アドリア海周辺を旅する :
ザルツブルク、ヴェネツィア
September 28, 1999 (Tuesday)
Ljubljana - Slovenia (リュブリャナ、スロベニア)
ホテルでバイキング形式の朝食を食べてからチェックアウト。駅へ向かう。途中の食料品店で昼食用のパン(2個 105 トラール, 58円)を買う。
Ljubljana(10:05発) → Salzburg Hauptbahnhof(14:50頃着)Train EC 10 運賃 6599 トラール(3695円)+ EC料金 275 トラール(154円)
10時5分発のEC10列車ベルリン行きに乗る。昨日ザグレブから乗ったのと同じ列車だが、今日はクロアチア鉄道の車両を6両ほどつないでいる。2等禁煙車に乗り込む。同じ車両には15人程度の乗客が居るだけで、すいている。およそ30分で、一昨日訪れたブレッド湖の近くを通過する。岩山の上にそびえるブレッド城が見える。一昨日より今日のほうが天気がマシで、旅行の行程を少し間違えたかなとも思った。
オーストリア国境に近づく。外は雨になる。ユリア・アルプス山脈と東アルプス山脈の高い山々に囲まれた峠の町、イェセニツェ(標高584m)に停車する。スロベニアの車掌が下車しオーストリアの車掌が乗車してくるのが窓から見える。駅を出るとアルプスの東の端、カラワンケンを越える約8kmのカラワンクス・トンネルを通る。
オーストリアに入る。入国審査官がやってくる。パスポートの番号をノートパソコンに入力し、懐中電灯で偽造の跡がないか丹念に調べている。朝買っておいたパンと駅で買ったオレンジジュースで昼食。
牧場、畑、林、切り立った崖、急流の繰り返しの景色が車窓を流れる。雨はだんだん土砂降りになってくる。13時30分ごろ、バッド・ガスタイン駅あたりから乗り込んできた親子連れの子供2人が、車内いっぱいを使って暴れていても何の注意も払わない親には閉口した。
Salzburg - Austria (ザルツブルク、オーストリア)
14時50分ごろ、ザルツブルク中央駅に到着。ホームの中央にATMがある。通貨レートが分からないので、ちょうど歩いていたアジア人(韓国人)に声をかける。通貨名称はシリングで1シリング=0.8米ドルくらい(計算機で韓国ウォン経由で計算してくれた)だという。イタリアへ抜けるための切符はクレジットカードで買う予定なので、1000円程度あれば間に合うと思い、1000シリング出金する(←既にここで計算間違いしています…)。
街に出る。しとしとと雨が降っている。その辺の店の値段を見ていると、どうも通貨単位を1/10ほど勘違いしていることに気づく。(9000円も出金してしまった!)
駅の観光案内所で買った地図(10シリング, 90円)を頼りに、バスターミナルに向かう。新市街の北ターミナルは、単なる市バスの停留所といった感じで、イタリア方面への国際バスが走っている様子はない。そのあたりの人に、この街からイタリア行きのバスが走っているか聞いてみると、無いそうである。仕方ない、列車で行くか。
リュブリヤーナ駅で教えてもらった情報によれば、22時ごろの列車に乗れば、ヴェネツィアに行けるそうなので、数時間この街を見れるはずだ。
ザルツァハ川(ドナウ川上流)を渡ると旧市街。山の上には雨に霞んだホーエンザルツブルク城が見えてくる。みやげ物やファッションの店が軒を連ねている地域を過ぎると、レジデンツ広場。広場の中央には巨大な噴水が水を吹き上げているが、雨の日には興ざめな風景だ。レジデンツは中世以来ザルツブルク大司教の宮殿として使われたそうで、現在は美術館として使われている。とりあえず、ホーエンザルツブルク城のある山に登ってみる。ケーブルカー(往復69シリング, 621円)に乗って城まで登る。
ここからは市街が一望できる。雨は大体やんで、はるか北のドイツの方向は晴れているようだ。
城門をくぐって中へ。城の内部も土産物屋がテナントとしてたくさん入っているのは興ざめだ。17時すぎだったので、博物館への入り口が閉められている。ツアー客と思われる数人がきて、職員と交渉して入れてもらっていたが、個人客は絶対に入れないようだ。なんという対応の違い。
