2019年 台湾旅行記 : 台北(総統府、二二八記念館、台北機廠)
November 2, 2019 (Saturday)
Banqiao, Xinbei - Taiwan (新北市 板橋区 - 台湾)
夜中に蚊が飛んできたので追い回して撃墜し、結局寝たのは24時近くになっていた。そして6時半ごろ起床。7時に7階のカフェテリアで朝食。予約サイトBooking.comの投稿では、「朝食はサンドイッチ」という書き込みがあったが、この朝に出てきたのは中華粥。
サンドイッチとフライドポテトの朝食なら、日本のネットカフェ快活クラブのパクリになってしまう。ここ単人房住宿 台北館はベッド付きの高級個室タイプなので、朝食もそれなりの高級感を出している。
今日は、毎月1回ある総統府の暇日参観に行き、午後は予約した台北機廠の見学会に参加する予定だ。まず地下鉄に乗り台北に向かう。
新北警察署と板橋区役所の間にあるポケットパークを通り抜け、地下鉄の駅に続く地下道を行く。プラットホームに出ると、満員の電車が出発するところだ。その列車を見送り、5分後に来た列車は空いていた。ひとつ向こうの亜東医院站を出発する区間列車と、5駅向こうの始発駅から全行程を走る列車が交互に来るので、混んでたら1本待つ人が多いようだ。
府中站(08:04発)→ 西門站(08:15着)台北捷運, ICカード運賃 20元(72円)
Taipei - Taiwan (台北 - 台湾)
中華民国総統府 (旧 大日本帝国台湾総統府)
西門站で下車。この駅は西門の繁華街にやってくる客で大混雑している印象だが、早朝のこの時間帯は歩く人もまばらだ。東へ向かって5分ほど歩くと、中華民国総統府の北西角。ちょうどその場所が、1ヶ月に1回ある暇日参観のときの入場口だ。金属探知機やカバンの開封検査など、空港より厳しいセキュリティチェックを受けて敷地に入る。そして、総統府の建物北端に沿って東側の正面玄関前まで歩く。
現在この建物は総統官邸として使われているが、第二次大戦までは台湾総督府という日本の官庁として使われていた建物だ。基本設計は建築家 長野宇平治、詳細設計に森山松之助など官庁営繕課が関わり1919年に完成ている。5階建ての赤レンガ造の建物は、東洋随一だった60mの高さを誇る中央塔がシンボルだ。最盛期には1,000名の総督府職員が勤務し、部屋数は152室あったという。
1階には暇日参観ではない日でも入れる展示施設があり、そこには総統府の建築史概略が掲示されている。それを適当に翻訳してみると次のような感じだ…
台湾総督府の建設は1912年に着工し、7年後の1920年に竣工した。大正時代、欧米列強に対し国威を誇示するために採用された西洋古典様式建築を、この総督府にも採用した。
建物正面は東向きで、執務室5階建て、中央塔は11階建てである。上から見ると「日」の字に見える建物は、中庭が2つある配置で、各階廊下はその中庭に面した側に通されている。建物四隅には階段が、中央塔には台湾で初めて設置されたエレベーターが設けられている。
新竹市のケヤキ、阿里山や嘉義市のヒノキ、漆喰壁に使う台湾産の生石灰など、島内の建材が多く使われた。しかし、コンクリート成形板やドアや窓などの金具類は日本本土のものが使われた。外装材として用いられている赤レンガは品川白煉瓦株式会社製のものだ。
総督府には、当時最先端であった酒井式ブロック構造を用いた耐震設計がなされている。主要建材として、本土で製造された浅野セメント製のリブ形状RC成形セメント板が使われた。耐震性を高めるため、中庭に面した四隅に八角形の筒状の構造体を付加し、執務室の間には耐震壁を設けている。
現在は使われていないが、この建物には時代を先取りした喫煙室やダストシュートなども設けられていた。
衛兵が立つ正面玄関から入場できるのは、暇日参観だけだ。何段かの階段を登っていくと、2階にある建物中央の大ホールに出る。5階までの吹き抜けのホールの白い漆喰壁はシミひとつなく整備され、紫の胡蝶蘭の鉢植えがそこかしこに置かれた上質な空間だ。正面には赤絨毯が敷かれた中央階段があり、「天下為公」の金文字が彫られた台座に置かれた孫文の胸像が、踊り場から入場客を見下ろしている。
