DECEMBER 26 | CAIRO-EGYPT |
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト) |
列車を降りて、改札口を探すが、無い。というか、ローカル列車のホームに着いたらしく、警官に教えてもらった改札口は、駅の裏口のようなところだった。降り立ったところは、Midan Ahmed Hilmi (アーメッド・ヒルミ広場)という雑居ビルの立ち並ぶところで、メトロの駅に行くまでやけに迷う。 メトロ(地下鉄)に乗る。駅はフランスの技術援助で出来たのが一目で分かる。(とくに、地下への入り口の小さな扉の並んだところなど…)
アタバ(Ataba)駅まで0.5EGPの切符を買い、ホームへ。ここは英語表示(フランス語表示ではない)がなされている。列車は、どこかで聞いたことのあるインバーター音を出して走っている。(詳細は、12月26日の旅日記参照) 荷物を置いて、外へ。Sharia Talaat Harb (タラート・ハブ通り)にマクドナルドを発見して、入る。セットメニューで10.25EGP。(紅茶を止めて、コカコーラだったら 8.49EGP+税5%。ルクソールの価格は30%以上高い観光地価格だったようだ。) |
メトロのアタバ駅を通り越し、エズベキヤ公園 (Ezbekiya
Garden)の向こう側にあるアタバ広場 (Median Ataba)
へ。ここに市内バスターミナルがある。アタバ駅の西側は西欧と同じようなショッピング街だが、アタバ駅の東側はイスラム風(?)のスークだ。
ごちゃごちゃとした人ごみの中を、バスがゆっくり縫うように走っている。道と商店街の区別が無いのか? |
入り口らしき坂道に着く。巨大な駐車場があり、何台か観光バスが停まっている。エジプト人の子供が、(遠足だろう?)大量に来ていたりする。 |
すぐ横にあるアン・ナシール・モスク (An-Nasir
Mohammed Mosque , AD1355竣工)にも入る。こちらのほうは普通のモスクだ。軍事博物館があったので入ってみるが、近代エジプトの独立を守るための戦争をたたえるための博物館で、如何に劣勢の兵器でがんばったかが分かる、涙ぐましい博物館だ。(対空ミサイルSA-2
のブリキのおもちゃが『わが国の誇る防空兵器』として飾られているのはほほえましい。日本もこういう博物館を作ったらどうかな?
PAC-2 の本物を飾って…
どちらにしても、最新じゃあないよね。) ぶらっと歩いて、先ほど来た道を戻り、スルタン・ハサン・モスクの前まで来る。少しだけ東に行き、北へ。狭い道を車とロバ車が行き交う下町と言った感じのところだ。道沿いに古めかしいモスクがぱらぱらとある。歩き方には「ブルー・モスク」は一見の価値ありと書かれているが、まったくその価値は無かった。だいたい、工事中で足場だらけだし、ブルーのタイルはほんの一部分に、今にも剥がれ落ちそうに残っているだけだし。まあ、復元工事が終われば綺麗になるのだろうけど、なんだかなぁという感じだ。(それでも入場料6EGPも取るところがすごい)
イスラム美術館の前から、ムハンマド・アリ通りを北上し、アタバへ。ここは、地元民向けのスークだ。電気品(近頃は、高価な日本製より安価でそれなりの品質の韓国製が幅を利かせていたりする)や日用品から食料品まで何でも売っている。いろいろ見て回るが、安くは無いね。電気品などは、(同じグレードで比べれば)秋葉価格の方が安いとおもう。 ホテルの方に戻る。ホテルの北側が、自動車関連の部品店が集まった地区があり、その東側は食品関連の露天や、安い料理屋が集まった地区になっている。(この食料品の露天の集まったところに、超安宿の
Sultan Hotel
がある。入り口からして、入るのに気が引けるが。Lonely
Planet にも日本人の溜まり場と注意書きがある。) |
DECEMBER 27 | CAIRO-EGYPT |
GIZA - EGYPT (ギザ、エジプト) |
