JUNE 30 | 嘉峪関(甘粛省) |
JIA YU GUAN - CHINA(嘉峪関、中華人民共和国) |
站前には、明かりの灯ったビルひとつ無い。真っ暗だ。まばらについた街灯に、10台程度のタクシーが照らし出されている。本当にそれだけだ。1時まで市内バスが走っているとガイドブックに書かれているが、そんなものどこにも停まっている気配が無い。近づいてきたタクシー運転手が、どこのホテルに行くんだと聞いてくる。ホテルを探したいので、300元以下の適当なホテルに連れて行ってくれと交渉する。 タクシーは站を出て、猛スピードで走り出す。しばらくすると、まばらに建物が見え始める。(おそらく、迎賓西路を通って、新華南路を北上したのだろう。) とある巨大ホテルの「車寄せ」に停車する。高いんじゃないだろうなと思う。タクシーの運転手が、とりあえず部屋があるか見てこいというので、無人のロビーに入ってゆき、フロントに行く。幸い部屋はあるようだ。ツインの部屋が380元/日が部屋の料金だという。とりあえず部屋を見せてもらう。新しい部屋で、かなり広い。値引きして欲しいと言うと、300元/日まで値下がりした。ここに泊まる事に決める。タクシーの運転手には、運賃20元払う。 |
8時頃、起床。ホテルの前に出る。ホテルの名前は「長城賓館(チャン チェン ピン
グァン)」という。建物の屋根に、中国式屋根のレプリカが乗っかっている変わったデザインだ。近くを見回すが、食堂や店らしきものは見えない。というか、街のはずれのようだ。向かい側の敷地は、人民解放軍。まあ、こんなところで食堂を期待するのも無理か…。 タクシーは平屋ばかりの建物しかない大通り(玉泉路)をかなりの速度で北上する。ぱらぱらと自転車に乗った人民が走っている。進路を西に取り、鉄道の線路を渡ると幹線道路(312号線)に入る。10分ほどで嘉峪関城の近くを通る。さらにそこから暫く走って、わき道にそれる。おそらく、長城第一墩に行くためだけの道なのだろう。砂漠の中を暫く走ると、再び線路。貨物列車がはるか向うに停車している。ほとんど朽ち果てた万里長城の切れ目を横切って、山脈の見える方向へ長城に沿って道路が湾曲している。道路は断崖絶壁のところで途切れている。長城もちょうどそこで途切れている。 |
第一墩から100m程度行ったところの長城の上に登ってみる。この辺りではほとんど砂に埋まっていて、簡単によじ登ることが出来る。長城は一直線に北東の方向に続いている。はるか向うには嘉峪関城の楼閣(ロウ ゲ)がちょんちょんと見えている。確かに自転車で来ることの出来る距離ではないだろう。 向うから外車(ヨーロッパの車)が走ってくる。中国人のおっさんが数人降りてくる。ビジネスと称して、観光にも来ているのだろう。大声で話し、うれしそうに記念写真を撮っている。タクシーに乗り、嘉峪関城へ向かう。 |
嘉峪関城の西の門を抜けて外に出る。何も無い砂漠(ゴビ砂漠)だ。明の時代には、ここから向うは西域。今で言えば、嘉峪関城は国境の検問というところだろうか。砂漠から風が吹き付けてくる。老人が羊の群れを連れて歩いている。ほとんど草の生えていないところで、放牧が可能なのだろうか。 嘉峪関城を出て、タクシーに乗る。ホテルに戻るのでなく、市内中心部に行ってほしいと注文する。タクシーは新華北路(シン ホァ ベイ ルー)で私を下ろした。メーターによると、81元。しまった、言い値で行っておけば、70元だった。今回は私の負けである。 |
敦煌(ドン ホァン)行きの切符を手に入れると、次に酒泉行きの切符(3元)も買う。酒泉行きのバス(冷房なしマイクロバス)は13時30分にバスターミナルを発車した。発車したはずだった…。バスターミナルの前の道で、いきなり客集めを始める。結局嘉峪関の中心部を出たのが、14時ごろ。バスは東に向かって走る。途中からは高速道路。といっても、高速で走れるほど道路状態はよくない。30分ほどで酒泉の汽車站に到着。 |
