2019年 台湾旅行記 : 台南(徳陽艦、億載金城、安平古堡)

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November 3, 2019 (Sunday)

Banqiao, Xinbei - Taiwan (新北市 板橋区 - 台湾)

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板橋旧市街の観光地図

夜中まで出入りする宿泊客が多く、うるさくてなかなか寝付けない。6時ごろ起床。朝食を食べる前、板橋慈恵宮と門前町の飲食店街を見物に行く。

板橋慈恵宮には早朝にもかかわらず、参拝客が次々訪れている。寺院の入口にパンフレットが積んであり、それによれば清朝時代、府中站前は「擺接堡」という城壁に囲まれた旧市街だったそうだ。清朝末期の1874年には、「林家花園」の主である林家によって慈恵宮が建立されている。日本統治時代に「板橋」(枋橋)と地名が改められ、市街区域を拡張するために城壁や城門が撤去されたそうだ。今ではどこが城壁だったかわかりづらいが、案内図によれば慈恵宮や門前街の飲食店街は旧市街の東端に位置している。

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板橋慈恵宮

慈恵宮1階のど真ん中に、きらびやかな天上聖母(媽祖)像が祀ってあり、参拝者はその前に置かれているステンレステーブルにお布施の果物やお菓子、花を供えている。参拝者は長い線香を持って、3階建ての寺院の各所に安置されている神像・仏像をめぐってお祈りする。台湾では一般的な寺院のお参り形式だ。

門前街の宮口街・後菜園街へ。一昨日や昨日の午後には多くの客で賑わっているたが、早朝は店は一軒も開いておらず歩いている人も居ない。

7時、ホテル「単人房住宿」に戻り朝食。今日は三明治(サンドイッチ)だった。昨日と違って、7時より前からオープンしてたようで、既に出勤スタイルのサラリーマンの客も多い。

7時半、チェックアウト。宿泊費は予約時に登録したクレジットカードから既に引き落とし済みとのこと。2泊で1,492元(5,312円)だ。台北では格安の部類だ。

ホテルのすぐ目の前、新北警察署と府中站の間にあるYouBikeスタンドで自転車を借り、1km先の板橋站を目指す。

Bicycle
捷運府中站 3號出口(07:40発)→ 捷運板橋站 1號出口(07:48着)
レンタル自転車 微笑單車(YouBike), ICカード料金 5元(18円)
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板橋站のバスターミナル(板橋公車站)

外は今にも雨が振りそうな雲り空。気温は24℃だそうだ。高層ビルに囲まれた新板萬坪都會公園の池の畔にある自転車スタンドに返却。この公園、「1万坪」というネーミングだが、実際はもっと広い「2万3千坪」あるらしい。

高鉄站の入口は、バスターミナルと駅ビルを結んでいる地下街にある。改札の向かいにあるイベントスペースでは、児童虐待防止・DV防止・麻薬防止云々をPRする、おばさんの広場舞が行われている。中国文化やねぇ…。

Train
板橋站(08:29発)→ 台南站(10:06着)
高鉄 613列車, Web予約 1割引き料金 1,185元(4,266円)
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高鉄 板橋站

板橋から乗車した高速列車は、ほぼ満員。一つ前の座席には東京から来たらしい高年齢の女性3名。台中で下車するまで、ずっと話し続けていた。日本とは違い、台湾では車内のワゴン販売が健在で、価格が妥当なのかそれなりに売れているようだ。台北付近では曇っていたのが、台中付近から晴れ間が出てくる。しかし湿度が高いのか、かなり霞んでいる。

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台湾高鉄700T型電車の商務車(1等車)

乗車した列車は2004年から2005年に日本から輸出された700T型のTR22編成。東海道新幹線の700系車両と同系列だが、最高速度は300km/hと少しだけ速い。15年走り続けた車両は内装にも古さを感じ、中国大陸を走る最新の「パクリ高速鉄道」に比べスピードや車内のキレイさで負けている。台湾高鉄では車両更新を計画しているようだが、中国製を対象外としているので、日・仏のどちらかの車両が入るのだろう。しかし、中国大陸がパクった親元のドイツが、CR400BFの改良型を輸出してきたりして…。

Tainan - Taiwan (台南市 - 台湾)

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セブンイレブンの経典排骨弁当

台南站で下車し、駅のコンコースでセブンイレブンの経典排骨弁当(89元, 320円)を食べる。弁当を食べて時間調整し、1時間に1本だけある無料シャトルバスに乗車する。市内中心部までなら1時間に3本あるのだが、そのうち1本だけが海岸沿いの安平区まで延長運転されている。

Bus
高鉄台南站(10:50発)→ 原住民文化会館(11:42着)
大台南公車 高鉄快捷公車 H31系統, 免費(無料)
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原住民文化会館バス停の高鉄快捷公車

