中国武漢・南京 旅日記 : 赤壁(2日目)

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March 07 (Wednesday)

Wǔhàn - China (武汉/武漢 江汉区 - 中国)

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锦江之星酒店付近の洞庭街

6時起床。ホテルの部屋で、昨晩コンビニで買ったインスタントラーメンとパンを食べる。スマホで「中国天気 雷达」(気象レーダー)のWebページを見ると、低気圧は湖北省を通りすぎて沿岸部の方に移動している。雨は降らないはずだが、天気予報では小雨となっている…。

江汉路站(江漢路駅)から地鉄に乗り武漢駅へ向かう。

Metro
江汉路(07:12発)→ 洪山广场(07:24着 07:27発)→ 武汉火车站(07:51着)
地鉄2号线・4号线, 運賃 4元(68円)
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武汉站(武漢駅)

通勤時間帯にしては朝早すぎる気がするが、地下鉄はかなり混雑している。駅に停車するごとに、降りる人を待たずに乗客が車内に突進してくる。また、少しでも隙間があれば、無理やりお尻をねじ込んで座ろうとしてくる。人口多いだけに、生存競争も日本の比ではないのだろう。

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武汉站(武漢駅)に停車する高速动车组列车

東湖を回りこんで到達した、武漢市街地の北東端にある武汉站(武漢駅)は、2009年に完成した京广高铁(北京・広州高速鉄道)の駅だ。候车区(待合室)はプラットホーム階の一つ上にあり、遥か彼方まで改札口とベンチが並んでいる。列車の出発1時間前に到着したので、余裕を持ってカフェテリアで熱干面(8元, 136円)を食べる。ここのは高い割には味はかなり落ちる。

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武汉站の高速动车组 CRH380

列車出発の10分前に自動改札機で検票(改札)が始まる。今回乗る广州南行きの列車は既にプラットホームに停車している。中国が独自に開発したとされるCRH380A型高速鉄道車両。どことなく日本の新幹線E2系(中国ではCRH2型)に似ているが、決して技術をパクったわけではないと主張している。そう、最高速度275km/hのE2系をコピーしただけでは、最高速度300km/hのCRH380Aにはならないのである(笑)。

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CRH380A 二等車の車内

8両×2ユニット=16両編成の列車の車内は満員。待合室の様子からは、数分ごとに出発する列車はほとんどが満員だと思われる。恐るべし、中国の人の多さ…。

Train
武汉(09:10発)→ 赤壁北(09:43着)
高速动车 G1155, 二等座運賃 59.5元(1,012円)+ Ctrip予約料金20元
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武汉 - 赤壁北 の車窓の景色

列車は霧に包まれ所々に池がある平地を、時速300kmを少し上回る速度でほぼ一直線に走り続ける。この列車は⻩冈东から广州南までの1,134kmを5時間11分で走るので、表定速度は218km/h。これは東海道新幹線の東京と大阪の間の表定速度とほぼ同じだ。日本はカーブや市街地で速度を落とすから表定速度が遅くなり、中国では駅で長時間停車する(武汉站で20分も停車している)から表定速度が落ちている。

列車はおよそ30分で赤壁北に到着。

Chìbì - China (咸宁市 赤壁 - 中国)

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赤壁北站(赤壁北駅)

利用客の割には、巨大すぎる赤壁北站。下車した客は、駅前広場の向こうにある道路や、駅出口の右側にあるバス溜まりのほうへ散っていく。事前にネットで検索した情報では、毎時1本の「旅游バス」が、赤壁北站のバス停を経由して三国赤壁古战场景区に向かうとされている。バス溜まりの横には、運転手が休憩する場所だろうか、小屋がある。そこで直通バスの乗り場を聞くが、逆にタクシーの客引きに変身されてしまう。

タクシーの運転手がしつこく絡んでくるが、完璧に無視する。バス溜まりには1路のバスが停車しているだけだ。ネット情報では、この景色のところに「旅游バス」が停車する写真が掲載されていたのだが…。

では、プランBの直通バスが無い場合の行動に移る。百度地図で、赤壁の市街地中心にある城西停車場までのバス路線を検索する。駅前の大通りに赤壁北站バス停が有り、そこから7路または4路が市街地中心まで直通しているようだ。

Bus
赤壁北站(09:54発)→ 万达电器(10:07着)
公交 7路, 運賃 2元(34円)
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万达电器バス停に到着した公交7路 EVバス

