中国武漢・南京 旅日記 : 武漢(3日目)
March 08 (Thursday)
Wǔhàn - China (武汉/武漢 江汉区 - 中国)
6時30分起床。部屋の窓から見るビルの谷間の空は、晴れているようだ。7時ちょい過ぎに、ホテルの1階カフェテリアに朝食を食べに降りてゆく。フロントで「早餐…」と言い出すと、警備員のおっちゃんが私のルームキーを食堂入り口の読み取り機にタッチして、これでOKと言う。1食25元(425円)の料金は、チェックアウト時に支払うようだ。
8時過ぎ、観光に出かける。まずは、ホテルのある旧イギリス租界の目抜き通り
長江沿いの
江汉路の北半分は午後からにして、地鉄に乗り黄鶴楼に向かう。积玉桥まで地鉄に乗り、そこからはシェア自転車だ。
江汉路(08:37発)→ 积玉桥(08:42着)地鉄2号线, 運賃 2元(34円)
Wǔhàn - China (武汉/武漢 武昌区 - 中国)
积玉桥(積玉橋)站の出口階段前には、数えきれないくらいのシェア自転車が並んでいる。水色のHelloBike(哈罗单车)、黄色のofo、オレンジ色のmobike(摩拜单车)が優勢のようだ。日本でmobikeのAndroidアプリを有効化してきたため、mobikeを借りようと思う。
アプリを起動しバーコード・スキャンのボタンを押す。そしてカメラで自転車の後輪鍵ユニットに貼り付けられているバーコードを読み取る。鍵ユニットは2Gネットワークでセンターと接続されているそうで、スキャン後数秒で鍵が自動的に開く。
自転車は車両扱いなので、逆走しないように、歩道を走らないよう注意しつつ進む。同じ方向に向かっている自転車や、ゆっくり走っている電動スクーターの後ろについていくのが楽だ。
积玉桥站(08:46発)→ 中华路・解放路(08:59着)シェア自転車 mobike, 運賃 1元(17円)
開放路を2㎞ほど南へ、中華路の角で自転車を降りる。このあたりは、至る所でビル建て替えが行われていて、歩道まで建設資材が置かれていて歩きにくい。
B級グルメの露天が並ぶ户部巷の小吃街も工事中で資材置き場状態だったが、露天の食べ物屋は営業していた。早朝から、B級グルメマニアの若者が食べ歩きをしている。ホルモンの串焼きや臭豆腐などから、一般的な麺類までいろいろ売っている。
再び解放路に戻り、司门口人行天桥(歩道橋)に登ると、武漢長江大橋と黄鶴楼のある蛇山の間を結ぶ高架橋が見えてくる。緑皮車(在来線の長距離列車)が高架橋上をゆっくりと走っていく。歩道橋は解放路の上に延々と続き、高架橋横にある黄鶴楼景区の入口に接続している。
中学で習う李白の有名な漢詩『故人西辞黄鶴楼,煙花三月下揚州。孤帆遠影碧空尽,唯見長江天際流。』で詠まれたのが、まさしくここ黄鶴楼だ。李白の友人が春霞の長江を下って向かったとされる古都揚州は、去年の3月に旅行したところだ。
黄鶴楼は呉の孫権が建てた物見櫓が始まりとされるが、いま建っている塔は1985年に鉄筋コンクリートのビルで再建されたものだ。高さ51.4mの5層の塔の内部には、白雲黄鶴の陶板画や歴代黄鶴楼のスケールモデル、唐代の文学者 閻伯理が記した「黄鶴楼記」を大理石に刻み込んだものなどが展示されている。
塔の最上階からは、長江に掛かる武漢長江大橋と、対岸の亀山・武漢電視塔が見えている。早朝は晴れていたが、だんだんと薄曇りになってきた。昨日、大雨の中見物した対岸の晴川閣は、李白の詩で詠われたような「三月の煙花」の中にかろうじて見える程度だ。
黄鶴楼を出て蛇山の稜線に沿って東へ。山頂付近には土産物屋と絵画展示室がある白雲閣。さらに東へ梅林やツツジ園を通り抜けると、宋代の著名な武将で武昌郡開国公の称号を持つ岳飛像がある。
