ウクライナ、ポーランド、ドイツ 旅日記 : キエフ
September 24, 2011 (Saturday)
Amsterdam - Netherlands (アムステルダム - オランダ)
9時15分、アムステルダム スキポール空港発のウクライナ航空に乗り込む。最近では珍しい、かなり古いバージョンのB737-300型を使っている。シートベルトのバックルが、私が始めて飛行機に乗ったときに「すでに旧式だった」タイプのものが使われていた。アムステルダムを出て、ベルリンの上空を通り過ぎる。ベルリンはテンペルホフ空港の半円形のターミナルビルが印象的なので、街の名前が分かった。そしてポーランドを経てウクライナへ。ポーランド辺りまでは快晴だったが、ウクライナに入ってだんだんと雲が出てきている。
Amsterdam Schiphol(09:15発) → Kiev Boryspil(13:10着)PS0102/KLM1697
Kiev - Ukraine (キエフ - ウクライナ)
13時10分、キエフ ボルィースピリ空港着。空港ターミナルビル内に「鉄道切符売り場」があることは、ウクライナ国鉄のホームページで確認済み。空港の案内所の人や事務所から出てきた清掃業のおばさんに聞いてみる。確かに切符売り場は「聞いたことはある」ようだが、誰もどこにあるのかの確かな情報は知らないという雰囲気。教えられた窓口などどんどん聞いて辿っていくと、Fターミナルのど真ん中の出口のすぐ右側にあるドイツ資本の旅行代理店TUIが切符を売ってくれる(実際は、ネット予約の代行)と分かり、キエフからリヴィウへの97K列車の切符を購入。この国ではクペーと呼ばれる2等寝台車で235フリヴニャ(2350円)。リヴィウからポーランドのクラクフまでの切符は、ここでは買えないようだ。ネット予約のシステムが国際列車対応していないからなのだろう。
Boryspil Airport F-Terminal(13:45発) → Київ-Пасажирський/Kiev Central station(14:30着)Airport Bus 運賃 25フリヴニャ(250円)
空港での用事も済んだし、空港バスに乗りキエフ市街地へ。運賃25フリヴニャ(250円)。地下鉄ハルキフスカヤ駅で降りようと思ったが、バスは停留所に止まることも無く、全速力で通過...。仕方なく終点のキエフ中央駅まで行く。まあ、中央駅で寝台列車の予約票を切符に交換できるので、改めて駅に来なくて済んで助かったと考えることにしよう。コンコースの「インターネット予約切符受け取り窓口(西側のターミナルビルの59番窓口)」で予約票を切符に交換。次に、明日以降の国際列車の切符を売っている8番・9番窓口へ。リヴィウからクラクフへの列車は満員らしいことが分かる。窓口の人の話では、出発駅のリヴィウで「買える可能性もある」ものの、保障できない(多分無理)とのことだ。リヴィウに行っても、またキエフに戻ってきてウクライナから出られないのでは、2週間後にアムステルダムまで戻る旅行の行程が大幅に狂いそうだ。仕方ないので、今回はポーランドに抜けることを最優先ということで、かろうじて何席か残っていたキエフからワルシャワへの67KJ列車の切符を買う。2等寝台車の「上段」しか空いていないがよいかとのことだが、何でもいいから席をくれ... ということで、空いている席を730フリヴニャ(7300円)で購入。国際列車になると、国内の3倍近い金額に高騰している。ボッタクリ価格とはこのことか...(笑
Вокзальна/Vokzalna(14:55頃発) → Хрещатик, Майдан Незалежності→ Контрактова площа/Kontraktova Square(15:20頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
中央駅に隣接した地下鉄の中央(ヴァクザリナ)駅へ。モスクワと同じく、プラスチック製メダルを改札機に入れる方式。駅入り口の自販機では10フリヴニャ紙幣をメダル5枚と交換する自販機が設置されている。1乗車が2フリヴニャ(20円)とは、また格安だ。地下鉄駅はキリル文字だけで駅名や行き先などが表示してあり、キリル文字が読めない人は「この街に来るな」的な感じだ。まあ、ロシア圏以外からの自由旅行客なんてめったに来ないので問題ないのだろう。大混雑の地下鉄、放送は聞き取りにくいし、プラットホームの駅名表示は壁に申し訳程度に書いてあるだけ。なんとか途中のフレシャーチク駅で乗り換えて、コントラクトヴァ広場駅にたどり着く。ユースホステルは、駅を降りて歩いて数分のところだ(でも道に迷ったので、その辺に居た警官に場所を聞いた)。
