JUNE 26 | 西安(陜西省) |
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国) |
朝8時、宿泊している光華賓館(グァン ホァ ピン グァン)を出て、約1.5km北西にある西安站(シー アン ツァン)へ。站前広場の南東角にある旅行社の「散客服務中心」へ。あさっての嘉峪関(ジァ ユー グァン)までの列車を予約する。西安から嘉峪関へは5本程度の快速や普快が出ているが、西安発の列車(正確には2本存在するが、1本は空調無しだ)しか予約できないようだ。注文内容をメモして、係員が站へ向かった。10分くらいして係員が戻り、料金を支払う。硬臥下鋪(イン ウォ シァ プ)で259元。手数料が50元の309元であった。(どうも、直接駅の窓口で買ってきたらしく、個人でも買えそうな雰囲気だ) |
解放路(ジェ ファン ルー)を少し南に歩き、牛肉面店で朝食。排骨面 3.5元。すぐ前のバス停から611路(1元)のバスに乗る。バスは解放路を南下し、東大街(ドン ダー ジェ)、鐘楼(ジョン ロウ)、西大街(シー ダー ジェ)、西門(シァ メン)を通って労働路(ラォ ドン ルー)との交差点へ。バスを降りる。市内地図によれば、この辺りに中国西北航空公司の售票処(シャォ ピャォ チュ)があるはず。最初に見つけたのは中国南方航空の售票処。交差点を少し南に西北航空售票処を発見。客のだれもいない広い事務所に入る。日本で購入した航空券のリコンファームは何とか無事に終わる。 |
10分ほどで西門(シァ メン)(又の名を安定門)に到着。道路が城壁を貫いており、その間に楼閣がある。どこから入るのだろう。道路の横に入口らしき物があるので入っていくと兵士が休憩している。楼閣への入口は門のロータリーの中央にあるらしい。あのひっきりなしに行き交う車をかいくぐって中央に渡る必要があるわけだ。 城内側の入口から、楼閣を取り巻く壁の中に入る。観光客は誰も来ていないようだ。ひっそりしている。この門はシルクロードの基点ともいえる。まあ、時代と共に城壁も改修されているので、清朝以前の数百年間はここを通って西洋との交易をしていたと考えてもいいだろう。 楼閣へ上る階段がある。入場券を買うようなところは無いが、勝手に登っていいのだろうかと思っていると、向うから女性がやってきた。やはり、入場料は必要なようだ。10元。階段を上ると、城壁(チェン チャン)の上に出る。楼閣に入る。土産物屋だ。その建物の2階から西を見る。先ほど西北航空售票処から歩いてきた並木道が見える。現在のシルクロードはバスとトラックで渋滞している。 西安志を取り囲む城壁の上へは登れない。楼閣を取り囲む城壁との境界に鉄格子がはめられている。小規模な街なら市街を囲む城壁に上れるのだが、中国有数の都市ではやはり不可能なようだ。 |
|
|
16時30分、再び站前からバス5路に乗り南へ。バスは解放路〜雁塔路をまっすぐ南下し、初めて左折したところで降りる。(陜西歴史博物館の近く) バス610路(冷房バス 2元)に乗って、站前に戻る。ホテルの部屋でありあわせの食事を食べる。 |
JUNE 27 | 西安(陜西省) |
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国) |
8時、ホテルを出て朝食に出かける。ホテルの前に、旅行会社の客引きがきている。盛んに郊外ツアーを売り込んでいる。値段を聞いてみると、35元で兵馬俑(ピン マー
