2013年 キプロス、イタリア、ポルトガル旅行記 :
パフォス、ベルガモ
December 20, 2013 (Friday)
Paphos/Πάφος - Cyprus (パフォス - キプロス)
早朝、太陽が昇る前、窓の外から雷鳴が聞こえる。はるか西の方の雲が稲光でうっすらと照らされている。8時、ホテルの1階のバーで朝食。7~8組の客を見かけたので、オフシーズンながらもそれなりの数の客が泊まっているようだ。
港の近くのこの地区(カト・パフォス)は、リゾートホテルや土産物屋、レストランなどが集まっていて、昨日の夕方ざっと見て回ったところ半数以上の店が閉まっていた。キプロスの経済危機の影響なのか、閉鎖されて売りに出されている店もかなりあったが、単にオフシーズンは閉めているところもあると思われる。その結果、営業しているホテルに遺跡観光の客が集中して、それなりの回転率を得られるのだろう。
昨日の夜に1枚45セントの絵葉書を買ったので、それを出すために郵便局に向かう。地区の中心から離れるに従い、どんどん店の廃業率が上がっていく雰囲気だ。海外への葉書の料金は0.45ユーロ。果たして何日くらいで届くのだろうか…。 (後日談 : 結局、半年経っても葉書は日本に到着しなかった。どこでブラックホールに吸い込まれたのだろうか…)
港の方へ向かう。港の先端にパフォス城がある。13世紀、この地が東ローマ帝国からフランス系のキプロス王国になった頃に建てられた城だそうだ。地震で崩れたり、ヴェネツィア共和国の攻撃で破壊されたりして、最終的にはオスマン帝国が現在見られるような形の城に改築したと言われている。(この城が造られる前は、カト・パフォス遺跡公園内にあるサランダ・コロネス砦が港を守る役割をしていたそうだ。)
ホテルを出るときにはパラパラ降っていた程度の雨が、吹き降りになってきた。雨宿りのためにも、さっそくパフォス城に入場。入場料は2.5ユーロ(355円)。内部は… 何もありませんね。かつては牢獄や倉庫して使われた部屋がいくつかあるが、扉が閉まっていて見ることは出来ない。それ以外には屋上に登るための階段があるだけだ。天気が良ければ、ヨットハーバーのきれいな景色が見れるのだろうが、吹き降りの雨では景色を楽しむこともままならない。
パフォス城の横、埠頭の先端には海上警察の停泊地があり、小さな警備艇が2隻停泊している。内戦中のシリアまで最短距離で100㎞しかないため、難民船が押しかけてきたら追い払うのが主なお仕事だろうか。キプロスはシェンゲン加盟国じゃないため、ここに押しかけても他のEU諸国に自由に移動できないのでは、あまり意味がないかな。ちなみにこの警備艇、Wikipediaによれば旧ユーゴスラビアと東ドイツから購入した中古船だそうだ。
雨が少し小降りになったので、港のすぐ横の小高い丘にあるカト・パフォス遺跡公園へ。カト・パフォス地区の半分以上が遺跡じゃないかと思うくらい、広大な土地にぽつぽつと遺跡が点在している。入場料は4.5ユーロ(640円)で、ローマ帝国時代のモザイクがある建物などは、この有料地区内にある。宿泊しているホテルの隣の教会(聖パウロの円柱があったところ)やカタコンベなど、昨日見物した町の中に点在している遺跡も含め、カト・パフォス地区全体が世界遺産に登録されているそうだ。
さて、遺跡公園のほうだが、古代ローマ時代の記録が散逸してしまったのか、当時の建物の名称はほぼ全て不明とのこと。そのため、貴族の邸宅跡は発掘されたモザイク画の名前で呼ばれており、ディオニューソスの家とか、テーセウスの家とか、アイオーンの家などと呼ばれている。確かに、モザイク・タイルの保存状態は抜群に良いのだが、やはり「ドムス・フラウヴィウス」とか「ヴィッラ・コルネリウス」とか、かつての名称が分かっていたほうが面白いと思う。
その他には、かつての砦跡がサランタ・コロネスと呼ばれていて、こちらはモザイクタイルが出てこなかったから、「40本の円柱」となんとも単純な名前が付けられている。パフォス城が建てれられるまではパフォスを守る拠点となる城だったそうで、海沿いの新しい城に比べて規模が大きい。
貴族の邸宅跡のモザイクタイルを見て歩く。今まで見た中では、イスタンブールのコンスタンティノープル大宮殿モザイク画博物館に次ぐ規模と美しさを誇る遺跡じゃないかと思う。キプロスが南北に分割されて、著名な遺跡が全く含まれなくなった南側の国が、必死になって発掘し観光地化しただけのことはあると感じた。