ユースホステルにチェックインして荷物を置き、スーパーに明日の朝食を買い出に行く。例えばフランスパンのバケット1本6.47フリヴニャ(64円)、2リットルのミネラル水4.68フリヴニャ(46円)と、西欧のスーパーとそんなに変わらない価格だ。まだ時刻が16時で太陽が明るく輝いているので、観光に出かける。手っ取り早く、地下鉄を2駅乗って独立広場(マイダン・ネザーレジュノスチ)へ。
Контрактова площа/Kontraktova Square(17:00頃発)→ Майдан Незалежності/Maidan Nezalezhnosti(17:05頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
聳え立つ円柱の上に載せられた伝説の女神像に強烈な西日が当たっている。広場の中心には臨時のステージが設けられて、なにやら学生のダンス大会のようなイベントをやっている。広場から北へ。工事中なのか、単にこういう状態なのかは知らないが、でこぼこで所々舗装がはがれた坂道 ミハイリフスカ通りの歩道を10分ほど歩く。
聖ミハイル黄金ドーム修道院でのコンサート
St. Michael's Golden-Domed Monastery, concert
聖ミハイル黄金ドーム修道院の前でも仮設ステージが設けられて、こちらは歌手がコンサートを開いている。配られているビラのようなものを見ると、ピンクリボンが書かれている。乳がん検査の啓発事業の一環なのだろう。こちらも大量の人が来ていて、教会の前にもかかわらず大音響でコンサート。さすが、こちらの宗教施設は寛容力ありますね...。
修道院の中に入ると案外静かで、分厚い建物の石が外の大音響を遮断しているのだろう。静かに奏でられる讃美歌に内部は支配されていた。聖ミハイル黄金ドーム修道院を出て、さらに北に行くと聖アンドレイ教会のあるアンドレイ坂に出る。ここも坂道の石畳を引き剥がして、大々的に工事中。教会もなにやら大規模に改修工事していて、閉鎖されている。坂道の歩道部分だけ人が通れるようになっていて、そこに観光客向けと思われる物を売る露天が延々と並んでいる。坂を下ると、ユースホステルの最寄り駅のコントラクトヴァ広場駅のすぐ横だ。
広場の南端にやたら人が吸い込まれていくプザタ・ハタ(Пузата Хата)という名前のファミレス発見。ビュッフェ形式で、好きな料理を取ってレジで精算するシステムの店。日本でも「まいどおおきに 谷町7丁目食堂」というような和食のカフェテリア形式の食堂があるが、そのウクライナ料理版。値段も、ステーキとボルシチ、パン、ジュースで48フリヴニャ(480円)と日本の半額くらいの感覚の店だ。
夜、ユースホステルの部屋に居ると、ドニエプル川の方向で花火が打ちあがる音が聞こえる。今日は何かの祭りなのだろうか...。
International Youth Hostel Yaroslav 31号室18ユーロ(1800円)/1泊
September 25, 2011 (Sunday)
Kiev - Ukraine (キエフ - ウクライナ)
6時過ぎに目が覚める。まだ、体は日本時間を引きずっている。部屋で、昨日スーパーで買ったフランスパンとリンゴで朝食。8時、観光に出かける。近くのコントラクトヴァ広場駅から、独立広場のあるマイダン・ネザーレジュノスチ駅へ。
Контрактова площа/Kontraktova Square(08:15頃発)→ Майдан Незалежності/Maidan Nezalezhnosti(08:20頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
昨日のコンサートのステージはまだ残っていて、毎週ここでイベントか何かをしているのだろうか。広場からソフィスカヤ通りの坂道を登り、黄金の門へ。門といいながら、公園の木々に隠れるようにして教会のような木造の建物が建っている。11世紀に街を囲む城壁の出入り口である中央門がここにあったようで、門の側に建っていた教会の尖塔が金色だったからこの名前が付いたそうだ。格子状になった扉から中をチラッと覗くと、レンガか石で出来た遺跡のようなものがあるのが見える。道路沿いに、ウクライナ1000年(1011-2011)という旗がそこらじゅうに翻っているので、1000年前の門がここにあったという記念物なのだろう。