街の中心部の鐘楼(ジョン ロゥ)に向かって歩く。嘉峪関よりは店が多いし、なにより街の中心部に人がたくさん居る。商店街のようなところの露天の喫茶店で休憩。鐘楼を越えて、さらに1km程度歩く。アパートの立ち並ぶ住宅街になる。酒泉公園(ジュー チュェン ゴン ユェン)の入口に着く。入場料8元払って中に入る。ここに来たのは、酒泉の名前の由来になった泉を見るためだ。地元民にとっては、遊園地といったところだろうか。池にはボートが浮かび、公園内は変なデコレーションが施されている。動物園もある。その公園の真中辺りに、3m四方くらいの小さな泉があった。水は湧き出ているようには見えない。小銭が投げ込まれている。トレビの泉じゃあるまいし、願い事はかなわないと思うのだが。 |
17時ごろ嘉峪関に到着。一旦ホテルに戻ってから、市内中心部へ歩いて行く。20分程度かかる。道沿いの街路樹に給水車が水を補給している。街路樹は側溝のように窪んだ所に植えてあるので、水は街路樹に沿って向うまで流れていく。交差点では、水が流れるようにトンネル状になっていたりする。なかなかいいアイデアだ。 新華南路の林苑酒店というそれなりのレストランに入る。観光でやってきた中国人などで混雑している。いろいろ頼んで21元ほど。店もきれいだし、まあまあではなかろうか。ホテルに戻る途中、新華南路と建設路(ジャン セー ルー)の交差点のところにある文化宮(ウェン ファ ゴン)の前で盆踊りのような物をやっている。垂れ幕には「慶祝建党八十周年」となっている。つまり、中国共産党建党は1921年ということだ。1912年に中華民国が発生しているので、その9年後のことである。 |
JULY 1 | 嘉峪関(甘粛省) |
JIA YU GUAN - CHINA(嘉峪関、中華人民共和国) |
昨晩買っておいた、インスタントラーメンを食べてホテルを出る。ホテルの前に停まっているタクシーに乗り込む。懸壁長城(シュエン ビー チャン チェン)まで往復60元だそうだ。タクシーは昨日見た嘉峪関城の駐車場の横を通り過ぎて、さらに北東の山地を目指す。左手には嘉峪関城から伸びる万里長城が頼りなげに山地に向かっている。しばらく砂漠を走って、オアシスに入る。懸壁長城の入場門があらわれる。タクシーには2時間ここで待っているようにお願いする。入場料8元払って中へ。草すら生えていない岩山に、長城が吸い込まれるように登って行く。入口から見ると、山の中腹辺りに砦が見える。
あんな高いところまで登らないといけないのか… 入口横の階段で壁の上の通路に登る。手元の高度計では海抜1700m。さて、頂上は何メートルであろうか。あまりの強い日差しに、タオルを頭に巻いて登る。坂は、最初はゆっくり…
ではなく、いきなり急激な上り坂。上海から来ていた写真同好会の人が何人か途中で座り込んでいる。日差しを遮る物のない通路で、2回くらい休憩して、20分ほどで一つ目の砦に到着。二つ目の砦はそこから5分程度。写真同好会の数人が居るだけで、嘉峪関城のように観光客がわんさか来ているということもない。砦から嘉峪関のほうを振り返ると、今登ってきた細い壁がずっと嘉峪関城の方に続いている。嘉峪関城の楼閣がかろうじて見える。その向うには雪を頂いた祁連山脈が横たわっている。南のほうには嘉峪関市の市街地がぼんやりと見える。その辺りに工場の煙突が何本か出ていて、勢いよく煙を吐いている。こんな田舎に、無理やり工場を作っているようだ。 |
西の方は、山岳地帯。岩山の上に、寺院か何かの屋根がぽつぽつと見える。あんな所に登る人いないだろうな。 砦から出て、少しだけ山を登ってみる。岩山の頂上までは、まだかなり高さがある。ちなみに一番上の砦の標高は、1815m。入口から垂直距離にして115m登ってきたわけだ。30階程度のビルに登ったのと同じ高さだ。 山を降りて、タクシーに乗り市内中心部へ。雄関路と新華路の交差点に中国電信(ツォン グォ デァン シン)がある。そのすぐ東側に、インターネットカフェを見つける。1時間5元。なんと、日本語フォントと日本語IMEがインストールされている。日本人も結構来るのだろう。中国電信の南側に郵政局(ヨウ ツェン ジゥ)があったので入ってみるが、郵政預金だけで通常の郵便業務はしていないようだ。再び昨日と同じ食堂で昼食を食べる。定食の名前は、一葷一肉二素一湯で5元。すぐ向側にある人民商場に行ってみる。日本でいえば、20年以上前の、近所の公設市場といった雰囲気だ。まあ、旅行客には大して見るものもないようだ。 |