再びケーブルカーに乗り旧市街に降り、モーツァルト誕生の家を見に行く。なんかうそっぽいほど装飾されていて、きれいに整備されている。
NORDSEE(ドイツ資本のシーフード・ファストフード)の店があったので、ここで夕食とする。サンドイッチとサラダ、飲み物で150シリング(1350円)とバカ高い。ファストフードでこの価格とは、恐ろしく物価の高い国だ。
駅へ戻る。駅の近くに旅行ガイドブック専門店があったのでオランダのガイドブックを買おうと思い入ってみる。店員に聞いてみると、アムステルダムの物はあったのだが、国内全部は無いようなのでやめておく。
駅でヴェネツィアまでの2等車の切符を買う。運賃が540シリング(4860円)、途中の乗換駅であるフィラッハ中央駅まではインターシティのため、その座席指定料金が30シリング(270円)、フィラッハから先は予約が入らないようである。
Salzburg Hauptbahnhof(19:14発) → Villach Hauptbahnhof(22:01着)Train IC 792 運賃 540 シリング(4860円,ヴェネツィアまでの一括料金)+ IC料金 30 シリング(270円)
荷物預け所に預けたバックパックを回収する(30シリング, 270円)。19時14分、ザルツブルク発の列車に乗車。車内はがらがらで、座席指定の必要はなかったようだ。同じコンパートメントになったザルツブルク在住の女性は、以前日本を旅行したことがあるそうだ。京都で伝統工芸品の作り方を体験して楽しかった話と、日本人に英語で話し掛けると、“逃げる”ことがとても困ったことなど聞いた。今日は天気が悪いが、明日になれば晴れるそうだ。晴れている所を観光できずに残念…。女性は21時30分ごろマルニッツ駅で降りていった。22時ちょうど、フィラッハ中央駅に到着。スロベニアから来た時に、スイッチバックした駅だ。
駅構内はがらんとしている。切符売り場の窓口も閉まっている。駅の外は真っ暗で、駅前にカフェやバーなどというような気の利いたものも無いようだ。待合室のベンチで24時まで過ごす。
オーストリアの新聞「タゲス シュピーゲル」によれば、日本を台風バートが襲い、26人が行方不明になっていること、竜巻も起きたらしいことが分かる。ドイツ語で読むと、なんかすごそうな感じだけど、本当はいったいどうだったのだろうか。
September 29, 1999 (Wednesday)
Villach Hauptbahnhof(19:14発) → Venezia Mestre(03:30頃)→ Venezia Santa Lucia(04:00頃着)Train EN 235 運賃 540 シリング(4860円,ザルツブルクからの一括料金)
24時ごろ、ホームに下りる。アルプスの夜は結構寒い。24時20分、ミラノ行きのEN235が入線する。寝台車や簡易寝台車などが何両も連なる中に、2〜3両だけ繋がれていたイタリア国鉄の2等座席車に乗り込む。車内はほぼ満員で、同室になった中国人の夫婦(大陸の人)の赤ちゃんがよく泣くので寝られそうにない。まもなく国境を越えイタリアへ入り、東アルプス山脈をどんどん下ってゆく。そのうち、北イタリアの平地を走るようになり、小さな駅を通過するときなどに周辺の街灯が流れ去ってゆくのが見える。イタリア国鉄の車掌が検札に来たので、“この車両はサンタルチア駅に行くのか”聞いてみる。しばらくして戻ってきて、イタリア語で“先頭の2両程度が切り離されてヴェネツィアに行くので、車両を移ってくれ”というようなことを言っている。切り離しが行われるメストレ駅に着く時間は3時ごろらしい。(結局寝れないではないか)
3時ごろ、先頭車両に移動する。先頭から2、3両は寝台車とクシェットだ。3時30分ごろ、ヴェネツィア・メストレ駅到着。列車が2分割される。私の乗った車両は直進しゆっくりとラグーンに架けられたリベルタ橋を渡り始める。4時少し前、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅到着。あたりはまだ真っ暗だ。
Venice - Italy (ヴェネツィア、イタリア)
行くあてもないので、駅のコンコースにあるベンチで寝る。何人かのホームレスらしき人と、旅人らしき人も座っている。とても寒いので、新聞紙をかぶって寒さを凌ぐ。
