2019年 台湾旅行記 : 基隆
March 1, 2019 (Friday)
Taipei - Taiwan (台北 - 台湾)
昨晩は深夜近くまで、2フロア上の屋上にあると思われる給湯ボイラーか何かの騒音が絶えず聞こえていたが、いつの間にかぐっすりと眠っていた。5時50分起床。6時(日本時間7時)からのNHKニュースを見る。当地のケーブルテレビの95チャンネルで、NHKの地デジとBS1を混合編成したような放送を見ることができる。
さて、ニュースも見たことだし、メールを受信しようとするとimapエラー。国が変わるとGoogleのセキュリティ認証が新たに必要になるようだ。アプリ版のGMailを使っていれば、スマートフォン自体が「信頼されるデバイス」なので問題がなかったはずだ。
Googleの電話認証登録のあるdocomoのSIMでスマホを再帰動し、Googleからの認証コードSMSを受信する。この方法もできなければ、本当にメール難民になるところだった。
7時、ホテル1階の食堂に朝食を食べに行く。宿泊客の数に比べて食堂の座席数が少なすぎ、10分もすれば満席で座れなくなる。朝食開始時間に駆け付けるのが吉だ。朝食はバイキング形式、中式自助早餐だ。饅頭や粥があり、蛋餅(卵焼き)・茶葉蛋(ゆで卵)のおかず、炸醤肉(肉そぼろ)・肉田麩(肉でんぶ)・ザーサイやピーナツなどの粥の具が各種取り揃えられている。
7時半、ホテルを出て駅に向かう。和平記念日の4連休、早朝の台北車站地下街は全く人が歩いていないゴーストタウンだ。
台北車站(08:03発)→ 基隆站(08:53着)台鉄 区間車, ICカード運賃 37元(137円)
基隆行の区間車、いわゆる各駅停車は各車両に10人程度が乗っている程度。気温15℃くらいで涼しいのに冷房全開でサービス中だ。松山站、南港站と地下駅に停車したのち、電車は地上に出て山間部の曲がりくねった路線をノロノロと走る。車窓は今にも雨が振りそうな曇り空。
台北と基隆の間は28.3kmしかないが、所要時間が50分も掛かっている。表定速度34km/h… 山手線の普通電車の表定速度と似たようなものだ。とても都市間の路線とは思えない遅さだ。
Keelung - Taiwan (基隆 - 台湾)
2015年に改築されたばかりの基隆站の南駅舎を出ると、目の前には市バスや長距離バスが発着している駅前広場、その向こうに港の岸壁がある。
今日最初に向かう目的地、白米甕砲台に行くため301系統のバス停へ。バスは出たばかりのようで、到着までの残り時間27分と表示されている。
待ち時間を利用して、バス停に隣接する日本統治時代に建てられた近代建築物を観に行く。バス停に隣接して1915年竣工の日本郵政ビル(現在は陽明海洋文化芸術館)、その隣に1934年竣工の基隆港合同庁舎(現在の海港大楼)、さらに海港大楼の増築部分だろうか国家標準時の電光掲示板がある経済部標準検験局の建物が続いている。いまは繁華街から外れた港湾地区の古い公共建築だが、建設当時は最新の街の顔だったのだろう。
祝日にもかかわらず、海港大楼のロビー部分だけは入ることが出来た。ここは日本統治時代からずっと、国が変わっても税関の事務所が入居している。円形のロビーを支える円柱の柱、各階から投函された郵便物が滑り落ちてくるダクトが付いた真鍮製の郵便ポスト、いかにも昭和初期を感じさせる石造りの階段や重厚なドアなど。古い調度品が今も大切に台湾の人たちに使われている。
岸壁に出ると、交通部航港局の燈塔運補艦(灯台見廻り艦)「運星」と海巡署の大型巡視船「CG105 謀星」の2隻が係留されている。
バス停に戻ると、ちょうど301系統のマイクロバスがやって来た。
公車総站(09:30発)→ 太白荘(09:46着)基隆市公車 301系統, ICカード運賃 15元(56円)
狭い道でも小回りが効く小型のバスは、猛スピードで岸壁に沿った曲がりくねった道を進んでいく。日本統治時代に軍港として栄えた基隆港には、今でも台湾海軍の施設がたくさん見受けられる。
スマートフォンのアプリ「台湾公車通」では、バスの現在位置が手に取るようにわかる。301系統のバスは30分に1本。2台のバスが単純往復してるようだ。
終点のバス停で下車。そこからコンテナ埠頭の入口ゲートに続く道を少し歩くと、白米甕砲台の大きな標識がある。そこから坂道をどんどん登っていく。白米甕山の南斜面にへばりつくように住宅があり、岩肌が露出したところには岩穴を利用した祠があり、これらは清代に作られたものだという。