中央階段を3階まで登り、大ホールの西隣にある大礼堂へ。ここは総統が公式の記者会見を行ったり、外国使節との引見や祝賀会などが開かれる場所で、テレビでもよく放映されているところだ。台湾(中華民国)の国旗と共に、ここにも孫文の肖像画が掲げられている。地方から来たと思われる年配の女性が、この部屋の中を見て大層感激していた。台湾の人にとってはすごい場所なのだろう。
廊下を挟んで大礼堂の西向にある台湾虹庁の部屋も開放されている。こちらは、南国の景色を描いた大きな絵画が掲げられ、閣議を開く体裁に「ロの字型」に椅子が並べられている。
ここまでが、上から見ると「日」の字に見える建物の「真ん中の横線の部分」にある部屋だ。第二次世界大戦時に米軍の空襲で損壊したため、戦後に中央塔の再建をふくめ大規模な改修が行われたそうだ。そのときに建物の東西中央部を少し伸ばして「中」に見えるように魔改造してたら笑い話のネタになるのだが…
3階の廊下を歩き、北西角の階段室へ向かう。廊下から見おろす中庭「北苑」にはうっそうと木が茂っている。この北側の中庭は、日本統治時代には駐輪場として使われていたそうだ。現在は台湾の国花である梅の花を模した庭園となり、中央にはシンボルツリーの台湾油杉の高木が植えられている。
中庭に面した建物の壁面は、白い石材のみを貼り付けたシンプルな形式だ。外に面した壁面が赤レンガに白い花崗岩を巡らせた辰野式を採用しているのに比べると、豪華さには劣る。最上階の5階の壁面にいたっては、軽量化するためだろうか板張りのようだ。建築時には鉄板貼りだった屋根は、今は青緑色の銅板葺きだ。
廊下の窓はダブルハング窓(上げ下げ式)の鋼製窓枠で、大正や昭和初期によくあるタイプだ。オリジナル感を保って更新したのか、よく整備されていてるのか、少し触るだけで軽く上下する。窓枠のレール部分をよく見ると、両側に滑車を介したワイヤーが掛けられており、これで軽く上下できていることがわかる。日本国内の歴史的建造物では、変形し、腐食して重くなっても放置しているのとは大違いだ。
階段を降りて1階へ。ここから先は毎日公開されている区画で、展示施設となっている。この章の最初に引用した建築史は、この展示室のものだ。展示施設には建築史のほかに、総統執務室のイメージ展示、現代美術の部屋や、歴代の中華民国総統のポートレートが展示された部屋など。
外交文書に押されるという中華民国の「国璽」が展示されていたが、翡翠で作られた巨大な印鑑は重そう(3.2kgあるらしい)で、押す人は大変だろう。が、その横に展示されている「総統の祝電」に押されているのは3cm角くらいの印鑑で、こっちでも効力あるのなら、今の時代小さい方に変更すればいいのに… と思ってしまった。ちなみに、日本の国璽も似たような重さの3.5kgで、金印らしい。やはり大きくて重いことが重要なのか。
台北二二八記念館 (旧 台湾放送協会台北支局)
1時間ほど総統府を見学した後、西隣にある二二八和平公園に向かう。蓮花池の畔にある滄海亭のベンチに座って休憩した後、開館と同時に二二八記念館に入館する。入館料は無料だ。
この博物館は、台湾が日本から中華民国に引き渡された第二次世界大戦後の1947年2月28日、大陸人支配に対する台湾人の反乱「二・二八事件」に関する資料を展示している記念館だ。
Wikipediaによると事の顛末はこんな感じだ… “闇タバコを販売していた台湾人(本省人)女性に対し、国民党政権(外省人)の役人が暴行を加える事件が起きた。これに抗議する市民に対し取締官が発砲。流れ弾で市民1名が死亡してしまう。約50年間台湾を支配していた日本に比べ、大陸からやって来た新たな支配者の国民党政権による汚職・腐敗は凄まじかったとされる。これに失望していた台湾人は、この事件をきっかけに台湾の各所で大規模な抗議活動を行った。
これに対して国民党政権(蒋介石政権)は大陸より軍隊を投入。台湾人は日本軍が残した武器を取って抵抗したが、国民党軍による徹底的な弾圧が行われ鎮圧された。その過程で多くの市民が殺害、投獄された。この事件をきっかけとして発令された戒厳令は1987年まで解除されなかった。”
最近どこかで聞いたような話だ…。英国から中国大陸に引き渡された香港で、自由選挙などを要求する市民の激しいデモが起こり、警察による苛烈な鎮圧が行われている現在進行形の出来事だ。