山を下り、景区の正門である西大門に向かう。西大門の手前、鵞池(ガチョウ池)の周りは碑廊が取り囲んでいて、その中には毛沢東の漢詩を刻んだ「毛沢東詩亭」もある。ほぼ全てが20世紀以降の復元建築物ばかりの黄鶴楼景区は、やはりボッタクリ観光地ではないだろうかと感じた。はっきり言って、黄鶴楼の塔以外は要らないかな…
景区の西大門を出ると、すぐ目の前に辛亥革命武昌起义纪念馆(辛亥革命武昌起義記念館)がある。記念館の本館は紅楼と呼ばれていて、1910年に清朝の湖北諮議局として建てられたものだ。
山川出版の「もう一度読む世界史」の記述を引用する。『1911年、清朝は … 財政難解消のために幹線鉄道を国有化して、それを担保として外国からの借款を得ようとしたことから、各地で反対運動(保路運動)が起こり、四川では暴動となった。このため同年10月10日、武昌の軍隊が蜂起し、革命の口火をきると(辛亥革命)、たちまち各省に広がり、1912年1月、南京に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立した』と書かれている。この10月10日の武昌の事件が、「武昌起義」(武昌蜂起)だ。
紅楼の正面には巨大な孫文像。紅楼への入場料は無料で、内部は軍政府の部門ごとの事務室が復元展示されている。軍令部、軍務部、外交部、民生部、会議庁など、交戦団体政府として認められるために必要なものを取り揃えましたという感じだ。紅楼の背後にある建物は、中華民国が成立する過程での文書や写真を展示した陳列場館 。何故かその中に、漢口のフランス租界に立っていたと思われる「大法国租界」の石碑が展示されている。
そろそろお昼なので昼食へ。記念館前の広い公園を縦断し、B級グルメの露天が並ぶと言われる首义园小吃街に向かう。が、露店街は全て取り壊され、真新しい飲食店街の建設中。大通りの彭刘杨路に面した中式快餐で昼食。豚の角煮と大豆のトマトソース煮のようなものと、チンゲン菜の炒めもの、ご飯で26元(442円)。
午後の観光は、武昌起義で反政府軍が武昌城内に乱入した起义门(起義門)を観に行くこととする。公衆トイレに行ってからシェア自転車を借り、2kmほど南にある起義門を目指す。
后长街(12:40発)→ 起义门(12:55着)mobike, 運賃 1元(17円)
住宅街の中を突っ切り、紫阳公园の正門前、地鉄首义路站を通過し、郊外感の漂う団地街の中にある
明代に武昌城の中和門として造られた門は、武昌起義が起こったあとに「起義門」と改名されたそうだ。ただ、その門も1929年に城壁と共に撤去されてしまっている。いま見られる「立派な」門や城楼は1981年に再建されたものだそうだ。
城楼内には清代の武昌城のジオラマや過去の写真が展示されていて、屋外に反政府軍(中華民国軍)が用いた大砲の複製品が展示されている。
起义门から東へ、復元された城壁に沿って首义碑林や楚望台遗址公园が広がっている。孫文の書が書かれた石碑がここにあるのは納得できるが、毛沢東や台湾の連戦の石碑があるなど、微妙なものもけっこう並んでいたりする。
起义门(13:30発)→ 首义路站(13:36着)mobike, 運賃 1元(17円) 首义路(13:46発)→ 中南路(13:53着 13:58発)→ 宝通寺(14:01着)
地鉄4号线・2号线, 運賃 2元(34円)
シェア自転車と地下鉄を乗り継いで武漢四大寺院の一つ、
洪山南麓の斜面に建てられた寺は、弥勒殿、大雄宝殿、玉仏殿と少しずつ階段を登って参拝して行き、そこから急な坂道を登って一番奥にある洪山宝塔に到達する。
洪山宝塔は元代の13世紀に建てられた塔で、19世紀に修復されてはいるが、この寺で最も古い建物だそうだ。塔の中に入るのは2元。狭くて急ならせん階段で、高さ45.6mの塔の上に登る。塔の上からは、高層マンションに取り囲まれた寺院の周囲の景色を見ることが出来る。
宝通寺(15:07発)→ 循礼门(15:27着 15:30発)→ 三阳路(15:36着)地鉄2号线・1号线, 運賃 3元(51円)
