エーゲ海からバルカン半島旅日記 :
ブラショフ、シギショアラ、シナイア
September 29, 2003 (Monday)
Braşov - Romania (ブラショフ - ルーマニア)
7時起床。窓から外を見ると、周囲の建物のトタン吹きの屋根に朝露がべったりと降りている。旧市街南東にあるトゥンパ山に遮られて、まだ太陽は見えない。ホテルの受付でもう一泊分の料金を支払い、共和国通りのマクドナルドに朝食に出かける。チキン・サンド、フレンチフライM、紅茶で96,000レイ(313円)。マクドナルドの横にある国鉄予約センターに8時の開店と同時に入って、明後日のブダペスト行きの寝台車の切符を買う。クシェットが約1,500,000レイ(4900円)、2等寝台が約1,900,000レイ(6200円)ということなので、安いほうにする。
Livada Postei(08:30頃発)→ Gara BrașovTaxi 運賃 27,000レイ(88円)
中央公園付近でブラショフ駅行きのバス停を探したが、見つからない。公園の西側にタクシーが何台か停まっていたので、タクシーで駅に向かう。タクシーはバスと同じルートを走り、およそ10分で駅に到着。運賃は27,000レイ(88円)と激安だ。シギショアラ行きの列車が出るまで、あと20分程度。切符売り場で快速の2等車の切符を購入。175,000レイ(571円)で、切符は懐かしの硬券だ。まだこういう切符使ってる国あったんですね…。
コンコースの到着案内表示を見ると、『Tren RAPID, Nr 374, de la Bucuresti N, ora 8:56 int 30min』と出ているが、その列車の出発表示は定刻通りと食い違っている。中の人も大変だな…。
到着案内板の前に、バックパックを背負った日本人らしき男性が居る。話し掛けてみると、やはり日本人で、これからシギショアラまで行き1泊して、明日クルジュ・ナポカへ行くそうだ。「列車は30分遅れだそうですよ」などと世間話をしているうちに列車が到着。切符の裏面に指定された435号車に乗り込み、21番の席を探す。昨日ブカレストから乗った1等車に比べて、若干グレードが落ちたくらいだ。ブダペストまで行く国際列車だからマシな車両を使っているのかな…? 9時40分、定刻より40分程度遅れてブラショフ駅を出発。同じコンパートメントには、ハムとパンで昼食を食べているおっちゃんが乗っている。列車はなだらかな丘陵地の中を走ってゆく。途中どこかの駅に停まるのかと思っていたが、1駅も停車せずにシギショアラまでやって来た。2時間ノンストップで『快速列車』とは恐れ入る。もっとも、途中に町を一つも見かけなかったのだが。
Brașov(09:40発)→ Sighișoara(11:25着)Train R374 2等車運賃 175,000レイ(570円)
Sighișoara - Romania (シギショアラ - ルーマニア)
列車は全然遅れを取り戻すこと無く、40分ほど遅れてシギショアラ駅に到着した。プラットホームに降り立つ。列車の窓越しに別れを惜しむ家族の姿がある。国債列車だからな…。
小さな駅舎に入り、帰りの列車の時刻を確認する。13時31分と15時51分… に列車がある。たぶん、また遅れるんだろう。
駅舎を出ると、単なる住宅街のようなところだ。バス停すら無い…。もちろん、観光客向けの地図など掲示されているわけもなく、パソコンで出力した地図1枚を頼りに旧市街を目指す。
高台にある駅舎を出て、住宅街の中のなだらかな坂道を下ってゆくとタルナヴァ川沿いに出る。真っ白な壁に黒いドームが乗っかっている三位一体教会が建っている。向こう岸に旧市街の丘が見えてくる。川原の草地では山羊が草を食んでいる。
川を越えて新市街に入ると、とたんに賑やかになり、たくさんの車が走り沿道には商店が建ち並んでいる。この町の人は通勤通学に鉄道は使わず、観光客も鉄道で来る人は稀だから、駅のある側の町並みが寂れているのだろう。大通りを500mほど南に行くと、新市街の中心らしき広場に出る。ヘルマン・オーベルト広場という名前で、なぜかドイツ人のV2ロケット開発技術者の名前が付けられている。第二次大戦時にルーマニアは枢軸国だったので、V2ロケットの開発者は今でも英雄だということなのだろう。