その黄金の門のすぐ近くにある聖ソフィア大聖堂へ。大聖堂前の広場では、仮設ステージの建設中。ここでもコンサートか何かが開かれるのだろう。大聖堂の入場料3フリヴニャ(30円)と張り出されているが、本日は無料。何で無料?と思ったが、大聖堂の中には入れないかららしい。敷地の中に入るだけなら無料にしちゃえということなのだろう。1000年前の教会ということだが、殆どがここ数十年間に上塗りされた壁だ。所々に、ぼろぼろになった古い壁が残っているのが、1000年前に出来たという証なのだろう。
昨日コンサートをやっていた聖ミハイル黄金ドーム修道院の横を通り過ぎて、ウラジーミルの丘へ。巨大なウラジーミル大公の像がドニエプル川を睨んでいる。ドニエプル川の向こう、東側はウクライナ発祥の地で、こちら側の西側は何度もポーランド領になっている土地だ。睨むべきは西側のポーランドに何度も奪われた土地の方がよいのじゃないかと個人的には思う...。昨日と同じくアンドレイ坂を下り、ウクライナ料理のファミレスへ。ウクライナが発祥の地とされるボルシチは何度飲んでも飽きない味ですね。
Контрактова площа/Kontraktova Square(11:30頃発)→ Майдан Незалежності, Хрещатик→ Арсенальна/Arsenalna(11:40頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
昼からは、ペチェールスカ修道院へ。地下鉄に乗り"地上からの深さが世界一と言われる"アルセナールナ駅まで行き、そこから徒歩。駅から10分くらいで巨大なオベリスクが建っている第二次大戦の無名戦士の墓がある場所に来る。その入り口に、ウクライナ国旗と並んでEUの旗が。前政権が欧州寄りだったからなのだろうか。ウクライナは一方的にドイツ軍に攻められて(バルバロッサ作戦?)犠牲が出たのに、そのドイツが中心的存在のEUの旗を立てるとは、ご先祖様がよく許しましたね...。
さらに10分くらい歩くと、ペチェールスカ修道院入り口に到着。入場料は25フリヴニャ(250円)。結構たくさんの観光客が来ている。殆どはロシア語やロシア語に似た言語を話しているので、旧ソ連圏からの客が多いのだろう。たまに英語、ドイツ語を話す団体が居るが、日本や韓国の団体どころか個人観光客も皆無。たまたま東ヨーロッパを一人で旅行していた仙台に住んでいるという日本人と話したが、それ以外に日本人は見かけなかった。
修道院はやけに広く、入場口付近に固まっているウスペンスキー大聖堂やトラペズナ教会、鐘楼などの建物群だけでも結構な規模ある。さらに隣接する敷地、ちょっと坂を下っていったところにも十字架称讃教会や聖母生誕教会などがそれぞれ教会群を作っていたりする。一番奥の方にあった聖母生誕教会では結婚式が次々と行われていて、結構人気の結婚式スポットなのだろう。そういえば、無名戦士の墓がある公園の林の中でも、結婚式の衣装を着た何組かのカップルがプロ写真家による写真撮影に臨んでいる光景にも出くわした。その聖母生誕教会のすぐ横に、地下墓地(カタコンベ)の入り口がある。えらく狭い階段を下りていくと、ガラス張りの棺に納められた聖人の骸骨が並んでいるが、人が多すぎて地下通路で大渋滞している。入り口から出口まで30分弱もかかった。
修道院の中央にある、ひときわ大きなウスペンスキー大聖堂は中に入ることが出来ず、外からのみ見学。日曜だから閉鎖しているのだろうか...。それぞれの建物の前には、ウクライナ語のみで建物の名前とか見学できるかどうかの立て札があるのだが、いくらロシア語に似ているからと言っても、さすがに全ては理解できないので、かなりの数の場所を見逃している気がする。
Арсенальна/Arsenalna(14:55頃発) → Театральна/Teatralna(15:00頃着)Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
再び地下鉄に乗り劇場(テアトラリナ)駅で下車。駅を出てフレシャーチク通りに出ると、歩行者天国になっている。歩道の広くなっているところには、政党の演説会をテレビ中継している特設会場が作られていたりするが、何のお祭りで歩行者天国なのかよく分からない。食料品などが売られているベッサラブスキー市場の前まで行き、折り返して独立広場まで戻る。この通り沿いは、第二次大戦後の共産国時代に建てられたスターリン様式の重厚な建物が並んでいる。Wikipediaによれば、沿道に並ぶデパートやブランド店の価格が欧州20番以内に入るくらい"高級"な所らしい。
