バルカン半島南部旅日記 :
スベティ・ネウム、ティラナ、ジロカストラ、サランダ
アルバニア。
「地球の歩き方」は刊行されていない。英語版のガイドブック「Lonely Planet 西バルカン半島」に情報はあるが...
本当に国境を越えれるのか。 交通機関はどうなっているのか。 そもそもビザは要るのか要らないのか...
分からないことだらけで、Google検索で出てきた 「国境を徒歩で越えれるはず」 とか、「ビザは国境検査所で即時発行」、「バスの時刻表は無い?」 などの確信がもてない情報だけで現地へ出発。
現地で体験したことを「そのまま」このページに書き込みます。誰かの役に立つかな...?
September 28, 2007 (Friday)
Ohrid, Охрид - Macedonia (オフリド - マケドニア)
プライベートルーム(ベリチェ・シピンコスキさんの家)は自動車の走る11月7日通りから奥まったところにあり、ものすごく静かだ。朝5時に目覚ましを合わせておいて起きる。外は当然真っ暗。星が出ているので、晴れているのだろう。
11月7日通りのパン屋へ行き、朝食のブレク(40ディナール,約104円)とヨーグルト(15ディナール,約39円)を買ってくる。パン屋が24時間営業なのは、共産主義の名残なのだろうか。プライベートルームの部屋に戻りブレクを食べ、5時50分に鍵を机の上に置いて出発する。
アルバニアのティラナまでの180kmの道のりを、何とか今日中に踏破したい。
昨日見つけておいたスベティ・ネウム行きのバス停へ。時刻表では6時15分に来るはずのバスが、5分早めの6時10分に来て出発。時刻表あてにならないな...
乗客は数人のおじさんとおばさんのみで、通勤目的以外の客は私だけの模様だ。スベティ・ネウムまでの運賃100ディナール(約260円)払う。
Bus 運賃 100ディナール(約260円)
オフリド湖の東岸に沿った道を南へ。夜が明けて、だんだん明るくなってくる。途中の小さな町で何人か降りて、何人か乗り込んでくる。20分くらいすると山脈が湖に迫ってきて、バスは崖沿いの道を走る。山道が終わり、平野のようなところに降りてゆく。遥か向こうにアルバニアのポグラデツの町が見える。平野にある小さな町を過ぎると、アルバニア方面への道とスベティ・ネウムへの道が分岐。隣に座っているおじいさんが、もうすぐスベティ・ネウムだと教えてくれる。アルバニアへ行くには、今通過した分岐点まで戻ってくる必要性があると教えてくれる。
Sveti Naum, Св. Наум - Macedonia (スベティ・ネウム - マケドニア)
スベティ・ネウムのバス停で折り返して行くバス
6時50分、スベティ・ネウムのバス停に到着。バスはUターンして分岐点まで引き返してゆく。ココから先バスに乗っている乗客は、国境ゲートの職員だと後で分かった。
どちらがスベティ・ネウムなのかという標識は無いが、道が一本しかないのでそちらの方へ歩いてゆく。夏の観光シーズンには土産物などを売るであろう屋台の残骸が、寒々しく並んでいる。
オフリド湖にすごい勢いで水が流れ込んでいる小川に架かる橋を渡る。看板には「スベティ・ネウム泉」と書かれている。すごい勢いで水が沸いているものだ。
スベティ・ネウム聖堂
日の出直後の朝日を受けて、オレンジ色に染まっている
ホテルがある。スベティ・ネウム ホテル。事前にインターネットで仕入れた情報では、このホテルの中庭にネウム聖堂があるようだが、ホテルは朝早いので営業している気配がない。先ほどのバスを降りた他の乗客は、ホテルの前を通り過ぎ、左奥にある裏門のほうへ進んで行く。従業員だろうか...
ついて行ってみると、裏口の門のようなところから入り従業員用の建物のような入口に消えてゆく。教会らしきものは見当たらないので、ココが中庭と言うことではないようだ。
スベティ・ネウム聖堂付近から見た、ポグラデツ方向
左側のオフリド湖に突き出した岬の上にある白い建物は
マケドニア側の国境検査所の建物
ホテルの裏口の扉がチラッと開いて、おじさんが手招きしている。行ってみると、そこから中庭に入ることが出来るようだ。中に入ると、オフリドのカネヨ聖堂と同じような小さな教会がぽつんと建っている。私の横から、大きな鳥が付いて入ってくる。ニワトリでない真っ黒な鳥。よく見れば、クジャクのようだ。
湖に面したテラスからは、ポグラデツの町が遠くに見える。しばらく、ぼんやりと湖のほうを見ていると、先ほどのおじさんが来て聖堂の鍵を開けて中に入れてくれた。10世紀に建てられたといわれている聖堂の内部は、フレスコ画や板に描かれたイコンで覆われている。(フレスコ画などのイコンは19世紀のものらしいが...)