ホテルまで歩いて戻る。帰り道に買ったほとんど凍った水を飲む。暫く昼寝して、外へ。昼頃まで晴れていた空に、所々入道雲の小さいやつが浮かんでいる。雨が降ったら涼しくなるだろうなと思うが、雲から落ちてくる雨水は、空の途中辺りで消えている。地上には風だけが吹き付けてくる。砂漠の砂埃が吹き付けてきて、目に入りそうになる。 |
合唱の練習が終わり、団員が建物から出て行く。あるものは自転車に乗り、または徒歩で南のほうへ歩いて行く。ついて行ってみる。新華南路の突き当たりの広場にたくさんの人が集まっている。様々な合唱団を運んできたバスが停車している。人民解放軍も大量に集結している。広場の南の端に、「慶祝共産党建党80周年」と書かれた垂れ幕が置かれている。先ほどの合唱団は、本番前の練習をしていたんだ。北の空がにわかに曇ってきた。ぱらぱらと雨粒が落ちてくる。(夕立?) 人々が身構える。 向う側にあるアパートが、土色の雲に包まれる。 「!」 砂嵐だ。猛烈な風と共に、砂嵐が式典会場を襲う。が、5分ほどで何事もなかったかのように通り過ぎていった。 広場で配布していたパンフレットによると、「嘉峪関市慶祝建党八十周年文芸晩会」というのが正式名称のようだ。観客席は、出演者専用で、一般人はそこを遠巻きにしてみることになる。街からどんどん人がやってくる。ステージを見るのに押し合い状態になる。8時30分、「東方紅」のミュージックがスピーカーから流れる。いよいよコーラスが始まる。出演者は
… なんと全てが役所ばかり。というか、この街に役所以外の大企業なんてないのだろう。 すごいね。 |
JULY 2 | 嘉峪関→敦煌(甘粛省) |
JIA YU GUAN -> DUN HUANG(公共汽車:嘉峪関→敦煌) |
道端に人がいると、客引きをするところは酒泉へ行くバスと同じだ。まだ朝なので、窓からの風で暑くない程度だ。バスは快調にトラックなどを追い抜いて走る。道路は所々に段差があるが、きわめて整備された道路だ。バスは時速80km/h以上の速度でぶっ飛ばして走る。砂漠(土砂漠)の所々にオアシスがあり、少々の建物がある。道標3000kmを通過する。蘭州からの距離だろうか。 |
12時頃、大きなオアシスに入る。バスターミナルのような所に到着する。玉門鎮(ユゥ メン ツェン)站だ。嘉峪関から約130kmの地点だ。昼食休憩のようだ。といっても、バスターミナルらしきところにあるのは、1件の売店のような物だけ。今日の昼食はあきらめることにする。とりあえずトイレへ。1.5元払って中へ。「中国式厠所」はかなり汚い。当然手を洗う水など出るわけがない。バスに戻る。12時30分ごろバスが出発する。オアシスを出たところで、いきなり牛が道に飛び出してくる。バス、急ブレーキ。牛の群れは悠々と車道を横断してゆく。あれが人間なら轢かれてるところだ。 暫く行ったところで急に渋滞。事故だろうか。バスはぴたっと止まったまま動かなくなった。窓から風が吹き込まなくなると、当然暑くなる。1時間ほどしてやっとバスが動き出す。事故現場に差し掛かる。真っ黒な油が地面にこぼれている。何人もの労働者が砂をその上に撒いている。原因は、中国郵政のトラックが油で進めなかったようだ。バスはここで始めて冷房をかける。 さて、1時間の遅れを取り戻すために、にわかにスピードアップしたバスは、運転席の内側に掲げられていた「嘉峪関-敦煌」のサボも取り外してしまった。道中の客を拾うのも止めたようだ。 |
だんだん暑くなってくる。冷房の効きもそんなによくない。嘉峪関〜玉門鎮に比べて、玉門鎮〜安西ははるかに荒れた土地になっている。左右にあった山脈も、かなり遠くになっている。道はまっすぐ西に続いている。遥か向うに鉄道の線路が並行して走っている。たまに貨物列車が走っているのが見える。 あちらこちらで小さな竜巻のような物が起きている。土砂漠の砂が雲ひとつない青空に吸収されてゆく。15時30分ごろ、安西(アン シー)に着く。数人の乗客を乗せてすぐに発車する。補助椅子まで満席になる。蘭州から鳥魯木斉(ウルムチ)に向かうメイン路線の312号線からそれて、安西から敦煌に向かう315号線に入る。道標が0kmにリセットされる。道が急に悪くなる。簡易舗装だ。バスが揺れる。 