旧市街に続く石畳の坂道を登っていくと、旧市街の門と一体化した巨大な時計塔がみえてくる。16世紀に建てられた高さ64mの塔で、内部は歴史博物館になっているそうだ。当時、この町は欧州東端の重要な軍事拠点であり、商業都市だったらしい。その歴史を展示した時計塔の博物館は、残念ながら月曜日が定休日で閉館している。
時計塔の下の門をくぐり旧市街に入ると、目の前に『ドラキュラ公の家』と大きな看板を出したレストラン。おとぎ話のドラキュラとは違うのに、うまい具合に便乗商売するものだ。ドラキュラ・レストランの数軒向こうが旧市街中心の、Cetatii広場となっている。城門から街の中心まで、たったの100mほどの小さな町だ。この規模で、中世に辺境の重要拠点だったというのだ。
旧市街の北端まで歩いてゆくと、カトリック教会があり、靴職人の塔と呼ばれる城門がある。東方正教会の地にあって、カトリック信者って居るんですかね…。城壁に沿って南へ行くと、今度は服職人の塔と呼ばれる城門。中世に旧市街内にあった職人ギルドの居住地区の名前をつけてるんでしょうね。旧市街の南半分は小高い丘に木が生い茂っていて、最も高い位置に丘の上の教会がある。その教会に続く屋根付き階段を登って行くと、教会と付属学校がある。階段の出口付近の林の中には、『Den Loten Beloen』と書かれた石碑が立っていて過去の戦死者を追悼しているようだ。入場料10,000レイ(32円)を払って教会に入る。14世紀に建てられた教会の内部は特に見るべきものもなく、身廊と側廊がある普通のカトリックの教会と言う感じだった。
旧市街中心付近まで戻り、Burg Hostelの中庭にあるレストランに入る。ポーク・ステーキとチョルバ(具だくさんスープ)を食べて63,000レイ(205円)。この国では、どの町でレストランに行っても安い。旅行者にとってはありがたいことだ。
駅へ戻る途中、旧市街の時計塔の北側にドイツ語で『Klosterkirche』と表札の出ている教会がある(入場料10,000レイ, 32円)。東方正教会のルーマニアにあって、旧市街内にある教会がことごとくカトリック系だというのは、かつてハンガリー帝国だった時の名残なのだろうか。正教に無理やり転換せずに、よく歴史遺産を守っているものだと思う。
15時51分の列車の出発時刻まで少し時間があるので、新市街のヘルマン・オーベルト広場のカフェで時間を潰す(10,000レイ, 32円)。広場に面した通りに郵便局があったので、テレホンカード(80,000レイ, 261円)を買い日本の実家に電話する。『今、シギショアラ』『どこの国?』…、普通の日本人には全然有名じゃないよね、この町。
14時20分頃、駅へ。駅事務所では、ジリジリと電話が鳴り響いているが、肝心の駅員が居ないようだ。しばらくして、なぜか外から駅員がのっそりと現れて、ぼろい切符売り場の扉の鍵をこじ開けて中へ入ってゆき電話の応対をしている。で、一通り用事が済んだように見えたので、駅員にブラショフまでの切符を売ってくれと頼む。駅員:「Accelerat(準急)かRapid(快速)のどちらがいいか?」、私:「先に来るのは?」、駅員:「準急。1時間遅れでもうすぐ到着する」。運良く待ち時間無しで乗れそうだ。
プラットホームへゆくと、1時間半ほど遅れた列車がちょうど到着するところだった。プラットホームに待っていた何人かの乗客が列車に乗り込む。硬券の切符で指定された21号車・88番席のコンパートメントに行くと、えらく汚らしく腐臭が漂うおっさんが、酔っ払って座席でのびている。こりゃ駄目だ。隣のコンパートメントに空きがあるので、そちらへ緊急避難。同じコンパートメントを指定されたらしいおばさんも、私と同じコンパートメントへ移って来る。
同じ2等車なのに、今朝乗った快速列車より確実にグレードが落ちている。快速列車は布張りの椅子、準急列車は掃除のしやすいレザーシート。25%の価格の差は、停車駅の数ではなく車両のグレードで差が出るようだ。途中2回ほど、大平原の中に数十軒の家が集まっている集落にある駅に停車して、数人の乗客が乗り降りしている。16時40分、ブラショフ駅に到着。
Sighișoara(14:40発)→ Brașov(16:40着)Train A1746/A1747 2等車運賃 138,000レイ(450円)