結局最後まで入場料は取られなかった。
7時30分、東の稜線から朝日が昇ってくる。聖堂に太陽が当たり始める。クジャクが聖堂の塔に飛び乗って、太陽を浴びている。聖堂の修復工事をしているおじさんがやってきて、クジャクに続いて聖堂の足場を登ってゆく。
Манастир Св. Наум,スベティ・ネウム聖堂(07:40頃発) → Albanian border control,アルバニア 国境検問(08:30頃着)徒歩、マケドニア側 手数料 無し、アルバニア側 手数料1ユーロ(162円)
アタナス聖堂
(アルバニア国境へ向かう道から撮影)
聖堂を出発して国境を目指す。
バス停を通り過ぎ、分岐点の方向を目指す。「アタナス聖堂」と書かれたプレートがあり、どうも近道のような気がしてならない小さな道が南の方向へ分岐している。小さな道が山にぶつかると思われるあたりに、赤い屋根が見えている。
行って見ようかと迷ったが、もし行き止まりだったらガッカリなので、オーソドックスに分岐点まで戻ることにする。
スベティ・ネウムとアルバニア国境への道の分岐点
1.5kmほど東へ歩いて、7時55分に分岐点に到達。スベティ・ネウムとアルバニアと書かれた黄色い看板がある。道は確かに、アルバニア方向へ通じているようだ。
少し行くと、「2km」と目的地の部分の文字が折り取られてしまった標識がある。さらに、「警告! 国境地域。許可書保持者のみ通行可能」と書かれた看板も。「許可証」とは何なのだろうか。国境警備隊に捕まったときは、日本のパスポートを示して「外務大臣が支障なく通過させよとお宅の政府に要請してるぞ」と、パスポートの1ページ目でも見せようかと考えたりする。
マケドニア側の国境ゲート付近の道路
右の路肩に「税関あり」の標識
8時、アタナス聖堂の脇を通過。聖堂の建物の横から、国境へ続く道へ登ってくる小さな階段がある。やはり近道だったんだ...。
山肌に沿ってグネグネと曲がった道を歩いて、8時20分にマケドニア側の国境ゲートに到着。高速道路の料金所のようなブースが4つくらい並んでいるが、誰も出入国審査を受けている気配すらない。今朝、オフリドからのバスに乗っていた乗客が、事務所のビルの前を歩いている。あのバスは職員の出勤用の交通機関でもあったわけだ。
適当な審査ブースに歩いていく。マクドナルドのドライブスルーを歩いて使ったことはないが、きっとこんな感じなのだろうか。係官が事務所からのんびりと歩いてきて審査ブースに入り、パスポートを見てパソコンに入力していた。ほんの1分程度でパスポートにスタンプを押して返却してくれた。
アルバニア(手前の看板)とマケドニア(奥の看板)の
本当の国境。双方の国境ゲートの間の道路にて
ブルガリアからマケドニアに長距離バス入ってきたときは、マケドニア側の審査だけでも30分以上掛かっていた。個人で通過するとストレス無く通過できるものなんだなと思った。
少し手前の道路には「DOUANE (税関)」の標識があったが、結局バックパックなどは一切チェックされること無く通過。
国境ゲートを越えて、行政的にはどちらの国にも属さない場所をしばらく歩くと、両国の「本当の国境」に到達。双方の国境ゲートの係官からは死角になっているため、この周辺だけは写真を撮影できる。
Pogradec - Albania (ポグラデツ、アルバニア)
ポグラデツ市街地の中心部
ティラナへ向かうミニバスから撮影
さらに数分歩くとアルバニア側の国境ゲートに到着。近代的なマケドニア側の国境検問と違い、古臭い木造の小屋が1個あるだけ。財政破綻国のありのままの姿だ。
税関の係官が暇そうに木陰のベンチで昼寝している。私が近づいていくと、むっくりと起き上がって、木造の建物のほうへ行けと手で合図してきた。ここの税関も、何のチェックもしないようだ。
木造の建物の窓をノックして、中の係官にパスポートを渡す。パソコンの画面はなにやら複雑な入力規則があるようで、ああでもない、こうでもないと試行錯誤して入力していた。5分くらいひたすら入力して、ドロップダウンリストに国別のビザ料金が表示される。日本は他の国と同じように、ビザ料金は1ユーロ。(中には、5ユーロとか表示されている国もある。ロシアと違い、経済的な国力に比例してビザ料金を決めているのではなさそうだ)