6時、駅のカフェが開店する。エスプレッソ(1500リラ、102円)を飲む。冷え切ったからだが少しだけあたたまる。外に出る。昇ったばかりの朝日が駅舎を照らしている。近くの食料品店でサンドイッチ(5700リラ, 390円)を買い、食べる。運河を船が走り始める。街が動き出したようだ。
7時、トイレ(1000リラ, 68円)に行き、荷物預かり所にバックパックを預け(5000リラ, 342円)て、観光に出かける。公共交通会社(ACTV)の72時間券(水上バスのヴァポレットとリド島のバスに乗れる)を35000リラ(2397円)で買う。
Ferrovia, Santa Lucia(08:00頃発) → Lido(09:00頃着)Ferry, line 82 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
さっそく、サンタ・ルチエ駅前の大運河(カナル・グランデ)にある水上バスの船着場から82系統に乗り、外海のアドリア海からヴェネツィア・ラグーンを隔てている砂洲の島、リド島に向かう。リド島に行く水上バスは少し小ぶりで速度が出るため、ヴェネツィア本島周辺の路線を走る巨大で遅い水上バスを軽々と追いぬいて行く。大運河は様々な大きさのフェリーや手漕ぎの伝統的なゴンドラまで入り乱れ、カオス状態だ。出発から15分でリアルト橋、35分でサン・マルコ広場の船着場を経由して、カナル・グランデを離れラグーンを全力疾走しリドの町に到着。船着場の前はバス停で、少しばかりの店がある。ヴェネツィア本島には車は走っていないが、この島には普通に車が走っている。
船着場前から町を横切って外海に面した砂浜に向かうエリザベータ大通りを歩いてゆく。道沿いにはリゾート・ホテルが並んでいて、本島より広い敷地にゆったり建っている。本島より少し値段が安いようなので、不便さを我慢するならいいかもしれない。5分ほどで島を横切り(この島は細長い島だ)、海岸に出る。シャワーや更衣室の小さなハウスが並んでいて、無人のビーチにパラソルの骨組みが整然と並んでいる。一直線の砂浜は遥か向こうまで見渡しても数人の人影が見えるだけで、典型的なシーズンオフの海岸だ。
吹きさらしの砂浜にテントを張って野宿しているバックパッカーが居る。宿泊費が高いヴェネツィアでは致し方ないのだろう。
再び水上バス82系統に乗り、本島に戻る。全速力でラグーンを進む船は、浅瀬に乗りあげないための航路がどこか知っているのだろう。中世の頃は、外部の者に航路が分からないようにしておく事が、ヴェネツィアの防御に大いに役立っていたそうだ。いまでも航路を示す木の杭が所々に残っているが、杭を抜きさってしまうとGPSを装備していない船は浅瀬に乗り上げてしまうのだと思う。
Lido(10:00頃発) → Ferrovia, Santa Lucia(11:00頃着)Ferry, line 82 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
水上バスをサンタ・ルチア駅前で降り、1週間ほど前にこの街に来た時に予約したホテル・アルカディアに向かう。10時までに来ないとキャンセルすると言われていたが、少し遅れて11時ごろ到着。駅からサン・マルコ広場方面へ向かうメインストリートに面したホテルで、朝食付で1泊100000リラ(6850円)だ。物価の特に高いヴェネチアなら仕方ない価格だろう。とりあえず1泊することとする。ホテルは17世紀の建物を利用しているそうだが、部屋は近年リフォームされているので、内装は現代風だ。
フロントの愛想のいい兄ちゃんに、コインランドリーとネット・カフェの位置を聞いておく。ホテルの前の露天の果物屋でバナナを2本買い(2300リラ, 157円)、カナレジオ運河に面したネット・カフェに入る。15分4000リラ(274円)で、メールのチェックをした後にCNNのニュースサイトを見ると、日本の核施設で結構大きな事故があったそうだ。アメリカとロシアが核物質対策の緊急チームを送り込むと日本政府にアピールしているとも載っていたが、日本政府は受け入れないだろうと思った(神戸大震災でも露呈した責任者不在体制では、援助隊の受け入れをするかどうかという判断すらできないだろう)。
