DECEMBER 26 CAIRO-EGYPT
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト)

メトロ・ナセル駅の上の道路  迫り来る自動車を避けて渡る
near Metro Nasser station

カイロ行き各駅停車の車内は、カイロに近づくほど混雑の度を極めている。網棚はおろか、通路にまでさまざまな荷物であふれ、通路にはヤギを抱えた老人や、物売りが通ったりする。8時05分、ギザ駅 (El Giza) に停車。地下鉄(高架軌道)の駅の下にあるようだ。そこから列車は止まりそうなほどゆっくりした速度で走り、東にターンしてナイル川に架かる鉄橋を渡り、8時25分、カイロ中央駅(ラメセス駅 Ramses Station)に到着。
列車を降りて、改札口を探すが、無い。というか、ローカル列車のホームに着いたらしく、警官に教えてもらった改札口は、駅の裏口のようなところだった。降り立ったところは、Midan Ahmed Hilmi (アーメッド・ヒルミ広場)という雑居ビルの立ち並ぶところで、メトロの駅に行くまでやけに迷う。

メトロ(地下鉄)に乗る。駅はフランスの技術援助で出来たのが一目で分かる。(とくに、地下への入り口の小さな扉の並んだところなど…) アタバ(Ataba)駅まで0.5EGPの切符を買い、ホームへ。ここは英語表示(フランス語表示ではない)がなされている。列車は、どこかで聞いたことのあるインバーター音を出して走っている。(詳細は、12月26日の旅日記参照)
アタバ駅で降りて、まずは宿探し。カイロ随一のモダンな繁華街の所々に、エコノミーな宿が散らばっている。ガイドブックによると、そのはずだが、なかなか見つからないし、見つけた宿も満員だったり高かったり。途中、客引き(本人は通りかかったビジネスマンだと、詐欺師エジプト人にありがちな回答だったが)に声をかけられ、見たホテルは(65EGPの割に)ひどいものだった。その詐欺師は、これからボスとギザに行くので、いっしょに車に乗っていかないかと、詐欺師の本領を発揮するし…。この街でもエジプト人を信用してはいけなさそうだ。
で、1時間以上その辺りをさまよって、たどり着いたのがメトロのナセル駅の近くにあるカールトン・ホテルというホテル。値段を聞いてみると、65EGP。フロントの感じも、部屋もそれなりである。(金属探知機ゲートがおいてあると言うことは、アメリカ資本系?)

荷物を置いて、外へ。Sharia Talaat Harb (タラート・ハブ通り)にマクドナルドを発見して、入る。セットメニューで10.25EGP。(紅茶を止めて、コカコーラだったら 8.49EGP+税5%。ルクソールの価格は30%以上高い観光地価格だったようだ。)

シタデルの モハメド・アリ・モスク  Mouhammed Ali Mosque , Cairo

メトロのアタバ駅を通り越し、エズベキヤ公園 (Ezbekiya Garden)の向こう側にあるアタバ広場 (Median Ataba) へ。ここに市内バスターミナルがある。アタバ駅の西側は西欧と同じようなショッピング街だが、アタバ駅の東側はイスラム風(?)のスークだ。 ごちゃごちゃとした人ごみの中を、バスがゆっくり縫うように走っている。道と商店街の区別が無いのか?
シタデルへのバスを探す。その辺りに居るエジプト人何人かに聞いてみる。向こうから(英語で)声をかけてくるエジプト人は詐欺師だが、普通のエジプト人は正直であり親切である。シタデル方面へのバスを探し出し、停めてくれる。(Lonely Planet によれば、57か951 系統のバスだったようだ)
超満員のバスに乗り込み、運賃0.5EGP払う。バスは、Sharia Al Qala'a / Sharia Mouhammed Ali をまっすぐ南下すると思われたが、イスラム美術館の前で少し回り道。込んでいたバスだが、途中で席を譲ってくれたりするほど、私は疲れているように見えたのだろうか。15分程度で Mosque and Madrassa of Sultan Hassan (スルタン・ハサン・モスク)の前でバスを降りる。目の前にはシタデル (Citadel)のそびえ立つ城壁がある。入り口は、なさそうだ。が、城壁のはるか上に観光客らしき人が小さく見えるので、入れるのだろう。壁に沿って南へ回り込む。20分程度歩いただろうか、

モハメド・アリ・モスクの内部(天井)  in the Mouhammed Ali Mosque

入り口らしき坂道に着く。巨大な駐車場があり、何台か観光バスが停まっている。エジプト人の子供が、(遠足だろう?)大量に来ていたりする。
20EGPの入場券を買って中へ。目の前には、巨大なモハメド・アリ・モスク(Mohammed Ali Mosque)が見える。トルコはイスタンブールのBlue Mosque (Sultan Ahmet Camii)に似ていると言えばそうとも見える。(AD1857年にオットマン・スタイルで建てられたそうだ。) 中へ入ると、これまたイスタンブールのBlue Mosque とそっくりの雰囲気だ。(内装も、絨毯が敷いてあるところも、そのシャンデリアもそうだが、何よりも観光客のためのモスクというところが…)
このモスクを抜けると、小さな博物館がある。その博物館の横からは、カイロの町が一望できる。先ほどバスを降りたスルタン・ハサン・モスクはすぐ下に見える。昨日まで居たルクソールに比べて、空気がどんよりとかすんでいる。湿度が案外高いようだ。モスクの中庭には、修復工事中の時計塔がある。(この時計はフランスのナポレオン3世がモハメド・アリ将軍に贈ったもので、その返礼としてルクソール神殿のオベリスクを「さしあげます」と(おそらく冗談で)言った発言により、『本当に』ルクソール神殿のオベリスクを引っこ抜かれてしまった、いわく付きの時計。)