後ろからボロイ車が1台やってくる。国境地帯で見る初めての通行客だ。車のほうは、税関のオッサンが入念にチェックしている。(車ではなく、地元民を入念にチェックしているのかな)
border control,国境(08:35頃発) → Pogradec,ポグラデツ(08:50頃着)タクシー 運賃5ユーロ(約810円)
ミニバスはオフリド湖沿いからティラナへ向け山岳地帯へ。
オフリド湖へ注ぐ川沿いの道路から撮影
8時35分、国境ゲートの出口の遮断機を通過したすぐ外に、ベンツのタクシーが2台停まっている。ポグラデツの町は、遥か向こうに見えている。インターネットの情報では8km程度あるらしいから、タクシーに乗ったほうが楽だろう。過去の例では5ユーロらしい。
運転手に「ポグラデツまで行きたいが、運賃は?」 と聞くと、「10ユーロ」と。インターネット情報では5ユーロのはずだ。高すぎる。
オフリドの市場で両替しておいたアルバニアの通貨レクの札を見せて、「レクなら幾らだ?」と聞くと、「5ユーロでいい」との事。アルバニア通貨は絶大な威力だな (笑
オフリド湖沿いの道から山岳地帯へ入ってすぐ
湧き水(左側の白い場所)横で停車するミニバス
タクシーは舗装されている割には穴だらけの道を15分ほどでポグラデツの中心部まで走った。ジロカストラへ行く交通機関はあるかと聞いてみたが、コルチャで乗り換えて行けるかどうかというレベルらしい。それならティラナまでのミニバスへ連れて行ってくれるように注文する。ポグラデツの中心部のロータリーに停まっているグレーのワゴン車の横に停まり、運転手がワゴン車の主と話している。そのワゴン車がティラナへ行くようだ。
ワゴン車の運転手にATMの位置を尋ねると、すぐ前の銀行を指差している。田舎町なのに、えらく綺麗なビルと銀行だ。ATMで10000レク(約13000円)を出金して、窓口で小額紙幣に取り替えてもらう。
Pogradec,ポグラデツ(09:00頃発) → Tiranë,ティラナ(12:30頃着)mini bus 運賃500レク(約650円)
オフリド湖、エルバサン間の山岳地帯
9時、ミニバスは3人ほどの客を乗せて出発。市内の別の場所まで客を迎えに行き、4人の客を乗せてティラナへ向かう。町の北はずれに鉄道駅があるが、どう見ても列車が走っているようには見えないボロボロな駅舎が見えた。(ティラナのドミトリーで出会ったスイス人は、オンボロの客車がノロノロと走っているのを見かけたと言っていたので、列車があることはあるのだろう)
ミニバスは猛スピードでオフリド湖の西岸を北上。鉄道の線路が併走し、時折トーチカが道路脇に造られている。湖の対岸にオフリドの町が見えるあたりで道路は西へ折れ、山岳地帯へ入っていく。
オフリド湖の北岸を回って来る道との合流点で2人が乗り込んでくる。もし、このミニバスが満員だったら、どうするつもりなのだろう。
エルバサンとティラナの間の峠より
ティラナ方向を見下ろす
途中の湧き水のある峠でしばらく休憩して、10時30分ごろエルバサンの街へ。大きな遺跡のような前の広場に停車。ここで2人ほど降りてゆく。エルバサンを出発すると、再び山道。だんだん高度が上がって行き、遥か下のほうにエルバサンの街と巨大な製鉄所が見える。
やたら急で曲がりくねった坂道で、車がすれ違うのがやっとの広さの道を登って行く。大型バスがすれ違うのは不可能と思えるような幅しかない道だが、ポグラデツからティラナまで一度も大型バスを見ていないから、道路はこれくらいの幅でOKなのだろう。峠の上で10分ほど休憩。その後、一気にティラナまで下ってゆく。
Tiranë - Albania (ティラナ、アルバニア)
ポグラデツからのミニバスを降りた場所
左奥方向にバックパッカー・ホステルがある
12時30分ごろ、ティラナに到着。エルバサン通りの渋滞に巻き込まれて、運転手にどこで降りるか聞かれる。アメリカ大使館を過ぎて、バックパッカー・ホステル付近で下車。下車時に運賃500レク(約670円)を渡す。
何軒かのホテルを見てから泊まる所を決めようと、Lonely Planetの地図に載っている街の南部のホテルを見に行く。が、見つからない。廃業したのだろうか... 1時間くらい街の南部をうろついた後、何も発見することなくバックパッカー・ホステル前に戻ってくる。
ティラナ市街の中心を東西に流れるラナ川
どう見ても下水が流れている。蓋してほしい...
