モーゼル渓谷とチュニジア旅行記 : チュニス、カルタゴ

※ 未編集の旅行記です

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December 26, 2006 (Tuesday)

Sousse - Tunisia (スース - チュニジア)

スース旧市街のグラン・モスク横のホテル。下痢で一睡も出来ない夜を過ごす。といっても、早朝の2〜3時間は寝てたかな…。隣室に泊まっているオッサンは、昨晩も頻繁に洗面所で騒々しく痰を吐き、早朝に出て行った。ったく、散々な夜だ。

7時、1階の食堂へ行くが扉がしっかりと閉まっている。「petit déjeuner 7:00 〜」と掲示されてるのに…。結局、朝食は8時からだった。手早く食べて、昨日の午前中に観光を共にした、日本人女性の部屋に挨拶に行ってからチェックアウト。

夜中に雨が降ったようで、旧市街の石畳が濡れている。旧市街に隣接した駅へ行くと、ちょうど南方向のガベス行きが出発するところだ。切符売り場の行列に並ぶ。私の前に並んでいた兄ちゃんは、「列車は出発済み」と言われていたが、まさかそれはチュニス行き? 私の順番が回ってきて、無事チュニス行き列車の1等車の切符を買えた。

8時25分頃、行き止まりの駅にゆっくりと3両編成の列車が入線してきた。相当ボロい列車で、その中でも1等車が最高のボロさだ。

Train
Sousse(08:35発)→ Tunis(10:45着)
Train 5/62, 1等車 運賃 8.45ディナール(769円)

ディーゼル機関車が牽引する3両編成の列車。そこらじゅうで警笛を鳴らしまくる理由は、線路に勝手に人が入ってきているから。遊牧民なのか、単に踏切もフェンスも無い線路が悪いのか…。

この列車の車両はかなり年季が入っているが、1等車のコンパートメント内は静かで、しっかりと冷房も効いている。その上、定時通り走るとなれば、「文句なしの快適な鉄道」だ。見かけで判断してはいかんね…。

途中3駅ほど停車し、およそ140kmの距離を2時間ほどで走破する。表定速度70km/hは、遥かに維持費を掛けている日本の在来線特急といい勝負だ。

Tunis - Tunisia (チュニス - チュニジア)

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10時45分、1週間ぶりにチュニス駅に戻ってきた。駅を出て、旧市街(メディナ)フランス門を目指して歩く。公設市場の横にあるホテル(Hôtel Commodore)を訪ねてみる。部屋を見て、1泊25ディナール(2,275円)なのでここに決める。

荷物を置き、周辺を探索。公設市場の入口には、長期独裁のベン・アリー大統領の写真が掲げられている。この国では、いたる所に大統領の写真が掲示されていて、ちょっと気持ち悪い。この市場は魚や野菜を売る一般的な公設市場だ。周辺には食堂や雑貨屋が並び、便利な地区だ。

旧市街(メディナ)に向かう。フランス門(バール門)から土産物屋が軒を連ねる路地(Rue Jamaa Ez Zitouna)を西へ。土産物には興味ないので、さっさと通り過ぎると、突き当りにグラン・モスク(アル・ジトゥーナ・モスク)がある。入場料2ディナール(182円)。中に入ると、大きな中庭を取り囲む回廊。はちみつ色の高さ43mのミナレット。160本あるという回廊や礼拝室の柱は、カルタゴ時代の資材を再利用したものだそうだ。

つまり、カルタゴの遺跡を「破壊」して新しい建物の資材にしたってことでしょ…

スースのクラン・モスクと違い、ここでは礼拝室は見学させてくれなかった。宗教的に微妙なのだろう。

モスクを出て、さらに西へ。モスクのようなアラブ風の建物が建ち並ぶ官庁街(ダール・エル・ベイ)だ。17世紀に宮殿として建てられたものを、首相官邸として再利用しているそうだ。

一旦ホテルのそばまで戻り、ヨーロッパ風のカフェに入る。パスタを注文すると、アルミホイルに包まれて出てきたパスタは完全にのびていて、むちゃくちゃ塩辛い。5ディナール(455円)もするのに、何かの罰ゲームの食べ物ですか…。もろに観光客向けの飲食店はダメだわ。

午後は、トラムに乗って郊外にあるバルドー博物館を見学に行く。

Tram
Ibn Rachiq(13:25頃発)→ Bardo(13:55頃着)
Tunis Métro, Ligne 4, 運賃 0.45ディナール(41円)