バス停に行くと、すぐに7路のバスがやって来たので乗車。バスの車内は寒く、車内温度表示が8℃。車体に「新能源」と書かれたEV車両なので、暖房のために無駄にバッテリーを消費できないのだろう。武漢でもこの街でもEVバスがたくさん走っている。日本では見たこともない新技術が、中国では当たり前のように使われていることに驚く。

閑散とした赤壁北站付近と違い、市街地中心部はデパートや量販店が建ち並び賑わっている。万达ワンダー电器バス停で下車すると、目の前はその名の通りの家電量販店だ。日本の公営バスでは、いくらランドマークでも商店の名前のバス停は考えられない…。

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赤壁市 城西停車場

霧雨の中、莼川大道を500mほど西へ向かって歩き、繁華街の外れにある城西停車場へ。バス溜まりにはいろいろな行き先に向かうマイクロバスが停車している。一番目立つどまんなかに赤壁鎮・三国古戦場行きのバスが鎮座しているので、迷うことはない。

Bus
赤壁市 城西停車場(10:25発)→ 赤壁鎮(11:09着)
マイクロバス, 運賃 9元(153円)
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終点の赤壁鎮に到着した城西停車場発のバス

時刻表があるのか無いのか分からないが、ほぼ満員の乗客が揃うとバスは出発する。北西へ約40kmのところにある赤壁鎮を目指して、バスはひたすら走り続ける。時折、小さな町や集落で乗客が降りて行き、ごくまれに乗客が乗り込んでくる。終点の赤壁鎮まで乗車していたのは、私も含めて5名ほどだった。

霧雨はやんだようだが、気温が相当下がってきている。バスの車内に表示されていた車外温度は8℃だが、体感的にはもっと下がってきている。

人も車もほとんど通らない道、沿道の観光客向けの店はほとんど閉まっている。まさしく古戦場に向かっている雰囲気が出ている。5分ほどで三国古戦場景区の入り口ゲート。広大な駐車場には、車はほとんど停まっていない。誰も歩いていない敷地内、開いているのか閉まっているのかさえ分からない巨大なパビリオンがゴーストタウンのごとく並んでいる。それらの間を進んでゆくと、入場口のある赤壁谯楼(譙楼)だ。

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赤壁谯楼(入場口)

入場料は150元(2,550円)と、ボッタクリ価格。歴史的な建造物は何も残っていなかったはずの赤壁古戦場に、大量の「それらしき遺跡風建物」を建てまくった経費が入場料高騰につながったのだろうか…

3月5日、李克強首相は全人代の政府工作報告で『创建全域旅游示范区,降低重点国有景区门票价格』という政策目標を語っている。有名な観光地のボッタクリ・レベルは、入場料だけでなく展示物のクオリティも含めて、ガイジンの私から見ても酷すぎると思う。

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「トランスフォーマー風」関羽像

さて、入場門となっている頑丈そうで巨大な赤壁谯楼をくぐり抜けて景区の敷地内に入る。だだっ広い広場には観光客は皆無。眼前には無人の野外ステージ(聖火大舞台)、左手の小高い丘(金鸞きんらん山)の登り口付近に案内地図が掲示されている。この地図によれば、唯一の史跡である「長江に面した摩崖石刻」には指定された観光ルートに沿ってしか行けないようである。

金鸞山に続く階段を登って行くと、钟鼓楼の手前に巨大な関羽像。それもハリウッド映画のトランスフォーマーふうにデフォルメした巨大な関羽。中国の遺跡はなんでもありだな…

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千年古藤の下で議論する龐統・周瑜・魯粛像

若い女性5人組くらいの団体が観光ガイドの説明を聞きながら歩いている。景区に入ってから見かけたはじめての観光客だ。

蜀の劉備に召し抱えられ、赤壁の戦いの軍師として大活躍した龐統に関する遺跡が取りまとめられているのが金鸞山だ。

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龐統が隠棲したという凤雏庵(鳳雛庵)

龐統が兵書を読み、呉の周瑜魯粛と意気投合したという「阅书亭(閲書亭)」。龐統・周瑜・魯粛が、古い藤の木の蔓が互いに絡みついているのを見て、連環の計を思いついたという「千年古藤」。引退後、龐統が隠棲したという「凤雏庵(鳳雛庵)」。

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「桃園の誓い」の劉備・関羽・張飛像

入場口付近から見て、長江河岸までは金鸞山、南屏山、赤壁山の3つの小高い丘がある。金鸞山と南屏山の間の芝生広場には、三国雕塑园(三国彫像園)という三国志の名場面を彫像で表現した公園がある。劉備・関羽・張飛が志をひとつにする義兄弟となる誓いを行った「桃園の誓い」は有名な逸話だが、1,000km北の涿県が舞台では…。