バスを下車したのは、台南の市街地から遥か離れた安平港浜公園の前。運河沿いの道路には、ど派手な金属製の神輿が大集結している。今日は祭りなのだろうか…

バス停の目の前にあるレンタルサイクルt-bikeスタンドの端末機で、会員登録。ここも、スマホに確認コードのSMSが受信できれば、一卡通(iPASS)カードを登録できた。

Bicycle
安億停車場站(11:55)→ 安平定情碼頭徳陽艦園区(12:10)
台南市公共自行車 T-Bike, 料金は台南站に返却時に確定
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林默娘(媽祖)像

現代美術作品のクジラの巨大モニュメント像の横よりいざ出発!

安平港の岸壁に沿ってサイクリングロードを西へ走る。雲ひとつ無い直射日光の中、公園を散策する人はほとんど居ない。700mほど行くと岸壁の突端。林默娘の巨大石像が、台湾海峡に通じる港の出口を見つめている。「林默娘」とは媽祖の古い呼び方だそうだ。

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17世紀の帆船「台湾成功号」(復元)

ここには、17世紀の鄭氏政権時代の帆船を復元した「台湾成功号」(排水量150トン)も陸上に引き上げられて展示されている。この船は、鄭成功の生まれ故郷である長崎県平戸市の松浦史料博物館が収蔵する「唐船之図」を参考に復元されたものだそうだ。同時代に日本で使われていた遣明船弁才船とよく似ている。

台湾の古都「台南」の海の玄関である安平港、この小さな船で中国大陸、ヴェトナム、琉球や日本へと旅立っていく台湾のゲートウェイだったのだろう。

ここから港湾地区の殺風景な道を南へ、強い向かい風の中走る。しばらく行くと岸壁に軍艦「徳陽艦」が停泊している。2005年まで台湾海軍で使われていた駆逐艦で、いまは一般人見学可能な展示施設になっている。入場料は80元(288円)。

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DD-837 サースフィールド(1973年)
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DDG-925 徳陽艦

この駆逐艦は、第二次大戦末に米海軍が大量建造した駆逐艦のひとつで、もともとはDD-837 サースフィールドという名だった。1977年に台湾に払い下げられDDG-925 徳陽艦と改名されたのち、2005年まで現役の駆逐艦として使われていた。

Wikipediaから転載した米軍時代の姿、高雄の左営軍管区故事館に展示されていた台湾海軍時代の姿、そして現在ここで見る姿を比較してみるのも面白い。

甲板上やマストに艤装されている兵装類は、展示用に見栄えの良いものを取り付けられているだけというweb検索結果もある。かつてのこの船の写真と見比べれば、なるほどと感じる。甲板上にはMk 12 5インチ主砲(単装砲)、イスラエルからライセンスされた雄風I型対艦ミサイルランチャ、Mk32魚雷発射管などの兵装が、メインマストには、巨大なAN/SPS-6対空捜索レーダー、その下にAN/SPS-10AかSPS-5水上捜索レーダーが取り付けられている。

休日でたくさんの子供連れやカップルなどが見学に来てるが、軍艦や装備にはほとんど興味無い様子。盛んにスマホでポートレート写真を取りまくっているだけだ。艦内のそこかしこにテディベア(泰迪熊)の人形が置かれ、子どもたちが喜んでいる。

左舷前方からの艦全景
前甲板のMk 12 5インチ砲(単装砲)
雄風I型対艦ミサイルランチャとMk32魚雷発射管
艦橋の操舵室
艦橋の操舵室
操舵室のBendix製 舵角指示器
艦長室
海図室
配電盤室と450V 400Hz分電盤
電信室の通信機器
電信室
電信室のSB-863/SRT無線機
Mk.112対潜ミサイルアスロックランチャ
CR-201チャフランチャ
後甲板とヘリパッド
後甲板のMk 12 5インチ砲(単装砲)
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M5A1軽戦車とM8自走榴弾砲

およそ45分間艦内を見学し下船。岸壁の公園にはM5A1軽戦車やM8自走榴弾砲が展示されている。1949年に、金門島をめぐる古寧頭戦役で活躍したのがこのM5軽戦車で、当時“金門之熊”と呼ばれたそうだ。

Bicycle
安平定情碼頭徳陽艦園区(13:05)→ 億載金城 跳ね橋(13:15)
台南市公共自行車 T-Bike, 料金は台南站に返却時に確定
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億載金城(二鯤鯓砲台)のイラストマップ