10分ほど坂道を登りつめると、稜線上に公園がある。ここが白米甕砲台の跡地だ。日本軍のカノン砲は撤去され跡形も残っていないが、砲台のコンクリート構造物はきれいに残っている。
太平洋を望む広く開けた砲台跡は、伝書鳩を放鳥する格好の場所なのだろう。おっちゃんが鳥籠を置いて、数十秒ごとに鳩を1羽ずつ放鳥していた。その他には、お年寄りの観光客が数名居るくらいだ。
生ぬるい北風が東シナ海から吹き付けてくる。
真北に向けて4基並んだ砲台の両側にある丘には、観測所だった掩体壕があり、そこからは台湾島の北沿岸を航行する船が一望できる。基隆港の港口の両側は小高い山になっていて、南西側の白米甕砲台にはアームストロング式8inchカノン砲4基が、北東側の社寮島砲台にはカネー式30口径28cmカノン砲4基が設置されていたそうだ。
これらの砲台は19世紀中頃のテクノロジーで造られたので、第二次大戦頃には既に陳腐化し、単なる偽砲台としてしか機能しなかっただろう。
観測所跡のある北側の小高い山に登る。犬を散歩させるおばさんを追い抜いて、けっこう急な階段を登る。道はさらに北へ、港口により近い萬人頭砲台跡に続く山道がある。雨で山道がどろんこで滑りやすくなっているので、これ以上進むのはあきらめた。
太白荘(10:47発)→ 仁二路(11:14着)基隆市公車 301系統, ICカード運賃 15元(56円)
坂道を降りてバス停に戻る。20分ほど待って301系統のバスに乗車。バスは往路と違い、基隆站の西出口のバス停を経由したのち繁華街に突入する。多くの乗客の目的地も繁華街のバス停で、私も終点の一つ手前、仁二路バス停で下車。
次に向かうのは海門天険(二沙湾砲台)だ。スマートフォンのアプリ「Bus Tracker Taiwan」で、海門天険の方向へ向かうバスを検索。ちょうど、103系等のバスが近づいてきている。田寮河を渡り、高層ビルが建つ基隆の新市街らしきところを歩き、市庁舎前へ。市庁舎の建物は日本統治時代の1932年に建てられたもので、戦後に1フロア増築されただけで建設当時の雰囲気をよく残していると言われている。
さて、市役所の斜め向かいのバス停に停車したバスになんとか間に合い乗車。海門天険を通り過ぎ2つほど先のバス停で下車。
市政府(11:21発)→ 正豊街(11:28着)基隆市公車 103系統, ICカード運賃 15元(56円)
ここには、日本軍の基隆要塞司令部庁舎が今でも残っている。つい最近まで海巡署光復営区の施設として使われていたようだが、今は空き家のようだ。隣が警察署なので、そこが管理してるのかな…。赤レンガ壁の瀟洒な建物は、外観はかなり良い状態で保存されているようだが、残念ながら見学はできないようだ。
市内中心方向に歩いて戻っていくと、要塞司令官官舎跡という工事現場のシートに覆われている場所がある。山に少し登り見下ろすと、建物は何ひとつ残っていない。Webには木造の建物の写真が掲載されてるが、崩壊してしまったのだろうか…
二沙湾山の麓にある海門天険バス停に到達。山麓のバス停から見上げると、要塞がある山頂付近はうっそうと木が茂っていることくらいしかわからない。
バス停横の登山口から石畳の登山道を登る。苔むした石畳の坂道はヌルヌルで滑りやすい。トレラン用の登山靴を履いているのだが、それでも足元はおぼつかない。超ゆっくりスピードで、一歩一歩、山頂に向けて登る。途中から床石の材質が変わり、全く滑らなくなる。その境界に「階段濕滑 請小心」(つるつる滑りやすいので注意)と看板が…。あきらかに石材の選定ミスだろ。
標高100mほどの山上に登り切ると、北砲台と東砲台の2箇所に別れた二沙湾砲台がある。清朝末期の砲台で、あまりにも基隆港の内側にあり日本陸軍はここを使うことはなかったようだ。東砲台にはドイツ製の8inchカノン砲が、西砲台には6inchカノン砲と更に古い形式の鋳造砲が1基ずつ置かれている。カノン砲はガッチリと地面に固定され旋回できず、これで使い物になるのかなという印象を受ける。
下山途中、観光写真などで有名な兵営の城門をくぐり抜ける。この門は、かなり崩壊の進んだ砲台と違って完全な形をとどめている。復元されたものなのかな。しかしながら、兵営に城壁や城門を付けるというのは、この砲台の目的が港外からの進入を防ぐのではなく、地上から攻めてくる住民を迎え撃つことを主目的にしていたのだろうか。なにか中途半端な感じだ。