祁連山脈の方向に向かってゆく。山脈の手前で再び西へ。車内温度はさらに上がっている。冷房はまったく効いていない。空調の噴出し口からは、温風が吹き出している。安西までは車窓の景色を見ている客もいたが、さすがに全ての窓のカーテンが引かれ、全ての客が敦煌到着を待ちわびている。所々に、洪水か何かで出来た泥の痕がある。こんな場所でも雨が降るようだ。右手に物見台のような古代の建造物がひとつ、ふたつと見える。通信の中継所のアンテナ塔もあった。敦煌空港の管制塔が左手に見える。オアシスに入る。16時、敦煌汽車站に到着する。383kmの道のりを7時間30分かかった。(途中1時間の事故停止があったので、平均速度は60km/h程度) |
DUN HUANG(敦煌、中華人民共和国) |
バスから外に出る。バスの中より遥かに暑い。バスターミナルの中にホテルがある。とりあえず部屋を見せてもらう。150元/日だそうだ。シャワールームがきれいでなかったので、他を探す。道に出る。ホテルの客引きがやってくる。ホテルを探す気力がそんなにないので、ついてゆく。交差点を挟んだ向かい側のホテルに入っていく。广源大酒店(グァン
ユァン ダー ジュゥ ディアン)という。部屋を見せてもらう。まあまあだ。ツインルームが200元/日。ここに決める。
ホテルの横の雑貨店で、ミネラルウォーターを買って、部屋に入る。昼寝。疲れた。 20時ごろ、外へ。やっと太陽が傾いて、通りに日陰が出来ている。気温は体温くらいあるのではないだろうか。息苦しい。先ほどバスから降りた斜迎えの建物にも敦煌汽車站と書かれている。その横の四川大排档と書かれた店に入る。「冷気開放」とかかれている割には、冷房がかかっていない。これくらいの暑さは、人民には大した事ないのだろうか。かなり疲れているので、麺類を5元で食べる。今日食べたのは、インスタントラーメン(朝)とラーメン(夜)の2食だけだ。明らかに栄養が足りていないが、7時間 ひどい揺れのバスに乗って、胃がひっくり返りそうなので食べることが出来ない。 21時過ぎに日が暮れる。甘粛省と北京とでは実質2時間程度の時差があるが、中国の国内事情で「北京時間」を採用しているため、このような遅い時間に日が暮れる。まるで、欧州の高緯度地方を旅しているような感じだ。(逆に、朝は7時ごろにしか日が昇らない) |
JULY 3 | 敦煌(甘粛省) |
DUN HUANG(敦煌、中華人民共和国) |
石窟寺院だ。(昔の地図には千仏洞とかかれていることもある。世界遺産に登録されている莫高窟だ。) 軽ワゴン車は駐車場に入る。観光バスが何台か停まっている。12時に帰りの便が出ると運転手が言っている。駐車場に隣接した建物で、入場券を売っている。100元。えらく高い入場料だ。 |
ひとつのツアーグループは10前後の洞窟を見て回っている。洞窟の数は遥かにたくさんある(ガイドブックでは492個らしい)ので、いろいろと別のツアーグループにくっ付いていくことで、様々な洞窟を見ることが出来る。中国人のツアーグループにくっ付いて行っても、特に問題は無い。全部で20〜30程度の洞窟を見る。美しいというより、貴重な物を見せていただいたという感じだ。 |
売店でミネラルウォーターを買う。市内より高く4元もする。12時、再び軽ワゴン車に乗り、敦煌市内へ戻る。朝来たときの外国人客は、とうに帰ってしまったのか、中国人カップルだけが同じだった。 敦煌市内に戻り、陽関南路(ヤン グァン ナン ルー)のイスラムレストランに入る。焼肉のような物と、麺類を頼む。羊肉の強烈にスパイスが効いたものが皿に山盛りと、マカロニより小さくきったパスタのような、トマトベースの味付けの麺類が来た。さすが、清真(イスラム)料理店だなと思う。中国料理とは全く違うセンスだ。 |
鳴山路のネットカフェに立ち寄り(10元/時間)、ホテルに戻り休憩。 19時ごろ、ホテルを出て、向かいにある食堂で夕食(拉面と飯 6元)。食堂の前でタクシーを捕まえる。鳴沙山(ミン シャ シャン)まで往復で幾らになるか聞いてみる。30元という。2時間の待ち時間を含んでのことだそうだ。3時間というと、40元となる。交渉成立。15分程度で鳴沙山の砂丘から少し離れた駐車場に着く。そこから、(閉店間際の)みやげ物の並んだ通りを歩くと、砂丘の入口がある。(砂丘のくせして、入場料を取るとは、さすが中国だ) 入場料を50元も払って中に入る。 ツアー客を含むほとんど全ての客は、入口の前からラクダや車に乗るか、徒歩で平らな道を「月牙泉(ユェ ヤー チュェン)」に行くようだ。私は、やはり砂丘に来たのなら登らなければと思う。砂丘を見上げる。数人が砂丘の上にいるようだ。かなり急角度に見える。 |