13時過ぎ、徳陽艦の停泊する岸壁のすぐ東隣にある星形要塞「億載金城」へ。ここは1876年に、当時台湾を領有していた清朝政府が築いた要塞で、正式名称は「二鯤鯓砲台」(にこしんほうだい)。琉球を併合した後、更に台湾の占領を伺っていた日本軍の侵攻を阻止するためのものだったそうだ。

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二鯤鯓砲台の護城濠(外濠)

建設当時、フランスから最新の要塞築造技術を導入したこの砲台は、1辺170mの四角形で、外濠から立ち上がる城壁の高さは5mほどだそうだ。今は木々が生い茂ってしまい海を見通すことはできないが、建設当時は真っ平らな砂州上の高台となったこの砲台から、台湾海峡を通過する船に睨みを利かせていたのだろう。その光景を思い描きながら、白鳥の足漕ぎボートが浮かぶ外濠沿いをチャリンコを押して歩いていく。

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二鯤鯓砲台の城門と石橋

徳陽艦と反対側、陸側を向いて砲台の入り口があり、頑丈そうな石橋が架かっている。橋のたもとにチケット売り場があり、入場料は50元(180円)。パンフレットには「跳ね橋」と書かれているので、この重そうな石橋が持ち上がるのか…。城壁の盛り土をくぐりぬける煉瓦造りのトンネル「城門」を通り抜けると、星型要塞の中央広場「操練場」に出る。

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二鯤鯓砲台の四隅に張り出した稜堡内側

ヨーロッパでは、要塞の中央広場部分は兵舎などのバラックが建ち並ぶ区域だが、ここはだだっ広い芝生広場だ。

傾斜した斜面を登って城壁の上へ。通常、「要塞」の砲の配置は周りから寄せる敵を至近距離で十字砲火するため、張り出した三角の稜堡にも小砲を据え付け、堀の延長方向にも射線を向けているべきだ。しかし、何故かここは全ての砲が要塞の遥か彼方を直接砲撃する方向に据え付けられ、要塞至近に押し寄せる敵を砲撃・射撃する小型砲が無いようだ。

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二鯤鯓砲台の18トン アームストロング砲

ここは土木構造物の形から見れば「星型要塞」だが、実際は遠くの敵を直接射撃する「砲台」として使われたのだろう。要塞から沿岸砲台へ軍事技術が変遷する時期、沿岸砲台の技術が成熟していなかったため、要塞構造物を作って沿岸砲台として使ったのだろうか。

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二鯤鯓砲台の20ポンド砲

城壁上には、台湾海峡に向けて3基の18トン・口径10インチの巨大なアームストロング砲が睨みを効かせ、要塞両側の砂州の方向に向かって小型の40ポンド砲や20ポンド砲が据え付けられている。Wikipediaによれば、10インチ砲の射程は約5.5km。これで、日本軍が台南に近づくのを完全撃破できる… はずであった。が、日本は台湾ではなく台湾の宗主国であった清国を日清戦争で撃破してしまう。下関条約(台湾では馬関条約と呼ばれている)の「取引」によって台湾を清国から割譲された日本は、砲火を交えること無く台湾を領有してしまった。

せっかく築城した二鯤鯓砲台が活躍することはなかったのである。

Bicycle
億載金城 跳ね橋(13:45)→ 安平区古堡街 路上駐輪(13:55)
台南市公共自行車 T-Bike, 料金は台南站に返却時に確定
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安平開台天后宮の牌坊

砲台の見学後、跳ね橋の横に停めておいたレンタル自転車に乗って北へ。高速鉄道駅から乗ってきたバスを降りた原住民文化会館前を通り過ぎ、運河に架かる橋を渡ると安平老街のある旧市街だ。メインストリートと思われる安平路には、ラッパを吹き鳴らしながら派手な神輿が転がされている。神輿の列についていいってみると、安平開台天后宮に入っていく。

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安平開台天后宮

神輿が到着するたびに爆竹が盛大に鳴らされて、氏子が天后宮にお参りしている、というより踊りまくっている…。Web検索では、この祭りは海頭社文朱殿の祭神「兵部李天王」の巡行のようだ。なんとも派手な神輿行列だ。

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安平古堡の西側では屋台街が立っていた

この天后宮の裏手が、安平古堡だ。入場料は50元(180円)。ここは、17世紀前半にオランダが明国を駆逐して台湾を占領した時に築かれた砦「ゼーランティア城」が起源だ。その後、17世紀後半に鄭成功政権により「安平城」とされ、清国末期には安平古堡の一部を解体して石材を二鯤鯓砲台の建設資材として使ったそうだ。

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安平古堡 オランダ時代の城壁遺跡

入場門を入って左側にあるボロボロのレンガ壁が、解体され運び出された残りのオランダ時代の城壁遺跡なのだという。右手には階段状のレンガ壁で固められた丘の上に、博物館となっている洋館と展望台がある。こちらは、丘の造成も含め、日本統治時代に復元されたレプリカだそうだ。