貴族の邸宅跡のある地区を抜けて、遺跡公園の敷地の中央付近にある灯台やローマ音楽堂(オデオン)跡などを見に行く。小規模な音楽堂の横には、アスクレピオス神殿がある。古代ギリシアにせよ、ローマ帝国にせよ、こんな僻地にアスクレピオス神殿を作るとは、「パンとサーカス」だけでなく、医療も統治の手段としてばらまいていたのだろうか…
遺跡公園のはずれにはカタコンベ(地下墓地)なのか洞窟教会なのか分からないが、崩れかけた洞窟がある。傍らの看板には「プトレマイオス朝の頃…」と書いてある。中近東に近いからセレウコス朝シリアの一部と思いきや、地中海を挟んだずっと南のエジプトの一部ですか…。ちなみに、プトレマイオス朝は紀元前31年にアクティウムの海戦でアウグストゥスに敗れたことにより、政権崩壊したのだが、そのころに造られたこの遺跡が「初期キリスト教会…」と訳されているのはいかにも変だ。紀元前1世紀にキリスト教は存在しなかったはず。
2時間半ほど遺跡を見学した後、カト・パフォス中心部にあるスーパーマーケットの向かいのドネル・ケバブ屋で昼食。チキン・ドネル・プレートとミネラル水で7ユーロ(994円)。シーズンオフでも観光地価格…
Kato Paphos/Κάτω Πάφος(13:10発)→ Tombs of The kings/Τάφοι Βασιλέων(13:15着)Bus 615, 運賃 1.5ユーロ(213円)
10分に1本走っているコーラル・ベイ行きのバスに乗り、5分ほどで王家の墓の前に到着。入場料は2.5ユーロ(355円)で、広大な土地に、岩山にうがたれた墓穴らしきものが点在している。こちらはモザイク画もなく、TOMB 1 … と番号で呼ばれているようだ。何の墓なのか、いつ頃のものなのか説明板すら無いので、まあ古いものなんだろうな… というような理解で。Wikipediaによれば、紀元前4世紀頃から掘られていた墓場に、2世紀頃の「この地方の有力者」が埋葬された所だそうだ。「王家」とは看板の偽りですね。
この街の大抵の遺跡は案内板なども無く、『興味ある観光客は勝手に見ればいい』というような感じだ。遺跡観光よりも、ビーチリゾートで散財してくれたり、投資用の住宅を購入してくれたりする客のほうが、たくさんの金を落としてくれるので好ましいのだろう。そういえば、この町の至る所に中国語で書かれた不動産屋の看板が林立している。ロシアのマネーロンダリング(今春破綻)の次は、中国人の土地ころがしの金を狙ってるのか。金に色は付いていないが、また破綻しなければいいですね(棒読み)。
Tombs of The kings/Τάφοι Βασιλέων(14:10発)→ Kato Paphos/Κάτω Πάφος(14:15着)Bus 615, 運賃 1.5ユーロ(213円)
スーパーで夕食用の食材を買ってホテルに戻る。窓の外を見ると、雲が晴れて日が差してきている。日没まで1時間ほど、写真撮影に出かける。
まずは、昨日訪れたホテルのすぐ横の聖キリヤキ教会。次に、カト・パフォス遺跡公園へ。朝の入場券を示して、もう一度入場させてもらった。太陽が水平線近くにあり、古代劇場などはすでに影になってしまっていて撮影不可。もう少し早く晴れてくれればよかった。
Pyramos Hotel, 301号室20ユーロ(2840円)
December 21, 2013 (Saturday)
朝、部屋の窓から外を見ると快晴だ。昨日こんな天気だったら… 写真撮影も楽だっただろう。
今日乗るベルガモ行きの飛行機は、ゲート・クローズが10時50分。カト・パフォス発の空港行きバスは始発が10時で、所要時間が30分らしい。道路が渋滞していたり、空港で迷ったりしたら即アウトだ。シェンゲン加盟国じゃないので、国境審査もあるだろうし…。 一昨日、ホテルのフロントにいたマネジャーの女性とそういう話をして、結局タクシーを呼ぶことにした。タクシーが来るまでの時間、手短に写真撮影に出かける。
ホテルの裏手にある聖キリヤキ教会を少しだけ撮影。ここは夕方のほうが「作例」に近いものができるはずだ。
昨日、夕方で光の方向がイマイチだった、港の先端にあるパフォス城へ。港の岸壁で釣りをしているお年寄りは、どうも昨日の夕方見た人たちと同じようだ。暇なのか、単に釣りが好きなのか…。かつては港の先にある岩礁に独立して建てられていたであろうパフォス城は、いまでは港のコンクリート護岸と一体化してしまっている。その護岸側の城の北面を早朝の太陽光が照らしている。
港の岸壁沿いをのんびり歩いていると、時折観光客らしき人が散歩したり、写真撮影したりしている程度で閑散としている。オフシーズンといえ、ほんの少しの観光客は来ているようだ。
Kato Paphos/Κάτω Πάφος(09:10発)→ Paphos Airport(09:30着)TAXI, 運賃 25ユーロ(3550円)
