蛇行に囲まれている。まさに天然の要塞で、ローマ人が目をつけて拠点都市にしたのも分かる。
旧市街に足を踏み入れる。誰も歩いていない道、休日の早朝なのでお店も閉店しているところが多い。サン・ミッシェル教会、大公宮と、観光地なのに観光客が誰も居ない名所の前を通って、街の中心にあるノートルダム大聖堂へ。ちょうど日曜のミサを行っているところだったので、席の後ろの方に座って説教を聞く。クリスマスの時期なので、こういう体験もよいものだ。
国立歴史・美術博物館に入館する(5.0EUR, 780円)。ここで、古代ローマからのルクセンブルクの歴史をざっと復習できる。
昼食は、アルム広場のクリスマスマーケット屋台で、ホットドックとグリューワイン(4.5EUR, 702円)。ルクセンブルクはフランス文化圏のはずだが、クリスマスマーケットはドイツ風だ。
駅のある新市街へ行ってみる。旧市街と新市街の間に横たわる谷に架かるアドルフ橋を渡った先に、世界最大の製鉄メーカー アルセロール・ミッタルの本社がある。金融だけで稼いでいる世界一の金持ち国家と思われがちだが、かつて一世を風靡した重工業もいまだ現役の工業国家でもあるのだろう。
昨日、ベルギーからの列車が着いた駅まで自由大通り(Avenue de la Liberté)を歩き、引き返す。フランス風の名前が付けられた大通り沿いは、やはりフランス風で5階建てくらいのオスマン様式やアール・ヌーヴォー様式で統一感のある建物が並んでいる。
再び旧市街に戻りつつ、アドルフ橋あたりの要塞跡を観察する。ペトリュッス川に沿った崖には、中世の要塞の特徴である稜堡(bastion)が飛び出しているのが見える。一番手前に見える稜堡のペトルッシュ砲台(Casemates de la Pétrusse)に行ってみる。屋上は憲法広場と名付けられた駐車場。谷底からの高さ27mの稜堡の壁面には、57基の主砲口が設けられていたそうだが、ロンドン条約で全て埋められてしまったそうだ。眼下に見える付属稜堡には砲口が埋められずに残っているので、あんな感じだったのかなと想像する。
午前中とは違い、アルム広場付近のクリスマスマーケットには、沢山の人が歩いている。それだけでなく、旧市街のいたる所に観光客なのか地元民なのか、沢山の人が街歩きを楽しんでいる。その旧市街の周囲の道路は、大量の路肩駐車の車であふれかえっている。公共交通機関を利用しないのは、やはりフランス文化の影響なのかな。
18時頃、ユースホステルに戻り夕食(7.5EUR, 1,170円)。昨日と同じく、豪華な夕食。チキンローストは、鶏の半匹分の丸焼きだった。
Luxembourg City, Youth Hostel112号室 ドミトリー 17.6元(2,746円)/1泊