工事中のブルー・モスク  Blue Mosque

すぐ横にあるアン・ナシール・モスク (An-Nasir Mohammed Mosque , AD1355竣工)にも入る。こちらのほうは普通のモスクだ。軍事博物館があったので入ってみるが、近代エジプトの独立を守るための戦争をたたえるための博物館で、如何に劣勢の兵器でがんばったかが分かる、涙ぐましい博物館だ。(対空ミサイルSA-2 のブリキのおもちゃが『わが国の誇る防空兵器』として飾られているのはほほえましい。日本もこういう博物館を作ったらどうかな? PAC-2 の本物を飾って… どちらにしても、最新じゃあないよね。)
ここの前にある売店でアイスクリームを食べる。1EGP。若干観光地価格。

ぶらっと歩いて、先ほど来た道を戻り、スルタン・ハサン・モスクの前まで来る。少しだけ東に行き、北へ。狭い道を車とロバ車が行き交う下町と言った感じのところだ。道沿いに古めかしいモスクがぱらぱらとある。歩き方には「ブルー・モスク」は一見の価値ありと書かれているが、まったくその価値は無かった。だいたい、工事中で足場だらけだし、ブルーのタイルはほんの一部分に、今にも剥がれ落ちそうに残っているだけだし。まあ、復元工事が終われば綺麗になるのだろうけど、なんだかなぁという感じだ。(それでも入場料6EGPも取るところがすごい)
20分ほど歩くと、にぎやかなズワイラ門(Bab Zuweila)の前に着く。門を抜けて北へ行くとバザールがあるそうだが、みやげ物類には興味が無いのでやめておく。そのまま、西へ(イスラム美術館の方向へ)抜ける。
途中に、警察署があり、大量の「罪人」がバスに乗せられ引っ立てられていく光景に出くわす。警察署からバスまでの間に、一般大衆の人ごみが少し混じっており、死角だらけだ。脱走されたりしないのだろうか。

カイロのイスラム地区 (Islamic Cairo)
カイロは古代エジプトの都市ではなく、エジプトの支配権がビザンチン帝国(東ローマ)からイスラム帝国(正統カリフ時代)に移ったAD650頃の頃から発展してきた都市らしい。イスラム地区も、この頃からのものである。
見所は、北から順に、死者の町 (City of the Dead)、ハーン・ハリーリのバザール(Khan Al-Khalili bazar 現在では観光客相手が多い)、ズワイラ門 (Bab Zuweila)、スルタン・ハサン・モスク (Sultan Hassan Mosque)とリファイ・モスク (Ar-Rifai Mosque)、シタデル(Citadel)とその中にあるモハメド・アリ・モスク(Mohammed Ali Mosque / Alabaster Mosque) が有名。(1996年版のLonely Planet は一部ミスがあるので注意。)
【 A Tour of Islamic Cairo http://touregypt.net/cairo/cairoislamic.htm
  Khan el-Khalili http://touregypt.net/khan.htm
  Al-Azhar Mosque http://touregypt.net/azharmosque.htm
  Bab Zuweila (Bab Zuwayla)  http://touregypt.net/babzuwayla.htm
  Sultan Hassan Mosque http://touregypt.net/hassanmosque.htm
【 Map of Islamic Cairo http://touregypt.net/Map09.htm
シタデルは、12世紀から19世紀まで王朝の政治中枢部として機能した城砦地区を指す。小高い丘に、強固な城壁で囲まれた地区で、カイロ市内を一望することが出来る。イスラム地区の南に位置する。
【 Citadel http://www.touregypt.net/featurestories/citadel.htm
  Mohammed Ali Mosque http://www.touregypt.net/alabastermosque.htm
【 Map of Citadel http://touregypt.net/Map11.htm

イスラム美術館の前から、ムハンマド・アリ通りを北上し、アタバへ。ここは、地元民向けのスークだ。電気品(近頃は、高価な日本製より安価でそれなりの品質の韓国製が幅を利かせていたりする)や日用品から食料品まで何でも売っている。いろいろ見て回るが、安くは無いね。電気品などは、(同じグレードで比べれば)秋葉価格の方が安いとおもう。

ホテルの方に戻る。ホテルの北側が、自動車関連の部品店が集まった地区があり、その東側は食品関連の露天や、安い料理屋が集まった地区になっている。(この食料品の露天の集まったところに、超安宿の Sultan Hotel がある。入り口からして、入るのに気が引けるが。Lonely Planet にも日本人の溜まり場と注意書きがある。)
夕食は、ミートパイのようなものと、大根(?)や野菜の漬物(ピリッと辛いやつ)のようなものを食べる。3.5EGP。(ミネラルウォーターは持参しないと、水は共同コップなのでちょっと飲めないな。)


DECEMBER 27 CAIRO-EGYPT
GIZA - EGYPT (ギザ、エジプト)