Braşov - Romania (ブラショフ - ルーマニア)
駅前の広場で怪しげな客引きおばさんに呼び止められる。「Do you need room ? My name is MARIA . Are you Japanese ?」と、いきなり名乗る客引きも珍しい。私が日本人と分かると、「トマルトコロ タカクナイ。ホテル タカイ…」。なんじゃこのおばさん。あやしすぎる上、強引だ。地球の歩き方では囲み記事で取り上げられているので、ボッタクリではないのだろうが…。
Gara Brasov(17:00頃発)→ PrimarieBus, line 4 運賃 7000レイ(23円)
4系統のバスに乗り中央公園で下車。17時、夕日が差している公園のベンチでは、たくさんの人が休憩している。夕食は旧市街の議事堂広場(スファトゥルイ広場)にある中華料理屋。昨日入ったルーマニア料理店の隣の店だ。鶏肉野菜炒め、廣東麺、白飯、ミネラル水で240,000レイ(783円)を食べるが、味が変だ。中国人ではなく、他の国の人が調理した『なんちゃって中華料理』という感じがする。でも、裕福そうなルーマニア人が何組か来店して、美味しそうに食べているところを見ると不思議な感じがした。
20時ごろ、中央電話局裏手のネットカフェへ。1時間20,000レイ(64円)だが、日本語は表示できるがIMEは入っていない。それでも、日本のニュースが見れるだけでもよしとしよう。
Hotel Aro Sport, room 30500,000レイ(1634円)/1泊
September 30, 2003 (Tuesday)
6時、教会の鐘がけたたましく鳴る。6時半にも再び鐘が鳴りまくる。しつこく二度も鳴らすとは、目覚めの悪い人用の目覚し時計のようだ。7時すぎ、昨日と同じくマクドナルドに朝食を食べに行く(93,000レイ, 303円)。7時50分、ホテルをチェックアウト。1階の奥の部屋に荷物を預かってもらう。
Livada Postei(08:00頃発)→ Gara BrașovTaxi 運賃 20,000レイ(64円)
中央公園横でタクシーに乗りブラショフ駅へ。運転手はメーターが27,000レイのところを20,000レイに値引きしてくれた。すごい太っ腹な割引だ。駅の窓口でシナイアまでの切符を買うと、切符が運賃(Pret intreg)=25,000レイ、準急料金(Supliment Tren Accelerat)=22,000レイ、準急指定料(D. Tichet Tren Accelerat)=11,000レイの3枚分割で出てきた。たしか、日本の国鉄も硬券の時代はこういう感じだった。
今日は定刻通り列車がやって来る。指定券の座席番号刻印がかすれていたので違う車両に乗り込んでしまうが、なんとか正しい席を見つけて座る。1号車・座席番号41番。どうみても券面では71番にしか見えない…。同じコンパートメントには、ブカレストへ行く学生カップル、バックパックを担いでシナイアまで行く若い女性、会社員風女性、と私の5人。1時間ほどでシナイアに到着するのは分かっていたが、最後尾の車両に乗っているため停車した時に駅名プレートが見えず、どこの駅に停車しているのか見当がつかない。おそらくシナイアだろう… と思われる駅で、学生カップルが隣のコンパートメントの乗客などに聞いてくれて、その駅だとわかる始末。バックパックを背負った女性と共に慌てて降りる。
Brașov(08:30発)→ Sinaia(09:30着)Train A1624 2等車運賃 58,000レイ(189円)
Sinaia - Romania (シナイア - ルーマニア)
南カルパティア山脈(トランシルヴァニア・アルプス)のプラホヴァ渓谷にあるシナイアは、避暑地として有名な人口1万4千人ほどの町だ。エジプトのシナイ山にある聖カタリナ修道院に因んで名付けられたシナイア修道院があったことから、町の名前が付けられたそうだ。
避暑地という事で、初秋の今はちょっと肌寒い気温だ。西の山からどんよりとした雲が広がっていて、灰色の古い駅舎はますます陰鬱に見える。薄暗い駅のコンコースを出ると、林の中の急な坂道が町の中心に向かって続いているのが見える。駅は渓谷の一番底の土地にあるようだ。