すでに全ての店が閉まって、全く照明の無い道を駐車場まで歩く。タクシーが一台、ぽつんと駐車場に待っていた。タクシーに乗り込み、街灯ひとつ無い道を敦煌市内に戻る。 |
JULY 4 | 敦煌(甘粛省) |
DUN HUANG(敦煌、中華人民共和国) |
8時30頃ホテルを出て、昨日の朝と同じ店で牛絲面(5元)を食べる。店の壁に、飲食業の許可証や衛生関連の検査証などが掲げられている。中国でも、不衛生だと閉店させられるのだろうか、と考える。
今日は特にやるべきことも無いので、とりあえず、飛行機の予約のリコンファームに行く。陽関東路の街外れに民航售票処がある。(後で気づいたのだが、鳴山路にも西北航空の售票処があり、遥かにこちらの方が近い)
リコンファームはとりあえずOKのようだ。少し市内中心部の方向に戻ったところに、敦煌市博物館がある。入ってみる。入場料10元。博物館には誰も客が来ていないようだ。建物の外には、でかいらくだの像と、超旧式のジェット戦闘機のスクラップが置かれている。(中国にとっては「超」は付かないのかも知れないが…) 博物館を出て、向かいにある夜光杯厂(工場)を見る。観光客向けに、石を削っている工房が見られるようになっている。何故か日本語でも説明書きがある。でも、工場はお世辞にもきれいとはいいがたいし、おそらく出荷量もそう多くないようだ。(まあ、結構ぼったくりの価格するので、買う人もそう多くは無いのだろう。) |
陽関路の交差点が街の中心で、中央には反弾琵琶伎楽天像という天女の像のようなものがある。北西角に郵政局がある。絵葉書を出す。60分の切手が印刷された「中共80年明信片」は、プラス4元で日本まで届くようだ。切手を買い、デスクにある糊(何故か割り箸で伸ばす)をつけて貼り付けて、ポストらしき物に放り込む。郵局の前のロータリーには、身長と体重を測る商売が何箇所か出ている。大抵は、単なる棒にICが仕込まれたものだが、1つだけロボット型の代わったやつが存在していた。 鳴山路のネットカフェでニュースなどをチェックする。香港に台風4号が接近しているようだ。2日後に直撃の模様。その後ろに熱帯低気圧が同じ進路を進んでくるようだ。困ったことである。あの熱帯低気圧が上陸する頃に、香港に行かねばならない。まあ、私の移動経路は陸路なので恐らく大丈夫だろう。 ホテルに戻り、汚れた服などを洗濯する。ズボンを洗って乾かすのは、この街が最後になるだろう。(北京は恐らく湿度高いだろうし、香港は言うまでもない) 13時ごろ、鳴山路のレストランで昼食。麻婆豆腐や青椒肉絲等を食べて11元。食事時を過ぎていたので、レストランはがらがらだった。鳴山路の一本裏手(東側)の道は、中国人向けの旅社や招待所が集まっている。廊下にテレビが置いてあり、宿泊客がそろってテレビを見ているのが外からも見える。旅社でも、「淋浴、電話、空調、電視」と看板に書かれている所もあるので、かなり快適なところもあるのだろう。 |
ホテルに戻って休憩。さすがに14時ごろになると、外に居るのがつらくなる。14時から17時までは、あまりの暑さと、強烈な直射日光で外出は出来ない。 19時ごろ、ホテルの前の食堂で夕食(8.5元)。ついでに、バスターミナルの售票処を覗いて見る。 参考までに、主な行き先とデータを書き写してきた。
チベットへ行かれる方は、ここから格爾木(ゴ ァル ムー)までバスに乗るか、蘭州から鉄道で格爾木へ行くかどちらかとなるだろう。
バスターミナルの前には、求人広告が掲示された掲示板がある。1ヶ月の給与は、あるホテルの女性従業員は300元程度。工場労働者で250元程度というのが相場のようだ。安いねぇ。 |
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