ホテルに戻ると、9時20分と約束していたタクシーが既に玄関前に停まっている。ホテルをチェックアウトし、タクシーに乗り込む。空港まで「固定料金」で25ユーロとのこと。空港まで16kmあるので、観光客価格としては標準的なものなのだろう。タクシーは15分ほどでパフォス空港に到着。タクシーメーターは16.5ユーロだが、観光客は固定料金だということで譲らない。それなら、タクシーメーターなど起動しなければ良いと思うが、おそらく「税務署にはメーターの料金で納税」「差額は脱税」なのかもしれない。
空港の出国審査は、やはり曲者だった。Departureゲート入り口でプリントアウトした搭乗券を示すと、「スイスポート」へ行ってスタンプを押してもらってこいとのこと、「スイスポート」って…? チェックインカウンターの並んだ反対側、航空会社の予約カウンターなどが並んでいるいちばん端に「swissport」と書かれた受付台がある。そういえば、swissportという名前で空港の運営受託しているところがあったような。どこだったか忘れたが、空港運営会社の名前だ。
そこから先は、すんなりと搭乗ゲート前まで進んだ。市バスが定刻通り空港に到着するのなら、確かにぎりぎり間に合うタイミングだ。飛行機は11時台にベルガモ行き、12時台にモスクワ行き、14時台にロンドン行きというように時間が離れているので、10時の市バスの顧客ターゲットは、モスクワ行きなのかベルガモ行きなのかはっきりしない。
Paphos(11:35発)→ Bergamo(14:05着)Ryanair FR5288 運賃 48.52ユーロ(6890円)
飛行機はキプロス島を飛び立つとまっすぐ北西方向に向かい、ロドス島・ナクソス島・スニオン岬を通りアテネ上空へ。昨日までの雨は何だったのかと思うくらい、快晴で良い天気だ。さらにコリントス地峡からコリンティアコス湾を経てケルキラ上空へ。途中、デルフィの手前で雪の積もったパルナッソス山やヘリコン山が見える。ギリシャで雪ってのも、経験したことがないからどんなものかわからないが、そういえば、スキー場があるとも聞いたことがある。
キプロスを出発してからアドリア海上空まで、ほぼ一直線に北西方向に飛び続け、イタリア北部でベルガモ空港着陸に向けて西に経路を変更する辺りになって、一面の雲に覆われるようになった。飛行機はどんどん高度を落としてゆき、窓の外は霧と雨粒が流れ去るようになる。本当は晴れて欲しかったのだけれども、さすが天気予報はよく当たる…。
ライアンエアーの飛行機が並ぶ駐機場に到着。しとしと降る雨の中、屋根もないタラップを降りて空港内バスに乗り、国際線ターミナルの到着ゲートに運ばれる。そう、キプロスはシェンゲン協定対象外なので、国際線扱いなのだ。
入国審査を終えて、空港内の観光案内所で公共バス24時間乗車券(5ユーロ, 710円)を買い、ロータリーの隅っこにひっそりと立つ市バス乗り場で待つ。ふと目の前を見ると、ミラノ中央駅行きのバスが何台も並んでいる。さすが、「ミラノ(ベルガモ)空港」を標榜するだけはあり、シャトルバスの運賃も5ユーロと安い。
Aeroport/Orio al Serio(14:25発)→ Stazione Autolinee(14:42着)Bus 1A, 運賃 1日券 5ユーロ(710円)
Bergamo - Italy (ベルガモ - イタリア)
中央駅前で市バスを降り、駅の自動券売機で明日の切符を買う。鉄道の2等車が5.3ユーロと、ベルガモ空港からミラノ行きの高速シャトルバスより0.3ユーロだけ高い。0.3ユーロの価格差は、乗り心地なのか利便性なのか…。インターネットで予約したホテルへ向かうことにする。駅前のアルピーニ広場にはクリスマス市が出ている。アルピーニ(山岳)という名前が、この街がアルプス山脈のすぐ近くにあることを気づかせてくれる。
中央駅から新市街の中心、ポルタ・ヌオーヴァまでのヨハネ23世大通りには、少し高級そうな店が並んでいる。何かの記事で読んだのだが、ベルガモはイタリアで一番地価が高い旧市街だそうだ。ベルガモは、紀元前1世紀頃はガリア・キサルピナと呼ばれる「ローマ本土の外」のガリアの同盟諸都市の地とされていた場所にある。当時は、軍団を率いて越えれば反逆者として扱うとされたローマの防衛ラインの外であり、このラインの東端に当たるルビコン川を渡ったカエサルは「賽は投げられた」と言ったことでも有名だ。そのローマ内戦の始まった紀元前49年、ベルガモはローマのムニキピウムとして自治が認められ、ローマ市民権も与えられた。日本では有名じゃないみたいだけど、結構古い街なんだ…。中世にはロンバルディア同盟を構成する一都市となり、現在もこの辺りはロンバルディア州となっている。