バックパッカー・ホステルに泊まることとし、1階の受付部屋へ。5人部屋で1泊1200レク(約1560円)。高い割りに、トイレやシャワーの水が出ないと言う致命的な欠陥がある。
街の中心部のほうへ少し歩いたところにあるサンドイッチ屋で昼食。サンドイッチとミネラル水で160レク(約208円)。
兵士がこちらを睨んでいるので写真を撮りづらい国会議事堂前を通過して、街の中心のスカンデルベク広場へ。広場の中心付近にスカンデルベクの騎馬像があり、軍事パレードをするために広く取られた広場の中心部は、一応歩行者天国のようになっている。
広場の北側にある国立歴史博物館の壁には、アルバニアの観光写真で必ず出てくる「栄光の歴史のモザイク」が掲げられている。あまり趣味のいいデザインとはいえないけど...
スカンデルベク騎馬像
広場から少し北に行くと、街の中の普通のビルに「UFO大学」というのがある。アルバニアでは有名なのかもしれないが、海外で「UFO大学卒業です」なんて言ったら、冗談を言っているとしか受け取られないだろうな。
国立歴史博物館の「栄光の歴史モザイク」
やたら埃っぽい市街地をしばらく歩いた後、まるで下水が流れているような異臭を放つラナ川を渡って、川の南側の市街地へ。ファストフードや衣料品など若者向けの店が軒を連ねているが、どの店の前にも工事用の発電機が置かれて轟音を立てている。そういえば、道路の信号も消えているので停電しているのだろう。
著作権、商標権など無視...
Yahoo! Fastfood
ファストフード店で夕食(350レク, 約470円)を食べて、バックパッカー・ホステルに戻る。水はまだ出ない。停電してるわ、水は出ないわで、これで首都なのかと言うような状態。道路を走る車だけはそれなりに新しく、ベンツがやたら走っていたりするが、国としての経済基盤整備がおろそかにされている。
たいていの店は、歩道に発電機を置いている
頻繁に起こる停電・断水の自衛策
19時ごろ、オフリドで同じプライベートルームに泊まっていた日本人がやってくる。ティラナで安宿と言えばココしかないのだろう。オフリドを10時ごろ出て、9時間も掛かってティラナに到着したようだ。話では、バスでの国境通過に異常に時間が掛かったそうだ。
本日、ドミトリーの同室になったのは、この日本人(大阪出身らしい。このあと、コソボ方面へ向かうそうだ)と、自転車でバルカン半島縦断しているスイス人でギリシャへの行き方を模索しているアイルランド人と私の4人。
Tirana Backpacker Hostel1200レク(約1560円)
September 29, 2007 (Saturday)
何匹もの蚊に襲い掛かられ、ほとんど寝ることが出来なかった。5時ごろ起きて、昨日近所のパン屋で買ったパンを食べ、6時少し前にドミトリーを出発。
バックパッカー・ホステルの横はタクシー乗り場だが、朝6時にはタクシーは一台も停車していない。ラナ川の方へ少し歩いたところにあるカフェの前にタクシーが停まっている。カフェの中にいた運転手を呼んで、ジロカストラ行きのミニバス乗り場まで乗る。
Backpacker Hostel(05:45頃発) → Rruga e Kavajës, minibus terminal(05:55頃着)タクシー 運賃500レク(約650円) Tiranë,ティラナ(06:10頃発) → Gjirokastër,ジロカストラ(12:20頃着)
mini bus 運賃1000レク(約1300円)
ティラナのミニバス乗り場で
出発を待つジロカストラ行き
ジロカストラ行きのミニバスは、昨日ポグラデツから乗ったワゴン車よりは大き目のマイクロバス。定員20 人くらいのマイクロバスに15人くらい乗せて、6時10分ごろティラナを出発。ティラナ市内の長距離バス乗り場と思われるところでさらに客を拾い、ドゥラス方向へ向かう。(さすがに、昨日越えてきたエルバサンとの間の険しい峠越えはしないようだ)
エルゼン川と併走した道は、なだらかな峠を越えてアドリア海沿いの街ドゥラスに到着。ここのミニバス乗り場でほぼ満員の乗客となる。夜が明けて、雨がやんだばかりのどんよりとした天気。ドゥラスからしばらく海沿いを走ってから、内陸へ向かう。まともな舗装道路はこのあたりまでで、いたるところ工事中で舗装が引き剥がされたぬかるみ道になる。
8時過ぎには天気も回復し、きつい日差しがミニバスの中にも差し込んでくる。フィエルを過ぎたあたりから山岳地帯へ。一応車がすれ違えるくらいの幅のある片側1斜線の道路は、山肌に沿ってあっちに行ったりこっちに行ったり。峠ひとつ越えるのも、ものすごい大回りのコースになっている。その上、所により砂利道だったり、舗装が破損してでこぼこだったりする。
大揺れの車の中は、冷房すら効かず蒸し暑く、外からの砂埃が容赦なく吹き込んでくる。すぐ後ろに座っていた子供を連れたおばさんが気分が悪くなり、何度か車を止めて路肩で吐いていた。
途中から何人か客が乗り込んできて席が足りなくなると、子供は親のひざの上に乗せられていたので、こんなところで車酔いしている場合じゃないぞと...