メトロのアタバ駅からギザ(Giza Suburban)行きの地下鉄に乗る。駆け込み乗車したため、何も知らずに1両目の車両に飛び乗る。なぜか女性ばかり。女性用車両に乗ってしまったようだ。まあ、外国人なので大目に見てくれたようだが。) 運転席の隔壁に、「KINKI SHARYO , TOSHIBA」のプレートが。どうりでモーター音が日本の少し旧型のインバーター車両と同じなわけだ。(そういえば、このトンネルの換気システムも日本製だったと聞いたことがある。) 20分ほどで、ギザ(Giza)駅に到着。新しい駅なので、とても綺麗だ。改札を出ると、すぐ下に国鉄のギザ駅が見える。すぐ前の道路 (Sharia Al Ahram) は別名ピラミッド・ロードと言うそうだ。カイロ方面行きはすごい渋滞だ。横断歩道など無いので、適当に車の間を縫って向こう側に渡る。こんなところに住んでいたら、いくつ命があっても足りないだろうね。 ちょうどそこがミニバスの乗り場。走ってきたミニバスに、ピラミッドに行くかどうか聞いて回る。3台目くらいのバスに乗り込む。0.5EGP。15分弱走って、ピラミッドの前に到着。8時15分。(道路がちょうど90度曲がっているところで降ろしてくれた。目印としては、水路を越えて10分ぐらいいったところの、公園のような木が生えているところで降りるといい。) 左前方には、クフのピラミッドが見えている。舗装された道路を登ってゆくと、バリケード。汚い小屋のチケット売り場がある。入場券 20EGP。そこから、舗装が無くなり、平らな岩場の道となる。ピラミッドと言うと、砂漠の中に建っているものと思っていたが、砂漠のような色をした巨大な岩山の上に建てられている。まあ、砂地の上には基礎工事をしないと建てられないから、当然のことだが。 巨大なピラミッドなので、なかなか距離感がつかめない。ミニバスを降りたところから近そうに見えたが、15分程度かかるのだから1kmくらいはあるだろうか。近づいてみると、高さ1m位の岩を積み重ねているのが分かる。1個の重さは約2.5tonだそうだ。その赤褐色の石積みは、頂上まで220段ほどあるらしい。近年では登頂は禁止されているので、昼間に登ることは出来ないが、早朝に警備兵の目を盗んでこそっと登る日本人があとを絶たないらしい。まあ、テロにより警戒態勢が格段に上がっている現在、そんなところに登って軽機関銃の的になるのはいやである。(カイロの日本人安宿
Sahara Hotel
に登り方の詳細を示した情報があるそうなので、興味がある方は行かれてはどうだろう。)
まず、周りを観察してから中に入ろうと思う。クフのピラミッドの東側に回りこむと、数多くのマスタバと呼ばれる古墳がある。クフの王妃も含め、家来どもがこれらのマスタバに埋められていたらしい。監視員の目を盗んで、ひとつのマスタバの上に登ってみる。マスタバの上には何箇所かの竪穴(ほぼ正方形に石組みがされている深さ3m程度)が開いており、落ちると這い上がってくるのは難しそうだ。竪穴の中には、当然何も入っていない(はるか昔に盗掘済みだそうだ)。しばらくすると監視員に見つかってしまう。まあ、ピラミッドに登ったわけではないので、お咎めはなしだが… |
さて、中に入ろうとする。が、5分待てと言う。フランス、スペイン、いろんなところからきた個人客が入り口の前に行列をなす。ピラミッドの入場口から「政府要人を乗せるような」黒い車が入ってきて、ピラミッドの傍らに停まる。中から人が降りてくる気配は無い。誰かが、あれは中国の外務大臣だと。そういえば唐家センがエジプト訪問中で、エジプトの国内テレビでは近頃トップニュースの外交事象だ。しかし、この外務大臣が降りて来そうに無いなら、何を待っているんだ。フランス人が「いつ聞いても5分と言って、もう20分経っているぞ」。番人は誰も入場させようとはしない。中から誰か出てきた。高級ブランドの服を着たエジプト人女性ガイドと日本人家族だ。よほど金を積んで、単独で入りたいと言ったのか…。周囲の各国から来た個人客のひんしゅくを集めたのは言うまでも無い。(金持ちの日本人の方へ…
あなた方の行動で日本人全体が『反グローバリズム』のターゲットにされるかも。郷に居れば郷に従え@) |
外へ出る。カフラーのピラミッドのほうへ歩く。クフのピラミッドのすぐ裏手に、太陽の船(夜の船?)の復元したものを飾っている博物館がある。値段を取るようなので入らなかったが、横のガラス越しに外からでもその姿を拝むことが出来る。 |
さらに南へ。砂漠だ。特に何かあるわけではない。単にデジカメで写真をとりたかっただけだ。(広角レンズで無いので、ある程度距離を稼ぐ必要がある) スフィンクス参道のふもとのほうは、なぜかフェンスで囲まれている。ちょうど警官がいたので、どうやって外へ抜けるのか聞くと、フェンスの横をずっと行けばいいとのこと。まっすぐ行くと、何らかの遺跡が立ちはだかっている。フェンスと地面の間が50cm程度開いているところを発見し、中へ。さらに降りてゆくと、スフィンクス神殿(Sphinx Temple) の中に入ってしまう。無料で中に入ってしまったようだ。が、じっくり見学させてもらって、外へ。 すぐ目の前に、KFCを発見。が、営業は11時からと店員が教えてくれる。今はまだ9時50分。このまま、サッカラに行ってしまうこととする。