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安平古堡 鄭成功像と記念館

17世紀の城は、日本でもこんな感じで石垣で高台を作って、その上に天守。もしかして、日本人が復元したからこんな天守閣みたいな形状になったのか…。

ポルトガルやオランダは、17世紀頃に日本にも度々やって来たが、台湾のように軍事侵攻することはなかった。彼らが遠方から日本に軍事侵攻するには、台湾付近に補給基地が必要だったのだろう。しかし、明や清がヨーロッパ勢に抵抗してくれたおかげで、運良く日本はヨーロッパに攻め込まれることを免れ、貿易というマイルドな部分だけを得ることが出来た。

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安平古堡 500斤前装砲と記念館

さて、今回の台南観光はこれで終了。台鉄の台南駅のある中心街に戻るには、1時間に1本程度のバスがあるが、祭りで殆どの道が歩行者天国になっているようで、バスがどこを迂回して走っているのか全くわからない。レンタル自転車をまだ借りたままなので、これで台南駅まで走ろうと思う。

まずは、安平運河に沿って3kmほど東へ向かう。途中、冷房の効いたファミマで休憩。暑すぎて熱中症になりそうだ。野菜生活(35元、126円)で喉を潤す。運河の突き当り付近から、民生路をさらに東へ。だんだん都会に近づいてきて、アパートや小工場からオフィスや商店などに景色が変わってくる。道路を走る車やスクーターも多くなるが、自転車で走る人はほとんど見かけない。

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スクーターに混じって信号待ち(民生路)

スクーターと並んでママチャリのようなレンタル自転車を爆走させるが、速度を維持するのもなかなか疲れる。市中心部、民生緑園の7方向に分岐するラウンドアバウト(七辻)をGoogleマップのナビで迷うこと無く経路を選択、ほぼスピードを落とすこと無く台南站前に到着。約5.5kmを30分で走ったことになる。全く見知らぬ土地を「ママチャリ」で走ったとしては、まあまあか…。

Bicycle
安平区古堡街(14:35)→ 臺南火車站前站(15:10)
台南市公共自行車 T-Bike, レンタル時間総計 約3時間20分, ICカード料金 60元(216円)
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地下化工事でシートが掛けられた台南駅舎

レンタル自転車を返却。レンタル時間が約3時間20分で60元(216円)だった。台南站は、始まったばかりの地下化工事Youtube動画)のためか仮設足場に覆われている。駅のコンコースに入り、出発案内の電光掲示板を見ると南行の自強号が4分後に出発すると表示されている。最近は特急にもICカードだけで乗車できると聞いたことがあるので、駅員に聞いてみると間違いないようだ。もうすぐ列車が来るから2番線に急げとのこと。

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台南站の南行きプラットホームは満員

特急電車はすぐにやってきて、プラットホームで待つ大量の乗客に続いて乗車する。高雄站まで40分ほどなので、無座(座席指定なし)でも短時間だから問題ない。

今年の春にこの路線に乗ったときは各駅停車だったから、台南から高雄は1時間以上掛かっていた。さすがノンストップの特急は早い。

Train
台南站(15:18発)→ 高雄站(15:56着)
台鉄 自強号121列車, ICカード料金 61元(220円)
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六合清粥小菜

この春に来たときと同じく、地下化された高雄站の出口は市街地と切り離された状態で、目の前にあった旧地上駅の撤去工事中だ。駅の南側への歩行者通路は、長距離バスターミナル前を経由した迂回路になっている。そのため、今回も宿泊する予定のホテル「金馬大飯店」は駅前ではなくなり、駅からかなり歩く結果に。まあ、駅にはそんなに用事はないから問題ないか…。

ホテルにチェックインし、荷物を置いて再び外へ。六合夜市に向かう。

まず、夕食として自助餐の六合粥屋へ。弁当箱に、鶏胸肉のローストと、巨大ミートボールを入れ、野菜3品で125元(450円)。ここは24時間営業店で、すこし高めの価格設定だ。

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六合夜市

六合夜市をぶらつき、胡椒餅(40元, 144円)を食べる。ピリッとスパイスの効いた肉まんは、いつ食べても美味しいものだ。

ホテルに戻る途中セブンイレブンに立ち寄り、巨大ヤクルト(30元, 108円)を飲む。ついでに、明日の鵝鑾鼻往復のためにICカードにチャージする。残額は、片道360元×2(往復分)と余裕代の50元を足して770元ほどあれば良い。現在約300元の残額があるので、700元を加充(チャージ)して残額1009元にしておいた。

Hotel
金馬大飯店 泊
401号室 ダブルルーム 600元(2,160円)/1泊