マクドナルドで昼食を食べる。マックチキンのセットメニューが8900リラ(609円)。グリッシーニが無料で付いてくるのが、他の国のマックと違う所だ。
Ca' d'Oro(12:25頃発) → Accademia(12:45頃着)Ferry 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
大運河に面したアカデミア美術館に行く(入場料12000リラ,822円) 。ルネサンス時代のヴェネツィア派の名作が展示されているが、肖像画や神話画が多く、いまいち楽しめなかった気がする。
美術館を出て大運河沿いに東へ向かうと、ヴェネツィア本島の大運河で切り取られた南半分の突端部に出る。大運河を挟んでサン・マルコ広場の対岸にあたるこの場所に、巨大なサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が建っている。運河に挟まれた狭い敷地いっぱいに建てられた八角形の建物は、17世紀のバロック建築の傑作と言われているそうだ。
運河に挟まれた島の突端にはスピーカーが取り付けられていて、ゴンドラが岸辺の柱にあたる音や、水のちゃぷちゃぷいう音が流されている。メジャーな観光地は、こうだから興ざめだ。
ジュデッカ運河側の道を西へ、ヴェネツィア本島最西端にある国際フェリーターミナルなどのある地区を目指す。西へ向かうに従い観光客の数も減って、土産物屋だらけの本島中央付近の様子とはかなり違う。
日差しが強く暑いので、ジェラート屋に入る。コーンカップに入っているのは高く、紙カップ入りの方はその半額くらいで2000リラ(14円)と激安だ。ジェラート屋の前の運河の対岸には、伝統的なゴンドラを造る聖トロバソ造船所が見える。造船所自体も歴史的遺産のように、古い木造の建物だ。
本島西端の港湾地区にたどり着く。岸壁への入口は、国鉄サンタ・ルチア駅の横のローマ広場だ。イタリア本土から来る自動車は、この駐車場までしか入って来れない。岸壁にはギリシャのMinoan Linesが運行する巨大フェリーと、クロアチア行きの小ぶりの客船が停泊している。岸壁横の建物には“Stazione Marittima(ポートターミナル)”という看板が出ているが、明後日に私が乗るギリシャ行きのフェリーの出発場所もおそらくここなのだろう。
港の横には刑務所らしき建物があり、横を通る時ちらっと中を覗いてみたら、監視塔の警備員に追い払われた。
ホテルに戻り昼寝して、夕食を食べに出かける。ATMで出金しようとしたら、どのカードを使っても450000リラ(30820円)が上限のようだ。まあ、それくらいなら充分足りると考えられてのことなのだろう。
ホテルのすぐ北の地区に、旧ユダヤ人街ヴェネツィア・ゲットーがある。16世紀に作られた世界最古のゲットーだそうで、かつてここにあった鋳造所(ヴェネツィア語でGetto)という言葉が、そのまま“ユダヤ人居住区”を表すようになったそうだ。外部と接続する道が極端に少ない閉鎖的な雰囲気を感じる所で、現在でもユダヤ料理や食料品店が営業している。
Hotel Arcadia, room 57100000 リラ(6850円)
September 30, 1999 (Thursday)
ホテルで朝食を食べた後、チェックアウト。昨日のうちに予約しておいた、今夜泊まるホテルに行き荷物を預けておく。今日はベネツィア・ラグーンに浮かぶ島を見に行こうと思う。
Ferrovia, Santa Lucia → Murano, Faro(所要約20分)Ferry, line 62 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
サンタ・ルチア駅前の水上バス乗り場より62系統に乗船。少し小ぶりの急行船だ。船はヴェネツィア本島の停留所は全て通過して、ムラーノ島へ。多くの人が降りる停留所で渡船を降りて運河沿いに歩いてゆく。ここはヴェネツィアン・グラスの産地で、運河沿いにそれらを扱う店が並んでいる。日本語で“正直な価格の店”と書かれている店には失笑する。(これを見て入る日本人は、どういう感覚をしているのか?)