列車は、乗車したパリ通り(Avenue de Paris)でいきなり渋滞に巻き込まれノロノロ運転。名前だけ「メトロ」で、実際は渋滞に巻き込まれまくる「トラム」だ。ほんの4kmほど西に行くだけで、30分も掛かる。

バルドー停留所で下車すると、すぐ目の前がバルドー博物館。しかし、入口が見つからない。自動車用の標識に従い、駐車場を通って入場する。観光バスで来る団体客が主な客層なので、列車で来ることは想定していないのかもしれない。

この博物館はチュニジアで最大の博物館で、13世紀の宮殿跡を再利用した建物だそうだ。建物自体がイスラム帝国時代の「作品」なわけだが、それに加えて館内には、古代ローマ時代のモザイクや碑文、彫像がたくさん収蔵展示されている。入場料は6ディナール(546円)。

ポエニ戦争でローマに打ち負かされたカルタゴは、破壊され焼きつくされ、草木も生えないように塩まで撒かれたと言われる。大カトーをして『それでも、カルタゴは滅ぼさなくてはならない (CARTHAGO DELENDA EST)』と言わしめるほど、ローマ人の目の敵にされたカルタゴだった。しかし、ローマが地中海世界を完全征服して余裕ができた後は、この街もまた再建されてアフリカ属州最大の都市になっちゃったわけだ。だから、この博物館に飾られているような見事な美術品が残っているのだろう。

1時間ほど展示物を鑑賞し、トラムに乗り市内中心部に戻る。

Tram
Bard(15:20頃発)→ Ibn Rachiq(15:40頃着)
Tunis Métro, Ligne 4, 運賃 0.45ディナール(41円)

列車は等間隔で運行されているのではなく、交通渋滞などで遅れ、団子状態で走っているようだ。郊外行きのが3本連続で来たが、市内行きは20分ほど待たされた。

ホテルに一旦戻る。昨晩から続く下痢は、まだ尾を引いている。いつになったら回復するんだろうか…

夕刻、ホテルの近くのレストランでチキン・ローストを食べる(4ディナール, 364円)。客から見えるキッチンで、調理済みの料理も仮置きしているのに、コックがマスクもせずに咳をしているのはどうにかならんものか…。

Hotel
Hôtel Commodore
ツイン 25ディナール(2,275円)/1泊

December 27, 2006 (Tuesday)

蚊が多く良く寝れず。地中海世界は、真冬でも蚊が出るようだ。つまり、北アフリカは蚊が死滅するほど寒くはならないということなのだろう。

8時、ホテルの食堂で朝食。その後、カルタゴに行くために、新市街の東端にある郊外電車TGMのチュニス・マリン駅に向かう。フランス門前より、新市街の目抜き通りであるハビブ・ブルキバ通りを東へ。駅のある港湾地区に入る直前、道のど真ん中に巨大な時計塔が建っている。

通りの東端にあるチュニス・マリン駅からは、列車が到着する度に通勤客が吐き出されてくる。その人の流れに逆らって駅に入場し、プラットホームに停まっている列車に乗り込む。しばらくすると列車が出発…… ナゼかゆっくりと逆走し数メートル進んで急ブレーキ。乗客は一斉にプラットホームの向かい側の列車に殺到し、閉まっているドアをこじ開けて乗り込む。しかし、何を思い直したのか、また逆走した方の列車が正しいということで、そちらに乗客が殺到…

どっちの列車が先発なのか、出発案内の掲示くらいしろよ。国民性が、かなりいい加減なのかな…。

Train
Tunis Marine(09:00頃発)→ Carthage Hannibal(09:20頃着)
TGM, 運賃 0.85ディナール(77円)

Carthāgō - Tunisia (カルタゴ - チュニジア)

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通勤と逆方向の郊外に向かう列車だが、ほぼすべての席が埋まった状態で出発。まもなく、チュニス湖のどまんなかを一直線に貫く堤防の上を走る。この堤防は、チュニスとカルタゴを結ぶ最短距離の道として、ローマ帝国が建設したものが起源だ。

堤防のど真ん中あたり、この国ではありえないような近代的な高架道路の建設現場がある。現場事務所には、寸法比率のおかしい日の丸と、大成建設の社旗が…。日本クオリティなら、この整然とした工事現場もありえるだろう。

空港とは全く関係ない「空港駅」にも停車する。ややこしい命名の駅だな。カルタゴ・ハンニバル駅で下車。チュニジア(カルタゴ)最大の英雄の名を冠した駅、駅前はごく普通の住宅街だ。