7時30分、ホテルを出る。朝食を食べようと、その辺りの食堂を見るが、どこもやっていない。なんだか、エジプトに来て以来、まともに朝食は食べていない。今日も朝食抜きのようだ。
メトロのアタバ駅からギザ(Giza Suburban)行きの地下鉄に乗る。駆け込み乗車したため、何も知らずに1両目の車両に飛び乗る。なぜか女性ばかり。女性用車両に乗ってしまったようだ。まあ、外国人なので大目に見てくれたようだが。) 運転席の隔壁に、「KINKI SHARYO , TOSHIBA」のプレートが。どうりでモーター音が日本の少し旧型のインバーター車両と同じなわけだ。(そういえば、このトンネルの換気システムも日本製だったと聞いたことがある。)
20分ほどで、ギザ(Giza)駅に到着。新しい駅なので、とても綺麗だ。改札を出ると、すぐ下に国鉄のギザ駅が見える。すぐ前の道路 (Sharia Al Ahram) は別名ピラミッド・ロードと言うそうだ。カイロ方面行きはすごい渋滞だ。横断歩道など無いので、適当に車の間を縫って向こう側に渡る。こんなところに住んでいたら、いくつ命があっても足りないだろうね。
ちょうどそこがミニバスの乗り場。走ってきたミニバスに、ピラミッドに行くかどうか聞いて回る。3台目くらいのバスに乗り込む。0.5EGP。15分弱走って、ピラミッドの前に到着。8時15分。(道路がちょうど90度曲がっているところで降ろしてくれた。目印としては、水路を越えて10分ぐらいいったところの、公園のような木が生えているところで降りるといい。)
左前方には、クフのピラミッドが見えている。舗装された道路を登ってゆくと、バリケード。汚い小屋のチケット売り場がある。入場券 20EGP。そこから、舗装が無くなり、平らな岩場の道となる。ピラミッドと言うと、砂漠の中に建っているものと思っていたが、砂漠のような色をした巨大な岩山の上に建てられている。まあ、砂地の上には基礎工事をしないと建てられないから、当然のことだが。

巨大なピラミッドなので、なかなか距離感がつかめない。ミニバスを降りたところから近そうに見えたが、15分程度かかるのだから1kmくらいはあるだろうか。近づいてみると、高さ1m位の岩を積み重ねているのが分かる。1個の重さは約2.5tonだそうだ。その赤褐色の石積みは、頂上まで220段ほどあるらしい。近年では登頂は禁止されているので、昼間に登ることは出来ないが、早朝に警備兵の目を盗んでこそっと登る日本人があとを絶たないらしい。まあ、テロにより警戒態勢が格段に上がっている現在、そんなところに登って軽機関銃の的になるのはいやである。(カイロの日本人安宿 Sahara Hotel に登り方の詳細を示した情報があるそうなので、興味がある方は行かれてはどうだろう。)

ギザのピラミッド。クフ(右側)、カフラー(左側)
Pyramids of Giza

まず、周りを観察してから中に入ろうと思う。クフのピラミッドの東側に回りこむと、数多くのマスタバと呼ばれる古墳がある。クフの王妃も含め、家来どもがこれらのマスタバに埋められていたらしい。監視員の目を盗んで、ひとつのマスタバの上に登ってみる。マスタバの上には何箇所かの竪穴(ほぼ正方形に石組みがされている深さ3m程度)が開いており、落ちると這い上がってくるのは難しそうだ。竪穴の中には、当然何も入っていない(はるか昔に盗掘済みだそうだ)。しばらくすると監視員に見つかってしまう。まあ、ピラミッドに登ったわけではないので、お咎めはなしだが…
さて、ピラミッドの北面に戻る。5段目ほどのところに小さな穴があけられており、そこから中に入れるようだ。穴の入り口に番人がおり、入場券を買って来いという。クフのピラミッドの北東(全体の入場券とは別の小屋)で入場券を買って戻ってくると、カメラ券も買えと言う。(カメラを預けるようなところは無い) カメラ券も買って来る。『何度往復させるんだ!』 同じようなことを数多くの観光客がやらされていた。前に看板でも立てておくという最低限のサービスくらいしろよなと思う。(まあ、ツアー客しか客と考えていないので、そんなものは必要ないのか!)