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「赤壁」の石刻を刻む周瑜像

周瑜が、長江に面した赤壁山の崖に「赤壁」という石刻を刻んだという逸話を、かっこいい周瑜の像と共に表現している場面。「赤壁」の文字が本物の史跡は横書き、雕塑园のは縦書きと素人でも分かるくらいの違いがあるのはナゼ…

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長坂橋の張飛騎馬像

曹操の率いる大軍に追われて敗走する劉備軍を守るため、長坂橋においてたった1騎で立ち向かった張飛の活躍(長坂の戦い)を表現する張飛の騎馬像がある。長坂橋を落として威勢を張った張飛なのだが、張飛騎馬像の勢いに比べて、足元の川が子供でも飛び越えられそうなくらい狭いのはなんとも迫力がない。ちなみに、長坂は現在の湖北省当阳市にあったそうで、赤壁からは200km北西、荊州のさらに向こうの話だ…。

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東屋の呂布と貂蝉、
岸辺でじだんだを踏む董卓

張飛騎馬像の少し向こうには、池の中央にある東屋(凤仪亭)で見つめ合う男女を、陸上から恨めしそうに睨みつけるオッサン像がある。これは董卓と呂布を離反させるため、王允が自らの娘の貂蝉を董卓と呂布の双方にこっそりと送り込み、互いに嫉妬しあうようにする「美人連環の計」の場面を表現しているという。こんな分かりやすい、オペラの舞台のような表現はないだろうと…

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拝風台跡に建てられた武候宮

次の丘、南屏山に登る。山頂には武候宮という明代に造られ、20世紀前半に改築された建物が建っている。もともとこの場所には拜风台(拝風台)という祈祷場所があった。曹操軍の軍船に火を放つには東風でないと困るため、諸葛亮がこの祭壇で祈祷したという赤壁の戦いの逸話の舞台だ。

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諸葛亮の「10万本の矢」に因む射箭台

南屏山と赤壁山の間には小さな池がある。池には藁人形を乗せた船が浮かんでいて、岸辺に城壁の一部のような建物が建っている。建物は「射箭台」といい、子供が弓矢を藁人形に当てて遊ぶ施設だ。看板には弓矢5本で10元と書いてある。

兵士の形に偽装した藁人形を載せた船を敵陣に近づけ、敵に弓矢での攻撃をしかけさせる。こうして10万本の矢を敵の曹操軍から鹵獲することに成功した、諸葛亮の戦略の逸話を現している。でも、子供にとっては単なる射的場だ。

さて、最後の丘「赤壁山」に登り、長江に面した断崖にある「摩崖石刻」を目指す。武漢から2時間かけてここに来た理由は、これだけを見に来たと言っても過言ではない。木道を少し登ると赤壁山の頂上があり、そこを越えてしばらく行くと長江を望む崖の上に巨大な周瑜石像がある。説明板には高さ8.58mとある。

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摩崖石刻

周瑜像の横に、長江の水辺に降りる階段がある。下まで降りて断崖を見上げると、あの有名な「摩崖石刻」。“赤壁”の各文字は高さ1.5m 幅1.04mで、曹操軍が潰走するのを見た周瑜が、自らの剣で崖に刻んだとされる。時代は下り、宋代の詩人謝枋得がこの地を旅した時に詠んだ「赤壁詩·序」に“予自江 下溯洞庭,舟过蒲圻,见石岩有赤壁二字”と記している。かなり古い石刻文字であることは確かそうだ。

石刻の近くに、1998年の大増水の時の最高水位を示すプレートが埋め込まれている。文字が隠れるくらいまで水没したそうだが、その位置は海抜33mだという。ということは、目の前の水面の海抜は30m弱といったところか。河口から1,200km以上あるこの地点で、たったの33mとは、ほぼ水平に近い。

ここまでいろいろな展示物を見てきたが、苦肉の計で自ら体を張って偽装亡命し、曹操軍の軍船を互いに結びつける「連環の計」を成功に導いた黄蓋のモニュメントは見かけなかった。火計での貢献度は大きかったと思うのだが…

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赤壁大戦陳列館の火計のジオラマ

帰りの電車の時間が刻々と迫ってきている。急いで赤壁鎮のバス停まで戻ることにする。といっても、三国赤壁古戦場景区を再び横断して、2kmくらい歩かないといけない。戻りがてら、赤壁山の麓にある「赤壁大戦陳列館」を見物。火を放たれて真っ赤に燃え上がる曹操軍の軍船をリアルに描いた絵や、三国志の登場人物の等身大の陶器像、前漢・三国・後漢時代のものとされる刀剣や杯などの出土品が展示されている。展示物の量の割に、建物が異様に大きく豪華だ。