しばらく歩くと、アメリカ人ツアー客が並んでいる所がある。ヴェネツィアン・グラス博物館のようだ。人混みの中を見るのも味気ないので、とりあえず通り過ぎて後で見ることにする。
少し行くと、聖マリア・ドナート教会がある。ヴェネツィア・ラグーン内の島々の中で最も初期の7世紀頃に建てられたそうだ。現在残っている建物はそれ以降のものだそうだが、12世紀頃作られたという礼拝堂床のモザイク・タイルが美しい。路地を進んでゆくと、ヴェネツィアン・グラスの工場がある。窓から覗くと、土産物屋でよく売っている花瓶などを作っているようだ。路地の向こう側は普通の住宅地となっている。ヴェネツィア本島と違い、イタリアの普通の郊外住宅地といった感じだ。
帰り道、ヴェネツィアン・グラス博物館に入る(入場料8000リラ, 548円)。先日CNNの「アートギャラリー」という番組でオンエアしていたところだ。ガラス細工の製作方法を知るにはちょうどいいところだ。
再び水上バス乗り場へ。こんどは12系統に乗り、ブラーノ島へ。船は島々からはるか離れて全力疾走。左手にはヴェネツィア空港が見える。30分ほどでブラーノ島に到着。すぐ横にトルチェッロ島行きの小型船が待っているので乗り換える。
Murano, Faro → Burano(所要約30分)→ Torcello(所要約5分)Ferry, line 12→line 9 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
船を降りると、目の前には雑草が生えた湿地が広がっている。ヴェネツィアに来て以来、建物がほとんど建てられていない島に上陸するのは初めてだ。1本道が細い水路に沿って島の奥に伸びている。
道に沿ってゆくと、カフェが何軒かあり、その向こうに聖マリア・アスンタ大聖堂の塔が見える。大聖堂まで日陰のない道を歩いて10分。敷地の入口で入場券を買い(5000リラ, 342円)、教会内を見学。現在残っている建物は9世紀と11世紀に改修されたものだそうだが、この地に初めて教会が出来たのは7世紀だそうだ。10世紀には人口1万人を擁したこの島も、12世紀ごろより周囲のラグーンが埋まって湿地に変化してしまったため、船による交易が不可能になり町が放棄されたそうだ。現在では人口たったの20名だとか。
島の没落が始まった12世紀頃の綺麗なモザイク画が、大聖堂内に残されていて観光名所となっている。水上バスの桟橋と大聖堂の間を結んでいる道を少し外れると、石で固められていない土手の水路と、雑草が生える平地が広がっている。ヴェネツィアが栄える前は、あらゆる島がこんな感じのところだったのかなと思ったりもした。
Torcello → Burano(所要約5分)→ Fondamente Nove(所要約30分)Ferry, line 9→line 12 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
墓場の島サン・ミケーレの本土側対岸にあるフォンダメンテ・ノヴェ桟橋で下船。本島の中心方向へ延びる真っ直ぐな路地を進み、振り返ると路地のはるか向こうにマリンブルーのラグーンが見える。綺麗な景色だ。
サン・マルコ広場の鐘楼に向かう。入場料は8000リラ(548円)。オリジナルは中世の塔なので、木製の階段か何かだと思ったら、意外に黄金の内装のエレベーター。さすが、成金国家ヴェネツィア共和国…というわけではないだろうが、豪華だ。ちなみに、現在の塔は20世紀に入ってから再建されたもので、高さは約100mだそうだ。眼下には観光客でごった返すサン・マルコ広場。昨日訪れた3km南西にあるリド島はもちろん、今日訪れたムラーノ島や9.5km北西にあるあるトルチェッロ島ももちろんはっきりと見える。
Hotel Santa Lucia, room 2280000 リラ(5480円)
October 1, 1999 (Friday)
ヴェネツィア3日目。今晩、フェリーでギリシャに向かう予定だ。朝食後、ホテルをチェックアウトして、駅前のSan Simeone Piccolo教会の裏手にあるコイン・ランドリー(8時から22時まで営業)へ。洗剤1000リラ(68円)、洗濯機6000リラ(411円)、乾燥機3000リラ(205円)。約1時間で終わる。駅に行き、荷物預かり所にバックパックを預ける。
フェリーに乗船する夕方まで、下町を散歩することとする。サンタ・ルチア駅から大運河を渡り、“リアルト橋はこちら”の標識に沿って路地を歩く。聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会があったので入ってみる。15世紀の建物で、内部はごく普通の地味な教会だ。