メンカフラーのピラミッド(左)から、クフのピラミッド(右)
手前の小さいピラミッドは、王妃のピラミッド

さて、中に入ろうとする。が、5分待てと言う。フランス、スペイン、いろんなところからきた個人客が入り口の前に行列をなす。ピラミッドの入場口から「政府要人を乗せるような」黒い車が入ってきて、ピラミッドの傍らに停まる。中から人が降りてくる気配は無い。誰かが、あれは中国の外務大臣だと。そういえば唐家センがエジプト訪問中で、エジプトの国内テレビでは近頃トップニュースの外交事象だ。しかし、この外務大臣が降りて来そうに無いなら、何を待っているんだ。フランス人が「いつ聞いても5分と言って、もう20分経っているぞ」。番人は誰も入場させようとはしない。中から誰か出てきた。高級ブランドの服を着たエジプト人女性ガイドと日本人家族だ。よほど金を積んで、単独で入りたいと言ったのか…。周囲の各国から来た個人客のひんしゅくを集めたのは言うまでも無い。(金持ちの日本人の方へ… あなた方の行動で日本人全体が『反グローバリズム』のターゲットにされるかも。郷に居れば郷に従え@)
やっと中へ入れる。金属探知機&爆弾探知犬のチェックを受けて中へ。9世紀にアル・マムーン(Al Mamum)が盗掘に使ったと言う穴は、お世辞にもまっすぐ掘られているとは言いがたい。10m程度行くと、階段があり、本来の通路に出る。さらに狭くなった通路 (幅1.1m x 高1.2m、角度26度、延長39m)を頭をかがめて進んでゆく(肥満の人はここは通れないと思います)と、いきなり大きな空間に出る。大回廊(Grand Gallery , 高さ8.5m、角度26度、延長48m) だ。現在は木の階段がついているが、昔はつるつるの床だけだったらしい。最初に入った人は、さぞ登るのに苦労したことだろう(しくじれば、80m近く落下することになる…)。
裸電球で照らされた大回廊を登ってゆくと、王の玄室(The King's Chamber , 5.2m x 10.8m x 高さ5.8m)に出る。この部屋が(謎の)『ピラミッド・パワー』をもっとも強く受けられる場所のはずである。それも、地球最大の四角垂のその場所である。ずっとここで暮らせば、年を取らないとか… そんなこと不可能だろう。ミイラでもない限り。
しかしながら、玄室と言うのは、もっと綺麗な壁画『とか』があるはずと期待するのだが、ここは何の飾り気も無い石が積み重ねられているだけの四角い部屋。真中に置いてある棺は端がかけているし、何の模様も無いし。
美しさを期待していくようなところではないですね。ピラミッド・パワーを受けに行くところでしょうか(?)。

メンカフラーのピラミッドの基底部分に残った化粧石

外へ出る。カフラーのピラミッドのほうへ歩く。クフのピラミッドのすぐ裏手に、太陽の船(夜の船?)の復元したものを飾っている博物館がある。値段を取るようなので入らなかったが、横のガラス越しに外からでもその姿を拝むことが出来る。
9時15分頃、カフラー王のピラミッドの辺りまでやってくる。頂上付近は化粧石(limestone casing)がまだ残っている。よく崩れずに、というか盗難にあわずに残ったものである。あまり近づかないほうがよさそうだ、いつ崩れてくるか分からない。
さらに、南へ。メンカフラーのピラミッドを目指す。こちらはかなり小さいピラミッドだ。といっても、これが日本にあったら『ばかでかい』と言うしかないのだが、ここは3つを比較して「小さい」と言うことになっている(どのガイドブックでも)。このピラミッドの一番下の部分には、まだ化粧石が残っているところがある。近づいてみると、表面が風化してぼろぼろになってはいるが、これがピラミッド全体を覆っていたらさぞ綺麗だったろう。スフィンクス参道もかなり残っていて、小さい分だけ盗掘(破壊?)の度合いも小さかったのか。メンカフラーのピラミッドのすぐ南側には、王妃のピラミッド(Queens Pyramids) と呼ばれる小さなピラミッドが3つある。近づいてゆくと、その辺りに座っていたおっさんが、「登ってみないか?」と声をかけてくる。おそらく、高額のバクシーシを要求するのだろう。現金があまっているならともかく、あと1日ぎりぎりの滞在費用しかない中で、そんな金払えるはずが無い。

スフィンクスとカフラーのピラミッド
Sphinx and Khafre's Pyramid

さらに南へ。砂漠だ。特に何かあるわけではない。単にデジカメで写真をとりたかっただけだ。(広角レンズで無いので、ある程度距離を稼ぐ必要がある)
今まで、ピラミッドの東側を通ってきたが、帰りは西側を通ってゆく。クフのピラミッドの辺りには、観光バス用のアスファルトで舗装された道路がある。歩き方の地図によれば、「パノラマ・ポイントへ」の道と書いてある。ピラミッドを眺める場所まで、ご丁寧に(砂漠の真中にアスファルト参道を作って)導いてくれるとは、観光客を馬鹿にしてるのじゃないかな。
カフラーのピラミッドの横を回りこんで、東へ。スフィンクス参道を通って、ギザ大地を降りてゆく。すぐ下のほうには、巨大なスフィンクスがカイロのほうを向いて鎮座している。文献によれば、この巨大スフィンクスはカフラーのスフィンクス参道のものではなく、それ以前からここに存在していたらしい。では、何のためのスフィンクス? このスフィンクスは、正面から見ると『すこし間の抜けた』 なかなか面白い顔をしている。

スフィンクス参道のふもとのほうは、なぜかフェンスで囲まれている。ちょうど警官がいたので、どうやって外へ抜けるのか聞くと、フェンスの横をずっと行けばいいとのこと。まっすぐ行くと、何らかの遺跡が立ちはだかっている。フェンスと地面の間が50cm程度開いているところを発見し、中へ。さらに降りてゆくと、スフィンクス神殿(Sphinx Temple) の中に入ってしまう。無料で中に入ってしまったようだ。が、じっくり見学させてもらって、外へ。