どちらも「先進的国家の統治から専制主義国家に帰属替えさせられた地域で、民主活動が弾圧される」というストーリーだ。数年前に中近東のいくつかの国で似たような民主革命が起こり、いきなり政権崩壊した後にまともな民主政権が成立せず、破綻国家が量産されただけという黒歴史もある。大陸の共産党政権は、香港がこのような無政府状態に陥ることを恐れていると言われている。
台湾では、50年掛けて徐々に民主化し自由選挙が出来るようになっている。この旅行をしているときも総統選挙の真っ最中で、街の中には蔡英文と韓国瑜の選挙ポスターが貼り出されていた。
記念館を見学し終え、台北站の方へ歩く。午後から台北機廠を見学する時に必要だと言われているイヤホンを買いに、新光三越の隣りにある光南大批發へ。最安値は50元だったが、少し音質の良さそうな69元(248円)のを購入。せっかく買ったイヤホンだが、台北機廠ではレシーバーとイヤホンをセットで貸してくれたので使う機会はなかった…。
光南大批發の東側あたりに集結している安食堂街(公園路)へ。いわゆる自助餐が並んでいて、11時にオープンしていた店に入り昼食。サバ唐揚げと4菜で75元(270円)と格安だ。日本にもこういう弁当屋作って欲しい…
食後、台北站へ。駅のコンコースでは、鉄路弁当節という駅弁祭りが開かれている。台湾といえば台鉄弁当や高鉄弁当が定番だが、この駅弁祭りには日本からJR東日本や京急、西武、近鉄といった大手鉄道会社や、天竜浜名湖鉄道や青い森鉄道などのローカル私鉄まで12社が出店している。弁当とは縁のなさそうなフランスやスイスの鉄道会社も、観光パンフレットを配布する「店」を出していたりする。
駅弁は台湾の人たちにも人気のようで、店には長蛇の列。弁当各種は100食分づつ程度しか用意されていないので、オープンしてすぐに完売のようだ。その後は観光パンフレットの配布や、キーホルダーなどの鉄道グッズの販売所となっている。価格設定も良心的で、JR東日本の東京駅などで売られている深川めし弁当(900円)を、台北駅の弁当節でも250元(900円)で売っていた。これでは明らかに赤字だろ…
台湾からの旅行者にもっと来てほしいから、弁当売ってPRしてる… というわけでもなさそうだ。週刊東洋経済の記事によれば、台湾政府としては「日本だけでなく欧州の鉄道会社とも友好関係を持っていることを国際社会に示す格好のアピール材料」であり、「弁当イベントの旅費程度で国際的なプレゼンスを維持できるなら安いという判断」だからだそうだ。「鉄道会社1社につき、2人分の往復航空券と、人数に関係なく合計で12泊分の宿泊費が出る」というから日本の鉄道会社としてもオイシイPR活動なのかもしれない。「日本で作った駅弁を空輸するか、あるいは現地の食材を使って駅弁を作るにしても、日本国内で製造するのとはコストがまるで違い、とても利益は出ない。しかし、台鉄が旅費を負担して日本の鉄道会社に参加してもらっている」ので成り立っているイベントだそうだ。
なるほど、単なる地方物産展レベルの商売だけじゃないってことやね…。
次はWebで見学予約をした台北機廠へ。地下鉄で、最寄り駅の国父記念館駅まで行く。
台北車站(11:51発)→ 国父記念館站(11:59着)台北捷運, ICカード運賃 16元(57円)
駅から地上に出ると、すぐ目の前には国父記念館がある中山公園の木々が見える。まず、駅の階段を上がったところで自転車を借りておく。その自転車に乗って公園へ。
今日は休日なので、沢山の人が公園にやってきている。国父記念館を見学する人の他に、公園で行われている愛心義賣會のバザーにやってくる客も多いようだ。
国父とは、1912年1月に南京で建国された中華民国の初代総統(臨時総統)となった孫文のことだ。記念館には、日清戦争直後に杭州で武装蜂起したが失敗し日本に亡命、1911年に武漢で武昌起義が成功すると大陸に戻り南京で中華民国臨時政府の総統に就任するまでの資料が展示されている。舞台はすべて台湾の外、大陸や日本なので、ここに展示されているのはほぼ複製品だ。
中華民国臨時総統印(複製)が翡翠などの石製ではなく木製なのは、急ごしらえで作ったからなのだろうか… とか、三民主義について講演をした時の手書き原稿が表紙しか無いのは、中身が見せられないのではなく、アドリブで演説したんじゃないのかとか考えたりもした。