少し道をそれてアカデミア方向に向かうと、巨大なフラーリ聖堂が目に入る(入場料3000リラ, 205円)。15世紀に建てられた聖堂内には、彫刻作品が大量に置かれていて見事だ。主祭壇にはティツィアーノが描いた聖母被昇天の絵が掛けられている。
街歩きに疲れ、15時頃サンタ・ルチア駅で預けていた荷物を取り出し(料金5000リラ, 342円)、駅前の水上バス乗り場より82系統に乗る。乗った直後に手錠を持ったおっさん(刑事)が、私の横の男を逮捕する。しまった、何か取られたかなと思ったが、被害者はアメリカ人のようだ。被害者も一緒に警察署に連れていかれていた。船員に「Stazione Marittimaに行くかどうか」聞いてみると、「行く」という事だ。10分ほどで一昨日にMinoan Linesが停泊していたフェリーターミナル前の桟橋に到着。
Ferrovia, Santa Lucia → Santa Marta(所要約10分)Ferry, line 82 運賃 35000 リラ(2397円, 72時間券)
フェリーターミナルの入り口は施錠されて、今日はフェリーが一隻も停泊していない。すぐ横にある警察か税関の詰所に居るの警備兵に聞いてみると、ターミナルはもう一ヶ所あるようだ。岸壁に沿って歩いて行くよういわれるので、本当は勝手に入ってはいけない保税区域を、炎天下の太陽にさらされて歩く。ま、警備兵に言われて歩いてるのだから、不法侵入で逮捕されることもないだろう…。
鉄道の引込線にドイツ鉄道の客車が何両か停車している。その横に自動車用の出入国審査ゲートがある。人は… 通るべきかどうかよく分からないので、コソッと裏手を迂回して通過。跨線橋を渡った向こうに立派なフェリーターミナルが見えてくる。30分は歩いただろうか…。
Strintzis Linesのオフィスで、バウチャーを示して乗船券を購入する(164000リラ, 11234円)。窓なし、シャワー室付きの4人部屋 418号室Bベッドが割り当てられる。船内で使える通貨はリラかドラクマか聞いたら、ギリシアの船なのでドラクマらしい。ターミナル内の両替屋はレートが悪そうだったので、ローマ広場まで戻って替えようと思う。
出国審査を受ける。空港のように出国審査後は別室というわけでなく、その辺をぶらぶらしていいので、市内に再び戻る。ローマ広場の両替屋で1ドラクマ=6リラの交換レートで両替し、手持ちの60000リラ(4110円)を10000ドラクマ(3500円)に交換した。これで、船内で使う金には困らないだろう。
Venice(19:00頃発) → Patra(2日後の06:00頃着)Strintzis Lines, Superferry Hellas 運賃 164000リラ(11234円)
岸壁に泊まっているフェリーの横には、たくさんのトレーラーが列をなして並んでいる。17時ごろ、船首に近いところに設置されたタラップを登り乗船。27320トンの巨大な船なので、岸壁から見る船体はまるで壁のようにそびえ立っている。乗船口からエスカレーターで2デッキ上がったところに、レセプションがある。まるでホテルのようだ。
乗船券を示して、スタッフに部屋まで案内してもらう。船室は冷房がばっちり効いていて寒い。部屋にはすでにギリシア人の男性が来ていた。しばらくして、コソボ人の男性2人がやってきた。以上が私のとまる部屋の顔ぶれだ。
出航まで最上部の甲板に出て景色を眺めて過ごす。あたりが薄暗くなった19時、最初は動いているのかいないのか分からないくらいの速度で進みだす。ジュデッカ島とヴェネツィア本島の間の水路を通り、サン・マルコ広場の前を通り過ぎる。すぐ下を通り過ぎてゆく水上バスの客がこちらを見上げている。日暮れ直後のヴェネツィアの街全体が、薄くオレンジ色の街灯に照らされている。リド島の横を通り過ぎ、アドリア海へ。ヴェネツィアの街の光も遠くなり、そのうち見えなくなった。
船内のセルフサービス・レストランで夕食を食べる。2150ドラクマ(752円)とは、ヴェネツィア市内のファストフード店より安い。暇なので船の中を探検してみる。この船は1987年に三菱重工で造られ、1999年まで東日本フェリーの“ばるな”として就航。今年1999年にギリシャに売られてスーパーフェリー・ヘラスとなったということだ。つい数カ月前まで日本で就航していた船だ。船のスペックは、総トン数27320トン、全長187m、全幅27m、巡航速力23.5ノット(43km/h)、乗客数1600名(“ばるな”時代は900名なので、定員が1.8倍に増えている)、積載車両数900台だそうだ。
Superferry Hellas, room 418-B164000リラ(11234円)/2泊,運賃込