すぐ目の前に、KFCを発見。が、営業は11時からと店員が教えてくれる。今はまだ9時50分。このまま、サッカラに行ってしまうこととする。

ギザのピラミッド (The Great Pyramids of Giza)
古代エジプト 古王朝 (Old Kingdom)時代に築かれたクフ、カフラー、メンカフラーのピラミッドなどを指す。ここにピラミッド・コンプレックスを作るプランを作ったのは、クフ (Khufu 在位 BC2551-BC2528)の家来のヘムオンと言う人物らしい。北から、クフのピラミッド (高さ146m、底辺230m、約2,500,000個の石で出来ており、約6,000,000tonと言われている)、カフラーのピラミッド(高さ136m、底辺214m、約5,000,000tonと言われている)、メンカフラーのピラミッド(高さ66m、底辺105m、約650,000tonと言われている)
吉村作治教授の本では、『王の墓』ではなく、『失業対策の公共事業』の空墓らしい。現在まで、エジプトのどのピラミッドからもミイラが見つかっていないのと、ナイル川氾濫期の労働力を生かしたかったと言う理由らしい。
古代エジプトでは『メル』と呼んでいたが、ギリシア人が四角垂を現す『ピラミッド』と名づけたらしい。古代エジプトでは、クフのピラミッド → 「日が昇り没する場所」、カフラーのピラミッド → 「偉大なるもの」、メンカフラーのピラミッド → 「あらゆる場所で最も美しいもの」という名前で呼ばれていた(ヒエログラフに表されていた)らしい。
【 Giza http://touregypt.net/cairo/cairowestbank.htm
  The Great Pyramid of Cheops (Khufu) http://touregypt.net/cheops.htm
  Pyramid of Chephren (Khephren)(Khafre) http://touregypt.net/chephren.htm
  Pyramid Complex of Menkaure' (Mycerinus) http://touregypt.net/menkaure.htm
  The Great Sphinx http://touregypt.net/sphinx.htm
【 Map of Giza http://touregypt.net/Map27.htm

 

SAQQARA - EGYPT (サッカラ、エジプト)

マンスーリヤ運河 (サッカラのピラミッドの入り口近く)
Mansouriyah Canal , Saqqara

東へ歩いてゆくと、すぐにごみで埋め尽くされた川(マンスーリヤ運河 Mansouriyah Canal)に差し掛かる。ミニバスが走ってきたので、停めて聞いてみる。「サッカラには行くか?」と。数台停めて聞いた結果は、どのミニバスも「No」である。傍らにいた老人が、「タクシー」がどうこうと言っているが、そういうのは無視する。別のエジプト人は、手振りでもっと向こうの大通りまで行けと、東のほうを指差す。
さらに20分ほど東に歩いて、もうひとつの川(マリオテーヤ運河 Mariotiya Canal)に出る。何台かミニバスを停めると、サッカラに行くのがあった。乗り込む。0.5EGP。ミニバスはマリオテーヤ運河に沿ってどんどん南下してゆく。右手(西)の台地には、ピラミッドらしきものがちらっと見えることがあったが、目指すサッカラはもっと遠いはずだ。
15分ほど行くと、村のほう(西)へ入ってゆく。マンスーリヤ運河の横で、乗り換えろと言う。ここはアブ・シール村(Abu Sir Village)というらしい。運河沿いに停まっているミニバスに乗り込もうとすると、白いアラブ風の服を着たおっさんが、ピラミッドはこっちだと言ってミニバスから降ろそうとする。ミニバスが発車してもおっさんは私の横で、タバコを振りかざしながら降りろとしつこく言ってくる。運転手にアラブ語でなにやら話しかかると、ミニバスは停まり私に降りろと言うではないか。ここはStep Pyramidの近くなのかと言うと、そうだと言う。どいつもこいつも、エジプト人はうそつきが多い。

サッカラの階段ピラミッド  Step Pyramid , Saqqara

これ以上騒ぎを大きくすると、何をされるか分からないので、おとなしく降りることとする。(0.25EGPは返してくれない)
運河沿いに南に歩いていくと、白い服のおっさんはまだ追いかけてきて、でかい声でこっちだとか何とか言っている。周りのエジプト人に対して、アラビア語で何やら言って、ぐるにしようとしている。私も負けじと、「あっちへ行け、このアラブ野郎! おれはアラビア人を信用してないんだ、付いてくるな!」と言う。しばらく言い合っていると、老人がその男を取り押さえた。助かった。こんなやつにずっと付きまとってこられたら、何されるかわかったものじゃない。
運河沿いにどんどん南へ行き、村を出て農村地帯に入る。道(運河)は、はるか向こうまで続いている。次のミニバスが通りかかるのを望みながら、ゆっくりと南へ向かう。20分ほどしたら、ミニバスがやってきた。乗る。10分ほど走り、私をピラミッド・コンプレックスの入り口の道路のところで降ろしてくれる。この運河沿いの交差点には、英語でSaqqara Pyramid と書かれているので間違いないだろう。

西へ向かう。5分ほどで、階段ピラミッド (Step Pyramid of Djoser) が木の間から見えてくる。結構小さく見えているので、まだまだ距離があるように見える。すぐに入場口が現れる。ゲートの前に金属探知機を持った番人がいて、まさか歩いて来る客がいるとは思わなかったのだろう。どこから来たのか聞くので、日本と答えると、えらく珍しがっていた。入場料20EGP払って中へ。いきなり、砂漠の丘である。道は北へ続いており、そこにある砂丘を回りこんでいる模様だ。私は、階段ピラミッドが見えている方向へ、砂漠の中を突き進んでゆく。