ヨウ)方面の観光名所何ヶ所か回るそうだ。その現地ツアーに参加することにして、客引きには、まず朝食に行くからというと、後を付いてきた。(客を逃したくないのだろうか) 解放路の永登豆漿という店で、朝食(蒸餃と炒飯)を食べる。客引きのおっさんは、こちらが食事を終わるまで店の前で待っている。その客引きのおっさんに付いていくが、彼の予期した場所にはツアーバスは待っていなかった。彼はさらに站の方向に行くので付いて行く。站前の八一賓館の前に停まっているマイクロバスに乗せられる。しばらく待つが、車は発車しようとしない。しばらくして別の旅行会社の人物が来て、車が変わると言われ、東七路の駐車場のマイクロバスに移る。中国人のおばさんが2人乗ってくる。さらに待つこと30分、やはり発車しない。今度は中型のバスに乗り換える。結局10時過ぎにやっと発車し、再び八一賓館で10台の中国人女学生の団体を積んで東に向かう。(結局、客引きがある程度の客を集めてこないと、発車しないということのようだ)
冷房の無い、サスペンションがへたりかけたバスは、西安東站前を経由して高速道路に入る。窓からはむっとした空気が車内に入ってくる。すぐ前の席に座っている中国人の女の子のビニール袋に入ったココナツジュースが、バスの揺れで(?)爆発する。(かわいそうに)
高速道路を降りて、西安站前より40分ほどで、西安事変庁(シー アン シー ビャン ティン)に到着。駐車場の入口に、入場料…
と書かれていたが、入場料を払わなくても入れるようだ。(実は、ツアー扱いなので、あとで入場料をまとめて請求される) |
再びバスに乗って10分ほど、華精池(ホァ チン チー)の横を「通り過ぎて」、とある建物の前に到着する。中国人グループはこちらに入るようだ。臨潼博物館(リン トン ポー ウー グァン)というその場所は、その辺りから発掘された遺物を展示している。(ただし、兵馬俑は無い)だが、中国人グループの目的は他にあるようだ。なぜか、展示物より土産物屋に興味がある模様。大して見るものも無いので、バスの前で出発を待つ。30分程度も待つ。(実は、この博物館を見ずに、華精池まで歩いていって見て来ることも出来るくらいの時間はある。) バスは10分程度走って、再び何らかの博物館前に停まる。秦陵地宮(チン リン ディ ゴン)とかかれている。バスの中国人グループはここに入っていくようだ。なんだか嫌な予感がするが、せっかくここまで来たんだから、入ってみる。展示館のガイドの後について、地下への階段を下りる… 。ついに、秦始皇帝陵の発掘場所に到着… そんなわけは無かった。まるで小学生の夏休みの課題で作った箱庭。クリスマスツリーの電飾が点滅する地下の箱庭。その辺のおもちゃ屋で買ってきた人形や、動植物の安っぽいプラモデル… 思わず言葉を失った。 中国人も言葉を … 失わない。真剣にこの箱庭を見ている。興味深い人種だ。 唯一の救いは、建物に冷房が効いていること。 |
バスにのりさらに5分。世界遺産 「秦始皇陵(チン シー ファン
リン)」の前に停車する。運転手が降りる人はいるかと聞く。当然私は降りる。他の中国人は … 降りない。(不思議だ) 入口の前で水を買う。ほとんど凍っているので、飲みにくい。バスに乗り込み、数分のところにある建物へ。宝石店? 中国人はうれしそうに中へ…。
私は日陰で彼らのもどりを待つ。20分ほどしてバスが出て、昼食を食べるレストランへ。バス運転手が、それぞれの客から立て替えた入場料を徴収し始める。私からは95元。(秦始皇帝陵
26元、西安事変庁 5元、以外は価値の無い物であったが…)
観光客専用レストランで、なぜか、入口とレストランの間が宝石店になっている。一番安いメニューのラーメンでも食べておく(蘭州拉面 10元)。13時30分、バスは発車することになっている。が、発車しない。中国人女学生が友達も乗せろともめている。
結局彼女たちは他のバスに移って、5人程度の客でバスは発車。10分ほどで秦俑博物館(兵馬俑のこと)の駐車場に着く。 |
本日の最大の観光ポイントである秦俑博物館(チン ヨン ポー ウー
グァン)に入る。まず、展示館から。さすがに、ここはすばらしい。(今朝方まで見てきたところが、あまりにも期待はずれだったため)
よくこんな陶器のおもちゃが現代まで残っていたものだ。乾燥した土地だから、腐食があまり進まなかったのだろう。1号坑の建物へ。1974年に最初に発見された兵馬俑(ピン
マー