この駅の東にはアントニヌス浴場跡が、北にはローマ劇場と住居跡が、西にあるビュルサの丘の上には国立博物館がある。つまり、古代カルタゴ市のどまんなかに位置しているから、英雄の名前を冠したのだろう。

まず、アントニヌス浴場跡に向かう。駅から海の方へ向かうゆるい坂道を降りてゆく。ここもまた、徒歩で来る個人客のための標識は全く無く、自動車(観光バス)中心だ。駅から5分ちょっと歩くと、公衆浴場遺跡のゲートに到着。切符は7ディナール(637円)で、カルタゴの主だった遺跡を見ることが出来る共通券だ。

ここは、ローマ帝国が最も安定していた時期、皇帝アントニヌス・ピウスの治世下に建てられたので、アントニヌス浴場と呼ばれている。

遺跡の敷地はかなり広く、手前には沢山の円柱部材が転がっていて、その向こうに半ば崩壊したアーチ屋根の一部が残存している。巨大な岩のレンガを使った建物基礎部分や、ローマコンクリートを使ったアーチ屋根が見事に崩壊している。ローマ帝国が滅んだのち、建築資材として部品取りされたのだろう。それでも、ローマが誇るコンクリートを完全に消滅するまで切り崩すのは、中世の人たちには無理だったようだ。

ヨーロッパ人の団体客が居る。ガイドの話を熱心に聞いているだけで、崩れ落ちた遺跡の中を歩かないようだ。事前に書物を読んで、現地ではガイド無しで自分の目と足で体感するほうが良いと思うんだけど…。

次に、ローマ人の住居跡に向かう。ビュルサの丘の縁を徐々に登り、TGMの踏切を渡ってすぐ、住宅街の中にポルトガル領事館。綺麗なブーゲンビリアの咲く路地を入って行くと、ローマ人住居跡の入場口がある。緩やかな斜面に、おそらく低層住宅の跡と思われる遺構が広がっている。中庭を円柱が並ぶ回廊が取り囲む、いわゆる上流階級の邸宅(ドムス)が見事に残っている。ローマ滅びしあと、長い間土の下に埋もれて現在まで残ったのだろう。

遺跡を管理しているおっちゃんが、スコップを持って歩いている。おもむろに木陰に立ち止まり、立ちしょんべん。遺跡に対する愛が感じられない…

斜面のひときわ高い所に出ると、その向こうには住居跡遺跡をぶっ潰して巨大な新築のモスクが建っている。2000年前の歴史より、最新のモスクのほうが大事ですか。

一旦住居跡遺跡を出て、公衆浴場跡から登ってきた道をもう少し登って行くと、ローマ劇場跡がある。ここは、コンサートなどが行えるように過剰復元されたところだ。今日はコンサートが開かれていないようなので、半分開いた門から中に滑り込み見物する。半円形の座席の一部に、往時の遺構が残されている。全て作りなおさなかったのは、チュニジア人にも遺跡への愛はあるのだな。

住宅街の中の坂道を登り、ビュルサの丘の頂上を目指す。現代の住宅が、古代ローマの遺構の上に建てられているところもある。2000年前の遺構は現代の建物を支えられるだけの強度が残っているようだ。ローマのフォロ・ロマーノにあるタブラリウムの上に現代の市庁舎が建てられているように…。

ビュルサの丘の山頂にやってきた。かつてのフォルムの跡地に、19世紀に建てられたアクロポリウムと呼ばれる大聖堂が建っている。その隣に、カルタゴ博物館。観たかったのはこちらの方だ。観光バスでやって来た団体客もたくさん居る。

カルタゴの本拠地にある博物館、かなり期待したが、実際はがっかり施設だった。そもそも、展示物が少なすぎるのだ。ポエニ戦争以前のカルタゴのものは、ローマに徹底的に破壊されたので無いのは理解できる。しかし、ローマ時代のものはこんなに少ないはずはない。公衆浴場や円形闘技場、住宅跡など周辺の遺跡が見事に残っているのに比べて、博物館に展示されている出土品が少なすぎるのだ。そのうえ、博物館入口付近に掲示されている古代カルタゴローマ時代のカルタゴの想像図が、あまりにも安っぽく描かれてすぎている。