サッカラの階段ピラミッド  Step Pyramid , Saqqara

15分ほどで階段ピラミッドがあるピラミッド・コンプレックスの外側に出る。仮説トイレの横を横切り、数台停まっている観光バスの横も横切り、ピラミッドの南にある神殿に入る。またしても、バクシーシ狙いで勝手に解説するエジプト人登場。ただ、ここはある程度観光客がいるので、無視しているとどこかへ言ってしまう。神殿の南側の割れ目から、高台に出ると、すぐ前にウナス(Unas / Wenis 在位 BC2356-BC2323)の小さなピラミッド(ほとんど土の山)が見える。はるか砂漠の向こうには、ダシュールのピラミッド群(屈折ピラミッドや、真正ピラミッド)がはっきりと見える。神殿を出て、階段ピラミッドを見に行く。右手に修復しすぎた遺跡(コンクリート製?)がある。階段ピラミッドの崩壊程度と比べて、あまりにも不自然な修復の度合いだと、専門家は感じないのだろうか。

階段ピラミッドに近づくと、案外それが小さいことに気づく。クフのピラミッドなどを見た後では、余計に小さく感じる。積んである石も、煉瓦を少し大きくしたくらいの大きさで、登頂しようとは誰も思わないほど崩れかかっている。ピラミッドの東側を回りこんで、北面に出てみる。葬祭殿(Mortuary Temple)の跡らしき壁が崩れて残っている。その傍らには、House of North と呼ばれる建物が残っているが、中には何も無いようだ。
少し行ったところに、ほとんど崩れかかったウセルケフ(Userkaf / Userkef 在位 BC2465-BC2458)のピラミッドがある。ほとんど崩れている。
サッカラのピラミッドは、試行錯誤段階のもので、ほとんど崩れているものが多い。サッカラ → ダシュール → ギザ という歴史の流れで見ていけば、結構面白い訪問地である。

サッカラのピラミッド (Pyramids in Saqqara)
有名なのは階段ピラミッド (Step Pyramid of Djoser) で 古代エジプト 古王朝のジュセル (Djoser / Zoser 在位 BC2667-BC2648) が(家来のイムヘテプに命じて)古代エジプトではじめて建てたピラミッド。マスタバを6段積み重ねた形となっている。石材の加工・運搬技術が低かったため、煉瓦のような小さな石材で作られている。高さ60m、底辺140mx118m、約910,000ton。このピラミッドは4層のStep Pyramidの上にさらに積み上げられて作られているそうだ。(設計変更?)
ジュセルのピラミッドの南側には、ウナスのピラミッドがあり、その南にセケムケトの未完のピラミッドがある(2段目までしか出来ていない)。北側には、広大なマスタバ墳の墓場地帯が広がっており、4kmほど北にはアブ・シールのピラミッド群(サフラー、ニュセレ、ネフェリルカレの3つのピラミッドとゴラブの太陽神殿)がある。
【 Step Pyramid of Djoser http://touregypt.net/stepyram.htm
【Map of Saqqara http://touregypt.net/Map33.htm
Saqqara (Sakkara) http://touregypt.net/sakkara.htm

 

CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト)

ナセル駅近くの商店街の魚(燻製)屋
Near Nasser station,  smoked fish shop , Cairo

11時30分、サッカラのピラミッドを後にする。先ほどミニバスで降りたところ(マンスーリヤ運河)を通り過ぎ、さらに東へ。道沿いには、CARPET SCHOOL という謎の学校が立ち並んでいる。英語で書いてあり、時には日本語でも書いてある。「学校で作ったものだから安い」とかエジプト人の得意の『うそ』を言って、団体観光客にカーペットを買わせようとしているのか。コメントを書くのも疲れる。ただ、テロ以後観光客が減って、今もほとんどの「スクール」は閉店状態のようだ。このままこの状態が長く続けば、自然消滅するだろう。20分ほど歩くと、マリオテーヤ運河沿いの道路との交差点に出る。時折車が走ってくる。12時少し過ぎ、ミニバスを捕まえる。ギザまで1EGP。10分ほどで、来るとき通ったアブ・シール村への交差点を通過、さらに20分でギザの交差点(終点)に到着。ピラミッド・ロードを走るバス(なぜか大型!)に乗る。0.5EGP。カイロ方面は結構込んでいる。途中ガソリンスタンドで給油し、20分ほどでメトロのギザ駅の下に到着。13時、メトロに乗りタフリール広場(Midan Tahrir)に戻る。昼食はKFCのセットメニュー 15EGP。

ホテルに戻って昼寝。


DECEMBER 28 CAIRO-EGYPT
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト)
今日はオランダに戻る日だ。それも、超深夜の便で!

エジプト博物館 1F の展示室  Egyptian Museum , Cairo

朝食は、ホテルのすぐ北側にあるパン屋でパンを買い、横の店でコーラを買い、野菜屋でトマトを買って済ませる。(総額2.05EGP) ホテルの中にもカフェがあり、朝食を食べられるのだが、別料金 10EGP 取るので、私の経済状態では食べられない。
今日は60EGP以内で済ませないと、空港へ行くことが出来なくなる。(お土産に取っておいた、新札の10EGPと20EGP紙幣を使えばそれでいいのだが…)