ヨウ)だ。写真撮影禁止と書いてあるのだが、どの観光客もお構いなしに写真を撮っている。しかしながら、よくこれだけの数の等身大の青銅人形を作って埋めたものだと思う。はるか向うまでずらっと並んだ兵馬俑の人形は、古代の王朝の浪費を物語っているようだ。(昔は、ピラミッドとか古墳とか、王権の威厳を示すためだけの無駄建造物が多いが…) |
さて、3時ごろ門を出る。警備員にバス停の位置を聞く。「公共汽車306路的站 在那里?」とメモ帳に書いて見せたら、さすがに的確に伝わったようだ。バス停の辺りに行く。相当田舎から募集されたらしい人民解放軍(レン ミン ジェ ファン ジュン)の部隊が、木陰に座り込んでいる。市バスとはまったく違うマイクロバスに、「306路 快速」と書かれている。運転手に聞いてみると西安站に行くようだ。乗り込む。運賃5元。やはり冷房が効いているバスの方が快適だ。20分程度待って、乗客がいっぱいになったら出発。(このバスは個人バスで、市バスは20分に一本程度駐車場から発車していった。)途中、クラクションを鳴らしながら、助手が「西安! 西安!」と叫んで道端の客を拾っていく。荒い運転と、歩道を歩いている人を見つけると急減速するので、乗り心地はよくない。40分程度で西安站に到着。ホテルに帰って休憩。 18時ごろ、朝食を食べた永登豆漿でいろいろ食べる。8元程度。解放路をさらに歩いて、東大街へ。ぶらぶら歩いて、解放路に戻る。化粧品屋の前にテレビが置いてある。その前に人だかりが。何か名と思って覗いて見ると、ドラマを見ているようだ。テレビの普及率はそれほどでもないのだろうか。(日本でも、昔は街頭テレビというやつがあった) |
|
JUNE 28 | 西安(陜西省) |
XIAN - CHINA(西安、中華人民共和国) |
身軽になって站前へ。バス610路に乗る。(冷房が効いているから。2元) 20分ほどで陜西省歴史博物館(シャン シー リー シー ポー ウー グァン)前に到着。35元払って中へ。ここにも兵馬俑から持ってきた人形が展示されている。陜西省を中心とした中国の歴史的逸品が年代別に展示されている。長安の都の説明では、いかに日本の平安京より大きかったかを力説している。(それは逆だろう。平安京は長安の後で出来たコピー製品なので、比較は出来ないと思う。) あとは、陶器類とか金属製の装飾品などが展示されている。(私は専門家で無いので、詳しくは説明できない) 博物館の別の建物らしきところに入ろうとする。改札機らしきところがあったので、そこを通っていくと、なんと土産物屋。中へ戻してくれといっても取り合ってもらえない。う〜ん、ここがあの有名なぼったくりの土産物屋かとしげしげと眺める。(建物の前には、外国人用と書かれている) |
博物館を出て、一昨日の大雁塔の方向へ。途中のレストラン(中華料理屋と書こうとしたが、どれも中華料理屋なので、レストランと表記)で昼食。炒め物やスープなどを頼んで5元。 そういえば、城壁へ入るときにくぐった朱雀門(ジュ クゥエ メン)だが、日本ではでかい綺麗な木造建築の門として記憶されているのではないだろうか。(奈良の平城京の朱雀門が復元されて、近鉄奈良線の横に威容を現している。) ここ中国では、単なる城壁をくりぬいたトンネル型の門だ。(トンネルのようになった上部に、「朱雀門」と書かれているだけ。) 鐘楼の北東にあるKFCで雨宿り。1時間しても雨はやまない。隣のデパートに入る。特に見るものは無い。東大街の本屋に入る。恐らく子供部屋用の「世界の偉人」のポスターが売られている。モーツアルト、ニュートン、キュリー夫人、… 、「毛沢東!?」。世界の「偉人」に毛沢東が入っているとは恐れ入る。できれば、小泉潤一郎の自民党ポスターも並べておくと笑いを取れるかもしれない(日本人には)。 |