このがっかり感は、共和政ローマを死の淵まで追い詰めるほどの「紀元前に大繁栄したフェニキア人のカルタゴ」に対する期待が大きすぎたからなのだろうか。

丘の上から、周辺を眺める。なだらかな斜面に住宅が建ち並び、その向こうは地中海だ。円形の軍港跡も見えている。想像していた都市の規模より、かなり小さい。ローマ軍に包囲されたら、籠城して持ちこたえるだけの規模がないと感じた。

丘の反対側の斜面を下り、円形闘技場に向かう。カルタゴ博物館を出た何台かの観光バスが通りすぎてゆくが、円形闘技場には立ち寄らないようだ。そもそも駐車場もないし、切符売り場なども存在せず、興味ある人は勝手に見てくれのレベルだ。観客席部分は崩落して持ち去られ、ほぼ平地状態だ。しかし、グランド部分は地下部分も含めて、かなり良い状態で残っている。1世紀末から2世紀初め頃に造られた、3万人収容の闘技場だそうだ。

闘技場を後にし、円形軍港の方向へ歩く。途中の広い空き地で、羊市が開かれている。エジプトでラクダ市を見たことがあるが、羊市を見たのは初めてだ。空き地の中を歩いて、興味津々に羊を見ていると、「一匹買って帰るか」と声を掛けられたりする。田舎に住んでたら、雑草を食べてくれるペットとして飼ってもいいかな…。

なだらかか丘の斜面をどんどん下り、まもなく地中海。住宅街の中にトフェと呼ばれる墓場なのか聖地なのか微妙な遺跡がある。ポエニ戦争以前のカルタゴ時代に造られた何らかの聖域とのこと。フェニキア人が信仰したバアル・ハモン神やタニト神を祀っているそうだ。

今日最後の訪問地、円形の軍港跡に到着。現代の感覚では、使いにくそうな港やなと思ってしまう円形の港。ローマ近郊のオスティアにはトラヤヌス帝が造った「六角形の港」があるので、円形は案外合理的なのかもしれない。

Train
Carthage Byrsa(12:45頃発)→ Tunis Marine(13:05頃着)
TGM, 運賃 0.85ディナール(77円)

Tunis - Tunisia (チュニス - チュニジア)

チュニスに到着。一旦停まっているホテルに戻り、近隣にあるレストランに入る。昼食はケバブと水(4.5ディナール, 410円)。

午後からは旧市街(メディナ)を探索する。観光客向けの店があまりない地区を中心に、路地を行ったり来たり。羊を飼っている家もあるが、こんな大都会で雑草の刈り取り役でもないだろうし、羊乳のチーズでも作るんだろうか。

夕食もホテルの近くの店で、チキンケバブと水(2.5ディナール, 228円)。

Hotel
Hôtel Commodore
ツイン 25ディナール(2,275円)/1泊

December 28, 2006 (Wednesday)

早朝、5時50分にホテルをチェックアウト。昨日の晩、6時前に出発すると受付の人に言っておいたんだが、結局誰も居ない。鍵を受付のデスクに放置して勝手に出ていくことにする。

さて、これから空港に行くのだが、どこでタクシーを捕まえようか。新市街のハビブ・ブルキバ通りに出るために歩いていると、偶然後からタクシーがやって来る。

TAXI
Tunis(06:10頃発)→ Tunis-Carthage Airport(06:40頃着)
TAXI, 運賃 3.2ディナール(291円)

タクシーのメーター走行で、正直に3.2ディナールの運賃が請求された。往路、入国時に空港から市街地まで乗ったタクシーは6ディナールだった。今回の運転手は、かなり正直ないい人なのだろう。

空港で残ったお金を換金する。21.6ディナールが12ユーロに変わった。今回のチュニジア旅行で使ったお金は、ATMで出金した350ディナールから、残った21ディナールを引いて、338ディナール。日本円に直すと30,758円。およそ7日旅行したので、1日あたり4,394円となる。

Alrline
Tunis-Carthage(08:55発)→ Paris-Charles-de-Gaulle(11:30着)
KLM 2173, 日本−チュニジア 往復運賃+諸税 138,650円
Alrline
Paris-Charles-de-Gaulle(12:45発)→ Amsterdam Airport Schiphol(14:00着)
KLM 2012, 日本−チュニジア 往復運賃+諸税 138,650円
Alrline
Amsterdam Airport Schiphol(15:15発)→ 関西空港(+1日 10:20着)
KLM 867, 日本−チュニジア 往復運賃+諸税 138,650円

アムステルダムからチュニジアに行く直通便はないから、いったん、パリを経由する。うんざりするくらいの長い合計搭乗時間になる。