大型バスを何度か追い越す。正面の窓には"サランダ行き"の板が貼りだされている。乗客はまばらで、結構快適そう。でも、あまり速度が出ていないので所要時間はかかるんだろうね。
(ティラナ ~ ジロカストラ)
峠の上のバザール
10時、峠の上にあるバザールに停車。運転手や何人かの乗客はレストランへ。こんなところで食べ物食べて、よく車酔いしないよな...
付近の村から食べ物や日用品を買いに来る客と、長距離ミニバスの客が入り乱れて大変な状態になっている。アルバニアを南北に縦断する唯一の幹線道路だから、必然的に客が集まるのだろう。
さらにジロカストラのほうへ向かうにしたがって、道の状態はますます悪くなってくる。山は険しく、道は悪いわで、もう少し道路整備したらどうなのかと思う。ドイツやイタリア、ギリシャが国際援助で社会インフラを造っているようだが、幹線道路ですらこの有様では、あと何年かかって普通の国になれるのかと思う。
日本のように、景気対策と失業者対策のためだけに公共工事をしている国とは違うレベルで公共工事を必要としている。
11時15分、山岳地帯の町テペレナの峠にあるレストランに停車する。すぐ前の道も工事中で、ギリシャのJ&Pというゼネコンの旗が立っていたりする。滝の横のいけすには、「鱒(Trofte:ます)」と看板が出ていて、どうもこのあたりの名産物のようだ。
しばらく行くと道がいきなりよくなり、一直線に伸びた片側2車線の舗装道路になる。ギリシャの国際援助で、ギリシャ国境から徐々に整備して、今やっとここまで道路が出来たっていう感じだ。
Gjirokastër - Albania (ジロカストラ、アルバニア)
新市街中心部のロータリー付近
12時20分、ジロカストラに到着。運賃1000レク(約1300円)を支払って降りる。幹線道路は市街地のはずれを走っているので、新市街の中心までゆるい傾斜の坂を登っていかなければならない。
ミニバスが停車したロータリー付近にも2軒のホテルがあったが、街の中心のホテルがよかったので、新市街中心のロータリーの横にあるホテルに泊まることにした。
新市街中心部の繁華街
何らかの役所と一体化した建物の中にあるホテル エデン(Hotel Eden)は、受付に誰も人が居なかったが、しばらく探しているとどこからとも無くオーナーと思われる人物がやってきた。
ツインの部屋で、クーラーもテレビも付いていて、2000レク(約2600円)。ティラナで1200レク払って水の出ないドミトリーに泊まったのに比べたら、かなりお得な価格。(でも、この国の人の経済感覚では、高いんだろうな)
ホテルのすぐ裏手にある鶏肉のグリルをやっている店で昼食。チキン1/2匹のローストとパン、ミネラル水で300レク(約400円)。
急な坂道を登って、旧市街へ向かう。1500m〜1600mの山が連なるジェラ山脈の山肌にへばりついているジロカストラの町は、坂道の多い町だ。幹線道路沿いのバス停から新市街中心までの標高差は20m(ビルなら5階分くらい)、新市街中心から城の下の旧市街までの標高差は100m(ビルなら25階分くらい)ある。
地元の人は新市街と旧市街を結ぶミニバスを利用しているが、どのバスが旧市街へ行くのかさっぱり分からなかったので、結局歩くことになった。
旧市街と、夕日を浴びる丘の上の城
石で出来た瓦を使った建物がせせこましく寄り集まった旧市街は、17〜18世紀のオスマン帝国の時代に造られたと言われていて、いまでは完全に観光客向けの保存地区のようになっている。観光シーズンが終わっているから、観光客なんて誰も見かけなかったけど...