夕方、ライトアップされる教会を撮影に行く。まず最初にきれいにライトアップされたのが聖ミハイル黄金ドーム修道院。まばらにやってくる観光客は、鐘楼の門(入場口)が閉まっているので中に入れないと思っているようだ。実は、敷地横に地元の人や修道士が出入りする門があって、そこからなら中に入り放題。気づいている人は今日は居ないようで、中で写真を撮っていたのはどうも私だけのようだ。白地に水色の独特な彩色の教会がライトアップされて、とてもきれいだ。
大通りの向こうの方、突き当たりに見えるソフィア大聖堂も少し遅れてライトアップされた。こちらは、残念ながら仮設のイベント会場を広場に建てているところで、写真撮影には向いていない。大規模工事中のアンドレイ坂にあるアンドレイ教会は、ライトアップも中止されていた。インターネットには、きれいにライトアップされた姿の写真がアップロードされているので、とても残念。
独立広場まで戻ってくる。広場周辺の建物は、予想通りライトアップされている。これは予想通り。フレシャーチク通りをチラッと見ると、大通りの向こうの端までクリスマスのように電飾で飾られている。今週末は、国家行事とか国の何らかの記念日なのだろうか。そんな歩行者天国にもかかわらず、それほど多くの人が歩いていない。
Майдан Незалежності/Maidan Nezalezhnosti(20:10頃発)→ Контрактова площа/Kontraktova Square(20:15頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円) International Youth Hostel Yaroslav 31号室
18ユーロ(1800円)/1泊
September 26, 2011 (Monday)
Kiev - Ukraine (キエフ - ウクライナ)
今日は、キエフから夜行列車に乗ってワルシャワに向けて出発する日。列車に乗る夕方まで、たっぷりと時間があるので、市内散策に出かける。
ユースホステルの近くにある地下鉄コントラクトヴァ広場駅。朝8時、たくさんの人が駅から吐き出されてくる。この辺りは住宅街のように見えるのだが、これだけたくさんの通勤客が駅から出てくるということは、企業の事務所などがあるのだろう。アパートに見えて、実は、部屋を事務所代わりに使っているような形かもしれないが...。
Контрактова площа/Kontraktova Square(08:55頃発) → Майдан Незалежності, Хрещатик→ Вокзальна/Vokzalna(09:15頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
地下鉄に乗って中央駅へ行き、駅の地下にある荷物預かり所に荷物を預ける。次から次へと客がやってきていたので、夜行列車の乗り継ぎなどで、かなりのニーズがあるのだろう。広い倉庫にスチールラックが延々と並んでいる。荷物を預けて身軽になり、駅に停車している列車を撮影していると、迷彩服を着た警備員(本物の兵士か?)に拘束される。カメラを没収するというようなことを言っているので、撮影した写真を削除するので、勘弁してくださいと、とりあえずお願いしてみる。最近の一眼レフは、メニューをロシア語に切り替えられるので、ロシア語モードで駅で撮影した写真のコマを全て削除するパフォーマンスをしたら開放してもらえた...。共産主義から脱却したにもかかわらず、まだ、一般客の乗降する鉄道駅が写真撮影禁止とか、どうにかならんものですかね。
歩いて市内中心方向へ。大学駅という地下鉄の駅があるが、大学が立地するほど広大な土地があるように見えない。一見アパートに見える建物が校舎になっているようで、掲示板には教育大学と書かれている。そのすぐ近くに黄色と白の彩色の聖ウラジーミル大聖堂が建っている。この国に来て以来、教会といえば真っ白な建物に、緑か金色の玉ねぎ屋根の建物ばかりだったので、ちょっと新鮮な感じだ。ちょうど礼拝か何かの時間なのだろう、やたら派手な鐘の音色が響き渡っている。
聖堂前を過ぎて、並木通り(タラス・シェフチェンコ通り)をどんどん下っていくと、昨日歩行者天国をしていたフレシャーチク通りに突き当たる。その交差点、ベッサラブスキー広場地下街から上がってくる階段から空を見上げると、なんとレーニン像が。まだ引き倒されずに、鎮座されていますね。その横には、「ウクライナ共産党」と書かれた赤いテントが...。まだ、共産党って存在してたんですね。
Площа Льва Толстого/Ploshcha Lva Tolstoho(11:00頃発)→ Контрактова площа/Kontraktova Square(11:10頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