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SAQQARA - EGYPT (サッカラ、エジプト) |
東へ歩いてゆくと、すぐにごみで埋め尽くされた川(マンスーリヤ運河
Mansouriyah Canal)に差し掛かる。ミニバスが走ってきたので、停めて聞いてみる。「サッカラには行くか?」と。数台停めて聞いた結果は、どのミニバスも「No」である。傍らにいた老人が、「タクシー」がどうこうと言っているが、そういうのは無視する。別のエジプト人は、手振りでもっと向こうの大通りまで行けと、東のほうを指差す。 |
これ以上騒ぎを大きくすると、何をされるか分からないので、おとなしく降りることとする。(0.25EGPは返してくれない) 西へ向かう。5分ほどで、階段ピラミッド (Step Pyramid of Djoser) が木の間から見えてくる。結構小さく見えているので、まだまだ距離があるように見える。すぐに入場口が現れる。ゲートの前に金属探知機を持った番人がいて、まさか歩いて来る客がいるとは思わなかったのだろう。どこから来たのか聞くので、日本と答えると、えらく珍しがっていた。入場料20EGP払って中へ。いきなり、砂漠の丘である。道は北へ続いており、そこにある砂丘を回りこんでいる模様だ。私は、階段ピラミッドが見えている方向へ、砂漠の中を突き進んでゆく。 |
階段ピラミッドに近づくと、案外それが小さいことに気づく。クフのピラミッドなどを見た後では、余計に小さく感じる。積んである石も、煉瓦を少し大きくしたくらいの大きさで、登頂しようとは誰も思わないほど崩れかかっている。ピラミッドの東側を回りこんで、北面に出てみる。葬祭殿(Mortuary
Temple)の跡らしき壁が崩れて残っている。その傍らには、House
of North
と呼ばれる建物が残っているが、中には何も無いようだ。 |
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CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト) |
ホテルに戻って昼寝。 |
DECEMBER 28 | CAIRO-EGYPT |
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト) |
今日はオランダに戻る日だ。それも、超深夜の便で!
朝食は、ホテルのすぐ北側にあるパン屋でパンを買い、横の店でコーラを買い、野菜屋でトマトを買って済ませる。(総額2.05EGP)
ホテルの中にもカフェがあり、朝食を食べられるのだが、別料金
10EGP 取るので、私の経済状態では食べられない。 9時30分チェックアウト。荷物を預かってくれと言うと、5EGPと言う。預けずに、持って出る。まずは、カイロ・エジプト博物館
(Egyptian Museum)へ。 さて、建物の中に入る。またしても金属探知機とX線スキャナー。(出場はチェックなし) どうも、写真機をチェックしているようだ。これほどまでにしつこくカメラやビデオをチェックして、エキストラ料金を取ろうという国も珍しいのではないか。観光客とは、フィルム・カメラ、デジタル・カメラくらいは持ってきているのが(近頃では)普通だろう? そのチェックのために金属探知機を置いて、人を雇っているのなら、それをリストラしてカメラ料金を入場料金に含めるのが、まともな国の考え方なんじゃないか? |
ピラミッドの頂上を引き剥がしてきて、展示してあるのには驚く。(おそらく、墓泥棒から奪い返したのだろうが…。それとも、墓泥棒から買い取ったのか?) 結局この博物館には見所があまりにも多くて、10時〜12時40分まで居た。まず気づいたのは、団体さんの観光客は、見て回るコースが決まっているようだ。入り口を入って、1Fを左へ。カフラー王の像やラーヘテプの像を見て、突き当たりの階段を上へ(階段の右側にハトシェプストのスフィンクス)。階段を上がったら左へ。ツタンカーメンの墓から出てきた金色の棺やデスマスクを見て、そのまま直進、右へ。ツタンカーメンの椅子とかを見て突き当たりの階段を1Fに降りる。というコースのようだ。当然、このコースにあたるところは、団体客が来ると混んでいる。しかしながら、団体を扱っているツアーコンダクターも、よくマンネリ化したコースばかりでやっているなあと思う。(違う回り方や、違うものを見せたりするのもいいのじゃない? やはりマス・ツーリズムの関係者は(エジプト人もそうだが)向上心が無いのだろうね。) 私が思うに、ここの見所は、@ ツタンカーメンのデスマスクと黄金の棺の部屋とその周辺。 