旧市街からはジロカストラ城の城壁がそびえ立っているのが間近に見える。さらに坂道を登り、城の入り口へ。 Lonely Planetでは12時~16時は閉館と書かれているが、城の入り口の看板では8時~19時が開館時間と書いてある。
入場券売り場が全く見当たらない。入り口横の警備員室では、警備員と思われる男が大いびきをかいて昼寝中。勝手に中に入る。
城のテラスに置かれた
米軍練習機T-33の残骸
真っ暗な通路は数箇所をナトリウム灯が照らしているだけで、第二次大戦時に使われていたと思われるカノン砲や野砲が不気味に並んでいる。通路の奥に「 MUSEUM 」と看板の掲げられた扉があるが、硬く閉ざされている。団体客が来たときくらいしか開かないのだろう。
博物館は閉まっているがテラスには出ることが出来るようで、管理事務所のような部屋に居たおばちゃんに 200レク(約260円)を払ってテラスに出る。
町を見下ろすテラスの端に、米軍の練習機T-33(機体番号14413)の残骸が鎮座している。1957年に燃料切れを起こして、アルバニア空軍に強制着陸させられた機体だそうだ。(当時の共産政権は、米軍の偵察機を撃墜したとして、馬鹿国民を鼓舞していたそうだが... 練習機で偵察するなんてありえないと素人でも分かるはずだが)
誰も人の居ない城砦の上を歩いて、北端にある時計塔まで行ってみる。時計塔の向こうにも城壁の出入り口があるが、閉じられていた。観光客の多い季節には開くのだろうか... (Lonely Planetには、こちらのゲートも開くと思わせる記述がある)。この城には旧市街よりも古く、12世紀頃の遺構も残っているとのことだ。
Hotel Eden2000レク(約2600円)
September 30, 2007 (Sunday)
洗面所で洗濯した服をバルコニーに干していたが、朝になっても微妙に乾いていなかった。ブルガリアのソフィアで購入したドライヤー(中国製)で乾かした後、荷物を部屋に置いたまま再び城に向かう。
新市街中心のロータリーにあるギロス屋でポーク ギロス(100レク, 約130円)を立ち食いし、目の前に止まっていたタクシーに乗って旧市街へ。運賃は200レク(約270円)。1度くらいは歩いて登る価値はあるが、2回目はタクシーが妥当だと思った。
City Centre, Bulevardi 18 Shtatori(08:40頃発) → Old Town, Rruga Ismail Kadare(08:50頃着)タクシー 運賃200レク(約260円)
ジロカストラ
城の時計塔
昨日は夕暮れ近くで撮影できなかった旧市街の町並みを撮影。カフェに座っているおじさんが、どんなポーズを取ったらいいのか聞いてくる。日本人観光客が珍しいのか、一眼レフに巨大なレンズをつけているのが珍しいのか...
アルバニア人は私を見るとたいていの場合中国人と思うようだ。まあ、日本人旅行者なんてほとんど居ないのだろう。
再び城へ。昨日は昼寝していたガードマンが、今朝は入り口前に座り込んでいる。私が入ろうとすると行く手をブロックして、博物館は閉まっているという。博物館じゃなくて、城砦のテラスに行きたいだけだと押し問答10分程度。だいたい、博物館っていつも閉まっていてヤル気あんの?
城砦のテラスへ。今日も入場料200レク(約260円)払って入った。昨日より湿度が上がっているようで、ドリノ峡谷のずっと北の方向が霞んでいてよく見えない。今日は3人程度の観光客を見かけた。アルバニア人のようだが...