予約したホテルは、ヨハネ23世大通りから1本入った静かそうな場所にあった。チェックインし、荷物を置いて外へ。ホテルのフロントで聞いたポルタ・ヌオーヴァ前のスーパーマーケットに向かう。1階に「BILLA」と書かれたどこかで見たことのあるようなデザイン。東欧のどこかの国にたくさん支店があったはずだ。外から見ると衣料品の店にしか見えないが、店内のひっそりとした階段を降りるとスーパーマーケットがある。
そういえば昼食がまだだったので、駅前通りのケバブ屋に入り、ドネル・ケバブを食べる(5ユーロ, 710円)。昨日までは観光地だったから値段の高さを我慢し、今日は地下が高いから値段の高さをあきらめる… 因果なものです。
Porta Nuova(16:07発)→ Mula(16:14着)Bus 1A, 運賃 1日券 5ユーロ(710円)
ポルタ・ヌォーヴァのバス停からバスに乗り、アルプスに向かって高台となっている所にある旧市街へ。バスは新市街を出ると旧市街の丘に登るつづら折りの道路を登り始める。高度を上げるとともに霧が濃くなり、新市街がかすんで見えるようになる。サン・ジャコモ門前で下車。バス停の名前はムーラ(城壁)で、旧市街を取り囲むヴェネツィア時代の城壁の入口の一つが、このサン・ジャコモ門。晴れていれば新市街からのんびりと登ってくるのも楽しいのかもしれないが、冷たい霧雨ではバスの方が楽ちんだ。これだけがっしりとした城壁に守られていたのは、ここがヴェネツィア共和国の最西端で、すぐ西にあるミラノの脅威から守るためだったそうだ。
旧市街の中心に向かって、建物の間を縫うように通っている坂道を登る。ケーブルカーの丘の上駅を過ぎると、地味なイルミネーションで飾られた旧市街中心部。最近、日本の「歴史も文化もない、単なる光輝くだけのイルミネーション」を見慣れてしまったせいか、本場のものが地味に見えて仕方がない。
旧市街中心のヴェッキア広場、特に何の電飾も無く、建物のライトアップもない。11世紀に建てられた「市の塔」と呼ばれる高さ38mの時計塔のてっぺんが霧でかすんでいる。すぐ隣りにあるラジョーネ宮の美術展を見る(6.0ユーロ, 850円)。ラジョーネ宮も12世紀頃に建てられ、行政庁者として使われてきた古い建物だ。美術展とは関係ないが、壁には巨大な最後の晩餐の絵が掛けられている。
観光客が少ない季節だからか、もとからこういう状態なのか、照明が薄暗いサンタ・マリア・マッジョーレ教会とベルガモ大聖堂を見学する。サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂は何枚もの巨大なタペストリーが飾られている。16世紀〜17世紀頃に、フィレンツェやフランドルで作られたものだということだ。旧市街を歩いていると、切り売りのピザ屋があったので入る。店員がハサミでざっくりと切り取り、オーブンで再加熱してから食べやすいように細切れに切ってくれる。付け合わせにパン1個…(小麦粉ばかりやな)。1個で確実に満腹になる大きさで、値段は5.6ユーロ(795円)。イタリア人はこの大きさでもファストフードの位置づけなのだろうか。
stazione superiore/丘の上(18:05発)→ stazione inferiore/丘の下(18:08着)Funicolare alta, 運賃 1日券 5ユーロ(710円) Stazione Inferiore Funicolare(18:11発)→ Porta Nuova(18:16着)
Bus 1A, 運賃 1日券 5ユーロ(710円)
帰りはケーブルカーに乗って、そこからバスに乗り換えて新市街まで戻ってくる。ずっと霧雨が降っていて、それなりに肌寒い。気温は一日を通して8℃~10℃くらい。キプロス島に比べて10℃も低いので、肌寒く感じる。
新市街の目抜き通りのローマ通りを挟んで建てられているポルタ・ヌオーヴァは、建物の円柱部分に電飾がされている。すぐ横のヴィットリオ・エマニュエレ広場にはクリスマスの回転木馬が出ている。新市街でクリスマスらしいのはこのあたりだけのようだ。神戸の「ルミナリエ」のような派手な電飾を期待していると、確実にがっくり観光地になってしまう。まあ、この地味なのが歴史を感じさせていいのかもしれないし、「地価が一番高い」上品な街に派手な演出は必要ないともいえるのかもしれない。
Central Hostel BG, 23号室39.9ユーロ(5670円)