国父記念館正面入口の孫文坐像は高さ8.9m、中正紀念堂の蒋介石坐像の高さは6.3m。そのほかの歴代総統を展示する記念館は無いようなので、この国ではこの2名が別格の偉人なのだろう。過去の政治家の巨大像を造るなど、日本人の感覚では理解できないが、アメリカにもリンカーン像やジェファーソン像を「祀る」記念堂があるくらいなので、他所の国では意外と普通なのかもしれない。
捷運国父記念館站(12:34発)→ 円環站(12:52着)レンタル自転車 微笑單車(YouBike), ICカード料金 15元(54円)
中山公園の北隣には、巨大なドーム球場「台北大巨蛋」の工事現場がある。Wikipediaによれば、2012年に工事が始まっているのに未だに完成していないようだ。工事現場の横を通過し1kmほど北へ行くと、別の地下鉄路線が通っている南京路。南京三民駅前で自転車を返却し、すぐそばにある南京公寓市埸(南京東路)を見に行く。ここは夜市ではなく、昼間に開かれている市場だ。B級グルメの露天は数えるほどしか無く、多くは生鮮食品を売る店だ。軽ワゴン車やスクーター、徒歩で買い物に来る人が入り乱れ、狭い道路はカオス状態だ。
台北機廠の方へ向かいつつ、セブンイレブンがあったので休憩のために入る。乳酸菌飲料の比菲多30元と生肉包25元(計198円)。
台北機廠
予約時間の15分前に台北機廠の正門に到着。同時刻に予約した何人かが到着済みで、見学者用ヘルメットをかぶって正門付近を散策している。受付台でヘルメットとイヤホンレシーバーを受け取り、14時の開始時間を待つ。この受付台があるのは、かつて機廠の職員がタイムカードを押すために並んだ場所だ。雨よけの屋根を支える柱は、古いレールを再利用したもので、すでにここから鉄道遺産だ。“準時上班下班”“努力増産報国”などの標語が行列するレーンの頭上に掲げられている。これは戦前のものではなく、2000年代まで掲げられていたのだから驚きだ。
14時、40人の見学者でのガイドツアーが始まる。予約サイトで見学者の氏名一覧(一分伏せ字)が見れるのだが、2人の日本人と、1名の欧米人が混じっていた。説明者は、台北機廠で実際に働いていた退職技術者だ。
日本統治時代の1900年、台北に初めて設けられた鉄道車両工場は北門の横にあった総督府鉄道部の台北鉄道工場だ。今年の春の旅行で、工場の建物の外観だけは見てきたが、内部の公開はされていない。整備すべき車両の増加により、1935年に新規開設されたのが、ここ台北機廠(当時は鉄道部新台北工場)だ。中華民国が台湾を引き継いだ後は、「台北機廠」と改名し2012年まで使われてきた。現在は閉鎖されているが、週に2回だけ少人数での予約参観が認められている。将来、ここは鉄道博物館になる予定だそうだ。
総弁公室ガイドツアーでは、最初に総弁公室(事務所)の建物の外観を見学。建物は改修工事の足場とシートに覆われ、観れたのは1階バルコニー部分の廊下だけだ。1935年に建てられたという1階事務所の窓は、ダブルハング窓(上げ下げ式)の戦前によく使われたタイプだ。1966年に増築されたという2階には上がれなかった。
柴電工場
東西に長い総弁公室の建物横を通過すると、その先には柴電工場(ディーゼル機関車と電気機関車の整備工場)だ。1962年に建てられたという幅約50m、奥行き約110mの巨大な空間は、天井クレーン以外の設備は撤去され、がらんとしている。床にはピットが掘られた引込線が並んでいて、部品を落下させてもダメージを与えにくい「木レンガ舗装」されている場所もある。博物館化するために清掃されているため、往時の雰囲気はうかがい知ることは出来ない。日本国内の鉄道工場見学で見たのと似たような雰囲気のところで、現役工場と言われても違和感がない。
組立工場
次に見学するのは、柴電工場の南隣にある組立工場。幅28m、奥行き168m、高さ20.8mの巨大空間に、3本の引込線が敷かれている。ここでは、かつて蒸気機関車が分解整備されていたそうだ。いまでも、一番南側の引込線上にはCT273(日本のC57型)蒸気機関車から取り外されたボイラー燃焼室と炭水車が放置されている。