城から新市街までは歩いて下りる。たとえタクシーに乗りたくても、旧市街にタクシーが常駐している乗り場は無い。急な坂道は石で舗装されている。ハイヒールを履いた女性が靴を脱いで坂を下りていた。歴史的な景観を残すのと引き換えに、地元の人は大変だな。
ジロカストラ 旧市街
10時ごろホテルに戻ると、オーナーのオッサンが待ちかねていた。部屋に戻り荷物を持って、おっさんに鍵を返す。のんびり歩いてギリシャへ続く幹線道路まで下りてゆく。幹線道路のロータリーにたどり着いて、ティラナ方向を見るとオンボロのミニバンがやってくるのが見える。とりあえず手を挙げて車を停めてみたら、サランダ行きだった。
Gjirokastër(10:10頃発) → Sarandë(11:10頃着)mini bus 運賃 300ディナール(約390円)
乗客は2人だけ乗っているだけ。車の後部にガソリンの入ったタンクが2つ置いてあり、そのうち一つからガソリンがもれて床に流れてきている。
ギリシャ方面へ続く幹線道路を100km/hくらいの速度でしばらく走る。村などの横を通るときは、ちゃんと「村の名前を書いた標識(ギリシャ語併記)」が建っていたりする。20分くらい走ったところで、ギリシャ行きの道から分岐して山道に入る。山肌を登る道から、通ってきた谷底の道のほうを振り返ると、谷底に一直線にトーチカの列が見える。ギリシャ軍の北上に備えた防御線なのだろう。
アドリア海との間にある最後の山脈の峠道を越える。崖沿いの道にはガードレールではなく、ブロックを何段か積んで白く塗っただけの区切りがあるだけ。道路が凍結したりすると、谷底に転げ落ちる車も多いのだろう。路肩の至るところに死亡した者を弔う写真付きの石碑が建てられている。
今日のような晴天の日に、まさかスリップして谷底転落は無いだろう... と心の中で祈る
Sarandë - Albania (サランダ、アルバニア)
ジロカストラを出て約1時間、11時15分にサランダの町の東端に到着。ミニバスは町の中心部まで行かずに、ここで折り返すようだ。運賃300レク(約 400円)払う。
湾に面した崖沿いに建物が建っている。モナコの街を小さくした感じだ。人口は3万2千人ほどと、不便な土地にも関わらず結構な数が住んでいるものだ。とりあえず、湾の一番奥にある町の中心部らしき方向へ向かう。しばらく海沿いの道を歩く。リゾート地なので、レストランやカフェらしき建物があるが、シーズンオフのため閉まっている。
ホテル・リアルのバルコニーから見たサランダ湾
ギリシャ正教会を通り過ぎ長距離バス停付近まで歩くが、ホテルは途中で1件しか見当たらなかった。 Lonely Planetには海岸沿いにリゾートホテルが建ち並んでいると書かれている。海沿いの道へ下りてみると、確かにリゾートホテル風のホテルが建ち並んでいる。海沿いの少し高台にあるホテル リアル(Hotel Real)に入ってみる。
サランダ湾を一望できる3階の部屋、テレビも冷房も付いたツインの部屋が1泊1000レク(約1300 円)。破格値である。
長距離バスターミナル
とりあえず昼食を食べに、ホテルの隣の海沿いの道に面したファストフード レストランへ。豚肉のギロスを皿に盛り付けたものとミネラル水で250レク(約330円)。リゾート地の店としては安いほうだと思う。
海沿いの道を歩いてフェリーターミナルへ。ギリシャのケルキラ島へ向かうフェリーの時刻を調べに行く。誰も客が居ない、がらんとしたフェリーターミナルに入り、税関の事務所らしきところで出発時刻を教えてもらう。毎日10時30分、12時 45分、16時に船が出るそうだ。混んでいる時期じゃないので、予約は必要なく、当日港に来れば船に乗れるそうである。
海岸沿いの道
ホテルや建設中の建物が並んでいる
次に、明日ブトリント遺跡へ行くときのバスの時刻表を調べに行く。長距離バスターミナルへ行くと、ブトリント行きはメインストリートにあるバス停から出るという。メインストリートのバス停へ行ってみると、ブトリント行きバスの時刻表は半分くらいちぎり取られた状態で掲示されている。サランダ発とブトリント発の時刻が書かれているようだが、サランダ発の最初の2本分がちぎり取られていて存在しない。1台のバスが往復していると仮定して、時刻を推測すると
サランダ発ブトリント行き [7時]、[8時]、10時、11時30分、14時45分、16時30分。 [ ] は推測の時間
ブトリント発サランダ行き 8時、9時、11時、12時30分、15時30分、17時30分。
夜のサランダ湾
夕方、メインストリートを歩いているとティラナのドミトリーで同じ部屋に泊まっていたアイルランド人と出会った。私が、サランダからギリシャへ渡れると話していたから、ギリシャへ行くためにサランダまで来たそうだ。ティラナから長距離バスで9時間(8時に乗車、17時に到着)掛かったそうだ。ミニバスなら、7時間程度で来れるはずだから、長距離バスは2時間近く余計に時間が掛かるようだ。(その代わり快適なのかも...)