急な階段を登ってゆくと、再び道路に出る。庭に居る犬が盛んに吠えてくる。巨大な板に観光地図が張り付けられているが、所々破れて見えなくなっている。ホテルの位置は書かれているが、シナイア修道院の場所は書かれていなかったりする。この国では、個人旅行客をあまり相手にしていないのだろう。あらかじめネットで印刷しておいた地図を頼りに、修道院目指して坂道をどんどん登ってゆく。道路沿いには4階建て位のホテルが建ち並んでいて、標高が高くなると共に小規模なペンションが多くなってくる。駅から1kmほど歩いた住宅街(ペンション街)の中にシナイア修道院はひっそりと建っていた。
通用口の金属扉を通って敷地内に入る。数人の参拝客が歩いているだけで、観光客は居ないようだ。ビザンティン様式で建てられた本堂に入ると、入口にイコンなどの土産物やロウソク・線香などの参拝用品を売る売店がある。ロウソクを1本(2,000レイ, 7円)を買って、本堂の外にある献灯台に挿してからお参りをする。今回の旅の残りは後少しだが、旅の平穏無事を祈る。
本堂の向かいには回廊があり、おそらくその建物に修道僧は住んでいるのだろうが、その回廊の中央にも小さな礼拝堂がある。17世紀に建てられた礼拝堂の中に入ってみると、修復工事中のようで工事資材が散乱している。修道院ではこちらを『古い礼拝堂』、先程ロウソクを買った大きな方を『大きな礼拝堂』と呼んでいるらしい。
修道院を出て、林の中の緩やかな坂道を登ってゆく。林の中から『カサコソ』と人が歩くような音が聞こえてくる。よく見てみると、お年寄りが栗の実を拾い集めている。ペレシュ城が遠くに見えてくる辺りから、道沿いに絨毯や小物類を売る土産物の露天が並んでいる。観光の季節では無いので、開いている店はほんの僅かだ。駅との標高差はおよそ120mほど、やっとペレシュ城の正門に辿り着いた。迷彩色の軍服を来た兵士が立っている横を通り過ぎて、城の庭園へ。兵士は「今日は休館だが、庭園なら自由に見れる」と言っているので、広い庭園をのんびりと歩く。ルーマニア国王カロル1世が19世紀末から20世紀初めにかけて建てた城だそうで、Wikipediaの記事によれば、ドイツ人建築家がドイツ風とイタリア風の折衷デザインとしたそうだ。
ペレシュ城の正門のすぐ脇の通路の奥には、ペリショール城という小ぢんまりした城が建っている。こちらもカロル1世が建てた城だそうだが、観光地化はされておらず、迷彩服を着た警備兵が入口で観光客を追い返している。
駅に戻る途中、浮浪者風の若い男に「Hello ! You must pay me 10,000 Lei !」と声を掛けられる。値段まで指定して金を無心する乞食も珍しい。11時20分の列車に乗り、ブラショフに戻る。
Sinaia(11:20発)→ Brașov(12:27着)Train A1621/A1620 2等車運賃 58,000レイ(189円)
Braşov - Romania (ブラショフ - ルーマニア)
Gara Brasov(12:30頃発)→ Piaţa SfatuluiBus, line 4 運賃 7000レイ(23円)
駅前から4系統のバスに乗り、旧市街の議事堂広場で下車。一昨日と同じルーマニア料理のレストランで昼食(138,000レイ, 450円)。食後、トゥンパ山へ向かう。山の麓にあるというケーブルカー乗り場を探す。旧市街の城壁のすぐ外側、林の中にひっそりとケーブルカー乗り場のコンクリート小屋が建っている。ガイドに引き連れられた東欧系の家族が1組待っているだけで、観光客らしき人は皆無。山頂までの往復切符(40,000レイ, 130円)を買う。乗客が集まるまで出発を待っているのだろうが、いつまで経っても新たな乗客は来ない。15分くらいしてやっと出発した。年季物のゴンドラは、標高差400mの山頂へ向けて駆け上っていく。車内に貼り付けられている製造者銘板はイタリア語で書かれている。イタリアで使われていた車両の中古を譲り受けたのだろうか…。
1分程度で山頂駅に到着。駅のすぐ横にはコンクリートの四角い建物がど~んと建っていて、ブラショフ市街地が見える方向を観光客から隠している。建物の中は薄暗く、営業しているかどうかも分からないくらい寂れたレストランがある。そのレストランの展望窓は『汚れ放題で波打っていて』見るに耐えない景色だ。山道を歩き、山頂を目指す。山頂には特に何もなく、かつて使われていた警備兵のための稍所が放置されているだけだ。