その後、ここは電車や気動車を分解点検する場所として使われていたそうだ。今現在、ここに留置されているのは1931年に日本車両製造または川崎車両で造られたDR2100型気動車・DR2200型気動車と1935年に製造されたDR2300型気動車・DR2400型気動車(それぞれ各1両ずつ)、1939年に日本車輌製造で造られた25C10000型代用行李車、1960年代に台湾が製造してタイ国鉄に輸出したBV.15092緩急車、1978年にイギリスGECで造られたEMU100型電車などだ。研究のため中古車両を日本から購入した583系寝台電車の中間車は、行き先の方向幕が「秋田」となったままだ。
引込線の横には旋盤などの工作機械がズラッと並んでいる機器工場があり、交換部品の一部もここで製造されていたのだろう。工場の壁には、技能コンテストで得た賞の旗が並び、あるいは工場の作業環境工場のスローガン「5S」が貼り出されていたりする。「5S」は日本で考案されたもので「整理・整頓・清潔・清掃・しつけ」なのだが、台湾では「しつけ」が「規律」に差し替えられている。最後の発音はSじゃないな…
原動室と鍛冶工場
組立工場を出て、原動室の横を通り過ぎる。工作機の動力となる蒸気や圧縮空気を発生させる、水管式ボイラーが置かれているところだ。残念ながら中を見学することは出来なかった。
原動室の東隣は、鍛冶工場。内部には巨大な蒸気ハンマー鍛造機や加熱炉が並んでいる。ここでは最も古い1989年に英国で造られた蒸気ハンマーが通路の横に鎮座している。現役でこれらの機械が動いている時は、鍛冶工場内は猛烈な騒音と振動だったろう。だから、旋盤などが置かれた組立工場からは、屋外の引込線を数本挟んで距離を置き、鍛造機の振動が伝わらないようにしているようだ。
客車工場
鍛造工場の南隣、敷地の南端に接する部分には客車工場がある。何本もの引込線がある広い工場内には、ぎっしりとEMU100型電車が入庫している。室内に入りきれない車両は、本線から工場に入ってくる線路上にもたくさん放置されている。なぜこれほど同一形式の車両ばかりを集結させているのか不思議だ。客車が入れられている部分は天井が低く、クレーンで吊り上げてもせいぜい台車交換できるくらいだ。組立工場とは違い、ここでは軽い点検修理を行っていたのだろう。工場の一角には1960年〜1961年にアメリカから輸入したS200型ディーゼル機関車が2両と、側面パネルが脱落してボロボロなS400型ディーゼル機関車も入庫している。
「自強号」の方向幕がついたままのEMU100型電車の脇を通り抜け、建物の反対側の側面に出る。そこは、トラバーサと吊り上げクレーンがある車両入れ替え区画になっている。この区画には芝生が貼られたところがあり、「網球場 開放時間 11:30〜12:40 16:00以降 電三工場主任盤福譲」などと書かれた看板がクレーンのフレームに掲示されている。専用のテニスコートではなく、ヤードエリアを作業と娯楽で時間を区切って使っていたんやね…。
見学コースはここで大体終わり。円形の浴槽で有名な「員工澡堂」は修復工事中で観れなかった。1時間30分のガイドツアーが終わり、台北機廠を後にする。
南京三民駅まで歩き、地下鉄に乗る。
南京三民站(16:00発)→ 西門站(16:13着 16:15発)→ 府中站(16:27着)台北捷運, ICカード運賃 28元(100円)
Banqiao, Xinbei - Taiwan (新北市 板橋区 - 台湾)
板橋に戻り早めの夕食とする。まずは、板橋慈恵宮の参道商店街の北端にある、北門田不辣へ。田不辣を「てんぷら」と読ませているが、日本人の感覚ではおでん屋だ。50元(180円)の「小」を食べる。ねりもの、厚揚げ、こんにゃくにはんぺんと、日本のおでんと同じで美味しい。
次に回転焼き屋へ。紅豆(ホントウ)餅(10元 36円)を1個、これも日本で食べるのと同じだ。アンコは中国由来?
最後に滷肉飯屋へ。花枝・肉焿飯(イカ団子・豚肉団子のあんかけ飯 65元)と、滷荀絲(タケノコとキャベツの炒めもの 30元)。魯肉飯のような丼飯と想像したが、なみなみと汁が注がれた巨大あんかけ丼には驚いた。合計95元(342円)。
今日も宿泊は、府中の単人房台北館。昨日の夜は蚊が襲撃してきて、24時頃に追いかけ回して叩き潰したが、今日は安眠を期待したいところだ。
単人房住宿 台北館 泊514号室 簡易シングルルーム 746元(2,685円)/1泊