A1F中央のピラミッドの上から引き剥がしてきたピラミッド・キャップなど。B2Fの西側展示室にある死者の書のパピルス。C2F西側通路の大量のミイラと『しょぼい』木製の棺に王とそれ以外のものの違いを見る。D2F南西角辺りの動物のミイラ(動物類も神と崇められた)。E2Fの西側・東側の展示室のちゃちな副葬品の数々(素人が作った木の人形のような感じ。笑ってやってください)。F最大のイベントは、群れて歩く団体ツアー客の行動の観察(これは面白い!)。 有名だとガイドブックに書かれていて、最もくだらないと思ったものは、1Fの西側展示室の「ラーヘテプとネフェルトの坐像」。これは、塗りなおしてますね。としか言いようが無い。 |
12時30過ぎ、美術館を出て、タフリール広場のKFCで昼食。昼食後、美術館で荷物をピックアップし、歩いてアタバのスークへ向かう。スークで時間をつぶし、夕食を食べ、アブデル・ミニム・リャド広場(Midan Abdel Minnim Riyadh)へ。ここから空港へ向かうバスに乗り込む。空港へ行くバスは357系統のエアコン付きの大きなバスである。(アラビア語で マタール 357 ミダン・アブデル・ミニム・リャド と書かれているバス。)アラビア語の分からない人は、高架道路(6th October OverBridge) の2本の高架の間にバスターミナルがあるのだが、その北側の高架に沿って、西(ナイル川のほう)へ向かい、一番先頭に停まっているバスが空港行きだ。始発なので必ず停まっているはず。空港まで2EGP。大きな荷物を持っていると+0.5EGP。 バスは、数人の客を乗せて17時30分出発。ラムセス通り(Sharia Ramses) を北東へ。メトロのナセル駅の前で客を拾い、国鉄ラムセス駅前のラムセス広場(Midan Ramses)を通って、東へ。この経路上の『急行バスの停まる』停留所では客を拾ってくれるので、途中で待つのも手かもしれない(行き先表示を瞬時に読む力は必要)。ひたすら続くカイロの郊外の町を走り、(どこが境目か分からないが…)ヘリオポリスの街に入る。トラムが走っており、欧州風の『ビル』が立ち並ぶ街は、エジプトとは思えないところだ。この街をあっち行ったりこっち行ったりして客を降ろし、ヘリオポリスを抜ける。高架道路に入ったとたん、空港の第2ターミナルに到着。18時20分。ここまで乗ってきた客は数人。 |
ナトリウム灯(まるで街灯…)で照らされたターミナルのベンチに座って、チェックインの始まるのをひたすら待つ。
ターミナルに並んでいるベンチには、ほとんど人が座っていない。まあ、この時間から午前2時過ぎまで待つ『暇人』もいないだろう。出発ターミナルと到着ターミナルの間の地下に、カフェテリアがある。紅茶は4.5EGP、ミネラルウォーターは2.25EGPである。暇つぶしにどうぞ(謎?)。 |
DECEMBER 28 | CAIRO-EGYPT |
CAIRO - EGYPT (カイロ、エジプト) |
KL便については、午前1時、やっとチェックインカウンターに行っていいと、ゲートが開く。数十人程度が行列をなす。ここで、『ひんしゅく日本人』がまたまた登場。この旅行で見た日本人は、これで4回目だろうか。いきなり列の先頭に割り込んで、X線スキャナーのテーブルに彼らの荷物を置く。ツアコンと思われるおっさんが、その日本人グループに、「賄賂を50EGP程度渡して、すっと通してもらえますから〜」と謎な事を言っている。非常識と言うか、なんと言うか。で、私がその一部始終を英語に通訳して、周りのエジプト人に伝えると、『怒っていたぞ!』。 KLのチェックインカウンターは、開いていなかった。というか、コンピューターが暴走したらしく、直し方も知らないようだ。職員がその辺で世間話をする始末。大量に並んだ人が「いったいいつになったらチェックインさせてくれるんだ!」と思っていたことだろう。1時50分頃、やっとチェックイン開始。欧州からクリスマス休暇で来ている人が多いせいか、巨大な荷物(スーツケース)を持った人が多い。年寄りなんかは、自分で持ち上げられないほどの荷物(50kgとか出ていたよな)を職員に運んでもらってチェックインしている。『自分で運べないくらいの荷物を持ってくるな!』と言いたい。 ベンチでうとうとしていると、搭乗時刻となる。KL554便(NWAとのコードシェア)は、定刻どおり3時55分頃出発。AMS->CAIはアドリア海〜ペロポネソス半島縦断のコースをたどったが、CAI->AMSはアナトリア(トルコ)縦断、黒海〜ルーマニア、ハンガリーのコースだった。アルプス(ユリアン・アルプス)を越えたあたりから雲が広がりだし、地上の景色が見えなくなる。 |