夕食はホテルの横にあるバナナの木が茂っているレストランへ。レストランの名前も「バナナ」というらしい。豚のステーキ、サラダ、水と注文して870レク(約1150円)。
ホテルの窓からギリシャのケルキラ島が見えるので、携帯電話でギリシャの基地局に接続できたりする。アルバニアの携帯電話会社はGSMで接続できても、GPRSのネット接続は不可能。ギリシャのCOSMOTEに接続すればGPRS経由でインターネットに接続できる。サランダがギリシャからほんの20kmくらいしか離れていないというのが実感できる。
Hotel Real, room 61000レク(約1300円)
October 1, 2007 (Monday)
長距離バスターミナル横のギロス屋でギロス(120レク:約160円)を食べてから、市バスのバス停でバスを待つ。8時5分、ブトリント行きバスがやってくる。マイクロバスのようなバスで、ほとんど満員の客が乗っている。
イオニア海沿いの崖に沿った狭い道を30分くらい走って、まばらに建物が建つカサミル村に到着。ガソリンスタンドで給油してから再び出発し、8時55分に終点のブトリント着。ホテルの前で降りる。運賃100レク(約130円)。
Sarandë,サランダ(08:05頃発) → Butrint,ブトリント(08:55頃着)bus 運賃100レク(約130円)
Butrint - Albania (ブトリント、アルバニア)
聖堂跡
サランダから来た道路の突き当たりまで行くと、遺跡(国立公園)の入口ゲートがある。道はラグーンの水路に達して切れていて、渡し舟がある。入場料700レク(約920円)という、結構高い料金を払って中に入る。観光客は誰も居ない。のんびりと見て回れる。
BBCの放送でこの遺跡を特集していたときには、「発掘されたままの、観光地化されていない手付かずの遺跡」と言っていたはずだが、ちゃんと説明プレートもいたるところに設置されているし、円形劇場は木で出来た仮設の床まで設置されている。それでも、ギリシャなど西欧の国にあるギリシャ・ローマ時代の遺跡に比べれば観光地化されているとは言えないが。
紀元前のギリシャ都市国家時代の劇場や神殿などと共に、6世紀頃の東ローマ帝国時代のキリスト教の聖堂などが、島の中に点在している。
アクロポリスに登ると周囲のラグーンがよく見える。ギリシャのケルキラ島との間のコルフ海峡を、ギリシャのフェリーが通過していくのが見える。ベネチア共和国時代の砦が博物館に改装されているが、ジロカストラの時と同じく閉鎖されている。観光客が来ない季節だから仕方ないか...
11時のバスに乗り、サランダに戻る。帰りのバスは、大型バスで冷房が効いていた。
円形劇場跡
アクロポリスから見下ろした劇場跡付近
アクロポリス
ブトリント遺跡横の渡し舟
bus 運賃100レク(約130円)
Sarandë - Albania (サランダ、アルバニア)
ホテルReal横の海沿いのカフェで昼食。チキン1/2匹分のローストとミネラル水で350レク(455円)。昨日は観光客らしき客が何人か来ていたが、今日は地元の人がポツポツ居るだけ。ギリシャから週末旅行に来ていた人達だったのだろうか。
ホテルの部屋に戻り、洗濯物をベランダに干していると、小型客船がゆっくりとケルキラ島目指して出航してゆくのが見える。町の中をぶらぶらと散歩していると、ティラナのユースホステルで同室だったアイルランド人に出会う。ティラナを朝8時に出発するバスに乗り、今(17時ごろ)サランダに到着したばかりだそうだ。あの悪路を9時間...。私が乗ってきたミニバスなら、7時間ちょっとで着くはずだ。ま、あんまり変わらないか。彼はこれからアテネ行きのバスに乗るそうだ(運賃40ユーロとのこと)。えらく強行軍だ。
夕方、東の山脈の方に大きな雲が湧き上がり、雷鳴が轟く。15分ほど土砂降りの雨が通り過ぎてゆく。そのご、モスクから日没のアザーンが流れてくる。ヨーロッパ風のリゾート地にアザーンの大音響、エキゾチックな雰囲気だ。
夕食はバナナの樹のレストランで、仔牛肉のハンバーグと魚入りスープなど810レク(約1053円)。
Hotel Real, room 61000レク(約1300円)