炭市街食品市場にアーケードがかかっているのを発見する。雨宿りのためにも中に入る。デイツ屋、肉屋、魚屋、野菜屋、蛇屋、亀屋… 奥に行くにしたがって、ディープな中国食材が並んでいる。だが、昨年冬に訪れた「广州の清平市場」のようなディープさは存在しない。 ちなみに、2001年夏、广州市の清平市場は公安当局の一斉粛清により、露天が一掃されて、エキサイティングな場所でなくなってしまっているので、これから行こうとする人は現地状況を確認してからにしましょう。 解放路に出る。巨大な本屋があるので、中に入って再び雨宿り。18時ごろ、永登豆漿で夕食。(蒸餃、牛肉湯、雪菜肉絲面 11元) 19時ごろホテルに戻り、荷物をピックアップ。西安站に向かう。大きい荷物を背負って、傘を差して歩くのには参る。19時30分、站に入る。X線検査機に荷物を通して、第二候車室(ホウ チェ シー : 待合室)へ。すでに、大量の人民が所狭しと列車を待っている。当然、空いている椅子など無い。改札の前に徐々に長い列が出来てくる。候車室の中央付近では站の職員が謎の切符(2元)を売っている。とりあえず買っておく。20時10分ごろ、改札が始まる。改札を抜けると、硬座の客が一斉に走り出す。私は硬臥の車票を持っているので、ゆっくりとした人の流れについてゆく。 |
XIAN -> JIA YU GUAN(列車:西安→嘉峪関) |
しばらくすると車掌(腕章には列車員と書かれている)がやってくる。旅行許可証をチェックしてノートに許可番号を書き込んでいく。私の上(中鋪)の男性の所には、「列車提防員」の金色の札が取り付けられた。ごく普通のおっさんなのだが、車内の治安維持の役目を負わされるようだ。(まあ、飛行機でも非常口の横の乗客が与えられている責務と同じような物なのだろう。) |
JUNE 29 | 河西走廊(陜西省→甘粛省) |
XIAN -> JIA YU GUAN(列車:西安→嘉峪関) |
|
連結部に近いせいか、列車が加減速するたびに 「ガッチャーン」と金属音がする。よって、寝たり起きたりという夜を過ごす。7時ごろ、とりあえずトイレに行って、横の洗面所で顔を洗う。(同じようなタイプのロシアの車両よりは安っぽいが、洗面所が付いているのはありがたい)
外は、やっと日が昇ろうかとしているところだ。隴西(ロン シー)站に7時ごろに停車する。プラットホームに出るが、温かい朝食を売っている屋台などは見当たらない。 |
車窓には乾燥した農地が続いている。定刻より10分前の11時50分、蘭州(ラン
ジョウ)站に停車する。不思議なことに、硬臥の乗客で降りる人がほとんどいない。(というよりも。ほとんどの客は鳥魯木斉以遠へ行く乗客のようだ) |
山が間近に迫っている。地図によると、祁連山脈(チー リャン シャン マイ)の東の端に当たるこの辺りの山でも、5000m近くの雪を頂く山が並んでいる。谷間は緑の草地(恐らく牧草地)が広がっていて、所々に村が点在している。羊や馬が放牧されている。14時30分ごろ、海抜2950mの峠を越える。下り坂になる。 再び乾燥した高原を走り出す。車外はかなり暑そうだ。列車内は冷房が効いているので寒いくらいだ。山脈を超えた後は、人口密度が急に低くなったようで、ほとんどの場所が荒地のステップだ。村から離れた場所には、朽ち果てた家が放置されていたりする。だんだん、砂漠地帯となってゆく。硬臥の車内では、ほとんどの人がぐったりと昼寝をしている。特にやることがあるわけでもないので、読書か昼寝くらいしかできない。 |
17時30分ごろ、武威南(ウー ウェイ ナン)站に停車。この站のプラットホームでも、特に食べたいなと思うようなものは売っていない。ここで電気機関車を取り替えている。機関車の横には、「西部開発」の大きな文字が…。中国政府としては、日本からのODAをこの開発につぎ込みたいと報道では言われている。 車内に再び夕食を売りに来る。何故か昼と同じメニュー。変わり映えしないが、選択肢は無い。日が暮れる。武威站、金昌站、山丹站と1時間おきくらいに站に停車してゆく。列車は20分程度ダイヤより早く走っている。 車掌が車票引換証と引き換えに切符を返しに来る。24時、(おそらく)酒泉(ジュー
チュェン)站に到着。暗くて、駅名の書かれたプレートが読めない。車掌は、次が嘉峪関だといっている。 |