9時30分チェックアウト。荷物を預かってくれと言うと、5EGPと言う。預けずに、持って出る。まずは、カイロ・エジプト博物館 (Egyptian Museum)へ。
メトロのナセル駅の前からラムセス通り(Sharia Ramses)を南西に向かう。こういう巨大道路を横断するときに、重い荷物を背負っていると結構危ない。信号が無いので、(車線ごとに)車が来なくなったのを見計らって渡るのだが、車線の間で立ち止まるときに、荷物の幅も考慮しないと車に引っ掛けられる可能性が無いとはいえない。空港バスの出ているアブデル・ミニム・リャド広場(Midan Abdel Minnim Riyadh)の横を通ってエジプト博物館前へ。案外小ぢんまりした建物だ。
ここは警備(?)も厳重で、金属探知機とX線スキャナーの2段階で不審物の『持ち込み』をチェックしていた。(が、出るほうは何もチェックしていないので、文物持ち出し放題?) 門の右側の小屋で、チケット 20EGPと写真用チケット10EGPを買う。バックパックは門の左側にある建物で預かってくれる。(バックパックのような大きいやつは、裏口へ回されるが…)

さて、建物の中に入る。またしても金属探知機とX線スキャナー。(出場はチェックなし) どうも、写真機をチェックしているようだ。これほどまでにしつこくカメラやビデオをチェックして、エキストラ料金を取ろうという国も珍しいのではないか。観光客とは、フィルム・カメラ、デジタル・カメラくらいは持ってきているのが(近頃では)普通だろう? そのチェックのために金属探知機を置いて、人を雇っているのなら、それをリストラしてカメラ料金を入場料金に含めるのが、まともな国の考え方なんじゃないか?

ツタンカーメンのデスマスク 、 エジプト博物館 2F
Death Mask of Tutankhamun , Egyptian Museum , Cairo

入り口を入ると、薄暗い館内に遺跡から引き剥がしてきた石像や棺、その他の石の製品がどさっと並べられている。ルーブル美術館(パリ、入場料20-40FF)や大英博物館(ロンドン、入場料無料)のエジプト文明展示場でも、もう少し整理してあるぞ。高い金取るのなら、もう少し整理したらと言いたくなるが、ここの人々には無理なんだろな。(少なくとも、英語の解説文の紙くらい…)
ピラミッドの頂上を引き剥がしてきて、展示してあるのには驚く。(おそらく、墓泥棒から奪い返したのだろうが…。それとも、墓泥棒から買い取ったのか?)

結局この博物館には見所があまりにも多くて、10時〜12時40分まで居た。まず気づいたのは、団体さんの観光客は、見て回るコースが決まっているようだ。入り口を入って、1Fを左へ。カフラー王の像やラーヘテプの像を見て、突き当たりの階段を上へ(階段の右側にハトシェプストのスフィンクス)。階段を上がったら左へ。ツタンカーメンの墓から出てきた金色の棺やデスマスクを見て、そのまま直進、右へ。ツタンカーメンの椅子とかを見て突き当たりの階段を1Fに降りる。というコースのようだ。当然、このコースにあたるところは、団体客が来ると混んでいる。しかしながら、団体を扱っているツアーコンダクターも、よくマンネリ化したコースばかりでやっているなあと思う。(違う回り方や、違うものを見せたりするのもいいのじゃない? やはりマス・ツーリズムの関係者は(エジプト人もそうだが)向上心が無いのだろうね。)

私が思うに、ここの見所は、@ ツタンカーメンのデスマスクと黄金の棺の部屋とその周辺。 A1F中央のピラミッドの上から引き剥がしてきたピラミッド・キャップなど。B2Fの西側展示室にある死者の書のパピルス。C2F西側通路の大量のミイラと『しょぼい』木製の棺に王とそれ以外のものの違いを見る。D2F南西角辺りの動物のミイラ(動物類も神と崇められた)。E2Fの西側・東側の展示室のちゃちな副葬品の数々(素人が作った木の人形のような感じ。笑ってやってください)。F最大のイベントは、群れて歩く団体ツアー客の行動の観察(これは面白い!)。

有名だとガイドブックに書かれていて、最もくだらないと思ったものは、1Fの西側展示室の「ラーヘテプとネフェルトの坐像」。これは、塗りなおしてますね。としか言いようが無い。

アタバのバザール  Bazar at Ataba district  , Cairo

見所では無いが、1Fの中央にある展示室の周りの部屋(入っていいのかどうか知りませんが、開いていたりするので勝手に入って見せてもらいました)というか、倉庫と思われるところ。発掘された遺物が乱雑に並べられている。照明はついていないので、薄暗い。こういうところで遺物を眺めていると、自分が考古学者になったような気がしてきますね。不思議な空間です。まだ、木箱に納められ開封されていないようなものや、石版が納められて半分開けてある箱とか。NHK+TOEIとかかれている未開封の木箱もありました。1999年にNHKスペシャルでやっていた「世界4大文明」で使ったのかな。(上野や代々木の美術館でも展示してましたよね) 1990年ごろの映画で、「インディージョーンズ(1930年ごろの中近東らしきところを舞台に、人類史上重要な遺跡発掘をめぐる、正義の考古学者(ハリソンフォード主演)のアクションムービー)」を思い出しますよね。そういえば、ヒエログリフとかすらすら読んでたし。うらやましい。