昼食は、またしても昨日と同じウクライナ料理のファミレス。コンプリート・ブレックファースト(とウクライナ語で書かれている)というメニューを頼んでみると、チキンかソーセージか、あと何とか(←知らない単語)から選べという。チキンを頼んでみると、巨大なささ身のステーキが2個、目玉焼きが2個やって来た。どう見ても朝からカロリー取りすぎのメニューですね。(でも、ウクライナ人の若い人は、スリムでカッコいい)
Контрактова площа/Kontraktova Square(11:45頃発)→ Майдан Незалежності/Maidan Nezalezhnosti(11:50頃着) Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
昼からは、目抜き通りのフレシャーチク通りのベンチに座って、現地の人の行動観察。平日昼間なのに、お年寄りに混じって若い人もぱらぱらと歩いていますね。まあ、昨日の歩行者天国のように、若い人の比率が高いということはないですけどね。Google検索で「ウクライナの旅行記」を検索してみると、「美人が多い」という感想がたくさん出てくる。スラブ民族なので、確かに若い女性は他のヨーロッパの国が霞んで見えるくらいの美人がたまに居ますね。例外なくミニスカートだったりして、長い足がさらに強調されて見えるという「正の相乗効果」があるのでしょう。ただ、おばさんの年齢になると、急速に劣化していくのもこの民族の宿命のようで...。最高気温が20℃と、そんなに暑くないのにソフトクリームを食べながら歩いている人が多いです。
Хрещатик/Khreshchatyk(15:10頃発)→ Вокзальна/Vokzalna(15:10頃着)Metro 運賃 2フリヴニャ(20円)
15時過ぎ、独立広場のファミレスで早めの夕食を済ませてから、中央駅に戻る。あまったウクライナの紙幣をユーロに両替しようと思い、駅の両替窓口へ。窓口のおばさんは「ウクライナ通貨を両替したときの領収書を出せ」と言ってくるが、ATMで引き出してるのでそんなものはあるはずが無い。日本の銀行の両替所も、客を犯罪者扱いしているような身分調査用紙に書き込ませるが、こちらはさらに「金を得た理由の証明書」を出せということだ。やはり、共産党が存在する国はサービスレベルの低さが違いますな。両替所の周辺に「闇両替」のおばさんが何人か居るので、その人に両替してもらう。レートは920フリブナが83ユーロ。(9月21日のレートで、920フリブナは84ユーロに相当するので、相当いいレートだ)
駅の出発案内電光掲示板を見ていると、寝台列車はだいたい1時間前に駅に到着するようだが、国際列車のワルシャワ行きだけが駅にやって来たのは出発10分前。たったの3両編成だ。1等が1両(ポーランド国鉄の車両)、2等が2両(ウクライナ国鉄の車両)という組み合わせ。車内はもちろん満員で、2日前に切符が買えたことが奇跡のようだ。列車は定刻の16時37分、車内では全く気づかないくらいのゆっくりとした加速で出発。私の乗った2等コンパートメントには、ウクライナ人のお婆さんと50歳代のおじさんの2人連れ、30歳代のウクライナ人でワルシャワで働いているという女性、私の4人だ。ウクライナ人としては珍しい、それなりに海外渡航経験のある彼らにとっても、日本人の私は珍しいらしく、日本の文化のことやら、もちろん「福島の大事故」について質問攻めにあう。東ヨーロッパでの報道(2流の大衆メディア)の伝え方は、やはり相当人種差別が入っているようで、「サルが原発の動かし方を理解出来ずに事故った」というような報道もあったそうな。原発事故の先輩であるウクライナ人としては、そういう報道には腹が立ったらしいが...。まあ、原発4基も爆発させた日本の総合技術力は、誰が見てもダメであるのは明らかなんだけどね。「日本に原発50基あるよ」と言ったら、「核爆弾の上に住んでるみたいだね」という感想だった。
列車はだんだんと夕焼けに赤く染まっていく平原を、ひたすら西へ。ベラルーシ国境の方の路線ではなく、ウクライナからポーランドに直接入ることは、時刻表検索の途中駅リストですでに確認しているので、(ベラルーシのビザを持っていない私でも)安心して乗っていられる。
Київ-Пасажирський/Kiev Central station(16:35頃発)→ Warszawa Centralna(09:25頃着)67KJ列車 2号車35番席 運賃 478フリヴニャ(4780円) 2等寝台上段料金 226フリヴニャ(2260円)