山を降り、旧市街の城壁に沿って南へ歩く。城壁は半ば崩れかけていて、壁沿いのスペースに造られた公園の廃墟では子供が元気に遊んでいる。旧市街の最南端には綺麗なテニスコートが造られていて、城壁はそこで途切れている。ここから南はスケイ地区と呼ばれる所で、微妙に古めかしい一戸建て住宅が区画整理された道沿いに建ち並んでいる。かつて、中世では城壁の内側の現在の旧市街地区には、ドイツ系の裕福な住民が住み、その外側にはそれほど裕福ではないルーマニア系の人たちが住んでいたそうだ。現在でも、建物の雰囲気からは旧市街の内外で微妙な経済格差があるように見える。
起伏のある住宅街の道を10分ほど歩くと、統一広場に出る。目の前には、聖ニコラエ教会の尖塔が見えている。ゴシック建築のような建物は、第二次世界大戦後に再建されたもので古いものではないようだ。入口に大きな犬が居て、中へ入ろうとした私をギロッと睨んできて怖かった。統一広場の真ん中には、銃剣を構えた突撃隊兵士の像がある。第一次大戦の無名戦士像だそうだ。
夕食は議事堂広場のルーマニア料理レストランで食べる。3日も連続で来た私を、ウエイトレスのおばさんは覚えてくれていた。オススメ料理を選んでくれて、出てきた料理の焼き加減が少し足りなかったのを見て新しいのに替えてくれた。チョルバ、ムシチ(ポークステーキ)、トマトサラダ、ミネラル水で223,000レイ(730円)。ルーマニア最後の夕食も、テーブルいっぱいに料理の皿が並ぶ豪華なものだった。明日からはハンガリーなので物価はもっと上がるだろう…。
Livada Postei(20:00頃発)→ Gara BrașovTaxi 運賃 33,000レイ(64円)
20時、ホテルに戻りバックパックをピックアップして中央公園に向かう。タクシーを捕まえてブラショフ駅へ。運賃は33,000レイ(107円)で、同じ区間なのに乗るたびに値段が微妙に違うようだ。今回は夜間料金適用なのだろうか…。ブラショフ駅構内の両替所に行き、余ったルーマニア・レイの紙幣をハンガリーの紙幣に換えようとするが、不可能とのこと。両替は、外貨から片方向のみのようだ。2階の待合室へ。薄暗い部屋に金属製のベンチが並んでいる。壁には数十年前の古いポスターが貼られたままで、まるで時間が止まってしまったかのような空間だ。
列車の入線時刻が近づいたので、プラットホームへ。20~30人がベンチに座ったり、ホームに佇んで列車を待っている。アジア系の女性が列車を待っていたので、どこの国の人か聞いてみたら韓国人だった(多分、大学生)。21時30分頃、遥か向こうから電気機関車の前照灯が近づいてくる。各車両はプラットホームに貼ってある編成表どおりの場所に停車する。243号車のドア前で検札を受けて車内へ。EN(ユーロ・ナイト)なので最新鋭の車両を期待したが、東欧の標準的な車両だった。私が割り当てられたコンパートメントは6人クシェットで、先ほどの韓国人女性と地元の高校生2人と先生、それに私の6人。ブラショフ駅から乗る客ばかり集めたコンパートメントだ。
Brașov(21:35発)→ Budapest(07:10着)Train EN370, 243号車 34ベッド 2等簡易寝台車 運賃 1,549,000レイ(5059円)
列車は定刻より10分ほど遅れて出発した。車掌がシーツと枕カバーを配りに来る。同じ車両にはブダペストに行く高校生の団体が10人くらい乗っている。高校生のシンポジウムか何かに出席するそうだ。一般のルーマニア人に比べて、殆どの生徒が英語を上手に話せるようだ。もしかして、優秀な生徒の選抜チームとかなのだろうか…
23時ごろ、消灯。寝る。翌朝3時半ごろ、国境のCurtici駅に停車し国境審査が始まる。ルーマニア入国時に比べて、案外すんなりと出国審査が終わる。私の下段で寝ていた韓国人女性は、審査官からなにやら質問されていた。30分くらい駅に停車した後、国境を越えてハンガリー側のLőkösháza駅に停車する。こちらの入国審査も、以外なほどすんなりと終了。同じコンパートメントの高校生が、携帯電話のSIMカードをハンガリーのものに入れ替えている。携帯電話鎖国の日本では考えられない風景だ。