2月16日から3月2日まで行われていた「花燈節」の出し物の、「ねぶた」のような光るオブジェが芝生広場に置かれている。誰も観光客の居ない、今日の姿からは賑わいは想像できない。

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魯粛が指揮を取ったとされる赤壁塔

赤壁塔が見えてくる。入場口へはまだかなり距離があるが、ここが有料区画からの出口。出口を出たところに、高さ49mで7層の「赤壁塔」がある。呉の魯粛が指揮を取ったとされる塔をイメージしているのだそうだが、こんな頑丈そうな鉄筋コンクリート製の塔が三国時代にあったはずがない…。

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呉が赤壁に築いた八卦陣の金城

ここから先、駐車場や入場口付近まで戻る経路上は、鉄筋コンクリート製の巨大な遺跡風建物群が建ち並んでいる。「赤壁古戦場 二期工程」というらしい。2008年に完成した「一期」に続き、2011年に造られたのが「二期」。三国志や孫悟空の撮影セットですか… と言いたくなるような雰囲気の所だ。「金城」「土城」といった三国志の逸話を元にして、建物の大きさを膨らませまくった建物や、古街風に作った土産物屋街など…。 どれも客がゼロで、店はほとんどが閉まっている。結局、この「三国赤壁古戦場景区」は客から巻き上げたバカ高い入場料で、大量の箱物を建てて映画村みたいにしてみましたというところだった。三国志の文学作品が好きでなければ、意味不明ながっくり観光地だろう。

がっくり観光地とか言いつつも、クソ寒い中、広大な景区を歩きまわり三国志の世界をけっこう楽しんだ。所要時間は2時間半。

Bus
赤壁鎮(13:40発)→ 赤壁市 城西停車場(14:24着)
マイクロバス, 運賃 9元(153円)
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赤壁市の繁華街にある露天市場

終点の城西停車場で下車し、莼川大道を東へ、午前中に市内バスを降りた万達電器の方向へ歩く。繁華街の中心は万達電器の少し手前、宝成路との交差点辺り。賑わっている南方向へ行ってみる。人口53万人の赤壁市の中心街は、日本の同レベルの中核市の中心街に比べて、人もたくさん集まり商店街も繁盛しているように見える。自助中餐に入り昼食(9元, 153円)。昼食時間をかなり過ぎて、店じまいしかけでおかずなどが完全に冷めていた。

Bus
德和医院(15:00発)→ 赤壁北站(15:19着)
公交 7路, 運賃 2元(34円)
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赤壁北站の候车区(待合室)

市内バスに乗り赤壁北站に戻る。武漢行きの列車の出発まで1時間弱。調度よい時間に戻ってきた。赤壁北站は小さな駅なので、站入り口の切符のチェックは人力でやっていて、候车区(待合室)も武漢方面と广州方面の2区画に分かれているだけだ。今日は特に寒く体が冷えたので、売店でインスタントラーメン(5元)を買い待合室で食べる。そのうち、列車の改札が始まる。

Train
赤壁北(16:15発)→ 武汉(16:52着)
高速动车 G1120, 二等座運賃 59.5元(1,012円)+ Ctrip予約料金20元

乗車した列車は广州南站発のCRH380AL型(16両編成)だ。

赤壁からの乗客は、4号車と5号車あたりに集中的に割り振られているようで、列車到着前からプラットホームで行列が出来る。1000kmもの運行距離を走破しても、ほぼ遅れることなく列車が到着し、乗客が車内に吸い込まれる。座席指定なので、座れない人は無い。それなのに、ナゼ中国人はどこでも律儀に行列を作るのだろう…

Metro
武汉火车站(17:02発)→ 洪山广场(17:26着 17:28発)→ 江汉路(17:39着)
地鉄4号线・2号线, 運賃 4元(68円)

Wǔhàn - China (武汉/武漢 江汉区 - 中国)

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地鉄2号线 江汉路站

地鉄の江汉路站からホテルに戻る途中、腹痛が…。最高気温7℃・最低気温1℃の赤壁で、一日じゅう古戦場景区の屋外をうろついていたので、体が冷えすぎたのだろう。ホテルのトイレに駆け込み、なんとか事なきを得る。

夕食はホテルの近くの自助中餐で食べる。9元(153円)。いつお腹が痛くなるのか、食べていても落ち着かなかった…。

Hotel
锦江之星酒店 江滩步行街店
525号室 ダブル ルーム 190元(3,230円)/1泊