滑りやすい石畳の山道をおっかなびっくり降り、バス停のある幹線道路に戻る。さらに市内中心方向へ幹線道路を歩いて行くと、北白川宮能久親王記念碑がある。宮は日清戦争によって日本に割譲された台湾で、抗日ゲリラを掃討(乙未戦争)する征討近衛師団長として出征したが、当地で病没したため記念碑が建てられたそうだ。石碑の文字は全て削り取られているが、倒されていないだけ台湾の人たちの心遣いが感じられる。
ちょうどやって来たバスに乗り、およそ1kmほど先にある市庁舎前で下車。
中船路(12:35発)→ 市政府(12:38着)基隆市公車 104系統, ICカード運賃 15元(56円)
市庁舎前から東に歩く。日本統治時代にこの付近は義重町と呼ばれ、赤レンガの建物がきれいに並んだ基隆の目抜き通りだったそうだ。いまでも、一部の商店が古い建物を使い続けている。すぐに忠烈祠の階段前までやってくる。以前の基隆神社の跡地だ。鳥居は中華牌坊に変わり、本殿は中国寺院のような建物に変わっている。
階段を登りきったところにある狛犬2匹だけが往時を偲ばせるものだ。この基隆神社跡地でも満開のツツジをよく見かける。
更に登っていくと山頂に主普壇という三重塔のようなものが3つ合体したモニュメントがある。中元祭祀文物館というのが別名で、旧暦7月に開かれる鶏籠中元祭の展示会館だ。地元で信仰されている神様の像や、お供え料理の模型などが展示されている。日本で言うところの、地蔵盆か…
主普壇の山を降り、田寮河を渡って南にある基隆廟口夜市へ。今朝バスで横切ったときも多くの人で賑わっているのが見えたが、昼を過ぎた今の時間帯は更に人の数が増えてカオス状態だ。
「夜市」なのに昼間営業していても大人気。もはや単なる屋台街だ。どこかで見たような粥、麺、丼といったメジャーな食べ物ばかりなので、今日もやはり自助餐に入ってのんびりと昼食(隆晴樺精致自助餐 150元, 555円)。いろんな種類を少しずつ取って食べるバイキング形式なので、一人旅ではこちらの方が都合がいい。
食後、慶安宮を見学。基隆で最も古い廟宇の一つで、100年以上の歴史がある媽祖神を祀った寺院だ。寺の売店で売ってるお供えセット以外に、市販のお菓子などの食べ物を袋ごと供えていく人も多い。この大量のお菓子類、お寺の人が回収した後はどうするのかねぇ。坊さんが食べまくれば、成人病になることまちがいなしだ。
基隆站に戻る。海港大楼の向かい側にある旧駅舎から入ると、今は使われていない地上のプラットホーム部分が通路になって新駅舎につながっている。これはこれで歴史を感じさせるものだ。
基隆站(14:42発)→ 台北車站(15:25着)台鉄 区間車, ICカード運賃 37元(137円)
Taipei - Taiwan (台北 - 台湾)
区間車(各駅停車)は、朝乗った往路より10分短い所要時間40分で台北車站に到着。一旦ホテルに戻り、少し休憩。16時過ぎに、ホテルのスタッフが部屋の掃除にやってくる。掃除する部屋数が多くてチェックインが始まる時間帯までに終わらないのだろう。大変そうだ。
夕刻、今度は板橋の夜市を見に行くこととする。
西門站(16:56発)→ 府中站(17:09着)捷運 板南線, ICカード運賃 20元(74円)
板橋站、府中站と、まるで日本のような駅名。府中で降りて地下鉄の進行方向に10分ほど歩いたところに湳雅夜市があった。ここは歩行者専用道路になるのではなく、たくさんのスクーターが人混みの中を爆走する妙なところだ。排ガスで煙くて、日本人的には食事どころではない。
夜市の通りを抜けた所に接雲寺という観音菩薩を祀る寺がある。清朝末期に再建された、100年以上の歴史がある古刹だ。境内は古刹というより、派手な電飾の中華系のお寺という雰囲気だが…
府中站(17:52発)→ 西門站(18:02着)捷運 板南線, ICカード運賃 20元(74円)
結局、夕食は以前来たことのある西門町徒歩区にある365台湾小吃へ。ここは人気のB級グルメの店で、滷肉飯(豚肉そぼろ掛けご飯)、貢丸米面(肉団子の麺線) 燙青菜(茹で野菜)を食べる。夜市で食べるのと同じようなメニューだ。125元(462円)。
その後、武昌街の人気のお店「城中美食」で謎の料理「肉圓」(ゼリー状の肉餡 35元, 130円)を食べる。豚肉ミンチが入っているが、わらび餅のような温かい食べ物。謎のB級グルメだ。ホテルの近くまで戻り、許昌街の老蔡水煎包で高麗菜包(キャベツまんじゅう 15元, 56円)、東北大餅で東北大白餅 紅豆(哈尓濱風あんぱん 30元, 111円)と食べ歩く。シメはホテルの横のセブンイレブンで比菲多(乳酸菌飲料 30元, 111円)。
城美大飯店 泊603号室 ダブルルーム 1,061元(3,925円)/1泊