12時30過ぎ、美術館を出て、タフリール広場のKFCで昼食。昼食後、美術館で荷物をピックアップし、歩いてアタバのスークへ向かう。スークで時間をつぶし、夕食を食べ、アブデル・ミニム・リャド広場(Midan Abdel Minnim Riyadh)へ。ここから空港へ向かうバスに乗り込む。空港へ行くバスは357系統のエアコン付きの大きなバスである。(アラビア語で マタール 357 ミダン・アブデル・ミニム・リャド と書かれているバス。)アラビア語の分からない人は、高架道路(6th October OverBridge) の2本の高架の間にバスターミナルがあるのだが、その北側の高架に沿って、西(ナイル川のほう)へ向かい、一番先頭に停まっているバスが空港行きだ。始発なので必ず停まっているはず。空港まで2EGP。大きな荷物を持っていると+0.5EGP。

バスは、数人の客を乗せて17時30分出発。ラムセス通り(Sharia Ramses) を北東へ。メトロのナセル駅の前で客を拾い、国鉄ラムセス駅前のラムセス広場(Midan Ramses)を通って、東へ。この経路上の『急行バスの停まる』停留所では客を拾ってくれるので、途中で待つのも手かもしれない(行き先表示を瞬時に読む力は必要)。ひたすら続くカイロの郊外の町を走り、(どこが境目か分からないが…)ヘリオポリスの街に入る。トラムが走っており、欧州風の『ビル』が立ち並ぶ街は、エジプトとは思えないところだ。この街をあっち行ったりこっち行ったりして客を降ろし、ヘリオポリスを抜ける。高架道路に入ったとたん、空港の第2ターミナルに到着。18時20分。ここまで乗ってきた客は数人。

カイロ市内の夜のカフェ Cafe in Cairo at night

ターミナルに入ると、目の前に出発案内板がある。30便くらいしか表示スペースが無いのだが、すでに明日の午前の便まで表示できるほど、『就航便数』が少ない。夕方は、中近東方面への数便だけで、欧州方面への便は午前1時から5時の間に集中している。

ナトリウム灯(まるで街灯…)で照らされたターミナルのベンチに座って、チェックインの始まるのをひたすら待つ。 ターミナルに並んでいるベンチには、ほとんど人が座っていない。まあ、この時間から午前2時過ぎまで待つ『暇人』もいないだろう。出発ターミナルと到着ターミナルの間の地下に、カフェテリアがある。紅茶は4.5EGP、ミネラルウォーターは2.25EGPである。暇つぶしにどうぞ(謎?)。
カイロに到着したばかりだと言う、日本人の若い女性がこちらにやって来て、カイロの安宿の位置(日本人宿の位置?)を聞いたかと思うと、歩き方をくれと言う。ガイドブックは高くて買わなかったそうだ。ガイドブックも買えないなら、どうして航空券を買えたのか不思議である。エジプト人とぐるの詐欺師なのか、あるいは単なる馬鹿者なのかは知らないが、金をもっていそうな雰囲気の日本人にどうして施しをしなければならないのか。不思議な人物であった。
ちょうどパリから来た「アメリカの某社(世界的な巨大エレクトロニクス企業)」のマネジャー(彼も18時頃からAFの便を待っていた)と話したが、AF(Air France)も中近東便は警戒態勢が上がっているようで、機内で5人以上同時に立ち上がらないように注意があったそうだ。AFも午前2時ごろ発なので、BA(British Air)の午前7時の便の方が楽だと言っていた。


DECEMBER 28 CAIRO-EGYPT
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト)

KL便については、午前1時、やっとチェックインカウンターに行っていいと、ゲートが開く。数十人程度が行列をなす。ここで、『ひんしゅく日本人』がまたまた登場。この旅行で見た日本人は、これで4回目だろうか。いきなり列の先頭に割り込んで、X線スキャナーのテーブルに彼らの荷物を置く。ツアコンと思われるおっさんが、その日本人グループに、「賄賂を50EGP程度渡して、すっと通してもらえますから〜」と謎な事を言っている。非常識と言うか、なんと言うか。で、私がその一部始終を英語に通訳して、周りのエジプト人に伝えると、『怒っていたぞ!』。

KLのチェックインカウンターは、開いていなかった。というか、コンピューターが暴走したらしく、直し方も知らないようだ。職員がその辺で世間話をする始末。大量に並んだ人が「いったいいつになったらチェックインさせてくれるんだ!」と思っていたことだろう。1時50分頃、やっとチェックイン開始。欧州からクリスマス休暇で来ている人が多いせいか、巨大な荷物(スーツケース)を持った人が多い。年寄りなんかは、自分で持ち上げられないほどの荷物(50kgとか出ていたよな)を職員に運んでもらってチェックインしている。『自分で運べないくらいの荷物を持ってくるな!』と言いたい。
出発ターミナルに入る。団体の観光客が喜びそうな免税店が並んでいる。入国の方に並んでいる免税店とは、方向性の違う品揃えなのが面白い。エジプト人は日用品を免税で買い、外国人は化粧品やアクセサリーや高級な食品をみやげ物に買う。日本の空港も、帰国の所に免税店を置いたら儲かるだろうに(関空は民間企業でがんばりますと口だけ入っているが、こういった経営努力が足りないねぇ)。

ベンチでうとうとしていると、搭乗時刻となる。KL554便(NWAとのコードシェア)は、定刻どおり3時55分頃出発。AMS->CAIはアドリア海〜ペロポネソス半島縦断のコースをたどったが、CAI->AMSはアナトリア(トルコ)縦断、黒海〜ルーマニア、ハンガリーのコースだった。アルプス(ユリアン・アルプス)を越えたあたりから雲が広がりだし、地上の景色が見えなくなる。