Wǔhàn - China (武汉/武漢 江汉区 - 中国)
循礼门で乗り換えた地鉄1号線は、旧京漢線の跡地に造られた軽軌(高架地鉄)。軽軌はイギリス租界、ロシア租界、フランス租界の北端をかすめるように走る。かつての漢口側のターミナル駅だった大智門站の駅舎が眼下に見える。
漢口の日本租界を観に来たのだが、うっかり1駅手前の三阳路で降りてしまう。高架駅の出口前には、mobikeのシェア自転車が何台も置いてあった。自転車で1駅先の日本租界を目指す。
三阳路站(15:40発)→ 日本租界旧址・沿江大道 → 江汉路站(16:56着)シェア自転車 mobike, 運賃 3元(51円)
日本租界は漢口の市街地から最も遠い辺鄙な場所にあった。中国の国土を切り取って占領した列強の一端とはいえ、イギリスやフランスなど一流国家と比べれば、経済も文化も二流の日本の出る幕ではなかったということだろう。
宿泊しているホテルのある江汉路は、旧イギリス租界の中心部だったところだ。壮麗な銀行や商社のビルが建ち並んでいた。それに比べて、日本租界に残存しているのは「社宅」や「軍官舎」だった平屋や2階建ての小さな建物跡ばかり。商社の大石洋行が事務所として建て、現在は八路军武汉办事处旧址として公開されている4階建てのビルが、一番まともな建物と思えたくらいだ。かつての日本総領事館だった建物は、汇申大酒店というホテルだ。その背後に隣接した建物の壁には「三菱のマーク」が入っているので、ここも何らかの旧址なのだろう。
漢口の中心地に向け、長江沿いの沿江大道を走る。ドイツ租界を過ぎて、フランス租界に入った辺りから壮麗な租界時代の建物がチラホラと姿を現す。
インドシナ銀行、アメリカ領事館、宋慶齢旧居、漢口匯豊銀行、花旗銀行、横浜正金銀行 … 20世紀初期には上海バンドと似た雰囲気の場所だったのだろう。
地鉄江汉路站の直上にあるデパート 新佳丽时尚广场の横で自転車を降りる。目の前には大清銀行(現 中国銀行)のビルがある。ガイドブックやWebで観た写真では、中山大通は車が渋滞し、江汉路との交差点には歩道橋が架けられていた。いま眼の前にあるのは、EVバスしか走らないトランジットモール化した中山大通と、歩道橋などが撤去されすっきりと公園化された広場だ。
いつのまにか、中国の地方都市が日本のレベルを飛び越えて、ドイツやオランダなどにあるような先進的なトランジットモールを実現してしまったようだ。クール・ジャパンは最早風前の灯で、厉害了,我的国(すごいぞ中国。YouTube)の世界が来てしまったのだろうか。
江汉路站のデパートビル群からみて中山大通を挟んだ北側、前进五路に小吃街がある。街の中心は区画整理が大規模で早すぎ、百度地図ですら情報更新が追いついていないのが辛いところだ。この小吃街で『自三国開始、上千年歴史、古法制作技芸』と看板を出した成都名物の牛肉锅魁を売る店がある。行列してるが、「三国時代」と書かれれば食べないわけにはいかない。1個8元(136円)で、牛肉とパイ生地を渦巻状に巻いて伸ばして焼いた饅頭ですね。
劉備玄徳や諸葛孔明も食べたのだろうか…
夕食はホテルの目の前にある自助快餐で食べる。12元(204円)。店の名前は南京鸭血粉丝汤となっているが、なぜか主力メニューは自助快餐のお店。
19時すぎ、暗くなってきたので夜景撮影に出かける。江汉路(江漢路)は宿泊しているホテルのある長江側ではなく、中山大道より北側がものすごく混雑している。いったい、どこから沢山の人達がやって来るのか。郊外からやってくるのか。歩いているのは若い人ばかりなので、今日は学校は休みなのか疑問が尽きない。
歴史的ビルは、中山大道に面した幾つかの建物以外は、無秩序に商店の照明が当てられてとんでもなく明るい状況だ。夜景撮影どころの雰囲気ではない。
锦江之星酒店 江滩步行街店525号室 ダブル ルーム 190元(3,230円)/1泊